旧くて新しいホテル1

インドでホテルといっても様々なタイプがあるが、かつて中級クラス以上のところは一部の例外を除けば、概ね洋風の宿泊施設が一般的であった。料金帯により建物、室内、接客その他サービス等のグレードが変わっていき、個人所有から大きなホテルチェーンが運営するものまで、経営母体は様々ではあるものの、宿泊施設としてはあまり特徴のあるものは多くなかった。

一部の例外的なタイプのホテルといえば、ヘリテージホテルということになるが、大別してふたつに分けられる。植民地時代から主にイギリス人を初めとする欧州系の顧客相手に営業を続けてきた由緒ある『コロニアルホテル』あるいはインド独立時に併合された旧藩王国の地域で、王族の宮殿を宿泊施設に改装した『宮殿ホテル』がそれらの代表格だろう。前者も後者もトップレベルのものは高級ホテルチェーンが運営を担っていることが多いが、それ以下は政府系の公社や小規模な民間業者が請け負っていたりといろいろで、前述の洋風の宿泊施設と運営形態は大差ない。

『コロニアルホテル』には欧印折衷の植民地建築を後世になってから宿泊用に転用したものも含めてよいだろう。またダージリンやシムラーのようなヒルステーションでは、植民地期に欧州人クラブであった建物ないしは欧州人が建てさせた邸宅などが宿泊施設となっているものもある。だが『宮殿ホテル』においても、ほぼ洋館といった風情の建物も少なくないため、両者の境目は判然としない場合もあるだろう。

細密画の手法が盛んであった時代には藩王その他の貴人たちの横顔が描かれていたものだが、インドにおいてイギリスの植民地化が進むに従い植民地当局の庇護下に入ると、写真技術が伝わったこともあり、近代に入ったあたりでは肖像画が正面から描かれるようになるなど、西洋の影響が大きくなった。建物や調度品等も同様で、ある時期以降は洋風のものが多くなっている。

ともあれ、従前はこれら『コロニアルホテル』『宮殿ホテル』を除き、地域色を感じさせるものはあまり多くなかった。

だが90年代からの高度経済成長とともに始まったインドの人々の間での『旅行ブーム』が起きた。以降、旅行という行動は一定以上の可処分所得のある人々の間で余暇の過ごし方のひとつとしてすっかり定着している。

災害、テロなどが起きれば、たとえシーズンであってもサーッと潮が引くように姿を消してしまう外国人旅行客に比べて、景気の変動があったり、異常気象が続いても人出にあまり影響の出たりしない国内客が増えたことは、観光業の安定的な発展には好ましいことだ。そもそもベースとなる顧客数自体が大幅に増えたことは、観光関連産業の隆盛に大いに貢献し、ひいては旅行インフラの整備へと繋がったことは言うまでもない。

宿泊施設の数は増え、訪れる人々のタイプや好みも多様化する中で、それぞれの土地ならではの『ご当地ホテル』が次々に出てくるのはごくもっともなことであり、今後もそうした流れは続くことだろう。

例えばゴアのパナジでは、ポルトガル時代に建てられた南欧風建築が次々に壊されて味気ない今風の建物に置き換わっているのとは裏腹に、それらをホテルやペンションに転用する例もまた増えている。

もっともこれは建物のタイプは異なるものの、旧植民地家屋という意味で、先に挙げたヒルステーションに点在する英国的な建築物から転用されたものと性格は共通するものがある。ゴアの外から来た人たちにとっては、ポルトガル風建築自体が普段馴染みのないエキゾチックなものであることは間違いないが、これとてコロニアルホテルの一種ではある。

<続く>

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