ブジへ

ムンバイーを午後早い時間に出るジェットエアウェイズのフライトでグジャラート州カッチ地方の中心的な町であるブジへと飛んだ。

2001年の震災前にも幾度か訪れたことがあるが、前回訪れたのは2009年。震災から8年も経過していれば、ほとんどが修復されているのではないか、それともまだその痕跡は数多く残っているのかと、ちょっとおっかなびっくりで訪れた記憶がある。

旧市街の趣のある町並みはほとんど消えていたと言って差し支えないような具合であったが、同時に驚かされたのは震災前の街区がきちんとそこに再現されていることであった。古い建物は軒並み消失してしまっているようであったが、その同じ場所にどれも同じような築年数で新しい建物が建てられているようであった。やはり地権というものがあるので、当然そういうことになるのだろう。

ただ異なるようであったのは、おそらく震災後に大きなデヴェロッパーが進出してきたのであろうか、かなりの面積をひとまとめにしてコンドミニアムが建っていたりすることであった。政府も2001年の震災による被災地の復興にはいろいろと便宜を図っているようで、建物の新規着工にあたっての免税措置などが講じられてきたようだ。

そんなブジの町だが、1980年代末に訪れたときには、とてもカラフルな経験であったことを記憶している。先述の古い町並みもさることながら、町の外からマーケットに買い物に来る、あるいは品物を売りに来る少数民族たちが、実にコミュニティごとの特徴あふれる衣装を身につけていたからだ。

当時、すでにそうした少数民族の若者から働き盛りまでの年代の人々の多くが、洋服を着るようになっていたものの、女性たちは普遍的なパンジャービー・ドレス姿ではなく、さりとて大量生産のサーリーでもない、独自の背中が大きく開いた衣装であったり、またそれにはさまざまなミラーワークや刺繍などで飾り立てられていたりした。

そうした人たちがどこからやってくるのかと思ったりもしたが、自転車を借りて町から少し走った先にある村々で、人々はそのような格好をしていたことから、この小さなブジの町から少し出ただけで、そういう暮らしがあることを知り、ちょっと感激したりもした。

2009年に再び訪れたときのブジでは、周囲の村々との行き来は相変わらず盛んなはずだが、すでにそういう格好をした人たちはまず目にしないようになっていた。やはり工業化が進むと、近代的な工場で大量生産されたものが安く市場に出回るようになる。町の外でも現金収入を得る機会が増えてきて、経済活動そのものが活発になってくるに従い、手間暇のかかる民族独自の衣装は隅に追いやられてしまうことになるのは仕方のないことだ。また、そうしたマイノリティの人々、これがマジョリティから少し下に見られているということであればなおさらのこと、その出自を明らかにする衣装をわざわざ来て町に出るということを避けようということになってしまうのもまた致し方ないことだろう。

こうした少数民族に限ったことではない。インドには今よりもっと様々な地方色豊かな衣装のバリエーションがあった。それがだんだんこのようなプロセス、つまりかたや商業・経済的な理由、かたや社会的に自分たちよりも上と認識される集団を模倣するというプロセスを経て、「現在のインドのような装い」が定着しているわけでもある。

例えば、外国人の目には「インドの民族衣装のひとつ」と捉えられるパンジャービー・ドレスと俗称される女性版のシャルワールカミーズにしてみても、元々はインドの国民的な装いというわけではなく、「パンジャービー」という形容が付くことからも明らかなように、インドの西方から伝わったものである。そもそもこれがパンジャーブに入ってくる前には、さらに西方の主にイスラーム圏で用いられてきた衣装である。

これが現在ではサーリーよりも優勢になっていることの背景には、人々のライフスタイルや意識の変化などがあるだろう。(サーリーについてもこれが全インドで太古から着用されてきたものかどうかについては、言及すると大変長くなってしまうため、また別の機会を設けてみることにする)

また、このパンジャービー・ドレスについては、日常的にサーリーを着ていた地域でこれに置き換わる形で浸透していくだけではなく、サーリーを着ることのなかった「インド文化圏外」の民族の間でもこれが次第に一般化してきているという点も見逃してはならないだろう。それはたとえば北東インドのモンゴロイド系民族であったり、夏季のラダック地方(冬季はあまりに極寒となるため、こうした衣装はまったく適さない)であったりする。

ともあれ、サーリーよりも行動的であり、洋服よりも洗濯後の乾燥が早く、また当然のことながら洋装のカジュアルよりも「慎み深さ」を演出しやすい、それでいながら柄やデザインのバリエーションが広く、お洒落着から日常着までいろいろなタイプのものが出回っているといった点が、この衣装が支持される理由であろう。

話は逸れてしまったが、そんなことを思いながら、久しぶりに訪問するカッチ地方にワクワクしながらムンバイーからのフライトに搭乗した。

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