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カテゴリー: column

  • 多文化共生ってなんだろう?

    日本のバブル景気の時期に、パーキスターン、バーングラーデーシュその他の国々から大挙してやってくる労働者たちの姿があったが、その後の景気後退にともない多くの人々が帰国したり、この国を離れたりした。しかし日本で配偶者を見つけて定住した人たちは少なくないし、数は決して多くないが起業して運命を切り拓いた人たちもある。これらの人たちが日本で生まれた子供の親となったり、故郷から身内を呼び寄せたりするのはごく自然な流れだろう。
    この時期に移民してきた人たちの子供たちは、すでにティーン・エイジャーになっており、あと数年もすれば社会に出て働くようになってくるのだろう。ふと気がつけば、今年成人式を迎えた人たちは、すでに平成の時代になってから生まれているのだ。昭和生まれの世代が旧人類扱いされるのもそう遠い将来ではないのかもしれない。
    それを思えば、バブル時代の移民者たちで比較的早い時期に日本で配偶者を得た人たちの子供たちは、すでに中学生あるいは高校生くらいになっていてもおかしくない。多くは日本で普通の公立学校に通い、かつて私たちがそうしてきたのと同じような教育を受けて成長しているようだ。
    出稼ぎで3Kと形容される仕事に従事する人たちだけではなく、景気が良かったバブル期には、『国際化』が標榜されていた頃でもあり、留学生や企業内転勤その他様々な形で来日するいろいろな国々の人々の姿があった。こうした人たちの中にもその後日本に定着したケースが多いことは言うに及ばない。
    こうした人々が日本で定着してから母国の身内の人々、兄弟姉妹や、従兄弟その他の親戚が日本で大学あるいは大学院に進学するために面倒を見るというのはよくあることだ。そうして世話してもらったニューカマーの人々もまた、年月を経て同様に結婚して子供をもうけたり、他の身内の人々を何らかの形で呼び寄せたりといったことを経て、彼らのコミュニティが次第に拡大していくことになるのだろう。
    そんなわけで、特に外国人が多く暮らす地域の小学校、中学校などでは、昔とは比較にならないくらい様々な顔立ちの生徒たちが教室で机を並べているようだ。
    もちろんこうした外国にオリジンを持つ生徒たちの親の中には、特に父親の母国の方式の教育ないしは民族教育を受けさせたいと思う人は少なくないようだ。日系ブラジル人たちのように、日本での在留や就労が容易な人たちの場合は、家族を伴って来日するケースが多く、一定の年齢までブラジルで育った子供たちは言葉の問題もあることから、彼らの人口が多い地域ではブラジル人学校がいくつも設立されることとなった。

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  • BS1の『内偵員』

    すでに放送が終わってしまった番組で恐縮だが、NHKのBS1で、本日午後8時から9時まで、『BS世界のドキュメンタリー 内偵員〜インド・人身売買との闘い〜』がオンエアーされていた。
    NHKのウェブサイトの番組紹介にもあるように、ムンバイーの歓楽街で売春を強要されている少女たちを救うために取り組んでいるNGO,Rescue Fondationで内偵員としての任務に従事するスタッフの活動を追ったドキュメンタリー。
    定期的に髪型を変え、必要に応じて変装して隠しカメラを持って売春宿に客を装って入る。あらかじめ情報を得ている少女本人と接触するなどして情報を得て、警察と協働して摘発に臨む様子を描いている。
    Rescue FoundationのNewsletterのページをクリックすると表示される内容は、この番組で取り上げられていた。
    この内偵員という仕事、もちろんアンダーグラウンドな世界の仕事に干渉することになるため、探りを入れる相手に身元が割れると命の危険があり、またその社会で面が割れてしまうと仕事にならないため、なかなか成り手が見つからず、慢性的な人手不足の状態にあるようだ。
    この団体の代表者は、創設者であり、最初の代表者であった人物の妻。ご主人は、救出活動を行なった帰りに、乗用車が大破する事故に遭い亡くなっている。その背景にはマフィアの関与も取りざたされていたのだとか。その遺志をついでこの責につくことになったということだ。
    またこの団体では、保護された後のリハビリや社会復帰を助ける施設も運営しており、ウェブサイトでは、そうした活動を紹介するギャラリーも設置されている。
    内偵の様子や警察と協働での摘発・救出活動の映像については、よく日本の民放であるような『摘発 歌舞伎町24時』といった番組でも見かけるような構成であった。
    よくわからないのは、この団体そのものの背景だ。専従のスタッフを抱えて施設もかなりしっかりしたものを持ち、相当な資金力があることを感じさせる。
    売春させられている個々の女性の動向についても、近々他の店に移る予定であることを把握していたり、仕事がムンバイーからデリーに移ったことやそこで働いている店が特定できたりするなど、相当な情報網を持っているようだ。
    しかも警察と合流して現場の摘発に参加しているようなので、単に被害女性の保護と更正のために市井の人が取り組んでいる運動というわけではないように思う。
    たぶん、かなり政治的なコネクション、相当有力なパトロンあってこそのことではないかと思うのだが、そのあたりについて番組が踏み込んで取り上げているわけではない。
    もちろん、それだからといって、彼らの活動の価値が否定されるわけではないし、賞賛されるべき取り組みであることは何ら変わりがないのだが、この活動のアウトラインを知るうえで重要なファクターなので、とても興味をおぼえずにはいられない。
    現在のところNHKのウェブサイト、BS世界のドキュメンタリーには示されていないが、いつかこの番組が再放送される機会があるのではないかと思うので、ご関心のある方はぜひご覧いただきたい。

  • 丈夫なデジカメも良さそう

    これまで幾度となく『インドでどうだろう、このデジカメ?』というスタンスで、日常生活と旅先で肌身離さず持ち歩くカメラについて考えてみた。
    カメラは繊細な道具である。気候が良いときには問題ないのだが、雨季にはなかなかカメラを取り出しにくいことも少なくない。街中や遺跡などでは問題なくても、海岸に行くとき、トレッキングに出かけるときなど、持ち物の中で特に水とホコリに弱いカメラがウィークポイントになってくる。
    そこそこ適当に写る程度でいいから、そのかわり雨の中、水滴を気にせずに撮影できて、うっかり手が滑って水溜りの中に落としてしまっても心配なく、砂浜の上に無造作に放り出しても大丈夫、ちょっと汚れたらそのまま水洗いできる、そんなカメラがあったらどんなに気が楽かと考えたことはないだろうか。
    近ごろ防水タイプのカメラがいくか出ている。以前は防水といえば、海中で写真を撮るためプラスチック製のプロテクターを装着するか、工事現場用のいかつい業務用カメラくらいしかなかったものだが。
    最近はどこに行くにもデジカメを持参する人が増えるにつれて、浸水、ホコリ、衝撃等で故障するケースがいろいろあるのだろう。とにかく丈夫なことを売りにする『格好いいイメラ』が出てきている。これから気温が上がり、アウトドアでのアクティヴィティの機会が増えるにつれて、需要も高まっていくことだろう。じきに他社も同様のモデルを出してきて、これまでなかった新しいジャンルを形成していくのではないかと私は予想している。
    水深4m防水のペンタックスのOptio W60、水深3mまで耐えるオリンパスのμ tough-6000あるいは水深10mまで大丈夫な上位機種のμ tough-8000水深3m防水のパナソニックのルミックスDMC-FT1ということになる。
    ペンタックスOptio W60
    オリンパスμ tough-6000
    オリンパスμ tough-8000
    パナソニックLumix DMC-FT1
    これらの機種は、どれも防水であるがゆえに防塵でもあるわけだが、ペンタックスのモデルを除いて、オリンパスμ tough-6000とパナソニックのルミックスDMC-FT1は1.5mの落下に耐える構造となっており、オリンパスのμ tough-8000にいたっては、2mからの落下と100kgfの加圧に耐えるという非常に丈夫な造りとなっている。
    こういうヘビューデューティーな機種に、カメラとしての性能・機能面で期待するものは特にないので、その部分については敢えて言及しない。だがいずれも広角端が35mm判換算で28mmとなっているため使いやすいだろう。
    防水以外の他のモデルに目を移しても、ちょっと前までのデジカメではあまりなかった現象が広がりつつある。広角端が28mmあるいはそれ以下というズームレンズ搭載のデジカメが急に増えてきているのはうれしい限り。なお望遠端は、Optio W60が140mm、μシリーズが102mm、DMC-FT1は128mmとなっている。
    こういうカメラを手にしたら、どこかキレイな島にでも行ってみたい。ダイビングをしたことはないし、これからトライする気もないのだが、手軽にシュノーケリングでもしながら海中の魚や珊瑚などの写真を撮ってみたいのだ。
    『ああでもない、こうでもない』と、海の中で試行錯誤するうちに丸一日過ぎてしまい、たっぷり陽光に照らされた背中が真っ赤に日焼けしてしまい、因幡の白ウサギ状態になって『イタい、イタい』とのたうち回る自分の姿が目に浮かぶ。
    個人的には、オリンパス製品については、記録メディアがxD-ピクチャーカード、microSDカード、microSDHCカードとなっているため、他のカメラとメディアが共用できないのでパス。残るW60かFT1ということになると、耐衝撃性があるという点から後者のほうに、より高い関心がある。特にサフラン色?のモデル(メーカーのパナソニックによれば『サンライズオレンジ』とのこと)がちょっと気分なのである。
    サフラン色のFT1
    これをベースにして、国旗風に中央部を白、下部を緑に塗り分けた『インド仕様』なんていうのを売り出してみてはいかがだろうか、パナソニックさん?

  • スポーツ用メガネはいかが?

    クリケットや野球はともかく、ホッケーやサッカーのように相手選手との接触プレーが多いスポーツにおいて、通常はネガネの着用はご法度。自分自身にとって危険だし、同時に相手に危害を与えてしまう可能性があるからだ。
    だが装身具ではなく、視力が悪くてよく見えないがゆえに矯正しなくてはならないので、眼が悪い人はたいていコンタクトレンズを使用している。しかしソフトコンタクトであっても、どうも眼に異物を入れることに抵抗感がある、着用がどうも合わないようだという声もときに耳にするものだ。
    私自身、コンタクトレンズを使ってみようと思ったが、しばらく装着していると眼が充血したり、また違和感になじめなかったりで、やめたことがある。
    その後、どうしたかといえば、裸眼で我慢した。私が休日に楽しむのはサッカーやフットサルといった、比較的大きなボールを使うものであるがゆえに、あまり問題はなかった。
    ・・・とはいえ、試合前にメガネを着けたままでしばらく練習してみると、見えかたに大きな違いがあり、裸眼で見える像がかなり甘いとずいぶんハンデを負っているな、とつくづく感じたものである。曇っている日、夕方になって日が傾いてからは、なおさらのこと見えづらかった。
    そこにきてパソコンを使う頻度が多いためか、近ごろ視力がさらに落ちたらしく、メガネを作り変えた。裸眼でプレーするのが以前にも増して難しくなってきて、これは何とかしないといけない・・・と思った。
    先日、私と同じく近眼のチームメイトが、ユニフォームに着替えてから、コンタクトレンズではなく、ちょっと変わったメガネにかけ直していた。一見、ゴーグルのようで、春先の時期ということもあり、『花粉症?』と尋ねてみると違った。
    Rec Specs
    サッカーやフットサルに対応するメガネとのことで、少なくとも日本の地域リーグでは使用が認められているものだそうだ。Rec Specsというブランド名で販売されているが、どこのメガネ屋でも扱っているわけではなく、アウトレットは限られているようだ。
    フレームは柔軟な材質でできている。両脇のツルの部分はなく、代わりにゴムバンドで装着するようになっている。レンズが曇ってしまうので気密性はないが、水泳のゴーグルをイメージさせるようなスタイルだ。
    レンズは非常に丈夫なポリカーボネート製だが、さらに追加料金を払えば『絶対に割れない』とされるより強度が高いものに換えることも可能。
    眼に対する損傷発生例が多いとされるバスケットボールをプレーする際のアイガードとしてこういうものがあったらしいが、コンタクトレンズが嫌いな人のスポーツ用度付きメガネとして使用できるようになっている点が新しい。
    実際に装着してみると、通常のメガネに比べてレンズが目に近いこと、少々フレームのためか、視界がちょっと狭い感じがしないでもない。
    それでもちゃんと目の前が鮮明に見えること、ボールの回転もハッキリ見えることから、ずいぶんプレーがしやすくなって、急に上手くなったかのように錯覚してしまうくらいだ。
    こればかりは、いつもの『インドで云々』とはほとんど関係ないのだが、新しいモノを手に入れてこんなに感激したことは、これまでそうそうなかったので、ついついここに書いてしまった次第である。良く見えるということは、本当にありがたい。
    もちろんインドでスポーツされる方にもぜひお勧めしたい。インドで手に入るかどうかわからないが、渡印前か一時帰国あるいは第三国を訪問した際に、このRec Specあるいは類似の商品のアウトレットがある国で手に入れておくといいだろう。
    Rec Specs (LIBERTY SPORT)

  • チベット代表を応援しよう!

    Tibetan National Sports Association (TNSA)に、チベット代表チームについて問い合わせをしてみたところ、丁寧な返事とTNSAならびにサッカー代表チームにかかわる簡単な資料をいただいた。
    その中からチベットのサッカーならびに代表チームに関わる部分の要略を柱に、その他必要と思われる情報等を私なりに付け加えてお伝えしたい。
    チベット人たちの間でのサッカーの歴史はなかなか古く、20世紀初頭にチベットのギャンツェにイギリスの貿易代表所が置かれていたときに、ここに駐在する彼らがチベット人たちの間に広めたのが始まりである。
    続いて1913年にラサに駐屯した英軍、そしてチベットに初めて近代的な軍隊と警察組織が導入されたことも、さらにサッカーというスポーツを広めるきっかけになった。
    ある程度定着を見せたサッカーは、チベットに1950年の中国の武力侵攻以降も、50年代にはポタラ、ドラプチ、治安部隊といったポピュラーなチームが出現し、人気を得ていたということだ。
    1963年以降、チベットから外地への大規模な人口流出が始まってから、それまでラサで活躍していたプレーヤーたちが、インドのダラムサラで新たなクラブを結成したものの、在印チベット人コミュニティでのサッカー熱が高まったのは、60年代に彼らの手でチベット人学校が各地に建設されてからのことだ。それ以降、世代を問わずサッカーの人気が彼らの間で定着することとなった。
    1981年、現在のダライラマの母親の名前を冠した最初のクラブレベルでのトーナメント、Gyalyum Chemo Memorial Gold Cup (GCMGC)が開催され、この大会の運営に関わる評議会が結成され、その後GCMGC 大会は、在印チベット人サッカープレーヤーたちの間で最もプレステージの高いサッカー大会となっている。 ちなみに今年は5月31日開幕予定で、会場はTCVスクール・グラウンドとのことである。
    ちょうどこの時期にダラムサラに居合わせることになる方は、そこで行なわれているものが単なる草サッカー大会に見えたとしても、日本で言えば天皇杯に当たり、チベット人サッカー界にとって、チベット亡命社会のサッカー界における最も重要なトーナメントであることを記憶していただければ幸いである。

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  • サッカー チベット代表は実在する

    チベット代表ゲームシャツ前面
    自宅パソコンのモニター上に浮かび上がるこのゲームシャツの画像を目の前にして、『うーん、欲しいなあ!』思わず腕組みして考えてしまっているのである。
    かつて、寝ても覚めてもサッカー漬けの青春時代を送った私は、今でもこのスポーツが大好きなのだが、不覚にもつい最近までチベット代表チームの存在を知らなかった。
    きっかけは、たまたまウェブサイトで見つけたサッカーのチベット代表ゲームシャツのレプリカ。言うまでもなく、現在チベットは中華人民共和国のチベット自治区、つまり同国の一地方となっているため、単独でFIFA加盟するチベットサッカー協会はないし、そういうナショナルチームも公式には存在しないことになる。
    それでは架空のチームかな?と思いきや、このゲームシャツを日本で販売するLOVE FOOTBALLというサイトによれば、前回ドイツで開催されたワールドカップ開催直前、2006年5月から6月にかけて同国で開催された2006 FIFI Wild Cupなる大会にて、成績はともかく実在したチベットのイレヴンが熱い闘いを繰り広げたのだという。
    ハンブルグでの試合を伝える記事中には、1名スイスのSchaffhausen Football Clubというチームに所属する唯一のプロ選手がいたこと除き、他のプレーヤーたちの背景は記載されていないのが少々残念である。
    果たして『チベット国』を代表する選手たちはどこからやってきたのか?亡命チベット人の大きな人口を抱えるインドからの参加が少なからずあったであろうことは想像できるのだが。
    チベット代表チームは、その他どこで試合をしているのだろうか?と疑問に思えば、インターネットの普及のおかげで、自宅のパソコンですぐにその答えが見つかるのだから、近ごろは何かと便利になったものである。こんな映像を見つけた。

    チベット対マニプルの試合のひとコマだそうだ。またチベット対ブータンという映像のもあった。今まで知らなかったが、チベット代表チームは、インドで盛んに活動しているのかもしれない。同国における亡命チベット人たちの人口を思えば、じゅうぶんうなずけることではある。

    また国際試合ではこんな映像もあった。どういうチームか知らないが、オーストリアのF.C.Stadlauというクラブとの試合の映像も見つかった。

    この代表チーム、マイナーな大会やイベントながらも、欧州方面を中心に幾度か遠征試合をこなしているようだ。
    Tibetan National Sports Association (TNSA)のウェブサイトによれば、この協会の所在地はヒマーチャル・プラデーシュのダラムサラとのことだ。
    同協会は、草創期から競技種目の中で特にサッカーに力を入れているそうで、別組織でTibetan National Football Association (TNFA)を立ち上げたとのこと。これがチベット代表チームを組織する母体であることから、やはりこのナショナルチームの中核を成すのは在印チベット人たちということになるのだろう。
    TNSAのウェブサイトは、残念なことにあまり出来栄えが良くない。今後の予定については昨年のままだし、リンク切れも多い。メールで問い合わせを出してみたので、ナショナルチームの今後の予定について何か情報が得られたら後日掲載するつもりである。
    近ごろ年齢的にキツくなってはいるものの、長年サッカーの最底辺、つまり週末の草サッカーでプレーしつつ、この競技を愛してきた私である。不利な環境にありながらも、精力的に(おそらく・・・)続け、幾度か海外遠征をも果たしているチベット代表チームに、遅ればせながら精一杯のエールを送りたい。
    チベット代表ゲームシャツ背面

  • シグマDP2発表

    DP2
    昨年3月に発売され、その評価については賛否両論だったシグマDP1の姉妹機、DP2が発表された。発売時期は未定だが、今年前半には発売となる模様。
    35mm判換算で、画角が28mm相等のDP1に対し、DP2は41mm相当である。昔でいうところの『標準レンズ』に近いものであるところから、前者よりも汎用性が高いと感じる人もあるだろう。またF.2.8と比較的明るいレンズを搭載しているのも好感が持てる。
    私自身、DP1を1年間使用してみて、操作性以外の部分ではレンズの暗さが気になった。開放でF.4.というのはちょっと・・・。他のデジカメならば余裕で手持ちにて撮れるシチュエーションでも、DP1だとかなり工夫が必要になってくる。
    ボディのデザインやボタン等のレイアウトは、DP1を踏襲したものとなっており、操作系統もほぼ同一のようだ。画像処理エンジンは新たに開発したものが搭載されるようだが、果たしてDP1の弱点・・・というよりも、今どきの他のデジカメに比較すれば、『欠陥』と言われかねないほど緩慢な処理速度はどうなっているだろうか?
    デジカメの時代に入ってから、カメラを手にした人々がシャッターを押す回数が飛躍的に増えているという。フィルムと現像にお金をかけないと、自分が撮影した内容を目にすることができなかった時代には、ひとコマひとコマに当然ながらコスト意識が働き、趣味で撮るのであれば、対象をじっくり観察してから、シャッターを押すというのが普通であった。
    写真を撮る、撮ったものを見るということがタダになったおかげで、特に一眼レフカメラについては、新製品が出るとシャッター耐用回数何万回云々ということがしばしば話題にのぼるようになっているようだ。
    言うまでもなくDP1は一眼レフではないが、そんなせっかちな時代に、一枚撮影してから次のアクションに移るまで、メディアへの書き込み中であることを示す赤ランプが点滅するのをじっと待つのは面倒。併用している他のカメラとついつい比較してしまうので、いくら画質の面で突出したものがあっても、なんだかじれったい、ドン臭いカメラだなあ、ということになってしまう。
    加えて、RAWで撮影後に現像ソフトで仕上げた画像は、他のコンパクトデジカメをまったく寄せ付けない画質や描写力があり、さすがはコンパクト型で唯一のAPS-Cサイズのセンサー、しかもFOVEONセンサー!と感心するのだが、JPEGで撮るとそれほどの魅力を感じさせるものはなかったりする。RAWで撮影するときとほとんど同じくらい書き込みに時間がかかるのだが。
    ただし、このあたりが解決され、サクサクとスピーディーな操作感で、JPEGでも相応に良く撮れるとなれば、DP1に対する世間の評価、賛否両論から賛美へとも大きく変わってくることだろう。私自身についていえば、いまだに愛用しているリコーの初代GRDを放り出して、こちらを常日頃持ち歩くようになるに違いない。
    DP2は、画角が違うこともあり、DP1の後継機ではなく、姉妹機という位置付けである。しかし発売時期が1年違うだけに、そのあたりは相応の改良を加えていることを期待したい。
    41mmという画角自体、いろいろと使いやすいし、大型センサーによる背景のボケを生かすという面では、21mmのDP1よりも有利ではある。コンパクトデジカメとしては飛びぬけて金額の張るものではあるが、コアなファンの多いDP1ユーザーの中で、現在所持しているそれに加えてDP2も並行して使うという人も少なくないのではないだろうか。
    レスポンスとJPEG撮影の部分で大幅な進歩が見られたとすれば、『インドでどうだろう?この一台』の有力候補になり得るのではないかと思う。
    シグマDP2 スペシャルサイト
    DP2製品カタログ

  • 香港飯店の昼下がり

    以前、香港飯店で取り上げてみたコールカーター華僑の鐘さん兄弟が経営する食堂の話である。昼下がりのヒマそうな時間帯に、『やぁ、どうも!』と店内に入ってみると、なにやら彼ら兄弟が一人の男性と話し込んでいる。
    『古い友人がオーストリアから帰ってきたんだ』とのことである。彼もまた中華系で鐘さんたち同様、この街で生まれ育った客家人とのこと。 一見、ダージリンあたりからやってきた人か?と思ったと思わせるような印中混血の風貌と肌色ではあるが。
    彼の実家はコールカーター市内中心部のチッタランジャン通り界隈にあり、父親は大工をしているそうだ。鐘さんの香港食堂の内装はその人の手によるものだという。
    男性は20歳になる前からオーストリアに出て、いくつかの職場を転々としながら16年間、中華料理のコックとして働いてきたそうだ。『みんな私はもう二度とコールカーターに戻らないと思っていたようだし、自分自身もそう考えていた』と言う。
    インドに戻ってきたのは一時帰国というわけではなく、思うところあり、オーストリアでの生活をたたんでインドに再定着するつもりで帰ってきたとのこと。ちょうど近くを通りかかったので、旧知のこの店に顔を出してみたというわけらしい。
    年の中印紛争後、コールカーター在住の華人人口は急減し、多くは海外に出たとされるが、それ以降もより良い機会を求めての移住はなかなか盛んなようだ。沢山兄弟がいるようだが、アメリカに住んでいる者、台湾に住んでいる者、オーストラリアに住んでいる者といろいろいるらしい。今の時代、世界各地で中華系の人々の移動はますます盛んである。
    もちろんその背景には、インドでの環境の問題があり、ベターな暮らしを得ることを目的に海外に出て行く動機となっているのだが、さしあたって必要となる資金を調達できることや移住先での仕事等のツテといった、移住や出稼ぎにあたって必要な手立てを自らのネットワークを通じてちゃんと持ち合わせているのはたいしたものだ。
    男性の兄弟でオーストラリアや移住した人、台湾に住んでいる人がいるということだし、この店の経営者である鐘さんの姉だか妹だかもカナダに住んでいる。その子供たちが、たまにコールカーターを訪問することがあるそうだ。
    『でもインドでの様子には馴染めないみたいだよ。あの子たちの故郷はこの街なのにね』と鐘さん。
    普段は兄弟家族同士では客家語で会話している鐘さんだが、今日はこのオーストリア帰りの男性を交えてヒンディーで話している。彼自身は中華学校で教育を受けたわけではないし、中華コミュニティにどっぷり浸かって育ったわけではないとのことで、華語よりむしろヒンディー語のほうが話しやすいそうだ。
    『まぁ、中国語も一応できるんだけど・・・』
    それにしても、本来土地の言葉であるベンガル語ではなく、ヒンディー語であるというのは、コスモポリタンのカルカッタ商業地育ちらしいところかもしれない。
    彼は、しばらく両親ところに世話になり、これからインドで何をして生計を立てていくか考えてみるとのこと。
    『焦る気はないけど、まあ何か始めてみる。いつか結婚だってしたいし』
    この香港レストランは、サダルストリートに近いことから、外国人旅行者の姿も少なくないのだが、近隣や周辺地域在住らしき華人たちの姿、インドに仕事でやってきた中国人たちの姿をよく目にする。ときにそうした彼らの話をいろいろ聞く機会を持てるのは楽しい。

  • インドの西隣の核保有国にクーデター近し?

    インドのテレビAaj Takを見ていたら『パーキスターンに再びクーデターの危機迫る』というテロップとともに、危機を伝えるニュースが流れてきた。
    ‘पाकिस्‍तान में फिर हो सकता है तख्‍तापलट’ (Aaj Tak)
    緑豊かでのどかな風景の広がるスワート地方で、仏蹟等の見どころも多く、風光明媚な上部スワートとともに、観光地としても名高いエリアであったが、2007年に始まったタリバーンによる武装闘争のはじまりとともに、物騒な地域として知られるようになってしまっている。
    そのスワートで、今年2月にこの過激派勢力による彼らのイスラーム法による支配を認める政府当局の決定を憂慮する内外のメディアによる報道は記憶に新しいところだ。
    Pakistan agrees Sharia law deal (BBC NEWS South Asia)
    Aaj Takのテレビ報道によれば、当事者能力を欠く政府の元にあるパーキスターンで再びクーデターの動きが予想されるとのこと。続いて先日バーングラーデーシュ首都で発生した国境警備隊の反乱についても、パーキスターンのISIの関与の可能性を示唆するニュースも流れており、ちょっと背筋が寒くなる思いがする。
    もちろんパーキスターンと対立関係にある隣国のメディアによる報道であること、とりわけ昨年11月26日にムンバイーで発生した大規模なテロ以降、同国に対する囲い込みの姿勢を強めているインド発のパーキスターン国内情勢に関するニュースである部分はある程度差し引いてとらえる必要はあるかもしれない。
    しかしながら、インドの隣国の政局の混迷ぶりを目にすれば、誰もが多少なりとも懸念しているところではないだろうか。
    同国内の不穏な動き自体もさることながら、こうした状況を横目に第三国による大掛かりな陰謀が着々と進められているのかもしれないし、こうした報道の裏側にはそれを現実のものとしようという意思が蠢いているのかもしれない。
    これが杞憂であればそれに越したことはないのだが、テレビから流れるニュースを見つめながらいろいろと思うところの多い本日の夕方であった。
    とりあえずは、国はどこであれ、世の中が平安であること、無辜の市民たちに犠牲を強いるようなことが起きないことをを祈るのみである。

  • 新加坡的印度空間 4

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    今日は日曜日ということもあり、観光客相手以外のものでは閉めている店が少なくない反面、裏通りやそこに面したちょっとしたスペースでは、出稼ぎとおぼしき人々がわんさかたむろしている。
    道路に面したテラスを持つ飲食店でコーヒーやチャーイをすする人もあるが、多くは道端に座り込んでおしゃべりしたりトランプに興じていたり、数人で酒を酌み交わしていたりする。中にはすっかり酔っ払って路上に仰向けになって寝ている男もある。路地裏では安価な酒やツマミ類を販売している者の姿もあり、こうした人々を相手にそれなりに繁盛しているようだ。
    同じインド系の人々でも、ここに定住している人たち、あるいは少なからず他国から観光で訪れる人たちと大きく違うことといえば、身なりや雰囲気が違うことに加えて、女性や子供の姿がほとんど存在しないことだろうか。20代から60歳手前くらいまでの人々、とりわけ30代から40代あたりの男性が、そうした群集のマジョリティを占めている。
    出稼ぎの人々は、週末に休日にこうして同郷の人々と会ったり、情報交換したりするため、あるいは単にヒマつぶしのためにリトル・インディアに出てきているのだそうだが、とりわけ夕方の日没時刻あたりになると、その混雑ぶりは頂点を極める。リトル・インディアが持つインド系の人々に対する磁力は注目に値する。
    男性だけで大混雑
    インド系の出稼ぎの人々は、市内各地に彼らが集まって暮らす地域があるようで、何もこの狭いエリアに集住しているわけではないとはいえ、やはりこういう場所だけに彼らが大人数で仮住まい生活を送るスポットはリトル・インディア界隈にいくつもあるようだ。
    普段は閉まったままのガレージのシャッターがたまたま開いているのをふと見ると、コンクリートの床の上に多数のマットレスが乱雑に置いてあったり、傍らに着替えやペットボトルがいくつも放置してあったりと、生活臭が漂っている。
    早朝、散歩していると肉体労働者たちを現場に送る手配師のトラックが行き交う。荷台に簡単な席がしつらえてあったり、プラスチックの椅子を置いてあったりという具合だ。モダンかつ先進的な都市国家シンガポールらしくない風景ではあるが。
    シンガポール市内各地にヒンドゥー寺院は散在しているし、インド系の人々の姿も多い。だがこのリトル・インディアのようにインド系の人々の密度が高い場所はないとともに、この『インド人街』が今の時代にあっても、内外から様々な目的でやってくる南アジアの人々の流れのひとつの重要な核となっていることに興味を覚えるのである。

  • ネパール王家の行方は?

    2月27日金曜日の本日より、ナラヤンヒティ宮殿が博物館として公開されているが、かつてここに起居していた元国王夫妻は目下インドに滞在中。
    2008年6月にネパール王室が廃止されたことにともない、それまで『ヴィシュヌ神の化身である王を戴くヒンドゥー王国』ということになっていたネパールが世俗国家となったわけだが、元国王としては王位とそれに付随する財産や権利等とともに、現人神としての神性をも失ったことになる。
    そんなわけで、旧王族たちは『一般人』となっているが、ギャネンドラ氏は家族14名を伴って2月25日にジェット・エアウェイズのデリー便にて出国。インドに2週間滞在する予定だ。
    王位を失ってから初めての外遊だが、以前のように外交旅券を手にすることはできず、今回からは一般の緑の表紙のパスポートを持つ民間人の立場だ。随行員の数も大幅に縮小しているとのこと。
    目的は、ボーパールで催される親族の結婚式に出席するためである。現在62歳のギャネンドラ氏の祖父、故トリブヴァン国王には二人の王妃があり、3人の王子と4人の王女をもうけたが、その中のひとりバラティ王女は現在のオリッサ州にあったマユルバンジ 藩王国のプラデイープ・チャンドラ・バンジ・デーオのもとに嫁いでいる。
    その娘のひとりであるコールカーター生まれのパドマ・マンジャーリーが、やはりオリッサ州の旧藩王国カラハンディーの元王家に属し、現在ジャナタ・ダルの政治家のウディト・プラタープ・デーオと結婚している。
    このたび、この夫妻の娘であるシュリー・マンジャーリーが、やはり旧藩王国の血筋を引くバンワル・アナント・ヴィジャイ・スィンと結婚することになった。ネパール元国王夫妻が出席する2月28日から3月1日にかけて開かれるウェディングには、インドおよびネパールの旧王族や政治家たちが多数顔を揃えるとのことだ。グジャラート州首相のナレーンドラ・モーディー、マッディヤ・プラデーシュ州首相のシヴラージ・スィン・チョーハーンといった大物たちの出席も予定されている。
    なお結婚式の後には、元国王家族はグジャラートのソムナートおよびドワルカの寺院を参拝するとのことだが、それだけではなくソニア・ガーンディー、カラン・スィン、L.K. アードヴァーニーといった有力政治家たちとの会談も予定されているとのこと。すでに権力を失っているとはいえ、今回の訪印に何か期するところがあるのだろうか。
    『一般人』になったとはいえ、抜きん出たステイタスを持つVIPであることは間違いなく、近年の政治動向からすこぶる萎縮してしまったとはいえ、背後に控える王党派の存在とともに、今後もネパールや周辺国において、一定の影響力を持つ存在であることはそう簡単には変わらないだろう。
    その潜在力があるうちに、元国王自身ならびに旧王族たちが、自らの将来のためにどういう選択肢があるのか、それらを踏まえて今後どういう動きに出て行くのか、ちょっと興味のあるところである。
    一般の市民とは異なる特別な存在であった王家が、やはり今後も他とは違うステータスを維持すべく、自国ネパールの社会のどこに自らの新たな居場所を築いていくか、あれやこれやと機会を覗いながら模索しているのではないかと思われる。
    ギャネンドラ元ネパール国王
    Gyanendra arrives in Bhopal for wedding ceremony (indopia)
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    ※『新加坡的印度空間?』は後日掲載します。

  • ネパール首都の宮殿博物館 本日オープン

    カトマンドゥのナラヤンヒティ宮殿が、本日2月27日(金)から宮殿博物館として一般公開される。
    宮殿が博物館として転用される第一段階において、地元紙カーンティプルおよびカトマンドゥ・ポストのウェブ版であるeKantipurの記事によれば、宮殿内の52ある部屋(メディアによっては90室あるのだとも・・・)のうち、19室のみが展示室として開放され、15人ずつ25分間のみ参観可能というから、ちょっと敷居の高い博物館ということになろうか。おそらく政治的に微妙な部分があることから、厳重な警備がなされるのだろう。
    この博物館は『シャハ王朝の真の歴史を知る』ための場所として位置づけられているようで、昨年6月に廃止された同王室の栄華をしのぶなどといったものではないようだ。宮中で繰り広げられた陰謀、政治の腐敗、人々に対する圧政などといった負の側面を人々の前に明らかにしたり、2001年にこの宮殿内で発生した殺戮事件の真相にも光を当てることが期待されているようだ。
    ただし宮殿建物の転用について、『博物館にするのは簡単かもしれないが、その後の施設の維持はどうやっていくのか?』と、おそらく財政的な部分から行く末を危ぶむ声もあるようだ。
    現在、同国政府を率いるマオイスト勢力の意向に沿う形での『王室犯罪史博物館』ないしは『革命運動博物館』といった色合いのものになるのかどうかよくわからないが、近いうちここを訪れる方があれば、ぜひそのご感想をうかがいたいものだ。
    Narayanhiti museum (eKantipur.com)
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    ※『新加坡的印度空間4』は後日掲載します。