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  • 旧くて新しいホテル1

    インドでホテルといっても様々なタイプがあるが、かつて中級クラス以上のところは一部の例外を除けば、概ね洋風の宿泊施設が一般的であった。料金帯により建物、室内、接客その他サービス等のグレードが変わっていき、個人所有から大きなホテルチェーンが運営するものまで、経営母体は様々ではあるものの、宿泊施設としてはあまり特徴のあるものは多くなかった。

    一部の例外的なタイプのホテルといえば、ヘリテージホテルということになるが、大別してふたつに分けられる。植民地時代から主にイギリス人を初めとする欧州系の顧客相手に営業を続けてきた由緒ある『コロニアルホテル』あるいはインド独立時に併合された旧藩王国の地域で、王族の宮殿を宿泊施設に改装した『宮殿ホテル』がそれらの代表格だろう。前者も後者もトップレベルのものは高級ホテルチェーンが運営を担っていることが多いが、それ以下は政府系の公社や小規模な民間業者が請け負っていたりといろいろで、前述の洋風の宿泊施設と運営形態は大差ない。

    『コロニアルホテル』には欧印折衷の植民地建築を後世になってから宿泊用に転用したものも含めてよいだろう。またダージリンやシムラーのようなヒルステーションでは、植民地期に欧州人クラブであった建物ないしは欧州人が建てさせた邸宅などが宿泊施設となっているものもある。だが『宮殿ホテル』においても、ほぼ洋館といった風情の建物も少なくないため、両者の境目は判然としない場合もあるだろう。

    細密画の手法が盛んであった時代には藩王その他の貴人たちの横顔が描かれていたものだが、インドにおいてイギリスの植民地化が進むに従い植民地当局の庇護下に入ると、写真技術が伝わったこともあり、近代に入ったあたりでは肖像画が正面から描かれるようになるなど、西洋の影響が大きくなった。建物や調度品等も同様で、ある時期以降は洋風のものが多くなっている。

    ともあれ、従前はこれら『コロニアルホテル』『宮殿ホテル』を除き、地域色を感じさせるものはあまり多くなかった。

    だが90年代からの高度経済成長とともに始まったインドの人々の間での『旅行ブーム』が起きた。以降、旅行という行動は一定以上の可処分所得のある人々の間で余暇の過ごし方のひとつとしてすっかり定着している。

    災害、テロなどが起きれば、たとえシーズンであってもサーッと潮が引くように姿を消してしまう外国人旅行客に比べて、景気の変動があったり、異常気象が続いても人出にあまり影響の出たりしない国内客が増えたことは、観光業の安定的な発展には好ましいことだ。そもそもベースとなる顧客数自体が大幅に増えたことは、観光関連産業の隆盛に大いに貢献し、ひいては旅行インフラの整備へと繋がったことは言うまでもない。

    宿泊施設の数は増え、訪れる人々のタイプや好みも多様化する中で、それぞれの土地ならではの『ご当地ホテル』が次々に出てくるのはごくもっともなことであり、今後もそうした流れは続くことだろう。

    例えばゴアのパナジでは、ポルトガル時代に建てられた南欧風建築が次々に壊されて味気ない今風の建物に置き換わっているのとは裏腹に、それらをホテルやペンションに転用する例もまた増えている。

    もっともこれは建物のタイプは異なるものの、旧植民地家屋という意味で、先に挙げたヒルステーションに点在する英国的な建築物から転用されたものと性格は共通するものがある。ゴアの外から来た人たちにとっては、ポルトガル風建築自体が普段馴染みのないエキゾチックなものであることは間違いないが、これとてコロニアルホテルの一種ではある。

    <続く>

  • Netaji Subhas Chandra Bose: The Forgotten Hero

    Netaji Subhas Chandra Bose: The Forgotten Hero

    非常に遅ればせながら『Netaji Subhas Chandra Bose: The Forgotten Hero』をDVDで観た。公開されたらぜひ観たいと思っていたもののタイミングを逸し、その後は年月ばかり過ぎてしまっていた。ちょうど終戦記念日あたりということもあり「そういえば観てなかったな・・・」とこれを購入して、自宅で鑑賞してみることにした。

    今年12月には76歳の誕生日を迎える巨匠、シャーム・ベネガル監督が手がけた映画だ。彼の比較的最近の作品では『Well Done Abba! (2009年)』『Zubeidaa (2001年)』等があるが、昔から『Ankur (1974年)』『Nishaant (1975) 』等々で海外からも高い評価を受けてきた。個人的には『Mandi (1983年)』と『Trikal (1985年)』にとても感銘を受けた。とりわけ後者は、映画の制作国を問わず私が最も好きな映画のひとつである。

    音楽を担当しているのもA. R. レヘマーンということ、4時間近い大作であることなどから、期待するものは大きかったが、公開時はもちろんのこと、DVDが発売されるようになってからも、特に理由はないのだがこの作品に触れることなく過ごしてきた。

    細かな部分では、主役のボースがビルマ(現ミャンマー)のラングーン(現ヤンゴン)でムガル最後の皇帝、バハードゥル・シャー・ザファルのダルガーに詣でる様子(当時彼はここを訪れたことになっているがインド政府の援助によって現地にダルガーが建設されたのは比較的最近のことであり、当事は存在していない)やビルマ人の習俗がベトナム風(?)になっていること等々、妙な部分は散見されるものの、映画としてはきちんとまとまっていた。

    イギリスの圧政への抵抗とそれに対する弾圧に対し得るのは武力であると確信したボースがガーンディーと袂を分かち、The Great Escapeとして知られるカルカッタ(現コールカーター)自宅軟禁下からの脱出劇と、それに続く精力的な活動が描かれている。

    カルカッタの自宅から忽然と姿を消して、アフガニスタンのカーブルへ、そしてドイツ、さらにはソ連を目指すものの、ドイツと同国が交戦に入ったことから断念した。その結果、日本、シンガポールへと移動し、マレー半島で日本に屈した英軍インド兵や現地在住インド系の人々からのボランティアを募り、INA(インド国民軍)を結成。日本軍とともにビルマ経由でインパールを目指し、さらに西進してデリーを目指そうという壮大な計画を実行に移した。

    そうした中で、INA内部での北インド系兵士に対する南インド系兵士(後者はマレー半島在住でボースの呼びかけに応じて参加した素人たちが多かった)の確執、INAを自軍の末端組織としてしか見ていない日本軍に対し、募っていくボースの不満と不信等々、要所を押さえて描いていてある。

    最後まで観てみて、ドキュメンタリー的なものとして観れば決して悪くない作品だと思った。しかし残念ながらそれ以上の印象はあまりない。今でもとりわけベンガル地方では『ネータージー』として慕われているスバーシュ・チャンドラー・ボースという人物の大きさが伝わってこないからだ。

    以前、『テロリズムの種』として取り上げてみたアーシュトーシュ・ゴーワーリカル監督の映画『Khelein Hum Jee Jaan Sey』同様に、独立の志士を取り上げた作品としては、いまひとつ不完全燃焼といった感じがする。

    ところで作品中では、彼がドイツ滞在中に秘書をしていたエミリーというオーストリア人女性と結婚して娘をもうけたことが描かれているが、そのボースの娘アニター・ボースは現在ドイツでアウグスブルグ大学経済学部教授となっている。

    彼女の写真を見ると、眼差しには父親の面影が濃く漂っているようだ。彼女には夫との間に子供が三人あり、アルン、クリシュナ、マーヤーと、インド風の名前を付けている。

    ガーンディーその他の人物や所属していた国民会議派との関係等から、ボースに対する評価については微妙な部分があるものの、インド近代史の中で燦然と輝く偉人の一人であることについては間違いない。

    晩年の彼が国外で指揮した武闘路線自体が、彼の母国の独立に対してどれほどの効果をもたらしたかについては様々な論のあるところであるが、敗走後に捕らえられた将兵たちを反逆罪で裁こうとする中での反英機運の昂揚は、イギリスによるインド支配に対する最後の一撃となったという間接的な側面を高く評価する向きもあるようだ。

    独立はともかく、INAに参加した人たち、その家族たちに対しては例えようもない直接的な影響を与えたことは間違いない。行軍や戦闘の中で、また日本軍とともに侵攻していったインパール作戦の失敗による敗走の中でおびただしい数の死者を出している。

    『安定した職場』として忠実に勤務してきた英軍が日本軍に負け、敗残兵として囚われの身になる中で、高邁な志というよりも、少しでもマシな待遇を求めてINAに参加した者、成り行きからそうせざるを得なくなった者は多かっただろうし、現地在住者の中から応召したインド系の若者たちは純粋に『自由なインド』を信じて、海の向こうの祖国からやってきた『偉い人』の後に付き従ったことだろう。

    ところで映画の主人公のネータージーが闇夜に紛れて脱出した自宅は現在、ネータージー・バワンとして公開されている。彼が寝起きした部屋が保存されているとともに、屋敷内の各部屋にはネータージーにまつわる数々の写真、ビデオ、身の回りの品々等が展示されている。多少なりとも関心があれば、カルカッタを訪れた際にはぜひ見学されることをお勧めしたい。ここでは彼にまつわる書籍やビデオ等も販売されている。これを運営するNetaji Research Bureauのウェブサイトでもそのごく一部を閲覧することはできる。

    彼の残した偉業の影には、今の私たちには見ることのできない甚大な犠牲者たちの姿がある。平和な今という時代に生まれたことに感謝するとともに、ネータージーという類まれな偉人と彼が率いたINAがインド近代史に与えた影響について静かに考えてみたい。

  • ロンリープラネットのガイドブックが変わる

    ロンリープラネットのガイドブックが変わる

    Lonely Planet India 第14版

    世界を旅行する人たちの間で長年親しまれてきたロンリープラネット社のガイドブック。広告類は一切掲載せず、中立的な情報を提供しており、いわば『旅行ジャーナリズム』的な存在は日本の同業者の間では見られないものだ。

    近年ではBBC(British Broadcasting Corporation)の子会社のBBCワールドワイドに買収されてからは、同社のウェブサイトで旅行情報の提供、ガイドブックの紹介と販売以外にもホテルやフライトの予約、旅行保険の販売といったサービスも提供するようになり、ガイドブック発行会社というよりも、旅行関係の総合サービス企業といった観を呈するようになってきている。

    さて、そのロンリープラネットのガイドブック。どこの国を対象とした案内書であっても、版を重ねるごとに情報が蓄積されていくことから、当然厚みも増していく。国土が広くて見所も多いインドや中国といったものとなると、それこそ辞書のように厚くなり、旅行先で日中持ち歩くのに邪魔になってくる。体格が良く、持ち歩く荷物も多い西洋人男性でさえも『この厚さはちょっとねぇ・・・』とボヤくほどになってしまっている。

    そんな中、ついにロンリープラネットのインドの旅行案内書に対してダイエットが敢行される。今年9月に版が切り替わるインドの案内書については、用紙が変更されるのだろうか。サイズや厚みは大差ないものの、重量は半分程度になるようだ。

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    旧版

    サイズ : 197mm x 128mm

    重量 : 0.98 kg

    版 : 第13版(2009年9月発行)

    ISBN: 9781741791518

    ページ数 : 1244 ページ (カラー28ページと地図256片を含む)

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    新版

    サイズ : 197mm x 128mm

    重量 : 0.5 kg

    版 : 第14版(2011年9月発行)

    ISBN : 9781741797800

    ページ数 : 1232ページ(カラーページ256ページと地図203 片を含む)

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    また、同社のインド案内書の初版が1981年に世に出て以来、初めて新版のページ数が減ることになる。現行の第13版が1244ページであるのに対して、第14版は1232ページだ。おそらくロンリープラネット社としても、旅行先で携行するガイドブックについて、重量もさることながら厚みについてもこのあたりが限界とわきまえたのだろうか。

    軽量化といえば、近年始まったPDFでの販売はなかなか好評のようだ。旅行先を短期で訪れる人ならば、必要なチャプターのみプリントアウト、長期旅行者の場合でもウェブ上あるいはUSBのストレージ等に保存しておき、必要に応じて印刷して使う、というやりかたが広まっている。第14版のPDFでの販売はすでに開始されているため、早速これをウェブ上で購入してみた。

    これまで、申し訳程度に挿入された観光地のカラー写真を除き、地図以外は黒い文字がズラズラと羅列されているだけであった紙面は、パッと見て感覚的に把握できるようにレイアウトされるようになる。内容もカラー刷りページが28ページから256ページに増え、ヴィジュアルになってきているとともに、従来は単色刷りだった本文だが、新しい版では二色刷りになり、ずいぶん見やすくなっている。

    巻頭の総合案内部分と巻末のインデックスは無料で公開されているので、参考までにご覧いただきたい。

    今回の刷新ぶりは各々の好みによるところではあるものの、概ね好感を持って迎えられるのではなかろうか。元々は安旅行者たちに愛用されてきたロンリープラネットといえども営利企業だ。今やバックパックを背負って長期旅行する若者たちだけを相手に商売しているわけではない。そもそもバックパッカーと呼ばれる旅行者たちの間においても、ひところのようにひたすら安くストイックな旅を志向する割合が高いわけでもなくなっているようだ。同社ガイドブックの長年に渡る旅行情報の蓄積は、世界を旅する人たちのあらゆる層から支持を集めている。

    日々デジタル化の進む今日の人々は、年齢を問わず以前よりも忙しくなってきているし、せっかちでよりクイックなソリューションを求めるようになってきている。これがガイドブック掲載内容のレイアウトに反映されるのは当然のことだろう。

    電子版として、前述のPDF以外にキンドル版も出ている。これらの普及もこれらを表示させるデバイスの進化や普及と低廉化とともに、売り上げ中に占める割合を高めていくことだろう。だが今のところは製本版+PDFのプリントアウトが圧倒的多数だ。やはりまだまだ紙という媒体におけるメリットが大きい。

    乱暴に扱っても読めなくなることはないし、必要があればその場でペンで書き込むことができる。またバッテリー残量を気にする必要もない。電子ブックリーダーと違い紙の書籍は、その内容を読むことを欲しない人にとっては何の価値もないため、盗難のリスクも少ない。

    この秋から書店で新しい表紙の『INDIA』ガイドブックを目にすることになる。ぜひお手元に一冊いかがだろう?

     

  • お盆はインドフェスティバル2011

    9月24日(土)と25日(日)に『ナマステ・インディア2011』の開催が予定されている代々木公園で、8月13日(土)と14日(日)に『インドフェスティバル2011』が行なわれる。ちょうどお盆の暑い盛りの屋外イベントであるため、くれぐれも日射病にはご注意を。

     

  • Tourist Visa on Arrival

    過日、導入から1年半以上経過したTourist Visa on Arrivalの制度を初めて利用してみた。現在、観光、友人や親戚訪問といった目的でインドを訪問する日本、フィンランド、ニュージーランドその他11か国の人々がデリー、コールカーター、ムンバイー、チェンナイのいずれかから空路にて入国する場合に限って利用できる。(対象となる国籍の人間であっても、パーキスターン出身あるいは在住者であったり、身内にパーキスターン国籍あるいは出身者がいたりするとこれを利用不可)

    1日にどのくらいの人たちがこれを利用して空港でヴィザ取得をしているのかは定かではない。申請カウンターに人が並んでいたらかなり待たされるであろうと思い、インド行きのフライトのチェックインの際に『出口に可能な限り近い席を』と頼んでおいた。

    加えて目的地の空港に到着して、他の乗客たちとターミナルビルの中に足を踏み入れた際、早足で人々を次々追い抜いていったため、VOAのカウンターに着いたときには、今回2人で訪問している私たち以外には誰もいなかった。

    渡された申請書を手早く記入し、証明用写真1枚を添付してパスポートとともに係官に提出する。料金は1人2500Rsと言われたが、持ち合わせがないと伝えると1人62米ドルの2人分として124ドルを請求された。ウェブサイト等では1人60米ドルと書かれているのだが。後から来た女性は『日本円で支払う』と言うと、6000円請求されていた。

    係官はその現金を私服で徽章等の付いていない所属不明の男性に渡し、彼は背後の入国審査台の向こうに消えていく。しばらく待たされた後に彼は5000Rsを手にして戻ってきた。後で判ったのだが、この人は到着客が両替するトーマスクックのカウンターで働いているスタッフであった。空港での両替レートは芳しくないとはいえ、少し差額が出るはずなのだがこれはどこかで宙に消えてしまうシステム(?)のようである。 件の日本円で渡した女性の分も同様であった。ともあれ、担当官から手渡された領収書に書かれた金額は、1人あたり2,500Rsであり、インドルピーによる支払いを前提にした制度であるようだ。

    係官たちの仕事ぶりといえば、非常にアンプロフェッショナルであった。カウンターの中にはイミグレーションの徽章を付けた大の大人が5人もいるのだが、皆あたかも『本官はたった今、突然異動を言い渡されてここに配置されました』といった風情で、『どの帳簿に何を記入するのか?』『どのスタンプを使うのか?』『有効期限はどうするのか?』などといったことを互いに尋ね合ったり、やれ『スタンプの押す方向が違う』だの、『出国便の日付を越えて出していいのか?』などとやりあったりしている。この制度が導入されて、はや1年半以上が経過しているとはとても思えなかった。

    そんなこんなで、私たちの前には誰もいなかったのに、手続きが終わるまで1時間半かかった。ヴィザ発給と同時に入国印も押される。イミグレーションのカウンターに行き、担当官はこれをチェックするのみ。

    荷物のターンテーブルのところに行くと、同じ便でやってきた人たちの姿はすでになかった。引き取り手のない荷物はフロアーの片隅に固めて置いてあり、その中に私たちの荷物があった。

    遠隔地に住んでいたり、多忙で査証取得に出向く時間がなく、かつ滞在可能期間が最大1か月までで結構、インド滞在中に他国に出入りするつもりもない(VOAは同一人物に対して年最大2回まで、前回出国時から2ケ月経過した後に次回のVOAが取得可能)という場合にはメリットがある。ただし繁忙期にはカウンターで相当長く待たされることになりそうだ。

    今後、この制度の対象国を広げていく方向にあるようなので、その恩恵にあずかる人も増えてくるだろう。空港でのヴィザ取得手続き自体の迅速化も期待したいところである。

  • PENTAX Q

    PENTAX Q

    PENTAX Q

    ミラーレスのモデルが普及してきたこともあり、デジタル一眼のカメラの小型化が進む昨今だが、今月末にはPENTAXから『PENTAXQ』という究極的に小さなデジタル一眼が発売される。

    マイクロフォーサーズ機同様、ミラーレスなので一眼レフではない『一眼』カメラである。 まさか既存の規格のデジタル一眼レフないしはデジタル一眼から乗り換える人はいないと思うが、サブ機として持ち歩くコンパクトデジカメの代わりとしてという需要は多いのではないだろうか。また主としてコンパクトデジカメのユーザーの中でハイエンド機を使用している人たちがターゲットになるはず。

    PENTAX Q (PENTAX)

    まったく新しい規格のカメラであり、実機に触れる機会もまだないため、なんともコメントすることができない。『世界最小、最軽量のデジタル一眼』を謳っている。だがデジタル一眼としてよりも、むしろ『レンズ交換式かつ多様なアクセサリ類と合わせてデジタル一眼的に使えるコンパクトデジカメ』としての魅力を感じる人のほうが多いことだろう。

    一眼的に使うために最も大切な要素である交換レンズ類については、ラインナップをこれから揃えていく方向にある。もちろんPENTAXQの売り上げが伸びていく前提での話なので、実際のところどうなるかは発売後しばらく様子を見ないとわからない。

    従来の一眼レフの場合、キヤノンにしてもニコンにしても、自社ブランドのレンズの豊富なヴァリエーションに加えて、シグマやタムロンといったサードパーティーが製造するこれらのマウント規格等に合致した数多くのレンズ群の中から、目的と予算に合わせてふさわしいものを選択できる。

    まったく新しい規格のQマウントの場合、他のレンズメーカーも製造に乗り出すことはないだろうが、PENTAXから今後様々なタイプのレンズが用意されて『こんな小さなカメラなのに一通りのシステムを組むことができる!』なんていうことになったら面白いと思う。

    コンパクトデジカメのハイエンド機に対して、PENTAX Qはそれぞれ用途や性格の異なる複数のレンズを交換して、一眼的に撮影できることウリなので、まずはそのあたりの環境の整備が普及のポイントとなる。

    『小さいのに意外に楽しいカメラ』『超コンパクトな万能機』として、日常でも旅行先でも多いに活用できる常時携帯可能なカメラとなることだろう。まだ発売前のこのカメラを『インドでどうだろう?この1台…』として取り上げてみた。

    ただしこのカメラについて『デジタル一眼』として興味を抱いているわけではない。その理由は搭載している撮像素子のサイズだ。1/2.3型というコンパクトデジカメ用のもの豆粒ほどの大きさである。画質はもちろんのこと、背景のボケ具合、ラティテュード、高感度時の画像の荒れ等々、従来のデジタル一眼に対して著しく不利であることは当然であるからだ。センサーのサイズ比較については下記のサイトをご参照願いたい。

    撮像素子の大きさは性能と価格に直結 (ガバサク談義)

    『小さくて持ち歩きにいい』と、当初気に入って使っていたマイクロフォーサーズ機でさえもAPS-Cサイズのセンサー搭載のカメラに比べるといまひとつ・・・としみじみ感じている。 だが常時携帯しているリコーのGR-DigitalⅢよりもひと回り大きい程度なので、これがくたびれてダメになるあたりで、その時点で販売されているおそらく次世代のPENTAX Qを手に入れることになるかもしれない。レンズ交換式コンパクトデジカメというまったく新しいジャンルのカメラとして。

    蛇足ながら、オモチャ的に小さなサイズにもかかわらず、ボディはしっかりとしたマグネシウム合金製というのも好感が持てる。実機に触れてみるをとても楽しみにしている。

  • Namaste Bollywood #29

    Namaste Bollywood #29

    震災復興支援活動のため、前号から全4ページに減らしての発刊。ボリウッド映画への熱い想いはとても収まり切らず、誌面から滔々と溢れ出ているといった感じだ。

    同誌のウェブサイトでは、『Real Voice from the Bollywood』というコーナーが設けられ、銀幕のスターたちのTwitterによるつぶやきがリアルタイムにアップロードされるようになり、彼らの今の思いを垣間見ることができるようになった。

    今回の特集は『ボリウッドが教えてくれる映画愛』だ。近年の恋愛ものの映画はもちろんのこと、アイシュワリヤの妊娠でついに『おじいちゃん』になるアミターブ・バッチャンについても触れられている。

    これまで巻末を飾ってきたボリウッド映画界の親戚・縁戚関係を綴るBollywood Filmy Pedigreeはお休みだが、今回は『Disco Dancer』という本の紹介に注目。1982年に同タイトルで公開された当時記録的にヒットした映画を紹介した本で、若き日のミトゥン・チャクラボルティーが主演。

    90年代以降、大きく変化してきたインド映画の過去を、ときには振り返ってみるのもいいだろう。

  • 美しすぎる大臣の訪印

    美しすぎる大臣の訪印

    7/27にインドのクリシュナ外相と会談したパーキスターン外相ヒナー・ラッバーニー・カル氏

    今年2月に『美しすぎる大臣?』として取り上げたヒナー・ラッバーニー・カル氏。ちょうどその時に同国の内閣改造時にパーキスターンの外務副大臣に相当する職に抜擢されており、ひょっとしたら将来大化けするかも?と思ったのだが、意外にもその日は早くやってきた。

    しばらく空席になっていた外務大臣の職に任命されたのが7月19日。翌日20日には就任の宣誓を行なっている。同国初の女性の外務大臣であるとともに、34歳と最年少での就任だ。パーキスターンのリベラルな顔として、今後しばらく目にする機会が多いことだろう。

    就任直後に彼女はPTVの独占インタヴューに応じている。華やかな見た目に似合わず、落ち着いた低い声と自身に満ちた口調でシャープに応対している。演説もかなり上手いのではないかと思われる。

    PPP Hina Rabbani Khar Sworn In As Foreign Minister

    7月27日にデリーに到着し、45歳年上のインドのS.M.クリシュナ外相と会談。その後マンモーハン・スィン首相、ソーニアー・ガーンディー国民会議派総裁、BJPの重鎮L.K.アードヴァーニー、スシマー・スワラージ等とも会談している。

    また在デリーのパーキスターン・ハイコミッション(大使館に相当)では、インドのカシミール地方で分離活動をしている指導者たちとも面会をしている。

    今回のパーキスターン外相のインド訪問において、特に大きな成果があったわけではなく、かといって何か深刻な摩擦が発生したということもない。両国側とも粛々と日程をこなして、7月29日にはパーキスターンの指導者が訪印する際のお決まりのコースのひとつになっているアジメールのダルガーに参詣した後にパーキスターンに帰国している。

    インドのメディアでは、印パ外相会談について、あるいはインドの他の指導者等との会談についての報道はもとより、スタイリッシュで若くて美しく、身分の高いパーキスターン人としてセレブ的な扱いもしていたのがとりわけ新鮮であった。日刊紙を複数購入して関係記事目にしてみると、彼女の『美』に関するものがずいぶん多い。インターネット上にもそうした調子の記事等がいくつも出ている。ヒナー・ラッバーニー・カル氏には、『重厚なオジサン政治家』にはあり得ない、グラビア的な輝きとヴィジュアルな魅力がある。

    Hina Rabbani Khar’s date with India (NDTV Photos)

    彼女のファッションについての話題も沢山見受けられた。日刊紙上では、イギリスのケンブリッジ公爵夫人キャサリン(ウィリアム王子夫人)よりもセンスが上、などと書いている記事も見かけた。

    Hina Rabbani Khar fashion statement

    Meet Pak’s youngest and stylist foreign minister, Hina Rabbani Khar

    年齢的にも閣僚クラスとしては異例の抜擢であり、インド側としても彼女が突然、今年2月にパーキスターンの外務副大臣相当職にされてからようやく、『ヒナーってどんな人?』と云々されるようになった。これまで全くノーマークの人物である。

    これまでにない若い世代の大臣であることによるしがらみの無さ、類まれな美貌とファッションセンスと相まって、インドでは好意的に迎えられるとともに、隣国との間の友好的なムードを醸し出す効果があったといえるだろう。

    だが、出自が大地主層にして政治エリート家族の一員ということはあるものの、パーキスターン政界という、極めてマスキュリンな社会の中で若くしてめきめきと頭角を現してきたヒナー・ラッバーニー・カル氏は、ただのセレブではないし、無垢なお嬢様でもなければ、世間知らずのお姫様でもない。自分の父親かそれ以上の年齢の大物たちを相手に堂々と渡り合うことができる女傑なのだから、とりわけインドのメディアは鼻の下を伸ばしている場合ではない。

    彼女の姿に、故ベーナズィール・ブットー氏の面影が見える気がするのは私だけではないだろう。今後の大きなポテンシャルを感じる。

  • ヒマラヤンフェアーNEPAL2011

    暑い盛りの8月6日(土)と7日(日)に、東京都千代田区の日比谷公園大噴水広場にてヒマラヤンフェアーNEPAL2011が開催される。時間は8月6日が10時から19時まで、8月7日は10時から17時まで。

    昨年、一昨年は「ネパールフェスティバル」として開催していたもので、在日ネパール人会のメンバーが中心となって運営しているだけに、日本在住のネパールの方々の参加も多い。

    東京では年間で最も気温が高くなる時期なので、熱射病にはくれぐれもご注意を!

  • 航空性中耳炎

    中耳炎になった。小学生だったころ以来である。当時は風邪を引いては耳もおかしくなっていたものだが、今回は飛行機に乗ったことが原因である。

    航空性中耳炎について耳にしたことはあり、航空機の乗務員の間でしばしば発生する職業病のようなものということは知っていた。機内の気圧の変化により、耳の中が痛くなることがあるが、その際にあくびや唾を飲み込むなどしてうまく耳抜きができないままになっていると生じる不具合である。

    気圧の変化といっても、上昇時つまり耳の中の気圧が周囲よりも高くなる際よりも、下降時に鼓膜の内側の気圧が、その外側よりも低くなるときに起きやすいという。

    飛行機が着陸態勢に入るというアナウンスの後、飛行機がどんどん高度を下げていく中、耳の中がツーンと突っ張った感じになった。いつものようにあくびをしたり唾を大きく飲み込んでみたりする。普段ならば耳の中が「バリバリッ」と音を立てて元に戻るところだが、今回はカゼを引いていて鼻がひどく詰まっているためか、左側の耳にはまったく効果がなかった。

    飛行機が滑走路に着陸してターミナルまでゆっくりと動いている最中もその状態は変わらず、市内に出て宿に荷物を置いてもまだ同じ状態が続き、数日経っても回復しなかった。

    プールや海で泳いでいて耳の中に水が入ったときの様子に似ている。おかげで左耳の聞こえかたが悪くなっている。障子一枚隔てた向こうからの聞いているような感じだ。

    これではいけない、と耳鼻科医に診てもらっているところだが、なかなか治らない。診察の際に左の鼻から、耳に繋がる耳管に空気を通してもらうと、かなり痛みを伴うがなんとか通気できるようになる。

    するとしばらくの間はすっきりと聞こえるようになるのだが、またすぐに塞がってしまうような感じになる。塞がっているといえば、鼻腔から耳にかけて空気がスムースに通るようになっていなければならないとのこと。そこが塞がってしまうから気圧の調整がうまくいかず、耳の中の気圧が外気よりも低くなったままになってしまう。

    すると鼓膜の内側に水が溜まってきてしまい、いわゆる滲出性中耳炎を発症する。これがいわゆる航空性中耳炎が起きてしまうメカニズムであるとのことだ。

    やれやれ・・・。

  • インド人講師の英会話教室

    日本国内どこに行っても英会話教室の広告を見かける。多くは『ネイティヴの講師』を売りにしていて、アメリカ、イギリス、オーストラリア他の『英語を母語とする』人々が教えることになっている。

    だが英語の教員という点では、インド人もなかなか評判がいいことをご存知だろうか。産油国方面で英語を教える、英会話を教えるといった仕事に就いているインド人は昔から少なくないようだ。

    また、実はあまり広く知られていないようだが、インドの隣国ブータンは1970年代から学校教育の場で、国語のゾンカ語以外の教科は英語で教えるようになっている。その教育の英語化を導入するにあたり、当時まだ英語を自由に使うことのできる現地教員の数がとても少なかった時期に、非常に大きな役割を果たしたのは同国の要請により、大量に派遣されてきたインド人教員たちである。

    そんなわけで、英語教育の分野で実績のあるインドで、現地の英語教職者を使って、日本人に対してインターネット経由でオンラインレッスンを行なう英会話教室がある。

    MOA (MINATOMO ONLINE ACADEMY)

    インドの教育資源を活用した面白い試みであり、こうした事業の今後の進展にも注目していきたい。

  • 古い写真の記憶

    写真やアルバムは本人や家族にとって大切なものだ。年月を重ねるにしたがってその価値や重みを増していく。 その画像に写っている『現実』がどんどん遠いものとなっていくからだ。

    大人になってから眺めてみる子供時代の写真、今では年取った親の若いころの写真、社会に出てからずいぶん経ってから、ふと開いてみる学生時代の卒業アルバム、そこには今とは違う自分や家族や友人たちの姿がある。

    どれも懐かしい思い出に満ちている。時間の経過とともに記憶の中で特に良かった部分が、非現実的なまでに増幅して思い起こされるものだ。 そうした昔の写真は、さらに時を経てそこに写っている個人やその家族のみならず、そこに記録された時代を知る貴重な手がかりとして、万人にとって価値あるものとなってくる。

    インドの古い写真をブログ的に取り上げているOld Indian Photosというサイトがある。1850年代から1970年代にかけての写真が取り上げられている。セピア色の画像の裏に繰り広げられていた当時の日常、そこに写っている人々はすでにこの世に無く、その個々を知る人さえない忘却の彼方に去って行った過去もある。今とはずいぶん違う景色、現代とは異なる装い人々の姿から当時の世相や習俗が伝わってくる。

    想像力たくましくして、色褪せたモノクロームの写真に『記憶された』風景の背後に思いを馳せたい。撮影者の目の前にあった当時の日常生活、彩り豊かな失われた昔日をゆったりと眺めてみたい。そこには人々が歩んできた歴史があり、それは言うまでもなく今の私たちの時代に繋がっている。