ワドナガル駅 モーディー首相少年時代の原風景

グジャラート州のパータンからワドナガルへと向かう。直行のバスは少ないため、途中ウィスナガルで乗り換えだ。州内のバススタンドは各地で一気呵成で改装したのだろうか。多くは共通したデザインで造りも似たきれいな建物になっている。

スマホの利用が普及してからというもの、乗り物で移動中に自分が今どのあたりを通過しているのかよくわかるのがありがたい。それ以前は、ようやく目的地に入ってくると店などの番地表示にその市の名前が入ることから「どうやら着いたらしい」ことはわかるものの、それまではまったくわからないし、人に聞いてもかなり適当な返事が返ってくることが少なくなかった。また、自分の目的地と「まさに今通過している場所」がどういう位置関係にあるのかよくわからなかったため、何度か来たことがある場所でもない限り、とりあえずはその街のバススタンドまで行くことが多かった。結果としてずいぶん遠回りになったり、バスで通ってきたルートを戻って目的地まで行くということもよくあったように思う。

スマホに表示されたGoogle Mapでは、ワドナガルのバススタンドから鉄道駅までは少し距離があるように見えたが、実際にはほぼ斜向かいであった。小さなローカル駅を想像していたが、案外大きなホームを持ち、建物も立派になっている。聞くところによると、ごく近年になってから大改修がなされたとのこと。小さなローカル駅だし、幹線ではなく支線の駅がなぜこんなに大きいのかと不思議に感じるが、ナレーンドラ・モーディー首相に由緒ある駅だからなのかもしれない。

ワドナガルへの私の訪問の目的地は、まさにこのワドナガル駅なのだ。かつてこの駅でモーディー首相の父親がチャーイ屋を開いており、少年時代のモーディー首相は、よくその手伝いをしていたという。父親が淹れたチャーイをお客に手渡したり、代金の受け渡しなどをしていたのだ。テーリー(油絞り)カーストであることからOBCs(Other Backward Classes)のカテゴリーの出自、貧しい生い立ちのモーディー首相は、世襲の政治エリートではない庶民の出自であったことも、高い人気の背景のひとつである。

駅のプラットフォームには、モーディー首相が子供時代に父親の手伝いでチャーイを売っていた「T13」という店番号が付された小さなティーストールが残っている。「T/13」という店番号が付いている同じ形状のレプリカも建っているが、一段低いところに残されているものがオリジナルだ。駅改築の際にホームの高さが上がったため、掘り抜いたところにあるように見える。ここで「ナレーンドラ少年」は、父親やお客たちからときにどやされながら忙しく駆け回っていたのだろう。

こちらはレプリカ
こちらがオリジナル
店番号「T/13」

ついでにモーディーの生家も訪れてみたいものだが、すでに地所は売り払われており、建物も残っていないのは少々残念。

駅を出てしばらく歩いたところには、ハトケーシュワル(シヴァの別名のひとつ)寺院があり、そのすぐ近くには大きな門がある。かつてはここも城壁に囲まれた町であった名残である。古くて趣のある家並みを眺めながら進んでいくと、シャルミスタ・タラーブという池に出るが、そこからさらに進むと「キルティ・トラン」が見えてくる。これは大きな寺院の門であったと考えられているが、その寺院自体が発掘されていないため、実際のところはよくわかっていないようだ。

ハトケーシュワル寺院

ゲート
落ち着いた家並み
キールティ・トラン

小さな田舎町ながらも見どころはいくつかあり、地域内各地からのアクセスもまずまず。グジャラート州のパータン周辺には見どころが多いが、とりわけモーディー首相の生い立ちに興味のある方であれば、ここも訪問先のひとつに加えてみると良いかもしれない。

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