多文化共生ってなんだろう?

日本のバブル景気の時期に、パーキスターン、バーングラーデーシュその他の国々から大挙してやってくる労働者たちの姿があったが、その後の景気後退にともない多くの人々が帰国したり、この国を離れたりした。しかし日本で配偶者を見つけて定住した人たちは少なくないし、数は決して多くないが起業して運命を切り拓いた人たちもある。これらの人たちが日本で生まれた子供の親となったり、故郷から身内を呼び寄せたりするのはごく自然な流れだろう。
この時期に移民してきた人たちの子供たちは、すでにティーン・エイジャーになっており、あと数年もすれば社会に出て働くようになってくるのだろう。ふと気がつけば、今年成人式を迎えた人たちは、すでに平成の時代になってから生まれているのだ。昭和生まれの世代が旧人類扱いされるのもそう遠い将来ではないのかもしれない。
それを思えば、バブル時代の移民者たちで比較的早い時期に日本で配偶者を得た人たちの子供たちは、すでに中学生あるいは高校生くらいになっていてもおかしくない。多くは日本で普通の公立学校に通い、かつて私たちがそうしてきたのと同じような教育を受けて成長しているようだ。
出稼ぎで3Kと形容される仕事に従事する人たちだけではなく、景気が良かったバブル期には、『国際化』が標榜されていた頃でもあり、留学生や企業内転勤その他様々な形で来日するいろいろな国々の人々の姿があった。こうした人たちの中にもその後日本に定着したケースが多いことは言うに及ばない。
こうした人々が日本で定着してから母国の身内の人々、兄弟姉妹や、従兄弟その他の親戚が日本で大学あるいは大学院に進学するために面倒を見るというのはよくあることだ。そうして世話してもらったニューカマーの人々もまた、年月を経て同様に結婚して子供をもうけたり、他の身内の人々を何らかの形で呼び寄せたりといったことを経て、彼らのコミュニティが次第に拡大していくことになるのだろう。
そんなわけで、特に外国人が多く暮らす地域の小学校、中学校などでは、昔とは比較にならないくらい様々な顔立ちの生徒たちが教室で机を並べているようだ。
もちろんこうした外国にオリジンを持つ生徒たちの親の中には、特に父親の母国の方式の教育ないしは民族教育を受けさせたいと思う人は少なくないようだ。日系ブラジル人たちのように、日本での在留や就労が容易な人たちの場合は、家族を伴って来日するケースが多く、一定の年齢までブラジルで育った子供たちは言葉の問題もあることから、彼らの人口が多い地域ではブラジル人学校がいくつも設立されることとなった。


IT関連で来日する例が多いインド人たちにとっても、親が日本での勤務を終えた後、主に母国での進学を見据えた教育を行なうインド人学校がいくつか設立されることにより、従前のようにインターナショナルスクールに子供たちを入学させる以外の有力な選択肢ができたことは言うまでもない。
ひとくちに『外国人学校』といっても、生徒の親たちの社会的立場や日本での居住が暫定的なものか、永住志向であるのか、生徒たちの国籍が様々で一定の国ないしは民族に偏らないニュートラルなものであるか、特定の国・地域出身の生徒たちに母国式の教育を与えるものか、といった様々なバラエティがあるため、ひとくくりにできるものではない。
しかしそうした中でも、これまで在りそうで無かったのが、イスラーム教徒の生徒のための学校ということになるのではないかだろうか。実は現状でも、主にムスリムの生徒たちが就学している学校はいくつかある。だがそれらは大使館附属のインドネシア人学校であり、イラン人学校であり、日本国内で本国での教育を実践する機関であり、『イスラーム教徒の子供たち』をユニバーサルに受け入れる学校というわけではない。また日本に定住している自国民の子弟が通っていたりすることもあるとはいえ、主に数年のうちに帰国して母国で進学しようとしている生徒たちが対象だ。
アフガンの人々への支援活動で注目を集めた東京の豊島区にあるJapan Islamic Trustが運営する大塚モスクでは、Islamia Schoolというムスリムの子供たちに休日にイスラームに教えを授ける教室を実施しており、就学前の子供たちの幼稚園も運営しているそうだが、これとはまた別のイスラーム教団体、世田谷区にあるIslamic Center Japanでは、イスラーム学校の建設を予定しており、すでに用地の取得は済ませているそうだ。
1980年代後半以前には、存在感がほとんど皆無に等しかった在日ムスリム社会だが、まさにそのパイオニアとして来日した人々の努力の甲斐あって、日本のあちこちで定着して暮らす彼らの姿を目にするようになった。
しかしながら日本社会で、彼らに対する認知度はまだ高いものとはいえない。日本におけるムスリム人口が拡大するにつれて、また居住年数が長くなり、加えて永住を視野に入れて安定した生活を送るようになるにつれて、日本の社会の様々な方面で声を上げる日が近づいているのではないかと思う。
バブル期にやってきた人たちを移民第一世代と仮定するならば、多くはちょうど子育ての時期にある。自ら抱える問題もさることながら、子供たちの教育や生活習慣等に対する関心は高いだろうし、長じては進学や結婚に関するいろいろな事柄もあるだろう。また母国で仕事をリタイヤする日も近い、あるいはすでに隠居生活に入っている両親のことも考えなくてはならない。
日本で暮らす彼らにしてみても、縁起のいい話ではないが、いつかは老いて、やがては亡くなっていく。また不慮の事故や重病で命を落とすというケースもないではないから、一部の例外を除き、基本的に土葬は認められていない日本における埋葬の問題もある。
彼らにしてみれば、日本の社会に考慮して欲しいことや行政に頼みたいことはいろいろあるだろう。ムスリムといっても、出身国、民族、日本での生活形態や社会的立場その他いろいろ違うので、これらをひとつにまとめ上げての活動や組織というものが可能かどうかはさておき、宗教施設については比較的よく知られているものだけでずいぶんある。ここではList of Masjids in Japanを引用しておく。
このほか、宗教指導者不在で雑居ビルの一角を借り上げて礼拝所として利用されているスペースやムスリム経営者が店の一部を金曜日に信者たちの礼拝のために善意で供与しているようなところは、東京都内だけでも数え切れないほどあるといってよい。これらはそれと知っている人たちだけが出入りするため、外に『礼拝所です』などと看板で示しているわけではない。私たちが通りを歩いていても気がつくことはまずないだろう。
まだまだムスリム人口の定着度やその歴史は非常に浅いとはいえ、そうした施設等の存在について、未知なるものへの怖れあるいは何だか気味悪いと感じている人が少なくないらしいことははなはだ残念であり、お互いにとって好ましいことではないだろう。
だが、今のところ私の知る限りにおいては、日本在住のムスリムの人々は総じてこの社会に対して友好的かつ良い印象を抱いてくれているように感じてくれているのは幸いに思う。
とりとめのない話になってしまったが、単一民族国家という前提ないしは幻想のもとにこれまでの型にはめるようなやり方が通用しない時代に差しかかろうとしていることだけは間違いないようだ。
多文化共生というお題目はよく耳にするものの、具体的にはどのようなやりかたが考えられるのだろう。決してすべての物事がうまく進んでいると手放しで賛辞するつもりはないし、ときには反面教師という側面もあるのかもしれないが、多文化国家の大先達インドに学ぶことは決して少なくないように感じる今日このごろだ。
ブログのごく限られたスペースで論じ得るものではないので、また後日機会を見て少しずつ考えてみたいと思う。

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