お盆で行き交う人々の姿が普段より少ない8月14日の朝、私は地下鉄で東京の都心近くを移動中だった。7時半過ぎに到着した駅構内で電気が消えているのを不審に思ったそのとき、車内アナウンスがあった。
『停電のため停止します』
車内がどよめく。無理もない東京で停電なんて滅多にないことだし、それが原因で電車が動かなくなるなんて。この時点でドアが開いて乗り込んでくる人たちはあっても降りる人はいなかった。車内は電気が点いているしエアコンも作動していた。待機用の電源で動かしているのだろう。
しばらくしてから再び車内放送が入る。
『ただいま東京メトロ、東急線、小田急線、都営地下鉄などで運行を停止しています』
続いてバスに振替輸送をするとの案内が流れると乗客たちの多くが下車して出口へと向かう。
地上に出るとあちこちから消防車や救急車といった緊急車両のサイレンの音が響く。見渡せば警官たちが多数配置されている。いったい何が起きたのだろうか。
たずねてみると『私たちも今駆けつけたばかりでよくわからないんですよ』と制服姿の一人が応える。
『首都圏の広域で停電しているらしい・・・』そんな会話がどこからか聞こえてくる。こんな晴れわたった好天の朝になぜ?と誰もが思うだろう。一目でそれとわかる腕章を付けた報道関係者がカメラを抱えて地下鉄構内へと降りていく姿が見えた。
ここで誰かがふざけて『テロが起きたぞ!』とでも叫べば、そのままデマが流布してしまいそうな雰囲気があった。
振替輸送先を行なうと案内がなされていたバスだが、停留所ではすでに数百メートルの行列。来るバスはすべてすし詰めの満員で、停車することなくそのまま通過していく。
あ、そういえば・・・と携帯電話を取り出す。購入してからほとんど使っていないがワンゼグ放送受信機能が付いていたことを思い出した。
ちょうど今の停電の状況を報じているところだった。旧江戸川にかかる送電線を航行中のクレーン船が傷つけたことが原因だとわかったのはもうしばらく後のこと。この時点ではメディアも停電の理由がよくわかっていなかったが、とりあえずテロが起きたわけではないようだ。 携帯電話で受信中のテレビニュースによれば、すでに電車のいくつかの路線は復旧しているという。ここの路線もそろそろ動き出すかもしれない。
そういえば数年前にはニューヨークの大停電があった。あのときはずいぶん長いこと送電がストップしていて相当な混乱があったと聞く。その事件後、ニューヨークに『停電先進国』インドから専門家が招かれて『停電発生時や復旧後に想定されるトラブルやその対処法を含む危機管理を伝授』というニュースのように、はるか彼方に消え去っていた記憶が次第によみがえってくる。
首都圏やそれに準じる地域でもでも小さな停電がしばしば起きて、田舎では一日の送電時間が制限されているところも珍しくないインド。高価な家電製品やPCなどを使用するところではバックアップ用の電源や自家発電機などが必須。また物事が『あるべき状態』にないこと、イレギュラーなことがしばしば起きるためもあってか、停電程度の異常事態については柔軟に対応できるのかもしれない。
そういえば2001年にカーンプルを中心にデリー、ラージャスターン、UPなどを含む広大なエリアで重要施設や地点を除く大部分の地域で数日間に渡る大停電が起きたように、ごくまれだが広域かつ長時間にわたる停電が起きることもある。その最中、人々は不便を我慢し、不平を漏らしつつも何とかうまくやり過ごしているようであった。
そんなとりとめもないことをボンヤリ考えながら長蛇の列の中でバスを待っていると、警察官が大声で叫びながらやってくる。『ただいま地下鉄が復旧しました』
人々は額に浮く汗を拭いながらゾロゾロと地下鉄の入口へと吸い込まれていく。
今日の停電はそれほど時間かけずに復旧したが、もし本当にテロのような事件や大地震のような災害により長い時間送電がなかったら、私たちはどんな対応ができたのだろうか。少なくともそうした不測の事態が発生した場合について考えさせてくれる機会になったのではないだろうか。
投稿者: ogata
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電気が停まった
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近ごろのテロ事件、テロ未遂事件に思う
イギリスで摘発されたアメリカ行き旅客機同時多発爆破テロ未遂事件発覚後、ロンドンからの飛行機乗客たちが手荷物の機内持ち込みを禁止され、パスポートとわずかな身の回り品のみが入った透明なビニール袋を手にしているニュース映像を見て思った。『ついにここまできたのか』と。
犯行に使われようとしたのが液体の爆発物であったことからあらゆる液体類が機内持ち込み禁止となった。ペットボトルに入った飲料類からはじまり、子供の飲み薬やコンタクトレンズの洗浄液もダメ。ガラス瓶にはいった香水や酒類も当然持ち込めないことになってしまうためバカンスシーズンの向こうも、お盆の出国ラッシュの日本でもまた空港の免税店にとっては大打撃となっているようだ.
また起爆装置に転用可能とされる携帯電話やモバイルPCなども持ち込み禁止となったという。ビジネスマンたちはとても困るだろう。それにパソコンのような精密機械を機内預け荷物というのは非常に不安でもあるだろう。こういう状態が続くようならば、今後世界を股にかけて行き来する人たちの間では、床に放り出しても壊れないようなタフなノートパソコンが求められるようになるのだろうか。
それにしても飛行機にほとんど手ぶらで搭乗しなくてはならない時代がやってこようとは、かつて誰が想像しただろうか。それでも今後まだまだアッと驚くような仕掛けで攻撃を企てる者が出てくることだろう。上着の中に爆発物を仕込むという事件が起きてジャケット類の機内持ち込みが禁止となったり、カツラの中に危険物を隠し持つ輩が出てきて長髪の乗客は厳重にチェックされるようになったりということもあり得ないことではないだろう。
今回の事件について空港のセキュリティ担当者の関与も取り沙汰されているようだ。テロリストたちはこうした保安関係者たちに加えて整備士、あるいは大胆にも客室乗務員や操縦士たちといった部分にも浸透を図るのかもしれない。
また容疑者グループのメンバーたちの所属するコミュニティや人種に偏りがあるため。今後は一見して風貌や容姿が違うとともにこうした事件に関わった前例のない国籍・人種の人々の取り込みに力を入れるということも考えられるだろうか。
このところ空の旅への不安は高まるいっぽうだが、同時にムスリムというコミュニティ、ムスリムである個人、ムスリム人口の多い国への漠然としたあるいはあからさまな偏見や敵対感情などが高まっている様子。
このところ反ムスリム勢力による『Not all muslims are terrorists, but all terrorists are muslims』とのメッセージが現実感と説得力を持って非ムスリム人々の心に響くようになってしまっている現状はとても心配だ。不信と憎悪とそれへの反発と対立。それらは過激分子のさらなる先鋭化へとつながるのだろう。
来る8月15日はインドの独立記念日。当局により例年厳しい警戒が敷かれるのがこの時期だが今年はいっそう厳重なものとなりそうだ。アメリカは在デリーの同国大使館を通じ、インドの独立記念日前後にデリーとムンバイーでのテロが計画されているとして警戒を呼びかけているからだ。これがただの杞憂に終わるといいのだが。
しかしこの時期何も起きなかったからといってテロの脅威と縁が切れるわけではない。大事件が発生したり、危険が予測されたりしているようなときには警戒が厳しくなる。だがそうした体制を敷くのには手間ヒマも費用もかかるし、往々にして通常の市民生活を圧迫する部分もあるため恒久的に続けられるものではない。犯人側にとっては警備がゆるんだあたりが再び狙い目ということになる。
また保安要員その他の数量的限界もある。ムンバイーで起きた郊外電車の連続爆破テロ直後にはデリーの鉄道駅ではものものしい警戒網が敷かれており、プラットフォームに立ち入る際には厳しいセキュリティチェックがなされていた。いかにも外国人然とした私自身もカバンも開けて中身を調べられた。列車内にも制服の警官その他(おそらく私服も)配置されており、一晩中車両間を行き来しては乗客の様子や乗降口の戸締まりなどを確認していた。またこうした保安要員が昔ながらの大ぶりなライフルではなく、小回りの利く拳銃を持っていたのは現実的な対応だと感じた。
だが首都その他の主要都市を出る際にはそれなりの対策がなされていても、地方都市から首都行きの列車に乗り込む際にはそうしたことは一切なかったし、駅で警戒する要員さえも配備されていなかった。車両の中では武装した保安要員が目を光らせてはいたが。
そんなわけで悪意を持った人物にとって地方発の上り列車で首都が近づいたあたりで何かしでかすのは簡単なことなのかもしれない。いずれにしても大時代的なおおらかな造りのインドの駅舎には日々数え切れないほど様々な人々が出入りしている。こうした環境で空港並みのセキュリティを実現できるはずはない。インド国鉄側のせめてもの対応として所持する切符と本人のIDを照合できなければ乗車できないなどという日が来るのかもしれない。
また空港のセキュリティといっても国によって様々だ。そうした国から自国へと向かうインド機を攻撃することを企てる連中もあるかもしれない。手荷物に関して厳しくなってきたとはいえ、相変わらずインド人乗客たちはかなり大きな荷物を抱えて機内へ入っていく傾向がある。チェックの甘い空港でそうした人々に紛れ込むのはそう難しいことではないように思う。なんとも嫌な時代になったものだ。 -
買ってはいけない??

90年代初頭にペプシコーラがインド市場に進出、続いてコカコーラ両社が参入(同社は1977年に撤退するまでインドで操業していたため正確には再参入)したことにより、それ以前のインドに君臨していた二大コーラCampa ColaとThumbs Up(こちらはコカコーラに吸収されて同社ブランドのひとつとなっている)による支配体制があっけなく崩壊した。
いまでは外資系の両社がインドのソフトドリンク市場の8割のシェアを占めるようになっている。外来のソフトドリンクが売り上げを大幅に伸ばしたからだけではない。コカコーラはThumbs Upだけではなく人気商品MaazaやLimcaさえも傘下に収めてしまったため、地場ブランドで外資系ソフトドリンクに対抗できる商品がほぼ消滅してしまったのも一因だ。
3年前のちょうど今ごろ、これらアメリカ系企業の製品をはじめ、地元資本のメーカーによる清涼飲料水やミネラルウォーターの中にEU基準の30〜36倍も上回る殺虫剤(農薬)成分が含まれているらしいとのニュースがメディア等によって取り上げられて問題になっていた。
今年もつい先日(8月2日)にデリーにある非政府組織Centre for Science and Environment (CSE) が発表したレポートを受けて、インド国内で販売されるソフトドリンクの安全性について波紋が広がっている。
CSEによれば、やはり殺虫剤(農薬)成分が3〜5種類程度検出されたとのことで、その濃度はインド政府の定めるところの基準を24倍も上回っているといい、これらの製品を長期間にわたって消費することによりガンの発生、神経や免疫システムへの悪影響、奇形児の発生などが危惧されると警告している。
これを受けてラージャスターン、グジャラート、マディヤ・プラデーシュ、チャッティースガルの四州では学校や役所での販売を禁止することになった。続いてアーンドラ・プラデーシュでは公立病院での販売を禁止、カルナータカでは学校や病院から半径100メートル以内の地域での販売を禁止といった措置を打ち出したが、ケララ州ではコカコーラ・ペプシコーラ製品の製造と販売を全面禁止という厳しい態度に出ることになる。
もとより両社が製造過程で意図的に有害物質を混入させているわけではなく、清涼飲料水を製造するための主原料となる水の源泉が汚染されていることが原因であるとみられている。その意味では外資・地場資本を問わずソフトドリンク製造業(加えてミネラルウォーターは言うに及ばずビール醸造なども)そのものが成り立たなくなるという声も取りざたされていたのは3年前のことである。あのときは何となく政治的に幕引きがなされてしまったが、今回の『リターンマッチ』ではどういう決着がつくのか注目したい。
一連の騒ぎは消費者問題であるとともにさらに大きな環境問題でもある。各メーカーが高いコストと引き換えに『安全である』とされる源泉から取水して製造した飲料類だ。これらに基準を大きく上回る農薬成分が含まれているとするならば、蛇口をひねれば出てくる水道水はどうなるのだろう?
素人考えに過ぎないが、残留農薬の浸透によりこうした水源までが汚染されてしまう土壌で生産されたインド産の野菜、米、小麦などの農作物はことさら危険ということになるのではなかろうか?という疑問を抱くのは私だけではないだろう。なんだか『外資ソフトドリンク叩き』をしている場合ではないような気がする。

State bans Coke, Pepsi (Kaumudi Online)
Indian state bans Pepsi and Coke (BBC South Asia)
Soft Drinks are Completely Safe (Coca-Cola India) -
夏の甲子園 ダース投手の関西高校、一回戦で涙
インド系球児として、また長身の本格派投手としても注目を浴びるダース・ロマーシュ・匡選手の岡山県代表関西高校。第88回全国高校野球大会3日目の本日8月8日、第一試合で文星芸大付(栃木)と対戦した。
2回表の猛攻で3点を奪った関西高校だったが5回裏に2失点。続く6回裏にさらに1点を失い4−3に追いつかれたところでピッチャー交代。ここで主戦投手のダースが登板したがさらに1点を奪われて同点となる。
続く7回表の関西高校の攻撃。2ラン、3ランのふたつの本塁打で一挙5点を得て文星芸大付を大きく突き放したかに見えた。しかし勝ち越しムードもつかの間、ダース投手は相手打線に捕まり次イニングの8回裏には3失点。
9回表に関西高校は1点を加えて、10−7と3点差のスコアで迎えた最終回裏。8番打者のライト前ヒット、後続バッターのセンター返しを関西高校選手が後逸するミスから文星芸大付の大攻勢が始まった。あれよという間に同点に追いつき、4番打者のレフト線を破るヒットで二塁ランナーが生還するという大逆転劇を演じて文星芸大付が二回戦進出を決めた。
残念ながら大会開始早々に高校3年生のダース投手の甲子園は終わってしまったが、今後とも野球界での彼の活躍を期待したい。
関西(岡山) 10 – 11 文星芸大付(栃木) (asahi.com) -
傷んだお札

90年代半ば以降、インドで流通する紙幣の多くがガーンディーの肖像入り新しいタイプのものとなった。以前のものにくらべて紙質も良くなり、耐久性もずいぶん向上しているので、お札の破れについてあまり気にする必要もなくなってきた。でも紙幣たるもの、使い込むほどに痛んでくるのは当然のことだ。
小額紙幣ならまだしも500や1000といった額面の紙幣となれば、受け取るほうも入念にチェックすることが多く、うっかり破れたお札を手にしてしまうとなかなか使うことができなかったりする。
破れた札への許容度も地域差があるようで、1Reから5Rs程度の小額紙幣については、グジャラートの一部地域などではボロボロになったお札をビニールの小袋に密封して流通させているところもあったりする。あくまでもローカルなルールのため、他地域に持っていくと受け取ってはもらえないのだが。
また一度『ダメになった』お札を、一目ではそうとわからないようにミクロン単位の精密さ(?)で上手に糊で貼りあわせるなどによって見事に補修した『労作』を目にすることもある。
ところでリザーブ・バンク・オブ・インディアの『soiled, imperfect or mutilated notes』についてのRefund Rulesとやらに目を通してみると、ダメージを受けた紙幣の取り扱いについていろいろ書かれているものの、『折り目から切れ込みが入った』とか『端っこが少し裂けた』程度で紙幣の効力が停止されて使用できなくなる・・・などということは特に書かれていない。多少破れたお札を受け取らないことについて法的な根拠はあるのだろうか? 隣国のパキスタンやバングラデシュでは紙幣の破れについてさほど神経質ではないため独立以降の慣わしなのかもしれない。
そういえばインド・ルピーならずとも、ややくたびれた米ドル札等の外国紙幣の両替を断られることもあるが、こうしたことは他の途上国でもときどきある。お札は新しくてキレイであるのに越したことはないようだ。
RBI(Note Refund) Rules -
熱暑にご注意
今日も暑い一日だった。モンスーンのためしばしば激しい雨が降り、酷暑の時期よりはるかにマシとはいえ、外を歩けばやはり暑い。
まだ日は高いけど、部屋に戻ってクーラーを効かせてしばしうたた寝でもしようか・・・と滞在先のホテルに戻ろうとすると、入口すぐ脇でバックパックを放り出して地べたに座り込んでいる大柄な白人男性がいる。彼は炎天下で頭を両手で抱え込んだままピクリともしない。
ちょっと様子が変だと思い声をかけてみると、トロンとした目で意識は朦朧としているらしい。こちらの質問にはかすかにうなづいたり首を横に振ったりするが、声を発することができない。ひどい日射病らしい。状況から察するに、この町に到着してホテル探しをしているときに気分が悪くなってしまったようだ。
この人はかなり高齢のようで、見たところ60代後半から70代前半といったところ。姿格好や荷物の様子からしてけっこう旅慣れていそうな雰囲気なので、普段は元気な「高齢バックパッカー」として世界各地に出没しているのかもしれない。南アジアでも中東でも、およそ旅行者の出入りするところでは欧州からやってくる年配の安旅行者は珍しくなく、西ヨーロッパ先進国における『旅行文化』の厚みと歴史の長さを感じさせるものがある。
身に着けているTシャツにオランダ語のプリントがなされているからといって彼がオランダ人だと断定するのは早計だが、こういう年齢での一人旅といえば、フランス、ドイツ、スイス・・・といった今でも『旅行大国』として知られる国々、つまり所得が高くてしかも夏のヴァカンスなどの休暇が長い国の人たちの占める割合が圧倒的に高い。
本人が口を利ける状態にないので、いったいどこの国からやってきたのかわからないのだが、ともかく危険な容態にあることは見て取れた。とりあえず宿のチョーキダールと彼を日陰に運ぶ。近くの店でミネラルウォーターを買ってきてあげたが、自分で飲むことができる状態でさえなかった。
そうこうしているうちにホテルからフロント係の従業員が出てきて、携帯電話で彼を病院に運ぶクルマの手配をしている。ふと気が付くと私たちを大勢の野次馬が取り囲み、あたりはまさに黒山の人だかりになっている。
年配の方々が家に閉じこもるのではなく、興味のある土地へと、世界各地で元気に一人旅を楽しむのは素晴らしいことだと思う。しかし日射病のような突発的な異変ならずとも、そのくらいの歳になれば身体の中にひとつやふたつの慢性的な不安がある人、定期的な加療が必要な不具合を抱えている人も多いだろう。
ぜひ体調に充分な注意を払い良い旅を続けて欲しいと思う。
同時に日射病で倒れている人を見て日陰に連れて行く、水を与える以外にどうしたらよいのかわからなかった自分自身の知識不足(病院に搬送する前に周囲の人が確認すべきポイントがいくつかあるらしい)について反省させられたし、彼の容態を見てこの症状の恐ろしさが少し理解できた気がする。
高齢者でなくとも、暑い時期に無理をすれば誰でも日射病・熱中症にかかる。今後私自身充分注意していきたい。 -
インドに生まれてホント良かった!?

昼間はゴロゴロしているかと思えば、日が傾くころには元気に動き出し、ときに独りでときに群れて町中を我が物顔に行き交う犬たち。ごくごくわずかな『飼い犬』を除けばみすぼらしい野良ばかり。あまり充分に食べている様子はないが、人々の無干渉のおかげでそれなりの繁栄を享受している。
犬は都市型の動物といえるだろう。インド中どこに行っても人の住むところ犬あり。犬のいるところ人々の姿あり。
さてこのところの中国南西部では、狂犬病の流行が問題になっている。すでに住民の間にも死者が出ているそうだ。そこで当局が乗り出したのが空前の規模の大がかりな『犬狩り』だ。
当局の『犬を処分せよ!』という大号令のもと、警察犬や軍用犬を除いたあらゆる犬たち、多くは野犬ということになろうが個人がペットとして飼育している犬とて例外ではない。3日間で5万匹を超える大量の犬が殺されており、その中には狂犬病予防接種済みの4千匹が含まれているという。
それにしてもこの狂犬病、ありとあらゆる哺乳類に感染することが知られており、犬を処分してみたところで、キャリアはコウモリ、ネコ、リス、ネズミ等々実に様々な動物に及ぶのだから、仮に犬を根絶やしにしてみたところで『これで安心』というわけではない。さしあたりは人間と直に接する機会が多く、また噛み付く危険の高い動物としては犬ということになるのだが。
ともあれごくまれに捕獲の憂き目に遭ったり、断種させられるという不幸がおそうことはあっても、基本的には無限の自由を与えられているインドの犬たち。さほど邪魔者扱いされず、おとなしくしていれば特に干渉も受けずに(人々の食欲旺盛な胃袋の中に放り込まれることもなく!)貧しいながらも安穏と暮らしていけるという点は、同じく町中を徘徊する牛や猿といった他の動物たちにとっても同様だろう。
そんな彼らにとって『インドに生まれてホント良かった!』のではないだろうか。
狂犬病殲滅作戦で受難の犬たち (BBC NEWS Asia-Pacific) -
カンパニー(東インド会社)の傭兵生活
その当時に生きた人たちがこの世から消え去ってしまうと、後世の人々は書き残されたものでその時代の世相を知るしかない。だがそうしたものを後々の人間のために記しておいてくれるのは行政官、文化人、歴史家くらいのものだろう。その他著名人の手記などは何かに掲載されたり、あるいは本となって出版されることもある。
しかしいつの時代も絶対的多数である市井の人々となると、日々どんな暮らしをしていたのか、何を考えて生きていたのか、なかなかその姿に触れることは容易でなかったりする。世界の長い歴史の中で、庶民の間にあまねく『読み書き』が普及したのは、20世紀になってから(もちろん地域により相当なバラつきがある)であることを思えば、仕方のないことである。
一般市民というのにはちょっと抵抗があるが、東インド会社が統治下のインドで、ベンガル歩兵連隊に勤務したネイティヴ将校の人生が描かれた本がある。著者にして主人公のスィーター・ラーム・パンデイは、1812年にベンガル歩兵連隊に一兵卒として入隊。48年間という長い軍人生活の中で最後は大尉にまで昇進し、1860年に引退して恩給生活に入る。
彼は現役時代にグルカ戦争、ピンダーリー戦争、バラトプル強襲、アフガン戦争、シク戦争へと出征し、クライマックスは1857年の大反乱、とまさにインド近代史を代表する大戦争を次々と経験したことになっている。
こうした戦闘行為以外にも、当時の世相を示すものがいろいろ描いてあって興味深い。それは街道に出没していたタグの話であったり、威厳に満ちているがインド人兵士たちからしてみると不可解なメンタリティーを持つイギリス人上官たちであったり、怪我による傷病休暇で帰郷した故郷の村の話であったりする。
この作品は、隠居後に元上官であったJ.T.ノーゲイト中佐に軍隊生活について回想記をしたためるよう勧められたことがきっかけで出来たものだという。パンデイは除隊の翌年に原稿を書き上げ、ノーゲイトはそれを英語に翻訳して当時インド国内で発行されていたある雑誌に連載して好評を得た。その後、新聞に転載されたり本として出版されたりして、世間に広く知られるようになったそうだ。
だが正直なところ、著者のスィーター・ラーム・パンデイなる人物が果たして実在したのかどうかについてはいろいろ議論のあるところらしい。だがこれが実話であれ創作であれ、今や誰も目にすることのできない19世紀のインドの世相が生き生きと描かれた好著であることには間違いなく、まだ手にしていない方はぜひ一読されることをお勧めいたしたい。
あるインド人傭兵の冒険の人生
シーター ラーム (著),
ジェイムズ ルント (編集),
J. Lunt (原著), 本城 美和子(翻訳)
ISBN: 4303990116
ロージー企画社
From Sepoy to Subedar: Being the Life and Adventures of Subedar Sita Ram, a Native Officer of the Bengal Army, Written and Related by Himself
Sita Ram Pandey (著)
Shoe String Pr Inc
ISBN: 0208011528 -
ふと見渡せばこんなに・・・
近ごろインドの空には新しい航空会社が続いているが、ふと気づけばこんなに増えている。
List of airlines, India (Wikipedia)
このウィキペディアのリストに掲載されているものにはカーゴ運搬専門のもの、会社設立したもののまだフライトを就航させていないものも含まれているため、一般に馴染みの薄いものもある。
それでも今のインドでは様々な個性を持った航空会社がそれぞれ得意とする分野で元気に伸びているという印象を受ける。
ジャグソン・エアラインス(1992年からフライトを飛ばしておりインド民間航空会社の中では老舗)のように小型機によりかなりニッチな市場に特化している。またジェット・エアウェイズや最近同社との統合話が白紙となったエア・サハラのように、国営のインディアン・エアラインス(現インディアン)による独占市場であったインド国内空の便に、ベターなサービスや高い定刻運行率を含む利便性の向上という新風を吹き込み、創業から十数年で巨大な国営会社と双璧を成す大きな航空ネットワークを形成したものもある。
そしてエア・デカンやスパイス・ジェットみたいに格安路線で切り込んできた会社もある。あるいは派手なイメージで耳目を集めるキングフィッシャー・エアラインズは今のインドを象徴するかのようなキャリアだが、こちらも順調にカバーする路線を拡大中だ。
こうしたムードとは裏腹にかなり旗色が悪そうなのは、インディアン子会社のアライアンス・エアだろうか。 国営インデイアンの業績向上のために、同社の不採算路線を多く引き受けたのではないかと思う。
いまどきのインドの民間航空会社はかなり新しくてキレイな機材を使っているが、同社は平均機齢が20年前後というだけあり、ずいぶん煤けた印象を受ける。乗務員のけだるそうな態度はさておき、安全面からちょっと心配されているキャリアだ。
同社が運行するフライトは親会社とのコードシェア便になっている。そのため乗客自身はICから始まるフライトナンバーのインディアンのフライトを予約したつもりなのに、CD×××というフライトナンバーのついたアライアンス・エアの機体に乗り込むことになってしまう。
もっとも民間航空会社の参入で、国内空のネットワークがにぎやかになっているのはインドのみならず、中国もそうだし、タイも然り。
どこの国もいわゆる中産階級といわれる層が厚くなり市民の間で経済力がついてきたこと、そしてどこの国でも人々が忙しくなってきていることの表れなのだろう。 -
日本にタイのお寺
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日本・インド間の行き来てタイに立ち寄る人も多いだろう。美しいビーチやおいしい食事、モダンでカラフルなイメージに加えて重厚な歴史と伝統、カッコ良さと慎ましやかさがほどよくミックスされたこの熱帯の国には、その湿り気を帯びた空気だけではないしっとり感に満ちている。こんな素敵な国が『インドへの道』途中にあるなんて、あぁニッポン人はなんて幸せ・・・としては言い過ぎだろうか。
タイの風景といえば、豊かな緑の中にまばゆく輝くオレンジやグリーンといった派手な色彩の瓦屋根のお寺がまず思い浮かぶところだ。バンコクにワット・パクナムというお寺があるが、 この別院が千葉県成田市にある。ソンクラーン(水かけ祭り)のようなタイの大きな催しはここでも行なわれているのだとか。
駅からかなり離れているようだが、何か機会があれば訪れてみるのもいいかもしれない。
ワット・パクナム日本別院
〒287-0237 千葉県成田市中野294-1 -
時流
西ベンガル州で、シャンティニケタンからビシュヌプルまで移動したときのことだ。早朝に出るという直通バスを逃してしまい、ドゥルガープルまで行きそこから乗り換えることになった。
シャンティニケタンから2時間で到着したドゥルガープルだがそこからが長かった。午前11時に出て、地図を眺めて午後1時前には着くだろうと踏んでいたが、バスは途中あちこち迂回して走った結果、目的地に着いたのは午後3時であった。
実はドゥルガープルのバススタンドで、電話屋の人に『公営バスのほうが早く着くよ』とは言われていたのだが、次に出るのが午後1時であるとのこと。2時間もボーッとしているよりは・・・と、タイミング良く現れた民営バスに飛び乗ったのが裏目に出た。
近年、インドのどこに行っても公営バスのルート、発着数ともに激減しているのが見て取れる。左翼勢力が強い西ベンガル州とて例外ではない。シリグリーやラーイガンジといった州内の交通の要所にあっても、バススタンドで幅を利かせているのは民営バス。
公営バスが道路交通の中核を担っていたころ、同じバスがいつも決まったプラットフォームから出るため、利用者とくに私のようなヨソ者にはわかりやすかった。そして決まった時間に(たとえ車内がガラガラであったとしても)出発するので時間が読みやすかった。走行ルートもそれなりに理にかなうものであったと記憶している。
かつてはインドのどこでもバススタンドといえば公営バス専用で、民間のものは道路脇などに構えた小さなオフィス前から出るのが当たり前だったのに。だが当時のように市内各地(それでも往々にしてバススタンド付近であることが多かったが)からバラバラに発着させていた状態よりも、こうして一箇所から各社のバスが出るようになると効率がいいし、利用者にとっても便利であることは間違いなく、大きな進歩である。こうやって民間でできるようになったのだから、政府がわざわざやる仕事ではないから手を引く・・・というのが万国共通の行政側の論理なのだろう。
そして今、色もカタチも違い行き先表示もあったりなかったりする民間バスが主体となってからは、これらの車両がどこに行くものなのか『経験的に』理解している者でなければ、何がなんだかよくわからないのだ。
ちゃんと定められた時間どおりに走行しているものもあるが、おおむね『満員になり次第』発車し、走行中に空席が目立つようになれば市街地に入ってから車掌がドアから身を乗り出して可能な限り多くの乗客を乗せようと呼び込みに没頭するようでは到着時間が予測できない。秩序と定時走行の概念が消えるという現象面だけ眺めてみれば、時代に逆行しているようにも思える。
公営・民間ともに同じところを走れば当然競合することになるが、それなりの棲み分けはなされているようだ。概ねこのベンガルでは公営は要所と要所を短時間で直行するもの、民間は回りまわって寄り道しながら大きな街とそれ以外の小さい町や村を結ぶといった具合に分業しているように見える。
高い経済成長率に沸くインドだが、その伸びの背景には元々のスタート地点がやたらと低かったからという面もある。それだけに都市部から離れるとまだまだ貧しさばかりが目に付くような土地も少なくない。それでも『小さな政府』『民間でできることは民間で』という大きな流れの中で人々が生きていることは、この地球上のどこにあってもほぼ同じであるようだ。もちろんそれが正しいことなのかどうかは、後世の人々が判断することになるのだろう。 -
車内の人間模様
通路挟んで隣に座った家族連れの人たちは気の毒であった。夫婦と小学生くらいの息子の3人連れ。ガタゴトと揺れる車内で、携帯電話に入ったショートメッセージを深刻な表情で見つめていた夫は、それを深いため息とともに妻に見せた。とても驚いた表情をしていた彼女は、やがて泣き崩れてしまった。突然の出来事で落ち着かない表情の夫だが、子供と一緒に彼女の手を取り、しきりになぐさめている。
なんでも奥さんの身内に不幸があったとのこと。本当はこれから空路マレーシアへと向かうつもりでコルカタに出てきたそうなのだが、急な出来事のためそれを取りやめなくてはならなくなったが、この列車の終着駅ハウラーに着いてからどうすれば良いのかわからず戸惑っている様子。
こうしたことがわかったのは、向かいに座ったU.P.州在住のムスリム老夫婦連れがこのベンガル人男性と話をしていたためだ。ともかくこの人は妻をなぐさめつつ、また携帯電話で彼女の身内らと連絡を取りながらも、正面に座る老人に一部始終を話していたので事情がよくのみこめた。こんなシリアスな状況下でも実によくしゃべるものだと感心。
周囲の人たちは悲しみに打ちひしがれたこの家族連れに気を使い、彼らの取るべき行動、彼の奥さんの実家へたどり着くためのルートなどについて、さまざまな助言を与えている。
ついさっき車内に乗り込むときの座席をめぐっての殺伐としたムードとは打って変わり、暖かい人情味あふれる空間に入れ替わっていた。
しばらくパニック状態にあった夫はしばらく考えた末、カルカッタの親族だか知り合いだかと携帯電話で連絡を取り航空券の手配を頼んだ。しばらくして三人分の席がジェットエアウェイズで確保できたとの連絡が入っていた。彼らがハウラーに着いたら電話の相手が駅で出迎えてくれて、そのまま空港へと向かうことになったそうだ。
やがて列車はハウラーに着き、家族連れは相席の人々に見送られて駅出口へと急いだ。
