
朝方まだ涼しいうちに宿の近くのレンタサイクル屋に行き、まずはマーケットで午前中開かれている朝市に行く。ここでは野菜、果物や魚などが売られている。ドリアンを手に入れたかったのだが、残念なことに見つからなかった。

上ビルマでは一般的にドリアンはあまり好まれないため、下ビルマほどふんだんに売られていないのだということは聞いていたが、このマーケットでも、早朝にはチョコッと並ぶが、すぐになくなってしまうとのことだ。ちょっと残念である。
朝市の主役は女性たちだ。男性で何か商品を持ってきてここで売っている人は皆無ではないにしても、朝市においては見渡す限り売り手はほぼ全員女性。昨日訪れた近くの屋根付きの常設の市場のほうには男性もけっこういるのだが、朝市に限っては、売り手も買い手も圧倒的に女性が多い。
これがインドであれば、売り手はほとんど男性、買い手も多くが男性ということになるのだろうが。女性が外でよく働いているという点では、他の東南アジア各地と共通とはいえ、北東インドのモンゴロイドがマジョリティのところにも通じるものがある。
さまざまな新鮮な食材を目にすると、ちょっと料理の腕(・・・というほどのものではないのだが)を奮ってみたくなった。

余計なことかもしれないが、少々気になることがある。町のあちこちに井戸があるのはいいのだが、縁の部分がごく浅く、中には深い漆黒の闇。枯れているものも少なくないようだが、ちゃんと水をたたえているものもある。小さな子供はもちろんのこと、大人でも酔っ払いは要注意かもしれない。

尼さんたちが托鉢している町中を抜けて、遺跡が散在するオールドバガン、ミィンカバー方面へと向かう。自転車があると身軽だ。沿道の遺跡を訪れたり、道路から外れた砂地の轍の上をなぞりながら、彼方に見える仏塔を目指したりする。
カラカラの大地に点在するサボテン。バガンの大地が『テキサスに似ている』というアメリカ人がいたが、確かに西部劇風の荒々しい風景である。そんな中に散在、ところによっては林立している、と表現してもよいくらい沢山の優美なパゴダの姿がある眺めは、その場に身を置いてみても、まるで夢を見ているかのようで、現実感が薄い気がする。
ところでサボテンといえば、このあたりに幾種類か繁殖しているが、その中で最も特徴的なのはこれだろう。

大きくなると、幹は普通の樹木のような有様になる。育ちに育って『巨木』になっているものもある。しかし枝から先はまぎれもないサボテンだ。しかしながら幹の部分の比重があまり大きくないため、あまりに立派に成長しすぎると、自重を支えきれなくなる傾向がある。幹がボキッと折れて倒れているものをいくつも見かけた。何とも因果で気の毒なサボテンである。
昼近くなると、次第に気温が上がってきて汗だくになる。このところ日中の最高気温は40℃を越えているのだとか。これまでミネラルウォーターを三本飲み干している。木陰でお客を待ち構えている露店で、コーラを飲みながらしばしベンチの上でグデッとノビていると、熱くて乾いた空気が肌を撫でていく。
しばらく休んでいると、シャツもズボンも乾いたが、上から下まで真っ白に塩を吹いている。水分とともにそれほど大量の塩分が体から失われたのだ。疲れるはずだ。喉の渇きと疲れが癒えると、空腹感が頭をもたげてきた。
付近で簡単に昼食を済ませた後、ふたたび自転車にまたがって遺跡巡りをする。大きな寺の内部は、非常に風通しがよくなっている。石の床に座ったり、ゴロリと寝転んでみると実に快適だ。
インドやスリランカから強い影響を受けた建築が多いが、大きな構えの割に内部空間は広くないし、ここで多数の人々が集まることができるようにもなっていない。南アジアの建築において、イスラーム教の与えた影響がいかに大きいかということを、東南アジアの最西の国ミャンマーでひしひしと感じる。
建てた時期も異なるため、様々なスタイルのパゴダが存在しており興味深いが、その内部に鎮座する仏像は、往々にして現代のパゴダで見るものと同じようなマンガチックなものが多い。

博物館に足を向けてみると、当時のいろいろな仏像の展示がある。石造ひとつとっても砂岩、大理石その他、素材はいろいろある。また木彫やそれに漆を塗ったものもあり、どれも趣のある美しい仏像だ。
もちろん現在の各遺跡において、安置されている仏像が皆安っぽいとは言わないが、玉石混交といった具合だろうか。それでも往々にしてのっぺりとした、今のミャンマーのお寺に普遍的に存在するものをよく目にした。
事前に想像していたよりも、バガンの遺跡は非常によく修復や手入れがなされている。しかし壊れたパゴダを復元するのは結構なことであるとしても、細部に渡りその時代の様式に対する正確な考証や配慮が必要だろう。しかし今のミャンマーに、そこまで期待するのは酷だろうか。
ヒンドゥー寺院、ナッフラウン寺院内では、観光客たちに売るための絵を描いている男がいた。あたかも彼専用のアトリエがごとく、本堂内のかべのあらゆるところに、彼の作品が架けられており、本来そこに祭られている神像がすっかり萎縮しているような状態でびっくり。足を踏み入れた際、私はてっきり『画家の私邸』かと思ったくらいだ。特に大きくて有名な史跡ではまずそういうことはないようだが、やや格が下がってくると、史跡内部を仕事場や店舗としている者をチラホラ見かける。
ミャンマー随一の観光地であるがゆえに、ましてや現金収入の手段がないこの地域の人々にとって、こうした場所で何がしかのモノを売るということは、貴重な収入の手立てとなることはわかるが、遺跡の日常の管理について、もうちょっとどうにかならないものだろうか?

カテゴリー: column
-
インドの東3 バガン遺跡巡り
-
インドの東2 マウント・ポッパへ
エア・バガンのフライトは定刻に出発。機体は小型ジェット機のフォッカー100。飛行時間は50分。飛び立ってからしばらくすると下降体勢に入り、午前7時半にバガンのニャウン・ウー空港に到着。
到着ターミナルを入ったところでは、バガン遺跡保護区入域料を徴収する係員が待ち構えており、外国人客はここで10ドル支払うことになるが、博物館などを除き、遺跡の入場料を個別に徴収されることはない。この領収書はバガンでホテルに宿泊する際にも提示が求められることになっているようだ。
この場所では、ジョージ・オーウェルの処女作『ビルマの日々』の海賊版がけっこうな値段で販売されていた。値段はともかくとして、またいくらWTO未加盟の国とはいえ、政府が堂々と外国人観光客に対して不正なものを販売するとはいかがなものか?
宿にチェックインしてから、すぐにクルマをチャーターしてマウント・ポッパに向かうことにした。運転手はあまり英語ができないが、それでもなかなか話好きな人のようで、運転中よくしゃべる。走り出してからしばらくしたところで、砂糖ヤシから樹液を取り、それから砂糖、醸造酒、蒸留酒を作っている簡素な作業所を訪れた。
きれいに整列して植えられた砂糖椰子の木には、よく見ると木上のほうにいくつもの素焼きの壷が取り付けてある。そこに人が登り、汁の溜まった壷を取って降りてくる。だいたい一昼夜取り付けておくと、けっこうな量になるらしい。

それを女性が漉して大きな壷に集める。これを小屋の中で火にかけて、焦げ付かないようにかき混ぜながら濃縮して、ジャガリー(粗糖)の塊が出来上がる。


同じくその汁を発酵させて酒を作るのだが、それを蒸留する作業が同じ小屋の中で進行中。ジャガリー、ヤシの汁、発酵酒、蒸留酒とそれぞれ試食、試飲してみた。最初の三つはとりたててどうということはなかったが、蒸留酒は南九州の芋焼酎に似た感じの味わいで、なかなか美味である。

このあたりの気候といい、乾燥具合や生えている植物といい、東南アジアというよりも北インドに近い雰囲気がある。下ビルマと比べて乾いていて生えている植物も少ない。黙って自然の景色だけを眺めていると、インドにいるかのような気がする。
マウント・ポッパに近くなると、周囲に緑が増えてきた。この山は、丘陵地帯にそそりたつ塔のような、奇妙な形をしている。。近くの死火山だか休火山だかが活動していたときに、噴火したマグマが落ちたところがこの山になったのだとか。

山の頂上まで長い階段が続いている。頂にはタウン・カラッというお寺がある。寺院自体はどうということはないのだが、ここに祭られているのは仏だけではなく、かつて不幸な死を迎えた人たちが精霊として祭られている。この国土着の信仰の聖地でもあるとのことだ。

周囲にもいくつか規模の小さなパゴダや僧院がある。それらの中には、中国寺院風の寺があった。これは寄進者が華人であったために、こういう形になったのだという。漢字で何やら書かれた札もかかっていた。
参道の階段には無数のサルたちがいる。インドにいるのと同じアカゲザルのようだが、気質はだいぶ違うようで、とてもおとなしいようだ。Mt. Poppaから見渡す周囲の広大な風景は見事であった。
山頂の寺自体は取り立ててどうということはなかったが、行き帰りの道すがら、バガンの荒涼とした大地とマウント・ポッパ周辺の緑が多く起伏に富んだ地形の好対照ぶりを眺めることもできて、楽しい一日であった。
夕方、宿に帰着。部屋はコテージになっており、なかなかいい雰囲気だ。中庭にはプールがある。このプールでは、日没後に大きなカエルたちが気持ち良さそうにチャポチャポと泳いでいる。中庭の芝生の上でも、ところどころ彼らの姿を見かけるので、暗いと気をつけないと踏みつけてしまいそうだ。暑い昼間はどこに隠れていたのだろうか?
レストランに出かけて、夕食が運ばれてくる前にマンダレービールを注文。まだ日中の暑さが残っており、ムッとするような空気。テーブルもイスも、手に触れるものすべてがモワ〜ンと生温かいが、ビールだけはよく冷えていた。
グラスに注いでギュッーと喉に流し込むと実に気分爽快。ちなみにこのビール、2年ほど前にカサウリー ビールとIMFL(Indian Made Foreign Liquor)の故郷の中でも触れたが、なかなかインドとゆかりの深い飲み物でもある。
シムラーからチャンディーガル方面に下ったところにあるヒルステーション、そして軍の駐屯地でもあるカサウリーにて1855年に創業開始したダイヤー・ブルワリー(後のMohan Maekin Ltd.の前身)が、英領期のビルマにおいて『Mandalay Beer』というブランドで発売したのがはじまりだ。
もちろん現在のマンダレービールは、とうの昔の現地化されているのだが、英領インドを代表する歴史的な銘柄のひとつであったことに思いを馳せれば、そこにひとつ新たな味わいも加わるかもしれない。

-
トラ死すとも・・・
インドの隣国スリランカ。LTTEの最高指導者、プラバーカランが死んだ。スリランカのタミル人反政府組織が国軍に降伏したことが報じられた直後、後は彼の身柄拘束がひとつのカギとなる・・・と伝えられたものの、実はその時点で彼はすでに殺害されていた。
2008年11月24日に『キリノッチはどうなっているのか?』で取り上げたことがあったが、2004年の内部分裂以降弱体化していたLTTEに対し、昨年1月に政府は停戦破棄を通告、特に同年後半から政府は国軍による攻撃をエスカレートさせ、力によるLTTEの粉砕の意思を明らかにしていた。
近隣国ということもあり、インドのマスコミにもたびたびLTTEにまつわる記事が掲載されているのを目にした。スリランカ国軍によるこの時期からのLTTE実効支配地域へ進攻について、これを『これが最終的な局面へと繋がるだろう』と読んでいたようで、決定的な展開へのシナリオを掲載するメディアもあり、ほぼその予想どおりに事が運ばれていったといえる。
しかしながら他国のメディアでは、その後スリランカ情勢について、たいした報道をしていなかった。11月下旬に開始された当時のLTTE実効支配地域の『首都』であったキリノッチ攻略により、LTTEが本拠地を東へと移動していくことになる。
今年の年明けあたりだっただろうか、彼らが民間人を『人間の盾』として立てこもっていることが次第に広く伝えられるようになり、日本のメディアにもそうした状況が少しずつ報道されるようになってきていたところである。
1983年に本格的なゲリラ闘争に手を染めて以来、海外のタミル人組織や旧東側ブロックの国々からの武器調達等により、正規軍顔負けの戦闘能力と、都市部等においては爆破テロ等で揺さぶりをかけるなど、スリランカにおいて非常に大きなプレゼンスを示してきた。
それだけに、ラージャパクサ大統領率いるスリランカ当局が、LTTEが弱体化してまだ回復しておらず、『テロとの闘い』という建前が反政府組織殲滅に当たる国軍の暴虐に対する非難に対する護符として使えるこの機を逃してなるものか、と一気呵成に片付けてしまうという賭けに出た。
当初から予想された欧米その他先進国等から批判と反発を浴びつつも、非常に満足のいく結果を得たということになるのだろう。
26年間、国軍を向こうに回して闘い続けてきたトラは死んだ。しかし対話による和解ではなく、力による粉砕という手段を経ての反政府組織殲滅は、果たして同国の安定をもたらすのだろうか。
長年に渡って彼らが撒いて来た『テロリストの種』は、静かに水を含んで殻を膨らませ、あちこちで小さな芽を吹いているかもしれない。あるいはすでに蔦を伸ばして新たな居場所を模索しているのではないだろうか。 -
新型インフルエンザ 『行動計画原理主義』でいいのか?
ついにインドでも新型インフルエンザの患者が確認された。
First confirmed case of swine flu in India (THE TIMES OF INDIA)
エミレーツ航空のフライトにて、アメリカからドバイとデリー経由でハイデラーバードに到着した人物からウイルスが検出され、現在隔離されているということだ。
また日本では、5月17日昼ごろまでの時点にて、国内でヒトからヒトへ感染が認められたケースは21名となった。いずれも高校生であり、『なぜ高校生ばかり』という声もあったものの、その後成人(20代と40代にそれぞれ1名ずつ)の感染疑い例も出ており、確定すれば成人では始めての例となる。
国内感染計21人に 大阪で9人、兵庫で4人新たに確定 (asahi.com)
大人からも陽性反応 新型インフル、兵庫で新たな疑い例 (asahi.com)
新型インフルエンザ感染が確認された神戸では、今月15日から17日に開催される予定であった『第39回神戸まつり』や同17日に行なわれるはずであった『おまつりパレード』が急遽中止となり、スポーツの試合や大会も中止や延期され、映画館も休館するかもしれないという。また保育所や介護施設も一斉に休業するなど、大きな社会的影響が出ている。
今回の新型インフルエンザについて、日本では厚生労働省が医療専門家等の意見等をもとに定めた新型インフルエンザ対策行動計画をもとに、さまざまな対応がなされているところではあり、これを基に各省庁や各地方自治体での対策行動が進んでいくことになる。
しかしながら、この行動計画自体が、強い毒性を持ち、高い致死率を示すであろう鳥インフルエンザに対して策定されたものである。今のところ季節性インフルエンザ(新型インフルエンザに対するこうしう呼称は、ここ2週間ほどで社会にすっかり定着した)と変わらない症状で弱毒性である。
今後ウイルスが変化してより強い毒性を持つようになる可能性も否定できないとはいえ、メディア上にも医療関係者から疑問の声が多く上がっている。
毎年冬になるとインフルエンザの流行が報じられ、学校などで一定以上の感染者が発生すると、学級閉鎖その他の対策が取られるが、今回の一連の動きのような大きな騒動には発展することはない。
すでにアメリカでは、今回のインフルエンザの症例を見極めたうえで、過剰な反応をすることを取りやめて、季節性インフルエンザに対するものと同等の対応をすることになっていることはすでに広く報じられているとおり。
蛇足ながら、現在の季節性インフルエンザにしてみたところで、もともとは鳥類の病気であったものが、豚を介してヒトにも感染するようになったとされている。今回のインフルエンザは、確かに新型とはいうものの、前代未聞の特異な変化を起こして発生したというわけではない。
行政機構という、上意下達のシステムの中で、それを担当する各組織ないしは該当するスタッフ等は、上からの指示に黙って従い、職務を遂行するしかない。だが策定されている行動計画が、今回のインフルエンザに対する処置としては、かなり的外れであるようだという声が医療関係者からも多く出ている。
一度定めた行動計画の内容について、これを汲み上げて柔軟に対応する機能がなく、事前に定められた行動計画をひたすら墨守すべき根本原理であるかのように、ただこれを声高に叫ぶ政治家や官僚主導により、猪突猛進的に推し進められていく様子自体に大きな不安をおぼえる。
もちろん季節性のインフルエンザでも、毎年世界中で4万人前後の死者が出ているといわれており、社会や個人で気をつけるべきこと、心がけるべきことはたくさんある。
また従前より危惧されていた強い毒性を持つインフルエンザが新たに出現した際に、すでに策定されている対策が流行拡大に対してどの程度の効果があるものなのかを確認する危機管理訓練の機会であるということも否定できないが、社会に対する、また個々人の生活に及ぼす影響があまりに大きい。
行動計画という規定に基づき、これを機械的に推し進めるのではなく、現状を観察したうえで、それに応じて既定の行動計画に対して柔軟かつ適切な軌道修正を行なうこと、それを可能とするシステムを持つことこそが、今の行政に対して求められているはずだ。
当初の想定と異なる部分が出てきた場合、それに対していかに速やかに対応できるか、これが危機管理にキモであることは言うまでもないだろう。この部分がすっかり欠落していることが大変気がかりだ。不必要な部分や大幅に緩和するべきが出てくれば、そのように対応すべきだろう。反対に、より強化すべき部分が生じた場合には、そうした処置を講ずる必要があるにしても。
ともかく、新型インフルエンザについて、臨機応変に対応する能力を著しく欠く、はなはだ硬直した政府が策定した『行動計画』原理に基づく集団ヒステリーを、このままさらにエスカレートさせて良いものなのか、はなはだ疑問である。
…………………………………………………………………………………………………
※本日夕方、大阪府の橋元知事が、今回の一連の動きについて『通常のインフルエンザの対応に切り替える必要があるのではないか』として、厚生労働大臣に見直しを要請したことを明らかにした。
橋下知事、「新型インフル対応」見直しを厚労相に要請 (asahi.com)
これを機に、いたずらに危機感を煽ったり、過剰に過ぎる対応を根本的に正して、現状に即した妥当な方向へ向かうことを期待したい。
………………………………………………………………………………………………… -
中央政権継続へ
昨日、世界最大の選挙、インドの下院選の結果が出た。
国民会議派+ : 258
インド人民党+ : 158
左派陣営+ : 24
大衆社会党 : 21
社会党 : 23
ラーシュトリヤ・ジャナター・ダル+ : 4
全インド・アンナ・ドラビダ進歩連盟+ : 10
テルグ・デーサム党 : 9
ビージュ・ジャナター・ダル : 13
ジャナター・ダル : 3
その他 : 20
総数 : 543
国民会議派陣営が前回2004年の総選挙時の234議席から28議席増となり、インド人民党陣営はオリッサの有力政党ビジュー・ジャナター・ダルが離脱した分も含めて前回184から30減である。国民会議派単独でも205で、前回145であったところからの大きな伸びが注目に値する。対するインド人民党は116であった。
選挙前の出口調査では、現政権の国民会議派陣営の勝利の可能性が高いとのことではあったものの、波乱含みであろうことを予想する向きもあった。
国民会議派陣営とインド人民党陣営の拮抗、あるいはこれらと立場を異にする第三勢力の台頭の予感などから、国民会議派でもなくインド人民党でもない、他の有力政党が次期政権を成立させるキーとなるであろうという意見が多かったからだ。
たとえば大衆社会党のマーヤワティー党首が『初のダリット出身の首相誕生か』というサプライズの可能性が取り沙汰されるなど、意外な展開となる可能性を示唆する報道もあった。
しかし実際フタを開けてみれば、国民会議派陣営の議席増、インド人民党陣営の議席減、第三勢力は予想ほどには伸張せず、国民会議派陣営の勝利という結果となり、会議派陣営は過半数には届かないものの、今後少数政党を自陣に取り込み新政権を構成することになる。
80年代後半以降、国民会議派が単独で過半数を得ることはなくなり、90年代以降台頭してきたインド人民党と合わせて、二大政党と形容されるようになったものの、現在前者はUPA (統一進歩同盟:United Progressive Alliance)を、後者はNDA(国民民主同盟:National Democratic Alliance)をそれぞれ友好関係にある政党とともに構成して選挙戦を戦い、政権を構成・維持するようになっている。
民主主義やそれを実現する手段の選挙において、マジョリティによる『数』こそが力であり、少数者の意見は切り捨てられる傾向があるが、こうした状況はそうしたマイノリティの声を中央政界に伝えるためには歓迎すべきことかもしれない。
2004年以降現在までの中央政界運営においても、UPA政権内で国民会議派とこれを構成する友党との間での軋轢があったし、外資系企業の労使問題を巡り、閣外協力していた共産党との衝突もあった。
総体として、近年のインドにおいては、大政党が強力なイニシャチヴを取りにくい状態となり、政権内でのコンセンサスに手間や時間がかかるようになっているものの、大政党の周囲に寄り添う形で政権運営に加担する他政党によるチェック機能が働くため、単独の指導者ないしは政党による強引なミスリードが生じにくく、全体に目配りの効いた政治がなされる傾向があると私は感じている。
インドの政治土壌や個々の政治家の問題はいろいろあるにせよ、世界第二番目の人口大国であり、文化、人種、信条、生活・教育水準等々さまざまな面から、モザイクのような多様性に富むこの国において、独立以来、選挙を通じた民主的な手法にて政権が選出されていることについては、いつものことながら畏敬の念を抱かずにはいられない。
インド近隣国をはじめとする他の途上国を見渡してみても、これがうまく実現できないどころか、『民主主義』という制度そのものが夢物語である国は少なくないし、経済的により高い次元にある国々においても、こうした民主的な手続きの面において、まだまだ未成熟な国は数え切れない。
加えて、軍に対するシビリアン・コントロールがしっかり効いており、これが政治に影響を及ぼさないという点からも、途上国の中では世界有数の安定感という点からも格別で、国際社会がインドに学ぶべきところ、参考にすべきところはとても多いと私は考えている。
Lok Sabha Elections 2009 (THE TIMES OF INDIA) -
インドの東1 ヤンゴンへ
バンコクからヤンゴンに飛んだ。タイとミャンマーの両都市間を結ぶフライトは、今のところタイ国際航空、ミャンマー国際航空、格安航空会社でエア・アジアとバンコク・エアウェイズのみである。私が利用したのは2年前にミャンマーを訪れたときと同じく、バンコク・エアウェイズだったが、バンコクから往復で5,500バーツとリーズナブルな料金だった。
格安キャリアとはいえ、ちゃんと機内食やビールは出るし、時間帯も行き帰りともに午後の早い時間帯ということもあり、なかなかオススメである。飛行時間は、時差30分を差し引いて、実質2時間弱だ。
ヤンゴンの国際空港の規模は小さいが、この国に似つかわしくないほど立派でモダンな建物だ。この国で最も先進的な建築物といって間違いないだろう。
ホテルからボーヂョー・アウンサン・マーケットに行って両替した。ここには小さな店が沢山入っているが、貴金属やみやげものなどを扱う小さな店では両替をすることができる。インド系商売人の姿もかなりあり、多くはビルマ語に加えてヒンディー語もしゃべる。100ドル程度替えようと思って声をかけると、『エーク・ラーク(10万)』という返事が返ってきて、ちょっと戸惑うが、1ドルが1000チャット少々くらいなので、そういう大きな数字になる。最終的に、100ドル紙幣から105,000チャットを手にした。

付近で簡単に食事を済ませてから、ダウンタウンを散策。今のヤンゴンは、緑あふれる北郊外のほうに市街地を広げているが、東南アジアきっての大都市のひとつであった植民地時代のラングーンの経済・政治・文化の中心はまさにこのエリアであった。
道路原票が埋め込まれている東京の日本橋と同じような役割を持つスーレー・パゴダがあるのもこの地域だ。ヤンゴンから国内各都市までの距離を数える際、この大きなロータリーの中に建つパゴダがその起点となる。
旧英領であった国々の都市の中で、ここヤンゴンは当時の建物や街並みが最も良く残っているところのひとつであると言われる。それはひとえに独立以来この国が歩んできた長い停滞の歴史ゆえのことではあるが、イギリス時代の役所など公の施設はもちろんのこと、集合住宅や民間の建物等にも、風格を感じさせるものが少なくない。
Mahabandoola Rd.を東に進むと、スィク教のグルドワラーがあるが、そのすぐ近くには他を圧倒する非常に大規模で壮麗なコロニアル建築がある。東側を向いた建物正面入口のThein Phyu Rd.のほうから眺めると、メンテナンスが行き届いているかのように見えるのだが、建物に向かって左手、つまり北側を走るAnawrahta Rd.に回ると、この建物各所が崩壊して、まるで遺跡のようになっている様を目にすることになる。主がこの建物を持て余している、あるいは資金的に苦しいことが見て取れるようだ。
その主とは警察であり、この建物はミャンマーの警察組織の本部である。建物が壮大で威圧的であるがゆえに、植民地期と同じく弾圧・抑圧の象徴でもあろう。1990年5月の総選挙の結果を無視して今なお支配を続ける軍政当局が、市民の思想や行動を監視する機関でもある。
崩壊している部分を除けば、実に見事な建築だが、そういう施設なので中に立ち入ることはできないし、外から撮影することも許されていないのが残念である。
しばらく散策していると日は傾き、やがて夜になったので宿に戻り、1階に入っているレストランで食事する。隣のテーブルでインド人らしき団体。テレビの国際ニュースで、マンモーハン・スィンが再度選出へ・・・と流れると、「えっ、もう決まったのか?」「テレビでそう言ったぞ」「バカ言え、まだ開票してないぞ」などとヒンディーでの会話が続いた。その後、インドの教育システムについていろいろと議論する人がいたりしているので、インド人に間違いないだろう。
(この時点では、今回の総選挙の開票日前)
尋ねてみるとやはりそうだった。ただし観光客ではなく、ミャンマー西部のスィットウェーで油田開発のプロジェクトのために来緬していたエンジニアたちであった。ちょうどその仕事が片付き、近日帰国するところだということで、とてもリラックスした雰囲気。
『まあ、私たちの輪に加わって、一杯やりましょう』と、テーブルでは即座に私の分のビールが追加された。人数は8名、彼らの年齢は30代から50代くらいといったところだろうか。とにかくおしゃべりで、賑やかな人たちである。この中の一人は、スィットウェー勤務ではなく、しばらくヤンゴン市内で仕事をしていたとのことで、この街のことにはなかなか詳しいらしい。
『さあ、帰国する前にパア〜ッといこうではないか!繰り出そう、夜の街へ。日本の友人もどうだね?』と、これから繁華街に出かけるような話になってきて、それはそれで楽しそうだったのだが、明日早朝のフライトでバガンに行くことになっており、チェックインの時間が午前5時半と非常に早いので残念ながら遠慮しておく。まさにそのフライトのために、わざわざ市街地から離れた空港正面のホテルに宿泊しているである。 -
ラオスの刑務所で
インドとはまったく関係のない話で恐縮ではあるが、滞在先のバンコクで手にした英字紙Bangkok Postにショッキングな記事が出ていた。
『妊娠中の英国女性に銃殺刑迫る』
ラオスで麻薬密輸容疑で逮捕されたナイジェリア出身の英国籍女性が、昨年8月にラオス首都のヴィエンチャン空港からタイのバンコクへと出国しようとしていたところ、686gのヘロイン所持していたため逮捕され、近々判決が出ることになっているのだという。
現在、ラオスではヘロインを500g以上所持していると極刑に相当することになっており、近く開かれる法廷で有罪となれば、銃殺刑に処せられることになるのだそうだ。 だが彼女は妊娠中。今年9月に出産予定だという。
在ラオスの英国大使館は、彼女が拘禁されるようになって数ヶ月経つまで、それを知らなかったという。その後毎月20分だけ大使館の担当者との面会が、ラオス当局者の立会いのもとで認められているだけとのことだ。
1988年生まれのSamantha Orobator Oghagbonは現在20歳。第三者のために運ぶことを強要されたと主張しているという。
彼女は昨年7月に休暇でオランダ、タイを訪れた後にラオスに行き、ここから8月6日に空港から出国しようとしたところで逮捕されて以来、彼女は女性刑務所に収監されている。ここは囚人たちへの虐待ぶりの酷さで悪名高いところであるらしい。
本人はヘロイン所持の事実を認めているとはいえ、それが死刑に相当するものであること、また彼女が妊娠中であり、産まれてくる予定の子供には何の罪もないこと、また出産予定時期からして、その妊娠とは明らかに刑務所に収監されて以降のものであり、刑務所のスタッフによる暴行の結果であるらしいことが取り沙汰されていることなど、非常に考えさせられるものがある。
目下、在ラオスのイギリス大使館を通じた外交努力が続けられており、また今月7日にラオスとイギリスの間で、犯罪者の引渡しに関する協定が結ばれたことから、この女性が極刑を逃れてイギリスに移送され、自国で服役できる可能性も開けてきたようではあるが、近々下りる予定の判決がとても気にかかるところである。
関連記事
LOCKED UP IN A HELL-HOLE (Bangkok Post)
Diplomat meets pregnant Briton in Lao jail (Bangkok Post) -
タバコにビックリ

『マールボロ・ライトを下さい』
代金を渡して手にしたパッケージにプリントされている鮮やかなカラー写真を目にしてギョッとする。ガリガリにやせ細った身体の男性。鼻や喉に管を差し込まれ、口元はプラスチック製のカバーに覆われた瀕死の状態の人物は、個人が特定できないように、目元だけには強いボカシが入っている。
バンコクの大通りの歩道脇の雑貨屋。店番の女性は、ヴィックス・インヘラーの類似品みたいなものを鼻に当ながら、クルマやバイクの忙しい往来をボンヤリ眺めている。本来は鼻づまり対策のものだが、強いメンソールの刺激で清涼感を得られるためか、この暑い国ではカゼを引いているわけでもないのに常用している人が多い。
『これ、ちょっと替えてもらえますか?』
タバコが身体に悪いのはわかっているし、今やたいていどこの国でも警告文が入っているが、いくらなんでもこれはあんまりだろう。
彼女が次に差し出してきたのは口腔ガンの患部の写真。これまた酷いものだが、さらにまた別のグロテスクな写真が出てくるのだろうから、このまま受け取っておく。
店先にぶら下がったタブロイド版の新聞のトップに、ユーモラスなワニの顔の大きなカラー写真が掲載されている。だが口にくわえているのは人間の手であることに気がついてギョッとする。肘のあたりで捻じ切られたようになっている。あまりに生々しくて怖ろしい。
バンコク・ポストなど英字紙では、こうした残酷写真の掲載については、比較的抑制が効いているようではあるが、タイ語の一般紙では事故や事件などの報道で、ちょっと信じられないような酷い写真を掲載しているし、そうした画像を集めた専門誌?も存在するようだ。
泰国義徳善堂や華僑報徳善堂のような、華僑を中心としたお寺の檀家集団による互助会が、盛んに救急活動をしていることは広く知られている。これら活動拠点では社会から広く資金を募っている。これまでの活動実績をアピールするため、交通事故や殺人事件など、思わず目をそむけたくなるどころか、即座に記憶から消し去りたくなるような凄惨なカラー写真が展示されているのを目にしたことがある方は多いだろう。
過激な写真がメディアその他に広く散在しているだけに、タバコの『タバコは害である』といった警告文とともにこうした画像が入ったところで、とりたてて驚くほどのことではないのかもしれない。あるいはこうしたパッケージを見慣れてしまうと、怖い写真も箱に描かれた模様の一部のように感じられてしまうのかもしれないが、これを初めて手にした私にはとてもショッキングであり、この箱を手にすると気が滅入る。
タイで、以前はこんな警告写真は見かけなかった。おそらく最近導入されたものなのだろう。現在、世界中の多くの国々でそうであるように、タイも喫煙者の数と非喫煙者の受動喫煙の機会を減らすよう長年努力してきている。パッケージに印刷されたどぎつい警告写真もその運動の一環であろう。
タイにおける受動喫煙防止と法体系
もともと南米でインディヘナの人々特有のものであった喫煙の習慣を欧州に持ち帰ったのは征服者であった欧州人たちであり、その後世界各地にタバコが広まっていったのはご存知のとおり。だが近年の嫌煙化の流れの中で、愛好家による嗜みから、野蛮な奇習という扱いになっていくのかもしれない。
私はだいぶ前に禁煙しており、普段はタバコを吸わない。だが酒を飲みに出かけたり、ちょっと旅行に行ったりする際のみ、その禁を解くことにしている。そのため完全な非喫煙者であるとはいえないのだが、このグロテスクな一箱でやめにしておこう・・・と思った次第である。

-
ヒトもまた大地の子 2
現代のヒトは、野山で狩猟採集生活を送っているわけではないし、そうしたやりかたでは大地が養いきれないほど膨大な人口を抱えている。私たちがこうやって暮らしていくことができるのも、自らが造りだした文明のおかげだ。今後とも発展を続けていくことこそが、私たちの社会が存続していくことの前提なのだから、私たちの生産活動を否定するわけにはいかない。
古の彼方、ヒトという生き物が地上に現れたころ、命を維持するのに必要な水や食料の関係で、生活できる地域は限られていた。河、湖、池、泉といったものが必要で、すぐ近くの海、山、野原などから様々な産物等が容易に手に入ることが必須条件だった。
その後時代が下るにつれて、世界各地で耕作が始まり、ヒトが集住する規模が拡大し、富が蓄積されるようになってくる。やがてそれらの富を広域で動かして交換、つまり交易という活動が盛んになってくる。
文明の発展は同時にヒトの持つ様々な知識を向上させ、技術を進歩させていくことになる。ヒトが集住する地域では都市化が進み、交通や地理学的な知識の蓄積から、生活圏や経済圏は次第に拡大していく。長距離に及ぶ陸や海のルートが確立され、シルクロードに代表される長距離に及ぶ貿易が実現されるようになった。
その後、やがて欧州は大航海時代に入り、世界各地に進出して植民都市を建設していくことになる。様々な富を様々な形でそこから持ち出すことが、彼らの最も大きな目的のひとつであったとはいえ、鉄道敷設が始まる前に建設された市街地の多くは、海や河の岸辺から広がる形のものが多く、まだまだ人々が生活できる条件が揃う地域は限られていたといえる。
だが、いまや国や地域によってはなはだしい格差はあれども、各地に道路、水道、電気等々の生活インフラが行き渡り、蛇口をひねると水がほとばしり、スイッチを入れれば電気が使えて、調理や暖房などのためガスが利用できるようになっている。どこにでもエンジンのついた乗り物で、道路、空路、海路などで簡単に移動できるようになっている。かつては地理的、物理的にヒトの生活に適さなかった土地であっても、ちゃんと生活環境が整うのが今の時代だ。
そうした技術や交通手段の進歩により、都市も拡大している。鉄道、バス、メトロなどの発達により、それらが導入される以前よりも日常的に行動できる範囲が広がっている。これにより、都市の周辺に大きく広がる『郊外』を出現させ、その郊外はさらに近隣の町を呑み込んで市街地をさらに拡大させていく。こうした市街地に生まれ育ったおかげで、自然との関わりを、日々あまり意識できないのは私に限ったことではないだろう。
もちろんそうした技術の進歩や経済活動等の拡大により、産業革命以降、とりわけ20世紀以降はエネルギーの消費量が飛躍的に増えている。近年、先進諸国が停滞している中にあっても、いわゆる新興国の発展にともない各地で大規模な開発が進んでいる。これらにより、環境に与える負荷がますます大きくなっていることは言うまでもない。
生態系システムから大きく逸脱してしまったヒトの社会活動そのものが、大自然というシステムに対していかにリスクの大きなものであるかという認識が広まっている。日々の暮らしや生産活動等が環境に与える影響をなるべく小さくしようと、熱帯雨林保護、CO2排出量の規制、CNGを燃料とするエンジンやハイブリッドエンジンを動力にして走る自動車の導入、日本発の『クールビズ』の呼びかけ等々、世界各地でさまざまな取り組みがなされている。
だが、それらの試みは、これまでの間に失われた環境を取り戻すものではないことは言うまでもない。私たちが自然環境に対して与えるダメージを、今後なるべく小さくしていこうというものでしかない。そのため、われわれ人間が環境や自然に対して与える影響や圧力はどんどん蓄積していくいっぽうなのだ。
ヒトもまた、もともとは自然の生態系の中で育まれた生き物のひとつである。建物やクルマ、電化製品や通信機器といった多くの無機物に囲まれて暮らす私たちだが、大自然という大きなものに対する畏れと愛情を忘れてはいけないと思う。
私たちのこの大地は広大にして精緻なるもの。先述の緑の革命のように、近代的な技術により土地にもともと備わっていた条件を克服したかのように見えても、実は長期的にはその成功は不完全なものであり、背後には厄介な問題が控えていることが判ったりする。
私たちヒトが、母なる大自然への反逆者ではなく、大地の子として周囲と共存していくためには、私たちの存在が自然に対して及ぼす影響の本質について、今後もっと大きく踏み込んだ取り組みが必要であろう。 -
ヒトもまた大地の子 1
近年、インド各地で農民たちの自殺のニュースをよく目にする。緑の革命に成功したはずのパンジャーブでさえもそうした事例が多い。1961年の大飢饉以降、近代的な農業が導入され、記録的な増産を実現したものの、塩害の問題が取り沙汰されるようになっている。
インドの穀倉地帯、パンジャーブ州の農業の基盤となるのはもちろん広域にわたって張り巡らされた灌漑だが、これらの維持管理の不手際が指摘されている。また河川からの取水だけではなく、地下水も盛んに利用されているが、これは過剰揚水につながり、地下水位の下落につながっている。
また地下水中の含塩量の問題等が指摘されている。これらは国境をまたいだパーキスターン側でも同様であるとともに、はるか西のエジプトにおいても、塩害が深刻な問題になっているという。どの地域も大規模な灌漑に成功し、水利のコントロールと農作物の収穫増に大きな成果が上がったと自負していたはずの地域である。
都会の街中、しかも建物の中にいると、窓の外の気候の変化はまるでテレビの画面の中の出来事のようで、あまり現実感がないといっては言い過ぎだろうか。あるいは大きな建物に囲まれた中に身を置いていると、本来地上の生き物としてあるべき空間、外界とのつながりが希薄になってくる。
空気の乾湿、気温の高低以外に自然界の影響というものをほとんど感じなくさえなってくる。 都市生活の中で、『大自然の脅威』を感じるのは、それこそ大地震であるとか、予期せぬ規模の豪雨のため洪水といった大災害の発生時くらいのものではないだろうか。
ヒトとは、実に環境負荷の大きな生き物だ。地下に巣を掘ったり、樹木を立ち枯れさせるほどに旺盛な食欲を見せる動物たちはいるが、大自然の中に都市というヒト専用のコロニーを造って平野の景色を一変させたり、河を堰き止めて広大な湖を作ったり、ときには山を跡形もなく消失させてしまうなど、大地の有様さえも一変させてしまうほどの大きな力を行使する生き物は他にないだろう。地形だけではない。大気や水さえも汚濁させて、それまで生活していた動植物を駆逐させてしまうことも多々ある。
しかもヒトの生活圏において、動植物を含めたあらゆる有機物は、ヒトにとって有用であるものだけが存在することを許され、多くの場合は飼育・栽培といった形でその数量まで管理される。しかしながら有益でない、あるいは害があると判断された生物は、そこにいることさえ許されず、駆逐や駆除といった形で殲滅が図られるという厳しい掟がある。 -
安宿街に歴史あり
ずいぶん前のことになるが、『タイ・バンコク・カオサンロードの歩き方』というサイトがあった。エコノミーな宿の紹介か?と思って覗いてみると、バンコクのエコノミーやホテルとゲストハウスが集中する地区の成り立ちやここに宿泊する人々、働く人々の動態などが詳細に描き出されているなど、想像していたものとはかなり様相が違った。
ただの安宿街にもそれなりのきっかけと必然性があって成立していること、そうした地域にも盛衰があり、これもまた具体的な理由があることがいろいろ記されており、とても面白かった。
ただの旅行者が書いた雑記帳のようなものではなく、大学でメディア論を専攻する研究者の手によるものであり、こうしたエリアが形成されていく歴史やその背景にある事情など、社会学的な分析がなされているがゆえに大変興味をおぼえた次第である。
しかしながら、そのサイトはすでになくなっている。それを引き継ぐ形で『カオサンからアジア』へというタイトルでウェブ上に存在(最終更新日が2000年7月だが)するとはいえ、以前のものとは比較にならないため、ここで敢えて参照しない。
あのコンテンツは一体どこに行ったのか?と探してみると、書籍になっていたことがわかった。
こうしたことは、すっかり頭の中から消え去っていたのだが、バンコクのスクムヴィット界隈で適当な宿がないか?とウェブで探していると、たまたまここに行き当たり、『ああ、そういえば・・・』と思い出した次第である。別に私が宿泊する先は安宿ではないのだが。
たぶんこれは前述のサイト『カオサンロードの歩き方』から一部削除されずにウェブ上に残ったものではないかと思う。以前、このサイトを見つける前から、カオサンロードがバックパッカーたちのバンコクでの滞在先としてポピュラーになる前には、西洋人たちにはマレーシアホテル周辺がポピュラーで、チャイナタウンは日本人宿泊者が多かったということは知っていたが、スクムヴィットのエリアにも安い宿が多かったということは知らなかった。
この残骸?にも書かれているが、カオサンロード登場以前の安宿街の形成には、ベトナム戦争が影を落としていたという説明もまた興味深く読んだことを思い出す。従軍していた米兵が、休暇で気晴らしにやってくるタイで、彼らの滞在先としての需要があったというのは、さもありなんといったところだ。
その当時から営業を続けているマレーシア・ホテルは、ある意味老舗の宿といえる。周囲に安い宿が次々に開業したことから、相対的に料金が高めになり、中級ホテルとみなされた時期もあったようだが、タイの経済成長にともない、良質なホテルが増えた結果、やはり相対的に低料金の安ホテルとなっている。なんだか胡散臭いイメージが定着してしまっているが、コストパフォーマンスは高いようで、実際に利用した人からの評判はなかなか良いらしく、リピーター宿泊客も多いらしい。
ただしバンコク市内各地に、様々なロケーションにいろいろなタイプのホテルが沢山あるのに、わざわざここを選ぶ理由は特に見当たらないように思う。
今でこそ、日本発で世界各地へのフライトのチケットが安く出回っているが、そもそも格安航空券というものが一般的でなかった時代、日本からインド方面に向かおうとするバックパッカーたちは、とりあえず香港かバンコクに出て、そこからカルカッタなどへ向かうのが一般的であった。そのためタイ訪問そのものが目的でない者も、安いチケットを購入するためにバンコクに滞在していたのだろう。
その格安航空券にしてみたところで、今や航空会社が直接ネットで販売する正規割引に押されている。米国系航空会社が格安航空券を販売する旅行代理店にコミッションを廃止し、他の航空会社もこれに追従するのが流れになっていることもあり、従来の『格安航空券』というものが、そう遠くないうちになくなるであろう、とさえ言われている。
バンコクで、特に用事はないのだが、久しぶりにカオサンロードに足を向けてみようかと思う。外国人客がワンサカ宿泊しているだけに、気の利いたみやげもの類は多いのだ。価格も手ごろだし。Tシャツ等の衣類もなかなかの品揃えだ。
そういえば、カオサンロードをはじめとして、バンコク各地にスピード仕上げを売りにするスーツの仕立屋が多い。しかし店の人たちはどうして揃いも揃ってサルダールジーばかりなのだろうか?仕立服屋の世界で『パンジャービー・カルテル』でもあるかのようだ。バンコクで、テイラーとして定住して稼ぐ彼らにも、興味深い『歴史』があるのではないかと思う。スーツの価格はもちろん要交渉だが、落ち着く値段はまずまずのようなので、一着注文してみるのもいいかもしれない。 -
ネットで映画探し
すでにご存知で活用されている方も多いとは思うが、ボリウッド作品を含めた「あの映画、いつリリースされた、何というタイトルだっけ?」「この役者が出ている他の作品は?その役どころは?」「監督は?その他キャストは?」と、いろいろ疑問に答えてくれるのが、The Internet Movie Databaseだ。
他にも似たようなサイトはいくつもあるとはいえ、昔のものから最新作まで大量に、またこれほど広い地域の様々なジャンルを網羅したものはないと思う。国別、言語別、分野別etc.と、いろいろな角度から検索できるし、作品や出演者に関するトリビアなども目にすることができて便利だ。このサイトのユーザーの投票によるレーティングもなされているので、各々の作品に対する世間の評価についてもおおよそ掴めるようになっている。
とりあえず、ここで作品等に関するアウトラインを知れば、後は必要に応じて個々のジャンルに詳しいサイト等でさらに調べたり、現在上映されていないものでも、映画ソフトを購入したりダウンロードしたりと、広い映画の世界で遊ぶための入口として、大いに役立つことだろう。
