再訪 1 寒村からリゾートへ

 マディヤ・プラデーシュ州北部、オールチャーを再訪した。
1989年のオールチャー。この角度から眺めると今も昔も変わらないが
 前回ここに来たのは1989年。この一帯には、ベトワ河の流れに挟まれた中洲を中心に、壮大な宮殿や巨大な寺院など様ざまな遺蹟群が点在している。しかし、立派な観光資源が豊富にありながら、ほとんど活用されてない。どこまでも広がる乾いた大地の風景の中、お寺やチャトリ(あずま屋)は無残に朽ち果て、遺跡に比べちっぽけで頼りない家いえがバラバラ散在しているのみ。お店といえば、土地の人びとの日用品を扱うごく小さな雑貨屋くらいだった。バスで30分ほどのジャーンスィーの街につづく幹線道路から外れると、村の中には舗装された道はない。風が吹くと砂埃がもうもうと舞い上がる乾季。寂しげな農村風景がただ広がっていた。
1989年のオールチャー 宮殿内は荒れ果てていた
 89年当時の「ロンリー・プラネット」はこの村を”undiscovered gem”と表現していた。それほど訪れる人が少なかったということだ。ラームラージャー寺院のダラムシャーラー(巡礼宿)を除けば、宮殿内に入っている州政府経営ホテル「Seesh Mahal」が当時唯一の宿泊施設。私も探し歩いてみたが、安ホテルやゲストハウスの類は見つけることはできなかった。そういえば、このホテル内のレストランでよく冷えたコーラを飲んだ記憶がある。私がなぜ割高な飲み物を注文したかと言うと、他に飲み物を売っている場所が見当たらなかったからだ。一泊の予算が1〜3ドル程度の金欠旅行者だった私は、結局日帰りでジャーンスィーへ戻った。


 2003年、オールチャーはすでに「寒村」ではなくなっていた。レンガやコンクリートの建物が立ち並び、観光業が栄えている。宮殿から見るとベトワ河対岸にあるラームラージャー寺院の手前には、安宿や食堂が軒を連ねており、両替できる銀行もあった。河沿いに南に下れば、高級な宿泊施設がいくつもある。どれもここ10年ほどの間にできたものばかりだという。
 94年にオープンしたM.P.ツーリズム(マディヤ・プラデーシュ州観光公社)経営の「ベトワ・コテージズ」。さらに97年オープンした四ツ星クラスの「オールチャー・リゾート」はこの土地を代表するホテル。団体客の利用が多いようで、貸切の観光バスが始終出入りしている。設備や調度品がモダンで、東京ディズニーリゾートのオフィシャルホテルあたりと比べても遜色ない。ついついインドにいることを忘れてしまいそうだ。遺跡群を目の前にした敷地内の芝生には空調完備の豪華テントも張られている。ツアー客に大変好評らしい。
 名前をメモしておかなかったので思い出せないが、ペルシャ庭園風の見事な中庭を備えた同クラスのホテルも2003年6月に開業している。こちらは室内も宮殿風になっており、新築なのに「ヘリテージホテル」風なのは面白い。
 こうした高級リゾートホテルに泊まる外国人客は、グループツアーの中高年の欧米人が多い。そのほかは家族連れのインド人ほとんどで、こちらはたいてい自家用車で来ているようだ。インドもそういう時代なのである。
<つづく>

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください