ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り⑥

本日午前中に向かうのはカランティーという村で、クムハール(陶工)のプラジャーパティと呼ばれる人たちが暮らしている。村によってずいぶん柄が異なるのは大変興味深い。そのいっぽうで前日のドウジーナガルのようなやたらと背が低い家が特徴のところもあるが、建物自体の様式については村や民族が違っても、見た目は変わらないようだ。華やかな絵のすぐそばに洗濯物や農具がたくさんあったりするが、これが正しいありかたなのだ。生活空間なのであるのだから当然のことである。

カランティーの村

こういうのを目にすると、この地にはなかった観光業という新しい産業が出現した場合の村の未来が見えるような気がする。小さい中庭にイスがいくつかあって、旅行者たちが腰掛けておしゃべりしたり、日記を書いたり。お茶をお願いすると、おばちゃんが土のカマドで沸かして淹れてくれる。土造りの家屋の中で開業したゲストハウスや食堂の様子が。

生活の利便性は格段に上がるので村の人々がレンガやコンクリ造の家に住み替えるのは、自然な流れであるとしても。茶屋や宿屋として昔ながらの家屋を残すことが出来たらいいかもしれない。現金収入の手段として既存の家屋を使えるし、そこから上がる収入の何割かを保守に使えるだろう。宿泊客に食事を出せば、そこからもいくばくかの収入が上がるし、雇用機会も増えるだろう。おかげで村人たちの食生活も向上が期待できるし、子供たちの学費に回す余裕も出てくるとうれしい。

素敵な絵を描く女性たちの中に、普段はご主人とムンバイに住んでいるという人がいた。ディワーリーの前あたりからこちらに戻ってきて描いたのだそうだ。ムンバイで何しているかは不躾に聞けないが、彼女と交わした話の内容から察するにマズドゥーリー、つまり日雇い仕事を夫婦でやっているようだ。この家を宿にしたり、カフェにしたりして夫婦で切り盛り出来るようになれば、故郷から離れてそんなキツい仕事しなくていいし、安全に暮らせるようになる。そんな将来がすぐそこまで来ているといい、と私は思う。

言葉がわからなければ気がつかないこと思うが、村の人たちはヴィラーサト・トラストの夫妻には、お金のことでかなり生々しいことを言っている。ちょうど観光客ズレした地域で旅行者たちが言われるようなことと同じような内容である。そんなこんなで、けっこう心労も多いのではないかと思うが、ふたりともそういうあしらいには慣れているようで上手にやり過ごしている。このあたりはインドでどこに行っても同じようなものだ。ここが観光化されたら、なかなか手強い土地になるかもしれない。それでも村の人々の生活向上と民俗画の認知の向上に繋がるのであれば、大いに振興されると良いと私は思う。

だが、あくまでもこうしたアーディワースィー(先住民)の人々自身が主体である場合であって、外からやってきた商売人たちがお金で支配されて、本来主人公でるべき彼らがそれらの下働きをするようになるようでは本末転倒である。しかし資金やノウハウは先住民の人たちの手中にはないはずなので、なんとももどかしいところである。

そして次の村へ移動する。

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

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