ダーまで来ると、海抜はかなり下がるためか、少々暑苦しく感じる。それでも優に標高3,000mはあるはずなので、高地であることは間違いないのだが。
さて、今晩はどこに滞在しようかと思い、アーリア人の村、ダーも魅力的なのだが、ここに来る途中で眺めの美しさに心打たれたスクルブチャンに向かうことにした。村では夕方遅くなってからも収穫作業中で、人々は忙しく働いていた。ゲストハウスの類はないので、どこかホームステイできるところはないかと尋ねまわってみたが、受け入れているところは見つからず、そのままラマユルに向かうことにする。
カルツェ方面にしばらく走り、インダス川の対岸に渡り、カールギル方面への道を進む。ラダックはどこもそうだが、水があり、人々が耕作している地域以外は乾燥しきった大地が続き、木々の姿もない山肌が続いている。
地面がむき出しであるがゆえに、地層の激しい褶曲を目の当たりにすることができるため、太古の時代には海の底であった現在のヒマラヤ地域は、インド亜大陸とユーラシア大陸が衝突して持ち上がった結果、形成させてきたものであることがよくわかるとともに、現在もさらに成長しているということも納得できるのである。同時に、山肌や大地の色合いからして、場所により地質が大きく異なることも観察できるようになっている。
おそらくラダックだけではなく、インドのヒマラヤ地域全域に共通することなのだろうが、他の地域では豊かな緑に覆われているため、そうとは気付かないものだ。
ラマユルに到着すると、すっかり陽は暮れていた。ここはメジャーな観光地なので、ラマユル・ゴンパの周辺にはいくつもの宿が軒を連ねている。
宿泊したところの中庭には、バイクでツーリングしているグループが食事をしていた。デリーからヒマーチャル・プラデーシュのマナーリーを経てラダックまで走行してきたメンバーはスペイン人とフランス人で、そのリーダーはツアーの主催者であるスペイン人のパブロさん。恰幅の良い中年男性だ。
彼は、90年代にはデリーでラージャスターンの建築史を学ぶ学生であったという。その後、スペインで仕事に就いていたが、2年前から再びデリーにやってきて、旅行代理店を経営しているそうだ。彼の店はバイクによるツーリング専門で、お客がスペイン人、フランス人の場合は自分がツアーを率いて、それ以外の場合は雇っているインド人スタッフに任せていると言う。
10月にはブータン行きのツアーを予定しているそうだ。そのツアーは12日間で、デリーからバグドグラに飛び、そこからスタートしてジャイガオンからブータン入りするものだという。1日あたり2,500ドルもするそうだ。宿泊代は込みというがやはり飛び抜けて高い。かなり富裕な層の人たちが参加するのだろう。
自室に戻ってから、しばらく日記を書いていようかと思ったが、10時15分くらいで電気が消えてしまう。その後点灯することなく11時を回った。ノートPCのバーテリー駆動で日記を書いていたが、真っ暗な中ではとても目が疲れるのでやめて寝ることにした。
〈続く〉