どうしてこうなる?

 パナジ市内きっての散歩みち。この新しい遊歩道はホテル・マンドヴィの斜向かいから河沿いにずっと西のほうまで続いている。豊かな水量の流れを目にしながら、ゆったりと散歩するのもいいし、あるいは頑張って早起きしてジョギングなどしてみるのもいいものだ。
 まっすぐで幅広く、そこを占拠する露天商や行商人もなく、デコボコがなくて真平らで、目をつぶっていても歩けるような楽ちんな歩道なんて、インドにそうそうあるものではない。さすがに大掛かりな工事をしていただけのことはあるなぁ、感心していると案の定こんなところが見つかった。まだ真新しいのにブロックがボコリと陥没している。顔を近づけて覗いてみると水面がチラリと見えるではないか。どうしてこうなるのか?
どうしてこうなる?


 最初は舗装前の整地がいい加減だったのかと思ったが、実は護岸の部分が侵食されて河の水が歩道の下にまで迫っているらしい。放っておけばせっかくの遊歩道がゴソッと滑り落ちてしまうようなことになるのではなかろうか。市当局が早いところ対策の手を打ってくれるといいのだが。
 この遊歩道に限らず、整備したばかりの道路なのに端から崩れてきていたり、いきなり道の真ん中がやはり陥没したりなんてことがよくある。もともとのアイデアや計画は素晴らしくても、いざ実行に移せばあちこちにアラが見えるのはなぜだろうか。「税金ドロボウが沢山いるのさ」という声もあるが、必ずしも意図的、組織的な手抜きというわけでもないだろう。もちろんそうしたモノをちゃんと作る技術がないはずもない。
 理由のひとつに現場の人々の姿勢や意識というところもあるのではないだろうか。時代とともに街の装いは見違えるほど新しくなってきても、昔ながらの人海戦術で進む工事現場のありかたは今も変わらない。
 90年代以来順調な経済成長を続け、持てる者や能力のある人々は加速をつけて階段を駆け上っているが、額に汗して社会の末端を支える人々のありさまは相変わらずだ。社会のどの部分にあっても、より豊かな暮らしと質の高い生活の実現には、社会全体での民度の上昇が欠かせない。普段手にする工業製品、日々を過ごす住宅、毎日行き来する道路等々、どれも結局のところ人々の手で造り上げるものなのだから。
 パナジの遊歩道の陥没した部分には、インドの思い描く華やかな理想と厳しい現実、順調な発展とは裏腹に、無視することのできない停滞した側面がせめぎあっているのかもしれない。

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