インドなマンダレー3

 

ごく当たり前の両替所だが、数年前までのミャンマーでは見かけない風景だった。

ヒンドゥー寺院からの帰りに80thストリートの交差点でスィク教徒男性が路上で電話屋開いている。そのすぐ背後には政府公認の両替所がオープンしていた。少し前までは、この国での両替というば、非正規の「闇両替」ばかりであったが、最近ではこうしたちゃんとした両替商がいくつも出現している。

グルドワラー

ふとその並びに目をやると、そこにはグルドワラーがあった。敷地内奥の事務所にいる老人、P氏は寺院の事務マネージャー。1936年生まれの77歳とは信じられないキビキビとした動きの男性である。ターバンは被らず、ヒゲも剃り落しているが、彼もまたスィク教徒である。

グルドワラーの事務マネージャーP氏

グルドワラーの設立は1905年とのこと。だが日本軍占領下で破壊されてしまい、再建したのは1950年代に入ってからとのこと。「基礎部分しかなくなってしまってね。土地だけ残った。」というから、ひどい状態であったらしい。「この礎石は最初に建てたときのものだよ。」

戦時中に破壊された建物の礎石が今の寺院にも使われている。

「悪いが、日本人というといいイメージはまったくないね。もちろんあんたが生まれるずっと前の話だから気にせんでくれ。ウチはイギリス側の人間だったから、占領時代にはそりゃあ大変だったんだ。」

パンジャーブのアムリトサル近郊の村からこの人の祖父が英軍兵士として来緬し、父親は警察官であったという。その後の印・緬分離、そして日本軍の占領、ビルマの独立、インド系コミュニティに対する1962年の軍事クーデター以降、社会主義化と国粋主義化を推進した政府による外国系市民に対する冷淡な扱い等々、激動の時代を生きてきたわけである。

そうした背景に、この人の人生や家族史を書き連ねると、壮大な歴史ドラマになることだろう。ちょうどアミターブ・ゴーシュの作品、グラスパレスのように。

「またあのような戦争がないことを願っています。」と言うと、「いやいや。男子たるもの、そういう時が来たらまた戦わなくてはならない。今度は誰が敵になるのか知らんけどね。」と豪快に笑い飛ばすP氏。高齢とはいえやはり尚武の民スィク男子の心意気といったところだろうか。

市内を行き来する乗合トラック

<完>

 

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