ムンバイーのシーア派モスク Moghul Masjid

しばらく前まで、ムンバイーのタクシーの代名詞は、1960年代フィアットのインド現地生産モデル「パドミニー」であり、英領時代からの壮麗な建物の景色と相まって、この街らしいムードを醸し出していた。製造が中止となって久しい今では、すでにごく少数派になっており、ボディーを黄色と黒色に塗り分けられたスズキのマルティ、ヒョンデのサントロなどが走り回っている。

さて、タクシーでイラン風のシーア派モスクに行く。場所はムンバイーのビンディー・バーザールである。 この建物はMoghal Masjid、Masjid-e- Irani、IranianMosqueなどといろいろ呼ばれるようだ。1860年に建てられた青タイルが美しいこのマスジッドは、シーア派モスク。これを寄進した人物、モハンマド・フセイン・シラーズィーはその名の示すとおり、イランのシラーズ出身。ムンバイーのシーア派モスクは他にもあるが、イラン式の建築はここだけだ。

このあたりでは200年以上も前からイランからの移住者たちが定住しており、主にそうした同胞たちのために造られたモスクであるとされる。今でもビンディー・バーザールから少し東に進んだところにあるドングリー地区にはイラン系の人たちがかなり多く暮らしている。長らく存在してきたイラン系コミュニティの地縁・血縁などの繋がりにより渡ってきたケースが多いらしく、とりわけヤズド出身の家系が多いようだ。

さて、話はモスクに戻る。アンクシュ・バット監督のヤクザ映画「BHINDI BAZAR」をご覧になった方は、作品中で幾度か入口部分が出て来ていたのをご覧になっていることだろう。ペルシァ風のタイルで飾られた、非常に美しい門構えである。

ここを訪れる観光客は少ないようで、門番の初老の男性がチャーイを入れて持ってきてくれた。彼はUPのファイザーバード出身で、長い間ガルフで働いていたという。それで国に送金して、故郷に家族のために家を建てた。また三人の子どもたちはすべて大学にやっており、長男はMAまでやっているところだという。彼の人生はずっと外国に出稼ぎで、家族と暮らしたことはときどき帰郷するときくらいであったとのこと。今では外国での出稼ぎ生活から足を洗い、このモスクの門番をしているという彼は現在62歳とか。
「何か私自身に残ったものといえば特に思い当たらんが、故郷に家は建てたし、息子たちを大学までやったので満足しているよ。義務は果たしたかな、と。」

中を見学していると、造りは門だけではなくすべてがイラン式である。敷地に入ると門の内側にはイランの宗教指導者たち(ホメイニ師とハメネイ師)の写真が掲げられている。「セキュリティ上の理由によりカバン類持ち込み禁止」と書かれた札が立っているが、シーア派が異端であるとするワッハービーたちによる攻撃対象となり得るからだろうか。

冬のイランに来ているようなすがすがしい清浄な気分になるが、外はやっぱりゴチャゴチャのインド。現在、中央政府主導で「スワッチ・バーラト (Clean India)」のキャンペーンが展開中だが、もう少しキレイになるといいな、と思う。

本殿ではしばらく礼拝が続いていたため、しばらく外で待ち、終わってから中を見学させてもらう。キブラの方向を示す部分は青いタイル貼りで非常に美しい 内部で写真撮りやすいように電気をつけてくれたり、終わってから食事を勧めてくれたりしてくれたのは、ここのムアッズィーン。なぜか知らないが、さきほどここに礼拝に来た人たちはお堂の外で朝食を食べていた。毎日そうなのかどうかは知らない。

外国人旅行者が多く宿泊するフォート地区、コラバ地区からのアクセスも非常に良く、規模は小さいながらも実に見応えのあるモスクなので、ムンバイーを訪問される際にぜひ立ち寄られることをお勧めしたい。

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