フェアローン・ホテル 1

外観は凡庸

コールカーターでフェアローン・ホテルを利用してみた。

幾度か朝食を摂りに行ったことはあるものの、宿泊してみたことはなかった。フロントで訪ねてみると満室であったりしたためということもあるが、「ヘリテージ・ホテル」と呼ぶには、ちょっと乱雑で俗っぽい感じがしたということもあるし、他の大都市で景気の良い街に比較して宿泊費が総体的に安めのコールカーターでは、同じ程度かそれよりも安い料金で、もっと快適なホテルがあるためでもある。

それでもやっぱり一度は泊まってみたいという思いもあった。建物自体は18世紀に建てられた植民地建築そのものであり、南パークストリート墓地とサー・スチュワート・ホッグ・マーケット(現ニューマーケット)の間に位置するエリアは現在でこそ下町化しているものの、英領期には白人地区であったことは、この地域に古くからある建築物の佇まいや政府関連施設等の存在からも容易に察することができるだろう。

19世紀から20世紀はじめにかけては、周辺地域を含めて商業地化したため、ユダヤ人が多く住むエリアとなるとともに、サダル・ストリートからフリースクール・ストリートに入ったあたりに現在もアルメニア人学校があることからも判るとおり、アルメニア人たちも多く居住する地域となった。

そんな時代の終わり近く、1936年にアルメニア人家族が取得したのがこの建物で、以来ホテルとしての営業がなされているとのことだ。

アットホームな雰囲気の共用スペース

ユダヤ人、アルメニア人ともに、植民地期には、往々にして当時の行政機構や支配層側との取引で財を成した例が多かったことから、独立運動盛んな時期には買弁とみなされ、独立達成後には、なおさらのこと不利な立場に置かれたことから、国外に活路を求めた例が多い。

現在においても、施設の所有ならびに経営自体が、植民地期と同じ外来のファミリーによるものであるという点で、特筆すべき存在である。「ヘリテージ・ホテル」が非常に多いインドであるが、そうした形で知られているものの多くは、由緒ある建物を宿泊施設として運営する企業(民間ならびに政府系企業)が取得あるいはリースにより運営しているもの、地元の旧領主による所有で経営はそうした企業に委託しているものが大半であるからだ。

〈続く〉

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