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カテゴリー: travel

  • ドリアンに期待する

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     Ancestral Goa は、ポルトガル時代のゴアの生活を再現したテーマパークだ。入場料は20ルピー。インド人の家族連れやカップルその他の観光客等の訪問多い。ちょっと古いが、Deccan HeraldでHeritage revisitedと題してこの施設のことを取り上げた記事がある。
     展示物はペイントされた土人形や主に同様の素材からなる建物のミニチュアからなり、履物作り、市場の様子、ローカルな酒場その他農村のさまざまな光景が再現されている。いくつかの展示物ごとに担当の説明係がいて、ゾロゾロとやってくるお客たちの顔を見て、英語あるいはヒンディー語その他で説明してくれる。人形にしても建物の造りにしても「民俗村」としてはチープすぎるが、ちょっとマンガチックな温かみを感じる屋外展示物が並ぶ。
     園内には小さな「聖地」もあった。通称「Big Foot」なるローカル聖者が祭られているのだ。テーマパークにこんなスペースがいきなり出現しても、一応線香を上げて手を合わせる人たちが多いのはやはりインドらしいところだろうか。

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  • スパイスを眺める

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     つまらないからやめときな、と言うのは運転手。 「草木を見て300ルピー払うのかい?無駄だよ」ときた。 その「つまらない」とはスパイス・ファームのことである。かつて「黄金のゴア」としてその名を広く知らしめたこの土地の主要な産物のひとつが香辛料であったのはご存知のとおり。今もそれらを作る農場がいくつもあるのだが、そのうち何ヶ所かは入場料を取って観光客用の見学コースを設けている。
     私たち一家が向かったのはポンダという街の近くのサハカーリー・スパイス・ファームという農場だ。ちなみに「ポンダ」はデーヴァナーガリーではफोंडाと綴るのだが、ローマ字ではPHONDAではなく、通常PONDAと表記されている。

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  • インド発 楽しい海外旅行

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     インディア・トゥデイ誌8月8日号 によれば2004年にインドから海外旅行に出た人々の数(観光以外の出張旅行なども含まれているのかどうかは不明)は620万人で前年比16パーセント増、2005年は750万人で20パーセント増の見込みだという。  
     日本からの海外に出かける人々の数に比べるとたいしたことはないし、さらにインドの巨大な人口からすればたいした数字ではないとはいえ、先行きが大いに期待される新しいマーケットが出現したことになる。
     国全体として眺めてみると、貧困を原因とする社会問題がいまだに山積されている。所得格差がますます広がったと見る向きもあるかもしれないが、いつでも先進的な部分とまったくそうでないところが折り重なっている様は、いつの時代にあってもインドらしいといえるかもしれない。
     過去にはほとんど無視できるような数であったこと、国際観光業といえば主に外国からインドに来る人々をさばくことであったことを思えば、なんと大きな変化であろうか。 海外旅行する人たちの訪問先の38パーセントが中東方面、34パーセントが東南アジア方面という。これらの地域でも特にインド系の人口や宿泊・食事関連施設の多い 国々への訪問客が多いようだ。そして28パーセントは欧州方面に繰り出している。
     国別で見れば、1位シンガポールに47万人、中国に31万人、アメリカに30万人、タイに30万人、香港に24万人とある。90年代まで二国間の直行便のフライトもなく、アルナーチャル・プラデーシュからカシミールまで、非常に長い国境を接していながらも、相互の行き来が公にはほとんど無に近かった中国だ。(地元の人々による「国境貿易」は細々と続けられてきたし、ごく限られた人数ながらもカイラス巡礼を行なうインド人ツアーグループは以前からあったようだが)
     それが今ではリッチなインド人たちがよく訪れていたアメリカやタイをしのぐほどの人気を博しているというのには驚かされてしまう。 

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  • 二者択一

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    インドで、知人の家でも宿泊施設でも、ベッドにエアコンの冷風が直接当たるようになっていることが多い。吹出し口が手の届く距離でしかも横たえた身体とほぼ同じ高さということも珍しくない。
     暑い外から戻ってきて、冷気と風量ともに最大にすれば、まさに生き返るように気持ちが良い。しかしそのまま眠り込んでしまえばあの世行きといっても大げさではないだろう。特に酔っ払っていたりすれば・・・。 分厚い毛布にくるまっていれば助かるのかもしれないが、外はひどく暑いことを思えばずいぶん無駄なことだ。
     そういえばクーラーはともかく、天井からぶら下がるパンカー(扇風機)だってかなりのものだ。ゆっくり回していても一晩中動いていればヤワな私は必ずカゼをひいてしまう。せめてタイマーくらいついていればいいのにと思う。
     就寝直前まで、部屋の中をエアコンでガンガン冷やしてからスイッチを切ることにした。寝入りはいいが、次第に室温が上がってきて目が覚める。窓を開けて、そのころには涼しくなっている外気を入れると気持ちの良いものだが、すぐに耳元でブンブン蚊が騒ぎ、首筋やつま先を刺され痒くてたまらない。天井のファンを動かすと蚊は吹き飛ぶ。再び眠りに落ちていく。
     突然腹痛で目が覚めてトイレに駆け込む。お腹が冷えるとてきめんに下痢してしまうのだ。しぶる腹を抱えてしばし便器に座ったまま「ウーン」なんて唸っていたりする。
     落ち着いてから部屋に戻る。「待ってました」とばかりに蚊たちが襲来してくる。電気蚊取りをオンにする。窓を開け放していると際限なく入ってくるので、やはり閉め切ってエアコンを入れることにする。室温が思い切り下がれば、蚊は天井や壁に張り付いたまま動かなくなる。やれやれ・・・。
     部屋に備え付けの薄いブランケットにくるまってもひどく寒い。荷物の中から寝袋を取り出して中にもぐりこむ。やけに暑いかひどく寒いかの二者択一、辛い一夜である。

  • デリー・ダルバール

    「忘れ去られた名所がある」と友人が連れて行ってくれた先はオールドデリーのアウターリングロードの北縁あたり。このあたりまで来れば、デリーの市街地もそろそろ終わりといったところだ。「ロンリープラネット」のガイドブックにも小さく取り上げられている割には、途中の新興住宅地で人に道を尋ねるがその場所について知る人は少ない。
    友人は適当に見当をつけて進んだ後、クルマを止めて道端の木陰で一休みしているおじいさんふたり連れに声をかけてみると「あっちだよ」と指差してくれた。
    「かなりのお年寄りだと知っていたりするんだ」と彼は言う。
    やがて私たちが到着したのは、1911年12月にジョージ五世が来印した際に、政府高官、各国大使、藩王等も含めた当時の有力者たちを来賓に迎えてインド皇帝位へ就いたことを宣言する「Delhi Coronation Durbar」が盛大に開かれた場所である。イギリスのヴィクトリア女王がインドを支配する皇后であることを宣言した1877年のデリー・ダルバール、彼女の死後1903年にエドワード七世の新しいインド皇帝としてのそれもまた同地で行なわれている。
    すぐそばまで宅地が迫ってきているものの、たたずまいはおそらく当時からほとんど変わらないことだろう。一番近いタウンシップはガーンディー・ヴィハールだ。
    現在「Coronation Memorial」として知られているこの場所はだだっ広い空き地になっており、あたりに住む子供や若者たちがクリケットに興じているのを目にするだけだが、その脇にいくつも置かれているかつてインドを支配した歴代の総督たちの大きな像が寡黙ながらもこの土地の由来を語っており、古いモノクロ写真に残されたデリー・ダルバールの様子がまぶたの裏に浮かんでくるような気がする。
    ▼Delhi Durbar
    http://www.indhistory.com/delhi-durbar-presidency-bengal.html

  • A Taj Hotel in N.Y.

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     国際的なホテルチェーンFOUR SEASONS HOTELグループ傘下のTHE PIERREは、ニューヨークにある五ツ星ホテルだ。日本語サイトも用意されているので、日本人の利用客も多いのだろう。このホテルの英語によるウェブサイトのトップページ右下部にはこんな文章が掲載されている。
    Important Note: The Pierre New York is expected to be sold on or about June 30, 2005, after which Four Seasons will no longer operate the Hotel. All confirmed reservations will be honoured by the Hotel, which is expected to become part of Taj Hotels Resorts and Palaces. If you have any questions or concerns please contact the Hotel at the number listed above.
     つまりこのホテルがタージグループによる買収の結果、7月1日から「インド系ホテル」として再出発することになるのだ。従来から名前が広く知られている高級ホテルということもあり、これまで築いてきたブランドイメージが大切にされるであろうが、経営陣が入れ替わる・・・しかもインド系企業と化すことにより「スパイスが効いた」変化が長期的には見られるのだろう。
     インド本国を中心に近隣国その他UAE、イエメンやイギリスなどでも高級ホテルを展開する同グループだが、アメリカでの五ツ星クラスのホテルの経営を手がけるのは初めてとのことである。
    Taj Declared New Operator of The Pierre (Hotel Travel News)
    Taj to operate The Pierre (4 Hoteliers)

  • ビデオ撮影は破格の贅沢?

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     ケララの南沿岸部から州境を越えて少しタミルナードゥに入ったところにあるパドマナパプラム宮殿の入口で入場料とカメラ持込料を支払う。前者が10ルピーで後者は25ルピー。この国でこういう場所でたいていそういうことになっているので、インド人たちは特に何とも思わないのだろう。でも外国人の目からすれば、本来ならば主たる入場料に付随するはずのものに倍以上払うのはヘンな気がする。
     入場券売場の壁には料金一覧表がかかっていた。ビデオ持込料の金額を見て目を疑う。なんと1200ルピーと書かれているからだ。120人分の入場料にして、スチルカメラ48台分の持込料に相当する。「あるところから取る」にしても、ずいぶん法外な金額ではないだろうか。
     おおむね写真撮影よりも撮影者が静止する時間が長いため、スムースな人の流れを阻害するという部分はあるかもしれない。今のインドでは特に貧しい層でもなければ、機種さえ選ばなければ何かしらのカメラは購入できるが、ビデオカメラの場合はまだまだそうはいかないので、特別な贅沢品であることも間違いない。
     だがスチルカメラ自体がピンキリで、安いコンパクトカメラからプロユースの高級カメラまでいろいろある。ハイエンドモデルを手にして撮りまくる外国人は多いし、インド人の中にもそういう人たちをチラホラ見かけるようになってきているではないか。近ごろでは多機能なデジタルカメラの普及により、カメラとビデオの境目が曖昧になってきているのが現状だ。
     ひょっとすると撮影料収入そのものが目的なのではなく、本音はこうした障害を設けることにより機材を持ち込む人を減らしたいのではないか、ビデオ撮影はテレビ局などその道のプロのみが行なうべき行為だと認識されているのではないかと想像したりもする。
     〈原則禁止〉で、思い切り吹っかけた金額を「ハイ、どうぞ」と気前良く払ってくれる人だけは特別に扱おうといったところだろうか。観光客はともかく、そこを取材することを目的に訪れた人ならばこれを支払わないわけにはいかないだろう。
     文化遺産以外でも、国立公園などでもビデオ撮影に関してこんなビックリするような額を徴収するところが少なくないようだ。どうもよくわからないが、管理側する側からみてこの手の機器がそれほど憎いのだろうか。
     スチルカメラ、ビデオカメラの別を問わず、インドでは撮影が許可制となっているところが多い。国有財産となっておらず、まだ個人が所有している宮殿等では、カメラの持ち込みそのものが禁じられているところが少なくないようだ。
     規制する側にはそれなりの論理があるのだろう。しかし国の機密に関するもの、治安・保安上問題のあるもの、信仰にかかわるもの除き、特に制約をかける必要があるとは思えないツーリストスポットでの撮影については、もっと鷹揚になってくれてもいいように思う。  
     宿泊施設や交通機関のみならず、こうした「撮影の自由」もまた立派な観光インフラの一部ではないだろうか。
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  • 広がる航空路 狭くなる世界 2 広がるネットワークから見えてくるもの

     いきなり格安競争時代への突入してしまったインド国内線市場で、「無理な安売り合戦は続かない」という見方が強い。今後も新しい航空会社による国内線参入がいくつか予定されており、体力のない会社はやがて淘汰されていくことになるのだろう。
     それとは異なる次元での懸念も伝えられている。国内線・国際線ともに急激な増便により、空港のキャパシティを含めたインフラ整備が追いつかないというものだ。またパイロット、メカニック、フライトアテンダント、そして地上職も含めて航空業界で働く人員の確保が難しくなってきており、航空会社間での引き抜き合戦も盛んになっているとのことだ。
     こうした動きの中で空の旅の大衆化が一層進むとともに、国内航空路のハブとして新たに浮上してくる街がある。インディアンエアラインスによる独占体制下では遠回りして乗り継がなければならなかったルートでも、今では他社便によるダイレクトに往来できるケースが増えてきており、料金面以外でも乗客にとっての利便性が向上しつつある。
     このところ成長著しい都市が新しい成長センターとして台頭してきていることの証である。この調子でいくと実態に合わなくなって将来「四大都市」という言葉が使われなくなったり、「四大」の示す都市の名前が一部入れ替わったりすることもあるかも(?)とさえ思うことがある。
     その一方、これまで航空機発着のなかった土地での新空港建設の話は少なく、これはまさにインフラ整備の遅れのひとつの側面だ。広いインドを見渡せば、今なお実現していない未来の有望なルートが埋もれている。料金競争の次には新たなルート開拓により、インド国内航空路線市場が今後まだまだ大きく伸びる余地があるのは言うまでもない。
     ジェット・エアウェイズエア・サハラ等のインド国内線キャリアによる国際線進出が続く昨今、エア・デカンも湾岸諸国へ乗り入れを画策しているという。
     近年は地方空港の国際化が進んでいる。ラクナウやカリカットその他から中東産油国への定期便が利用できるし、ブッダガヤからはバンコク、コロンボへのフライトが飛び立つ。 
     最近、アムリトサルからイギリスやアメリカへの直行便が就航したが、ここからはタリバーン時代のカーブル行きの便も出ていた。国内外を問わずインドをとりまく航空路はにぎやかになってきているわけだ。
     そんな中で「穴場」といえるのは隣国パキスタンそして中国への航空路だろうか。これらの国々との関係改善にともない、ビジネスを中心とする相互の行き来が盛んになるにつれて、いつしかインドの地方空港からこれらの国々の街へと向かうフライトが次々に就航する日もやってくるのかもしれない。
    <完>

  • 広がる航空路 狭くなる世界 1 またまた新航空会社就航!

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     先日は今月9日に就航したキングフィッシャー・エアラインを取り上げてみたが、インドの空のダイヤは今後さらに密になってくる。
     新興航空会社ロイヤル・エアウェイズの「スパイス・ジェット」が5月23日(月)から就航する。同社は最低料金99ルピーという驚くべきキャンぺーン価格とともにインド国内線の格安市場に参入するのである。
     エア・デカン同様、主に鉄道のAC?とAC?クラスの利用客を取り込もうというのが同社の戦略だが、チケットの価格は「離陸まで変動し続ける」というから実にフットワークが軽い。つまり同じフライトでも予約時の空席状況によって違ってくるので実際に購入するまで自分が払う正確な金額はわからないのだ。
     オフシーズンでガラ空きと思われるフライトのチケットを思い切り早めに予約したり、当日空港で出発直前に買ったりすると底値で飛ぶことができるのだろうか。
     
     平均して従来の国内線他社の4割から5割安、鉄道(AC?クラス)よりも一割高いレベルだというので割安感は大きい。今年度初めより国内航空各社は航空燃料価格の上昇にともない12%程度の運賃値上げを打ち出していることもあり、この時期同社の割安感がますます際立つ。
     もちろんこの運賃を実現するために相当なコスト削減が図られており、ミネラルウォーターを頼むには50ルピー払わなくてはないなど、無料の機内サービスの類は大胆に省略されているらしい。
     189席のボーイング747を使用して、5月23日からアーメダーバード、デリー、ムンバイ、ゴアの4地点を結ぶ。6月13日からは目的地にバンガロールとプーネを加え当面は国内6地点に乗り入れる予定だ。以降、グジャラート州都をハブに新たなルートが順次開設されることだろう。
     この「スパイス・ジェット」を運行するロイヤル・エアウェイズを所有するのは米国に本社を置くロイヤル・ホールディングス社。インドで国内線航空事業を指揮するCEOのマーク・ウィンダース氏は過去35年以上にわたって主に北米の航空各社で活躍してきた辣腕経営者だ。インド西部からネットワーク展開する外資系航空会社は、今後目が離せない存在になるだろう。
    <続く>
    Spice Jet to launch flights in India by May-end (Hindustan Times)

  • シェカーワティーに行こう3 屋敷町の行く末は?

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     現在、ハヴェリーの主たちの多くはすでに外の土地へ出てしまっていることが多く、かつての使用人家族が番をしていたり、屋敷内の部屋を幾世帯もの他人に貸し出していたりといったケースが多いらしい。主が不在なので手入れは当然おろそかになる。貧しい間借人たちが、建物の特に壁に描かれた絵の保守に関心を持つこともないようで、ハヴェリーの内も外もひどく痛んでいることが多い。
     先述の元は寺院であった建物が他の目的に使われている例にもあるように、大型のハヴェリーの中には学校に転用されているものがいくつかある。一階部分の外側が店舗として利用されているものもあり、ペンキで書かれた屋号や下着や乾電池の広告のイラスト等が、美しい壁画の上に大書きされているのを目にすると胸が痛む。そうでなくとも厳しい日差しに焼かれて雨に洗われ、せっかくの見事な壁画が次第に失われていく方向にあることは間違いないようだ。
    一部にはこうしたハヴェリーをはじめとしたこの地方独特の建造物を観光資源として地元の活性化に利用しようというアイデアはあるらしく、私設博物館として入場料を徴収したり、ホテルに改修したりするところも出ているようだ。だが今のところ、これらを地域の文化遺産として保存や修復しようという流れにはいたっていないようだ。 しかしこれらは私有財産であるし、今も人々が暮らす住宅であることから難しいのかもしれないが、このまま放っておけばカラフルなハヴェリーが建ち並ぶ景観はやがて姿を消して行くことだろう。また精緻な細工のなされた木製の扉や欄干などが本来あった場所から取り外されて、骨董品市場に流出しているケースも少なくないと聞く。こうした多くの屋敷の原型が失われないうちに、行政による何らかの手立てが必要だ。

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  • シェカーワティーに行こう2 見どころいろいろ

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     ラージャスターン各地に割拠した藩王たちの宮殿のような壮大さはないし、建築や装飾の洗練された美しさや職人の技の精緻さに圧倒されるとまでは言えない。しかし平民の中からたくましくのし上がっていった当時の新興階級のみなぎる力、そして彼らの進取の気性を目の当たりにするようだ。まさに中世インドにおける民間活力の勃興の証であるともいえるだろう。
     ここで力を蓄えた人々の中からは、大都会に出てより大きなビジネスチャンスを狙う者も出てきた。不断の努力により得た富をせっせと故郷に送金したことから、豪華なハヴェリー建築に更に拍車がかかった。
     彼らが建設に励んだのは、自らの大邸宅だけではなかった。寺院建築のための寄進や井戸を作ることによる地元社会への貢献もあった。カラフルなハヴェリーとともにシェカーワティー地方の風景を特徴づけるのはユニークな井戸である。地面から高く積み上げられた基檀の上から空の方向へ堂々と伸びている大きな四本の尖塔が目印だ。遠目にはモスクのミナレットかと思うような造形だが、その足元では深くて暗い井戸がポッカリと大きな口を開けている。

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  • シェカーワティーに行こう1 華麗な屋敷町

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     ハリヤナ州やデリーとの境の南側に位置するラージャスターン州北部に、「砂漠の中のオープンエアギャラリー」と形容される地域がある。まさにカラフルな絵であふれているのだが、こうしたタイトルの常設絵画展が開かれているわけではない。
     この地方の町の多くには、18世紀から20世紀初頭にかけて建築された、内も外もあらゆる壁という壁が派手な色彩のペインティングで飾り立てられたハヴェリー(屋敷)がいくつも連なる一角がある。まさにこれがオープンエアギャラリーと言われる由縁である。
     だが現地を訪れたのが四年ほど前であり、観光地の「発展」の速度はときに想像を超えるものであることもあることから、現状と違う部分があるかもしれないことは最初にお断りしておきたい。
     
     インドで「壁画」言った場合、古代の寺院などに描かれたもののように深遠な思想背景や途方もない歴史的価値を持つもの、ワールリーやサンタルといった部族の村々で見られるトライバルアート(差別的な言葉ではあるけれども・・・)と呼ばれるもの、あるいはミティーラー画のように特定の地域で社会区分の枠を越えて広がる民俗画など様々だが、シェカーワティーの場合は商業という極めてグローバルかつ世俗的な分野で台頭してきた人々による豊かな経済力を背景にしたものであることから、それらとは性格も絵そのもののありかたも大きく異なる。
     こうしたものを見物できる主な町としてジュンジュヌ、ドゥンドロッド、ナワルガル、ファテープル、マンダワ等がある。
     屋敷を見るといっても、これらは遺跡ではなく現在も人が住んでいる住宅であるため、居住者の好意で中を見せてもらう機会があっても礼を失しないようにしたい。
     このあたりはラージャスターン西部へと続く広大な砂漠地帯への入り口にあたり、緩やかに起伏する大地が広がっている。地味が豊かとは決して言えない荒野と貧しい田舎の町々から成るこの地方に、なぜこのような大邸宅群が多数建設されたのか誰もが不思議に思うに違いない。

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