コールカーターで中華三昧 1 関帝廟参拝

 
中国寺院祭壇
 コルカタの警察署本部近くのNEW C.I.T. RD.にある「四邑會館」に入ってみた。このいかにも中国風の外観をした建物の上階は寺院になっている。世話人の初老の男は肌色や顔立ちからすると中印混血らしい。彼は参拝客の老人とともに中国語で書かれ寄付帳簿に目を落としており、二人は北京語ではない華語方言で話している。
 このあたりにいくつか中国寺院がある。かつてはチャイナタウンの様相を呈していた地域なのだそうだ。中印紛争が起きてから華人たちの多くは国外に移住した。出国するための資金を持たない者、置いていくにはあまりに大きな資産を持つ者はここに残ったのだと世話人の男は私に話した。
 彼によれば、現在コルカタの華人人口は5000〜6000人くらいだとか。中国との紛争と敵対関係が続く中、華人たちへの風当たりは強かったそうだ。
 近年、インドと中国の間の関係改善が着実に進んでいる。またおどろいたことに昨年夏、インドの海外旅行先の一番人気はなんと中国であったというから時代は変わったものだ。それでも「国の関係は修復しつつあっても、人の心はそう簡単に変わらないよ」と男は言う。
 この国で指定カースト、指定部族として行政からの保護優遇を受けるマイノリティは少なくない。インドにあって非常に小さな民族集団である華人たちだが、そうした社会のセーフティネット無しに世の中を渡らなくてはならない。それどころか『敵性外国人』として監視や差別の対象ですらあった。
 華人であるだけで就職できないのは仕方ない。もともと企業家精神旺盛な人たちなので、それならば商売に邁進する。すると様々なところから横ヤリが入り、結局金で解決しなくてはならない・・・というのが彼の言い分。
「結局インド人たちは『カネ、カネ』だから、仕方ないね」とのこと。これがインド人ならば「まったく政府ってやつは・・・」と言うところでも、微妙な立場にある彼らはすべてをひっくるめて「インド人ってのは」と辛口になるのかもしれない。
 
 カルカッタに来ている華人の出身はかなり広いようだ。広東、湖北その他沿岸地域からいろいろだが、とりわけ客家人が多いという。もちろん今の人々の多くはインド生まれのインド市民である。道路反対側に行ってみた。現在この地はムスリム地区になっており、モスクや食肉業者などが目に付く。時折中国系らしき住民の姿を見かける。


同郷會舘
同郷会館
 義興会館という建物があり、その隣は旅印湖北同郷会、そして會寧会館。
 旅印湖北同郷会の向かいにはKunga Hotelというチベット人の宿泊施設があった。ここでは華人とチベット人が共存しているのだろうか。生活習慣や日常に必要なものは似ており、双方とも故郷から離れており母国の政治動向には何の責任もないのだから当然かもしれない。いやそれ以上に北米などで中華街の付近にベトナム人コミュニティがあるように、異郷にあって必要とするものが似通っていたり共通するものがあるのだから近くに寄って暮らすのが合理的ともいえるだろう。
 さらに路地を進んだところにある南順會館には建国小学校と関帝廟が入っている。ここの世話人の華人老女は、中国語がほとんどできないとのこと。彼女の言う中国語とはマンダリンのことかもしれないが、漢字も読めないと言う。彼女の属するコミュニティの方言はできるのだろうかと思ったが特に尋ねてみなかった。
 関帝廟を参拝させてもらう。さきほどの寺でもそうだったが、内部の壁に貼られていたり彫られていたり、台帳に記載されている寄付金はすべて中国系の人によるもの。金額は「1000元」つまり1000ルピー単位だ。この華人地区は貧しいムスリムの居住区とも重なり、どこを見渡してもボロボロなのだがお寺の中だけはまばゆい金ピカ空間。ここだけはメンテナンスと金回りの良さが際立っている感じだ。
 それは華人たちが異国で頑なに自らの文化を守っているといえるが、裏を返せば同化したくてもさせてくれない社会が彼らを団結させているということもあるのかもしれない。
 しかし中にはインド人の異性と恋に落ち、インド人の大海の中に飛び込んで地元に同化した人たちもあったのかもしれないし、『国境を越えた悲恋』の例も決して少なくはないのではないかなどと下世話なことが頭に浮かぶ。
 でもよくよく考えてみれば、そもそも移民の第一世代はたいてい男ばかりなので、結婚相手は現地女性であったはず。コミュニティがそれなりに安定してくるまではごくあたりまえのことであったのかもしれない。それはそれで興味深いものがある。
 ところでこの界隈にある中国寺院の看板には「××TEMPLE」ではなく「××CHURCH」とある。そう表記することについては何か理由があるのだろうか。
 今は汚く貧しい地区になっているが、界隈を歩いてみればところどころに中国風の門構えが残っており、彼らの歴史を形に留めているかのようである。
南順會舘 
関帝廟 

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