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カテゴリー: column

  • アーグラーで爆発

    9月7日に起きたデリー高等裁判所での爆弾テロの記憶も新しい中、昨日9月17日夕方にアーグラーのジャイ・ホスピタルのレセプション付近で爆発が起き、15名が負傷、うち3名が重体と伝えられている。

    現在までのところ犯行声明等は出ていない。また爆発物や犯行手段が特定されていないためテロと断定されてはいないものの、状況に鑑みて事故ではなく事件としての捜査が続いている。

    Agra blast: City had specific intelligence alert (Rediff.com)

    元々、地域の社会構成等から『センシティヴなエリア』でもあり、20日ほど前から治安当局が警戒していたということではあるが、テロに関わる可能性がある小さなグループが点在しており、そこに出入りする者たちが爆発物を製造していた可能性がある・・・等の噂ともつかない情報と合わせて錯綜している。

    爆発の規模は小さく、混雑したバーザールで起きたわけでもないため、被害の規模は決して大きなものではなかったが、こうした事件が起きるごとに「また彼らが・・・」「たぶんあの人たちが・・・」といった具合に、決して事件には関係のない特定のコミュニティに対する不信感、猜疑心は深まっていくことは否定できない。

    日本の主要メディアでも報じられたアンナー・ハザーレーの汚職運動と合わせて、国民会議派を中心とする連立政権にとって不利な状況が続いている。ローク・サバー選挙で2度の敗北、サング・パリワール内での不協和音、BJP党内でのパワーゲーム等の関係もあり、しばらく雌伏を余儀なくされているサフラン勢力が、力を盛り返しつつある様子もうかがえる。こうした中で、ひとつひとつの出来事の積み重ねが近い将来の政局に与える影響は決して小さくないだろう。

    同じ9月17日に、グジャラート州首相のナレーンドラ・モーディーは61歳の誕生日を迎えている。彼の就任前、2001年1月にカッチ地方を襲った大地震からの復興、グジャラートの高い経済成長等、彼の行政手腕は高い評価を得て再選され在任2期目にある。

    彼は、極右的なスタンスの政治家の中で最も人気の高い人物のひとりである。彼の州首相就任後間もない2002年にアヨーディヤーからサバルマティ・エクスプレスで帰還途中のヒンドゥー右翼活動家たちが大勢乗り合わせていた車両が州内のゴードラー駅に停止していたとき、地元のガーンチーと呼ばれるコミュニティのムスリムたちが襲撃し、車両に火を放ったことに端を発したグジャラートの大暴動を抑えることができなかったばかりか、これを陰で大いに煽っていたと信じている人々は今も多い。

    この暴動の際、地元選出の元国会議員でムスリムのエヘサーン・ジャフリーも命を落としている。グジャラート州の国民会議派組織の重鎮であった人物であるのにもかかわらず、本人の度々の要請にもかかわらず警察が動かず、自宅に押し寄せた暴徒に殺害されることとなった。

    余談になるが、ゴードラー駅での列車襲撃事件の際、乗り合わせたほとんどの人たちが亡くなったのは、国鉄の客車車両前後のドア以外からは出入りすることのできない構造が原因であったため、その後はノンACクラス、ACクラスともに車両真ん中の窓からは緊急時に脱出できる造りに改められることとなった。

    グジャラートの大暴動から10年近い歳月が経過し、昨日彼の61歳の誕生日に合わせて開かれた政治集会では、インドのニュース番組でも取り上げられていた。同州の複数のムスリムコミュニテイの代表たちも招待され、ステージでナレーンドラ・モーディーの誕生日を祝福するシーンもあり、彼らとの融和を演出する試みがなされていた。 加えて、彼は昨日から『人々の友愛と融和のため』と称して3日間の断食を実行中である。

    グジャラート州での行政手腕の実績を背景に、上げ潮の勢いのナレーンドラ・モーディーは、イメージチェンジを図るとともに、国政への進出に意欲を見せており、グジャラート州外でも将来のインド首相として期待する層も多い。このところ相次ぐテロと合わせて、何か不安なものを感じずにはいられない9月17日であった。

  • ジャイサルメールの宿 2

    ジャイサルメールの宿 2

    ジャイサルメールに到着前から宿泊先を決めてあったので、駅には出迎えに来てくれていた。Hotel Tokyo Palaceという昨年11月に開業したホテルだ。経営者は日本在住のインド人の方で、現場で指揮を取っているのはその弟さんである。

    着いてみると、想像していたよりもずいぶん立派な建物であった。黄砂岩が多く取れるこの地域、城砦はもちろんのこと、市内の建物もこれをふんだんに用いたものが多く、風景に統一感があるのだが、このホテルもまた同様にこの石材を建物の内外にあしらっている。

    Hotel Tokyo Palace

    壁には手の込んだ彫刻も施されており味わいがある。客室の出窓部分には休憩用のマットと枕もしつらえてあり、小柄な人ならばそこで寝ることもできるくらいだ。室内のスペースが充分取ってあり、ゆったりと快適。中も外も城砦のイメージとマッチしており、ジャイサルメールらしいムードを醸し出している。

    バスルームの内装も頑張っている。水周り関係、例えば水道栓等はずいぶんグレードの高いものを使っている。部屋の内装だけではなくロビーといった共用部分についても先述の黄砂岩と彫刻が施されており、現在ではプールも完成しているなど、客室の料金帯を越えた投資がなされていることがうかがえる。他の多くのホテルでもそうであるように、広々とした屋上では大きな日除けの下で食事ができるようになっているが、ここから見上げる城砦の眺めも素晴らしい。

    ロビー周囲ではWIFIを利用できる。ソファその他腰掛けるスペースがいくつかあるため、自然と宿泊客たちが集まっておしゃべりが始まる良い環境だ。細かい事ではあるが、チェックアウト時間が午前11時という常識的な時間帯であることもありがたい。ジャイサルメールの他のホテルでは、何故か午前9時というずいぶん早い時刻に設定されているところが多いのだ。周囲は小さな家屋が建ち並ぶ住宅地。エリアはヘリテージなロケーションではないものの、ここから城砦の入口へは充分徒歩圏内である。

    オーナーの方は日本在住のインド人。そして日本人女性の方がウェブサイト構築、宿泊問い合わせメールへの応対等を手伝っているなど、この街の他のホテルが持ち合わせない感覚が窺える。エコノミーな料金帯を越えたスタイリッシュさとご当地感覚をうまく掛け合わせて、居心地の良い空間を創り出しており、今後ジャイサルメールで、日本人を含めた外国人たちの間でとりわけ人気の宿となることと予想している。

    秋から初春にかけてのシーズンに、夕方遅く予約無しでここを訪れて満室で断られたとしても、隣に同じようなクラスでこれまた新しいホテルがある。あるいは、すぐ近くに規模の小さな宿が開業準備中であったため、そのあたりで何とかなるだろう。ジャイサルメールの城砦からこれまで特に何もなかったと思われるこの一角は、新たな旅行者ゾーンになるのかもしれない。近隣の他の新しいホテルとも上手に共存共栄していくことを願いたい。

    切に願いたいのは、それまでは他の同クラスの宿泊施設と比較して優れていた点が、年月の経過とともに色褪せていき、結局は他の多くの同業者と変わらなくなってしまう『標準化現象』が発生しないことである。この『標準化現象』のリンク先を参照願いたいが、料金帯に応じた宿泊客のモラルの問題もあるため、経営側にとっては要注意だ。

    Good Valueで人気な宿であり続けることには、日々相当の努力と自己管理が必要だが、当然の習慣となっていれば、それに対する見返りも大きいことは言うまでもない。そうした宿泊施設では、他のホテルが閑散としているオフシーズンでもコンスタントに宿泊客たちが滞在している。今後ますますの発展を期待したい。

    <完>

  • ジャイサルメールの宿 1

    午前8時過ぎに列車はポカランの駅で停車。軍の大きな駐屯地があるので、外の道路では軍関係車両の行き来が多い。近郊では1974年と1998年に核実験が行われたことでも広く知られている。平坦な荒野が広がる土地だが、線路はここからスイッチバックしてジャイサルメールへと向かう。

    これまで最後尾であった車両に牽引する機関車が連結されることになるため、他の列車の通過待ちがあるわけではないのに停車時間は長い。おかげで貨物車を除けば、旅客列車は日に数えるほどしかない駅ながらも、ごく限られた時間ながらもこうした急行列車が停車する時間帯ではプラットフォームの売店では乗客たちが殺到し、店の人は大わらわである。

    ポカランを発ってから2時間半ほどで、終着駅のジャイサルメールに到着。出口のところでは市内各地のホテルからの出迎えやその他客引きたちが大勢待ち構えている。ジャイサルメールで宿泊施設を運営するのは決して楽なことではないだろう。観光客の占める割合が非常に多いため季節性が高い。加えて閑散期でインド有数の高温地帯となる暑季には訪問する人は極端に減る。夏の西ラージャスターンはどこも非常に暑いが、近郊の砂漠を除けば他のメジャーなスポットから距離があるというロケーションにも、容易ならざるものがある。そのためシーズンに集中して稼いでおく必要がある。

    その観光客にしてみたところで、多くは無数の一見の客たちである。他の産業に乏しいため観光への依存度が極端に高く、ライバルたちが多数乱立して競争の激しい中、四方に手を尽くして集客を図るしかない。そんなわけで鉄道駅やバススタンドに到着するお客たちを文字通り『一本釣り』せざるを得ない。ある意味狩猟採集生活に似ているかもしれない。事前に電話で予約してきたお客については鉄道駅ないしはバススタンドまで出向いてピックアップするのが当然のノルマになっている。その分、ジャイサルメールの多くのホテルでは、朝のチェックアウト時間はたいてい朝9時とずいぶん早い時間帯に設定されており、宿泊客にとって早朝に街を出発するのでない場合ちょっと辛いものがある。

    幸いにして人気のあるガイドブックに掲載されていたり、大都市の旅行代理店との提携関係があったりするようなところならば、かなりまとまった利用客が見込むことができるため、あちこち徘徊することなく、デンと構えてお客の到着を待つ『農耕生活』的なスタイルに移行できるのだが。

    それとてお客たちからのクレームが掲載ガイドブックの発行元や取扱い旅行代理店に相次ぐようになれば、掲載や斡旋が取り消されてしまうことにもなるので、宿泊客たちには良い印象を与え続けられるよう、接客はもちろんのこと客室や施設のメンテナンスやアップグレードにも心がけなくてはならない。ごく当たり前のことではあるのだが、これがなかなか難しいようだ。『新築のときには良かったけれども、数年したらボロボロ』『流行りだしたら横柄かつぞんざいになった』等々により、メジャープレーヤーの立場から転落していく例は数限りない。

    全国でチェーン展開していてノウハウの蓄積もあり、マネジメントもしっかりしている中級以上のホテルグループならともかく、個人営業の宿泊施設の場合はオーナーや現場の人たちに自己管理力とスタッフに対する規律と動機付けがなければ、宿泊施設としての質の向上はもちろん、開業当時のコンディションの維持さえ決して容易なことではない。もちろんインドに限ったことではないが、往々にして『オープンしたてがベスト』ということになってしまう傾向があることは否定できない。

    <続く>

  • スリランカフェスティバル2011

    スリランカフェスティバル2011

    チャンナウプリ舞踊団

    先日掲載した他のイベントよりも前の時期に開催されるのだが、それらと同じ東京都渋谷区の代々木公園にて、9月10日(土)と11日(日)にスリランカフェスティバルが開催される。

    テーマとなる国が違うこと、それに伴い出店の種類やステージでの演目が違うことを除けば、どの催し物も基本的に同じではあるものの、ちょうど秋の気候の良い時期でもあり、近くに出かけたついでに立ち寄ってみるのも良し、会場で丸一日のんびり過ごしてみるのも良しといったところだろうか。

    だがスリランカフェスティバルの目玉といえば、毎年このイベントのために来日しているチャンナウプリ舞踊団だろう。伝統的な舞踊からモダンにアレンジしたダンスまで幅広い演目がある。

    以前、会場で舞台衣装をまとう前の女性メンバーたちが歩いている姿を見たが、何かスリランカが得意とするスポーツのアスリートたちかと思った。ただ歩いていても、一般の人たちとはどこか違う、強靭でしなやかな豹のような感じのする集団であったからだ。華麗なステージを演じるためには入念な稽古が果てしなく繰り返されるのはもちろんのこと、強靭な肉体あってこそ人々を魅了する動きができるのであろうことがうかがえる。

    ぜひ、チャンナウプリ舞踊団の演目の時間帯に合わせて足を運んでみてはいかがだろうか。

  • ナマステ・インディア2011

    秋の恒例行事、ナマステ・インディアが、東京渋谷区の代々木公園およびたばこと塩の博物館で9月24日(土)と25日(日)に開催される。

    ミティラー博物館の招聘によるワールリー画、ICCR派遣のバンブーアートとテラコッタ製作のアーティストたちによる実演とワークショップ、音楽や舞踊等のステージ、インド文化等に関する講演、インド関連の出店等で賑わう。

    秋晴れが続く時期となるのか、それとも季節の変わり目で雨続きとなるのかは年によって違うが、その頃には夏の暑い盛りの記憶はもはや過去の話となっていることだろう。

    家族や友人知人等と誘い合わせて、のんびりと秋の休日を過ごしてみてはいかがだろう。

     

  • ネパールフェスティバル2011

    9月17日(土)と18日(日)に東京都渋谷区の代々木公園けやき並木でネパールフェスティバル2011が開催される。時間は両日とも10時から20時まで。

    同公園では同じ日程でベトナムフェスティバル2011も開かれることになっている。こちらは代々木公園イベント広場が会場となる。互いに隣り合わせたエリアでふたつの催しが行われるため、当日は賑やかな人出となりそうだ。

    同公園では翌週の9月24日(土)と25日(日)にナマステ・インディア2011が予定されているので、こちらもチェックしておきたい。

     

  • ラージ・タークレー ヒンディーで答える2

    さて、ラージ・タークレーはシヴ・セーナーから飛び出した後も、バール・タークレーに対する敬慕の念を表明しており、自分こそが彼の思想の正当な後継者であると主張していることからも明らかであるように、MNSの政党としてのスタンスはシヴ・セーナーと根本的には大差ないし、支持層の厚い地域もムンバイー市内及び沿岸部という点で共通している。

    違いといえば、党としての規模が小さいことと、それなりに歴史のある『本家』シヴ・セーナーに比べて、幹部や支持者は若年層が多いこと、そして地域主義に加えて『サフラン色』のイメージが濃いシヴ・セーナーに比べるとかなり宗教色が薄いことだ。地元のマラーティーを母語にするムスリムコミュニティの一部からの支持も取り付けていることは特筆すべきだろう。今のところは、マハーラーシュトラ州外に影響力を及ぼすという野心は希薄であるようだ。ゆえに地元『マラーティー主義』に全力を注ぐことができるという強みはある。

    昔は風刺漫画家としても知られていた叔父のバール・タークレー同様、ラージ・タークレー本人も画才には自信があるようで、MNSのウェブサイトで彼の作品を閲覧することができる。

    話は冒頭に戻る。昨日取り上げてみたラージ・タークレーのインタヴューである。

    मोदी के गढ़ में हिंदी भाषी बने राज ठाकरे (AAJTAK)

    彼は、メディアの取材にはたいていマラーティーのみで応じることで知られているだが、8月上旬にグジャラート訪問の際にヒンディーによるかなり長いインタヴューに答えた模様がニュースで流れていた。

    「ラージ・タークレーがヒンディーによる取材に応じています」とリポーターが喋り、彼は最初少々はにかみながらテレビカメラの前に姿を現す。

    彼は、ヒンディーという言葉に対する敵愾心はない。マラーティーを母語とする地元ではマラーティーを使うべきだ。私はグジャラートに来ているが、グジャラーティーは出来ないのでヒンディーを使うことにしているetc.といった具合に、ヒンディーで応じている理由に触れた後、州都ムンバイーを初めとするマハーラーシュトラ各地に労働者たちを送り込んでいる北部州に対する批判を展開している。

    リポーターが「ムンバイーの経済を支えているのは北部の労働者たちではないですか?」と水を向けると『彼らが大挙してやってくるのは、彼らの州に仕事がないからだ。州の経済がまるでなっていないからだ』と応じ、彼らの流入が地元の雇用に悪影響を与えているという従来からの主張に繋がっていく。

    インタヴューの中で、ラージ・タークレーが『ヒンディーは美しい言葉だ』と持ち上げたことを除けば、MNSの従来からの主義主張に照らして目新しいものは特になかったが、それでも『ヒンディーでインタヴューに応じた』こと自体が、地元のマハーラーシュトラではちょっとした波紋を投げかけることになったようだ。 先述のリンク先の放送局以外のメディアに対しても同様にヒンディーで質疑に応じている。

    その結果、ライヴァル関係にあるシヴ・セーナーには『我が党が真のマラーティー主義擁護者である』というアピールをさせる機会を作ってしまった。ラージ・タークレーがヒンディーでメディアのインタヴューに応じたのは、決してこれが初めてではないのだが、比較的最近、州政府の要職に就いた人物が就任式にてヒンディーで宣誓を行なったことに対する激しい批判を行なったこともあり、ちょっとタイミングが悪かったのかもしれない。

    ともあれ、彼がメディアに対して『ヒンディーで答える』こと自体が一種のサプライズであり、他方ではスキャンダルにもなり得るというのが彼の立場である。

    彼自身にとっては、こうした形で必要に応じて、マラーティーを理解しない他州の大衆に対してヒンディーによるMNSの主張を発信していくことは、長期的には決して損なことではないだろう。

    マハーラーシュトラの暴れん坊、ラージ・タークレーは、中央政界に強いインパクトを与えることができるような人物ではないし、地元マハーラーシュトラにおいても今後檜舞台に躍り出る政治家であるとも思えないのだが、これまで同様に決して無視することのできない一定の影響力を行使していくはずだ。たとえ本家シヴ・セーナーと決別しても、根強い支持層を持つマラーティー主義を掲げた極右政党の親分である。

    こうした空気の中、昨年1月に『ムンバイー タクシー業界仰天』と題して取り上げてみたように、デモクラティック・フロント(コングレスおよび1999年にコングレスから枝分かれしたナショナリスト・コングレス)政権下のマハーラーシュトラで、タクシーの営業許可に対する条件として『マハーラーシュトラに15年以上居住』『マラーティーの会話と読み書き』などという、シヴ・セーナー/MNSばりのマラーティー優遇策を打ち出したりするようなことが起きる。

    Maharashtra Govt. makes Marathi mandatory to get taxi permits (NEWSTRACK india)

    現在のマハーラーシュトラ州政界は、コングレス+ナショナリスト・コングレスとこれに対抗するシヴ・セーナー+BJPの対立軸で展開しているため、中道の政権にあってもちょっと右寄りのポーズを取る場合もあるのは仕方ない。

    マハーラーシュトラ州政治のメインストリームの中で、本家シヴ・セーナーに対するMNSの居場所はないのかといえば、そうともいえない。上記の二大勢力の次に左翼とダリット勢力があるが、MNSは単独でそれに次ぐ位置にあるからだ。今後の風向き次第では、上位ふたつのどちらかと協調することも考えられる。

    グローバル化が進展していく中でそれに対する地域民族主義が今後どうやってこれに抗っていくのか、どのように折り合いを付けていくのかという点から、とても興味深いものを感じている。

    今後も事あるごとに注目していきたい政治家の一人である。

    <完>

  • ラージ・タークレー ヒンディーで答える1

    ラージ・タークレー ヒンディーで答える1

    デリーのラームリーラー・マイダーンにおいて、社会活動家アンナー・ハザーレーの断食が11日目に入っている。ジャンロークパール法案をめぐる一連の動きが予断を許さない状況になっている中、インド政治がらみながらもこれとは全く関係の無い事柄について触れるのはいささか気が引けるのだが、こちらも個人的にとても気になる人物である。

    ナレーンドラ・モーディーの招きでグジャラート訪問した際のラージ・タークレー

    今月初めのことであったが、マハーラーシュトラ州のMNS (マハーラーシュトラ・ナウニルマーン・セーナー)の党首、ラージ・タークレーがグジャラート州首相のナレーンドラ・モーディーの招きにより9日間グジャラート州を訪れた際、メディアの取材に応じているが、その中でヒンディーによるインタヴューが放送されたこと自体が話題になっていた。

    मोदी के गढ़ में हिंदी भाषी बने राज ठाकरे (AAJTAK)

    元々、彼は極端な地元のマラーティー主義と、州外からやってきて就労する人たち、とりわけ北インドのヒンディー・ベルト地帯から来た人たちに対する排斥を主張し、暴力的な示威行動等も辞さない政党、シヴ・セーナーの幹部で、党創設者であるバール・タークレーの甥であり、バール・タークレーの息子で現在は党を率いているウッダヴ・タークレーのいとこである。シヴ・セーナーの中核にあった人物だ。

    しかしバール・タークレーの高齢化とそれに伴う健康不安から、指導部の世代交代が行なわれる中での党内のお家騒動の中で、一時期州与党にあった時期にマハーラーシュトラ州首相まで務めたことがある大物ナーラーヤン・ラーネーが党を追われて国民会議派に加わるというサプライズな出来事があったが、その年末にはウッダヴ・タークレーとほぼ同格の立場にあったラージ・タークレー自身が同党と袂を分かつという大きな出来事があった。

    翌年3月にラージ・タークレーは、シヴ・セーナー時代の取り巻きを引き連れて現在のMNSを結党している。党がシヴ・セーナーとその分家に当たるMNSに分かれたことにより、相対的にシヴ・セーナーの社会的影響力が減じることに繋がったようだ。

    2003年7月下旬にムンバイー市内で起きた市バスの爆破テロに抗議して実施したムンバイー・バンドの際にはちょうどムンバイーに居合わせて、彼らの実行力(強制力)の凄まじさに驚かされたものだ。その模様については以下をご参照願いたい。

    MUMBAI BANDH !! 大都会ムンバイーがフリーズした日 1

    MUMBAI BANDH !! 大都会ムンバイーがフリーズした日 2

    MUMBAI BANDH !! 大都会ムンバイーがフリーズした日 3

    だがその3年後、2006年7月にムンバイーでシヴ・セーナーが再度試みたバンドは失敗に終わったのは、党が割れたことによる弱体化の表れだろう。その後彼らの地元であるインド最大の商都で、こうした規模のバンドは実行されていない。

    ただし地域主義とともに反共産主義(地元ムンバイーの財界の支援を受けて、60年代後半から70年代にかけて共産党勢力と激しく対立し、共産党傘下の労働運動の影響力を弱体化させた経緯がある)を掲げて1966年に発足したシヴ・セーナーは、時代が下るとともに、マハーラーシュトラ州という地域を越えて大衆にアピールできるヒンドゥー至上主義に傾向してきた経緯がある。

    シヴ・セーナーのシンボルマーク 咆哮するトラ

    中央政界やいくつかの他州の議会にも議席を持ち、国内各地に咆哮するトラのシンボルマークを掲げた支部が存在する。国外においても、彼らの支部というわけではないが、1999年にネパール・シヴ・セーナーという友党が発足している。

    そんなことから、ときに彼らの地元のマハーラーシュトラ州の外で徹底したバンドを決行することもある。2006年7月下旬にはウッタラーカンドの州都デヘラドゥーンでもシヴ・セーナーによる『ラージダーニー・バンド』が決行された。

    事の良し悪しはさておき、デヘラドゥーンの街の規模はムンバイーとは比較にならないほど小さいとはいえ、彼らのホームグラウンドから遠く離れたところにありながらも、見事な(・・・という言葉は適切ではないものの、パーフェクトなバンドであった)統率力で州都の機能を丸一日停止させていた。この日もたまたまその場に居合わせたため、『達人たちのバンド1』及び『達人たちのバンド2』と題した記事をアップしたことがある。

    <続く>

  • ブルキニって何だ?

    ドイツで開催された女子サッカーのW杯で、なでしこジャパンが優勝したことは記憶に新しい。これまで欧米の選手たちのスピードやパワーといった身体能力に押される部分が多かった(女子サッカーは特にそうした傾向が強い)のとは裏腹に、華麗なパスワークと巧みな戦術で相手をかき回した。これを『女性版バルセロナだ』と評したのは英国メディア。

    単に『アジアの国が優勝した』ということには留まらず、女子サッカーの戦術そのものに与えるインパクトが大きいようだ。おそらく今後、各強豪国では、なでしこジャパンが見せた華麗なサッカーを目指すところが増えることと思われる。

    大きな脚光を浴びた日本の女子サッカーだが、それでも男性の同種目の場合と比べると、プレー環境や選手としての立場等々、著しく不利な部分が多い。またそれ以前の問題として子供から学生くらいのレベルでサッカーを続けようとしても、なかなか女子のクラブがないため学校と両立できずに断念する例も多いと聞く。クラブチームでも、学校の部活動としても上から下まで環境が揃っている男子の場合と雲泥の差だ。

    だが今回のなでしこジャパンの活躍により、女性のスポーツとしてのサッカーが定着する動機になることと思う。頂点を目指す人も楽しみとしてプレーしたい人も、誰でもサッカーが好きでさえあれば、自分に合ったレベルで手近に参加できる環境が充実することを願いたい。

    サッカー以外でも、バレーボール、バスケットボール、テニスや陸上競技等々、スポーツの世界で活躍する女性は多いのだが、同時にまだまだ女性の進出が盛んではない種目は少なくない。そうした競技の場合、女性から見てあまり魅力を感じない、始めてみようという動機に欠けるといったこともあるかもしれないが、そもそもプレーできる環境がなかなかないということもあるのだろう。

    また慣習的に参加することが容易でない場合もあるだろう。たとえばボクシングなどがそうだ。格闘技の中でも『拳で殴り合うなんて・・・』というところで、ちょっとハードルが高い。現在、日本ではアマチュアの大会は開催されているし、プロ選手もいるとはいうものの、社会的に定着しているとは言い難いものがある。

    またスポーツ全般として、文化的な障壁が存在する場合もある。イスラーム圏でも女性のスポーツが盛んな国々は少なくないものの、とりわけ保守的な地域ではスポーツの分野への進出が少なかったり、肌を大きく露出するような種目ともなると国際大会でほとんど参加する選手の姿を目にしない国々もある。例えば水泳などがその例に挙げられるだろう。2008年の北京オリンピックでは、シンクロナイズドスイミングにエジプトの選手たちが参加していたが、国際的な水泳競技でアラビアの女子選手を見かけた記憶はほとんどない。

    またテニスでも国際レベルで活躍する選手の中でイスラーム教徒といえば、インドのサーニャ・ミルザー選手以外あまり見かけないのは、この競技に参加するイスラーム教徒女性の層が限られているのだろう。女子バドミントンの場合は、インドネシアが強豪国として知られているのだが。

    イスラーム圏の女子スポーツ大会としては、1993年から4年ごとにイランでIslamic Countries’ Women Sports Gamesが開催されているものの、初回大会からずっとホスト国はイランであることから、政治的な色彩が強いようである。

    そうした中、イスラーム教徒の女性(国や地域によって環境は千差万別だが)がスポーツに参加しやすいようにと、スポーツ用ヒジャーブが開発されている。

    イスラーム教徒の女性向け「スポーツ・ヒジャブ」に世界から注目 (MODE PRESS)

    またイスラーム教徒女性向けの水着もデザインされている。こちらは競技用とはいえず、あくまでも海水浴やプールに出かけるといったことが目的のようだ。

    オーストラリアの「ブルキニ」がイスラム教徒の女性をビーチへ – オーストラリア(MODE PRESS)

    『ブルキニ』という言葉は初めて目にしたが、女性がスポーツに興じる習慣がないことに加えて装いの関係もあるため、保守的な地域では参加可能な種目が限られるのは、いたしかたないのだろう。

  • 旧くて新しいホテル4

    旧くて新しいホテル4

    また、近年になって新築された『宮殿風』ホテルも各地でしばしば見られるようになっている。これらを『ヘリテージホテル』と呼べるものかということもあるかもしれないが、ずいぶん前に『築浅の宮殿風ホテルもいいかも?』として、マッディヤ・プラデーシュ州のオールチャーにあるAmar Mahalというホテルについて触れてみたことがある。

    インドの人々の間で90年代に起きた旅行ブーム以前は、農地と荒蕪地の間に崩れかけた遺蹟が点在している状態だったオールチャーだが、今では地域のメジャーな観光地のひとつになっている。これについて『再訪1寒村からリゾートへ』で述べたことがある。この記事中にある「ペルシャ庭園風の見事な中庭を備えた同クラスのホテルも2003年6月に開業」とは、先述のAmar Mahalのことだ。観光資源の存在と同様に、こうした宿泊施設の存在も観光による地域振興に寄与するところは大きいだろう。

    Shahpura House

    ラージャスターンのジャイプルの閑静な住宅地、バニー・パーク地区では近年観光客向けの宿泊施設が増えている。特に1952年築の建物をホテルに改築したShahpura Houseは評判が高いようだが、個人的には以下のふたつのホテルがとても印象深かった。

    Umaid MahalUmaid Bhawanである。どちらも近年になって建てられた新しい施設だが、上手にヘリテージ風に仕上げてある。どちらも同じ退役軍人が所有している。

    Umaid Palaceのエントランス

    華麗な外観が目を引くとともに、ひとたび足を踏み入れれば、ラージャスターンならではの絢爛な装飾とクラシックな装いがマッチした空間にすっかり参ってしまう。料金は1800~3000 Rs超といった程度の中級レベルで、このクラスの料金帯の部屋ないしは施設自体が『宿泊する人を魅了する』ということは、他ではまずあり得ないことだ。

    Umaid Bhawanの道路に面したゲート
    Umaid Bhawanのスイートルーム(ソファ背後のカーテンの奥は寝室)

    こうした味わいのある『ご当地ホテル』が増えてきている中で、当たり外れもあるだろう。また他のインドの宿泊施設同様、ノウハウの欠如か意識の問題なのかはさておき、経年劣化が著しいところも今後出てくることと思う。それでも泊まって楽しいヘリテージホテルが増えていくことは、宿の選択の幅が広がるという観点からも喜ばしい。

    <完>

  • 旧くて新しいホテル3

    旧くて新しいホテル3

    メヘラーンガルを仰ぐ絶好のロケーション

    このほど、そうしたハヴェーリーから転用されたホテルに宿泊する機会を得た。場所はジョードプルである。Krishna Prakash Heritage Haveliというそのホテルは、マールワール藩王国時代の1902年に警察幹部が自宅として建築した屋敷。後にその身内で藩王国の内務大臣の職を務め、インド独立後は国会議員を務めた人物の居宅でもあった。

    この大きな建物の中には身内の複数の世帯の人々が暮らしていたに違いない。中庭を核にして周囲にいくつかの部屋が並ぶ形になっているセクションが複数あり、それなりのプライバシーは保たれていたものと考えられる。

    今のオーナーはこの屋敷をホテルに転用して現在に至っている。部屋はいくつものタイプがあり、その手前に小さな中庭があるものもある。ひとつひとつ違うので最初に見せてもらうといいかもしない。暑い時期には敷地内にある小さなプールで涼む宿泊客も多い。

    メヘラーンガルの城壁を間近に仰ぎ見るロケーション。夕方から午後9時くらいにかけて美しくライトアップされた雄大な城砦を眺めながらの夕食は実にロマンチックだ。

    最初からホテルとして建てられた施設の場合、部屋間のグレードの差はあれ、ある程度標準化されているのに比べて、ハヴェーリーの個人の屋敷であったがゆえに、部屋のサイズや居心地は様々だ。館の主やその直近の家族が寝起きしたところもあれば、どちらかといえば隅に置かれていた身内もいたかもしれない。もちろん使用人部屋だっていくつかあったはずなので、部屋に荷物を置く前にいくつか部屋を見せてもらったほうがいいだろう。

    同じ旧市街で付近にはHeritage Kuchman HaveliやPal Haveli等、古いハヴェーリーを転用したヘリテージホテルがいくつかある。ちょっと覗いてみると、きっと宿泊してみたくなることだろう。

    <続く>

  • 旧くて新しいホテル2

    そうした中、古いハヴェーリー、地域の伝統的な屋敷がホテルに転用される例が相次いでいるようだ。今からだいぶ前にシェーカーワティー地方を訪れたことがある。この記事を書いたのは2005年であったが、初めて訪問したのはそこからさらに4年前なので、今から10年くらい前のことになる。

    かつてその地方が陸上交易で栄えた時代に富を築き上げた商人たちによって建てられたハヴェーリー(屋敷)が沢山残っていることで知られている。家の内外を問わず、壁のあらゆるところがカラフルな絵や模様で飾られているため、『オープンエア・ギャラリー』として知られている。

    訪問時、地元の土豪の洋風の館の他に、ごく新しい宿泊施設で内部をハヴェーリー風に仕上げたものを見かけた。旧商家のハヴェーリーについては、博物館となっているものをひとつ見学したが、あとは今でも間借人たちが屋敷内を細分化して賃借しており、ほとんどは内部を見学できるような状態ではなかった。

    そうした現在でも人々が暮らしている住居については、『ハヴェーリーに興味がある』と話した相手がたまたまそうした家屋の賃借人だったため好意で連れて行ってくれたり、あるいは道端で少し話をした子供に『君の家はどこ?』と尋ねると連れて行ってくれて、大人の家族たちの困惑したような表情を横目に、内部をチラリと見せてもらったくらいである。

    どちらにしても、現在間借している人たちは、たいていの場合、これらを建てた人たちの子孫でもなければ身内でもない。陸上交易の時代が終わってからは商家の人々は都会に出てしまっており、血縁でもなんでもない人々が賃借しているのが普通だ。

    それだけに建物の内外は荒れるに任せているといった具合で、もう少し文化的、歴史的な価値が見直されることがあってもいいのではないかと思っていた。それらを少しでも広く知ってもらうために、こうしたハヴェーリーのうちのいくつかが宿泊施設として転用されれば、その用を足すかもしれないし、シェーカーワティー地方の魅力の内外に広める役目も期待できるのではないかと思った。当時、この地方のマンダーワーという町のあるハヴェーリーでは大掛かりな改修作業が進行中だった。

    『これからホテルになるのだ』という話を聞いて、これからはシェーカーワティーの宿泊先の目玉はこういうタイプの施設になると確信したものだ。

    ロンリープラネットのガイドブックを開いてみると、シェーカーワティーの記事にはいくつものハヴェーリーを転用した宿泊施設の紹介がある。2000年及び2001年に私が訪れた際、ここ多いカラフルなハヴェーリーをホテルに転用したらどんなに良いことかと思ったものだが、今ではそれが実現されている。 ヘリテージホテルの新しい流れである。

    ラージャスターンの北東端に位置し、デリーやハリヤーナー州から週末を利用して訪問する家族連れ、友人連れなどが多い。距離的に近いのに、ずいぶん地域色の濃い地域である。こうした建物が比較的エコノミーな料金で利用できることも、かなり喜ばれているのではなかろうか。

    もちろん、見事なハヴェーリーが残っているのはシェーカーワティーに限らない。他のところにもそれぞれの地域のテイストの興味深い屋敷が沢山残っている。だがそれらの多くは今も個人の邸宅であるがゆえに、通常私たちがそれらの中を見物する機会はあまりないのである。

    <続く>