コールカーター チョウリンギーの放牧

 

朝方、チョウリンギー通りを散歩していると、ちょうどヤギの大群を連れた人たちがチョウリンギー通りを南下してくるところであった。ヤギとヤギ飼いたちは悠々と大通りを進み、パークストリートの交差点手前あたりで道路を横断して広々としたマイダーンに行く。毎日決まった時間にこうして「放牧」に出かけているようだ。 

マイダーンは植民地期に造られたものだが、その目的は単に市民の憩いの場ということのみならず、カルカッタを帝都としていた頃のイギリス当局にとっては、有事の際の最終的な防衛の拠点としてのフォート・ウィリアムを市街地から隔てたところに保つ目的があった。 

デリーに遷都されてからも、また独立以降もマイダーンはそのまま残されたため、とりわけアジア諸国の中では稀有な桁外れに大きな公園が大都会の真ん中に存在し続けている。「市民のための広々とした公園」でありながらも、実はこの広大な土地を所有しているのは軍であるという意外な一面もある。人々にとっては夕方や休日の憩いの場、ヤギたちにとっては豊かな牧草地となる。 

昔、初めてインドに来たときもびっくりした。てっきり遠く郊外から連れてきているのだろうと思ったヤギたちの棲家は都心であったからだ。路地裏の古ぼけた建物の今にも壊れそうな扉がガタンと開くと、その中にはヤギたちがワンサカ。棒を手にした男たちが「さあ出かけるぞ!」と追い立てていたのだから。今も彼らは都市の中心部に住んでいるのかどうかは知らないが。 

着々と近代化が進みつつあるインドの他の大都市と比較して、コールカーターはその歩みがかなり遅く感じられる。その反面、長らく英領インドの首都であったことがあるゆえに、植民地期に建設されたインフラがあまりに偉大で、今の時代にまで残された街区、建築物等はことさら時代がかって見える。まさに「古色蒼然」という言葉がぴったりだ。 

そんな環境のためか、世界有数の高い人口密度を有する大都会でありながらも、意外に顧みられることなく放置されている空きスペースが都心にけっこうあったりする。有効活用すれば高い需要と相当な収入を見込めるロケーションであっても。もちろん地権その他の問題等あってのことに違いないだろうが。 

先日コールカーターの「魯迅路」と「中山路」1で取り上げてみた中華朝市が開かれるところのすぐ東には、コールカーターの伝説的な中華レストラン、1924年創業のNanking Restaurantの建物が、同店閉業後も40年ほど放置されていた。元々は駐車場であったと思われる敷地を含めて、ゴミ捨て場兼廃品回収分別場並びに不法占拠者たちの住居といった具合になっていた。それも最近になってようやく取り壊されて、今は新しい建物が出来ている。そんな具合なので、今でもひょっとすると「羊の群れと羊飼いたち」が都心で生き延びる余地はあるのかもしれない。 

近年はずいぶんクルマも増えたし、運転する人たちもせっかちになった。羊たちも彼らを追う羊飼いの男たちも、どうか事故に遭ったりすることなく日々過ごしてもらいたい。 

もちろんこれほど沢山のヤギたちを飼育する目的は食肉(および皮革?)としての用途であるはずなのだが、こんな大都会の真ん中で飼育することでコストは見合うか?という疑問が頭の中をよぎる。だが、これが生業として成り立っている以上、我々のものとは尺度の違う経済学が背景にあるのだろう。まことに懐の深い街・・・と私は思う。

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