マジューリー島3

本日は、朝早い時間帯から自転車を借りて島内を走る。起伏が少なく、クルマも少ないので快適に走行することができる。かなり霧が濃く、時間が進むと次第に晴れてくる。ときおり乗合のスモウやトラックなどが通りかかるが、それ以外はバイクか自転車だ。

前にも書いたが、世界最大級の中洲であるマジューリー島。それがゆえに当然傾斜のないフラットな大地が続いているわけだが、外から運ばれてきた建築等の資材を除いて「石」というものが存在せず、どこもかしこもきめの細かいパウダー状の土壌である。地味は豊かで工作に適しているそうだが、河の水面からあまり高低差がないため、雨季の洪水と闘わなければならないという宿命がある。

道路は高く盛土した上を走っている。インドでもバングラデシュでもよくある光景だが建設にかかる手間ヒマや費用は大変だろう。道路の脇には大木が並び、日陰を作ってくれているのが普通だが、ここではびっくりするほど背の高い竹が緑のトンネルを形づくっている。

島にはクルマが少ないので快適に走ることができる。ときどき乗合のスモウやトラックなどが走っているが、それ以外はバイクか自転車だ。霧の中、まあ道路走るのに支障があるほどの霧ではないのだが、地平線まで見渡すことはできない程度に霞んでいる。そう、地平線が見えるほど島なのである、ここは。

インドの朝の風景はすがすがしい。畑や池で作業している人たちの姿がある。豚が草を食んでいたり、歩き回っていたりする。民家を眺めていると、高床式家屋の床下部分で家畜を飼っているケースが少なくないようだ。ブタについては、アッサムではけっこう食用にしているようで、ブタの解体作業をしばしば目にする。

最初に足を向けた先はサムガリー・サトラーである。この島にはサトラーと呼ばれる静謐な僧院が多く、その数22か所と言われる。それぞれ独自のカラーがあるようで、ここは仮面作りで知られている。サトラーで奉納する踊りに仕様するものであるが、ここの主は2003年に政府から表彰を受けており、室内には賞の授与式の際にデリーで当時の大統領のアブドゥル・カラム氏と一緒の写真が飾られている。

マジューリー島では米が三期作できるのだそうだ。農家の人の話だと、時期によって栽培する種類を変えているのだそうだが、同じ水田で異なる品種の稲を栽培して、交雑してしまったりすることはないのだろうか?インドの米は品種が異なると、形もサイズも炊き上がりも違うので、いろんな種類の米を味わえるのはいい。

島の村々では、昨夜私が宿泊したようなタイプの建物に人々が暮らしている。この時期は寒くてやりきれないことだろう。建物が外にいるのと同じような室温のはずだし、保温性の良い服や寝具があるとは思えない。極めて暑季に特化した造りである。この時期は農閑期のためか、溜池で水草取りをしている人たちは胸まで水に浸って作業している。そのかたわらで竹を編んだ道具で魚も捕まえているようだ。これまた寒くて大変そうだ。

島の中心地であるカマルバリやウッタル・カマルバリのあたりには、ちょっといい感じの家はあるが、それでもやはり総体的にずいぶん貧しい島である。人々は穏やかで感じのいい人たちが多いのだが。

ウッタル・カマラバリー・サトラーで、サトラー自体は閉まっていたが、隣の広場で奉納の踊りの練習中であったので見学する。若い男性や男の子たちが楽器を鳴らし、若い女性たちが踊っている。指導者がしじゅうストップかけて指導しており、これがなかなか手厳しい。

途中、指導者が女性たちの幾人かを指名して、踊りの歌をマイク持って歌わせると、態度は堂々としていてプロ並みに上手いので驚く。もちろん、中には指名されてもはにかんで断る女性もいる。

サトラーの多くは簡素で、あまりきれいとは言えない環境にあるものが多いようであったが、オーニアティ・サトラーは他のサトラーとはかなり違う感じであった。見るからに財政的な余裕があるようで、とても清潔に整えてあり規模も最大らしい。出家生活を送る人たちが起居する建物の造りも立派なものであった。ここでは一切の世俗の事柄を放棄して隠遁生活をするのだそうだ。

サトラーにはふたつのタイプがあり、ひとつはこういうタイプだが、もうひとつは妻帯して家族を持つことが許されているサトラーである。最初に訪れた仮面を作っているサムガリー・サトラーが後者のカテゴリーにあたる。

〈続く〉

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください