MUMBAI BANDH !! 大都会ムンバイがフリーズした日 2

バンド当日、出勤時間までにはまだかなりある時間帯。外出してみると街の様子は格段変わらないように見えた。確かに道路を走るクルマは普段よりも少ないようだが、赤い市バスやタクシーだってチラホラ見かける。ただこの日はラーティーを持って路上に立つ警察官の数が尋常ではないこと、商店よりも一足早く準備を始めるはずの露天商たちの姿が見られないことは通常と違うようだ。

シヴ・セーナーの発表によると、バンド当日は生活必需品としての水の供給、ミルクの販売、マスコミ活動、医療及び消防や救急関係車両の運行は認めるということである。

そんな中で新聞売りは昨日と同じように路上に様々な言葉で書かれた紙面を並べにかかっているところであった。さすがはインド経済の中心地だけあり、英語やマラーティー語はもちろん、ヒンディー語、ウルドゥー語、カンナダ語、マリヤラム語にベンガル語とそれぞれ様々な言語を使った新聞がドカッと並べられているのは壮観だ。

マスコミに関しては、取材のみならず新聞の流通や販売もメディア活動の一環ということになるのだろう。この日足を伸ばした市内どこでも、ペーパル・ワーラー(新聞売り)は普通に商っていた。

朝10時ごろだろうか。普段ならば商店の多くが店開きして賑やかになってくる時間帯だが、車体にサフラン色の小さな旗をつけたバイクや自動車に乗ったガラの悪い連中が徐行しながら左右に目を配り、あるいはときどき停車して周囲を睥睨している。シヴ・セーニク(シヴ・セーナーの活動家)たちだ。彼らはまだ10代後半から20代くらいにしか見えなかったが、まるで『この世の支配者』であるかのような傲慢な態度である。

この日は、彼らによる破壊活動が危惧されている。大量の警察官動員はそのためだ。新聞に掲載されていたシヴ・セーナーの幹部の発言は、『バンドに非協力的な方については、セーナーの者が説得させていただきます』と行儀の良いものであったが、多くの人々が言うようにやはりこうした末端活動家の破壊や暴力を恐れて服従しているのだろう。

この時間帯になると市内を走行するバスは皆無。ときたま普通の自家用車が通るだけだ。ごくわずかにシャッターを半分ほど開けて朝食を提供していた食堂も全てクローズとなった。これで街は死んだ。

『パトロール』しているのはシヴ・セーナー活動家だけではなく、このバンドで協力関係にあるBJPの党旗をつけた車両もよく見かけた。組織では一番下っ端の人間なのだろうが、この日ばかりは『万民は我らの足元にひれ伏している』ことを実感して、さぞ気分が良かったのではなかろうか。

クルマが姿を消した白昼のマリンドライヴ

白昼の大都市がシーンと静まり返っている。海に挟まれた港湾都市らしい湿り気を帯びた風だけがユルユルと街を駈け抜けて行く。もし深夜に太陽が昇ったらこんな光景になるのかもしれない。

通常ならば、クルマが途切れることなく行き交っていて横断するのに苦労するような大きな通りが、ほとんど歩行者天国のような状態だ。しかもそのオフィス街を歩く人影はほとんどなく、まるでゴーストタウンのようだ。

品物、人々、車両や騒音で溢れかえっているはずの市内の大きなバザールも同様に静まり返っている。商店の看板が並んでいることから、ここが間違いなく商業地であることがやっとわかるくらいだ。インドの大都会はどこも世界有数の騒音都市に違いないと私は信じているが、この日のムンバイは大声で叫べば視界の及ぶ範囲ならどこへでも届きそうな気がした。

訪れる人が少なくてのんびり見学できるかもしれない、と訪れてみた1923年からの歴史を持つプリンス・オブ・ウェールズ博物館のゲートには『交通機関運休により休館』という紙がぶら下がっていた。

博物館も休館を余儀なくされた

帰国前に土産物でも買っておこうかと立ち寄った中央政府のエンポリアムも、品物を眺めていると『上のほうからの指示で、これから急いで店を閉めます』とのことで追い出されてしまう。

酷暑の乾き切った大地にも、やがて訪れる雨季までじっと耐え忍んでいる小さな生き物たちがいるように、密かに商っている人たちがわずかにいた。店を閉じているかのように装いつつも、シャッター下の十数センチの隙間から品物と金のやりとりをしている雑貨商、商品箱を閉じた上からホロをかけていながらも、セーナーやBJPの活動家が周囲にいないかどうか目を配りつつ、ポケットからタバコや菓子を取り出す露天商。

あるレストランでは、入口階段に腰掛けた店員が通りを警戒しつつも、客が来ればそっとシャッターを開けて中入れている。小声で『近くのホテルまでなら出前をいたします』と小さな紙に印刷されたメニューをくれた。しかしどれもが遠目には休業中にしか見えない。

チャーチゲート駅を基点とする郊外電車も、シヴ・セーナー活動家たちによる妨害行為によりしばらく運行を停止していたが昼下がりに再開した。

駅の売店は通常通り営業しており、ここでやっと簡単なスナック類で食事を取ることができたが、こうした駅売店のうちのいくつかは、附近に警官たちが配置されていながらも、やはり例の活動家たちの襲撃に遭ったと翌日の新聞で知った。

電車にはやはり乗客はほとんどいなかった。車窓から見た街の景色も、やはりどこも生気がなく完全に停止した状態である。あまり首を長くして眺めていると投石などがあると危ないので、大きく開いた扉や窓際を避けて座ることにした。

マハーラクシュミー駅で降りて線路上の陸橋から見下ろしてみると、ドービーガートでは通常どおり沢山の洗濯人たちが働いていた。屋外でいつもと変わらない様子を見せているのは、おそらくこうした洗濯場くらいのものではないだろうか。

<続く>

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