ふたたび不安と不信のはじまりか

 7月11日午後6時台にムンバイーの郊外電車車両や鉄道駅などで連続して起きた爆弾テロ事件により、190人前後が死亡し620人以上が負傷したとされる。事件発生後、コングレス総裁のソニア・ガーンディー、RJD党首で鉄道大臣のラールー・プラサード・ヤーダヴらはデリーから事件発生現場へと急行した。
 どの現場でも同種の時限発火装置が使用されたと見られ、現在までのところこの事件にはこれまで幾度もインドでテロ事件を引き起こしているパキスタンを本拠とする組織と地元インドで非合法化され現在では地下活動を行なう過激派組織がかかわっているとみられている。
 こうした残忍にして愚かな行為はどんな理由があろうとも決して正当化できるものではない。しかしこうした事件を計画・実行しようとする組織や個人に対して、日々不特定多数の人々が出入りするという人口の流動性、常に人々の顔を見ながら生活していても、日々付き合いのある特定の個人を除いて他はすべて見ず知らずの他人であるという匿名性などから、都市といったものがいかに計画的にして組織的な暴力に対して無力であるかということをまざまざと見せ付けられた思いがする。  都会というものは、相手の顔が見えるようでいて、実は私たちが眺めているのは仮面や虚像に過ぎないのだろうか。
 数年前、ムンバイーの市内バスが連続爆破される事件が発生した直後、シヴ・セーナーによる、事件首謀者たちとテロに対する行政当局の無策ぶりに対し、ムンバイー市街地全域に及ぶ規模での抗議活動としての『ムンバイー・バンド』が実行され、その趣旨に賛同するしないにかかわらず同党とその友党であるBJP の活動家たちが市内を巡回・監視し、インドの金融・経済の中心都市として、また市民生活を含むムンバイーの機能が日中一杯すべてストップさせた。
 また事件の実行犯たちと同じくムスリムであることから受けるかもしれない危険や不利益を避けようということもあってか、いくつかのイスラーム教団体やイスラーム・コミュニティを支持母体に含む政党などが、メディアからの声明発信や街頭での演説などを通じて積極的な支持を表明してムンバイー・バンドに『相乗り』する様子も目に付いた。
 指導部の世代交代を発端とする組織の内紛を経て、幾人かの重要幹部たちが抜けた現在のシヴ・セーナーに当時のような力があるのかどうかわからないが、同党を含めてマハーラーシュトラ州はもちろん中央政界でも下野している右派勢力がこの事件を好機とみて与党に対する揺さぶりをかければ、そのコトバが説得力を持って一部の人々の胸に響くことだろう。 事件そのものだけでなく、出来事を受けての政界による反応もコミュニティ間の緊張につながりかねない。ともかく影響は長期に及びそうだ。ここしばらくの間好転している対パキスタン関係も大いに懸念される。
 このたびの事件で犠牲となられた方々のご冥福をお祈りするとともに、これがふたたび『人』『社会』『コミュニティ』『隣国』に対する不安と不信のはじまりとならぬことを願ってやまない。

「ふたたび不安と不信のはじまりか」への3件のフィードバック

  1. 日本の報道のなんと少ないこと!
    times of India を入手しました。
    最近知り合ったインド人は、「日本は冷たい」と嘆いていました。

  2. とかく近年はテロもより巧妙化、過激化、大型化してきていますが、あの『9.12』以来こうした同時多発型が目立ちます。こういう陰湿な事件が起きると、本当に気が滅入ってしまいますね。

  3. 正確なムンバイの情報を得るのに時間がかかってイライラしました。日本のメディアはインドにはまだ興味が薄いのでしょうか。メディアは国民の映し鏡でもあるので、我々に興味が薄いのでしょうね。

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