インドの東1 ヤンゴンへ

バンコクからヤンゴンに飛んだ。タイとミャンマーの両都市間を結ぶフライトは、今のところタイ国際航空、ミャンマー国際航空、格安航空会社でエア・アジアとバンコク・エアウェイズのみである。私が利用したのは2年前にミャンマーを訪れたときと同じく、バンコク・エアウェイズだったが、バンコクから往復で5,500バーツとリーズナブルな料金だった。
格安キャリアとはいえ、ちゃんと機内食やビールは出るし、時間帯も行き帰りともに午後の早い時間帯ということもあり、なかなかオススメである。飛行時間は、時差30分を差し引いて、実質2時間弱だ。
ヤンゴンの国際空港の規模は小さいが、この国に似つかわしくないほど立派でモダンな建物だ。この国で最も先進的な建築物といって間違いないだろう。
ホテルからボーヂョー・アウンサン・マーケットに行って両替した。ここには小さな店が沢山入っているが、貴金属やみやげものなどを扱う小さな店では両替をすることができる。インド系商売人の姿もかなりあり、多くはビルマ語に加えてヒンディー語もしゃべる。100ドル程度替えようと思って声をかけると、『エーク・ラーク(10万)』という返事が返ってきて、ちょっと戸惑うが、1ドルが1000チャット少々くらいなので、そういう大きな数字になる。最終的に、100ドル紙幣から105,000チャットを手にした。
エーク・ラークの札束=100US$
付近で簡単に食事を済ませてから、ダウンタウンを散策。今のヤンゴンは、緑あふれる北郊外のほうに市街地を広げているが、東南アジアきっての大都市のひとつであった植民地時代のラングーンの経済・政治・文化の中心はまさにこのエリアであった。
道路原票が埋め込まれている東京の日本橋と同じような役割を持つスーレー・パゴダがあるのもこの地域だ。ヤンゴンから国内各都市までの距離を数える際、この大きなロータリーの中に建つパゴダがその起点となる。
旧英領であった国々の都市の中で、ここヤンゴンは当時の建物や街並みが最も良く残っているところのひとつであると言われる。それはひとえに独立以来この国が歩んできた長い停滞の歴史ゆえのことではあるが、イギリス時代の役所など公の施設はもちろんのこと、集合住宅や民間の建物等にも、風格を感じさせるものが少なくない。
Mahabandoola Rd.を東に進むと、スィク教のグルドワラーがあるが、そのすぐ近くには他を圧倒する非常に大規模で壮麗なコロニアル建築がある。東側を向いた建物正面入口のThein Phyu Rd.のほうから眺めると、メンテナンスが行き届いているかのように見えるのだが、建物に向かって左手、つまり北側を走るAnawrahta Rd.に回ると、この建物各所が崩壊して、まるで遺跡のようになっている様を目にすることになる。主がこの建物を持て余している、あるいは資金的に苦しいことが見て取れるようだ。
その主とは警察であり、この建物はミャンマーの警察組織の本部である。建物が壮大で威圧的であるがゆえに、植民地期と同じく弾圧・抑圧の象徴でもあろう。1990年5月の総選挙の結果を無視して今なお支配を続ける軍政当局が、市民の思想や行動を監視する機関でもある。
崩壊している部分を除けば、実に見事な建築だが、そういう施設なので中に立ち入ることはできないし、外から撮影することも許されていないのが残念である。
しばらく散策していると日は傾き、やがて夜になったので宿に戻り、1階に入っているレストランで食事する。隣のテーブルでインド人らしき団体。テレビの国際ニュースで、マンモーハン・スィンが再度選出へ・・・と流れると、「えっ、もう決まったのか?」「テレビでそう言ったぞ」「バカ言え、まだ開票してないぞ」などとヒンディーでの会話が続いた。その後、インドの教育システムについていろいろと議論する人がいたりしているので、インド人に間違いないだろう。
(この時点では、今回の総選挙の開票日前)
尋ねてみるとやはりそうだった。ただし観光客ではなく、ミャンマー西部のスィットウェーで油田開発のプロジェクトのために来緬していたエンジニアたちであった。ちょうどその仕事が片付き、近日帰国するところだということで、とてもリラックスした雰囲気。
『まあ、私たちの輪に加わって、一杯やりましょう』と、テーブルでは即座に私の分のビールが追加された。人数は8名、彼らの年齢は30代から50代くらいといったところだろうか。とにかくおしゃべりで、賑やかな人たちである。この中の一人は、スィットウェー勤務ではなく、しばらくヤンゴン市内で仕事をしていたとのことで、この街のことにはなかなか詳しいらしい。
『さあ、帰国する前にパア〜ッといこうではないか!繰り出そう、夜の街へ。日本の友人もどうだね?』と、これから繁華街に出かけるような話になってきて、それはそれで楽しそうだったのだが、明日早朝のフライトでバガンに行くことになっており、チェックインの時間が午前5時半と非常に早いので残念ながら遠慮しておく。まさにそのフライトのために、わざわざ市街地から離れた空港正面のホテルに宿泊しているである。

「インドの東1 ヤンゴンへ」への3件のフィードバック

  1. 確かに年末あたりは1,200でしたね。
    取り急ぎボーヂョー・アウンサン・マーケットで換えたのですが、ダウンタウンの別の場所では1,100のところもあり、ちょっと損したなと思いました。
    そのときの実勢レートなので、半年くらい違えば相場も少し変わってきますので、1200という数字はその時点ではないようでした。
    でも先日明るみに出たスーチーさんに関する(湖を泳いで渡ってきたアメリカ人が自宅に滞在云々)についての軍政の今後の対応と、それに対する国際社会の反応次第で、チャットのレートは下落するかもしれませんね。

  2. 昨年末行きましたが、1ドルは1200チャット前後でした。1050で換えられたそうで、ちょっと騙されましたね。旅の途中で知り合った日本人は、道路で話しかけられ両替、100ドル分が後で数えたら70ドルぶんしかなかったって。ビルマ人、人がよさそうですが、そんなのもいます、気をつけて。バガンの子供たちは素朴で、一緒に楽しく過ごしましたよ。

  3. ボッパ山に行く途中この作業場寄るのはおきまりのコースみたいですね。この写真の女の人覚えてます。僕も昨年末よりました。6ドルでイーデン・モーテルに1週間賭泊まって自転車であっちこっち散策。1日だけボッパへ。しかし失敗したのは日本人4人で車シェアしていく予定が、突然イタリア人が入れてくれと。その女性は午後3時過ぎののバスでヤンゴンにもどるとかで、焦っていて向こうに着いたのが1時すぎ、ひたすら駆け上って下りてきただけ。じっくり見られませんでした(ガッカリ)。この作業場で彼女は鉈を、僕は鎌を買いました。ありきたりのお土産品よりそんなのが好きです。

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