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  • UP州 四分割へ

    2000年に州北西部のヒマーチャル・プラデーシュ州とネパールの間に挟まれたエリアをウッタラーンチャル州(現ウッタラーカンド州)として分離させたウッタル・プラデーシュ州(以下UP州)だが、今度はさらに四分割されることになるようだ。

    UP Assembly passes resolution on state’s division into four (INDIA TODAY)

    西側がデリー首都圏に隣接するパシチシム・プラデーシュ、その東側にアワド・プラデーシュ、その南にブンデールカンド、現在のUP州東部はプールヴァンチャルとする法案が、本日11月21日にUP州議会を通過した。州の分割について今後は中央政府の判断に任せることになる。

    現与党の大衆社会党(Bahujan Samaaj Party : BSP)党首で、州首相でもあるダリット出身のマーヤーワティーによる、2012年4~5月にかけて予定されている州議会選挙を念頭に入れた策略であるとする野党側の声は高い。

    だが先述の2000年に分離したウッタラーカンド州地域を除けば、英領時代のUnited Provinces of Agra and Oudh(略してUP)が、独立後もほぼそのまま継承されたUttar Pradesh (略称同じくUP)は、現在1億9900万人超の人口を抱える巨大な州である。なんと人口世界第5位のブラジル(1億9500万人)を凌ぐ数字だ。

    デリー首都圏からほど近く、工業地帯として発展したノーエダーを擁する西部は、後進地域であるその他の地域から切り離したほうが将来の展望は明るいと思われるため、それを希望する意見は従前からあった。

    その他、現在のUP州都であり、アワド王国の古都としても知られ、北インドの文化の中心地のひとつでもあるラクナウーがそのまま新州都として移行するのであろうアワド・プラデーシュは豊かな穀倉地帯だ。

    同じく農耕地の広がるプールヴァンチャルは、隣州ビハールにつながるボージプリー話者が暮らす地域だ。先に挙げたふたつに較べると有力な産業を欠き、開発の遅れたエリアということになる。

    以前から分離要求の声が最も高かったのは、現在のUP州の中で最貧地域であるブンデールカンドだ。人口中にダリットが占める割合も高く、州の現与党であるBSPの大票田としても知られている地域だ。

    もちろんマーヤーワティー率いるBSPにはしたたかな計算あってのことには違いないとはいえ、ひとつの州が『世界的な大国並み』の巨大人口を抱えていることは、政治への民意の反映や施策への民意の汲み上げを困難にするし、行政の効率上も好ましくない。

    さらに露骨な言い方をすればUP州西側の先進地域パシチム・プラデーシュにとっては、『その他の地域を食わせてやる』義務から解放されて今後勢いの良い成長が期待できるということになるし、州内では比較的豊かなアワド・プラデーシュにとっても『余計なお荷物が減った。今後は自分のことに専念できる。』ということになる。反対にこれまで州の後背地であったブンデールカンドとプールヴァンチャルは、それぞれ独自の州としての地位を得ることにより、自主性・主体性を持った開発が可能になるとも言えるだろう。

    地域的なカラーが著しく異なる(ゆえに分割という論にたどり着くことにもなるのだが)がゆえに、UPの有力政党がそれぞれの地域でうまく棲み分けをすることにより、不毛な政争を避けて、それぞれが本来なすべき仕事に注力できるようになる・・・としては期待しすぎだろうか。

    独立以前から有力な政治指導者たち、イギリスが去ってからは歴代の首相や政界の重鎮たちを輩出してきたUP州の政治的な重みは失われてしまうが、このUP分割はそれでも『遅きに失した』感さえある。

    今後、UP州分割がどのように進展していくのか目が離せないし、はなはだ失礼であることを承知で言えば、分離したそれぞれの地域がどのような成長あるいは停滞、発展あるいは混乱を呈していくのかといった野次馬的な興味も尽きない。

  • Mマウント専用機を手頃な価格で  『RICOH GXR + GXR MOUNT A12』 

    Mマウント専用機を手頃な価格で 『RICOH GXR + GXR MOUNT A12』 

    ユニットを交換するという発想が面白い。まるで別のカメラになる。

    本日取り上げてみるのは、リコーが2009年12月に発売したGXR。レンズ、イメージセンサー、画像処理エンジンを一体化したユニットを丸ごと差し替える『ユニット交換式』という風変わりなものだ。ユニットごとにセンサーのサイズがAPS-Cであったり、通常のコンパクトデジカメ並みに小さなものであったりする。一眼であれば、ボディを買い替えてもレンズは引き続き利用できる資産ということになるのだが、このユニットとは現行のGXR専用である。

    なかなか良さそうだなと思いつつも、特に欲しいと思うまでには至らなかった。少なくとも今年8月に『GXR MOUNT A12』というユニットが発売されるまでは・・・。

    GXRにGXR MOUNT A12を装着した状態

    このユニットはMマウントの交換レンズに対応。Mマウントといえば、まず誰の頭にも浮かぶのはライカだが、言うまでもなくひとつの『世界標準』のマウントであるため、他にもフォクトレンダー、ツァイスといった名門どころのレンズも装着できる。またニコン、キャノンその他の日本メーカーもこのマウントのレンズを製造していた時期があった。

    GXRGXR MOUNT A12と合わせて購入したりすると、こうしたレンズが次から次へと欲しくなって大変なのではないかと思うが、こうした古いレンズ資産がふんだんに活用できるというのは魅力的だ。たぶん、これまでGXRにあまり関心を持っていなかった人たちの中で、このGXR MOUNT A12が発売されてから、突然大マジメに購入を検討している人たちが大勢いるのではないかと思う。

    刷新の速度が極端に早いデジタル製品なのに、古いアナログ時代のレンズがふんだんに活用できるユニットの開発とは、いいところに目を付けたものだと思う。

    マイクロ・フォーサーズのカメラ用にMマウントを装着するためのマウント・アダプターが販売されているが、Mマウントのレンズをそのまま装着できるモデルといえば、これまでならばライカのM9 (700,000円前後)やエプソンのR-D1xG (200,000円前後)といった敷居が高く、価格的にも手が届かない超高級機であった。

    だがGXR (25,000円前後)とGXR MOUNT A12 (59,000円前後)の組み合わせならば、ずいぶんリーズナブルに『Mマウント専用機』が手に入ることになるのが素晴らしい。発売から2年経過しようとしているGXRだが、Mマウント装着用のマウントが発売されたことにより、写真好きな人たちの間で俄然注目を集めることになった。今後もしばらく現行モデルでの販売が続くだろう。

    GXRGXR MOUNT A12という組み合わせについては、ハイエンドなコンパクトデジカメといった括りが適当かどうかということもあるが、万人ウケするものではなく、むしろカメラ自体が使い手を選ぶような具合になってしまうのだが、高級コンパクト機のありかたについて、唯一無二の大変魅力的な提案である。

    GXRが『Mマウント専用機』に変身!
  • 親族旅行 御一行様18名

    親族旅行 御一行様18名

    だいぶ前のことになるが7月にジャイサルメールを訪れたときのことだ。雨季ではあったものの西ラージャスターンは降雨がとても少ないのはいつものことで、それがゆえに砂漠が広がっているわけでもある。

    そんな土地であるがゆえに、農耕その他に利用されることもなく手つかずの大地が広がっているという条件は、風力発電にはちょうどいい具合のようで、グジャラート州のカッチ地方同様に大きな風車がグルグル回っている。

    持参した温度計は昼前には気温は43度を指していて、暑さが苦手の私も小学生の息子もヘトヘトになってしまっていた。多少は空調の効いているところで何か冷たいものでも、とオートで飛ばして、RTDCのホテルのレストランまで出かけた。

    そこで食事をしていたのはムンバイーの北にあるワサイー在住の老夫婦。何でもクルマを借り切って旅行中とのことで、その日の夕方に砂丘を見に行くので一緒に来ないか?と誘ってくれた。

    借りているクルマとは観光バスであった。一体何人で旅行しているどういうグループなのかと思えば、近隣に住んでいる兄弟や親戚だという9組の夫婦で総勢18名。毎年この時期(オフシーズンで比較的安く済むからということもあるらしい)にその顔ぶれでインド各地を旅行しているそうで、昨年はタミルナードゥを訪れたのだという。

    老夫婦のご主人、Jさんは十数年前に55歳でタバコ会社を定年退職したというから、現在70歳くらいだろう。団体の中では最年長のようだが、他の男性メンバーの面々の多くはすでに隠居生活だという。彼らが宿泊しているRTDCのホテルのロビーで午後5時に待ち合わせということで、一度宿に戻って仮眠することにした。

    夕方になっても、まだかなり気温は高い。ホテルの敷地には小型の観光バスが停車していて、Jさんが車内から出てきて手を振ってくれている。みんな夫婦連れだが、バスの中では前が女性グループ、後方が男性グループと分かれて座っていた。皆気さくで感じの良い人たちであった。

    行先はジャイサルメール市街から西へ45kmくらいのところにあるサム砂丘。果てしなく続く荒地の中の道路をひた走るとチェックポストがあり、明らかに警官ではない民間人が乗り込んできて、バス最前列に座っている女性に『団体の代表の方はどなたですか?』と尋ねている。

    何かと思えば、ラクダでの砂丘観光とダンスを見ながらのディナーといったパッケージの売り込みをしている。執拗なセールスに対して、何とかJさんたちは『砂丘を見るためだけに来たのだから・・・』と断ったものの、男はバイクにまたがって私たちのバスの前を走っている。他にも同様の男たちが沿道にいたようだが『これは私のお客』として確保したつもりなのだろう。

    舗装はしっかりしているものの、このあたりからは道路の半分くらいが砂に埋まってしまっていたりする。『ここから先は一般人立ち入り禁止』となっている地点でバスは停止。そこからバイクの男の誘導で、彼の案内する駐車場に停めることになった。

    このあたりで彼の役目は終わりのようで、後はそこを縄張りにしているラクダの御者、レストランの客引き、飲み物売りなどが、どこからともなく沸いて出てくる。

    駐車場の脇にはファイヤープレイスと円形にしつらえた席を用意した場所があり、ここがダンスだのディナーだのといったサービスが提供される場所であるらしい。ここでも男たちが出てきて『食事は?』『ダンスは?』と勢いよく売り込みにかかっている。

    Jさん一行が『これから砂丘に行くのだ』と断ると、合図とともに物陰からラクダが引くカートが数台現れた。このあたり『よく出来ているなぁ』と妙に感心する。それならば、とみんなでそれに分乗して砂丘のサンセット・ポイントなる場所に向かうことになった。

    気温が下がった日没時にここを訪れる人たちは非常に多い。シーズンオフではあったものの、砂丘のそれぞれのリッジすべてに観光客たちの姿があり、そうした人たちを相手に歌や踊りの余興をやってみせる子供たち、ソフトドリンク類を売る男その他が沢山群がっている。砂漠がこんなに賑やかなところであるとは想像もしなかった。

    360℃どこを見渡しても観光客たちの姿

    砂はさらさらのやわらかいもので、日本の砂浜にあるのとおなじような感じだ。しばらく前に雨が降ったようで、砂丘の斜面の砂がある程度固まっていて斜面を登りやすくなっていた。そこでしばらく過ごしてからバスを停めてあるところに行き、皆でチャーイを飲む。周囲には同様の施設がいくつかある。やはり途中のチェックポストで観光バスを『拿捕』して自分たちの縄張りに囲い込んでしまうということが、この商売のツボであるらしい。

    Jさん一行と記念撮影

    日が沈んですっかり暗くなった帰路、車内では賑やかな会話が続き、誰かが声をかけると一斉にバジャンを歌い始めた。一行の中では一番若い感じ・・・といってもおそらく50代半ばと思われる男性は、沿道の酒屋でバスを停めさせて沢山の酒類を購入している。宿に戻ってから乾杯するのだろう。Jさんたちに『一緒に飲みませんか?』と誘われたが、こちらは子連れなので遠慮しておく。

    よく、日本の高齢者は元気だというが、概ね退職年齢が早い分、インドの年配者たちも同様だ。経済成長に伴う可処分所得の増加により、余生を楽しむゆとりがある人たちも増えているはずで、大いに結構なことである。

    Jさんたちは『今度は東方面に行きたいね!』と、すでに来年の団体旅行の計画を練り始めているそうだ。

  • 国境の飛び地問題

    しばらく前のことになるが、India Today誌を読んでいたら、隣国との関係でとても興味深い記事が目についた。インドとバーングラーデーシュの間の飛び地問題である。その記事の英語版が同誌ウェブサイトに掲載されているので以下をご参照願いたい。

    In a State of Limbo (India Today)

    印パ分離独立以来、つまりインド東部が現在のバーングラーデーシュの前身である東パーキスターンと分かれた際、双方の国境線内に両国の飛び地が存在しており、それが後々まで尾を引いており、飛び地の人たちについてどちらの国でも『外国人』として扱われており、事実上の無国籍であった。身分証明書の類も与えられず、医療や教育といった基本的な社会サービスを享受できないままに放置されていたのだという。

    そもそもこうした飛び地が発生した原因とは、印パ分離独立前に地元の藩王国であったクーチ・ビハールとラングプルが、それぞれの王がトランプやチェスでの賭け事の勝敗で土地のやりとりをしたことが原因なのだというから、とんだ為政者もあったものだ。ふたつの藩王国のうち、前者がインド、後者が分離独立時の東パーキスターンに帰属することになったことなったため、飛び地が両国国境をまたいで散在することになってしまった。飛び地問題の解消については、1958年、1974年そして1992年にも合意がなされたものの、実行に移されることはなかったようだ。

    今年の9月になってようやく両国がこれらの飛び地とそこにいる無国籍の人々の扱いについての合意がなされ、双方の領土内の飛び地の交換の実施とそこの人々には国籍選択の自由が与えられることになったとのことで、さすがに今度はそれらがきちんと実施されるのではないかと思うのだが、これらの人々が何らかの理由で、居住している土地の帰属先とは異なる国籍を選択するようなケースには、著しい不利益を被るであろうことは想像に難くない。

    インド側にある飛び地ではムスリムが多く、その反対側ではヒンドゥーが多いとのことである。単純にムスリムだからバーングラーデーシュ、ヒンドウーだからインドという図式ではなく、それまで自分たちを冷遇してきた行政つまり飛び地を内包していた国の政府への不信感とともに、『私(たち)が本来所属するべき国』への期待感(あるいは失うものよりも得るものが多いかもしれないという推測)から国境の向こう側の国籍を選択する例も決して少なくないだろう。とりわけバーングラーデーシュ領内の飛び地の人々にとっては、総体的に経済力の高いインドへの移住が合法となること自体が魅力であろう。

    土地の帰属のみで解消できるものではなく、結果的には一部の人口の流出と受け入れも伴うことにもならざるを得ないように思われる。政府の対応には不満があっても、住み慣れた土地を離れる当事者たちにとっては苦い『第二の分離』として記憶されることになる例も少なくないだろう。

    移住という選択があるにしても、それぞれの人々がこれまで築いてきた人間関係、仕事関係はもちろんのこと、通婚その他いろいろ抜き差しならぬ事情も報道でカヴァーされることのない色々な事例が沢山あることだろう。

    インド・バーングラーデーシュ飛び地問題については、以下のサイトにもいくつか参考になる動画がリンクされている。

    Indo-Bangladesh Enclaves (Indo-Bangladesh Enclaves)

  • レストラン流行るもシェフは人材難

    先日、日本の新聞社のウェブサイトにこんな記事が掲載されていた。

    求む、英国カレー調理人 移民規制で不足し国民食ピンチ (asahi.com)

    移民規制の厳格化によりヴィザの取得が難しくなったことで、インドをはじめとする南アジア系料理店でシェフを招聘するのが困難になっているとのことだ。こうした傾向は今に始まったものではなく、2004年にはインディペンデント紙が以下の記事を掲載している。

    The big heat: crisis in the UK curry industry (The Independent)

    また2004年にもBBCのこうした記事があり、2000年代を通じてのことのようである。

    Britain’s curry house crisis (BBC NEWS South Asia)

    チキンティッカー・マサーラーは英国の国民食・・・なのかどうかはさておき、人々の間で定着したお気に入りのひとつではあるようであり、インド料理そのものがイギリスにおける人気の外食となっているなど、需要は大きいにもかかわらず、シェフが人材難であることを原因に店をたたむ例が後を絶たないとは皮肉なものだ。

    通常、イギリスでU.K. Asianといえば南アジア系を指すように、インド系をはじめとするこの地域にルーツを持つ人々が多数居住しているとはいえ、地元にいるインド系コミュニティの中からシェフを調達するのはこれまた容易ではないようだ。

    そもそも思い切って外国に移住する勇気を持ち合わせている人々は得てして上昇志向が強いもの。単身でしばらく稼いだ後に帰国する人たちはともかく、家族を伴って来た人たちともなれば、往々にして息子や娘の教育には力を注ぐようだ。親と同じ苦労はさせたくないと。

    そういう点では日本にそうした具合にやってきている中国人料理人たちも同様だ。子供たちは中国あるいは日本で大学まで行かせて『もっと割のいい仕事』に就くことができるようにと頑張らせるのが常だ。日本のバブル期以降、日本の移住し条件を満たして帰化した中国出身者は多く、その中に飲食業に関わる人たちも相当数あるのだが、彼らの子供の世代で、厨房で包丁を握ることを仕事にする人はごくごく少ないだろう。このあたりの事情はU.K. Asianたちの間でも同様らしい。

    ところでチキンティッカー・マサーラー、イギリス人たちの好みに合うというのは単なる偶然ではないようだ。もともとこの料理の起源がインド在住のイギリス人家庭発祥(調理人はインド人)という説がある。その真偽はともかくとしても、主にパンジャーブ地方のアングロ・インディアン(インド在住のイギリス人のこと。時代が下るとやがて英印混血の人々のことを指すようになった)たちが好んだアイテムであったらしく、元々彼らの舌によく合うものであったため、イギリス本国で受け入れられるのは必至であったのだろう。

  • バーングラーデーシュ初の原子力発電所建設へ 果たして大丈夫なのか?

    近年、好調な経済成長が伝えられるようになっているバーングラーデーシュ。地域の他国にかなり出遅れてはいるものの、失礼を承知で言えばスタート地点が低いだけに、ひとたび弾みがつけば、今後成長は高い率で推移することは間違いないのだろう。日本からもとりわけテキスタイル業界を中心にバーングラー詣でが続いているようだ。

    これからが期待される同国だが、やはりインフラ面での不安は隠しようもないのだが、電力供給事情も芳しくない。発電電力の約4%は水力発電、他は火力による発電だが、その中の大半を自国産の天然ガスによるものが占めている。開発の進んでいる東部の電力事情はいくぶん良好なようだが、西部への電力供給の普及が課題であるとされる。

    産業の振興、とりわけ外資の積極的な誘致に当たっては、電力不足の克服は是が非でも実現したいところだろう。長らく雌伏してきた後にようやく押し寄せてきた好況の波に乗り遅れないためにも、1億5千万人を超す(世界第7位)人口大国であり、世界有数の人口密度を持つ同国政府には、国民の生活を底上げしていく責任がある。

    そこでロシアと原子力エネルギーの民生利用に関する政府間協定に署名することとなり、2018年までに二つの原子力発電所の稼働を目指すことになった。

    Bangladesh signs deal for first nuclear plants (NEWCLEAR POWER Daily)

    実のところ、この国における原発建設計画は今に始まったものではなく、東パーキスターン時代にダーカー北西方向にあるループプルに建設されることが決まっていたのだが、1971年にパーキスターンからの独立戦争が勃発したため立ち消えとなっている。新生バーングラーデーシュとなってからも、1980年代初頭に原発建設を目指したものの、資金調達が不調に終わり断念している。

    同国にとっては、建国以前からの悲願達成ということになりそうなのだが、折しも日本の福島第一原子力発電所の事故以降、原発そのものの安全性、他よりも安いとされてきたコスト等に対して大きな疑問を抱くようになった日本人としては、本当にそれでいいのだろうかと思わずにはいられない。

    同時に国内であれほどの大きな事故が起きて、その収拾さえもままならないにもかかわらず、また原子力政策そのものを根本的に見直そうかというスタンスを取っていながらも、原発の輸出には相変わらず積極的な日本政府の姿勢についても信じられない思いがしている。ベトナム政府は原発建設を日本に発注することになるのは今のところ間違いないようだ。

    『日本でさえ不測の事態であのようになったのだから・・・』などと言うつもりはないが、大変失礼ながらバーングラーデーシュという国での原子力発電の稼働は本当に大丈夫なのだろうか?

    事故さえ発生しなければ、原発稼働は同国の電力事情を大きく好転させていくことになるのかもしれないが、電力供給の分野でロシアの技術力・資金力両面において、大きく依存しなければならなくなる。

    どちらも憂慮されるものだと思うが、とりわけ前者については大いに気になる。本当に大丈夫なのだろうか、バーングラーデーシュでの原子力発電所の稼働は? サイクロンや水害といった大規模災害がよく起きることもさることながら、頻発するハルタール、その背景にあるといえる政治的な問題、不安定な政局等々、国内の人為的環境面での不安も大きい。

    決して遠くない将来に起きる(かもしれない)大惨事への序章でなければよいのだが。これが杞憂であることを願いたい。

  • あとはアルナーチャル・プラデーシュが門戸を開けば・・・ 2

    観光業とは、ひとつの街、地域、州で完結するものではなく、広く周辺地域が相互に依存する関係にある。ひときわ魅力的な地域が新たに加わることにより、そこを訪れた人々が次なる目的地として隣接州に流れていくことになり、経済的収入、関連産業の活発化、雇用の促進といった果実を各地域で分け合うことになる。

    ベンガル北部からアッサム西部に至る、バーングラーデーシュの北側を迂回する細い回廊部で、まさに『首の皮一枚』でインド本土と繋がる北東諸州だが、この地理条件と現在のインドヴィザに係る『2か月ルール』は、この土地の観光業振興という面に限っては、決して悪くない効果をもたらすかもしれない。

    つまりインドの他地域から一度北東州に入ってきたならば、空路を除けば北東諸州の外に出るのはなかなか手間と時間がかかる。中国、ミャンマーと長い国境線を接していながらも、外国人たちはそれらの国に陸路で出ることはできない。複数の地点から容易に出入国が可能なバーングラーデーシュにしてみたところで、一度出国すると2か月はインドに戻ることができない(事前に所定の手続きを踏んでいれば可能)という制限のため、『せっかく近くまで来たから』と、思いつきでフラッと浮気することもできない。

    私自身、この地域についてあまり詳しくは知らないのだが、トレッキング等はもちろんのこと、雨季には多雨の地域であるためシーズンにより条件は大きく異なるが、風光明媚で気候が良いところはいくつもあるように思われる。個人的には、乾季にメーガーラヤ州都のシローンから日帰りしたことがあるチェラプンジー(世界で最も多雨とされる土地)は、切り立った断崖絶壁の台地から成り、町をぐるりと囲む風景が面白いことと、この地域に暮らすカーシー族というモンゴロイド系の人々の暮らしぶりが興味深く、何日か滞在したいと思った。

    観光の大きな目玉はあまり無いとはいえ、インドの他の地域と大きく異なるため、そこにいること自体が楽しいといえる。よく『多様性の国』と言われるインドだが、まさに北東諸州を訪問することによって、それを実感できることだろう。もちろん北東諸州といっても、それぞれの州に様々な異なる民族が暮らしているし、アッサムやトリプラーのように、州内にベンガル系の人口が多く、パッと見た感じではベンガルにいるのかと思うような地域も少なくないなど、この地域自体が実に多様なものを内包している。

    この地域に接するブータンも近年は計画的に観光客の数を増加させている。今のところは従前どおりに西欧等の富裕層をターゲットにしてのツアー客呼び込みだが、先代の国王自らが着手した民主化が進展していけば、観光業の進展やそのありかたについて、いつか必ずや根本的な議論とこれによる包括的な見直しが入ると考えるのが自然だろう。

    アルナーチャル・プラデーシュに加えて、ブータンが『誰でも普通に入って自由に観光できる国』となった暁には、この地域の注目度は今と比較にならないほど高いものとなるはずだ。とりわけ後者、つまりブータンについては、それがいつになるのかわからないが。

    <完>

  • タイの洪水

    インドのニュースではないのだが、日印間の空路の要衝にあり、乗り換えその他でバンコクの空港に立ち寄ったり、市内に滞在したり人も少なくないだろう。

    最初はアユタヤー地域で市街地等の冠水が話題になっていたが、あれよあれよという間にバンコク首都圏も同様の被害が及び、29日の大潮が最大の危機と言われるまでになってしまった。

    本日すでに30日。最悪の状態を脱しつつあると思いたいところだが、まだまだ今後どうなるかまったく不透明なようだ。 今後の進展について、タイの英字紙バンコク・ポストでは以下のようなシナリオを描いている。

    How high can this flood in Bangkok become for each district? (Bangkok Post)

    そもそもバンコクにおける治水対策について、従前から首都圏を起源に発生した洪水に対処するものであり、市外からジワジワと流れ込んでくる大量の水というのは想定外であったということが問題であったと指摘している。

    Drainage system not up to task (Bangkok Post)

    また読者に対して、洪水危機に際しての注意事項なども掲載している。

    Come hell or high water: Flood survival guide (Bangkok Post)

    洪水の規模の大きさを窺わせる画像や動画も掲載されている。

    Bangkok Flooding Oct. 29 (Bangkok Post)

    Living With Disaster (Bangkok Post)

    同紙による今回の洪水に関する記事のスレッドもある。

    タイを代表するもうひとつの英字紙The Nationも同様に洪水に関する記事で一杯だが、今後の見通しについてこんな記事も掲載している。

    WHAT CAN BE EXPECTED (The Nation)

    影響が長期化することが予想されているわけだが、その一方でインラック首相は『峠はほぼ越しつつある』との声明を出している。

    We’re nearly through it: PM (The Nation)

    今回の洪水に対する不手際(治水に関わるインフラ不足は数か月前に政権を取ったばかりの現与党の責任ではないとはいえ、洪水の広がりに対する見通しの甘さが各方面から糾弾されている。

    ごく最近まで『バンコクは大丈夫』という認識でいたがゆえに、先立つ『アユタヤー洪水』は広く報じられていたものの、それに続く『首都洪水』が国際ニュースに現れたことが、何かとても唐突に感じられたりもするのである。

    しかしながら今ばかりは、インラック首相の発言『峠を越しつつある』が現状を正しく認識したものであることを誰もが願っていることだろう。

    雨季の終わりの大雨は去り、大潮もやり過ごした。大方の情勢としてはそういうことになり、やがて水は引いていくことは間違いないのかもしれない。だが周囲の運河や河川よりも低地であったり、水の通り道をブロックする施設等が存在したりすることから、排水がままならない地域が多いことであり、未曾有の大災害からの復興に対する資金の調達や個々の被災者たちへの救済をどうするかということもある。

    ここ数年、派手な衝突を繰り広げているタイの政争の最中に、極めて危険な爆発物が持ち込まれることになった。水が引いた後にも、タイ政界では大きな災いが待ち受けているに違いない。どうかそれが市民に飛び火しないことを願いたい。

  • ユニクロ 遠からずインドに出店

    一部では『2012年にもインド出店か?』という話もあったユニクロだが、ベトナム、インドネシア、オーストラリア、ニュージーランドなどと合わせて『3年以内の出店』を検討しているとのこと。

    目下、洪水の状況が気になるタイでは、今年9月にバンコクで一号店をオープンさせている。地元の日本、海外ではアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、シンガポール、中国等に続いて11か国目(香港は中国に含む)となる。

    インドについては商品のマーケットとしての店はもとより、製造拠点としても工場の選定に着手している模様。

    インドの街中で『同じ格好』をした人たちが溢れることになるかどうかはさておき『生産地インド』ならではの素材やデザインのアイテムが、インド国外の店舗に陳列される商品の中にも沢山加わることになれば、ちょっと嬉しい。

    ユニクロ、3年内にインドやベトナムに出店検討=柳井ファーストリテ会長 (MORNINGSTAR)

     

    ※『あとはアルナーチャル・プラデーシュが門戸を開けば・・・ 2』は後日掲載します。

  • 第12回 東京ディワリフェスタ西葛西

    報道チャンネルAajtakを見ていたら、ディーワーリーに欠かせない花火を沢山製造しているU.P.州のメーラトにて、材料となる火薬類の管理がずさんであることを背景に『これらを用いた強力な爆発物を準備した一味がいるらしいのでご用心を!』といったニュースが流れていた。真偽のほどはよくわからないが、楽しい祝祭の時期に何も起こらないことを願いたい。

    さて、場所は変わって東京。10月29日(土)の午前10時から午後6時まで、東京都葛飾区の西葛西にある西葛西新田6号公園にて、第12回東京ディワリフェスタ西葛西が開催される。

    今年の主だった屋外イベントの中では最後のほうということになる。少なくとも本格的な寒さが訪れる前、戸外で心地よく過ごすことができる催し物という意味では。ご家族友人と誘い合わせて出かけてみてはいかが?

     

    ※『あとはアルナーチャル・プラデーシュが門戸を開けば・・・ 2』は後日掲載します。

     

  • あとはアルナーチャル・プラデーシュが門戸を開けば・・・ 1

    2011年は、ナガランド、マニプル、ミゾラムの3州にて、従前は入域に際して外国人に義務付けられていたPAP (Protected Area Permit)、RAP (Restricted Area Permit)が暫定的に不要になっている。インド人も同様に必要であったILP (Inner Line Permit)も同様に要らなくなっているようだ。これは2011年末までの1年間に限った臨時的な措置ということになっている。

    3年ほど前にアルナーチャル・プラデーシュが近くなる?と題した記事で書いたとおり、近年は簡略化される傾向が認められていたものの、RAP取得にはいろいろ面倒な条件があった。かなり前から周到に準備しないと入ることができなかったし、複数の同行者が求められたり、現地のかなり高額なツアーに参加することが必要であったりもした。

    今はインドの他州と同じように普通に出入りできるアッサム、メーガーラヤ、トリプラー(一部に不穏な地域も抱えているが)の3州についても、かつてはオフリミットの地であった。それが90年代前半に先述の中央政府内務省からの特別な許可が不要となった。

    ここ数年の間に許可取得の条件が緩くなってきていたことから、ナガランド、マニプル、ミゾラムの3州への入域に関して、今回の暫定的な措置が今後も延長あるいは恒久的なものとなることを期待したい。

    この措置により、地域の観光業の振興が期待されているところである。もう何年も前からインド政府観光局はインド北東部の魅力を積極的にアピールしてきていたが、アッサム、メーガーラヤ、トリプラー以外の州については、入域に厳しい制限があることから、まさに絵に描いた餅といった具合であった。

    許可なしで簡単に入ることができるようになっても、肝心の観光資源のほうはどうなのかといえば、あまり華やかなものではないような気もするが、中国の雲南省やタイ北部のように山岳少数民族の存在自体が、観光業発展のための大きな力となるように思われる。

    ただしインド北東7州、俗にセブン・シスターズと呼ばれる地域(アッサム、メーガーラヤ、トリプラー、ナガランド、マニプル、ミゾラム、アルナーチャル・プラデーシュ)の中で、個人的には一番興味深いと思われるのは、やはりアルナーチャル・プラデーシュだろう。

    中国占領下のチベット(中国は『チベット自治区』を自称)に突き出す形で位置する、ブラフマプトラ河流域の低地から海抜4,000mを越える高地までを抱える、主にチベット・ビルマ語族から成る65もの(100以上という説もある)異なる部族が暮らす土地だ。

    同州西部にはチベット仏教を信仰する人たちが多く、タワン僧院という有名な寺院があることでも知られているが、いっぽう州東部には南方上座部仏教を信仰する人々が暮らしている。さほど広い地域ではないにもかかわらず、伝播したルートの異なるふたつの仏教が同居しているのは興味深い。その他の人々は土地ごとのアニミズムを信仰している。

    他の東北州と異なり、内政面での不安は少ないにも関わらず、未だに外国人ならびにインドのその他の地域の人々の入域が厳しく管理されている背景には、この地域が中国との係争地帯であるという現実がある。アルナーチャル・プラデーシュの人々に対して、中国がヴィザ無し入国(中国にしてみればアルナーチャルは自国領なので自国民の国内での移動という解釈ができる)を認めたり、同州議会選挙についてこれを否定する声明を出したりといった活動等により、『アルナーチャルは我が国固有の領土の一部』であると内外に主張を続けている。

    また中国占領下のチベットに大きく張り出している地理的な条件により、軍事的な要衝であるということも、たとえ観光目的であっても外部の人々を積極的に呼び込むのは容易でないという部分もあるのかもしれない。

    それでも先述のように、民族的にも文化的にも非常にバラエティ豊かな土地であり、気候条件も多様性に富んでいるため、もしアルナーチャル・プラデーシュが観光客に対してオープンになる日が来たならば、やや大げさな言い方をすれば、アジアの観光地図にひとつの国が新たに書き加えられたような効果をもたらすのではないかと、私は考えている。

    <続く>

  • 富士フィルム X10

    富士フィルム X10

    X100を彷彿させるフォルム

    今年の10月22日に、かなり気になるカメラが発売される。富士フィルムのX10である。3月に発売されたX100とよく似たフォルムだが、こちらは開放値明るめのF2、35mm換算で35mm相当の画角の単焦点モデルであるのに対して、X10は28mm~112mm相当の画角のズームレンズを搭載している。ズームレンズとしてはかなり明るいF2(広角側)~F2.8(望遠側)というのは魅力だ。またズームの機構自体も電動ではなく手動というのも使い勝手が良さそうに思える。

    半年ほど前にX100を購入して、描写性と使い勝手の良さにとても満足している私だが、35mm単焦点ということ自体が大きな魅力である反面、その画角がゆえに撮ることができないものもまた多いため、どこかに出かける際に基本的に荷物を極力持たないようにしている私にとっては、いろいろ思い悩むことも多いのだ。正直なところ、X100のズームレンズ版があったらなあ、とも感じていた。


    専用ケースとフードを装着した状態。実にカッコいい。

    そんなわけで、X10については『X100のズーム版か?』と期待したくなるところだが、ズームレンズ搭載にしては、X100と比較してボディが一回り小さいところからして容易に推測できるように、X100に使用されているセンサーはAPS-Cの大きさ(一部の高級機を除いた一般的なデジタル一眼レフで使われている)であるのに対して、X10は2/3インチのサイズ(コンパクトデジカメで用いられている)のものである。センサーのサイズの具体的な比較については、以下のサイトをご参照願いたい。

    撮像素子の大きさは性能と価格に直結(ガバサク談義)

    クラシカルなフォルム(好き嫌いはあることと思うが、趣味性の高いモノであることから、姿形への愛着も大切だ)、ちゃんと使えそうな光学ファインダーが搭載されていること、おそらく操作体系はX100を踏襲しているであろうことなど、かなり食指が動く気がするものの、センサーが小型であることはいかんともしがたいものがある・・・はず。

    フィルムに相当する部分のサイズがまったく違うため、小型センサーに共通して言えることだが、解像感やラティテュードに大きな開きがあるのは仕方のないことではある。それに感度を上げることによる画質の劣化も顕著なため、光量の少ない環境では使い辛くなる。

    逆にAPS-Cサイズ以上のセンサーであれば、とりわけ最近のモデルはISO1600やISO3200相当でも、充分使えるレベルになっているため、画質の劣化をあまり気にせずに感度をガンガン上げて撮ることができて楽なのだ。

    X10の場合は、他の多くのコンパクトデジカメと同様に手ブレ補正が付いているため、光の足りない環境ではこれを大いに活用して、可能な限り低い感度で撮るよう心掛けることになるだろう。

    そんなわけで、X10はX100のバリエーションのひとつではなく、まったく別のカテゴリーのカメラで、オリンパスのXZ-1あたりと競合するモデルということになる。28mm相当の単焦点モデルであるGR Digital(最近、新モデルⅣが発売された)に対して、『ズームレンズ搭載でGR的ながらもズームレンズ搭載しているモノ』として需要がかぶることと思う。

    そんなわけで、個人的にはちょっと拍子抜けではあるものの、日常的に使いやすい高品位なコンパクトデジカメを新たに購入しようという場合、非常に有力な選択肢になることは間違いない。私自身、正直なところX10は非常に欲しい。まだ実機に触れてみたことさえないものの、現状で知り得る情報だけでも、非常に魅力的なコンパクト機であることは明らかだ。日常でも旅先でも重宝するカメラ、そしてインドでどうだろう、この一台?として本日取り上げてみた。

    ところで、富士フィルムのデジタルカメラFINEPIXシリーズ中の『X』ブランドのモデル、X100、X10に続き、今後ミラーレス一眼も加わることになるようだ。同社はフォーサーズ規格の賛同企業であることから、目下フォーサーズといえばその発展型のマイクロフォーサーズが主流となっている現状、小型化に有利であることなどから、パナソニック、オリンパスに続き、マイクロフォーサーズ規格の機材を製造するメーカーとなる可能性が非常に高い。

    既存の規格に参入することになれば、ユーザーにとっては先行する2社のレンズを活用できるという利点(現状では両社ともそれほど豊富とはいえないが)がある。それ以上に魅力的かもしれないのは、マウントアダプターを介してMマウントのレンズを利用できることではないだろうか。

    マイクロフォーサーズに参入するというのは、あくまで巷で言われているだけのことで、今のところ富士フィルムが表明しているのは『ミラーレス一眼への参入』『X100よりも少し大型』ということのみだが、それこそ唯一無二で、魅力的なカメラが出てくることを期待している。

    マイクロフォーサーズ規格の『デジタル一眼』を製造しているパナソニックとオリンパスは、モデルチェンジを重ねるごとに大胆な小型化を推進しており、デジタル一眼とコンパクトデジカメの境界が曖昧になりつつあるくらいだが、富士フィルムのXシリーズから出てくることになるミラーレス一眼は、先行メーカーのモデルとは大きく異なるクラシックかつ本格派な骨太路線を歩むことになりそうだ。

    Xシリーズは、X100、X10ともに日本製だ。おそらく今後出てくるモデルもそうだろう。『MADE IN JAPAN』ならではの違いがそこにある・・・と思う。

    X100同様にX10もMADE IN JAPAN