サダル・ストリート変遷

 

サダル・ストリートといえば、昔からバックパッカーたちがよく利用する安宿街として知られている。今では猥雑な小路に成り果てているが、18世紀後半には裕福な英国人の広大な屋敷と庭園を所有していたエリアだという。 

後に政府に売却されて19世紀初頭にSudder Diwani Adalatという裁判所が出来た。しばらくしてから裁判所は他の場所に移転したものの「Sudder」という名前がストリートの名として残ることとなった。 

その後、20世紀に入るあたりまで、当時カルカッタに多数在住していたユダヤ人たちが多く住み着いていたとのことで、ベンガルを拠点に当時英領であった香港や中国本土などとも手広い取引を繰り広げる豪商たちも少なからずここに居を構えていたという。 

そんなわけで、たとえ古ぼけていても、今なお少なからず残る当時からの建物にはなかなか風格を感じさせるものがある・・・と感じる方もあるのではないかと思う。 

ユダヤ人だけではない。近代インドを代表する詩聖ラビンドラナート・タゴールもここに起居していた時期があった。10, Sudder Streetである。その場所にタゴール家の屋敷が残っているわけではないので特に面影を感じさせるものはない。

 サダル・ストリートの凋落が始まったのは第二次大戦あたりかららしい。繁華街への交通の便が良いこと、軍の駐屯地から近いということもあってか、このあたりでそうした白人兵士相手のバーや娼館などが開業したのがその始まりだという。 

インドからイギリスが立ち去ってからも、一時滞在の外国人相手の商売のインフラがあったためか、1960年代から1970年代前半にかけてのヒッピー・ムーヴメント時代の西洋の若者たちがカルカッタを訪れるとここに出入りするようになった。その後、バックパッカーたちには安宿街として広く知られるようになる。 

そんなサダル・ストリートだが、ごく一部の例外を除いて安かろう悪かろうの宿、宿泊客は西洋人をはじめとする、いわゆる先進国の若者ばかりであったこの界隈だが、かねてより変化の兆しが見えてきていた。 

まずはバーングラーデーシュ行きの直通バスが付近から発着するため、バーングラーデーシュからやってきた人たちによる宿泊がとても増えたことがある。界隈にはほぼこうした人たちばかり泊めている宿もあるようだし、もっぱら彼らが持ち込むバーングラー・ターカーとルピーの交換を専門に行なっているような両替商も多い。バーングラーデーシュに行く用事でもあれば、そこでより安くターカーを仕入れることができる。 

加えて従来の外国人旅行者の客層の変化もあるようだ。昔のように「若者ばかり」というわけではなく、中高年の訪問も多くなっている。そのため宿泊施設の需要についても、その価格帯についてかなり幅が出てきているようだ。若者たちにしても、かつてのように「安ければ何でもいい」というタイプばかりというわけではないようだ。 

加えてインド人旅行者たちの存在がある。彼らにしてみれば「ヒッピーのような外国人たち」が宿泊するエリアを利用する「人品いやしからぬインド人旅行者」というのはまずなかったが、90年代以降の「旅行ブーム」もずいぶん長くに渡って続いており、旅行そのものが生活のサイクルの一部となった人も少なくないようだ。そんなわけで、かなりこなれたスタイルで旅行する人も増えてきた。すると施設や地の利が便利であれば、他のことにあまり頓着しない人も出てくることにもなる。 

ちょうどそうしたところに目を付けて、近年のサダル・ストリートでは4,000~5,000Rsの料金帯のホテルがいくつか出来ている。 

以前、安宿があった建物に大きな改修工事の手が入っていることに気が付いたのは前回コールカーターを訪れたときであった。今回それがすっかり完成していたので覗いてみると、ムンバイーでいくつかのビジネスホテルを展開しているBAWAグループによるBAWA WALSONというホテルであった。 

2010年9月に開業したのだという。フロントのスタッフもこのエリアでは珍しくちゃんとした態度というか、プロフェッショナルな応対。部屋を見せてもらったが、とてもスタイリッシュでいい感じだ。フロアーがぴかぴかの板張りというのもいい。 

部屋代を尋ねると示された料金表には5500 Rsと書かれている。「あぁ、そうですか」と踵を返して通りに出ようとすると、「今キャンペーン中ですが、いくらならばご利用されますか?」と尋ねてくる。テキトーに「2000」と答えてそのまま行こうとすると、背後から「いいですよ」と声がかかる。 

冷やかしのつもりであったが、もっと低い料金を提示しておけば良かったかな?とやや反省しつつも、それでも部屋の内容を思えば充分以上にリーズナブルなので利用してみることにした。 

ふんだんに出るお湯で身体を洗い、ふかふかで清潔な寝具に飛び込んでぐっすりと眠る。朝食はバフェ形式で、席に着いているのはサダル・ストリートの宿泊者らしからぬアップ・マーケットな宿泊客たちばかりであった。 

1783年建造のコロニアル建築のFairlawn Hotel (同ホテルのウェブサイトの「about us」にサダル・ストリートを象徴するようなエピソードも書かれていて興味深い)やLytton Hotelといったアップマーケットな老舗は存在していたものの、古い建物を部分的に改造して開いた安宿が中心であったサダル・ストリートやこれと交わるフリー・スクール・ストリート界隈でちょっとベターなホテルがいくつも出来上がってきている。 

そうした中でBAWA WALSONのように、小ぶりながらもモダンで洒落たホテルが出てきたことは、このエリアの客層や土地柄の変化を予見しているかのようである。

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