英領インドに旅する 4 観る・遊ぶ

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 各地の遺跡や寺院等の紹介については、今のものとそう大きく違うわけではないのであえて言及するまでもないが、やはりイギリス人ならではの視点が感じられる部分も多い。「タンジャーウルのBRAHADESHWARA寺院には、英国人かオランダ人のどちらかと思われる像が彫られている」と書かれている部分がある。また在地勢力やフランス勢との抗争にかかわる戦跡をめぐる記述が多いことは特徴的である。
 クーラーのない時代、夏の暑さは耐えがたかったのだろう。各地のヒルステーションは彼らの大のお気に入りであったようだ。なんでもコダイカナルは「世界の気候三選」に入る(?)とまで絶賛されている。
 マドラス(現チェンナイ)のマウントロード(現在のアンナー・サライ)にあった「マドラスクラブ」は、インドで最も格式の高いクラブのひとつ。だが「街」としてはそれと比較にならない避暑地ウータカマンドの「ウータカマンドクラブ」はそれに次ぐほどの格式の高さを誇ったという。ニールギリーは英国人お気に入りの避暑地だったらしく、高級ホテルや高級なクラブがいくつもあり、テニス場やゴルフ場などの設備も備えた豪華なものも少なくなかったようだ。
 質実剛健で鳴らす英国紳士たるもの、故郷をはるか遠く離れても身体を動かすことを忘れるわけにはいかないのだろう。各地の紹介記事末尾には「Sport」という項があり、いきなりトラ、鹿、ヒョウ・・・などと動物の名前だけが羅列してあったりするのにはビックリだ。
 助太刀してくれる勢子や地元猟師、装備や獲物を運搬する苦力を現地で調達できるかどうかについても紙面が割かれている。現在ならば密猟は犯罪になってしまうし、動物愛護の観念が浸透している現在、狩猟を娯楽として楽しみたいという人はそう多くないと思うが、当時の身分ある男性としてはごく当然のたしなみであったのだろう。
 ちなみにこの頃、トラはまだ各地に沢山生息していたようである。また湿地帯での「クロコダイル・ハンティング」なんていう言葉を目にして心ときめかせた英国紳士たちは少なくなかったのではないだろうか。
 もちろんイギリス人といっても、とりわけインド貿易が東インド会社による独占状態から自由化された1830年代以降、相当数の商売人やその取り巻きたちが海を渡ってやってきたわけだし、在印のイギリス人自体が上から下までいろいろいたわけで、必ずしも支配者側の立場にあったとも限らない。また彼らとて外地にあれど「一枚岩」であったわけでもない。
 ボンベイ生まれのイギリス人小説家キプリングの小説「少年キム」の主人公のような浮浪する英国人孤児のような存在(この小説自体は決して悲惨なものではなく、冒険と機知に富む少年の活躍を描いたものだが)も実際にあったのではないかと思うのだが、これはまた別の機会に触れてみたい。
 1926年という、まだ「観光旅行」が一般的ではなかった時代に、植民地という今とはまったく違う体制にあった南インドの旅行事情を概説したガイドブックの復刻版のおかげで、支配層から見た植民地時代の世相も想像しながら時遡る旅することができる。現地を訪れる前に、予備知識としてぜひ一読されることをお勧めしたい。
書名:Illustrated Guide to the South Indian Railway
ISBN:8120618890
出版:ASIAN EDUCATIONAL SERVICES
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