アッサム農園主の妻と息子が描いたアッサムと紅茶の世界

茶の帝国
『茶の帝国』という書籍を読んだ。英領末期のインド、アッサムで茶園を経営者と結婚した母と、そこで育った息子がひも解く喫茶の世界。舞台はインドに限らず、西洋、中国そして日本と、それぞれの社会でお茶がどのように紹介され、そして人々の生活の中に定着していったか、お茶の効能や喫茶の習慣が文化・経済等に与えた多大な影響へと話が及ぶ。
19世紀前半のアッサムにおけるティー・プランテーション開発ブームの描写もなかなか意味深であった。ヨーロピアン、ベンガーリー、マールワーリーにスィクといった背景の異なる実業家たちが先を争ってなだれこみ、アッサムにおけるこの茶産業の萌芽をみることになる。しかしこの開発競争の意思決定の場には地元アッサムの人々は不在で、それまではなかった新しい産業から得られる収益とその富から生じる社会秩序の形成を担うのは、そうした外来の人々であったことが描かれている。
また社会の底辺を構成する庶民たちについても、資本家たちが競って茶園開発にいそしんだ時期にオリッサ、ベンガルその他から大量の移民たちを労働者として導入したことが更に事情を複雑にしたようだ。ひところよりも大幅に改善したとはいえ、今のアッサム州の不安定な政情の裏に地下水脈のように流れるこうした歴史背景がある。


植民地時代のアッサムの茶園生活を中心とした思い出を綴る記述も面白い。第一章の『イギリス人女性の記憶』と題する部分は、もちろん著者自身の回想が綴られたものである。アッサムに在住した欧州人たちの暮らしぶり、インド人たちとの関わりはもちろんのこと、同じイギリス人たちの間での階級や職業を背景とした上下関係などについても述べられており、当時のインド各地に点在した『イギリスの飛び地』のひとつでの暮らしぶりを垣間見ることができる。
インド独立の熱狂も、遠隔地のアッサムとりわけ茶農園という自立性の高い場所にあってはしばらくの間は縁遠い話であったようだ。『通過切り下げ後の大規模な出国が1970年代初めにあったが、その後10年ほどは農園主として残った人々がいたのである』とも書かれているように、社会の大きな変化には抗し難く、やがてはインドでの生活をたたんで帰国ないしは第三国へ向かうことを決意し、マールワーリーなどの資本家たちに茶園を売り払い出て行くことになった。農園に限らず政府機関や企業組織などで、独立後もしばらくの間はかなり多くのイギリス人たちが残っていたわけだが、これらどれもが急速にあるいは次第に現地化していったことは言うまでもない。
『茶の帝国』の中に含まれている一人称で綴る自らの記述は、今だからこそまだ可能なものである。私が初めてインドを訪れた1980年代後半、しばしばインド生まれのイギリス人に出会うことがあった。多くは『老人』の域に差しかかったばかりの年齢で、リタイヤしてから時間が出来たので、少年時代や青年期を両親とともに過ごしたインドで、思い出を追いかけてみよう、といった具合の人たちであった。
英領時代について、はっきりとした記憶を持つ人たちといえば、インド独立時点ですでに最低限10代半ばの年齢に届いていた年代が最後だろう。つまり出生年が1930年を少し回ったあたりということになる。そうした人たちは、その頃60歳前後だったので、結構元気にインド各地を闊歩していたようだ。長年続けた仕事をリタイヤして経済的に余裕がある彼らとは、利用する鉄道のクラスや宿泊するホテルの格の違いがあり、接点はあまりなかった。それでも当時はまだまだ元気な人たちも多かったようで、昼間の移動ならば二等車を利用していた人もあったし、州政府の観光開発公社運営の宿のように、そこそこ高い料金の部屋からドミトリーまで併設しているような宿泊施設のテラスなどで出会うことはたまにあった。
親の仕事の都合でパンジャーブに暮らしていたとかヒマラヤの町にいたとか、昔住んでいたところを訪れてみたらその家がまだあって、町の雰囲気はずいぶん変わったけれども、どことなく当時の面影も感じられて懐かしかった・・・などという話を聞いたことが幾度かある。誰もがブログで日常のこまごましたことまで発信する現在と違い、インターネットが出現して定着する以前には、市井の人々の中でマメな人は日記を書いたりすることはあっても、それを広く発信することはなかった。英領期のような大昔ともなればなおさらのことだ。他にすることのない退屈な車内で、先方も格好のヒマつぶしだったのだろう、こちらから特に質問もしていないのに、セピア色に染まった思い出を次から次へと語ってくれたことをふと思い出させてくれたのが、この『茶の帝国』という本である。
そうした世代の人たちも今では70代後半から80歳くらいになっているので、多くはもはやインド旅行どころではないはず。同様にこの本についても、英領時代を一次情報として、自らの体験でもって語ることができる最後の年代に属する著者によるものである点からも貴重だ。主題はお茶の歴史と文化論のようだが、インドで茶園業を営みながらそこに長年生活していたという実体験を踏まえてのことであり、昔ラージャスターンのメーターゲージ上を走る各駅停車内で、インド生まれだというお喋りなイギリス人初老男性から聞いた話と同様、往時のインドに対する望郷の念に満ちている。
休日の午後、温かい紅茶をたっぷりポットに淹れて、『茶の帝国』のページをめくりながら、お茶とそれにまつわる歴史背景に想いをめぐらせるのもいいだろう。著者らの語る『故郷インド』の風景を思い浮かべながら。
大いに楽しみながら最後まで読みきったのだが、ひとつだけどうにかして欲しい部分がある。まるで翻訳ソフトかGoogle翻訳から出てきたような文章で、非常に読みづらい。『え?何だって??』と幾度も読み返さなくてはならない部分や奇妙な言い回しがたくさんあった。本書の内容自体はとても秀逸だけに大変惜しまれる。
『茶の帝国』
―アッサムと日本から歴史の謎を解く―
アラン・マクファーレン、アイリス・マクファーレン著
知泉書館
ISBN978-4-86285-033-4

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