1月7日、オーストリアのハインリヒ・ハラー氏(Heinrich Harrer)が93歳で亡くなった。相当な高齢者となっていた彼は、山登りをやめてからずいぶん長い時間が経っているのに、やはり山屋はいくつになっても「登山家」と表現されるものらしい。
多才な彼はスキーヤー(1936年ドイツで開催の冬季オリンピック代表として選出されたものの、事情によりオーストリアのスキーチームがボイコットしたため参加できず)としても活躍しており、またゴルファーとしても鳴らした。1950年代後半には、オーストリアのアマチュアチャンピオンに輝いたほどの腕前であった。
スポーツ以外でも活躍分野は広く、地理学者として知られるとともに、作家としても20冊の本を著している。その中の一冊がかの有名な「Seven Years in Tibet」だ。
1938年、彼の祖国オーストリアがドイツに併合された結果、現在パキスタン領内となっているヒマラヤの秀峰ナンガーパルヴァト遠征に「ドイツ隊員」として参加したハラーは、翌39年に第二次世界大戦が勃発すると、当時のイギリス植民地当局に「敵性外国人」として捕まってしまう。
当時の国籍が「ドイツ」であっただけではなく、後年自身が「あれは間違いであった」と回顧しているように、彼はナチス党の親衛隊メンバーとして名を連ねてもいた。
1944年に収容所を脱出して、同僚とともに実に21ヶ月もかけてチベット潜入に成功。彼は当時まだ少年であったダライラマに会い、家庭教師役を任されることになる。
1950年に起きた中国によるチベットに侵攻後は母国に戻り、チベットでの体験や見聞などを「Seven Years in Tibet」としてまとめる。これは48もの言語に翻訳され、300万部を超えるベストセラーとなり、世界各国で愛読されるようになる。この本は、現在でもネパールやインドのヒマラヤ地域で、観光客向けの書店店頭に必ず並ぶ「定番」図書だ。
97年には映画化され、ブラッド・ピット主演で南米のアンデス地帯で撮影されたが、これを映画館でご覧になった方も多いことだろう。
このハインリヒ・ハラーという人は、雄大なヒマラヤのみならず、英領時代のインド、そして中国による占領前の独立チベットをも身をもって知る人であった。この機会に今一度、彼の本の扉を開いて彼が見聞した世界を垣間見てみるのもいいかもしれない。
訃報:ハインリヒ・ハラーさん93歳=登山家(毎日新聞)
投稿者: ogata
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ハインリヒ・ハラー氏逝去
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ヒマラヤの東端はインドネシア?

普段何気なく眺めている地図だが、衛星写真から起こした海底の地形まで表現されているものを見るといろいろ思うことがある。
あいにく地質学の知識など持ち合わせていないのだが、「世界衛星アトラス」は、普段とちょっと違う視点を与えてくれるのが面白い。地図にもいろいろあるものだ。
もともとオーストラリアあたりにあったとされるインド亜大陸が北上を続けてユーラシア大陸のとぶつかったため、チベットの大地が大きく持ち上げらせることになったのはご存知のとおり。その結果できあがったヒマラヤ山脈だが、いまでも亜大陸は北側へ押しているため、いまも年にごくわずかながら隆起を続けていることもよく知られている。
東西に走るヒマラヤ山脈の東端部、インド東北地方からミャンマーにかけては大きく90度褶曲しアラカン山脈と呼ばれているが、海底の地形に目をやればこの大地の隆起は海底にも続いていることが見てとれる。つまりアンダマン・ニコバール諸島だ。
たまたま水面下にあるのでその「山脈」の姿が見えなくないのだが、もしベンガル湾の水をそっくり取り払って(そんなことができるかどうかは別にして)しまえば、その海底山脈をたどって南下すれば、インドネシアのスマトラにつながり、さらにジャワその他東に連なる島々へとたどることができる。
なるほど移動してきたのは亜大陸のように見えるが、実はそれを含む大きな地殻そのものがゆっくりと移動しており、動きを異にする他の地殻との摩擦で起きたズレが山脈や海底の隆起という形になって表れるのだと思う。よくよく眺めてみれば、大地や海底の褶曲や起伏の多いところは地震の多発地帯が多いような気がする。
書籍ではなく手軽なところでは、Google Mapあたりで眺めてみるのもいいかと思う。 -
インドIT留学

もはや自他ともに認めるIT大国となったインドだが、近ごろ日本の留学斡旋業者たちもインドへ熱いまなざしを注いでいる。
多くは数週間から1年程度のプログラムで、留学というよりも研修いった印象を受けるが、コンピュータ・プログラム関係以外に英語も学べるし、余裕があればヨーガやアーユルヴェーダ体験も・・・といった付加価値をつけることもできる。それなのに先進国に比較して費用が格段に安いというのがウリのようだ。
日本からインドへの留学といえば、インドそのものに関わる学問、そして特定の専門分野に集中する傾向が強かったため、一般の人々にとってあまり馴染みがなかったかもしれない。しかし従来からインド周辺国やアフリカ諸国などからは経済学、工学、医学、法学、教育学その他いわゆる「実学」を学ぶ留学先として人気が高かった。
もちろんここでも先進国に比べて学費が安いこと、外交政策上インド政府が国費により各国から留学生たちを毎年多数招聘していることもある。つまりインドという国に何の関心も持たなくても、「インド留学」の動機はいくらでも転がっているのだ。
それにしても途上国でありながら広範な分野で世界レベルの優秀な大学を多数抱えていることはまさに「知の国」の証であり、英語で専門教育を受けることができるのも大きな魅力である。
今後日本でもインドの教育分野における「実力」について広く知られるようになってくるのだろうか。すくなくとも「悠久の大地」や「不思議の国」といった言葉で語られるのではなく、インドのより現実的な部分が身近になってくるのは喜ばしいことかもしれない。
▼ECCインド留学プログラム
http://www.eccweblesson.com/india/program.html
▼ソフトブリッジ
http://www.j2i.jp/
▼毎日留学ナビ
http://ryugaku.mycom.co.jp/ind/
▼グローバル・パートナーズ
http://www.gp21.co.jp/school/programs/it_india.html
▼World Tech
http://www.world-avenue.co.jp/wa_tec/ContentFrame.htm
▼Aptech Ltd.
http://www.world-avenue.co.jp/wa_tec/it_APTECH.htm
▼留学のグローバルスタディ
http://www.global-study.jp/IT/india_it.html -
どうしてこうなる?
パナジ市内きっての散歩みち。この新しい遊歩道はホテル・マンドヴィの斜向かいから河沿いにずっと西のほうまで続いている。豊かな水量の流れを目にしながら、ゆったりと散歩するのもいいし、あるいは頑張って早起きしてジョギングなどしてみるのもいいものだ。
まっすぐで幅広く、そこを占拠する露天商や行商人もなく、デコボコがなくて真平らで、目をつぶっていても歩けるような楽ちんな歩道なんて、インドにそうそうあるものではない。さすがに大掛かりな工事をしていただけのことはあるなぁ、感心していると案の定こんなところが見つかった。まだ真新しいのにブロックがボコリと陥没している。顔を近づけて覗いてみると水面がチラリと見えるではないか。どうしてこうなるのか?

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西葛西にZEE TVがやってきた

いまや「東京のリトルインディア」に成長した(?)西葛西。東西線の駅近くのホテル内にあるレストランで、12月18日(日)クリスマスディナーパーティーが催された。現在、ZEE TVのチームが日本のクリスマス、日本に住むインドの人々取材するため来日中だが、この催しは彼らが取り組む番組制作の一環として企画されたものである。
今年の春先から日本の東京をベースとするMola TVと大阪を本拠地とするHum Tum TVによるZEE TVその他の番組のインターネットによる発信(有料)が始まっており、その視聴者たちが招待されることになった。 -
ベンガルールってどこだ!?
英語での都市名がボンベイからムンバイ、マドラスがチェンナイ、そしてカルカッタがコルカタなど、ここ十数年の間に次々と変わったが、ここにきてバンガロールもそれに続こうとしている。同市を州都とするカルナータカ州政府により提案されているのが「ベンガルール(Bengaluru)」という名前であり、地元カンナダ語での呼称に近い表記であるとのことだ。
ヒンディー語ではどうなっていたかな?と思い、地図や時刻表など開いてみた。बंगलोर (バングロール)あるいは बंगलौर(バングラウル)といった英語のそれに近いものもあれば、 बेंगलूरु(ベーンガルール)と原語の音をデーヴァナガリで置き換えたものもあった。インド有数の主要都市の名前とはいえ、その表記についてはけっこう揺れがあるようだ。
もともと「バンガロール」とは植民地時代に英国が彼らにとって読みやすいように変更したのだからということだが、独立後60年近くも経っているのに何で今ごろ?という気がしないでもない。 -
着実に進むバス外交
12月23日にラホール発の第一便が出発、アムリトサルからは同27日に逆方向の便が走るのを皮切りに、国境をはさんだパンジャーブ地方の二都市を結ぶバスサービスが始まる。
デリー・ラホール間、スリナガル・ムザッファラーバード間に続き、第三の印パを結ぶバスルートとなる。今後、アムリトサルからパキスタン国内にあるスィク教の創始者グル・ナーナク生誕地たる聖地ナンカナ・サーヒブへのルートも予定されているとのことだ。
聖地といえば、私はよく知らないのだが、パキスタン国内にあるスィクやヒンドゥーの聖地には他にどんなところがあるのだろう。どなたか詳しい方があれば、そのヒントでもぜひご教示願いたいと思う。両国の分離独立以来、ずいぶん様変わりしていることあるのだろうが、いつか折をみて訪れてみたい。
これまで「地の果て」であった国境をまたぐ人々の行き来、特に陸路での往来が盛んになってくれば、移動する人々の規模や目的もまたグッと広がる。移動手段の多様化とともに、両国の人々が相互に他国を訪問する際のビザ取得や外国人登録などを含めた入国・在留手続き等がより簡単になれば、親族訪問やビジネス目的だけではなく、観光や巡礼目的で隣国パキスタンを訪れる人も増えてくるのではないかと思う。
この二国間の交流が次第に盛んになっていくにつれて、次第に人々の中に、そして土地にかつての記憶がよみがえってくることもあるのかもしれない。もともとそこには国境などというものはなく、一続きの大地だったのだから。
今後も両国関係にいくつもの紆余曲折が待ち構えていることだろう。しかし今後は「南アジアの火薬庫」ではなく、印パ関係が「普通の隣国」として発展していくことを願いたい。歩みは決して早くないものの、着実な前進を見せるバス外交の進展を将来への希望の灯と見る人々は決して少なくないはずだ。
New India-Pakistan bus on trial (BBC South Asia) -
進め、インディアン!!
南アジアの空に君臨してきたインディアン・エアラインスだが、近ごろでは後発の民間航空会社が順調にシェアを拡大する中、政府という強力な後ろ盾をもってしても、なかなか苦しい立場に置かれている。 もちろん時流からしても今後民営化という方向に進むであろうことについては、いかんともしがたいところだ。
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第17回アジア・太平洋賞大賞に「中村屋のボース」
毎日新聞社による第17回アジア・太平洋賞の大賞が、中島岳志氏による「中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義」(白水社)に決定した。
2002年に出た「ヒンドゥー・ナショナリズム―印パ緊張の背景」(中公新書ラクレ)で世間の注目を集めた同氏は、新進気鋭の研究者として今後ますますの活躍が期待されるところだ。一般読者としても、次はいったいどんな本を世に出してくれるのか大いに楽しみである。
第17回アジア・太平洋賞 大賞に中島岳志氏 (毎日新聞) -
パッケージツアー「ナガランド」
世の中には、さまざまな旅行代理店が企画したいろいろなパッケージツアーがあるものだが、日本のそうした旅行会社から「ナガランド」行きのものも出ているとは知らなかった。
なんでも「州都コヒマからトフェマ、モコクチュン、モンへと北上し、ナガ丘陵に暮らす様々な部族の村を訪れる」とあり、このツアーは「年に一度のアンガミ族の祭り・セクレニ祭」のタイミングに合わせたものであるとも、広告のウェブサイトに記載されている。来年2月下旬から3月始めにかけてのツアーで、いくつもの村々を訪れて風物を楽しむのだという。
立ち入りが制限されており、入域許可を得るにも条件等のため、なかなか訪れることができない地域であるし、ましてや時間のない人にはそれらの手続きや交通の便の関係からもハードルが高くなる。そのためこうしたものを利用するのも悪くないと思う。
しかし参加料金は約40万円と高額であるため、利用できる人は非常に限られてしまうのは残念である。私自身、とても手が届かない。
行程一覧を眺めてみると、ちょうどタイあたりの山岳少数民族の村々を訪れるツアーのイメージと重なるものがある。やがて地域の情勢が今よりもさらに安定に向かい、この地域が広く外国人旅行者に開放される日もそう遠くないのかもしれない。そうなれば、官民挙げて発展を目指すのはやはり観光であろうことから、この地域行く末が見渡せるような気がしないでもない。
ある人はそれを地域振興と呼び、またある人はそれを観光公害と表現するのかもしれない。地域のありかたは、基本的にはそこに暮らす人々が決めることとはいえ、外部からの投資家やデベロッパーのような人たちに牛耳られてしまうなんてことも往々にしてあるのだろう。これについて私自身は何とも言えないが、派手に観光化する前に訪れてみたい気もするし、そうした地域の変遷を何年おきかで定点観測してみるのも、なかなか興味深いことではないだろうかと考えている。
期間限定の一度限り、そして人数12人までと記載されているため、とっくに募集は終わっているのかもしれない。しかしこのツアーに興味を引かれて参加するのはどういう方々なのか、という点でもちょっと関心のあるところだ。 -
カレーの注文 ロンドン→デリー→ロンドン
何だか妙なことになっているらしい。
ロンドンでインド料理を電話注文すると、デリーにあるコールセンターにつながり、そのオーダーをロンドンにある料理屋が受け取る。出来上がりを待つお客は、自分のオーダーがはるか彼方のインドを経由して近所の料理店に伝わることなど露知らず。
日本でもNTTの電話番号案内業務の大部分が、本土よりも人件費の安い沖縄に移転しているが、コトバの壁もあり日本のコールセンターが中国や東南アジアに続々移転なんて話は今のところ聞かない。
個人的には、「グローバル化」なるものが、果たして私たちを含めて各地に暮らす人々のためなっているかという疑問があるが、何はともあれこれを具現化するには政治体制、経済活動の自由、商工業のインフラの状態などさまざまな条件が整う必要がある。その中でやはりコトバというものは大きな障害となろう。
外国語により提供される商品やサービスなどで、字幕や翻訳などを通じた顧客の母語による仲介なくして、日本市場で社会の隅々まで広く売ることができるのはミュージックソフトくらいではないだろうか。
英語を自在に操れる人の割合は限られているとはいえ、総人口という分母が巨大なだけに総数で見れば相当なもの。「英語圏」がとてもなく大きな力を行使している現代社会にあって、「インドの英語力」はこの国の大きな財産であることを今さらながら感じ入る。
Indian food via Indian call centres! (MSN News)

