お隣の国へ 3

朝6時前に宿を出る。大きな街の中心部に宿はあるだけあり、昼間は5階の部屋にいても外の音がうるさいくらいなのに、この時間帯の路上は文字通りまったくの無人だ。ヒタヒタと自分の足音が大通りに響く感じ。強盗でも出そうな雰囲気・・・といっては大げさかもしれないが、あまりに静か過ぎて少々不安。
ちょうど一台のサイクルリクシャーが通りかかったのでつかまえてラージシャーヒー駅まで行く。駅舎は植民地時代に建てられたもの。現在のクルナーはこの国有数の都市であるとはいえ、分離前のインドでは今ほどの重要度もなかったため、こじんまりした駅である。機関車や客車はインド製ということもあるが、当然車内の雰囲気も同じだ。インドの片田舎のローカル線といった趣である。ただひとつ違うのは、窓に鉄格子がないことである。
現在のバーングラーデーシュ国鉄のネットワークを見てもわかるとおり、本来コールカーターを基点としていた広軌の路線がこの国の西部を走り、旧アッサム・ベンガル鉄道会社によるチッタゴンを終着駅とする狭軌がカバーする東部とに大別できる。
独立後に建設された路線も多少あるにせよ、根幹となる部分は分離前のインドにおいて、周辺地域から一地方の東ベンガルと伸びていたインドの広大な鉄道網の支線の一部にすぎない。直通旅客列車はコールカーターとダーカーを週2回結ぶマイトリー急行のみとはいえ、路線の構成からして今でも『インド国鉄の一部』であるかのようだ。
国内にゲージ幅の違う路線が混在する点については、インドではずいぶん前から大幅に解消されているが、この国ではまだまだ解決までは時間がかかるようだ。ただし広軌の部分においては、デュアル・ゲージと呼ばれるものが導入されている。つまり広軌幅のゲージの間にもう一本のレールが敷設してあり、狭軌の車両も走ることができるようになっているのだ。
インドでは狭軌が次第に姿を消し、広軌化されるようになってきているが、この国ではそれとは反対の形を目指しているのかもしれない。首都ダーカーに近年になってから広軌路線が乗り入れるようになったとはいえ、バーングラーデーシュ国鉄本社が置かれているのは狭軌ネットワークのターミナスであるチッタゴンであることがそれを象徴しているかのようだ。
デュアルゲージ 広軌・狭軌どちらもこのレールの上を走行可能
すでに列車はホームに入っている。新聞売りはいたが、私の知らないベンガル語のものしかないので、まだ誰もいない車内で手持ち無沙汰である。窓の外の人々の行き来を眺めていると6時半になった。どこかで鐘が鳴っているのは出発の合図だろうか。汽笛が響き、列車はゆっくりと走り出す。一等車内ではベンガル語による車内放送がある。伝統的な音楽に乗せて録音されたアナウンスが流れてきた。
一等車内
一等車はインドのそれと同じく個室になっている。向かいの席には新婚カップルが座っており、奥さんの実家に出かけるところなのだという。窓の外はどこまでも水田風景が続いている。刈り取りが終わった田んぼもあれば、苗代もところどころにあり、田植えの風景も目にすることができる。2m前後の高さに盛り土した上を走っている。水分の間のあぜ道もしばしば高くしてある。
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どこまで行っても石を見かけない。石が取れるような岩山や岩場もない。丘もまだ見ていない。たぶんチッタゴンあたりまで行かないと見ることができないのではないだろうか。石といえば、この国の北部に唯一の石切り場があるのだとか。あとはインドから輸入しているのだろう。
列車は午後一時過ぎにラージシャーヒー駅に着いた。古ぼけた駅舎を想像していたのだが、大きく立派なモダンな造りの新築の駅舎。ここが終着となっているプラットフォームもあれば、まだ北へと続く路線のためのものもある。

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