駅前の宿に部屋を取って荷物を置き、すぐそばにあるバススタンドでプティアー行きのバスに乗る。バーングラーデーシュの人々は、とてもフレンドリーだ。
言葉は通じないとはいえ、ベンガル語とヒンディー語で共通する語彙、似通った語彙は少なくないためか、たとえこちらがベンガル語をまったく知らなくても、カタコト程度ならば意思疎通できる場合もあることがわかった。それにヒンディーをけっこう上手にしゃべる人もときどきいることも。
ラージシャーヒーの駅に着いたとき、ここを発つ際の列車の予約について窓口で問い合わせをしたとき、職員の男性はほとんど英語ができなかったが、ヒンディーはかなり流暢に話す人であった。なんでもインドで何年か生活していたことがあるとのこと。この国に滞在中、そういう人たちに幾人か出会った。
自分たちの母語と比較的近い関係の言葉であるという点以外にも、たとえそれが自国内で用いられるものではないとはいえ、これを外国語としておぼえてみようといった場合、なかなか良い環境にあることは間違いない。
それはインドと隣接しているという立地条件に加えて、隣国から来た人と話をする機会に恵まれなくても、ケーブルテレビに加入していればベンガル語の番組以外にもインドのさまざまなチャンネル、ドゥールダルシャンから数々の民間放送まで、ニュース番組にエンターテインメント、映画その他、日々いくらでもリアルタイムに触れることができるのだ。
そのためこの国では学校で学ぶことはなくとも、最も身近な『外国語』ということはできるかと思う。

40分少々でプティアーの町に着いた。そこからサイクルリクシャーで街道南側の小道を進むと、池を中心に四角く広がる古くて美しい町並みがある。かつてこの地域を治めていたヒンドゥー領主の豪壮な館やいくつもの大きな寺院があり、往時の繁栄をしのばせる。


しかしながら今では一部きれいに修復されている寺を除いてはかなり残念な状態にあるとはいえ、かなり凝った造りのものが多いのは、かつてのこの地域の文化程度の高さを示すのだろうか。

今でもこのあたりに住む人々の大半がヒンドゥーなのかといえば決してそんなことはないらしい。分離の際にヒンドゥーの富裕層やインテリたちが土地を離れてしまったことがこの地の衰退を招いたのだろうか。


分離は単に国が分かれただけではなく、多くの人々の移動を伴うものであったため、それにより社会の中でのコミュニティ間の力関係にも大きく作用するとともに、経済的にも文化的にも大きなインパクトがあったのではないかと想像できる。この土地について何かよく知っているわけではないので何とも言えないのだが、プティアーの成り立ちや変遷について調べてみると、単なる田舎町の民俗誌的なものよりもはるかにダイナミックでスケールの大きな物語が背景にありそうな気がする。
かなり有名な観光地でもあるため、ラージシャーヒーから遊びに来ている人たちの姿もあったが、ダッカから大きな自家用車で訪れている家族連れもいた。シヴァ寺院の扉を開けてもらい、巨大なシヴァリンガムを見物していたので私もそこに加わる。この家族はムスリムで、一家の主はザキール・フセインという、クラシック音楽の巨頭のような名前の人であった。
ラージシャーヒーの街に戻って夕食を済ませる。インドに比べてミドルクラスを構成する層が薄いことを反映してか、『ちょっと奮発して美味しいものを!』と思っても、こぎれいなレストランはなかなか見当たらず、結局簡素なダーバーで簡単に済ませることになるが、味は意外に悪くない。
そうした安食堂でもよくよく見ると、付近に住む家族連れらしき人々が多く食事をしているところがあり、そういう場所ではたいてい旨いものにありつくことができる。社会全体が次第に豊かになっていくにつれて、そうした食堂もまた格を上げて小洒落た店やちょっと高級な店へと成長していき、よりリッチな顧客層を獲得していくのかもしれない。
店を出ると、すぐ脇にラージシャーヒー・ミスティー・バーリーというベンガル菓子の専門店があった。市内各地に支店を持つ人気のチェーンらしい。店内に入っていくつか注文してみる。店内左側には席がしつらえてあり、そこでパクついていると同じように菓子を味わっている二組の若い夫婦連れが話しかけてきた。
『彼らは私の叔父夫婦です』というのだが、見た目はどちらの夫婦が若いのか判然としない。家族が多いと長兄の息子と末弟の年齢があまり変わらないというともよくあるし、場合によっては逆転することもしばしばあるのだろう。
インドもそうだが、ここもまたずいぶんおしゃべりでフレンドリーな人たちが多く、ベンガル語ができたらさぞ楽しかろうと思う。
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お隣の国へ 3
朝6時前に宿を出る。大きな街の中心部に宿はあるだけあり、昼間は5階の部屋にいても外の音がうるさいくらいなのに、この時間帯の路上は文字通りまったくの無人だ。ヒタヒタと自分の足音が大通りに響く感じ。強盗でも出そうな雰囲気・・・といっては大げさかもしれないが、あまりに静か過ぎて少々不安。
ちょうど一台のサイクルリクシャーが通りかかったのでつかまえてラージシャーヒー駅まで行く。駅舎は植民地時代に建てられたもの。現在のクルナーはこの国有数の都市であるとはいえ、分離前のインドでは今ほどの重要度もなかったため、こじんまりした駅である。機関車や客車はインド製ということもあるが、当然車内の雰囲気も同じだ。インドの片田舎のローカル線といった趣である。ただひとつ違うのは、窓に鉄格子がないことである。
現在のバーングラーデーシュ国鉄のネットワークを見てもわかるとおり、本来コールカーターを基点としていた広軌の路線がこの国の西部を走り、旧アッサム・ベンガル鉄道会社によるチッタゴンを終着駅とする狭軌がカバーする東部とに大別できる。
独立後に建設された路線も多少あるにせよ、根幹となる部分は分離前のインドにおいて、周辺地域から一地方の東ベンガルと伸びていたインドの広大な鉄道網の支線の一部にすぎない。直通旅客列車はコールカーターとダーカーを週2回結ぶマイトリー急行のみとはいえ、路線の構成からして今でも『インド国鉄の一部』であるかのようだ。
国内にゲージ幅の違う路線が混在する点については、インドではずいぶん前から大幅に解消されているが、この国ではまだまだ解決までは時間がかかるようだ。ただし広軌の部分においては、デュアル・ゲージと呼ばれるものが導入されている。つまり広軌幅のゲージの間にもう一本のレールが敷設してあり、狭軌の車両も走ることができるようになっているのだ。
インドでは狭軌が次第に姿を消し、広軌化されるようになってきているが、この国ではそれとは反対の形を目指しているのかもしれない。首都ダーカーに近年になってから広軌路線が乗り入れるようになったとはいえ、バーングラーデーシュ国鉄本社が置かれているのは狭軌ネットワークのターミナスであるチッタゴンであることがそれを象徴しているかのようだ。

すでに列車はホームに入っている。新聞売りはいたが、私の知らないベンガル語のものしかないので、まだ誰もいない車内で手持ち無沙汰である。窓の外の人々の行き来を眺めていると6時半になった。どこかで鐘が鳴っているのは出発の合図だろうか。汽笛が響き、列車はゆっくりと走り出す。一等車内ではベンガル語による車内放送がある。伝統的な音楽に乗せて録音されたアナウンスが流れてきた。

一等車はインドのそれと同じく個室になっている。向かいの席には新婚カップルが座っており、奥さんの実家に出かけるところなのだという。窓の外はどこまでも水田風景が続いている。刈り取りが終わった田んぼもあれば、苗代もところどころにあり、田植えの風景も目にすることができる。2m前後の高さに盛り土した上を走っている。水分の間のあぜ道もしばしば高くしてある。

どこまで行っても石を見かけない。石が取れるような岩山や岩場もない。丘もまだ見ていない。たぶんチッタゴンあたりまで行かないと見ることができないのではないだろうか。石といえば、この国の北部に唯一の石切り場があるのだとか。あとはインドから輸入しているのだろう。
列車は午後一時過ぎにラージシャーヒー駅に着いた。古ぼけた駅舎を想像していたのだが、大きく立派なモダンな造りの新築の駅舎。ここが終着となっているプラットフォームもあれば、まだ北へと続く路線のためのものもある。
お隣の国へ 2
朝一番にリクシャーで鉄道駅に向かい、明日のラージシャーヒー行き急行列車を予約する。ちゃんとコンピュータで発券されていた。

宿に戻ってみると、路地挟んで向かいにあるシヴァ寺院ではバジャンの音が聞こえてきており、まだインドにいるような気分である。宿泊先の界隈はヒンドゥーが多いようで、神具を売る店がいくつも並んでいるとともに、その他の商店もそれとわかる名前が付いているものが多く目に付く。

ループシャー・ガートへと向かい、河を越えた対岸にあるバススタンドからバーゲールハート行きのバスに乗る。15世紀にカーン・ジャハーンにより建設された壮麗な遺跡群があり、中でもシャイト・ゴンバド・マスジッドは世界遺産登録されており、この国最大の見どころのひとつに数えられる。

お隣の国へ 1
バーングラーデーシュに行ってみることにした。コールカーターの宿泊先のフリースクール・ストリートと交差するマルキス・ストリート沿いにいくつかの『国際バス』のオフィスがある。バスが出発するのもまさにそこであるので都合が良い。
前日にそうした事務所のいくつかを覗いてみて、出発時間を調べておいた。一部の例外を除いて朝方の便が多い。とりわけ日の出前の時間帯に集中しているようだ。始発のコールカーターからダッカまで12時間くらいかかるので、そのくらいに出ると都合が良いのだろう。
中にはチッタゴンやスィルヘートまで行くチケットを売っているところもあるようだが、おそらくダーカーで乗り換えることになるのだろう。決して広大ではないこの隣国を横断してトリプラー州のアガルタラーまで行くルートもあるようだ。
ちょっと疲れ気味で、朝あまり早く起きるのは辛かったので、楽な時間のものはないかと探すと、8時ごろ出るバスがあったのでそれを予約した。私の本日の目的地はバスの終着地の首都ダーカーではなくクルナーなので、国境で下車することになる。
利用するバス会社はシャーモーリー・パリバハン。事務所内に両替所もあり、レートはまずまずのようであったので、バーングラー・ターカーを入手。ちなみにターカーといえば、インドの西ベンガル州でも自国通貨のルピーのことを日常的に『ターカー』と呼ぶことは多いようだ。
インド出国後にわかったが、コールカーターのこのエリアでの隣国通貨ターカー購入の際のレートは、国境あるいはバーングラーデーシュ国内でのレート同様・・・というよりも、かえって若干有利なようである。
東の隣国からやってくる人が多いがゆえに、この界隈でバーングラー・ターカーの取引も行なわれているが、インド側の人々が通常必要とするような通貨ではないので、実勢よりも少々安く取引されていても不思議ではない。隣国ではインドと違い、私設両替商が少なく、銀行で両替するとかなり長いこと待たされるため、ここで必要と思われる金額をまとめて換えておくのがいいかと思う。
香港飯店
華人の影が非常に薄いインドにあって、その人口が集中しているのはご存知のとおりコールカーター。
その中でも彼らの姿が多く見られるエリアといえば、市の東部にある主に皮なめし産業と比較的規模の大きな中華料理店が多いことで知られるテーングラー地区、今はその名残をとどめるに過ぎないが往時はチャイナタウンとして栄えたラール・バーザール界隈、チッタランジャン・アヴェニューなどが挙げられるが、ニューマーケット界隈から消防署を経てパーク・ストリートへと走るフリー・スクール・ストリートもそうした華人たちがかなり多い場所のひとつである。
彼らが経営する男女入口が別々となっている理髪店兼美容室、堅牢そうな履物を多数そろえた靴屋の店先に中華系とおぼしき店主らしい人物の姿が見える。ここ数年来、私がコールカーターに来るたびによく通っている中華料理屋『香港飯店』もその界隈にある。英文では『Hong Kong Chinese Restaurant』と書かれたその店は、コールカーターで生まれ育った鐘さんという客家人兄弟が経営している。
地元ベンガル料理を含めて、インド各地のおいしい料理が味わえる、大都会コールカーターに来てまで中華料理?という気がしないでもないのだが、中華だってこの街の立派な名物料理のひとつといえる。豚肉がまず見当たらない、野菜をやたらと細く刻んである、やたらとグレービーであるなどといった具合に、インド化された部分はあるとはいえ、他の地域で食すインド中華に比べて格段に美味であることが多いと私は感じる。やはり餅屋は餅屋、中華料理は華人あってこそのご馳走だ。
立派な中華レストランが立ち並ぶテーングラーを含めて、市内各所で目に付いた華人経営らしきところで食事してみたが、鐘さんのこじんまりした食堂は高級店と比べても決して引けをとらない味をエコノミーな値段で実現している。特に魚料理がお勧めである。客席のすぐ脇の厨房から聞こえてくる調理の音も臨場感があっていい。
鐘さん兄弟の弟さんのほうとよく話をするだが、これまでこの方にはコールカーターの華人コミュニティや彼らゆかりの場所などについて、多くの貴重な情報や示唆をいただいていきた。
鐘さんの一日は、まず朝6時すぎにマーケットに行き、野菜・肉・魚等の食材を購入。8時すぎには店のドアが開き、フロアーを掃き清めている。同時に厨房では仕込みの作業等が始まっている。9時くらいになれば、もうほとんどスタンバイ状態だ。そして夜は10時すぎの閉店時間までずっと店を切り盛りしている。基本的に年中無休で、休みといえば旧暦の新年の際にほんの数日店を閉めるくらいだとか。
営業中、彼は出納台のところに詰めているとともに、込み合う時間帯や雇っている料理人が休みの日には自ら厨房にも立つ。『買い物、掃除、接客、調理、会計その他諸々、なんでもするよ』『10の仕事を10人で分け合うのが×××人だとすれば、私ら中国人はその全部を一人でこなすのさ。日本人と同じだろ?』という現在50歳の彼は、若い頃に親戚のツテで中国で学んだこともあるのだとか。
最近、コールカーターに投資や仕事関係で大陸からやってくる中国人もけっこうあるそうだ。そうした人たちがしばしば彼の食堂に立ち寄るとのことで、私もそうした人物の姿を見かけた。彼らとってインドで数少ない中国語が通じる店であることもさることながら、ここの料理の味自体もなかなか好評のようだ。
場所は、さきほどのフリー・スクール・ストリートをパークストリートとの交差点方面へと下り、消防署を左手に見て少し進んだところで道路右側にある。
バックパッカーたちをはじめとする各国からの旅行者たち向けの宿が集中するサダル・ストリートからすぐそばなので、このあたりに来ることがあれば、『おいしい中華料理』のために立ち寄ってみてはいかがだろう。