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カテゴリー: travel

  • 聖地に集合!

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     やはりインドという国はひと味もふた味も違う。シカゴを拠点とするNRI資本により、「ディズニーランドみたいな」テーマパークが建設されるそうだが、花形マスコットはミッキーマウスではなく、ハヌマーン神だったりするのだそうだ。
     このテーマパーク「ガンガー・ダーム」は、ガンジス河岸の聖地ハリドワールで、25エーカーもの広大な土地に650万ドルの資金を投入して建設されるという。
     予定されている入場料は35ルピーと手ごろだが、ヒンドゥーの神々のアニメーション博物館、フードコート、サウンド&ライトショー等々さまざまなアトラクションが用意されるのだという。
     ハリドワールで2010年にクンブメーラーが開催されるころには、このガンガー・ダームも全面開業しているとのことだ。

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  • 外国へ行こう、安く!!

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     大衆化が進むインドの空の旅(本当の庶民が飛行機に乗るようになったわけではないが)だが、この流れはついに国際線にも及んできている。
     かたや「自由化」の波、かたや日増しに拡大する需要にこたえるため、政府系企業であるエア・インディアとインディアン・エアラインス両社による独占体制はいよいよ終わりだ。
     4月29日、新会社「エア・インディア・エクスプレス」によるガルフ方面へのフライトが就航予定。インドからの航空路は東方向よりも西方面、とくに湾岸諸国との間のネットワークがより緊密で、中東産油国との関係の深い縁を感じさせてくれる。近いうちに東南アジア方面へのサービスも始める予定だという。運賃は既存の便より3割ほど安いのだとか。
     エア・インディア・エクスプレスは、その名の示すとおりエア・インディアの子会社だが、今後ガルフや東南アジアといった近隣国への路線には、ジェットエアウェイズやエア・サハラといった90年代に発足した民間の航空会社も参入していく方向だ。前者については欧州やアメリカ路線への進出を控えており、インド発の国際線も今後は自国キャリア同士での大競争時代を迎えることになるのだろうか。
     チェンナイからカリカットへ行きのインディアン・エアラインスのフライトを利用したが、空港では国際線ターミナルから出発だと告げられた。この飛行機の最終目的地はオマーンの首都マスカットなのである。他の多くの国内線と同様、エアバスA320の小さな機体。中央の廊下をはさんで左右に三座ずつならんでいるものである。同社の国際線はあまり利用したことがないのだが、タイムテーブルを見てわかるとおり、現在までは湾岸諸国行きのフライトを含めた国際線の多くはこのエアバスA320が使われている。
     空の旅の大衆化により需要が大幅に拡大している昨今、これからは使用される機材の大型化も進んでいくのではないだろうか。インド各地で既存の空港の拡張が行われ、新たに国際空港化されるところもいくつか出てきているし、すでに空港のキャパシティが限界にきているバンガロールのように、新空港建設が急務とされているところもある。
     インド空の旅事情は、今後数年間で大きく様変わりすることだろう。
    Air-India Express to expand network in India, abroad

  • ヘリテージなホテル 2 スリランカのコロニアルホテル

    NEW ORIENTAL HOTEL
     インドの宮殿ホテルとくれば、隣国スリランカではコロニアルホテルが特徴的だと私は勝手に信じている。
     もちろんインドにもコロニアルホテルは多いのだが、有名どころとなるとタージグループのような大資本の傘下になっているものが多いようだ。そのため新たに手が入りすぎたがゆえに本来「味」が失われていたり、運営やサービスが標準化されていて魅力に欠けていたりする・・・と書きたいところだが、実は高くてあまり利用したことがないので大きなことは言えない。
     スリランカのコロニアルホテルの代表格として、ゴール( Galle ) のかつてオランダによって築かれた要塞の中を走るチャーチストリートにそびえる、約三百年前のオランダ時代に建てられたニューオリエンタルホテルを挙げたい。現存する同国最古ホテルということもあり、その歴史的価値は大きく、レトロぶりも他を圧倒している。
     いかにも植民地建築らしく、天井が非常に高く、開け放たれた窓からは同じくコロニアルな建物が立ち並ぶ眺めも素晴らしかった。 室内の様子が往時とあまり変わらない(?)と思われるのもまた魅力のひとつ。使い込まれた板張りの床、長く大きな蚊帳を吊るフレーム付きで脚が非常に長いベッド、調度品もずいぶん年代モノのようであった。ひょっとするとベッドシーツやマットレスも・・・(?)
     まるで時間が止まったようなたたずまいと合わせて、古い絵や写真でしか見ることのできない昔の「セイロン」を眺めているような気がした。
     グラウンドフロアーのカフェテリアで昼食を取った。室内のありさま、裸足のウェイターとそのユニフォーム、スープ、ソーセージにパンの味といい長い伝統(あるいは世紀を越えた旧態依然)を感じさせ、目に映るものすべてが次第にセピア色に染まっていくような思いがした。
     惜しむらくは、建物がかなり老朽化していることと、メンテナンスが足りないことであった。実を言うと、私は宿泊費が高くて敬遠したのではなく、もっと快適なところに泊まりたかっただけである。遠目には風格に満ちているが内部は野戦病院のようで、本来大きな潜在力を秘めたホテルであるはずだけに、「伝統ある安宿」化していたのはとても残念であった。
     だが知名度が高く立地条件も素晴らしい超優良物件が長いこと放置されているはずはなかった。 実は昨年12月15日には、大幅な改修工事を終えてピカピカになったニューオリエンタルホテルが、西洋人女性のマネジメントのもとで再オープンしているのだ。しかしわずか11日後、12月26日に発生した津波の大きな被害を受けたゴールの町、このホテルは高台にあるため難を逃れたもの、しばらくの間は被災者たちの収容施設となっていたそうだ。出足はつまずいたが、今後人気沸騰することは想像に難くない。

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  • ヘリテージなホテル 1 インドの宮殿ホテル

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     お金がたっぷりあれば泊まってみたいホテルをあれこれ思い浮かべてみた。世界に冠たるムンバイのタージマハルホテルの客室はどんな具合か興味はあるが、よく考えてみるとゴチャゴチャした市街地と隣り合わせの都市型ホテルよりも地方にある宮殿ホテルのようにゴージャスで伝統的なムード満点の宿泊施設のほうが、周囲の風景も含めてより大きな魅力を感じる。
     ウダイプルのレイクパレスホテルやジャイプルのラームバグパレスホテルをその代表格とするこのタイプの宿泊施設は、特にラージャスターンやマディヤ・プラデーシュなどの州に多い。
     インドの世界的に有名な宮殿ホテルをいくつか思い浮かべてみると、その多くが現在11か国にホテル事業を展開しているタージグループのものであることにふと気がついた。
     もちろんインド資本なのだが、外国では「欧米資本」と思い込んでいる人も少なくない。これはオベロイグループも同様である。こう言ってはとても失礼だが、規模といい行き届いたサービスといい、インドらしからぬものを感じさせるからだろうか。
     こういった高級ホテルチェーンによるものはさておき、ふつう宮殿ホテルといっても規模や造りは違うし、オーナーの力の入れ具合(フトコロ具合?)も様々なので、サービス、グレード、施設のコンディションには大きな差が出てくる。高級ホテルからほとんど安宿までとピンキリなので、利用者は各々の予算に見合ったホテルを選ぶことができる。
     これまで荒れるに任せていたような古い建物を改装してホテルをオープンすることもあれば、不便な場所から交通の便の比較的良いところへの移築といった大掛かりな工事が行われることもままある。
     またラージャスターン州シェカワティ地方のジュンジュヌにあるループニワースパレスのように、正確には土豪の館なのに、「宮殿」を名乗っているところもある。広い敷地をクジャクたちがまるでカラスのように飛び回る風情のあるロケーションだ。室料によっては領主一族が使用していたと思われる立派な部屋から、どう見ても使用人部屋にしか見えないものまで色々あって面白い。
     こうしたホテルはもともと宿泊施設ではないので大幅に改修されていることが多く、おそらくオリジナルな状態と相当違っていることも多々あるようだ。
     マディヤ・プラデーシュ州のマーンドゥの遺跡の中にあるタヴェリ・マハルには現在インド考古学局の事務所と博物館が入っているが、かつてここは同局のゲストハウスだった。主に学術関係者や局の職員たちの宿泊に使われていたようだが、部屋が空いていれば外国人旅行者でも泊めてくれたのだ。
     宮殿とはいえ、遺跡にそのままスチール枠のベッドを放り込み、電気と水道を付けただけのものだった。送電があてにならなかったので、夜はもっぱらロウソクが使われており、 昔々の宮殿の主にとっても、夜はこんなに夜は暗かったのだろうな、などと思ったりもした。 
     正確にはこの分野に含めてよいかどうかはさておき、近年は宮殿風を装った新築ホテルも一部出てきており、なかなか面白いことになってきた。
     宿なんて「どうせ夜寝るだけ」という考え方もあるが、こうしたホテルの存在自体はインドならでは味わいでもあるので、たまには利用してみたいものだ。
     こうしたホテルを一覧できるようなサイトはないものかと思って検索してみると、すぐに見つかった。India heritage hotels reservation.com という総合予約サイトである。
     よく見てみると、ちょっとした旧家を改造したゴアのパンジムインのように「宮殿」はおろか「ヘリテージ」と呼ぶことに首をかしげたくなるようなものも含まれるが、ここは実際に宿泊してみて居心地良かったのでOKとしておこう。
     ここには登録されていないが、ケララ州のカリカットの海岸に面したところにあるビーチホテルは、かつての欧州人用クラブを改造したものである。玄関口にはクラブの創設者(?)の古い肖像画が掲げられており、中庭や食堂には往時を偲ばせる雰囲気が残っており、在住していた白人たちの暮らしの一部を垣間見ることができるようで興味深い。
     ともあれ、こうした年代物の建物に泊まると、歴史の舞台に身を置く喜びを感じる。いい夢を見ることができそうだ。

  • 英領インドに旅する 4 観る・遊ぶ

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     各地の遺跡や寺院等の紹介については、今のものとそう大きく違うわけではないのであえて言及するまでもないが、やはりイギリス人ならではの視点が感じられる部分も多い。「タンジャーウルのBRAHADESHWARA寺院には、英国人かオランダ人のどちらかと思われる像が彫られている」と書かれている部分がある。また在地勢力やフランス勢との抗争にかかわる戦跡をめぐる記述が多いことは特徴的である。
     クーラーのない時代、夏の暑さは耐えがたかったのだろう。各地のヒルステーションは彼らの大のお気に入りであったようだ。なんでもコダイカナルは「世界の気候三選」に入る(?)とまで絶賛されている。
     マドラス(現チェンナイ)のマウントロード(現在のアンナー・サライ)にあった「マドラスクラブ」は、インドで最も格式の高いクラブのひとつ。だが「街」としてはそれと比較にならない避暑地ウータカマンドの「ウータカマンドクラブ」はそれに次ぐほどの格式の高さを誇ったという。ニールギリーは英国人お気に入りの避暑地だったらしく、高級ホテルや高級なクラブがいくつもあり、テニス場やゴルフ場などの設備も備えた豪華なものも少なくなかったようだ。
     質実剛健で鳴らす英国紳士たるもの、故郷をはるか遠く離れても身体を動かすことを忘れるわけにはいかないのだろう。各地の紹介記事末尾には「Sport」という項があり、いきなりトラ、鹿、ヒョウ・・・などと動物の名前だけが羅列してあったりするのにはビックリだ。
     助太刀してくれる勢子や地元猟師、装備や獲物を運搬する苦力を現地で調達できるかどうかについても紙面が割かれている。現在ならば密猟は犯罪になってしまうし、動物愛護の観念が浸透している現在、狩猟を娯楽として楽しみたいという人はそう多くないと思うが、当時の身分ある男性としてはごく当然のたしなみであったのだろう。
     ちなみにこの頃、トラはまだ各地に沢山生息していたようである。また湿地帯での「クロコダイル・ハンティング」なんていう言葉を目にして心ときめかせた英国紳士たちは少なくなかったのではないだろうか。
     もちろんイギリス人といっても、とりわけインド貿易が東インド会社による独占状態から自由化された1830年代以降、相当数の商売人やその取り巻きたちが海を渡ってやってきたわけだし、在印のイギリス人自体が上から下までいろいろいたわけで、必ずしも支配者側の立場にあったとも限らない。また彼らとて外地にあれど「一枚岩」であったわけでもない。
     ボンベイ生まれのイギリス人小説家キプリングの小説「少年キム」の主人公のような浮浪する英国人孤児のような存在(この小説自体は決して悲惨なものではなく、冒険と機知に富む少年の活躍を描いたものだが)も実際にあったのではないかと思うのだが、これはまた別の機会に触れてみたい。
     1926年という、まだ「観光旅行」が一般的ではなかった時代に、植民地という今とはまったく違う体制にあった南インドの旅行事情を概説したガイドブックの復刻版のおかげで、支配層から見た植民地時代の世相も想像しながら時遡る旅することができる。現地を訪れる前に、予備知識としてぜひ一読されることをお勧めしたい。
    書名:Illustrated Guide to the South Indian Railway
    ISBN:8120618890
    出版:ASIAN EDUCATIONAL SERVICES
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  • 英領インドに旅する 3 移動する

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     鉄道駅では三等車乗客に対するアメニティは何もなかったが、一等、二等には待合室その他の施設があった。有料で新聞を読むことのできるREADING ROOMを設置している駅もあった。これは今のネットカフェに相当することになるだろうか。
     鉄道利用者数全体から見れば圧倒的に少ない白人乗客に対して手厚いサービスがなされており、インド人乗客のものとは別に専用のリフレッシュメントルーム(カンティーン)やリタイヤリングルームがあった。善し悪しはともかく、外国勢力による植民地支配とはこういうものなのだろう。
     食堂車やリフレッシュメントルームのケータリングサービスは、在印イギリス資本のスペンサー商会(Spencer & Co., Ltd.)による請負業務であった。
     この会社は創業者のジョン・ウィリアム・スペンサーにより1863年にマドラスで主にイギリスからの輸入雑貨を扱う商店を開いたのがはじまりだ。ごく短期間に急成長した同社は大規模な買収合併を繰り返して、欧州とアメリカ以外にある小売業者としては最大とまで言われるようになり、まさに当時のインドを代表する有力企業となっていた。デパートや商店などといった販売業に加えて、前述のケータリング、葉巻製造、ホテルやレストランの運営等にも手を伸ばすなど、非常に多角的な経営でも知られていた。 スペンサー商会にゆかりのあるホテルとしてはコネマラホテルが有名である。
     インド独立とともに経営陣の現地化が図られ、もちろん今でも存続している。周囲の地元資本の成長もあり、同社の影響力は相対的に低下して今ではかつてのような影響力はなくなってしまっているのだが。スペンサー商会発祥以来のゆかりの地であるマドラスのマウント・ロード、つまり現在のチェンナイのアンナー・サライにある大きなショッピング・コンプレックスのスペンサー・プラザは同社による経営である。
     このスペンサー商会についてまた別の機会に取り上げてみたい。
     メーターゲージの区間にはそれなりの料金を払えば専用のツーリスト・サルーンを連結させることも可能で、お金持ちがこれを利用して大名旅行をすることもあったのだろうか。
    ちなみにロンドンに本社を置く南インド鉄道会社の現地本部があったティルチラッパリは、世界最大級のルビー市場でもあったそうだ。
     英領から仏領への「国際列車」についての記述もあり、旅行者が越境するにあたって必要な税関等の手続きについても触れられているのは面白い。
     南インド域内には、COCHIN STATE RAILWAYのように別会社となっている路線もいくつかあるなど、今の国鉄のように経営が統合されているものではなかったようだ。

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  • 英領インドに旅する 2 泊まる・食べる

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     宿泊について、マドラスにはイギリス人を中心にしたヨーロッパ人経営のホテルが相当数あったらしい。19世紀半ばまで、欧州勢がインドで築いた街の中で最大規模を誇ったと記されているポンディチェリーに、GRAND HOTEL DE L’EUROPEと HOTEL DE PARISといった高級ホテルがあったそうだが、これらは今どうなっているのだろうか?
     当時各地自治体や藩王国などが運営していた宿泊施設「トラベラーズ・バンガロー」についての記述がよく出てくる。旅行そのものが盛んではなかった時代、キャパシティは数名程度とごくわずかだ。
     現在の各地の州政府の観光公社によるホテルの多くに、昔は「ツーリスト・バンガロー」というよく似た名前がつけられていることが多かったが、この古くからのシステムの系譜を引き継いだものなのだろうか。いつか調べてみたい。
     だがどうも解せないことがある。場所にもよるが「3日まで宿泊無料、それ以降は所定の料金がかかる」と記されていることが多いのだ。つまり3泊以内でどんどん移動していけば宿代はまったくかからないことになる。営利を目的としたものではなかったのかもしれないが、実際のところどうなっていたのだろうか?
     仏領のカライカルには欧州人旅行者用宿泊施設はなく、唯一のトラベラーズ・バンガローはフランス人役人の出張者専用であったというから、当時から各地にあった公務で訪れる人たちのためのP.W.Dレストハウス、ダーク・バンガローのような性格を持つところもあったのだろう。

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  • 英領インドに旅する 1 案内書を手にして

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     旅行ガイドブックも時代を経るとそれなりに歴史的価値が出てくる。1979年に起きたイスラム革命前のイランについた書かれたもののページをめくってみると、「物価の高いイラン」節約旅行するためのアイデアあり、「高給のイランで仕事にありつく」ためのヒントあり。遺跡や歴史的名所などの見どころは今も同じでも、時代が移れば旅行事情はずいぶん変わるものだ。
     さて、時代はるか遡った1920年代の南インド鉄道旅行ガイドブックである。当時2ルピー8アンナの「Illustrated Guide to the South Indian Railway」というタイトルのこの本は、南インド鉄道会社の沿線ガイドということになっているが、今でいうロンリープラネット社の「SOUTH INDIA」に相当する包括的な地域ガイドとみなしてよいだろう。
     なにしろ民間航空機による定期便運行が始まる前で、自動車による大量輸送システムも充分に発達していなかった時代、当時盛んであった船舶による移動は沿岸部に限られる。当時「モーター・バス(今でいうバス)」の運行区間は長くても60数キロ程度であったため、旅行の移動手段の王道はやはり鉄道であったからだ。
     もちろん沿線ガイドであるがゆえに、現在のガイドブックにはまず紹介されていない非常にマイナーな土地についての記述もあるので、意外な穴場を見つける手助けにもなるかもしれない。

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  • 天国に一番近い木の下

    「▽◇△××!!」 誰かが突然意味不明の大声で怒鳴った。
     びっくりして立ち止まったその瞬間、空気を裂くような鈍い音に続いて軽い地響き。我に返るとすぐ脇に大きな椰子の実がゴロリと転がっているのに気づいて目が飛び出そうになり、全身からサーッと血の気が引いていく。
    「大丈夫かっ?」飲み物を手にしたカナダ人カップルが、駆け寄ってきた。昨日この宿で初めて顔を合わせて夕食をともにした彼らだが、今朝はいきなり私の命の恩人である。
     パラダイスのように美しい海岸を散歩して、危うくそのまま天国に行ってしまうところだった。よく晴れた南国のビーチ、どこまでも青く抜けるような澄み切った空、小鳥のさえずりと付近で遊ぶ子供たちの声・・・。こんな平和な朝にこんな危険が待ち受けているのだから、世の中いつ何があるかわかったものではない。「ココナツ直撃で邦人死亡」は勘弁願いたい。
     一説によると、ココナツの落下による死亡事故は世界中で年間150件ほどあるそうで、遊泳中のサメによる被害のおよそ10倍にのぼるということだ。古いものになるが「Falling Coconuts Kill More People Than Shark Attacks」「Famous coconut palms often ‘neutered」といった記事を目にするとこの危険性についてあらためて考えさせられる。
     特に背の高い木になるほど、実の付いている部分が視界に入りにくいうえに、落下に加速がついて破壊力も大きく増すのだから恐ろしい。
     その日はどこを歩いても頭上が気になって仕方なかった。のどかな南国の豊かな緑は、時に何をやらかしてくれるかわからない。

  • 冬到来!

    Photo by tamon yahagi
     また今年も寒い冬がやってきた。夏はかなり高温になる北インド平原部も12月下旬から1月にかけては相当冷え込む。
     この時期には、しばしば濃い霧が出て、人びとの行き来にも支障をきたす。空の便は乱れ、欠航が相次ぐ。走行するクルマがよく見えなくなる路上では、事故が起きやすくなる。この国の40才以下の人びとの最大の死因は交通事故だというから、往来にはなおさらのこと注意したいものだ。
     レールの上を走る鉄道も徐行して進むことになる。駅に行けば、「××エクスプレスは、××時間の遅れで到着する見込みです」という構内アナウンスが流れている。なかには予定よりも十数時間遅れる列車もあり、こうなると同じ方面に向かう別の列車をつかまえるか、駅近くにでも宿をとってフテ寝でもしているしかないだろう。
     列車予約の際にも慎重になってしまう。時刻表を開いて、起点駅があまり遠くないもの選ぶようになる。自分が乗車する駅までの距離が長くなるほど、途中の遅れが蓄積しがちだからだ。霧の影響のない南方面から来るものであっても、他の走行列車との兼ね合いがあるので油断できない。もちろん理想は乗車駅が始発であるものだ。
     同じ目的地に向かう列車でも、路線によっては多少迂回していくものがある。目的地まで最短距離で走るものを選び、運行の優先度が高い急行を利用したい。もちろん最上位にあるのはラージダーニーやシャターブディーといった特別急行だが、一般の急行列車の似たようなルートでも停車駅数やかかる時間がかなり違う。一種の序列があるようだ。
     霧の中、たそがれどきに次第に霞んでいく家並みをバルコニーからボーッと眺めたり、のんびりした休日の朝に温かいチャーイでもすすりながら、雲の中にいるかのような窓の外のフンワリした景色を楽しむのも悪くないのだが。

  • KLのインド空間

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     クアラルンプル市内のインド人街といえば、ムルデカ・スクエアやマスジッド・ジャメの北東側にあるマスジッド・インディア通りを中心とする界隈のことを言う。
     オーディオ関係の店では、当然のごとくインド音楽や映画ソフトを扱い、タバコや雑誌を売るキオスクでは「INDIA TODAY」「OUTLOOK」「FILMFARE」といったインドの雑誌が並んでいるのが嬉しい。さすがにA.R. RAHMANが郊外のシャー・アラムでライヴを行うだけのことはある。
     華やかなサーリーやパンジャービーの生地を売る店が目を引く。両替屋に行けば、ルピー札を換金するお客がいるところを見ると、やはり本国との間で人々の出入りも盛んなのだろう。
     もちろんインド人ばかりではなく多数のマレー人や中華系の人々の商店等もまた多く混在しているのだが、やはり他の地域に比べるとインド人密度が格段に高い。食べ物、人々の体臭、神々にささげる花輪の香りなどが入り混じり、この界隈にはまぎれもなく濃密な「インド」が匂っている。

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  • 聖地BATU CAVES

    聖地BATUCAVE
     マレーシア在住のインド系ヒンドゥー教徒の聖地、BATU CAVESを訪れてみた。市内中心部から北の方角にクルマでおよそ30分走ると見えてくる断崖絶壁。その中に聖なる洞窟があり、いくつかの祠とお寺がある。
     車道に面した大きな門をくぐり、見えてくるのは崖の中腹にポッカリ開いた大きな穴と、奥へ続く長い階段。有名どころの割には、金属探知機どころか制服のガードマンさえいない。こんなところはインド本国ではまず見当たらない。ちょっと哀しくなる。
     ところどころに参拝者たちに対する注意書きの看板があるが、タミル語に加え、マレー語と中国語でも書かれているのはいかにもマレーシアらしいところだ。足が半分しかのらないような狭いステップを上がっていくと、体中から汗が吹き出てくる。最上段まで上りきって後ろを振り返ってみると、クアラルンプル市内が広く見渡せる。いい眺めだ。
     巨大な洞窟からは、無数の鍾乳石が垂れ下がっている。天井の最も高い部分は40メートルほどあるだろうか。ところどころ穴が開いており、差しこむいく筋もの光が幽玄さを感じさせる。まさに「神的空間」である。それとは裏腹に入口のところから奥のほうにかけて点在する極彩色に塗られた像や祠は、まさに神々を象徴するものでありながらも、やけに世俗的に見えてしまう。
     タイプーサムの大祭のときには、信者たちでごった返すというが、私が訪れたときはまったくガラガラであった。近隣在住と思われる人がときおりブラブラ入ってくるのを除けば、私ひとりでこの聖域を貸切にしていたようなものであった。
     暗い中で目を凝らしてみると、灰皿があり、吸殻がいくつも残されている。どうやらここで一服つけても構わないようだ。聖地にしてはずいぶん緊張感に欠ける。ちょうどこのとき洞窟内の建物の改修工事が行われていた。これは工事夫たちが残したものだと思うことにする。
     このバトゥー・ケイヴス。階段上り口の手前には礼拝堂、信者たちのための集会ホールなど色々そろっており、宗教施設としてはかなり規模が大きい。
     移民先で信仰の対象となる聖地を見出すということは、まさに「滞在」から「定住」へと進む中で重要なプロセスのひとつなのではないか。インドから人びとが移民した先にこうした「聖地」がはたしてどのくらいあるのか知らないが、いつか機会があればこれらの「発見」と「発展」の過程を追ってみたいと思う。
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