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カテゴリー: column

  • 暴力以外のアフガニスタン報道

    アフガニスタンに関するニュースといえば、戦争やテロといったネガティヴなニュースが大半を占めているが、なんだかホッとする記事を見かけた。

    Ten facts you may not know about Afghanistan (BBC NEWS SOUTH ASIA)

    ブズカシの競技の様子を伝えるビデオ、携帯電話の普及、マッチョな気質とは裏腹に詩をたしなむ文化と豊かな食の世界、世界最古の油絵が描かれた国・・・といった事柄が簡潔にまとめられている。

    インド世界のすぐ外側にありながらも、かつて西欧のバックパッカーたちがこぞって訪れた観光地としての過去とは裏腹に、ずいぶん距離感をおぼえる国だ。

    上記リンク先の記事の内容をカバーした番組が7月6日にBBCで放送されたようである。これからもまだまだ混乱は続くようではあるが、一日も早く市井に生きる普通の人々の顔が見える、もっと身近な国となることを祈りたい。

  • Trains at a Glance 2011年7月改定版

    日々が過ぎ去っていくのは早いもので、2011年もすでに半分以上が終わってしまった。インドにおいて7月は鉄道時刻表改定の時期だ。例年のごとく国鉄のウェブサイトにこれがPDF形式でアップロードされている。

    Trains at a Glance (July 2011 – June 2012)

    なお今年5月から7月までの夏季特別列車の時刻表も閲覧できる。

    All India Summer Specials Time Table (April-July2011)

    インターネットでの鉄道予約といい、ウェブで閲覧できる時刻表といい、かつて列車の予約が大仕事だった時代がまるでウソのようだ。

     

  • ゴアのDempo S.C.にアリエル・オルテガ加入か?

    ゴアのDempo S.C.にアリエル・オルテガ加入か?

    アリエル・オルテガ

    サッカーの話題である。

    インドのI-LeagueDempo S.Cが元アルゼンチン代表のアリエル・オルテガ獲得に向けて交渉中であるとのことだ。成功すればI-Leagueにおける空前のビッグネームが加入することになる。

    Dempo SC in talks with Argentina international Ariel Ortega (goal.com)

    オルテガといえば、『マラドーナ後』のアルゼンチンのナショナルチームのMF陣を代表する選手であった。小柄ながらも爆発的なスピードと変幻自在のテクニックを兼ね備えた天才的ドリブラー(同時にボールを持ちすぎる選手という印象も強い)として知られてきた。

    祖国アルゼンチンのリバープレートを振り出しに、スペインやイタリア等の名門チームを渡り歩いてきた彼もすでに37歳。すっかり盛りは過ぎてはいるものの、彼の華麗なプレーはインドのサッカーファンたち(地域的に限られているが)を魅了するだろう。

    こうした非常に高いレベルの中盤選手のイマジネーション豊かなプレーは、サッカーというスポーツの面白さや醍醐味を、インドのそれとはまだ縁遠い人々へと伝える大きな力となり得る。

    ただ気がかりなのはチームのグッズ販売収入の20%前後を求めていることが交渉の上でネックになっているとのことで、本当に加入へと事が運ぶのかどうかは今のところ不明。

    またこれまで幾度も所属クラブのマネジメントと衝突したり、試合のフィールドでもトラブルをしばしば起こしたりしている、なかなかの暴れん坊だ。サッカー新興国・・・というよりも、それ以前の段階にあるI-Leagueのクラブが、果たしてオルテガをうまく手なずけることができるのかどうか?という不安もある。

    オルテガ自身にとっては、もしDempo S.C.に加入することになれば年齢的におそらく彼のサッカー人生をそこで終えることになるだろうが、この移籍話が実現すれば、Dempo S.C. はもとより、I-Leagueやそのファンたちに対するとても素敵な贈り物ということにもなる。J League草創期に鹿島アントラーズでプレーしたブラジルのジーコのことをふと思い出した。

    ぜひ話がうまくまとまることを期待したい。

    Ariel “El Burrito” Ortega (Youtube)

     

     

  • テロリズムの種

    テロリズムの種

    このところいくつかベンガル関係ネタが続いた。そのついでにベンガルを舞台にした映画について取り上げてみることにする。

    アーシュトーシュ・ゴーワーリカル監督の映画『Khelein Hum Jee Jaan Sey』(生死の狭間で)は半年以上前に公開された作品であるが、遅ればせながらこの映画について思ったことを綴ってみたい。

    この映画は1930年にチッタゴン(現バーングラーデーシュ東部の港町)で実際に起きた武装蜂起事件を題材にしたものである。

    反英革命を夢見る活動家集団に、サッカーに興じるグラウンドが英軍のキャンプ地として収用されてしまったことに不満を抱く少年たち等が加わり訓練を施された。少年たちは資金調達にも協力している。

    彼らはわずかな武器類を手に、夜陰に紛れて軍施設、英国人クラブ、鉄道、電報局等を襲撃する計画を実行に移す。軍施設でも武器庫に押し入ったものの、弾薬類がどこに保管されているのかわからず、その晩は聖金曜日であったため、クラブから英国人たちは早々に帰宅してしまっており肩すかしを食うこととなった。

    そのため現地駐在の英国の植民地官僚や家族などを人質にして、軍施設から奪った武器弾薬類で革命を拡大させていくという目論見は大きく外れる。事件勃発直後にすぐさま反撃に出た英軍(もちろん幹部を除いて大半の指揮官や兵士は同じインド人たちである)を前に貧弱な装備のままで蜂起グループは敗走することになる。近代的で豊富な軍備を持つ軍により、メンバーは次々に殺害・拘束されていき、蜂起の首領たちは潜伏先で軍に生け捕りにされる。

    蜂起に加わった一味は、裁判にて流刑、首謀者たちは死刑を宣告される。チッタゴン中央刑務所に収容された蜂起のスルジャー・セーンと革命の同志は、ある未明に刑務所内の処刑場に連行されて絞首刑に・・・といった筋書である。

    ヒンディー語による作品であるが、舞台がベンガル地方であるため、ところどころベンガル語による会話が挿入されたり、登場人物や地名等の発音がベンガル風になっていたりして、それらしきムードを醸し出すようになっている。

    アビシェーク・バッチャン演じる主役の元高校教師の革命家スルジャー・セーンは、映画では触れられていなかったが国民会議派の活動家としての経験もある。1918年にインド国民会議派のチッタゴン地域のトップに選出されたこともあり、なかなかのやり手だったのだろう。ベンガル地方東部の田舎町を拠点にしていたとはいえ、後世から見たインドの民族運動の本流にいたことになる。

    だがその後、思想的に先鋭化していった彼は武闘路線を歩んでいくこととなる。1923年にベンガル地方の主にヒンドゥー教徒たちから成る革命武闘集団、ユガンタール党のオーガナイザーのひとりでもあり、地元チッタゴン支部で活動しており、この映画で描かれた1930年4月に発生したチッタゴン蜂起の首謀者となった。

    インドの記念切手

    ちなみにインドでスルジャー・セーンは、1978年に記念切手に描かれたことがあり、バーングラーデーシュでも彼の生誕105周年にあたる1999年に記念切手が発行されている。

    時代物の映画はけっこう好きなのだが、こうした愛国的な内容のものとなると、そこにはやはり制作者と『国家意識』のようなものが色濃く反映されることになるため、第三者の私のような者が鑑賞すると咀嚼しきれないものがある。

    舞台設定のすべてが史実に基づいているのかどうかはよくわからないのだが、年端の行かない10代の少年たちを巻き込んで、軍駐屯地を襲撃して奪った武器弾薬をもとに革命を拡大させるという、あまりに稚拙な計画といい、聖金曜日を知らないという無知さ加減といい、天下を取ることを企図していたにしては、あまりにお粗末である。

    それはともかく、絞首台に上ったスルジャー・セーンの目には、刑務所の建物に翻るインドの三色旗の幻が描かれているが、1947年に東パーキスターンとしてインドから分離独立、そして1971年にパーキスターンから独立して現在のバーングラーデーシュが成立している。つまりスルジャー・セーンと彼の仲間たちが闘ったその地に、結局インドの三色旗が翻ることはなかった。

    もちろん後の東パーキスターンとしての独立にも彼らの活動が寄与したとはいえず、反英闘争の中で儚くも志半ばにして消え去った革命の無残な失敗例である。ただし現在は外国となっている東の隣国で、かつてインド独立を夢見て闘争を展開した『同朋』たちを描き、印パ分離の不条理を訴えたものという見方はできるかもしれない。

    だがスルジャー・セーンという人物自体、英雄視されるにはちょっと疑問符の付く人物ではある。そのため武闘路線に走る性急な過激派のボスとそれに引きずり込まれていく無垢な若者たちという具合に見えてしまう。時代と思想背景は違っても、カシミール、パーキスターンその他でテロに走る若者たちが、そうした道を歩んでしまう背景にも、こうした『テロの種を蒔く』似たようなメカニズムがあることと思う。

    作品中でスルジャー・セーンは善人として描写されているため、これは制作者の意図しているものではないであろうが、この革命家の抱く大義を普遍的な英雄的行為として捉えることは難しい。

    この映画を観た結果、どうも消化不良なので、この映画の原作となった本『Do and Die: The Chittagong Uprising: 1930-34』(Manini Chatterjee著)を読んでみたいと思っている。

    蛇足ながら、作品中に少し出てくる鉄道から眺めたこの時代のチッタゴンについて少々興味深い点がある。下の鉄道路線図(1931年当時)が示すとおり、現在のインドのアッサムから海港チッタゴンをダイレクトに結ぶ旧アッサム・ベンガル鉄道会社によるメーターゲージの路線が走っており、経済・流通の関係では今のインド北東部との繋がりの深い地域であった。そのため印パ分離による経済面での不都合はアッサム・東ベンガル(現バーングラーデーシュ)双方にとって大きなものであることがうかがえる。

     

    1931年当時のベンガル地方の鉄道路線

     

     

    バーングラーデーシュ国鉄本社は首都ではなくチッタゴンに置かれており、現在の同国鉄路線図の示すとおり、国土の東側はメーターゲージで、西側は分離前にコールカーターを中心としてネットワークを広げていたブロードゲージがカバーする形になっている。

    バーングラーデーシュ国鉄路線図

    歴史的に異なる幅の軌道が混在していたインドでは、近年インド国鉄の努力により総体的にブロードゲージ化が進んできている。それとは逆にバーングラーデーシュではブロードゲージの路線にメーターゲージの車両が走行できるように『デュアルゲージ化』を進めてきた。ブロードゲージの軌道の中にもう一本レールを敷いて、メーターゲージの列車が走行できるようにしてあるのだ。

    バーングラーデーシュ側では、メーターゲージ路線の距離数のほうが多く、また資金面でも費用のかかるブロードゲージ化で統一することは困難であること、ブロードゲージのインド側から貨物列車で石材等の資材輸入等といった事情があるようだが、ゲージ幅の違いを克服するために両国でそれぞれ異なるアプローチがなされているのは面白い。

  • タイ 下院総選挙迫る

    タイ 下院総選挙迫る

    投票日を7月3日に控えたタイの下院総選挙。前評判では海外に滞在しているタクシン元首相が操るタイ貢献党が現在の与党の民主党をわずかにリードしているとのことで、再び政権交代ということになるのだろうか。辛くも民主党が持ちこたえたとしても、今後の政局はかなり苦しいものとなるとの見込み。

    2008年の黄色いシャツがシンボルの反タクシン派であるPAD(People’s Alliance for Democracy民主市民連合)によるバンコクの空港占拠、2010年に起きたそれと逆の立場の赤シャツがトレードマークのタクシン派UDD(National United Front of Democracy Against Dictatorship反独裁民主戦線)がバンコク市内で繰り広げた大規模なデモ活動とそれに対する政府側の弾圧といった非常に大きな出来事は記憶に新しいところだ。

    まさにそれらふたつの対立する勢力が真っ向から衝突するのが今回の選挙だが、結果はどうあれ国民和解への道のりは遠いものと思われる。

    カッコいいアピシット首相

    それはさておき、ハンサムな風貌で知られるアピシット首相はもとより、勝てばタイ初の女性首相となるインラック・チナワット氏(タクシン元首相の妹)もまた相当な美人。おかげでタイの政治にまったく興味関心のない筋からも注目されている今回の総選挙のようである。

    美貌のインラック・チナワット氏
    インラック氏(右)と並んで写る妹のピントンガ氏もまた大変な美人
  • ブータンのロイヤル・ウェディング

    ブータンのロイヤル・ウェディング

    ブータン国王と婚約者のジェツン・ペマさん

    今年4月29日にイギリスで行われたウィリアム王子とケイト・ミドルトンさんの結婚式は、国外にも広く放送されて注目を浴びたが、インド亜大陸北部のヒマラヤの王国ブータンでも今年10月にロイヤル・ウェディングが予定されている。

    2008年6月に父君の退位に伴い王位に就いた現在31歳のジグメ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク国王が選んだお相手は、王族・貴族ではない民間人のジェツン・ペマさん。イギリスのリージェント・カレッジで学ぶ前には、インドのヒマーチャル・プラデーシュ州のヒルステーション、カサウリー近くにあるローレンス・スクール・サナーワル、その前には西ベンガル州のカリンポンのミッション・スクールで学ぶなど、インドとの縁も深い女性だ。

    残念ながら結婚式の様子をテレビで拝見する機会はなさそうだが、2008年から立憲君主制に移行した新しいブータンの顔として、今後も注目していきたい。

    His Majesty announces Royal Wedding (bhutanjournals.com)

  • 虫屋台

    虫屋台

    久しぶりにバンコクのカオサン通りに来てみた。

    特にここで何か用事があるわけではない。だが一時滞在の外国人という流動的かつ季節や時勢によって大きく増減するお客を相手に、これまた多くはこの場所において一時滞在的なタイ人その他の商売人たちが、様々な工夫を凝らした仕事をしているのを見物するのが楽しい。

    もちろん昔からずっと同じ場所にて家族で商っている人たちもあるのだが、そうした人たちは少数派である。そもそもカオサン通りは1980年代以前までは米穀類の問屋街であり、目と鼻の先には王宮その他バンコクの観光名所が目白押しというロケーションに目を付けた現地女性が、外国人向けの民宿を始めたのがそもそもの始まりであったという。その後は次から次へと安宿、飲食店、旅行代理店その他の旅行者向けの商売をする人たちがこの通りを占めるようになった。

    バンコクの繁華街どこでもそうだが、カオサンもとりわけ流行り廃りは早い。いつ訪れても雰囲気は同じようでも、お店はずいぶん入れ替わっていることに気がつく。視界を遮るものが多く、雑然としているためそうとは気付かなかったりするのだが、いつの間にかビルが丸ごと建て替わっていたりもする。

    カオサンに高級な感じのリゾートホテルが出来ていた。泊まるならば、このホテル余りのバンコクではけっこういいところが安く出ていたりするので、市内のまともなところに宿泊したほうがいいと思うのだが。とりあえず何でも手近に揃うというメリットがあるので、利用する人は案外少なくないのかもしれない。

    昨年の同時期に見かけたアップル製品の専門店は姿を消していた。iPhone, iPad, iPhone, そしてアップルのノートパソコン等が展示されていて、店内ににはそこそこ人が入っていたものの、やはりバックパッカーのゾーンにアップル製品は高価格過ぎたのだろうか。

    カオサンでは昔からタトゥー屋はあったが、それらがずいぶん増えていることに改めて気付かされる。いろいろなデザインのサンプルを手にして、旅行者たちに手当たり次第に声をかける男たちがいる。それほどタトゥーが西洋人の若者たちの間で一般化しているということだろうか。もちろん日本人の間でもそうした傾向はあるのだが。

    何の屋台かと思えば昆虫専門

    食べ物や飲み物等の様々な屋台が出ているカオサン通りだが、夕方になると昆虫専門屋台も出ている。飼育用ではなくすべて食用で、すでに調理済みだ。タイでもイサーン(東北)地方ではもともと昆虫を食用とする例は多いが、もちろんここでは好奇心旺盛な外国人たちが顧客である。

    イナゴ
    タガメ、甲虫、何かの幼虫

    タガメ、何かの幼虫、甲虫、イナゴなどいろいろあるが、すべて素揚げになっている。極め付きはサソリである。けっこう大きなサソリが他の虫と同じように揚げてあり、黒々テカテカと光っている。写真を撮りに寄ってくる人も多く注目度は抜群。

    サソリの姿揚げ

    見た目はグロテスクだが、調理しているのはタイ人なので、試してみると案外美味なのではないかと思う。だが私自身は、昆虫を口にすることに対してとても抵抗感があるのでやめておく。

    いい商売になるかどうかはさておき、西洋人のバックパッカーたちの中で、これらをトライする人は少なくない。仲間や彼女の前で豪胆なところを見せてやろうといった気負った感じの若い男性が多いようだ。あるいは酔った勢いでといったところだろうか。もちろんこれらを「旨いから食べたい」という動機を持つ者はまずいないので、当然そういう具合になる。

    サソリを食べて「醤油の味しかしないなあ」などと仲間に言う者、ビールを片手にイナゴをつまむ者・・・。だが1, 2回ほど齧ってみれば、それで満足してしまい、習慣的にこれら好んで食すリピーターはほぼ皆無だと思う。カオサン通り彼らの顧客はタイでの定住者ではなく一時滞在者なので、次から次へと新たにこの場所にやってくるため、商機は無尽蔵である。

    ある意味『コロンブスの卵』のようなものかもしれない。こうした屋台が外国人たち相手に売れるはずがないと思うのがごく当たり前のところだ。だが近ごろは食に対してオープンな人たちが増えているのか、あるいは単に客層が好奇心に溢れる若い世代が大半であるためかもしれない。屋台のお兄さんは『案外売れているぞ』と手応えを感じているのではなかろうか。

    かといってこれが大当たりすることもなさそうなので、お客が飽きてきたらさっさと違う品物を売り始めるに違いない。カオサン通りに出入りする商売人たちは、様々なアイデアと機知でいろいろ試行錯誤している。彼らのフットワークの軽さが面白い。

  • バーングラーデーシュの旅行案内書

    バーングラーデーシュの旅行案内書

    地球の歩き方 バングラデシュ

    日本の出版社から出ているバーングラーデーシュのガイドブックといえば、旅行人の『ウルトラガイド バングラデシュ』くらいかと思っていたが、昨年10月に地球の歩き方から『バングラデシュ』が出ていることに今さらながら気がついた。

    近年、日本からアパレル産業を中心に企業の進出が盛んになってきているとともに、同国首都ダーカーに旅行代理店H.I.S.が支店をオープンさせるなど、観光の分野でも一部で注目を集めるようになってきているようだ。

    すぐ隣に偉大なインドがあるため、観光地としてクロースアップされる機会が少なく、存在すら霞んでしまう観のある同国だが、なかなかどうして見どころは豊富である。

    もちろんここがインドの一部であれば訪れる人は今よりも多かったことだろう。またインドとの間のアクセスは空路・陸路ともに本数は多く、両国の人々以外の第三国の人間である私たちが越えることのできる国境も複数あるため、行き来は決して不便というわけではない。

    だがインドのヴィザに近年導入された『2ケ月ルール』のため、インド東部に来たところで『ふと思い立ってバーングラーデーシュに行く』ことが難しくなってしまっている。インド入国前のヴィザ申請の時点で、隣国への出入国を決めておかなくてはならなくなったからだ。

    だからといって西ベンガル、アッサムその他インド東部まで来て、この実り豊かな麗しの大地を訪れないというのはもったいない話だ。

    インドでも西ベンガル州で親日家、知日家と出会う機会は少なくないが、ことバーングラーデーシュにおいては、日本のバブル時代に出稼ぎに行った経験のある人々が多いこと、日本のODAその他の積極的な援助活動のためもあってか、日本という国に対して好感を抱いてくれている人たちがとても多いようだ。

    それはともかく、歴史的にも地理的にも、『インド東部』の一角を成してきた『ベンガル地方』の東部地域だ。南側に開けた海岸線を除き、西・北・東の三方を東インド各州に囲まれ、本来ならばこれらのエリアとの往来の要衝であったはずでもある。

    またこの国の将来的な発展のためには、圧倒的に巨大な隣国インドとの活発な交流が欠かせない。同時にインドにとっても、人口1億5千万超という巨大な市場は魅力的だし、この国の背後にあるインド北東諸州の安定的な発展のためには、ベンガル東部を占めるこの国との良好な関係が不可欠である。もちろん今でも両国間の人やモノの行き来は盛んであるのだが、それぞれの国内事情もあり、決して相思相愛の仲というわけではない。

    イスラームやヒンドゥーの様々なテラコッタ建築、仏蹟、少数民族の居住地域、マングローブ等々、数々の魅力的な観光資源を有しながらも、知名度が低く訪れる人も多くない現況は、『インド世界』にありながらも『インド国内ではない』 がゆえのことだ。

    日本語のガイドブックが出たからといって、訪問者が急増するとは思えないものの、やはり何かのきっかけにはなるはず。今後、必ずや様々な方面で『バーングラーデーシュのファン』が少しずつ増えてくるように思われる。

  • バングラデシュフェスティバル2011

    今年も『バングラデシュフェスティバル』が開催される。

    会期は6月18日(土)と19日(日)のそれぞれ午前10時から午後8時まで。場所は東京都渋谷区の代々木公園だ。プログラムはこちらをご参照願いたい。

    1947年にインドから東西パーキスターンが分離独立した後、そのパーキスターンからバーングラーデーシュとして独立を達成したのが1971年。今年は記念すべき40周年目にあたる。

    隣国インドの陰に隠れてしまい、スポットライトを浴びる機会が少ない国ではあるが、それでも近ごろは労働力豊かな新たな投資先として、また1億5千万を超える膨大な人口(世界第8位!)を擁する市場としても注目されるようになってきているところだ。

    そうした動きも背景にあってか、同国を日本語で紹介するサイトも出てきている。

    banglanavi.com

    梅雨の時期のため天気が気になるところではあるが、両日とも盛況となることを願いたい。

  • エア・インディアのスターアライアンス加盟は?

    エア・インディアがスターアライアンス加盟を目指すという話を初めて耳にしたのは4年近くも前のこと。

    AIR INDIA TO JOIN STAR ALLIANCE (Air India)

    本来ならば昨年中に加盟がなされるはずのところ、具体的なアナウンスメントもなく、すっかり忘れかけていた。だがここにきて再びそうした話が今も進行中であることを思い出させる記事を目にしている。

    Air India’s promotional fares a hit: records upto 85 % seat factor. Also Air India all set to join Star Alliance (Air India)

    Star gives Air India July 31 deadline to meet entry requirements (ATW)

    今年7月一杯が期限とのことで、舞台はいよいよ大詰めを迎えようとしているものの、同社のウェブサイトで何かしらの案内がなされているわけでもない。

    さて、どうなっているのだろう?

     

  • ヤンゴンの書店

    ヤンゴンのアーロン・ロードとバホー・ロードの交差点脇NANDAWUNという店がある。主にこの国の工芸品を販売する店だが、その店舗の最上階にはミャンマーに関する図書のコーナーがある。

    決して広くはないフロアーの一角がそうした書籍の販売に充てられているだけなので、つい見落としてしまいそうだが、ところがどうしてなかなか面白い本も見つかる。

    20世紀初頭の英字紙ラングーン・タイムスのクリスマス特集複数年分を収めた複製本、1863年に­­­ボンベイに設立された英資本の会社で、チーク材や茶葉等の貿易を行なったボンベイ・ビルマ貿易会社の社史など、なかなかレアで興味深い(関心があれば・・・)図書があるし、その他歴史的な書籍の復刻版なども置かれている。聞けば、経営者は元国立図書館の館長さんとのことで「なるほど」と納得。

    ただしごく一般的な旅行案内書や写真集といった一般書も書棚に並んでいるため、正直なところ玉石混淆という観は否めないものの、ヤンゴンでは他にこうした書店が見当たらないため、印緬関係史に多少なりとも興味があれば、興味深い書籍がいくつか見つかることだろう。最も貴重な書籍はカギのかかった書棚におさめられており、閲覧のみ可能ということになっているが。

    NANDAWUNで販売している民芸品類は、ややアップマーケットな値段が付いているが、品揃え充実しているし質も高いものが多い。ミャンマーを訪問される際、ヤンゴンから飛び立つ前に立ち寄ってみるといいかもしれない。

    敷地内に独立した書店も経営しているが、そちらで扱っているのは英語の雑誌とビルマ語の実用書のみ。こちらは特に見るべきものはないので、お間違いのないように。

  • 早朝の散歩

    早朝の散歩

    こんな建物がまだまだ多く残されている

    早朝のヤンゴンのダウンタウンを散策。英領時代の都心であったこの地域では、今も当時の建物が多く残っている。朝6時を回ったところだ。まだ多くの店は閉ざされたままだが、路上に行き交う人々は少なくない。

    すでに路上には様々な食べ物屋が出ている。路上では南インド系の女性がマサーラー・ドーサーを焼いている。歩道上の茶屋の椅子には人々が集っている。インド人地区だが、その中で多数派を占めるのはインド系ムスリムだ。

    マハーラーシュトラやベンガル等、それぞれの出自ごとのモスクがある。そうした中で決して数は多くないものの、イラン系の人々も混住しており、彼らは父祖の言葉ペルシャ語は失っていても、この地域のムスリムの共通語ないしは身に付けるべき当然の教養として、ウルドゥー語を理解するのは『ノルマ』のようなものらしい。

    大樹のたもとの祠

    ヒンドゥーの寺も複数あるが、大樹の下にこんな祠もある。霊験あらたかなのかどうか知らないが、結構参拝している人たちがあり、なかなかキレイに手入れしてあるようだ。

    中国寺院入口

    インド人地区を少し越えると中華街になっている。中国寺院もいくつかあるが、その中のひとつにはこんな文章が掲げられていた。日本軍のビルマ侵攻時代の当地華僑たちの受難について触れられている。

    日本軍侵攻時の華僑の受難

    路地では菓子類、野菜、果物、肉類に魚介類とあらゆるものが販売されている。大地の豊かな恵みに富むデルタ地帯はここから近い。

    中華菓子?なのか知らないがド派手なお菓子
    さまざまな魚介類
    カエルたちもまた食材

    周りを見渡してみると、営業を 開始している店が多くなってきている。だんだんと気温も上がってきた。宿に戻って朝食を取ることにする。