鮮度が命!2 標準化はエコノミーなホテルの宿命?

サダル・ストリートで新築のホテルを利用する直前、私はまさにその標準化の最中にあるホテルを利用する機会があった。同じ西ベンガル州内である。

バスで移動していたら思いのほか時間がかってしまい、終点の田舎町に着いたときはすでに日没となった。同日中にたどり着くつもりでいた目的地へは、ここで他のバスに乗り継ぐ必要がある。でも疲れていたし、バススタンド正面に新しそうなホテルが目に入った。ここで一泊して明朝早く出ることにした。日々沢山のクルマやバスなどが行き来する通りに面しているため、ややすすけた感じはするが、かなり新しい建物ではあるようだ。

グラウンドフロアーのレセプションで、ひょろりとした体をカウンターに預けている男はここのマネージャー。突然訪れたお客のために、テレビで放映されているクリケット中継から目を離すのが惜しくて仕方ないといった様子で、試合を注視する他の従業員たちが声を上げるたびに、チラチラと未練がましく画面に視線を走らせる。

ここは開業してから4カ月という。室内には姿見の大きな鏡、ベッドの横には大きな丸いガラステーブルが置かれており、まだそう遠い過去のことではない創業時の熱き思いがしのばれる。

だが鏡はこれまでの宿泊客たちが残していった手垢や抜いたヒゲ(?)のような毛髪、女性が額に付けるビンディー、歯磨きの飛沫かと思われる白っぽい斑点などの付着が確認できる。ガラステーブルには、これまたチャーイやカレー汁のこぼしたような跡がいくつも見られる。いずれテーブルの周囲が何らかの原因で少しずつ欠けてきて、鋭い断面をお客に向けるようになってくるのだろう。

ベッドシーツはすでに幾度か使ってあるものをただ敷きなおしたようだが、私がチェックアウトした後も、まだ何日か使い続けるのだろうか。窓の桟にキッチリ詰まったホコリは「4カ月分溜まってるよ!」と静かに自己主張している。

ところで「標準化」の効果が最も表れやすいのは、やはり水まわりである。浴室内はすでに壁も床もかなり蓄積されているものがある。便器のデザインが新しいことを除けば、すでに10年選手であるかのような貫禄だ。

テレビを点けてみた。ザアザアと画面が流れ、ノイズをたっぷり含んだニュース番組はいったい何を報道しているのかよくわからない。いくつかチャンネルを切り替えてみて、比較的映りが良いのは子供向けのアニメ。ついにあきらめて電源を切った。

室内をよく観察してみて気がついたことがある。水周りの劣化が早いと先に触れたが、標準化の進み具合が早いのは、やはり宿泊客が直に触れる頻度の高いところからなのだ。ベッドに横たわると、いまだピカピカの天井やファンが目に入る。棚の物入れを開いてみれば、まだ新しい木の匂いがした。

エコノミーな宿がすぐにボロくなってしまうのは、メンテナンスの欠如だけではなく、それを利用する人たちのモラルにもあるという気がしてきた。私自身、安い宿だからとぞんざいな扱いをしていないだろうか。そんな利用者たちが来るのだから、そんなに精根つめて手入れする必要ないじゃないか・・・というつぶやきが聞こえてきそうでもある。

このホテルは町の真ん中、それも日々大勢の人々が行き来するバススタンド正面にあるのだから、放っておいてもお客は大勢やってくるのだろう。

結局のところ、この「標準化」とは宿泊施設と利用者側双方のニーズの擦り合わせる過程なのだ。ハタ目にはただの惰性にしか見えなくても、やがてホテルが求める料金とそれにかかるコストと労力、お客が求める質と料金帯が合致するところにちゃんと落ち着くのだから、面白い。
それを思えば、やっぱりエコノミーな宿は鮮度が命!と常々私は思うのである。

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