ANA 成田・デリー、成田・ヤンゴン就航

10月28日(日)から成田・デリー便(毎日)、それに先駆けて10月15日(月)から成田・ヤンゴン便(月・水・土)が就航する。どちらも直行便だ。

デリーもヤンゴンも、かつては成田からANAがフライトを飛ばしていたのだが、採算が取れずに撤退した過去があり、再度就航ということになる。

前者はともかく、後者については現在ブームのミャンマーだけに、目先の利益はともかく「この機を逃すな!」といった具合に、将来性を見越しての先行投資ということになるだろう。

近年、非常にモダンなターミナルビルが完成したものの、規模は小さく滑走路も大型機の発着には長さが不足と思われるヤンゴンの国際空港だけに、現在の「ブーム」が今後も続くとすれば、遠からずパンクする事態になるかもしれない。

もっとも、政治的に先行きが不透明な要素が多い国であるだけに、「ブームが続く」ということこそが肝心であることは言うまでもない。

BB AIRWAYS

ある方がフェイスブックに書かれていたことによって知ったのだが、在日ネパールの方でこんな試みに取り組んでいる人物があるとのこと。

「日本とネパールを結ぶ直行便を実現します」 BB AIRWAYS

BB AIRWAYSとは聞き慣れない名前だが、上記ウェブサイトによると、「2012年の運航に向けて準備中」であるとのこと。ネパールの首都カトマンズのトリブヴァン空港と結ぶ予定とされるのは、なんと茨城空港。9月の運航開始を目指しているのだという。

しかしこれまで名前さえ聞いたことのない会社なのでまったく見当もつかなかったのだが、ネパールのウェブサイトにはいくつか関連の記事が出ていることに気が付いた。

BB Airways gets ministry’s green signal (The Himalayan)

NEW AIRLINE: BB Airways Gears up for September Launch (Routes Online)

BB Airways acquires int’l operation licence (THE KATHMANDU POST)

BB Airways (ch-aviation)

日本在住のNRN(Non Resident Napalese)による航空会社だが、本拠地は母国ネパールとなるようで、就航先はデリー、バンコク、クアラルンプル、香港、東京(成田空港同様、茨城空港も便宜上「東京」?)、カタール、シンガポールとなっている。すでにネパール当局のライセンスは得ているとも書かれている。

これらの記事は、今年1月から2月時点のものであり、その後の進捗はよくわからないが、茨城空港への乗り入れはともかく、ネパールを本拠地とする新しい航空会社がスタートしていることは間違いないのだろう。

それにしても、この航空会社をスタートさせるというネパールから来たビジネスマン、ウェブサイトにあるように、最初は留学生として来日、その後日本で起業したということだが、BB AIRWAYSのリンク先を覗いてみると、いろいろ手広くやっているようだ。そこに来て今度は航空会社の設立と、ずいぶんやり手の人物のようだ。近々、日本の経済誌等でよく見かけるようになるだろうか。

どうなるのかまだよくわからないが、茨城・カトマンズ直行便就航計画の進捗を伝えるニュース等があれば、今後フォローしていくことにしたい。

成田・ヤンゴン直行便就航へ

先日に引き続いてミャンマーの話題。近ごろ何か取り上げられることの多い同国に、成田空港から全日空の直行便が就航する。時期は未定だが、年内には実現する見込みとのこと。実は、1996年7月から2000年2月まで、同社の関空・ヤンゴン便が飛んでいたのだが、長らく休止となっていた。

全日空 ミャンマーに定期便再開 12年ぶり(日本経済新聞)

おかげで、東京から眺めると隣国タイの首都バンコクとあまり変わらない距離にあるにもかかわらず、ヤンゴンはずいぶん遠く感じられてしまう状況が変化することを期待したい。これまでは、成田からタイ航空の午前便で出発して、同社が複数便持つバンコクからヤンゴンまでの遅い時間帯の便を利用すれば同日に到着することができたが、さもなければバンコクで一泊しなければならないのが現状だ。

今から1年ほど前にはMAI (Myanmar Airways International) によるヤンゴンから成田に乗り入れの計画を取り上げてみたことがあったが、まだ実現していない。それでも同社のウェブサイト内のルートマップには、『Future Route』として東京、ソウル、香港、デリー、ドバイといった就航予定地が記されている。

ミャンマーへの経済制裁緩和近しという情勢により、ビジネス目的で世界中が注目していることもあり、今後は他国の便も順次乗り入れを図るようになってくると予想される。

インドからは、エアインディアがコールカーターから月曜日と金曜日にヤンゴンに就航している。今後、ジェットエアウェイズその他が就航することもあり得るのではなかろうか。もとより関係の深いインド・ミャンマー両国であり、利害を共有する部分も少なくない隣国同士でもある。ヤンゴンその他に大規模なインド系の人口が存在していることもあってか、従前から商用その他でミャンマーを訪問するインド人や他国在住のインド系の人々は少なくなかった。

前述のMAIは、ヤンゴンから水曜日と土曜日にビハール州のガヤーへの定期便がある。ビジネス目的の乗客が多いとは思えず、仏教国ミャンマーとはいえ、そこから仏蹟巡りに出かけるお客がワンサカいるとも考えられないのだが、主にどういう人たちが利用しているのかよくわからない。予定されているデリー便の就航が待たれるところだ。

経済成長にともなう可処分所得の伸長により、海外旅行を楽しむインド人が増えており、インド発の様々なパッケージツアーなどもいろいろ売り出されている。タイやマレーシアと較べて華やかさに欠けるものの、美しいビーチや壮大な遺蹟等の観光地には事欠かないミャンマーだけに、今後は観光目的で訪問するインド人も増えてくることだろう。

私たち日本人にとっても、インドのすぐ隣のミャンマーという魅力的な国が訪れやすくなるのは嬉しい限りだ。インドまで足を伸ばす際に、行き帰りともにヤンゴン経由でミャンマーも見物という選択肢が可能となるのはありがたい。

マニプルへ1 インパールに飛ぶ

コールカーターから飛行機でマニプル州のインパールへ飛んだ。一般の日本人の間で、この州都の名前は、具体的にインドのどのあたりにあるのか知らなくても、第二次大戦末期の旧日本軍による『インパール作戦』によって広く記憶されているが、長らく観光目的の訪問先としては認知されていなかった。

以前は、マニプル、ナガランド、ミゾラムの三州について、RAP (Restricted Area Permit)を取得する必要があった。ちゃんと手間かけて準備すれば取得可能なものであったが、申請に際しては何人以上のグループでないといけないとか、RAPを取得した全員が一緒に行動しなくてはならないなどといった面倒な条件があった。必要な人数を揃えることができなくても、現地のツアーに参加するという手もあったのだが、これがまた金額の張るものであった。加えて、RAPは各州ごとに取得する必要があったこともあり、ちょっと思いついてこの地域にフラリと出かけてみるという具合にはいかなかったのだ。

そんなエリアだが、十数年前くらいまでは、ある目的でナガランドやマニプルを訪れる日本人年配者はかなりいたらしい。かつてインパール作戦に従軍した元兵士たちによる戦友会が慰霊のために盛んに訪問していたようだ。だがそうした戦争世代の人たちも高齢化しているため、インド東部でも隣国のミャンマーでもこうした人たちの姿を見ることはほとんどなくなっているのだが。

RAPの取得が義務付けられていていた背景には、インド独立以来長らく続いてきた活発な分離活動が背景にあるわけだが、そうした状況もかなり落ち着いてきてようやく恒久的な和平が期待できるムードになりつつあること、中央政府・州政府ともに内乱時代には、ほぼ存在しなかった観光業の振興を画策していることもあり、2011年1月1日からとりあえず試験的にRAP無しでの入域を認める運びとなっている。このまま特に問題がなければ、アッサムやメガーラヤなどのように、いつでも自由に訪れることができるようになるのだろう。

今回の旅行は、韓国の親友L君と同行である。コールカーターからIndiGoのフライトを利用。新興のLCCキャリアの割には、かなり地味なイメージのある会社だが、フライトアテンダントは、ボンドガールのような派手な美人であった。機内誌の片隅に機内スタッフ募集の求人広告が出ている。LCCのこうした現場スタッフというのは、若くて魅力的なうちにコキ使われるだけの仕事だろうから、旧来からの航空会社の社員と違って、自身がキャリアを積んで長く務められるようなところではないような気がする。

ともあれ飛行機は離陸した。インパールまで1時間程度のフライトだ。コールカーターを出てからバーングラーデーシュ上空を通過して東へと向かう。平原部を過ぎるとようやく山並みが見えてきた。インドのトリプラー州あたりに入ったのだろう。

機内から眺めるトリプラー州(?)上空の風景

機内では、私とL君の隣の席の女性が声をかけてくる。アーンドラ・プラデーシュ州在住であるとのことだ。インパール近郊にある実家に帰郷するところであるとのこと。

インド北東地域のモンゴロイド系の女性に限らず、在インドのチベット系女性にも共通して言えることだが、化粧がインド式であるため、同じモンゴロイド系である私たちから見ても、かなりエキゾチックな風貌に見える。後者については、中国で見かけるチベット女性たちとずいぶん違った印象を受けるくらいだ。まるで人種そのものが違うかのように。

乗客の大半は風貌からしてマニプル州の人々のようだ。男女ともに総じてかなり小柄の人たちが多い。そのため身長170cm台前半の私もL君も、この中ではかなり大柄ということになってしまう。スウェーデン、デンマーク等、スカンジナビア半島の人々が日本を訪れるとこんな具合なのだろうか。

眼下にかなり規模の大きな街が見えてきた。上空を旋回して少しずつ下降していき、国道150線沿いにあるこの空港に着陸した。荷物を受け取る前に、専用のデスクで外国人は形式的な登録手続きをさせられる。パスポートに入域の証のスタンプも押された。

空港では大勢の出迎えが来ていた。地元スポーツ選手団の出迎えだ。機内に非常に体格が良く、揃いのジャージ姿の女性たち数人組みが乗り合わせていたのだが、彼女たちはウェイトリフティングの大会から帰郷した選手たち。翌日の新聞で彼女たちが写真入りで取り上げられていた。

こじんまりしたターミナルの外に出ると、そこにいる大半の人たちはモンゴロイドの風貌だ。動作もゆったりとしていて、のんびり落ち着いた感じを受けるのだが、空港敷地内でかなりの人数のインド兵(マニプルの人たちも『インド人』だが、ここで言う『インド兵』とは北東地域外出身の軍人のこと)が厳しい表情で警戒している様は、ちょっと信じ難い気がする。

武装した兵士たちは、いつでも銃弾を撃つことができる体勢で警備しており、軍用車両の上から上半身を突き出して警戒に当たっている姿もある。いかつい装甲車も辺りを走り回っており、ずいぶん物々しい雰囲気であることにちょっと驚きながら、オートリクシャーで市内へ向かう。

<続く>

キングフィッシャー・レッド ローコスト路線廃止へ

Kingfisher Airlines

ちょっとビックリする反面、やはりそうかという思いもする。

Kingfisher Red to shut operations: Mallya (DAILY NEWS & ANALYSIS)

After Kingfisher Red’s exit, no-frill carriers to expand operations (DAILY NEWS & ANALYSIS)

キングフィッシャー・エアラインといえば、2005年に運行を開始した、まだ新しい航空会社ではあるが、もはやインドを代表する航空会社のひとつとして、内外に広く知られている。

ご存知『キングフィッシャー』ブランドのビールを製造するユナイテッド・ブルワリーズ・グループが親会社の企業だが、今ではそれとは逆に『あのビールも造っている航空会社だね』などとアベコベなことを言う人もいるくらいだ。

垢抜けたイメージとともに急激に路線を拡大していったが、2007年にインドにおける格安航空会社の先駆けであったエア・デカンを買収したことに負う部分も大きかった。旧エア・デカンは、キングフィッシャー・レッドとしてその後もインドの格安路線市場で、その他後発の格安航空会社や既存航空会社の格安料金と競い合い、同国の航空チケットの低価格化に果たした役割は相当なものである。

個人的には、料金が安いもののウェブサイトでインド国外で発行したクレジットカードでは予約できなかったエア・デカンがキングフィッシャーに買収されてからは問題なく使用できるようになったのがありがたかった。

ここ数年来の燃油代やパイロットの人件費の高騰により、どの格安路線も経営は決して楽ではないが、キングフィッシャー・エアライン自身も、華やかなイメージとは裏腹に様々な筋から経営難が伝えられていた。

国内路線の伸長とともに、国際線にも積極的な進出を行なっており、他社と一線を画したカジュアルながらもスタイリッシュなブランドイメージとスタイルが良くてセクシーな制服を着た美人揃いの客室乗務員たちで人気を集めている同社は、利幅が薄くブランドの印象維持が容易ではない格安路線の切り捨てに舵を切ることになった。

総体的には格安航空会社が従来型のキャリアに移行したように見えるが、実のところこれまでなかったちょうど両者の中間といった具合の新しいタイプのエアライン、つまりお役所的ではなく使い勝手の良い航空会社として今後も更に発展していくことと思う。

この10年ほどで、インドの空の交通機関のありかた、ネットワーク、料金は大きく変化している。もちろんインドに限らず、中国、アセアン、ガルフその他のアジアの多くの地域で同様だ。

だが便利になった、と感心ばかりしてもいられない気がする。人手不足で給与が高騰しているパイロットはともかく、その他の職種で航空業界に務める人たちの労働条件は、この間にどのように変化していったのかということも気になる。

新規参入した会社が多数あり、業界全体の事業規模が飛躍的に拡大した結果、雇用者数が急増したことは容易に想像できるのだが、旧来からの航空会社に勤務の大多数の人たちにとっては、年々条件が厳しくなる苦難の10年だったのかもしれない。

便利になるということは、往々にしてそのサービスを生業にしている人たちにとっては、当然の帰結として従前よりも重いノルマ等が課せられるわけで、同じ一続きの世の中で暮らしている以上、顧客たる私たちにとっても対岸の火事ではない。回り回って我が身にも降りかかってくることなのだ。

キングフィッシャー・エアラインスの『レッド』部門切り捨てにより、これまで同社の路線拡大に大きく貢献してきた、切り詰めたコストの中でいろいろ使い回しされながらも頑張ってきた人たちが、今後どのような処遇を受けるのかということにも思いが及ぶ。

現場で汗をかいて働く人たちはもちろんのこと、ホワイトカラーの間でも、エア・デカンの買収により、キングフィッシャー・レッドに移行した人たちには、厳しい処遇が待ち構えているのではないかと思うと、同じ生活者として非常に気の毒である。