富士フィルムのFinePix X100

父親の世代が使っていたような、昔のカメラを見て『こんなカメラを持ち歩いてみたい』と思ったことはないだろうか。中古カメラ屋覗いてみて、素敵なカタチをしたクラシックカメラに惹かれたことはないだろうか。

一種の憧憬を抱くことはあっても、それを購入して日常的に使うかどうかといえばまた別の話である。写真といえばデジタルが当たり前になって久しい。 今の時代、フィルムなどという面倒くさいもの、ランニングコストが高くて、現像や焼付けなど手間ヒマのかかるアナログカメラなど、そうそう手を出す気はしない。

だがそうした昔のカメラのフォルム、操作感や質感をそのままにデジタル化したものがあったら、どんなに楽しいことだろうか、と夢想したことのある人は多いはず。

外見がちょっと昔風、ややクラシック的であることをイメージしたカメラあるいはそのケースなどはこれまでけっこうあった。あるいはトイカメラの類でレトロ調のものもいくつか出ていた。しかし見た目が本当にクラシックカメラみたいで、それでいて性能も抜群といった、趣味と実用性を両立させたモデルは見たことがなかった。

このたび発売される夢のようなカメラ、富士フィルムから発売されるFinePix X100は、特定の機種のボディの復刻というわけではないし、デジタルカメラとして意味を成さないフィルムの巻上げレバーのダミーが付いていることはない。アルミ削り出しのダイヤル類、マグネシウム合金ボディと高い質感で、昭和のカメラ、昔の写真機といった感じの外観がよく再現されている。もちろんレンズは非沈胴式の単焦点である。

ダイヤルによるマニュアルな操作は、昔風でありながらも実は直感的で分かりやすいものだ。クラシックをコンセプトにしたモデル以外にもアナログ的なダイヤルを備えるような流れが出てくることもあるかもしれない。

センサーはAPS-Cサイズ。他のコンパクトデジカメとは大きく違うアップマーケットなモデルだ。画角は35mm換算で35mmという『伝統的』なアングルである。しかし開放値はかなり明るめの2.0だ。

クラシカルなフォルムの再現に不可欠であるとともに、ボディサイズにややゆとりがあるためだろう。光学ファインダーと電子ファインダーを切り替えて使うことができるようになっている。

古風な外観ながらも、もちろん骨董品ではなくガンガン使い倒すためにある量産カメラだ。詳細な特徴や機能・性能については専門のサイトがいくつもあるため、ここでは敢えて取り上げてみることはないが、カメラの本質部分以外にもなかなか気の利いた味付けがなされている。たとえば、フィルムメーカーらしく、フィルムシミュレーションモードという機能が付いており、Provia, Astia, Velvia等のフィルムの特徴を再現した表現を選択することができるのは面白い。

実質35mmという使い易い画角とはいえ、レンズ交換式ではないので、これ一台で何でも・・・というわけにはいかない。ボディのカサのみで言えば、ソニーの一眼カメラのEマウントタイプのもの、パナソニックあるいはオリンパスのマイクロフォーサーズといった小ぶりなカメラと同等といったところだ。価格と実用面に限れば、他に多くの選択肢が考えられるのだが、他に替えられない趣味性という点で、唯一無二の稀有なカメラだ。

このカメラのマーケットは決して小さくはないだろう。APS-Cサイズの大型センサーを使用しているにもかかわらず、特殊なコンセプトのために汎用性と拡張性を大きく犠牲にしているため、他のシステムと組み合わせるという需要はないはずだ。

同様に現在使っているカメラの代替としての可能性もほぼないだろう。クラシックなフォルムはもちろんのこと、23mm単焦点というモデルは現在販売されているコンパクトデジカメの中にないし、固定式レンズであるため一眼タイプのレンズ交換式カメラと競合するものでもない。

そのため、このカメラを購入する人たちは、他のカメラに替えることのできない、このカメラであってこその需要を感じたうえでのことに違いない。 それでも予想される販売価格が11万円強と、極端に趣味性の高いモデルとしては価格を低めに抑えてあるように見えても、今どきのデジカメの値段の相場に照らすとかなり高価で拡張性もない。X100の需要とはそれ独自のものであり、とりあえず手元に持っているカメラやレンズ類一式で満足しているのとは別の方面の物欲をかきたてるものである。

つまり先述のクラシックカメラに対する、世代によって違うが『愛着』であったり『憧憬』であったりするのだが、そうした潜在的な需要を喚起する稀有なモデルということができるだろう。

機能・機能自体はデジタルなので陳腐化するのが早いことは間違いない。それでも愛着を抱いて末長く使える世界初?のデジタルカメラなのではないか?と思わせるものがある。

FinePix X100の発売日は3月5日だ。

※コーラープト 3は後日掲載します。

オリンパスXZ-1

 

2月18日にオリンパスから発売されるXZ-1が気になっている。このところ『いい感じ』のコンパクトデジタルカメラの上級機種をいくつも見かけるようになっているが、その中で『唯一無二』のモデルかもしれないからである。 

今後、カメラ専門誌やウェブサイト等で多くのレビュー記事が出てくるであろうから、実機に触れてもいない私があれこれとコメントするつもりはない。 

それでもXZ-1が『あっ、これ欲しいなあ!』と思わせるのは、コンパクトデジカメとしてはダントツに明るい(F値の明るさを売りにするモデルはすでにいくつかあるが)レンズである。広角側(28mm相当)でF1.8であり、望遠側(112mm相当)でもF2.5である。こんなレンズを搭載するコンパクトデジカメはこれまで存在しなかった。 

従来の汎用機の場合はF3.5というのが多かった。近ごろは2コンマいくつといった比較的明るいレンズを搭載している機種も出てきている中で、パナソニックのLUMIX DMC-LX5のように28mm相当の広角側でF2.0で、望遠側(90mm相当)でF3.3という機種の存在が格別目立っていたが、XZ-1が登場すると一気に影が薄くなってしまう。 

モデルの多様化と廉価モデルの普及等による、それこそ『猫も杓子も・・・』といった様相だった一眼デジカメブームの最中には、コンパクトデジカメのハイエンド機種が一部を除いて市場からすっかり駆逐されてしまうほどであった。 

その一眼ブームも収まり、その『一眼』タイプのカメラからもコンパクト機に近いタイプ(オリンパスとパナソニックのマイクロフォーサーズ、ソニーのNEXシリーズ等)がいろいろ出てきたりしており、小さくても使えるカメラのバリエーションが幅広くなってきたのは喜ばしい。 

撮影する機能に限っていえば、即写性、拡張性、画質その他どれを取っても『一眼』が勝るのは当然だが、コンパクトデジカメの存在理由にはそれらとは異なるものがあることは言うまでもない。 

もちろんそれは携帯性という点に尽きるのだが、その中で表現を工夫する余地がどれだけ用意されているかという点と、撮影状況に対応できる幅の広さである。 

それは倍率の高いズームが付いているということではない。普段、28mm単焦点のGR DIGITAL Ⅲを愛用しているが、そういう意味で不便を感じることはない。ジャングルに猛獣を見に行くとか、山岳の写真を撮るなどという場合はともかく、普段の生活の中での利用ならば、必要があれば自分が被写体に近づけばよいだけのことである。逆に広角側が35mmから始まる機種となると、後ろに引けない場所で扱いに困るのだ。 

GR DIGITALの場合、状況に応じて感度、ホワイトバランス、測光方式、画像設定等々をワンアクションで切り替えることができるようになっている。その他撮影設定の領域が広く、その中でユーザー自身がよく使う設定もいくつか登録できるなど、実にうまく出来ているのである。画角は28mm単焦点だが、撮影の自由度がデジタル一眼レフ並みに高い。 

そんな便利なカメラではあるのだが、初代のGR DIGITALを使っていたときに『もう少しレンズが明るいと便利なのだが・・・』と思うことがしばしばあった。 

それはレンズのF値が2.4であることだ。暗めの室内、夕暮れ以降の街中等、手持ちで撮影するにはちょっと足りない。かといって感度を大幅に上げてしまうと画像がひどく荒れてしまう。 

そんなわけでGR DIGITAL Ⅲになったあたりで、日頃使っていた初代のモデルがヘタッてきていたこともあったが、迷わず購入する気になったのはレンズがちょい明るいF1.9であるがゆえのことであった。 

初代機と比べて高感度にも少し強くなっている(ISO400まで問題なく使える)こともあり、室内や夕暮れ以降もじゃんじゃん使うことができるようになった。 

ただしGR DIGITAL Ⅲにも『もうちょっと×××だったらなあ』という思いがないでもない。ついさきほど『被写体に近づけばいいのだ』などと書いたことと矛盾するのだが、レンズの明るさが犠牲にならないならば、また使い勝手が同様に優れているのであれば、常日頃携帯するカメラにズームが付いていたほうが便利である。 

カメラを常時2台持ち歩く気はないので、XZ-1の実機に触れてみて『これでGR-DIGITALは要らないや』と思えるようであれば、購入してしまいそうな予感。 

もっともこのカメラで気になっているのはレンズの明るさだけなので、発売されてからしばらくは様子見ということにしておこう。 

ともあれその『明るさ』がゆえに『インドでどうだろう?この一台!』と、本日ここに取り上げてみることにした次第である。

GR Digital Ⅲ

久々にカメラについての話題を取り上げてみたい。2009年8月に発売されてから1年経過のGR Digitalシリーズの現行機である。値段もかなりこなれてきており、発売直後は7万円台であったように記憶しているが、現在は販売店によるが、安いところでは4万円強で売られている。

初代GR Digitalは2005年10月に発売された。後継機のGR DigitalⅡは2007年11月、そして現行のGR DigitalⅢは2008年8月にリリースされた。コンパクトデジカメとしては2年間というサイクルはかなり長い。GRシリーズの次期モデルが出るまであと1年くらいはあるため、しばらくすると4万円を切る店も出てくるのかもしれない。

私自身、銀塩のころからGRを気に入って使っていたので、『いつかGRのデジタル版が出ないものか?』と心待ちにしていたのだが、ついに2005年にGR Digital登場。これを発売日に購入して以来5年近くなる。

一眼レフ並みに操作性が高く、機能も充実しているカメラだが、レンズは28mmの単焦点なので、『これ1台で何でもかんでも撮る』というわけにはいかない。それだけに、いろいろと頭をひねって工夫を加えて撮影するのが楽しく、そうすることが可能かつ快適で極めて自由度の高いカメラである。

それでも、このところエラーが頻発するようになってきた。電源が入りにくくなったり、それとは逆にオフにしてもレンズ鏡胴が引っ込まなくなったりといった、ハード面での不具合である。そろそろ寿命が近いのではないだろうか。

そんなわけで、現行のGR DigitalⅢのほうに目が行くようになるのだが、さすがにデジタルの世界で4年の時差(2005年発売の初代機と2009年に出た現行機)とでは、まるで別物のように大きな進化がみられる。

まずは開放値が2.4から1.9へと、2/3段ほど明るくなったため、感度を上げずとも手持ちで撮影できる機会がより多くなる。スナップや風景にも、記録用としてモノを撮る際にも明るいレンズのメリットは大きい。インドでは概して夕暮れ以降は街中も室内も暗いが、だからといって感度をむやみに上げると画像が荒れる。そんな『昼間しか使いものにならないカメラ』では困るのだ。 

加えて高感度域でのノイズもかなり軽減されている。初代機ではISO400くらいになるとかなりノイズが増えるため、ISO200以下でしか使う気がしなかったが、現行モデルではISO400まで特に問題はないし、ISO800くらいまで上げても、なんとか我慢して使えるかな、といった具合だ。明るいレンズと合わせて、夕方から夜にかけて使用できるシーンが増えることにもなる。もちろん大型のセンサーを搭載したデジタル一眼と比較するわけにはいかないのだが。 

フォーカス性能も格段に良くなった。初代機も発売当時としてはキビキビ動作するほうだったが、少し暗いところではすぐにフォーカスに迷いが生じていた。現行機ではちょっとした暗がりでも小気味良く合焦する。 

またホワイトバランスの精度がかなり向上していることに加えて、『マルチパターンオートホワイトバランス』というセッティングも用意されている。色温度が異なる光源が複数混在しても、それぞれ見た目に近い色合いを再現できるということになっている。

背面の複数のキーに、様々な設定を割り当てることができて便利なのは初代機もそうであったが、さすがに2世代分進化すると、使い勝手も飛躍的に向上している。よく使う細かなセッティングを最大6パターン保存することができるのも便利だ。これらは軍艦部右側にあるモードダイヤルで呼び出すことになっている。

・・・と、いろいろ挙げてみたが、GRシリーズについてのレビューは、それこそネット上に沢山出ているので、操作性等について敢えてここで詳しく書き連ねる必要はないだろう。

操作感はもとより、従前の仕様を最大限継承する姿勢には親近感を覚える。設定メニューは基本的に共通しているため新型機種を手に取って戸惑うことはない。外観もほぼ同一といってよいくらい非常に似通ったものである。

GR Digital (第1世代)

GR DigitalⅡ(第2世代)

GR DigitalⅢ(第3世代)

現行機であるGR DigitalⅢは、先代よりレンズの径が少々大きくなった分、ボディの嵩もほんの少し増えたが、並べて見ても一目ではそうとわからない程度だ。ゆえに買い替えても、これまで使っていたモデルを引き続き愛用しているかのような気にさえなる。

電池については、液晶画面の大型化(現行機は3.0型。初代は2.5型、その次が2.7型)に伴ない、容量も大きくなっている。カメラ屋の店員には、カタログだけチラリと見て『バッテリーの型番が違うので旧型のものと互換しません』などと言う者もいるが、これは誤りである。容量が違うだけで、従前の機種のものもちゃんと動作するのだ。

ただし以前の機種のオプション類で使用できなくなったものもある。レンズの口径がやや大型化したため、従前のワイコンとアダプタは取り付け不可となった。ワイコンのアダプタがあると、必要に応じてフィルタを使用できて便利だったりもするのだが、薄着の季節でもシャツやズボンのポケットに無造作に放り込んでおける気軽さを生かして『生のまま』であっても、本格的なカメラとしての性能を楽しむことができるのが、このカメラの最大の利点かもしれない。

しかも先述のとおり、従前のモデルに比べてF値がかなり明るくなったこと、高感度設定時のノイズの軽減という進歩の結果、24時間活用できるカメラとなったと言えるだろう。

コンパクトカメラであれ、一眼であれ、およそデジカメなるものに通常愛着を感じることはないのだが、GRシリーズに限っては『壊れるまで使う』気になる。GR Digital Ⅲについても、今後長く使用することになるだろう。

そんなわけで、これまで幾つかのデジカメについて言及してきた、日常でも旅行先でも便利な『インドでどうだろう?この1台』の筆頭にGR Digital Ⅲを挙げたい。

時代の目撃者 ベアトー

インドで最初に写真で記録された戦争といえば1857年に発生した大反乱である。イギリス国王を少なくとも現存する写真の大部分は、世界初の戦争写真家と言われるたった一人の人物によって撮影されたといって過言ではない。
ベアトー
その彼、ヴェネチア生まれのフェリーチェ・ベアトー(フェリックス・ベアトーとも呼ばれていた)は、1855年のクリミア戦争の取材に続き、1857年に発生したインドの大反乱を撮るために翌1858年にカルカッタに上陸。1859年まで続いた戦いの様々なシーンをカメラに収めている。
戦争写真といっても、20世紀のベトナム戦争以降のように、従軍して最前線でレンズを構えるようなものではなかった。当時は湿板写真の時代で、コロジオンと硝酸銀溶液を塗ったガラス板が乾かないうちに撮影・現像しなくてはならないという手のかかるものであった。そのため彼が残した作品群は、主に戦闘後の破壊された状況や休息ないしは待機する将兵等の写真ということになる。
19世紀初めに写真技術が発明されて以来、撮影の主な需要といえば高貴な、あるいは富裕な人々のための肖像写真としての用途、あるいは風景といったものが大半であった。ベアトーが画像で伝えた破壊や殺戮というテーマは、当時の常識を打ち破るセンセーショナルなものであった。また、言葉を尽くしても伝えられないものが写真にあることが認識され、報道の重要なツールとして認識されることになったのも彼の功績であるといえよう。
そのひとつ、彼が残した大反乱の写真の中でも、あまりにも有名なラクナウのスィカンダラー・バーグの写真。反乱軍の2,000名の兵士たちが、英軍の反撃によって殺害された現場である。遺体はそのまま放置され腐敗するに任せた。写真手前に無数に転がっているのは白骨化した遺体である。
Sikandara Bagh
カーンプルの破壊された風景
Cawnpore
当時のイギリス側のインド人兵士たちの姿
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イギリスへの反逆者たちの処刑
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イギリス側に捕らえられたムガル最後の皇帝、バハードゥル・シャー・ザファル。詩人としても非常に評価の高い人物だが、大反乱の首領として担ぎ上げられた彼は多くの身内が処刑された。王妃ズィーナト・メヘルと嫡子のミルザー・ジャワーン・バクトおよび側室の子であるミルザー・シャー・アッバースとともにデリーからラングーンに島流しになる直前に撮影されたものとも、ラングーンに到着後に撮影されたものとも言われる。
ムガル朝の皇帝の中で唯一写真に収められた姿が拘禁下のものというのは何とも皮肉なことだ。残念なことに撮影者が誰かはっきりしていないが、デリーでの写真であるとすれば、ベアトーの手によるものである可能性がある。
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ベアトーは当時のデリーの街の様子も多数撮影しており、それらと対比させて140年後の同じ場所の写真と合わせて解説した秀逸な書籍があるので、本屋で見かけたらぜひご覧いただきたい。
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書名 Beato’s Delhi 1857, 1997
著者 Jim Masselos & Narayani Gupta
出版社 Ravi Dayal Publisher
ISBN 81 7530 028 0
ベアトーとほぼ同時代にインドで活動した写真家としては、山岳、建築物、人物等の撮影で数々の傑作を生んだサミュエル・バーン、風景写真のドナルド・ホーン・マクファーレンといった人物があるが、1880年代以降ではインド人のラーラー・ディーン・ダヤルも後世に残る多くの作品群を生んでいる。
ベアトーは、後に中国で第二次アヘン戦争の撮影を行なった。
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そして活動の場を日本に移す。鎖国から開国へ、下関戦争、幕藩体制終焉と大政奉還、明治の維新政府による中央集権的な近代国家建設へと一気に邁進していく有様は、転換する時代の目撃者、行動する写真家ベアトーの心を惹きつけるものであったのだろう。江戸時代末から明治初期にかけて彼が撮影した写真の数々を誰もが目にしたことがあるだろう。当時の人々の風俗に関する貴重な資料となっている。
下関戦争のひとコマ
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慶応2年(1865年)あるいはその翌年に撮影されたとされる江戸の街並み
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若い薩摩藩士たち
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駕籠に乗る女性
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着物姿の女性たち
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画師
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晩年は、英領インドに併合されたビルマのコンバウン朝の旧王都マンダレイで写真館を営んだ。
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人並外れた行動力で激動の時代を目撃してきた偉大なる写真家ベアトーは、1909年にイタリアで亡くなる。彼の作品中に登場する人々はすでにこの世にないが、彼が残したモノクロームの画像を通じて、実に多くのことを私たちに雄弁に語りかけてくる。今の時代に生きる私たちにベアトーが残した遺産の価値は計り知れない。

ペンタックスK-xでティランガー(三色旗)風カメラを

もともとカメラといえば、精密かつ質実剛健な印象を与える黒色あるいは銀色が当たり前であった。それが近ごろでは、黒あるいはシルバー以外の色をしたカメラが増えてきた。それはオリンパスのE-P1白ボディであったり、パナソニックのGF1の白や赤のモデルであったりするが、これまでになかったカラフルなものが出てきている。
コンパクトカメラ市場が飽和状態となり、カメラ販売の主戦場が一眼レフへとシフトするとともに、プロカメラマンを含めた仕事で写真を撮る人、写真を趣味とするアマチュアの愛好家以外で、これまでターゲットになっていなかった若い女性やファミリー・ユースといった層も巻き込んでの商戦となっている。
そのため低価格化を進めるとともに、『デカいカメラ』『扱いが面倒』といった先入観を取り除き、より親しみやすいものとしたエントリーモデルが次々登場している昨今だ。
結果として、街中でデジタル一眼レフを手にする人の姿がずいぶん増えた。これまでこの手のカメラを首からかけて歩くことのなかったタイプの人々が、あちこちでシャッターを切っている。
『今まで使っていたデジカメとは写りがずいぶん違うなあ』『携帯電話の写真とは比べものにならないね』などと感じつつ、撮るということが実の楽しいものであることに少しずつ気がついているのではないだろうか。趣味の写真に対する垣根がかなり低いものとなってきたことは間違いない。
ただしカメラそのものに対する親しみやすさといった部分では、単に小型軽量であるとか、扱いやすいとかのみではなく、持ち歩くアイテムとしてお洒落で常時携行したくなるような外見、他の人があまり持っていないデザインという希少性などが求められることになるのだろう。その現れのひとつが、冒頭のカラフルなボディということになる。
キヤノン、ニコンという二大巨頭のマーケットと重なるやりかたをしていては勝ち目がないと、その部分に着目しているのがマイクロフォーサーズ機を販売するオリンパスでありとパナソニックだ。今年夏に相次いで発売された前者のE-P1、後者のGF1などはその典型といえる。特に女性層を取り込もうと狙っているのは、ウェブサイトやパンフレット等の広報マテリアルから見て取れるとおりだ。
特に一眼レフの分野では、他社製品で既存のレンズ資産を持つ人を新規に囲い込むのはとても困難だ。マイクロフォーサーズ規格を共有しているオリンパスとパナソニックを除き、基本的にどこのカメラのボディも他メーカーのレンズとの互換性はない。
そのため手持ちのカメラとは異なるメーカーのボディを購入するということは、それに加えて今後必要とするすべてのレンズ群をまるごと買い取ることをも意味する。それがゆえに、他社の既存ユーザーを引き寄せるのは至難の業であり、これまで一眼レフユーザーではなかった層からの需要を掘り起こすという路線を目指すしかない。
だがここにきて、今月16日に発売されたペンタックスのK-xの圧倒的なカラーバリエーションには脱帽である。店頭販売されるモデルは、ボディの色が白・赤・黒の3通り用意されているが、カタログあるいはウェブサイト上で、ボディが20色、グリップは5色準備されている。つまり100通りパターンの中から好みの組み合わせを選択して注文することができるのだ。ストラップも白・赤・黒と3色ある。
ボディとグリップの配色は以下のとおり、ストラップは白を選んで、インド国旗を思わせる『ティランガー仕様』にしてみてはどうだろう。
おぉ、これはカッコいい!!
ストラップが白ならば、ティランガーなカメラ完成!
もともとペンタックスのデジタル一眼は、他社製品にくらべてボディ、レンズともにコンパクトに出来ている。他社、たとえばキヤノン、ニコンの両社の類似した機能のモデルと比較しても、かなり小ぶりに仕上がっているようだ。
K-xもAPS-Cサイズのセンサー搭載で有効1000万画素以上のデジタル一眼レフカメラの現行モデルの中では世界最小であることを謳っている。
近ごろはエントリー機であっても相当高性能だ。もはやどのクラスでも標準装備となったダスト対策機能、最大4段分の効果があるとされる手ブレ補正機能がボディ内に組み込まれている。またこのクラスで1/6000秒の高速シャッター、連続撮影4.7コマ/秒というスペックになっており、スポーツ等の撮影にも充分対応できる。感度もISO6400相当まで上げることができるのは室内で舞踊等を撮影する際に重宝しそうだ。
もとよりサイクルの早いデジタルの世界だ。1年経つか経たないうちに次モデルが出てくると、上のクラスの機種のひとつ前の世代同等の性能が備わることは珍しくない。それに比べると、光学性能が主体のレンズのほうは、飛躍的な進化はあり得ない。
本人の感性と表現力が同程度ならば、作品に差がつくのはレンズの良し悪しだ。もし機材にお金をかけるならば、ボディよりもレンズのほうに投資すべきだと私は考えている。
このところライブビュー撮影対応、加えてHD動画撮影機能搭載のデジタル一眼が増えているが、このK-xもその両方の機能を搭載している。
加えてバッテリーは市販の単3型電池が利用できることは、とかく電池の消耗が早く、多くの場合、メーカーごとの独自のものしか利用できないデジタルカメラの中では特筆すべき利点だ。出先や旅行先でバッテリー切れや紛失等の際に、カメラが無用の長物と成り果てることはないだろう。
用意されているデジタルフィルター機能の中で、あまり使うことはないかもしれないが、トイカメラ風の効果、ミニチュア風の効果を与えて撮影できるのも面白い。
ペンタックスはレンズ群のバリエーション数はキヤノン、ニコンに匹敵するものの、APS-Cセンサーのカメラ使用で、35mm換算で広角域に相当するレンズがあまりないのは少々気になるものの、シグマ、タムロンといったレンズメーカーからペンタックスマウントのレンズがいくつも出ているので、あまり気にしなくてもいいはず。
価格はどんなものかといえば、参考までに本日、2009年10月17日現在、kakaku.comに出ている最安値は、ボディと18-55mmレンズのセットで62,690円。通常の量販店でも多くの場合7万円を切っていることと思う。もちろん好きなカラーの組み合わせでオーダーすると費用がもっとかかるが、ひところよりもずいぶん求めやすい価格になったものだ。
私は普段キヤノンおよびパナソニックの一眼を使っており、他社のカメラを購入するとマウントの異なるレンズをいくつも買い揃えなくてはならない。もとよりそんなお金はないので、間違ってもK-xに手を出すことはないだろう。コンパクトさやカラーバリエーションの豊富さといったオリジナリティ等を客観的な視点から眺めて、また個人的にはティランガー仕様(?)が可能なこともあり、『インドでどうだろう、この一台?』として挙げてみることにする。