Maghen David Synagogue (Byculla, Mumbai)

ムンバイーのMaghen David Synagogue訪問。1864年にバグダディー・ジューのムンバイーにおけるビジネスの基盤を整えた伝説の人物、David Sassonが建てさせたもの。このエリアは、かつてテキスタイル関係の産業で栄えたエリアで、労働人口を吸収するためのチャールと呼ばれる独特の集合住宅もまだ多く残っている。

この街で現存するシナゴーグはシナゴーグといえ9つほどあるようだが、最も知名度が高いのはムンバイー証券取引所近くのKnesset Eliyahoo Synagogue。これはDavid Sassoonの孫であるJacob Elias Sassoonが1885年に建てたもの。 Maghen David Synagogue、プネーにあり1867年に完成したOhel David Synagogueと併せて、Sir Jacob Sassoon Synagogues and Allied Trustsという基金が運営している。

ほとんど近くまで来たようなのだが、沿道で見かけた人に尋ねてもシナゴーグの場所はよくわからず、そうした中のひとりが、「ここからカーマーティープラーの方向で・・・」などと言うものだから、運転手は見当違いの赤線地帯の方向に走り出してしまう。それが違う方向であると判ったのは、スマホの地図に示されているシナゴーグの場所に近付くのではなく、逆に遠ざかってしまっているからだ。やはり街を散策する際にも、スマホは大変役立つものである。

「おそらくこのあたり」と思われる場所まで戻ってもらって下車。そこから歩くとほどなく見つかった。さて、シナゴーグの敷地の入口あたりでは、数十人の警官たちがたむろ、いや警備している。すぐ付近に地域の警察署があるという地の利はあるものの、やはり多数の警察官たちを乗せた警察のバスも横付けされて待機していることから、他エリアからも警察官たちが動員されていることが察せられる。このあたりの住民はほとんどムスリムばかりだ。大半はシナゴーグと平和に共存しているとはいえ、いつ何時過激派による攻撃の対象となるかわからないということもあり、相当厳重な警戒が敷かれている。敷地内に入ろうとすると、チョーキーダールに止められて訪問の目的を聞かれた。そこに警官も出てきたので、シナゴーグの見学に来たということを説明する。

地元との共存を象徴するものとして、Maghen David Synagogue敷地内にある高校の存在が挙げられるだろう。かつてはユダヤ人子弟のための学校であったようだが、インド独立後から現在にかけて、ユダヤ系の人口が激減しているため、現在ではユダヤ系の基金が運営する「普通の私立学校」となっており、ムスリムを含めた全てのコミュニティの子弟を受け入れている。

建物入口のカギを開ける世話人がまだ来ていないとのことで、近くの店でチャーイを飲んでから戻る。すると、シナゴーグには数人のユダヤ人が来ており、そのうちの1人としばらく話したのだが、もともとはムンバイー生まれで子供の頃に両親とともにイスラエルに移住したという67歳の男性。ユダヤ教徒であることを示す帽子「キッパー」を被っている。

この日は土曜日なのでユダヤ教の安息日のSabbath。 シナゴーグの世話人が堂内の照明を点けて、聖書を手にして祈りの時間が始まった。司祭はいないし、礼拝に必要な人数(というのがある)もいないため個々で祈りを捧げるのみである。

このSabbath(土曜日)には、写真撮影等は禁止になっているとのこと。ヒンドゥー教徒の世話人は、ヒソヒソ声で「今日、本当はダメだけれども、正午過ぎに来たら写真撮らせてあげる」と言う。その時間帯にはユダヤ教徒はいないのだとか。夕方になると祈りのためにやってくるので、その前までにしてくれと言う。この人にとってそもそもSabbathの日には撮影そのものを許可していないという前提ならば、それがそのまま彼の小遣い銭となるわけだ。内部の写真のためにわざわざ戻ってくる時間はないので、これについてはパスすることにした。

写真は100、ビデオは500と許可の料金を示す告知が壁に張り出してある。ところで、このようにカメラはいくら、ビデオはいくらと料金を定めているところは多いのだが、今やデジカメでもなかなかの画質の動画が撮影できるので、ビデオカメラという区分はもう意味がなくなっているのではないかと思う。

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