世代が変われば世間も変わる

 8月15日から一週間経った。
 日本においては1945年8月15日の終戦、インドにおいては1947年の同じ日に達成されたイギリスからの独立。今年はそれぞれ61年、59年もの長い時間が経過したことになる。
 日本では毎年マスメディアにより首相をはじめとする政府要人たちの靖国参拝が注目されるが、今年もまたこの時期には太平洋戦争にまつわる特集番組や特別記事などが組まれていた。ちょうど年末に『忠臣蔵』のドラマが放映されるのと同じく、おなじみの年中行事となっている。
 だがそうしたもののコンテンツや論調などがゆっくりと、だが確実に変化してきているのは戦争の記憶が風化を示しているのだろう。戦時の具体的な記憶とともに当時の世相や社会背景まで理解している世代、戦後の世の中のありかたと客観的に比較をすることができる人々、となると終戦時に20歳前後になっていた人たちということになろうか。
 こうした時代の生き証人たちが社会の表舞台から退場して影響力を失うとともに、年月の経過につれて次々とこの世から去っている。実体験として戦争を語ることのできる人々が残り少なくなってきている。
 当時をよく知る最後の世代、仮にそれを『終戦時に20歳前後』という線引きをすれば、彼らすべてが還暦を迎えた1980年代後半あたりにこの世代がほぼ引退、それまで実社会で振るってきた影響力を失った時期と考えてよいだろう。
 企業の管理職や役員、役所の幹部職員、あるいは自営業者などとして、下の世代を指導叱責しながらバリバリ働いて実社会を引っ張ってきた彼らが退職し、指揮する相手を持たない一私人となったのだ。すると彼らに頭を押さえつけられていた次の世代が遠慮なくモノを言うようになってくる。
 この時期を経てまもなく戦後否定されてきたものを見直そうという動きが高まってきたように思う。それは国旗・国歌問題であり、自衛隊の海外派遣であり、東アジアの近代史への評価である。
 旧体制を知る人たちが表舞台から去ることにより、古い時代のカラーが急速に褪せてしまうことは、インドのゴアでもそうだろう。1961年のインド併合以来、リスボンからではなくデリーから支配されることに加えて国内他地域からの人口流入等もあり『インド世代』ないしは『英語世代』が台頭してくることになった。
 それでもある時期までは旧時代に教育を受けたポルトガル世代が実社会の中核を担ってきた。その彼らが引退するあたりで後に続くのはすべて『インド世代』であるから、ポルトガル色が急速に失われるのは無理もない話だ。
 またインド国内広範囲におけるサフラン勢力の台頭についても、これらと同じような要素が少なからず働いている面もあるのではなかろうか。独立闘争時代の記憶、ガーンディーが直に大衆に語りかけていたころを知る者、イギリス統治の功罪について実体験として知っており、独立後のインドと客観的に比較することのできる世代が社会の表舞台から退場した時期がちょうどターニングポイントであったように思う。
 歴史は世代が入れ替わることにより、それまでは人々の『実体験』であったものが、書物で読んだり人に聞いたりして『習う』ものとなり、人から聞いた知識だけが共有されるようになってくる。 しばしば東アジアの国々と日本の間では主に近代史における認識を背景にしばしば摩擦が起きる。  これらの国々では占領時代を忘れないよう歴史教育に力を入れているが、その『歴史』は為政者による作為により事実関係や解釈が変えられてしまうことが往々にしてある。もちろんそれは日本自身を含めてのことだ。
 それだけにこれまですごしてきた時代への評価や過去の出来事への言及のありようが変化してきたときには、その背景にあるものについて注意深くモニターしていく必要があるに違いない。

Sweet water in Mumbai

 ムンバイーで『海水が甘い!』と話題になっていることは数々のメディアで伝えられているところだが、実際のところどんな味がするのだろうか?今ちょうどその水際にいる方があれば、ぜひお話をうかがいたいと思う。本当に『甘い』のかそれとも海水なのに『塩気が感じられない』というのか?
 いずれにしてもこのウワサが本当だとすれば海の中で何が起きているのだろうか。こんな大きな話題になっている。このトピックを取り上げる地元マスコミ人たちは味見くらいしているのだろうか?
 アラビア海に面したチョウパッティ・ビーチを散策すると、しばしばコンコンと水が湧き出ている(?)様子が見られる。正体を確かめようと砂を掘り起こしてみたことがある。だが予想に反してそこには水道管だか下水管だかがあり、ここから派手に漏水していることがわかってガッカリした。同じ浜辺の別の地点でも波打ち際の砂地から滔々と湧き出る水流が出現している様子に気がついた小学生の息子に『ほら、足元に地下水脈があるんだ』と説明をしている父親の姿に思わず苦笑してしまった。
 でもひょっとするとムンバイーの沿岸の海底では本当に大水脈から真水が湧き出ているのだろうか?と思わせるような出来事だ。でも今になって急に水量が増えて『甘くなった』とするならば『ひょっとして近いうちに大きな地震でも?』と不安ならないでもない。それともやっぱり大型の配水管や下水管が破裂して海水の味を大きく変えてしまっているのか?大都会のミステリーの裏に隠された真実やいかに??
Hundreds drink ‘sweet seawater’ (BBC South Asia)

ビスミッラー・カーン没す

bismillah khan
 独立後のインドを代表する伝統音楽家、偉大なるシェナイ奏者ビスミッラー・カーンが自宅のあるバナーラスの病院で心臓発作により息を引き取った。しかし今年3月に90歳の誕生日を迎えた彼だ。まさに大往生である。
 現在のビハール州にあった藩王国の宮廷音楽家の家柄に生まれ、わずか6歳にして音楽の道に入ったという。シーア派ムスリムであるとともにヒンドゥー教のサラスワティ女神を敬愛してきた彼はこの亜大陸を占める二大宗教間の友好関係を象徴するかのような存在でもあった。
 ご冥福をお祈りいたします。
National mourning for Ustad Bismillah Khan (Times of India)

インド空のキャンペーン価格

 エア・デカンから広告メールが届いた。三周年記念キャンペーンとして同社が運行するさまざまな区間の料金が掲載されている。『格安度』は路線により違う。また同じ区間でも上り下りによって異なっていたり、どちらか一方にしかキャンペーン料金が設定されていないこともあるようだ。
 以下、かなり長いが今回のキャンペーン料金一覧である。
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アーメダーバード・チェンナイ 574
アーメダーバード・ハイデラーバード 574
グワーハティー・コルカタ 74
グワーハティー・デリー 999
グワーハティー・バグドグラ 74
ゴア・ムンバイー 499
コーチン・トリバンドラム 1
コーチン・ハイデラーバード 74
コーチン・ムンバイー 574
コインバトール・コーチン 1
コインバトール・チェンナイ 574
コインバトール・ハイデラーバード 74
コルカタ・グワーハティー 74
コルカタ・デリー 499
コルカタ・チェンナイ 1299
コルカタ・ハイデラーバード 499
コルカタ・バンガロール 1999
コルカタ・ポートブレア 1624
コルカタ・ムンバイー 1999
ジャンムー・スリナガル 1
スリナガル・ジャンムー 1
スリナガル・デリー 474
チェンナイ・アーメダーバード 574
チェンナイ・コルカタ 1074
チェンナイ・デリー 1574
チェンナイ・ハイデラーバード 74
チェンナイ・ムンバイー 574
チェンナイ・ポートブレア 1574
デリー・スリナガル 474
デリー・チェンナイ 1599
デリー・ハイデラーバード 999
デリー・パトナー 74
デリー・バンガロール 1774
デリー・ムンバイー 974
トリバンドラム・コーチン 1
トリバンドラム・チェンナイ 74
トリバンドラム・デリー 2074
トリバンドラム・ムンバイー 574
ナーグプル・ムンバイー 74
ハイデラーバード・アーメダーバード 574
ハイデラーバード・コーチン 74
ハイデラーバード・コインバトール 74
ハイデラーバード・コルカタ 499
ハイデラーバード・チェンナイ 74
ハイデラーバード・デリー 999
ハイデラーバード・ムンバイー 74
バグドグラー・グワーハティー 74
バグドグラー・デリー 1999
パトナー・デリー 74
バンガロール・コルカタ 1599
バンガロール・プネー 74
プネー・デリー 999
プネー・バンガロール 74
ポートブレアー・チェンナイ 1574
ポートブレアー・コルカタ 1624
ムンバイー・バンガロール 499
ムンバイー・チェンナイ 999
ムンバイー・コーチン 574
ムンバイー・コインバトール 999
ムンバイー・デリー 999
ムンバイー・ハイデラーバード 74
ムンバイー・コルカタ 1999
ムンバイー・ナーグプル 74
ムンバイー・トリバンドラム 574
※料金表示はいずれもルピー
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 トリバンドラム・デリー間の2074ルピーでさえも充分『安いなあ!』と感じるだが、コルカタ・デリー間が499ルピー、チェンナイ・トリバンドラム、バンガロール・プネー、ムンバイー・ハイデラーバードといった区間はなんと74ルピー。さらにスリナガル・ジャンムー、コーチン・トリバンドラム、コインバトール・トリバンドラムの運賃がわずか1ルピーなんていう超ビックリ価格もある。
 ちなみに1ルピーの運賃に加えて空港税等として875ルピー、また手数料50ルピーがかかってくるため所要金額の合計は926ルピーとなるが、それにしてもこんな格安料金で空を移動できたらうれしいものだ。
 上記の料金がキャンペーン期間のすべての座席で適用になるわけではなく、限られた数しか確保されていないのだが、本日同社の予約サイトにアクセスしてみると、一桁や二桁の激安料金の席にもまだかなり空きがあった。
 思わず我を忘れてジャンムー・スリナガル間の往復(わずか2ルピー!)の予約を入れてしまいそうになるのだが、 そもそもジャンムーまでノコノコ出かけている時間さえないのだぞ!とはやる気持ちを抑えるのに懸命なもうひとりの自分がいた。
 インドの『安い航空会社』の先駆けであるエア・デカンも、後発各社の参入により追われる立場になりつつある。すごい時代になってきた。格安航空各社がたびたび打ち出してくるこうしたキャンペーン料金、うまくタイミングさえ合えばぜひ利用してみたいものである。

マナーリーの婿殿たち

 インディア・トゥデイの8月2日号に『ガイコクの花婿と土地の花嫁』と題した記事が掲載されていた。外国人旅行者が大勢訪れるヒマーチャル・プラデーシュのマナーリー、とりわけヴァシシュトやマニカランといった長期滞在者の多い地域で、欧米から来たバックパッカー男性と現地の女性との婚姻が増えているとのこと。彼女らはたいてい宿の経営など旅行者相手の仕事にかかわる者の親族であり、あまり高い教育を受けていない人たちが多いとも書かれていた。
 地元の行政当局が把握しているのは現在までのところ30件程度。しかしこれらは外国人配偶者が現地に定住することを選び、すでに一年以上滞在している場合のみに限っての話だそうだ。だが他の地域に移動あるいは出国したカップルについては把握していないため、外国人との婚姻の数はもっと多いはずだという。
 記事中には地元に定住したカップルたちの実例がいくつか取り上げられていた。当初は旅行者としてやってきた外国の若者たちがヒマーチャル女性と結婚して子供をもうけ、地元の方言や習慣などを身につけて生活していること、長く暮らすにつれて地元の人々にも受け入れられている様子などが描き出されていた。
 あるドイツ人男性は宿の主人の娘と結婚し、彼女の親戚の家を借りて彼本人もまた宿を営んでおり、故郷で農業に従事していたオーストラリア人男性はここで結婚してからマナーリーで畑仕事にいそしんでいるという。
 通常、欧米人男性との国際結婚といえば都会のミドルクラス以上で学歴も経済的な水準も高く、かつリベラルな家庭環境にある女性であることが多いと思われるのだが、それとは対極の層でこうした事例が増えているということが注目を浴びたのだろう。
 もちろん田舎でも観光地にあればそこを訪れた外国人と地元のインドの若者が知り合うきっかけがあるのだから、こういう結婚が増えてきても特に不思議なことではない。記事に取り上げられてはいなかったが、日本人男性でも同様の事例があるかもしれない。
 個々のケースについてはおおむね好意的に取り上げられていたが、こうした結婚の動機について『外国人は合法的に長期滞在できるし費用も安い。インド人にとって経済的な援助や外国移住の可能性といったメリットが大きい』と非常に単純化して結論づけてしまっているのが気になった。
 そしてこのたび同誌の8月16日号には、この記事に対する読者の反応がふたつ取り上げられていた。他にもいろんな意見があったのではないかと思うのだが、おおむね都会の人々からはこういう風に受け取られるのかもしれない。
『外国の若者がわが国の無学で貧しい女性と結婚する例が増えているという記事を見てとても驚いた。これが麻薬の入手目的だとすればそんな結婚生活は長続きするはずはないだろう』
『外国人がヒマーチャルの女性と結婚して地元の文化にどっぷり浸かって暮らしているということを読んでびっくりした。貧しい地元女性たちにしてみれば貧困と日々のきつい労働から解放されていいのだろうが、外国人たちにしてみれば一体何の得があるというのだろうか。背後に何かよからぬ企みでもなければいいのだが・・・』
 ごく一部の豊かな人々しか『海外観光旅行』することができないインドとは裏腹に、先進国のあらゆる階層の人々にとって物見遊山でインドを訪れることができる。  ひとくちに『外国人』といってもいろいろあるし、価値観もさまざまで経済的に上を上をと目指している人たちばかりでもない。だからなおさらのこと同誌の読者たちにとって『なんだか訳がわからん』ということになるのだろう。
 こうした見方をされる部分はあるにしてもこの『ガイコクの花婿』たち、雑音に惑わされることなく良き夫として父親として幸せな家庭を築いて欲しいと思う。