
タクシーでテーングラー(TANGRA と書いてतेंगडाテーングラーと読む)に行く。周囲はムスリム地区になっており、ここを訪れたのは金曜の昼ごろだったので、モスクでそして路上で人々が集まり礼拝を行なっている姿があちことに見える。
過日訪れたNEW C.I.T. RD.の華人地区もそうだったがムスリムたちと職業的に重なる部分、そして相互補完するものがあるような気がする。たとえば動物性の食材の調達、彼らの雇用する労働者などの供給元などといったことが考えられるだろうか。
この地域では、道沿いに中華料理屋、多くは漢字の看板を掲げたものがいくつもある。店も住居も工場などでも扉や鉄格子が赤く塗ってある。玄関口には瓦のひさしが付いたものもあり、中華風の模様や漢字が入った護符が貼られている。下階は商業用になっていることが多いが、居室らしき上階の窓からはちょうちんが覗いている。一見して華人風の街である。
華人コミュニティ内部の互助組織らしきものもいくつか目に入る。印度塔●厰商理事会(※王偏に覇という字)という商工会議所にあたるものがある。ちなみに『塔●』で『ダーパー』と読み、『テーングラー』の別称である。そして「四邑山荘」なんていう風雅な名前の施設があるが、こちらはすでに廃墟であった。
カテゴリー: travel
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コールカーターで中華三昧 3 インド中華料理の総本山テーングラー
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コールカーターで中華三昧 2 ご当地中華料理はどんな味?
在印華人のマジョリティがこの街に集中しているため、インド中華料理の『本場はコルカタ』ということになる。その本場中の本場を訪れる予定だが、今日は宿近くのミルザー・ガーリブ通りの小さな中華料理屋で夕食。
店の主人とおかみさんは客家人。インド生まれながらもベンガル語の読み書きはできないのだそうだ。だが主人は1975年から1985年まで10年間中国で学んだという異色の経歴(?)の持ち主。「おかげでちゃんとした中国語ができるよ」とのことだが、当時のインドから外国に出るのも、そして外地から文化大革命末期の中国に入るのもかなり大変だったことだろう。この食堂だってそんなに大きなわけではないのに・・・などと、やや失礼なことを思ってしまった。
今でも中国の親戚たちとの身内づきあいがあるとうで、そのツテで中国に留学できたのだと彼は話してくれた。
おかみさんによれば、さきほど私が訪れたNew C.I.T. Rd.の華人地区では、日曜に朝市があるという。早朝6時くらいに行けば、中華屋台が並んでおりそこに華人たちが集っているとのことなので、後日訪れてみることにしよう。
ところで華人の多いこの街ならではのご当地中華料理はあるのだろうか?マレー半島の肉骨茶やラクサのように、現地発のご当地中華はあるのかとおかみさんにたずねてみたが、しばらく考えて「特にそういうのはないわよ」とのこと。
インド在住の華人たちは、地元の人々同様『汁気のない乾いたおかずだけでご飯は食べない』ようにインド化されている傾向はあるし、特に店で出す料理となれば肉は主に鶏肉が中心となるなど、地元顧客や土地の社会に適合した形になることが多い。それでも地元の味覚とのハイブリッドメニューは思い当たらないそうだ。
本当に「無い」とすれば、インドと中国という互いに交わることのないカラーを象徴しているかのようでもあるが、よく考えてみれば『チョプスィー』や『マンチュリアン』はインドのご当地中華かも?いうことに思い当たり、ややほっとする。 -
コールカーターで中華三昧 1 関帝廟参拝

コルカタの警察署本部近くのNEW C.I.T. RD.にある「四邑會館」に入ってみた。このいかにも中国風の外観をした建物の上階は寺院になっている。世話人の初老の男は肌色や顔立ちからすると中印混血らしい。彼は参拝客の老人とともに中国語で書かれ寄付帳簿に目を落としており、二人は北京語ではない華語方言で話している。
このあたりにいくつか中国寺院がある。かつてはチャイナタウンの様相を呈していた地域なのだそうだ。中印紛争が起きてから華人たちの多くは国外に移住した。出国するための資金を持たない者、置いていくにはあまりに大きな資産を持つ者はここに残ったのだと世話人の男は私に話した。
彼によれば、現在コルカタの華人人口は5000〜6000人くらいだとか。中国との紛争と敵対関係が続く中、華人たちへの風当たりは強かったそうだ。
近年、インドと中国の間の関係改善が着実に進んでいる。またおどろいたことに昨年夏、インドの海外旅行先の一番人気はなんと中国であったというから時代は変わったものだ。それでも「国の関係は修復しつつあっても、人の心はそう簡単に変わらないよ」と男は言う。
この国で指定カースト、指定部族として行政からの保護優遇を受けるマイノリティは少なくない。インドにあって非常に小さな民族集団である華人たちだが、そうした社会のセーフティネット無しに世の中を渡らなくてはならない。それどころか『敵性外国人』として監視や差別の対象ですらあった。
華人であるだけで就職できないのは仕方ない。もともと企業家精神旺盛な人たちなので、それならば商売に邁進する。すると様々なところから横ヤリが入り、結局金で解決しなくてはならない・・・というのが彼の言い分。
「結局インド人たちは『カネ、カネ』だから、仕方ないね」とのこと。これがインド人ならば「まったく政府ってやつは・・・」と言うところでも、微妙な立場にある彼らはすべてをひっくるめて「インド人ってのは」と辛口になるのかもしれない。
カルカッタに来ている華人の出身はかなり広いようだ。広東、湖北その他沿岸地域からいろいろだが、とりわけ客家人が多いという。もちろん今の人々の多くはインド生まれのインド市民である。道路反対側に行ってみた。現在この地はムスリム地区になっており、モスクや食肉業者などが目に付く。時折中国系らしき住民の姿を見かける。 -
お茶の風景
西ベンガル州のシリーグリーからバスで東へ走る。この州には、ここらのような丘陵地、ダージリンあたりのような山岳地、カルカッタやその周辺のように大河の沖積平野からなる低地、国立公園のスンダルバンで知られるマングローブ地帯もあり、地形・気候ともに実にバリエーションに富む面白い土地だ。
インドという国は、しばしば「ひとつの世界である」と表現されるが、西ベンガル州はまさにそのインド世界の縮図であるかのような気がする。さらに隣国のバングラデシュも含めてベンガル地方として眺めてみれば、その広がりの大きさは実に驚嘆すべきものがある。もちろんひとつの「世界」を感じさせる深みと広がりを持つ地域はベンガルだけではなく、他にも数々あるのがこの国の偉大なところである。 -
鮮度が命!2 標準化はエコノミーなホテルの宿命?
サダル・ストリートで新築のホテルを利用する直前、私はまさにその標準化の最中にあるホテルを利用する機会があった。同じ西ベンガル州内である。
バスで移動していたら思いのほか時間がかってしまい、終点の田舎町に着いたときはすでに日没となった。同日中にたどり着くつもりでいた目的地へは、ここで他のバスに乗り継ぐ必要がある。でも疲れていたし、バススタンド正面に新しそうなホテルが目に入った。ここで一泊して明朝早く出ることにした。日々沢山のクルマやバスなどが行き来する通りに面しているため、ややすすけた感じはするが、かなり新しい建物ではあるようだ。
グラウンドフロアーのレセプションで、ひょろりとした体をカウンターに預けている男はここのマネージャー。突然訪れたお客のために、テレビで放映されているクリケット中継から目を離すのが惜しくて仕方ないといった様子で、試合を注視する他の従業員たちが声を上げるたびに、チラチラと未練がましく画面に視線を走らせる。
ここは開業してから4カ月という。室内には姿見の大きな鏡、ベッドの横には大きな丸いガラステーブルが置かれており、まだそう遠い過去のことではない創業時の熱き思いがしのばれる。
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鮮度が命!1 エコノミーなホテルは新しいほうがいい

カルカッタに着いた。とりあえず宿を見つけなくてはならないので、サダル・ストリートに向かった。市内各地にいろんなホテルがあるのにわざわざここに来なくてもいいはずだが、どこか「いい宿」の正確な所在地を知っているわけではない。だからタクシーには「サダル・ストリートまで」と告げることになってしまう。
料金の割にかなり粗末なところが多いのは、カルカッタという大都会のためか、あるいは黙っていてもさまざまな旅行者たちが集まってくるためだろうか。
比較的コストパフォーマンスの高い宿は、たいていロンリープラネットのガイドブックお勧めであったりする。そのため正午あたりにでも着かない限り、往々にして満室なのである。私はすでに二件断られていた。
どこかテキトーな宿がないものかな?と歩いていると、頭上に「OPENING SHORTLY !!」という垂れ幕がかかっていた。 -
パッケージツアー「ナガランド」
世の中には、さまざまな旅行代理店が企画したいろいろなパッケージツアーがあるものだが、日本のそうした旅行会社から「ナガランド」行きのものも出ているとは知らなかった。
なんでも「州都コヒマからトフェマ、モコクチュン、モンへと北上し、ナガ丘陵に暮らす様々な部族の村を訪れる」とあり、このツアーは「年に一度のアンガミ族の祭り・セクレニ祭」のタイミングに合わせたものであるとも、広告のウェブサイトに記載されている。来年2月下旬から3月始めにかけてのツアーで、いくつもの村々を訪れて風物を楽しむのだという。
立ち入りが制限されており、入域許可を得るにも条件等のため、なかなか訪れることができない地域であるし、ましてや時間のない人にはそれらの手続きや交通の便の関係からもハードルが高くなる。そのためこうしたものを利用するのも悪くないと思う。
しかし参加料金は約40万円と高額であるため、利用できる人は非常に限られてしまうのは残念である。私自身、とても手が届かない。
行程一覧を眺めてみると、ちょうどタイあたりの山岳少数民族の村々を訪れるツアーのイメージと重なるものがある。やがて地域の情勢が今よりもさらに安定に向かい、この地域が広く外国人旅行者に開放される日もそう遠くないのかもしれない。そうなれば、官民挙げて発展を目指すのはやはり観光であろうことから、この地域行く末が見渡せるような気がしないでもない。
ある人はそれを地域振興と呼び、またある人はそれを観光公害と表現するのかもしれない。地域のありかたは、基本的にはそこに暮らす人々が決めることとはいえ、外部からの投資家やデベロッパーのような人たちに牛耳られてしまうなんてことも往々にしてあるのだろう。これについて私自身は何とも言えないが、派手に観光化する前に訪れてみたい気もするし、そうした地域の変遷を何年おきかで定点観測してみるのも、なかなか興味深いことではないだろうかと考えている。
期間限定の一度限り、そして人数12人までと記載されているため、とっくに募集は終わっているのかもしれない。しかしこのツアーに興味を引かれて参加するのはどういう方々なのか、という点でもちょっと関心のあるところだ。 -
カイバル峠の向こうが見えてくる
インド周辺地域も実に魅力あふれるところが多い。現在の「国」の枠を超えた人々の活動とともに栄えてきた地域だ。重層的に連なる歴史や文化を人々は国境線を越えて共有しているといってよいだろう。
有史以来、思想や言語、宗教や建築を含めて文化的にもインドとの間に濃いつながりがあったアフガニスタン。南アジアと中東、中央アジアと中国といった異なる文化圏が交差するところでもあり、まさに「文明の十字路」として豊かな伝統を持つ国。決して今のように外界から孤立した地域ではなかった。20数年間もの不幸で長きに渡る混乱を経て、再び「観光地」として世間の注目を取り戻しつつあるかのように見える。
まさにこの機を待ちかまえていたかのように、今年9月末ついに日本語によるアフガニスタンの旅行案内書が刊行された。同書表紙には「本邦初!(世界でも珍しい)のガイドブックが登場」とある。
カーブル、バーミヤン、マザリシャリフ、クンドゥズ、ヘラート、カンダハール、ジャララーバードといった世界的によく知られた街やその周辺部などが紹介されている。アフガニスタンの旅行情報そのものが他国に比較して極端に少ないこと、また初版ということもあり厚みはないのだが「ロンリープラネット」や一昔以上前の「地球の歩きかた」のように、一人旅向けの実用的なガイドブックに仕上がっている。 -
ニッポンで稼ぐインド国営会社
近年、外資系企業の活躍が目立つ日本の保険業界。アリコ、アフラック、アメリカンホーム、チューリッヒ等々、扱う商品の内容はともかく会社の名前は馴染み深いものとなっている。そんな中、日本で長きにわたって活躍しているインドの保険会社がある。しかもこれが国営企業だといえば驚く人も多いだろう。
その名もニューインディア保険会社 (The New India Assurance Co. Ltd.)である。1919年にボンベイで設立された同社はターター・グループ経営の保険会社として発展を続けた後、1973年に他社と合併したうえで国営化された。 -
ヘリテージな宿でまどろむ

ゴアのスィンケリム(Sinquerim)ビーチに行ってみた。オフシーズンなのでほとんど観光客の人影がない。店やレストランの類も扉が締め切られたままのものが多い。風が強くて木々が大きく揺れている。海もかなり荒れている。
散歩している私のすぐそばで轟音と振動が感じられた。首をすくめたまま目をやるとそこにヤシの実が転がっている。この固くて巨大な実の直撃で、世界各地で毎年命を落とす人は少なくないそうだ。どこに不幸が転がっているかわからないものである。以前もどこかで危うくヤシの実にノックアウトされそうになったことがあったが、まだ子供も小さいのではるか彼方の「楽園」へのご招待は当分ご遠慮願いたい。
州都パナジに近い立地もあってか、大資本のビーチリゾートが散在するこの海岸にはタージグループのホテルも二軒ある。The Taj Holiday VillageとFort Aguada Beach Resort, Goaだ。
前者は北上すればカラングートビーチに向かう道路沿いにあり、コテージ等さまざまなタイプの宿泊部屋が広い敷地内に散在している。開放感があってのんびりするには良さそうだ。しかし施設がかなり古くなっていること、どうも手入れがいまひとつで、タージグループのホテルとしてはちょっと高級感に欠けるのが気になる。
後者は17世紀にポルトガル当局が建てた砦に面している。当時この地方の海岸守備の要であっただけにアラビア海の絶景が望める素晴らしく、最高のロケーションに建てられたモダンなホテルだ。おそらくグループ内で働く人たちにとって、前者は左遷先、後者は出世コースといったイメージがあるのではないだろうかと想像してしまう。
いずれにしても大規模な施設だが、閑散期にはほとんど稼動していない様子を見るにつけ、とりわけシーズンとそれ以外の時期で大きな差がある地域では、観光という業種がいかにロスの多いものであるか、また季節や景気その他に左右される度合いが大きく不安定な稼業であるかということが感じられる。 -
ゴアのコロニアルマンション
ゴアのマルガオから15キロほど東に進んだチャーンドールに行ってみた。ここではポルトガル時代に建てられたいくつかの豪邸が残っていることで知られる。その中の最も大きなものは主の名からBRAGANZA HOUSEとして知られるこの屋敷は、旧宗主国の建築スタイルで建てられている。このBRAGANZA家は大地主、ポルトガル語を母語とするゴアのエリート社会を代表する名家であるとともに、20世紀初頭に活躍した政治家でありジャーナリストでもあったLUIS DE MENEZES BRAGANZAを生んだ。
そのエキゾチックな景観から、このあたりは映画のロケにもしばしば使用されるという。訪れたときにもちょうど撮影が行なわれているところだった。大所帯の撮影チームの中にいた「メイクアップ・アーティスト」だという男によれば、スニル・シェッティー主演で今年12月公開予定の作品とのこと。
インドはおろか日本でも一般的に「映画撮影」の現場にどれほどの数の人々が関わるものなのか知らないが、野次馬や警備の人たちを除いても100人以上であったと思う。こんな大勢を指揮するのはさぞ大変なことだろう。雑用も含めたいろいろな人たちを仕切る専門のフィクサーがいるのだろうと想像している。「この人がいないと映画は出来上がらない」というような、一般には知られていない凄腕手配師や辣腕エージェントの存在があるのではないだろうか。
さてこの屋敷、「パレス」と呼びたくなるほど堂々としたものである。玄関口に出てきた使用人に見学したい旨伝えると、屋敷の主の夫人だという初老の女性が出てきて案内してくれた。豪壮な屋敷の中には、世界各国、主にポルトガルやイタリアの家具類、シャンデリアや中国(マカオ)の陶器の皿などの骨董品がたくさんあり、それ自体で博物館のようだ。駕籠や武器なども展示されている。広大な屋敷の中で公開されているのは1階(日本式に言えば2階)部分だ。
450年の歴史を持つ家とのことで、建物は幾度かの増築を繰り返してきたものだという。当主は現在17代目だとか。大きなホールや寝室も、有力なマハラジャの居室にさえ匹敵するスケールと豪華さだ。ベッドは足が長く床の高いコロニアルなものである。寝室のすぐ外にはチャペルもあった。往時は専属の神父がおり、ここで家族の日曜礼拝が行なわれのだそうだ。
しかし今となっては、この建物は維持費もかかるため、こうして公開しているわけだ。他家から嫁入りしてきた老婦人、この家が繁栄していたころには、よもや下々の人間に家を公開したり自らガイドのようなことをして報酬を受けたりするような日が来るなどとは夢にも思わなかっただろう。彼女の日課となっているこの作業だが、ふとしたことで没落したとはいえ名家としてのプライドとそれに相対する恥じらい等々、いろいろ想うところがあるのかもしれない。
