目の前はブータン1 プンツオリンに入れなかった

Bhutan Gate at night
 ブータンのすぐ手前まで来てみた。『手前まで』というのはヴィザを持っていないのでブータンを訪れることはできないかったためである。国境のブータン側の町プンツォリンにはヴィザなしで訪れることができると、かつて耳にしていたのだが・・・
 シリーグリーからバスで来たのだが、途中の眺めはなかなか気に入った。丘陵地に茶畑が延々と続く。地図で眺めるとバングラデシュとブータンにはさまれた回廊地帯なのだが、景色は広大なのでそんな狭い土地を走っている気はしない。本来大地というものには国境はないのだ。途中幾度かアッサム方面へと走る鉄路と並走する部分がある。幾度か通過する列車や鉄橋を目にする。
 バスの中には、「シリーグリーに買い物にやってきた」というブータン人の親子連れが いた。昨日インドに入国したのだという。彼はとかく明るい人柄で、しきりに冗談を飛ばしている。おかげで闇夜をひたすらガタゴトと走る暗い車内がパッと明るくなるようだ。


 夜10時過ぎにジャイガオンに到着。小さな町だが目抜き通りは片側二車線となっており、中央分離帯には等間隔で水銀灯が立っていて立派に見える。しかしこの見栄えのする眺めはせいぜい400メートル程度であとはいつもどおりの素朴で細い田舎の街道となってしまうのだが。ブータン建築風の国境ゲートといい、両国の見栄の張り合いのようでおかしい。
 ジャイガオンの街の目抜き通りにはいくつかまあまあのホテルがある。多くは建物のグラウンドフロアーには小さな商店がいくつも入居しており、ファーストフロアー以上がホテル空間となっている。小さな町ではあるが、国境の町ということもあってか貿易の中継点として栄えており、ブータンからやってくる個人買い物客相手の小売業もまたとても盛んなようだ。
 ホテルを電話予約していたのだが、当初告げていた到着予定時間を大幅に過ぎてし まったため私が泊まるはずの部屋は別の客にあてがわれてしまっていた。「もう来ないと思った」とマネージャーが申し訳なさそうに言うので、仕方なく他の宿を探すことにした。
 しばらく徘徊して見つけた宿の食堂で遅い夕食をとっていると、ブータン人の高校生くらいと思われる男女四人が「部屋いくらだい?」とフロントに来ていた。彼らもとにかく天真爛漫といった感じで、ブータン人とは意外にも非常に明るい国民性なのだろうか?
 彼らはテレビ付きの部屋が欲しかったようで、フロントの男に「ないよ」と言われると「え〜、テレビないのぉ?」と子供のような駄々をこねている。このホテルのすぐ先が国境。向こう側にもホテルはいくつもあり、「テレビ付き」の部屋はいくらでもありそうに思うのだが、タバコの禁止(ブータンは世界初の禁煙国家)や民族衣装の着用義務などの制約からつかのま自由になりたくて、国境のこちら側に来ているのかもしれない。
 あるいはカップルでちょっとした冒険気分を味わいたいのだろうか。まさに青春まっただ中という年齢である。彼らは日常的にヒンディー語を話しているのかどうか知らないが、ホテルのマネージャーとのやりとりを横で耳にするかぎりなかなか上手である。
 翌朝ホテル近くの食堂で朝食を取っているとき、話しかけてきた人に 「残念だけど外国人はビザ無しでプンツォリンに入れなくなっているよ」と言われた。しかしホテル近くのインド側のイミグレーションオフィス入口には、「注意:ブータンへ出国する外国人は必ず立ち寄るように」と大きく書かれた看板がかかっていたので、「なんだちゃんと行けるんじゃないか」とやや安心。役人にいちおうたずねてみると、「入れるかどうかは向こうの国が決めることだからとりあえず行ってみたら」とのことで、パスポートに出国スタンプが押された。
 ブータンのゲート前に行くと大きな看板が目に入ってきた。 「いかなる理由があろうとも、ヴィザを持たない外国人の入国は認めません」 これはプンツォリンのみ数時間程度訪れようという者にも適用されるのだろうか?
 やはりプンツォリンもヴィザなしでは入れなくなったのかとブータン側の制服の男に尋ねると、彼は警官であったようでイミグレーションの役人のところに連れて行ってくれた。 役人は丁寧な態度で「残念ながらヴィザのない外国人の方はここから先に入ることは認められません」私に告げた。 いつからそういうことになったのかについてよく知らないようだったが、彼は最近ここに着任したのかもしれない。後でジャイガオンの町の人から聞いた話では、こうなってからすでに半年以上過ぎているとのこと。
 それにしてもさきほどのインド側のイミグレーションの役人。インド側の彼が云々することではないにしても、こうなることは知っていただろうに。すでに沢山の外国人旅行者たちがブータンゲートのところで門前払いとなり、彼のもとにションボリ引き返しているはずなのだ。ともあれ再びこの役人に今度はエントリースタンプを押してもらい、書面上はジャイガオンから入国したことになった。
 役人が執務室に来るのを待っている間、ここに配置されている警官たちとの無駄話を通じ、彼らは市中で警備にあたる西ベンガル警察の者たちと立場が違うことを知った。彼らはグジャラート出身で中央政府から派遣されているのだ。なるほどイミグレーションは西ベンガル州政府の機関ではなく中央政府の一機関である。南インドに行っても空港の警備にあたるポリスたちに北インド出身者たちが多いのはこれと同じ理由だろう。
 ブータン人やインド人たちはゲートのこちらと向こうを盛んに行き来している。ポリスや役人たちはやや間隔を置いて通路上に三重に配置されており、通過する人々の顔だけは目を皿のようにしてじっくりとチェックしているようである。
 だがインドのバザールで購入した普通の洋服を着て、特に荷物など持たずに歩けばそのまま入国できてしまいそうな雰囲気はある。自家用車やタクシーはゲートで一時停止して役人がチラッと中を覗く程度なのでより簡単そうだ。 またブータンからインド側に入るクルマについては停止することさえなく、そのまま徐行してブブーッと通り抜けてしまう。なんともイージーな国境だ。
  こんな状態なので、ヴィザなしでプンツォリンに入れなくなっていることを知らず、またゲートで制止されることなく入ってしまうこともあるのかもしれない。あるいは意図的してモグリ込む日本人旅行者もいくばくかいるのかもしれない。その結果どういう扱いになっているのかは知らないが、一般的に不法入国のペナルティーは決して軽くないのでそうした愚をおかすべきではないだろう。
 デリーでヴィザを取得してブータンを訪れた「これでインディア」のアルカカットさんのブータン旅行記は、その写真とともにとても貴重な記録である。 私もいつの日か、あの国の様子をいつかちょっぴりでいいから覗いてみたいと願っている。
正面に見えるビルはブータン領内

「目の前はブータン1 プンツオリンに入れなかった」への4件のフィードバック

  1. 私は、5月31日(’06)インド人の友人とその家族とともに、シリグリからタクシーでPhuntsholing(ブータン)へ行きました。友人にパスポートは要らないのか何度か聞いたけれど、要らないと言われ、そのままビザもパスポートもなしで入国しました。ゲートには特に入国を監視する人もいませんでした。

  2. プンツォリンの町はどうでしたか?
    インド側のジャイガオンにしても新しい市街地なので、格別に見どころはないにしても、ふたつの国の境目なのでいろいろと物珍しい部分はありますよね?
    私が訪れた前後しばらくの間は、ブータン側の都合でビザ無し入域ができなかったようです。
    国境事情はときどき変わることがありますが、やや具合の悪いときに当たったようでちょっと残念でしたが。

  3. ブータンのゲートは、ネパールへのゲートよりもっと立派できれいでした。友人がブータンの記念切手を購入したいと言って、郵便局へ立ち寄った時に見た、従業員が着ていたブータンの民族衣装が印象的でした。着物のような、スカートのような民族衣装は変わっていますよね。色使いがきれいだと思います。

  4. 私はインド側で『ブータン料理』をしんみり食べたりしてましたが、行き交う両国の人やモノなどを眺めていたり、カフォでくつろぐブータンの人々といろいろ話することもできて、良かったなと思います。
    あんなに大勢のブータン人たちといっぺんに遭遇したのは初めてでしたし。
    多くの人たちが願っているように、いつか旅してみたいものです。

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