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投稿者: ogata

  • ふたたび不安と不信のはじまりか

     7月11日午後6時台にムンバイーの郊外電車車両や鉄道駅などで連続して起きた爆弾テロ事件により、190人前後が死亡し620人以上が負傷したとされる。事件発生後、コングレス総裁のソニア・ガーンディー、RJD党首で鉄道大臣のラールー・プラサード・ヤーダヴらはデリーから事件発生現場へと急行した。
     どの現場でも同種の時限発火装置が使用されたと見られ、現在までのところこの事件にはこれまで幾度もインドでテロ事件を引き起こしているパキスタンを本拠とする組織と地元インドで非合法化され現在では地下活動を行なう過激派組織がかかわっているとみられている。
     こうした残忍にして愚かな行為はどんな理由があろうとも決して正当化できるものではない。しかしこうした事件を計画・実行しようとする組織や個人に対して、日々不特定多数の人々が出入りするという人口の流動性、常に人々の顔を見ながら生活していても、日々付き合いのある特定の個人を除いて他はすべて見ず知らずの他人であるという匿名性などから、都市といったものがいかに計画的にして組織的な暴力に対して無力であるかということをまざまざと見せ付けられた思いがする。  都会というものは、相手の顔が見えるようでいて、実は私たちが眺めているのは仮面や虚像に過ぎないのだろうか。
     数年前、ムンバイーの市内バスが連続爆破される事件が発生した直後、シヴ・セーナーによる、事件首謀者たちとテロに対する行政当局の無策ぶりに対し、ムンバイー市街地全域に及ぶ規模での抗議活動としての『ムンバイー・バンド』が実行され、その趣旨に賛同するしないにかかわらず同党とその友党であるBJP の活動家たちが市内を巡回・監視し、インドの金融・経済の中心都市として、また市民生活を含むムンバイーの機能が日中一杯すべてストップさせた。
     また事件の実行犯たちと同じくムスリムであることから受けるかもしれない危険や不利益を避けようということもあってか、いくつかのイスラーム教団体やイスラーム・コミュニティを支持母体に含む政党などが、メディアからの声明発信や街頭での演説などを通じて積極的な支持を表明してムンバイー・バンドに『相乗り』する様子も目に付いた。
     指導部の世代交代を発端とする組織の内紛を経て、幾人かの重要幹部たちが抜けた現在のシヴ・セーナーに当時のような力があるのかどうかわからないが、同党を含めてマハーラーシュトラ州はもちろん中央政界でも下野している右派勢力がこの事件を好機とみて与党に対する揺さぶりをかければ、そのコトバが説得力を持って一部の人々の胸に響くことだろう。 事件そのものだけでなく、出来事を受けての政界による反応もコミュニティ間の緊張につながりかねない。ともかく影響は長期に及びそうだ。ここしばらくの間好転している対パキスタン関係も大いに懸念される。
     このたびの事件で犠牲となられた方々のご冥福をお祈りするとともに、これがふたたび『人』『社会』『コミュニティ』『隣国』に対する不安と不信のはじまりとならぬことを願ってやまない。

  • ひとたび国境開けば

     このところスィッキムからチベットのシガツェ地区を結ぶナトゥラ(乃堆拉)峠経由の国境ルートが、印中間の公式な交易路として44年ぶりにオープンしたことが伝えられており、両国の国境警備担当者たちが握手を交わす姿、地域の商売人たちの談話なども報じられている。
     近年の印中関係の好転の結果であることはもちろん、長いこと旧スィッキム王国のインドへの併合を認めない立場を取ってきた中国のスタンスの転換の意味は大きい。
     結局地続きの両国である。これまでこの地域で影に日向に人や物資の移動は多少続いてきたにせよ、公には両国にとって『地の果て』でしかなかったヒマラヤの国境地帯が、いきなり『外界への窓口』になることから、これといった主要産業を持たない同地域の経済発展への期待がかかっている。
     だが単に『交易にかかわる収益+商機と雇用の増大=富裕化』という図式以外にこの交易路が地元社会に与えるインパクトがどのようなものであるか興味を引かれるところだ。
     交易・物流の拠点では商取引そのものだけではなく、運送業者や貿易手続き等にかかわるエージェント等、道路や公共施設そのインフラ整備に加えて民間による開発事業等も含めた建築関係の需要も出てくるし、宿泊、食事、娯楽等といった周辺産業もやってくるだろう。 ここが新たな『ビジネスチャンス』であるのは、アンダーグラウンドな人々にとっても同じことで、怪しげな人々の姿もチラつくようになるのも不思議ではない。
     とりもなおさず、これらすべてを包括した様々な業種に雇用を求める人々もやってくるはずだ。
     そんなわけで、このあたりでおカネが急速に回り始めるとともに、新たに定住する人とともに出張者や臨時雇いなども含めた流動的な人口をも加えた『総人口』の伸びも前例のない規模になるだろう。すると今度は住宅や子弟の教育その他生活関連のニーズも高まってくる。
     もうすでに相当規模の人口移動は始まっているのではないだろうか。従来からこの地域周辺に住んでいた人たちとはコトバも民族も異なる人々も流入してくることだろうから、今後いろいろ地元っ子たちと新住民との間での摩擦などもありえよう。
     そしてこの地域は国境の向こうからやってくる人やモノを通じて中国各地とも結ばれることになる。ボーダーの向こうとこちら側がひとつの経済圏となることから、中国側からの影響も様々な面で見られるようになるのかもしれない。このあたりの商売に従事していると、インド首都や国内他エリアの出来事よりも、国境向こうの取引先地域の動向のほうがよっぽど気になっていてもおかしくない。
     この地域がこれまでとはずいぶん違ったものになるのは想像に難くないようだ。今後の動向に注目したい。

  • 料理屋さんもそれぞれ


     ひと昔以上前、『エスニック料理』なるコトバでひとくくりにした『非欧米・中華』のガイコク料理がもてはやされた時期があった。東南アジア、中東、アフリカ、ラテンアメリカの実に様々な料理すべてが『エスニック』であり、もちろんインド料理もその範疇に含まれていたと記憶している。ちょうどそのころだったと思う。これら種々雑多な食事をメニューに網羅する『多国籍料理屋』なるものが出現したのは。
     その後、人気躍進したタイ料理やマレー料理のなどは『エスニック』のカテゴリーから独立し、外食の新たな人気ジャンルとして定着。もちろんインド料理も同様で、従来からラーメンやうどんといった、サラリーマンのお昼の定番アイテムのひとつとしての『カレー』とは全く違う『インドカレー』として、街角にごくありふれた身近な存在となり現在にいたっている。
     だが『インド料理』といったところで、インドという国がそうであるように、何かをもってインドの料理であると簡単に定義してしまうのはむずかしいところだ。それでも現在日本にあるインド料理屋の大部分が北インドの料理、とりわけパンジャーブ料理やムグライ料理といった北西部の食事を出していることが多く、そうしたものが『典型的なインド料理』ということになっているようだ。
     それはそれで別に悪いことではないのだが、『インド料理』の看板を掲げて同じようなものを出していると思われる店の中にもいろいろある。料理屋で本のレシピに書かれているスタンダードなものばかり出す必要はないし、それなりに独創的なアイテムでお客の目や舌を楽しませてくれるのは結構なことなのだが、かなり不思議なものに出くわすこともある。たとえば魚のカレーを注文してみたら鮭が出てきたり、タンドゥーリー・チキンを頼むと赤く染めた鶏肉の唐揚が出てきたりなどといったところだ。
     ごく一部だとは思うのだが、『店先や厨房にインド人を配置すればそれらしく見える・・・』と思ってか、いい加減なものを出す店はままあるように見受けられる。
     少し前に日本の新聞のウェブサイトでこんな記事を目にした。
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    「真の和食」にお墨付きマーク 仏で偽物の苦情増え(asahi.com)
    http://www.asahi.com/international/update/0701/009.html
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     インド料理店が増殖を続ける中、『ウチはちゃんとしたのを作ってるよ』という認証みたいなのがあってもいいかもしれない。
     皮肉なことに、妙なものを出しているところはお客が来なくなって早々に店をたたんでしまう・・・わけではなく、いつも結構込み合っていたりする。
     それだけに『悪貨が良貨を駆逐する』みたいなことになっては、真面目に頑張っている料理屋さんが気の毒ではないかと思うのだ。

  • インドの書籍が来日中

     会期余すところ一日となった第13回東京国際ブックフェア。今年も『FEDERATION OF INDIAN PUBLISHERS』のブースにデリーのアサフ・アリー・ロードにあるSTAR PUBLICATIONSが出展している。
     もうひとつインドから参加予定であった児童書(およびCDやVCD)を取り扱うBREPO SYSTEMS INDIA PVT LTDはフェア開催直前になってキャンセルとなったとのことで、彼らが陳列するはずであったブースは空のまま。
     イベント名に『国際』という二文字が付いている割には海外からの出展は質量ともに乏しいのは、読書大国ながらも出版物のほとんどが日本語であるというコトバの壁もあろうし、どの分野でもマテリアルのうち、かなりの部分が『国産』で完結しているという事情もあるだろう。 また非常に商業的すぎて(出版業というビジネスの見本市なので当然ではあるが)このフェア自体にあまり関心を持てないのだが、ときに掘り出し物がないでもない。
     もちろんこの催しは単に書籍をその場で販売するだけでなく、翻訳、版権、書籍流通その他の取引先を探したりといった様々な目的を持った人たちが集まってくる。  日本で誰もがその名を耳にしたことのある高名なフォト・ジャーナリストが著書を手に海外の業者相手に売り込みを図っているのを目にした。
     ともあれインド書籍の本はその場で販売しているので早い者勝ち。ブックフェアに出かける方はちょっと覗いてみてはいかが?
    ※東京国際ブックフェア最終日は7月9日(日)

  • 遺跡の民営化

     やや古い話になるが、インディアトゥデイ6月14日号にちょっと気になる記事が掲載されていた。ラージャスターン州が史跡運営の民営化に踏み出したという記事である。新たな収益の見込みだけではなく、これまで顧みられることのなかった史跡へのケアをも視野に入れているのだという。
     現在同州政府管轄下にある250の史跡があるが、これらの入場料収入は年間5千万ルピーにしかすぎないのだという。収入不振の原因として体制、スタッフ、セキュリティ等の不備が指摘されており、改善には巨額な投資と多くの熟練した職員たちが必要とされる。
     だがこれらの財源がないため、ラージャスターン州政権は大胆な策に打って出た。保護指定を受けた史跡の管理と整備、運営させる権利を与えることと引き換えにロイヤルティー収入を上げる道を開くため、史跡運営委託に関する法律の整備を行なったのだ。現在、30の史跡が『民営化』の俎上に上がっており、ジャイプルのハワー・マハル、ナーハルガル、ジャイサルメールのパトワー・キー・ハヴェリー、ブーンデイーのラーニー・キー・バーウリーなども含まれている。
     史跡等の管理当局のエライさんの談話も取り上げられている。『マルチメディア・センター、カフェテリア、みやげもの屋やここで繰り広げられるプログラムなどによる収入が見込める』とある。やっぱり史跡民営化の本当の目的は商業化らしい。行政による直接の関与から切り離すことによるコスト削減、民間資本による観光開発による歳入の増加による一挙両得を狙っているようだ。
     州首相のワスンダラー・ラージェー自身のコメントにも『史跡のより良い保存はもちろん、年間10億ルピー(現行の20倍)の収入を上げること』とある。もちろん財政的には史跡管理にかかる費用等を史跡自身の収入から拠出することができればそれに越したことはないだろう。史跡だけではなく州内の18の博物館の民営化も検討されている。

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  • パイロットが足りない!

     経済が好調なインドで、空の交通網の発展も順調。このところいくつもの新たな航空会社が立ち上がり価格競争時代に入っている。
     そうした中でパイロット不足が伝えられており、既存会社と新興のエアラインの間で操縦士の引き抜き合戦、それに伴う給与の高騰ぶりなどについても伝えられている。
     クルマの免許などと違い、所持者の数が限られており、トレーニングには膨大な費用・時間がかかり、養成機関のキャパシティも限られていることから、有資格者を大量に供給する術もない。だからパイロットは現在のインドで最も旬な職業なのかもしれない。
     航空機を操縦する資格を持つ人たちの職場といえば、旅客機や貨物機で各地を結ぶ航空会社がまず頭に浮かぶが、私たち一般市民と直に接点をあまり持たない分野に、その有資格者にして経験豊富な人材が大勢揃っている。それは軍隊だ。
     インディアトゥデイ6月28日号によれば、民間航空会社のパイロットの初任給が15万ルピー前後になるのに対して、空軍パイロットは2万5千ルピーと大きく差がついている。従前はそれほど大きな格差はなかったはずの空軍と一般旅客機のパイロットの賃金格差広がっている。その大きな要因のひとつがここのところの航空業界の好況だ。
     インドの航空界には、今後5年間で新たに300機が投入される予定であり、新たに3500人ものパイロットが必要になるという。ちなみに現在インドの民間航空会社で就労しているパイロットは2500人とか。そうした中で空軍パイロットの中からより良い報酬を求めて航空会社に転職することを目的に軍を退役したいと申し出るケースが続出しているのだそうだ。
     だがインド空軍もまた340名ほどのパイロットが不足しているらしい。しかし肝心の空軍機の不足から、極めて貴重な資格を持つ操縦士の三割ほどの人員が事務仕事をしているというもったいない話もある。
     空軍と民間航空会社の間での人事交流、つまり軍パイロットが必要に応じて一般の航空会社のフライトの操縦桿を握ることができるようにできないものかという意見も以前からあるようだが、国防という重大な国家機密に係わることでもあることから、実現は難しいようだ。

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  • 緊急ニュース インド産マンゴー日本上陸!

    mango
     そろそろらしい・・・とささやかれていたインド産マンゴーの日本への輸入解禁だが、ついにそのときがやってきた。今年6月23日付でその禁が解けたのだ。
     インドではマンゴーなどの果樹につくミカンコミバエやウリミバエといった害虫による被害が起きていることを理由に、同国からこうした昆虫の寄主植物の輸入を禁止していた。
     しかし以前よりインドはアルフォンソ種をはじめとするマンゴー類の日本への輸入解禁を求めてきており、蒸熱処理による殺虫試験データを日本側当局に提出してきたと農林水産省の資料にある。その後専門家の調査や検討を重ねた結果、このたびの輸入解禁の措置が取られることになったのだという。
     同省発表によれば、今後日本に入ってくることになるのは『アルフォンソ種、ケサー種、チョウサ種、バンガンパリ種、マリカ種およびラングラ種』(品種名つづりは同省PDF文中ママ)とされる。
     まさにこれは黒船襲来。『エライことになった・・・』と青くなっているのは、従来フィリピンやメキシコといった国々からマンゴーを輸入していた業者たちかもしれない。あるいはこれを機にインド産に乗り換えるのだろうか。また宮崎や沖縄などで、小売価格にして一個2千円前後もする高〜いマンゴーを生産している農家も『えぇっ、そんなぁ〜!』と困惑する顔が目に浮かぶ。
     これまで低調ながらも穏やかに棲み分けがなされていた日本のマンゴー市場をいきなり激震が襲った・・・という状態であろう。
     インド生まれのマンゴー第一陣が大量に上陸するまで秒読みに入った。やがて街角に山と積まれた肉厚のマンゴーの山から漂う芳香をかぐと『ああ、またこの季節がやってきた』と思うほど、日本の食生活に定着するのではないだろうと予想する人たちは多いはず。また熱烈なマンゴーファンにしてみれば、まさに『このとき歴史が動いた』という記念すべき出来事となる。
     この夏はインド産マンゴーが大ブレークするはず。さあ、買い物カゴを持って八百屋へ走ろう!
    インド産マンゴウ輸入解禁 −農水省 (農業共同組合新聞)
    インド産マンゴウの生果実の輸入解禁について(農林水産省)

  • 転落する一家

     BJP(リンク入れる)幹部にして能弁家、今年1月からヴァジペイー、アードヴァニーといった御老公たちが退き、指導部が一気に20歳近く若返りラージナート・スィンを中心とする新体制に移行してからの同党のまさに中枢を担う立場にまでのし上がった故プラモード・マハージャン
     4月下旬に家庭内での問題により自宅を訪れた実弟に射殺されるというショッキングな事件がインド全国を駆け巡った。病院関係者たちによる懸命の救命治療の甲斐なく、5月初めに死去。
     エネルギッシュで頭脳明晰なプラモード・マハージャンこそ、新世代BJPの看板役者でもありカリスマ性の高い指導者のひとりだった。彼にとって、そう遠くない将来にインド首相の座に就くことも視野に入っていただろう。党自体は現在の国政の場で下野しているとはいえ、マハージャン氏自身は『まさに飛ぶ鳥を落とす勢い』というイメージがあった。
     そんな人物が兄弟間のイザコザで命を落としてしまうのだから、運命というものはわからないものである。しかもマハージャン家の悲劇はこれにとどまらず、遺族たちはさらに弾みをつけて転げ落ちていっているように見える。
     プラモード・マハージャンの死により、遺族たちが長く深い悲しみに打ちひしがれていたはずの6月2日の朝、息子のラーフルは飛行機に乗ってコルカタ経由でグワーハティーに向かい、ブラフマプトラ河で父の遺骨を散骨するはずであった。しかし彼はそのころ生死の境をさまよっていた。父の腹心だったヴィベーク・モイトラーとともに薬物乱用による意識不明の重態となり病院に急送されたのだ。ヴィベークは病院収容時に死亡が確認され、ラーフルは回復したものの警察から取り調べを受ける。麻薬使用を明らかにする病院の検査結果を受けて逮捕されることとなった。後日ラーフルは保釈されたものの、薬物について個人使用のみならず取引そのものにもかかわっていたのではないかとの疑いもかかっている。
     父親の死を受けて政界入りすることが予定されていたラーフルだが、おそらくこの一件により政治家としてのキャリアはスタート前から潰えたようだ。コトが明らかになってから、同家と一定の距離を置こうとする党関係者は少なくない反面、ヴァジペイー元首相の発言『若いうちには過ちもある』などに見られるように、党幹部の中にはラーフルに同情的な者も多い。父親は亡くなったとはいえ、社会的に非常に影響力を持つ家庭背景があるだけに今後司法の場でどういう進展があるのか先行きは不透明である。
     ラーフル本人は父親の死、3年ほど前から患っていたうつ病の具合が思わしくなく、投薬量を増やすなど精神的に不安定ではあったようたが、かといって麻薬に溺れる理由にはならない。『若者』とはいえ、青春真っ盛りの高校生の暴走ではない。ラーフルはすでに31歳。分別をわきまえた立派な大人であるはずなのだ。
     家族、特に彼の母親や妹にとってはたまらないだろう。夫の死につづいて今後頼みとすべき息子も瀕死の状況に陥り、回復してからは麻薬使用と取引の疑いで警察の厄介になっているなんて。
     兄弟間の軋轢、腹心と息子の薬物禍が明らかになることにより、故マハージャンの名声も大きく傷ついた。私個人としては、家庭という小さな社会、人としての根幹となるべき場さえもまとめられないようで国政をまとめられるものだろうか?と思うところもあるのだが、世間を見渡してみれば高名な政治家であっても家庭にはいろいろと問題を抱えているという例は少なくないようだ。
     人それぞれいろんな考えはあることと思うが、どんな仕事にかかわる人間であっても、家庭を顧みないようでは人間として失格だ。もちろん個々にかかる社会的な責任から家庭へのしわ寄せが及ぶことは多々あるにしても、家庭こそが人間としての根幹部分であることは忘れてはならないと思う。
     今回の一連の騒動は、私とって縁もゆかりもない一家族の悲劇だが、その凋落ぶりを報道で見聞きするたびにとても悲しくなってくる。
    Nerve Timeline for Rahul Mahajan (Nerve News of India)

  • やっぱり良かったこのレンズ

     被写体という『ソフト』の宝庫がインドならば、カメラやその周辺機器といった『ハード』大国はニッポンだ。特に写真がデジタル時代を迎えてからはその傾向が一層顕著になっている。
     先日『旅行に最適な一本!』として取り上げてみたシグマ17-70mm 2.8-4.5 DC MACRO を手に入れてみた。レンズの長さ、鏡胴の太さや重量はおなじくシグマのデジタル専用レンズ18-125mmあるいは18-200mmといったものと同等でかなりコンパクトだ。
     正直な話、17-70mmといえば焦点距離の重なるレンズを複数持っているため、このテのズームレンズをマクロ機能目当てに購入するのはもったいない気もしていた。それならばちゃんとしたマクロレンズを購入したほうがいいだろうと。
     しかし店先で試用品に触れてみて「あぁ、これはいい!」と迷いは吹っ切れて、その場で購入。なんがそんなに良いかといえば、やっぱりマクロ機能なのである。最短撮影距離がズーム全域で20センチ(カメラボディの撮像素子表面からの距離)なので、70mmのテレ端を使う場合はレンズ表面に衝突してしまうくらい接近できる。この焦点域では開放値が4.5と暗くなってしまうものの、一本のレンズでマクロ撮影を含めてほぼ何でもこなせてしまうのはとっても便利だ。それに広角端では開放値は2.8と同程度の焦点域のズームレンズよりも明るいこともなかなか気に入った。
     さっそく試しにユリの花を撮ってみる。
    ユリ
     シグマとタムロンの両社は常に一方が目新しいモデルを出せばもう一方も同種の競合モデルを出し、交換レンズの分野でしのぎを削りあう二大巨頭といった感じだが、今回もやはりシグマのこのレンズにぶつける魅力的な製品を市場に送り出している。それは 
    SP AF17-50mmだ。テレ端が50mmと短いものの、ズーム全域でF2.8という使い勝手の良さそうなもの。焦点域によって最大開放値が変動するシグマ17-70mm 2.8-4.5 DC MACRO(標準的なズームレンズはたいていそうだが)に対し、この部分は大きなアドバンテージだ。
     最短撮影距離27センチと大きいためマクロ的に使う場合は前者のシグマ製品に軍配が上がるのだが、こちらもまた優れたレンズだと思う。
     近ごろはデジタルカメラもいろいろと多種多様になってきている。次から次へと興味をそそるものが出てきて目の毒だ。

  • インドの書籍来日予定

     今年で13回目となる本の見本市、東京国際ブックフェア2006は7月6日(木)から9日(日)までの4日間開催される。会場は東京都江東区の東京ビッグサイト。
     今年もまたインドからデリーのAsaf Ali Rd.でHindi Book Centreを運営するStar Publicationsにより、Federation of Indian Pusblishersの名前で出展がなされる予定。 (本日現在、ブックフェアのサイトにはまだ記載されていないが、問い合わせてみたところ『参加』とのことだ)
     例年このブース内で展示図書の販売もなされる。タイトルも部数も限られているので『早い者勝ち』になる。さて、どんな本が並ぶのか、ちょっと覗いてみてはいかが?

  • ダーラーヴィーの眺め

     以前『宝の山(1)(2)』として取り上げてみたムンバイーのダーラーヴィー地区はアジア最大とも言われるスラムだが、このほどBBC South Asiaで『Life in a Slum』と題してここに生きる人々の暮らしぶりを伝えている。
     もちろんここで取り上げられているのはギャングや犯罪者など、『スラム』からすぐさま連想されてきそうなネガティヴな面ではなく、一生活者として日々を送るフツウの人々。周囲の相場と比較した家賃の安さと交通の便から住み着いているものの、やはり機会があれば外に出たいと思っている勤め人や主婦、学生にメイドといった面々である。
     インド経済・金融の中心地でありながらも、周囲を海に囲まれた半島という地理的な制約があるムンバイーで土地というものがいかに貴重なものであるかということを端的に表している。人々が各地から職を求めて集まってきた結果形成されていったのがスラムだが、見方を変えれば街が様々な分野で働く人々を必要しているものの、それらの人々を吸収するキャパシティに欠けているため、さらなる発展の可能性の芽をつぶしてしまっているということにもなる。
     漁村から都会へと発達したムンバイーの成長は、東西南北どちらを向いても海原に大きく開かれた港湾都市という性格に負うものが大きいが、まさにその海によりどちらの方向を向いても塞がれている。旧来の市街地から隣接した郊外に新興住宅地や工業団地などをシーレスに拡大していくことのできる内陸の都市と比較して、スペースの上での制約が大きい。成長の波に乗るインドで、バンガロールやハイデラーバードなど商業や金融の核として伸びてきた街はいくつもあるが、かといって経済の中心地としてのムンバイーの地位がゆらぐわけではない。行政当局によるダーラーヴィー再開発計画とともにかつて東京でもてはやされていた臨海副都心計画のようなものが浮上する日も遠くないかもしれない。

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  • ネットで体験する世界遺産

    ネットで体験する世界遺産
     World Heritage Sites in Paranography というサイトがある。ここでは各地の世界遺産のパノラマ画像を360℃の角度から眺めることができるのだ。(閲覧にはQuick Timeのインストールが必要)
     日本やロシアのコンテンツは今のところアップされておらず、このサイト自体がまだ発展途上といった印象を受ける。しかしここで見ることのできる画像の美しさはもちろんのこと、画角の広さからその場の雰囲気もよく伝えていて興味深い。イランのイスファハーンの画像などは、卒倒しそうなほどに美しかった。最初は『ああ、こういうサイトもあるのか』と何の気なしにブラウズしていたのだが、知らぬ間に『呑み込まれて』しまい、ずいぶん時間が経ってしまった。
     もちろんインドについてもかなり手厚く25か所のパノラマ画像が掲載されている。南アジアの周辺国のものなども含めて、訪れたことのあるところ、ないところをあれこれと眺めてみるのも面白いだろう。
     どういう技術でこういう画像の作成が可能なのか、ハイテク音痴の私には皆目見当つかないのだが、こうした手法で各地の旧所名跡や風物を記録したギャラリーが増えてくるといい。遺跡の外に広がる景色をしばらくたどって行くことができたり、最寄りの町までの沿道風景をそのまま画像でフォローできたりする『仮想旅行体験』が用意されているとなお楽しそうだ。
    WH Tour