
なるべく軽量に・・・ということで、コンパクトデジタルカメラという選択肢も当然出てくる。近ごろのそうしたモデルのトレンドは高倍率なズームレンズと手ブレ補正の搭載だろう。ズームレンズで気になることがある。倍率が大きい反面、広角側が不足するモデルが多いこと。 多くは35mmカメラ換算で35mmから38mmからというものがほとんどだ。ちょっと高目のものになると広角側は別売りのワイドコンバージョンレンズを装着して対応なんていうものも少なくない。しょせんコンパクトカメラ、ズームアップした際の画質はかなり悪くなるので、テレ端はせいぜい80mm程度あれば充分なのではないかと思う。しかし建物を撮るにしても室内で撮影するにしても広角側28mmはぜひ確保したいところだ。
手ブレ補正については、もともとはフィルム時代と違い液晶モニターを見て撮影するスタイルが定着していること、先述の高倍率ズームが普及してきているためブレが生じやすくなってきていることから有効である。もともとは一眼レフなどの望遠レンズを安定して撮影するために開発された機能ではあるが、三脚を使用することなしに手持ちでスローシャッターを切ることができるなど、撮影できるシチュエーションが従来よりも確実に広がるため極端な話広角レンズであっても大いに役立つ。
手元にある小さなモノを撮ってみることも多いので、本格的なマクロ機能も欲しい。そして測光方式も評価測光、中央部重点平均測光、スポット測光を任意に選択できるものでありたい。撮影モードもプログラム、絞り優先AE、シャッタースピード優先AE、マニュアル露出と用意してあって欲しい。これらの機能を選ぶ際の使い勝手も良くなくては困る。
もちろん電源入れてからの起動は早く連写にも強いものがいい。三脚に固定して撮影するときにレリーズを使いたい。液晶モニターはバリアングルが欲しい。液晶モニターが付いていても、最近増えてきているファインダー省略したようなカメラはあまり好きじゃないなあ・・・なんて注文を挙げていると、いつの間にかコンパクトカメラらしいサイズのものでは適当なモデルが見当たらなくなってしまう。
それでもちょっと前まではかなり魅力的なモデルは存在していた。たとえばニコンのCOOLPIX 5000であり、その後継機種の同じく5400やこのタイプ最終型の8400といったシリーズがそれに当たると個人的には思っている。
前者ふたつは28mmから最後のモデルは24ミリから始まるズームレンズを持ち、機能・描写ともに評判の高いものであった。外付けのフラッシュが使用できるようにホットシューも付いている。
私はこのタイプ最初の5000を持っていたのだが、秒進分歩といわれるデジカメの世界にあっても、画質は今売られているコンパクトカメラ上級機種に比較しても遜色ないといわれるほど現在でもなかなか評判は高いようだ。
私も購入した当初は大いに気に入ってきた。ある一点を除いては・・・。それは取り回しが非常に悪いことである。電源の起動が遅く、ボタンを押してからシャッターが切れるまで数秒かかる。そして次にシャッターを切ることができるようになるまで10秒ほど待たなくてはならない。非常にじれったいのであった。また多彩な機能を搭載しているにもかかわらず、そのひとつひとつを使うにあたりいくつもの面倒なボタン操作をしなくてはならなかった。
おそらく最終型の8400になってからはずいぶん改善されたことだろうし、さらに次代のモデルが続いていれば相当良いカメラになったことと思うが、そうはならなかった。ニコンに限らず、どのメーカーでもコンパクトデジタルカメラの高級機種は軒並み姿を消している。
デジタル一眼レフの価格が下がったことにより、コンパクトタイプのハイエンド機のユーザーはそちらにシフトしていることがある。購買層の大部分はデジタル一眼レフが欲しくても手の届かない人たちであったため、価格帯がほぼ同じなってしまうと存在意義がなくなってしまったのだろう。加えて高性能な『ディマージュ』シリーズを製造していたコニカミノルタのような有力メーカーがカメラ事業そのものから撤退してしまったことなどが理由として挙げられるだろう。
現在のところ気に入って使用しているのはリコーのGR-DIGITALで、使用感はなかなか良い。28mm単焦点というのが気に入っているポイントのひとつだが、これ一台ですべて満足というわけにもいかない。やはり便利なズーム付きのものも欲しくなってくる。
今までのところデジタルコンパクトカメラの分野で、銀塩カメラ時代のCONTAXのG1やG2、または富士写真フィルムのTIARAなどのように長く大切に使いたくなるようなモデルは存在していない。
現時点で少々気になっているのは、リコーのCaplio GX8の後継機がそろそろ発表になりそうなこと。それとキヤノンのPOWER SHOT S80も悪くないかなと思っている。だがどちらも積極的に『欲しい!』と思わせるものではない。ここのところのデジタル一眼レフのブームがひと息ついて、手軽だけどちょっと贅沢な高級コンパクトデジタルカメラの需要が高まって来ないものかと思っているところだ。
まあ人間の『物欲』というものは際限のないものだが、待望の面白いカメラを手に入れて、早速インドの風景などを撮影してみたいが、せっかくの愛機が『盗られちゃいました』なんてことにならないようにお互い気をつけたいものである。
投稿者: ogata
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『旅行仕様』の楽しいカメラは 3
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『旅行仕様』の楽しいカメラは 2

一眼レフ市場に新規参入を予定しているもう一社、ソニーはどういうモデルを準備しているのかこちらも気になるところだ。他社による既存のシステムの中で自社独自の味付けをしたパナソニックの堅実路線とは趣を異にすることになるのではないかと予想している。
しかもこちらはカメラ事業から撤退したコニカミノルタ社の同事業部をそっくり継承しており、独自の技術力に加えて常に前向きな社風からして、新規参入の分野ともなれば必ずや『おおっ!』と人目を引くセンセーショナルなモデルを投入すべく、私たちの知らないところで一大プロジェクトが進行中なのだろう。
加えてもうひとつ、今までのところ注目度はイマイチだが国際的なコラボレーションが進行中。カメラ老舗メーカーのPENTAXが、なんと韓国のSAMSUNGとの共同開発モデルをこの秋に発売する計画があるのだ。後者としては初のデジタル一眼レフカメラだ。韓国本国はもちろん、携帯電話その他の電化製品でそれなりのブランドイメージを築き上げたインドでは、もちろん『SAMSUNG』ネーム最高峰のカメラとして派手に宣伝することになるのではないだろうか。今回開発されるモデルをきっかけに、初めてこのタイプのカメラに手を出すインドのミドルクラスの人々が結構出てくるのかもしれない。
このところカメラメーカーが家電系メーカーとタイアップする動きの背景には、CCDなどの電子部品の開発や生産の負担がある。デジタルカメラの分野では、銀塩時代に比べて光学部品やアナログ的な機械部分に対する電子系の構造部に依存する割合が高くなってくるにつれて、得意なフィールドを分業しなくては開発が難しくなってきているようだ。
だがもともとこうした分野にも明るいキヤノンや富士写真フィルムなどは、現在までのところ家電メーカーとの共同開発は行なっていない。資金力も技術力も豊かな前者は、おそらく今後もそうした必要はないのかもしれない。
キヤノンとニコンでは、35mmの銀塩カメラと同じ大きさの画角を持つ、いわゆる『フルサイズ』CCD搭載カメラが一般ユーザーにも手が届く普及価格で登場することを待ちわびる声が高いものの、依然としてこれらはプロ向けの高級機だ。今までのところ主流はやはりAPS-Cフォーマットのモデル。そうした中で前回取り上げた第三の流れともいうべきフォーサーズ規格はオリンパスの開発によるものだが、今回取り上げたパナソニックを含めて全部で7社が参入を表明しており、今後の成り行き次第では普及価格帯の一眼レフ市場の流れを変えることになる可能性を秘めている。
私自身は結局何でもいいのだが、一眼レフの操作性とデジタルの利便性が軽量コンパクトにまとまり、ホコリや振動にも強く丈夫でしかも安価・・・といったモデルが出てくるのを楽しみにしている。これぞまさに『旅行仕様』カメラではないだろうか。
私は写真家ではないので撮ることが目的ではない。けれども写真は好きなので、必要最低限の機材を持って最大限に楽しみたい。旅先へ持参する身の回り品は少なめの私だが、それに比較してカサと重量が張るのはカメラ関係。これらを取り出してみればスカスカでとても身軽なリュックになるのに。
コンパクトデジカメ一台だけならずいぶん楽だろうとも思う。かといっていつものカメラ一式を放り出して出かけてみると感動的な景色や興味深い風景を目の前にして非常に心残りだったりする。やはりテキトーなところで自己満足させてくれる機械が必要らしい。 -
『旅行仕様』の楽しいカメラは 1

以前、デジタルカメラ市場の一眼レフの分野へ進出を狙う家電メーカーについて『家電メーカーのデジタル一眼に期待』として取り上げたが、そのうちのひとつパナソニックのモデルLUMIX DMC-L1 は今年の夏以降発売予定であることがすでに発表されている。
オリンパスと同じフォーサーズシステムを採用、同社およびシグマから発売でこの規格に準拠したレンズが使用できるとはいえ、35ミリ換算で2倍の焦点距離となること、バリエーションはまだ豊富とはいいがたいこと、また超広角域をカバーするレンズは高価なものしかないところは弱みである。今後のレンズラインナップの充実具合は、この新モデルを含めた同システム採用のカメラ群の売れ行きいかんにかかっている。
言うまでもなく、一眼レフはレンズやストロボその他の様々な周辺機器を自由に組み合わせて使うことができることにその価値がある。そうした既存のコンポーネントを持たない会社が新規参入するのは、技術の蓄積やブランドへの信頼感に欠けるのみならず、実はこの部分が特に難しいのではないかと思う。利用できる機材が何もないようでは、カメラ自体が魅力的でもそれをあえて買おうというユーザーはそういないだろう。
フォーサーズとは撮像素子つまりセンサーとレンズマウントの共通規格だが、このパナソニックのカメラではオリンパス製品との包括的なシステム互換性を持たすことを想定しているらしい。つまりパナソニックブランドによる最初のモデルが登場する前から、利用できる機材がすでにこの世に存在するということは大きな強みである。
それだけではない。DMC-L1と同時発売予定の『LEICA D VARIO-ELMARIT 14-50mm F2.8-3.5』がとっても気になるレンズなのだ。『ライカ』ブランドであることについて特に関心はないのだが、その名前を冠しているからには相当良いモノであることを保証しているのだろうと期待するのはいうまでもない。そしてズームにしてはかなり明るいF値を持つことも特筆すべきだが、しかも3〜4段分の手ブレ補正つきということだから、手持ちでの撮影のチャンスがグッと広がる。
ボディは丈夫なマグネシウム合金ダイカスト構造、記録メディアは軽量コンパクトなSD(新規格のSDHCにも対応)メモリーカード、内蔵フラッシュはバウンス撮影も可能、オリンパスのE-330同様に(カラクリは違うそうだが)背面のモニターではライブビューモードも選択できる。それなのに1/3段刻みのシャッターダイヤルが付いていたり、先述のライカブランドのズームレンズには絞りリングがあったりと、まるでマニュアル機みたいな雰囲気がある。
私は現在キヤノンの20D を使用している。利用可能なレンズのバリエーションの豊富さとカメラ自体の機能面では大変満足しているものの、特に埃っぽいインドにあってはレンズ交換のたびにゴミやホコリが容赦なくドシドシ入ってくるのにはとても困るので、愛憎半ばするといったところだ。
しかしパナソニックのDMC-L1には、オリンパス社のEシリーズのダストリダクションシステムと同様のものが搭載されていること、そしてコンタックスのG2 並みにコンパクトであることに注目している。フォーサーズ規格の他のコンポーネントはさておき、このボディDMC-L1とレンズLEICA D VARIO-ELMARITの組み合わせだけでも充分すぎるほどの魅力がありそうだ。
やはり予想していたとおり、カメラ界の老舗にして巨大メーカーであるキヤノンやニコンと真っ向から衝突するようなモデルではないようだ。おそらく同価格帯の他社モデルと比較したスペック面、AF性能、連写機能、操作性、画質等々のうち、どれをとってもあまり勝ち目はないのではないかと思う。だが秒進日歩のデジものの世界にあって、めまぐるしい進化に目を奪われて次から次へと興味関心が移ることなく、そろそろ長く使えるお気に入りモデルが登場して欲しいところだ。すぐに飽きがくるようなものではなく、写真好きな大人が趣味の機械として愛着を持って使っていけるような。
日常的に小さなショルダーバッグに無造作に放り込んで使うのはもちろん、ちょっとがんばって本格的な撮影にも挑戦できる頼もしいカメラなのではないかと今から気もそぞろなのは私だけではないはず。 -
日経ビジネスもINDIA !!

このところ日本のビジネス誌もこぞってインド特集を組んでいるが、現在発売中の日経ビジネスもこの大市場をカバーしている。IT産業の隆盛が何かと注目されがちなインドだが、昨今の経済成長と世界的市場としての発展について、この2年で2倍になるほどの急成長ぶりを見せていても、GDPに占める割合がわずか4%強に過ぎないITにそれほどの購買力の底上げ効果があるはずはないとしてその背景を探っている。
これについて関税率が段階的に下がったこと、つまり1991年以前には最高150%だったものが現在では最高でも12.5%となっていることもあり、ちょっといいモノがリーズナブルな価格で手に入るようになったこともあるが、それよりもインドの消費拡大は金融事情の変化、つまり規制緩和によるものが大きいと解説している。
具体的には『銀行もノンバンクも、インドの金融機関はカネ余りになっていて、貸し出し競争が起こっている』とし、ローンや割賦販売の普及により、耐久消費財を購入しやすくなり市民がおカネを使いはじめたことを挙げている。
また『工場』としての中国とは違う視点から、『売り』から入れる途上国として切り込み、1994年にインド進出したソニーが2004年にインドでのテレビ生産を中止して、タイにある自社グループ工場製の輸入品販売に切り替えたことが取り上げられている。この年からインドとタイの間でFTA(自由貿易協定)が結ばれていることから可能になり、インドで現地生産するメリットがなくなったためとのことで、裏を返せば製造基地としての足腰が弱いことにもつながる。販売市場としての期待されるインドではあるが、『購買力に比べて販売にインフラが未成熟なのが特徴』であること、いわゆる白物家電の分野で圧倒的に強いのはサムソンやLGといった韓国勢であることなど、日系企業が苦戦している様子も描いてある。
日本との関係においても、中国における在留邦人が10万人であるのに対してインドでは2000人(もっといるのではないかだろうか?)に過ぎないとし、空の便は日系航空会社だけで毎週274便が中国の主要都市に飛んでいるいっぽう、インドへは首都デリーに週3便しかないなど、まだまだ相当な距離感があることにも触れている。
こうした状況を踏まえたうえで、これまで東南アジアや中国などへ進出する際の日本企業の特徴であった『日本企業文化の浸透』『低コストの生産拠点としての活用』『日本人駐在員の大量投入』といったやりかたから脱して、『欧米的な経営管理方法の導入』『欧米での留学、職務経験のあるインド人や印僑の登用』『欧米拠点での成功体験がある日本人社員の活用』を提言している。
とりあえずそんな具合に意欲的な記事が並んでいる。その反面路上の白いコブ牛を『水牛』と呼ぶのはまだしも、『カーストが職業を保証している』(記事中では留保制度のことを言っているわけではない)というくだり、都会でも娯楽施設がまったくない国であるかのように書かれて(たとえばバンコクのタニヤやパッポンといったエリアに出入りすることを『娯楽』と思っている人にはそうかもしれない)いるなど、インドに対する変な誤解や先入観を植え付けるような記述があるのはどうかと思う部分はある。
だがとりもなおさず経済の分野でインドの何が日本企業の関心を集めているのかわかりやすくまとめてあり、なかなか興味深いものがある。 -
新時代の辞書
今年3月に新たなヒンディー語・日本語辞典が刊行された。株式会社大修館書店から出た『ヒンディー語=日本語辞典』(古賀勝郎/高橋明 編)である。もとより日本語で解説された南アジアのコトバの辞典は少ない。地域の大言語であり、話者人口も世界有数のヒンディー語でさえも一般の書店で手に入るものといえば、これまで1975年に初版が出た大学書林の『ヒンディー語小辞典』(土井 久弥 編)しか思い当たらなかった。
日本でバブル期あたりからの海外旅行ブーム、そして90年代半ばあたりから経済の面でもインドが注目されるようになってから、ヒンディー語のフレーズブックや入門書の類はポツポツと出ていたものの、さすがに本格的な辞書が出てくることはなかった。
日印間の距離が近くなってきたとはいえ、中国やタイなどにおいてのそれぞれ中国語、タイ語といった地元のコトバの占める立場と、インドにおけるヒンディー語のありかたには大きな違いがあるので、こうした具合になるのは無理もない。およそ人々の動きの中で『経済活動』、つまり日々の糧を得るための仕事が占める部分がとても大きい。そのためちょっとかじってみる・・・程度ではなく、わざわざ貴重な時間とお金を費やして本腰入れて学ぶとすれば、やはりそのあたりが強く意識される場合が多いこともあるだろう。
もちろん英語で書かれたものならば、従来からインド国内はもちろんOXFORDやHIPPOCRENEといった英米の版元によるものを含めていろいろあるので、「辞書がなくて困る」なんてこともない。今の時代、インド国外のどこの国にいたってネットの通販でいろいろ手に入る。
ただ自国語により解説された××語の辞書があるかどうか、あってもバリエーションが豊富かどうかといったことは、その××語を話す人々と自分の国との距離を暗に示しているようだ。
たとえば英・日辞典の数はいったい何種類出ているのか見当もつかないくらいだ。また中・日辞典は大陸系のものと台湾系のもの双方流通しているし、韓・日辞典もいろいろ売られている。日本国内で出版されたものだけではなく台湾や韓国で発行されているものもあり、これらの国々の人々にとっていかに日本語が身近なものであるかということもうかがえる。タイ語辞典にしてみても、タイ語から日本語を引くあるいは日本語からタイ語を調べるもの以外にも、タイ語ことわざ用法辞典なんていう便利そうなものも書店に並んでいる。
今の日本で人気の外国語といえば何だろうか?おそらくNHKの語学講座で扱っているコトバがそれらに相当することだろう。先述の英・中・韓に加えて、スペイン、ドイツ、フランスなどといったヨーロッパ諸語がある。そして数年前から突如としてアラビア語が登場したのにはやや驚いたが、ちゃんと継続しているところを見ると視聴者の関心はそれなりに高いのだろう。
テレビとラジオ双方にアラビア語語学講座があるが、後者には東京港区元麻布にあるアラブ イスラーム学院の文化・広報担当者が出演している。サウジアラビアの政府予算で運営される同学院は、在京の同国大使館付属機関であるとともに、『イマーム・ムハンマド・イブン・サウード・イスラ-ム大学東京分校』という位置づけを持ち、実績次第でイマーム大学リヤード校又は他のイスラーム諸国の大学への留学の道も開かれているなど、かの石油大国は日本でのアラビア語普及にかなり力を注いでいるようだ。
そんな中で、今年3月に出てきたヒンディー語=日本語辞典。アラビア語、ペルシャ語、英語等からの借用語を含めた8万語収録、前者ふたつの言葉を起源とする単語についてはウルドゥー語表記も付加してあるし、イディオムや用例もなかなか豊富である。日本語解説による本格的な辞書の登場だ。
編者は大阪外国語大学の先生方。辞書の編纂には深い学識とともに非常に緻密で膨大な作業がともなうものなのだろう。充実した収録内容と情報量、それとは裏腹に出版部数がそれほど多くないであろうことを考え合わせれば、これが日本で18,900円(税込)で手に入るとはちょっと安くないだろうか?
この新しい辞書の登場は、日本におけるインドのコトバに対する関心の高まりや両国間の距離が以前よりもさらに近くなってきたことを象徴している・・・とは言いすぎかもしれないが、そうあって欲しいと願っている。
『ヒンディー語=日本語辞典』
古賀勝郎/高橋明 編
ISBN: 4469012750 -
日本でインド系放送の輪広がる

昨年から日本で東京のMOLA TVと大阪のHUMTUM TVがインド、パーキスターン、バングラーデーシュのテレビ番組をウェブ上で配信するサービス(番組配信事業において両社は提携関係にあり、契約パッケージ内容・料金ともに同一)を行なっており、この一年ほどで取り扱いチャンネル数が次第に増えてきた。
当初はヒンディー番組のみであったが、今ではパンジャービー、グジャラーティー、マラーティー、ベンガーリー、ウルドゥーと放送言語のバリエーションも広がっている。BTV(バングラーデーシュ)、PTV(パーキスターン)に加えて、南アジアのさらに他の国の放送をラインナップに加える予定もあるのだ。各現地語による放送番組をそのままウェブ上で流す、いわばケーブルテレビのインターネット版といえるだろう。
この盛況を受けて、新たな会社がこの業界に新たに参入する動きが出てきている。IP電話を利用した安いプリペイドカード国際電話の取り扱い、国際線航空券の販売、自動車の輸出などを手がける株式会社ユアチョイスコーポレーションである。
この手のサービスの広がりはADSLや光ケーブルによる大容量回線の普及を背景にしたものであることはいうまでもない。ZEE TV等の各放送局により国ごとに指定の番組配信取扱業者があり、これらの業者が番組を流すのは日本国内のみであること、番組で使用されるのはどれも現地の言葉であるため顧客の大部分が日本在住の南アジア系の人々であるため、日本における彼らの人口規模の相当な拡大が感じられる。
契約者の大部分を占める南アジア系世帯の中で、番組視聴時間が最も長いのは主婦であるといわれる。在日の南アジア系の人々の中に占める勤労者は男性が圧倒的に多い。彼らは日中ずっと仕事で出払っており夕方の帰宅時間も決して早くはない。そのためあまりテレビを見る時間はない。だが夫の赴任についてきた奥さんたちの多くは専業主婦で小さな子供がいるケースも多いので家にいる時間が長くなる。そのためこうしたサービスが必要とされるのだ。結局のところネット経由のインド系テレビ番組の普及のカギを握るのは主婦らと小さな子供たちなのかもしれない。
80年代末のバブルの頃から日本の街角では南アジア系の人々の姿が急増したのだが、当時は短期滞在において日本との間に査証の相互免除の取り決めがあったパーキスターン、バングラーデーシュ(そしてイラン)の人たちが工場や建築現場などで働いていたが、ほとんど例外なく単身で日本に来ていた。
やがて日本の景気の悪化とヴィザ取得の義務付けと審査の厳格化により、彼らの数は次第に減少していくのとちょうど入れ替わるように増えてきたのがIT関連の業界で働くインド人エンジニアたち。やはり彼らもまた比較的若い年齢層の人たちが多いが、前者と大きく違うのは合法的な在留資格を持ち、いわゆる3Kの職場とはまったく違う環境での業務に従事するエリート的な立場であることはもちろんのこと。しかし日本での生活面でも大きく違う面がある。若い層が多いことから単身者も決して少なくないものの、奥さんや子供を伴って来ている人が非常に多いことである。日中多くの時間を家の中で過ごすことが多い彼らにとってこそ母国の放送がリアルタイムで受信できることのメリットは大きい。
もちろんインドだけではなく、東南アジアや南米など各国の放送がネット経由で流れるようになっている昨今。在日の外国人等を相手に小さな会社が番組のパッケージを細々と切り売りする状況にも変化が現れるのではなかろうか。大手通信系会社が一手に複数の国々からなる大量のチャンネルを扱おうと試みることがあるかもしれないし、各国での大容量通信回線の普及が進めば、外国のそうした業者が日本国内に拠点を構えることなく、直接切り込んで来ることもあるのかもしれない。
いうまでもなく、現在インド系テレビプログラムを日本国内で配信する業者たちは、各放送局と正規の契約を交わしたエージェントであり、放送されるコンテンツについては著作権等の関係も含めて法的に守られていることから、他社が勝手な真似をすることは許されない。それでも第三者によるプログラムの二次利用や再配信、そして『海賊放送局』など、いろいろ出てきそうな予感はする。
かつて海外のテレビ放送受信といえば、巨大なパラボラアンテナを設置して海外のテレビ局による衛星放送を受信なんていう大掛かりでマニアックなものであったが、ここのところ急速に手軽で簡単なものになってきている。時代はずいぶん変わったものだとつくづく思う。こと通信や放送について、世界は本当に小さくなったものだとつくづく思う。 -
池袋にショヒード・ミナール

1999年にユネスコの第30回総会で宣言された『国際母語の日』は2月21日。この日をShaheed Dayと呼び国民の祝日とするバングラデシュの強い働きかけにより実現したものである。 民族固有の言葉と文化の大切さをアピールし、1952年に自国の言語運動で大勢の犠牲者を出したこの2月21日を採択することを提案し、数多くの国々から賛同を得たのである
本物のショヒード・ミナールが建つバングラデシュは、多くの尊い命と引き換えに自主独立を達成した国だが、暮らすチャクマ族をはじめとするモンゴロイド系少数民族との摩擦などからくるチッタゴン丘陵問題をかかえていることは皮肉ではある。この世の中はさまざまな力関係が幾重にも折り重なってできている。だから被抑圧者は同時に抑圧者でもあり、強者と弱者の連鎖は果てしなく続いているものなのだ。
本題に戻ろう。このたび国際母語の日の象徴でもあるダッカのショヒード・ミナールのおよそ1/10ほどの大きさのレプリカが池袋西口公園に登場した。昨年7月12日、来日中のバングラデシュのジア首相から東京都豊島区に寄贈されたもので、同日定礎式も行われている。今年4月16日にこの場所で開催された『ボイシャキ・メーラー』の開会に先立ち、このモニュメントの完成式典が執り行なわれた。
今、このモニュメントが建つ公園とバングラデシュの縁といえば、毎年ここで開かれるボイシャキ・メーラー以外に思い当たるところはない。だがその催しが開かれるまさにこの場所に、かの国の首相が訪日の際にわざわざ手みやげとしてわざわざ私たち市民のために持ってきてくれるという親日的な姿勢は実にありがたいものだ。
南アジアのどの国をとっても、日本に対して特に友好的な国ばかり。外交辞令として、あるいは観念的な『友好』のみならず、よりお互いの顔が見える身近な関係を築いていきたいものである。

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宝の山 2

東西を海に挟まれたインド随一の商都ムンバイーは、水際ぎりぎりまで市街地が迫る高密度な都市空間だ。地理的には一等地となりえる地域がスラムとして放置されているということは、行政にとっては大きな損失であろう。劣悪な生活・労働環境とともに、住民たちのおおまかな人口さえもつまびらかでないようでは治安面からも心もとないし、経済面でも本来期待できるはずの大きな歳入を逸失しているといえよう。インフォーマルな経済が中心で取引はほとんど現金でなされるため、経済の実態を把握するのはかなり困難なのだ。
だがここはムンバイーの街で建設現場、家庭の使用人や小さな工場の作業員その他の労働者や臨時雇いといった形で社会を下支えしてくれる人材を豊富に供給してくれるだけではなく、実に意外な側面がある。ダーラーヴィー自体が活発や工業地帯であるため、年間10億ドル近い収益を上げているのだ。
主な産品は皮革製品、陶器、衣類、装身具等々で製品は国外にも輸出されているほど。先のふたつは前回取り上げたごとく、ダーラーヴィーの市街地化(=スラム化)が始まって以来の伝統産業である。同様に盛んな食品工業については、甘味類を中心とした製品がムンバイーやその周辺のローカルな市場で消費される。
ビジネスシーンとしての大きなポテンシャルを秘めているのは、スラムとしては特筆すべきものであろう。 信じられないことにダーラーヴィーの住民たちのおよそ半数が中間所得層に属し7万5千〜50万ルピーほどの年収があるという非常に極端な説もあり、この地域では収入面よりもむしろ生活・衛生環境のほうが問題であるともいわれる。
こうしたスラムで一生を終わる人々の姿が無数にあるいっぽう、毎年およそ1000世帯もの人々がベターな環境を求めて北郊外のミドルクラスの住宅地に居を求めて移転していくという。どん底にあっても旺盛な上昇志向と智恵や才覚があれば『ムンバイー・ドリーム』を実現する夢はそこらに転がっているのかもしれない。
ダーラーヴィーには立地の良さと地場産業の活況を背景とする大掛かりな再開発プランがある。 政府は行けどもバラックが続く風景を改め、製品の海外輸出を念頭に置いた宝石や装身具の加工ユニットを建設して職工5万人分の雇用を創出し、そこで働く人々が8千〜20万ルピーの収入を上げることができるようにするという青写真とともに、地域を九つのセクターに区分し、広い道路の建設、適度なオープンスペースの確保し、学校巣や病院を建設し、上下水道が完備した住宅地などを建設することを構想しているのだ。
そして現在のバラックのオーナーたちには225 sq ftのフラットを無料で提供し、『ミドルクラスの』生活環境を用意するなどという計画もあるようだが、本当にうまくいくのだろうか。
こういう議論が出るということは、90年代以来続く好調な経済成長のおかげで、ある種の余裕が出てきたということかもしれないし、成長の果実が社会の底辺にも及ぼうとしていることの表れなので決して悪いことではない。
だが経済や所得水準などにおける大きな地域的な格差が引き金となり、この商都に人々が押し寄せてくるという構造をなんとかしない限り、第二、第三のダーラーヴィーがさらに北郊外のほうに出来上がることだろう。
ところで再開発の本当の狙いとは、現在ここに暮らしている人たちのために雇用を創出したり、環境を整備したりというものではないと思う。本音は土地が限られたムンバイーで貴重なこのまとまった広がりを持つダーラーヴィーを『収用したい』のだろう。もちろんここに暮らす人々を追い出したうえでのことだ。雑なスケッチをいかに美しい見事な絵に見せるかという一種の手品こそが、どの時代どこの国にあっても為政者の腕の見せどころである。
再開発にはこれまでにないとても強力な指導力と実行力が求められる。問題は議論されていても、いざこれに着手する勇気を持つのは一体誰なのか? その号令がかかるのをじっと待ち構える人たちがいて、官民さまざまな分野からなる再開発事業から生じる大規模な特需、不動産売買や住民たちのリロケーションや補償等々さまざまな利権をめぐり闇でうごめいていることだろう。
ダーラーヴィーというスラムを必要としているのはここに暮らす人々だけではない。ここから外へ働きに出てくる安い労働力をアテにしてきた産業もあるだろう。ダーラーヴィーという地域の潜在的な宝の山を活用するという視点からは、この再開発構想には大きな意味がある。しかしその『宝』とはいったい誰のものなのだろうか。この世の中どこを眺めても立場が違えば、人々の利害は相反し対立するもの。行政の描くスケッチがそのまま実現するかどうかよりも、これをきっかけに住民その他関係者たちを含めて、人々がどのような落としどころを見つけていくのかというところに注目したい。
ダーラーヴィーの絶好のロケーションからして、この巨大なスラムがこの先10年、20年もそのままであるとは思えないのだ。 -
宝の山 1

そこはウエスタン・レイルウェイのバーンドラー駅、またセントラル・レイルウェイ(ハーバー・ライン)との乗換駅のマーヒム駅、セントラル・レイルウェイのサーヤン駅などに囲まれている。加えてサーヤン・バーンドラー・リンク・ロードから少し北上すれば、ウエスタン・エクスプレス・ハイウェイにつながるし、ステーション・ロードを少し東に進めば、イースタン・エクスプレス・ハイウェイだ。
ムンバイー市中心と北郊外の間に位置する一等地。市南部、つまりこの商都のビジネスの中心地からクルマで30分、そして国際空港から20分という絶好のロケーションである。こんなところにオフィスがあったら、あるいは住むことができたらさぞ便利なことだろう。
しかし残念なことに、ここは市内で最も人口密度が高く、インド最大ひいてはアジア最大のスラムとして知られる地域だ。ここダーラーヴィーはGoogle Earthで眺めてみても、やたらと規模の小さな構造物がひしめきあっており、周囲の環境とはずいぶん違うことが見てとれるだろう。
この地域には8万6千もの建築物があるとされる。人口については諸説あり、その数60万人とも90万人とも言われるが、一時滞在者も含めれば100万人を超すという説もある。各地から出てきた人々を日々吸収している巨大スラムだけに、正確な数字は誰にもわからないのだろう。公安当局の目も行き届かないため、かなりデンジャラスな地帯となる。
そんな土地であるにもかかわらず世間の注目が高まり地価が急騰している。90年代から続く好調な経済成長による建築ブームのため、スラムであるということを除けば文句のつけようのない立地、そして密度の高いムンバイーではもう他に望むべくもないまとまった土地であることからいやがうえにも人々の関心を集めるようになるのは当然のことだ。
こんなダーラーヴィーにものどかな時代があった。現在のムンバイーがまだ七つの島からなっていたころ、ここはその中のセウリー島とバーンドラー島のあいだに広がる湿地帯であった。20世紀初頭には、このあたりにまだ漁村が点在する程度ののんびりした光景が広がっていたそうだ。
ちょうどそのあたりから各地から貧しい人々がこの界隈へ移住を開始した。その流れはおおまかに二つの流れに大別される。まずはインド西部つまり現在のマハーラーシュトラ沿岸部、およびグジャラートから来た人たちである。ダーラーヴィー南部にクンバール・ワーダーという一角があるが、文字通り彼らの中の陶工たちが住み着いた場所である。そしてもうひとつが南東部のタミルナードゥから移り住んできた商人や職人たちである。この中で特筆すべきはムスリムの皮なめし業者たちで、彼らのおかげでこのあたりは皮革産業で知られるようになって今日にいたる。どちらの人々も多くはこの地に住み着いてモノ作りに励み、あるいは鉄道施設等で肉体労働者としての働き口を見つけたものも多かったという。そんな集落が現在のここダーラーヴィーの始まりである。
外部の人々の流入と並行してムンバイー市街地の拡大と水際の埋め立てが進む。こうした都市化とともに、もともとここに暮らしていた漁民たちは居所を失い、土地の主役は新しい移民たちに取って変わられていく。
この地域で人口爆発が本格化したのは独立以降である。ここを基盤とする地元の有力者たちや政党などの伸長とスラム人口の拡大は相互補完関係にあった。インドにあって飛びぬけて地価が高いこのムンバイーで、地方から食い詰めて職を求めてこの大都会にやってきた貧しい人たちに寝床を提供したのは特に鉄道や空港などの用地脇をはじめ市内に点在するスラムやバラックだが、それらの中で突出して規模が大きいのがこのダーラーヴィーである。 -
英領インドの眺め
東京大学の大学院情報学環で保存されている貴重なポスター661点が、4月4日からネット上で公開されている。これらは第一次大戦期のプロパガンダ・ポスターで、当時の日本の外務省情報部が収集していたものだ。第二次世界大戦後に当時の東京大学新聞研究所(社会情報研究所を経て、現在は大学院情報学環となっている)に移管され、以来書庫内で保存されていた。 このたび5年の歳月をかけてデジタル・アーカイブ化され、誰でもインターネットを通じて閲覧できるようになったのである。
どんなものかと実際にアクセスしてみた。同サイト内の検索エンジンの動作にはまだまだ改良の余地がありそうだが、これらのポスターを眺めていると当時の各国の事情や世相をうかがうことができて非常に興味深い。
こうしたポスターは国家の意思をあまねく人々に伝えて感化することを目的としていたため、『絵』そのものの質には当然のことながら相当こだわっていたようだ。ポスターの制作にかかわった人たちには、当時広く名の知られた画家や広告や雑誌などで活躍する第一線級の著名イラストレーターなどが多かったのだという。
ポスターの内容は戦時公債、戦時貯蓄、募金、募兵、軍需物資の運搬ドライバー募集といった戦争遂行に直接かかわる内容のものが多く、パソコンの画面を通じてきな臭さが漂ってくるようだ。
さて、当時のインドのポスターを覗いてみよう。戦時公債への投資を呼びかけるものがいくつも並んでいる。英語のみならずグジャラーティー、マラーティーといった土地の言葉で書かれたものもある。そしてインド兵のイラストが時代を感じさせてくれる。
第一次世界大戦が勃発したのは1914年。その3年前の1911年にインド政庁は首都をカルカッタからデリーに遷都した。ロシア革命は1917年で、ガーンディーの第一次不服従運動は1919年に始まる。こんな時代にこれらのポスターが人々の前に貼り出されていたのだ。
いまやこの世に生きる多くの人々の胸の中ではなく、『歴史』として書物の中に記憶される旧き時代の断片を前に想像力たくましくすれば、これらを覗き込む当時のインドの人々の姿やその社会がぼんやり浮かび上がってくるかもしれない。
東京大学大学院情報学環アーカイブ 第一次大戦期プロパガンダ・ポスター コレクション -
日本の印象 インドのイメージ

BBC Hindiで、日本で今年4月から正式に開始された携帯電話等向けの地上デジタルテレビ放送『ワンセグ』について取り上げられている。今のところワンセグ受信に対応した携帯電話の機種はごく限られているし、テレビを視聴した場合のバッテリー持続時間の問題もある。NHK受信料については各世帯での支払いに含まれることになってはいるものの、単身者などで自宅にテレビを持たずにワンセグだけ観るという人も出てくるのではないかということから、一部ではこれまでの受信料とは切り離して論議しようという動きもあるようだ。
しかし今後はワンセグチューナー対応のモバイルパソコンや車載テレビなども各社からいろいろ出てくる模様だ。すでにソニーからはVAIOシリーズのモバイルパソコンにワンセグ放送を受信できるモデルが用意されている。
名 前だけ先行して、まだまだ一般に身近なものとはなっていない『ワンセグ』だが、こうして海外のニュースで取り上げられているのを見ると、なかなかスゴイことのように思えてきた。(私自身はテレビをあまり見ないので、特に魅力は感じないのだが)
BBC Hindiとは言うまでもなくイギリスの放送局がインド向けに発信しているものであり、コンテンツの作成には多数のインド人たちがかかわっているものの『地元メディア』とは言いがたい。しかしインドの新聞でもこうした日本の『ハイテク』なイメージを裏づける報道が新聞紙上で小さな囲み記事になることは多く、日本人と直に接触したこともなければ、日本を訪れたこともないインドの一般大衆の間で『ニッポンのイメージ』を形成するにあたり、こういったニュースが大きな役割を担っていることは間違いない。同時に一般の人々が日本におけるどういった事柄に関心を持っているかということの裏返しでもある。
かつて日本でインドにかかわるニュース報道といえば、大きな鉄道事故、印・パ間の緊張、貧困、経済の停滞、カーストにかかわる問題といったネガティヴなものが多かった。
今でもそうした部分を伝える報道は少なくないが、IT産業の隆盛、順調な経済発展といった明るい材料がずいぶん多くなっている。そういえば日本でインド映画ブームが訪れたこともあった(・・・と過去形で語ることになるのは残念だが)し、かつて中華・洋食・和食以外の異国の味覚が広く『エスニック料理』という奇妙なくくられかたをしていたころもあったが、インド料理は日本の家庭料理として定着したかどうかは別にして、今や外食のポピュラーなチョイスとしてすっかり根付いている。それだけインドに対する興味や関心がやや広がってきたということになるだろうか。
良くも悪くもある特定の国についての報道の多寡、ニュースのジャンルのバリエーションの広がりは、その国に対する関心の高さを如実に示す。ネパールにおけるインドにかかわるニュース、イランにおけるアメリカ関係ニュースの量を見てもそれは顕著であるし、私たちの東アジアにあっても、お隣の韓国におけるテレビ等での日本に関する出来事を伝えるニュースの量には目を見張るものがある。
だが報道量が多いほどその国への理解や親近感が高まるというわけでは必ずしもないようだ。相互にほどほどに良好な関係を続けていくにあたっては、着かず離れずといった適当な距離感があったほうがいいこともあるのかもしれない。相互依存の関係が深まるほど、利害が大きく対立する局面もしばしば出てくるからに違いない。お互いに心地よい夢ばかり見ているわけにもいかず、厳しい現実や好ましからざる面も目に付くようになってくる。
さて今後の日本とインドはどういう関係を築いていくのだろうか。
日本で携帯電話向けのテレビ放送開始 (BBC Hindi)
ワンセグとは(NHK) -
時代が下るとともに遅くなる列車の意味するところ

堂々とした立派な駅舎、長大なプラットフォーム、乗り降りする利用客以外に駅職員やクーリーその他、ここで働く人々の姿もやたらと多く、牛、ヤギ、犬など様々な動物たちも行き交うインドの鉄道駅。どこに目をやってもとにかく時代がかっており、他の様々な国と比べても、インドの鉄道というのはどこか違う、やたらと味わい深い(?)思いがする。それだけに旅情に満ちているのがインドの汽車旅だ。
それでもインド国鉄は頑張っている。この国を走る列車の中で、エアコンクラスの車両の割合は増えてきており、首都デリーと遠方の主要都市を結ぶラージダーニー急行、国内の主要都市をつなぐ中距離のシャターブディー急行といった特別急行の本数やそれらが結ぶネットワークも拡大するとともに、サンパルク・クラーンティ急行と呼ばれる長距離高速特急、短距離のジャン・シャターブディー急行といった新しい特別急行の導入がなされた。
以前はゲージの幅が違う路線が混在することから、直行することができず乗り換えなくてはならないということは珍しくなかったが、従来は狭軌が敷かれていた路線についてもブロードゲージ化が進んだ。ジャイサルメールなどはその好例で、どちらから来てもジョードプルで乗り換える必要があったのだが、今ではデリーから直行することができるようになり、ずいぶんアクセスが良くなった。
このようにインド国鉄は着実に発展しているのは間違いない。少なくとも新たな施設の導入や運用面ではずいぶん改善されてきていると思う。だがその反面、今の時代にあって技術的な遅れが目立つようになってきているようだ。
いささか古い記事になるがインディア・トゥデイ3月15日号によれば、1969年にデリー・ハウラー間に導入された最初のラージダーニー急行は、1451キロの距離を17時間で結んでいたという。それから36年が過ぎた今では、18時間かかるようになっている。トゥーファーン・メールという列車にいたっては、1928年に28時間でデリー・ハウラー間を走っていたのだが、現在では36時間かかるようになっているのだという。
この原因は、停車駅の増加だと書かれていた。ラージダーニー急行の場合、開通当時は途中停車駅わずかひとつだったが今では五つ、トゥーファーン・メールはかつて42の停車駅があったが現在は86駅と大幅に増えているのである。もちろん単に停車駅が増えただけではなく、同じレールの上を走る便数も増えることによる運行ダイヤの過密化したことにも関係があるだろう。停車駅の増加は鉄道システムが充実してきた結果であるし、地方が力をつけてきた証でもある。
もちろん個々の事例を持ち出せば『遅くなった』例があるにしても、先述の特別急行のネットワークが全国に広がることにより、従前から運行していた急行列車よりも短い時間での移動が可能になっていることは間違いない。
しかし仕事や生活のペースがかつてよりずっと速くなってきている昨今にあって、同じ列車が数十年前に比較して、より時間がかかるようになっているというのは問題ではある。
そもそもインドの『特別急行』というものは、車両内の空調や座席や寝台の質を除き、通常の急行列車との本質的な違いといえば停車駅が極端に少なく、優先的に運行させていることだけである。走行性能が特に高いわけではないのだが『あまり止まらず、通過待ちもない』ため、結果的に目的地に着くまでの時間が短いだけのことである。
また客車定員数に対する大幅な需要過多が常態であることがいまだ解消されていないことから、ラールー・プラサード・ヤーダヴ鉄道大臣が発表した新年度鉄道予算の中に、急行列車の24両編成を標準化することがうたわれているのは、まさにこの輸送力不足に応えたものであるのだが、乗客の利便性という観点からも列車そのものを相当数増発しなくてはならないように思う。
インドの鉄道チケット販売のオンライン化は進んだが、列車の運行についてはまだまだ昔ながらのマニュアル作業である。『西暦2000年問題』について議論されていたころ、世界各地で金融、運輸、通信その他の分野での混乱の可能性について取り沙汰されていた。
もちろんインドのメディアでも自国のさまざまな分野について検証されていたが、列車の往来については、ほぼすべてが現場の人々による手作業なので問題なしという扱いで、拍子抜けさせられたことを記憶している。
それだけハードの部分での進化が遅れているのがインド国鉄の現状だ。鉄道史に残るような大事故が毎年のように起きていること、その原因が単純な人為的ミスであることが多いのはまさにその問題点をあぶり出しているかのようである。
現象面だけ眺めているとかなりの速度で変わりつつある国鉄だが、本質的な部分であまり大きな進化は見られない。今後のインド国鉄の課題は本格的な長距離高速鉄道の導入と在来線の運行システムや車両の近代化と効率化および安全性の向上である。この153年の歴史を持つインド最大の『輸送会社』において、外界の急激な変化に比べて変化が遅々としているのは、政府の力を背景にした独占市場であるがゆえのことであろうか。何しろ本来の国家予算とは分離した『鉄道予算』を持つ特別な立場の国営企業である。
旅客輸送手段として考えてみた場合、鉄道とバスのどちらかを選択できるとすれば、車両や道路の質から見ても特に長距離での移動において前者のほうがはるかに有利であるし、昨今路線拡大を続けているエアー・デカンやスパイス・ジェットといった格安フライトは、鉄道のACクラスを利用する人々をターゲットにしているものの、ネットワークがカバーする目的地の広がりはとうてい鉄道にかなうものではない。
こうした具合に外圧が少ないことがインド国鉄の近代化を阻んでいるといえるかもしれない。現状のままで充分やっていけるからである。だからこそ『遅々として進む』という昔ながらのインド的速度(?)で進化を続けてきたのだろう。
しかし今後高速道路網の建設や各地で空港の増設が予定されていることから、旅客のみならず貨物輸送の面からも鉄道は大きなチャレンジを受けることになる。余力がある今だからこそできること、しなくてはならないことは沢山あると思う。あるいはインドのさまざまな分野で進んだ変化の波が、国鉄のありかたにもおよぶ日はそう遠くないかもしれない。
