朝6時過ぎに出る列車に乗る。今日は駅前のホテルなのでとても楽だ。列車はすでにプラットフォームに入っていた。
先日はクルナー始発でラージシャーヒーが終着駅のコポタッカ急行を利用したが、本日は同じ列車の逆方向行きを利用する。クルナーに戻るわけではなく、それよりも手前のジェソールで下車する。本当はバーングラーデーシュにもっと滞在したかったが、コールカーターで用事があるため、明日にはインドに戻らなくてはならない。
自分の車両がどのあたりかわからなかったので、誰かに尋ねようとすると、このあいだクルナーから来たときに車両の座席まで案内してくれた車掌がいた。向こうも覚えていてくれて、今日もコンパートメントまで案内してくれる。奇しくも昨日と同じコンパートメントであり、窓の外の塗装の剥がれ具合からしてまったく同じ場所であった。
駅入口から入って一番左手の5番線から出たが、隣の4番線には真新しいモダンな灰色の列車が停まっている。これはダッカ行きとのことである。窓が開かない造りになっており、エアコン付きである。こちらもインド製なのだろうか?
今日、同じコンパートメントに乗り合わせたのは、夫婦と4歳の男の子一人の家族連れである。ジェソールのひとつ手前の駅で降りるのだそうだ。鉄道沿線はどこも田園風景が広がっている。途中途中に集落や村、あるいは町が散在している。なかなか牧歌的でのどかな風景。冬でも緑と水と太陽に恵まれて、明るい景色が広がっている。池もあちこちにある。
特に美しいのはところどころに散在しているサルソーンの畑。まるで蛍光色のような黄色の花が咲いており、見ているとまばゆくて眠くなりそうだ。この時期インド亜大陸各地でこうした光景が広がっている。私にとって最も印象的であったのは、インドとパーキスターン国境に広がるそれである。両国の対立がまるで嘘のように、美しい光景が国境両側にシームレスにつながっていて、心奪われる眺めであった。
冬は旅行しやすいバーングラーデーシュだが、雨季には池や河の水位も上がり、今とは違った景色になっているはず。それはそれで瑞々しくて美しいのだろうが、洪水により交通があちこち遮断されたり、予期しないことがいろいろあったりするのだろう。
インドの西ベンガルからこの国に入ると、まだ同じ州内にいるかのような気がしてならないのだが、同時に国境を越えたインド側とは視覚的に明らかに違う部分を感じるのもまた事実である。それはデーヴァナーガリー文字の不在であり、ヒンドゥーよりもムスリムが圧倒的に多く、インドにあるような『サフラン勢力』の人々がいないことでもある。
また地域的な広がりがないため、ベンガル地方(およびチッタゴン丘陵地帯の人々)以外の人々を見かけない。パンジャービーらしき人たち、とりわけスィク教徒の姿を目にしていない(ダーカーにはグルドワラーはあるそうだが)し、南インド系の人たちを見かけることもない。そんなことから、何となく国の地理的な規模の小ささを感じたりするのである。
ジェソールに着いたのは昼過ぎ。宿泊先は800ターカー程度(570インドルピーくらい)のホテルだが、それとはあまりに不釣合いすぎる立派なバンケットホールがあり、結婚式が盛大に行われていた。複数のカメラマンに加えて、大型のビデオを回している者もいる。ちょっと話をしてみたが、ビデオ撮影を専業でやっている『プロ』なのだそうだ。

カテゴリー: travel
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お隣の国へ 5
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旅行向きのモバイルPCは?
従来型のモバイルパソコンといえば、出先での作業はもちろん、顧客に対するプレゼンテーション、職場に戻ってからの業務等々、様々なビジネスシーンでの用途が前提なので、当然機能性重視。一部の例外を除き、A4サイズが基本形であった。
もっと小型で、まともに文字入力操作ができるピッチのキーボードを搭載しているモデルといえば、10.1インチ画面、B5サイズのモデルとなり、選択の幅がとても狭くなる。価格も20万円前後と高価で、デルやゲートウェイなどといった通販系の会社で、デスクトップあるいは主に据え置きで利用するタイプのノート型パソコンを購入するならば、かなり高性能な機種が購入できる価格。まさに『高級機』といえるものである。
ご存知のとおり、そうした携帯パソコンの分野で異変が起きている。近ごろネットブックと呼ばれるタイプの5万円前後で購入できる安価なモバイルパソコンが次々に発売されるようになった。その名の示すとおり主にインターネットのブラウジングのために用いるものである。高速なCPUは必要ないし、HDD容量だってそんな大きくなくて構わないだろう。日常的に外に持ち出して使うことを前提に作られているため、非常に軽量かつコンパクトだ。
そうしたモデルのほとんどが横長の8.9インチ画面。タテはギュッと縮めてあるものの、横幅は10.1インチのものと同等で、キーボードはまともに入力できる幅を確保してある。視覚的にも横幅がこの程度あれば違和感なく操作できる。利用目的がインターネットの閲覧中心といった場合、自宅でのメインマシンとしての用途を兼ねて購入する人も多いと聞く。
以前はずっと高かったモバイル機器が安く、しかもこんなにコンパクトになってくると、旅行の際に持参したという考える人も少なくないだろう。旅先でそのパソコンからインターネットにアクセスせずとも、日記など記録用に使いたいという人は多いだろうし、ガイドブックには出ていないような各地の情報を参照できるよう保存したり、交通機関の時刻表をダウンロードしたりといった用途も考えられる。またハードディスクに好きな音楽を入れておき、滞在先の部屋で好きなときに聴きたい、出かけた先で購入したDVDやVCDなどを再生したいということもあるかもしれない。
特に写真が好きな人にとっては、撮影データのバックアップ用としても重宝するだろう。従前から、パソコンを持参せずとも画像保存のためのハードディスクタイプのツールを持参している人は多い。パソコンのハードディスクではなくCDかDVDに撮影データをバックアップしたい(こうした小型パソコンの場合、再生ドライブはたいてい外付けとなる)という場合には、いわゆるネットブックというジャンルから少し逸脱するが、工人舎のSXシリーズなどがいいのかもしれないが。
デル、ASUSやエプソンなど良さそうなものがいろいろ目に付く中で、ややアップマーケットな商品だが、ソニーからtype Pが販売されている。実勢価格9万円前後と、通常のネットブックの倍近くの価格帯ではあるが、キーボードピッチはしっかりと確保してあるのに、やたらとコンパクトでビックリする。わずか19.8ミリという薄さと588グラムというから驚きだ。かなり華奢なのではないかと想像していたが、実機に触れてみるとこれがどうして、なかなかしっかり感があっていい感じ。
ただし小型のモバイル機器として、従前から定評のあるパナソニックのレッツノートの中の最もコンパクトなRモデルのようにタフであることを売りにしているわけではないため、圧迫や衝撃といった外部からのショックの際の耐性はあまり期待できないのだろう。価格の差ということもあるかもしれないが、元々のコンセプトが違うので仕方ない。
ところで、ネットブックが5万円前後で購入できる時代に、2万円強という価格はどうなのかという疑問はあるが、折りたたむと文庫本サイズで、テキスト入力専用のワープロもある。KING JIMから昨年11月に発売されたポメラというのがそれだ。単4電池(世界中どこでも手に入りやすい単3電池でないことがネックだが)2本で20時間駆動、つまりACアダプタ不要で長時間使うことができる。しかも起動してからわずか2秒で入力可能という手軽さがウリである。
もっとも日本国内ならともかく、インドでいつでもどこでも好きなときに取り出してカタカタ打ち込む・・・という図はあまり考えられないので、結局宿の部屋で使うことを考えれば、メリットはどのネットブックよりもコンパクトなことと、価格が最も安いこと以外に見当たらないが、人それぞれこうしたモノを持つ理由や動機が違うので、いろいろ選択の余地が増えてくることはいいことに違いない。
ともあれいろいろと持ち物が増えると故障や盗難など、いろいろ気を使わなくてはならないこともまた増える。お互い気をつけることにしましょう。 -
お隣の国へ 4
駅前の宿に部屋を取って荷物を置き、すぐそばにあるバススタンドでプティアー行きのバスに乗る。バーングラーデーシュの人々は、とてもフレンドリーだ。
言葉は通じないとはいえ、ベンガル語とヒンディー語で共通する語彙、似通った語彙は少なくないためか、たとえこちらがベンガル語をまったく知らなくても、カタコト程度ならば意思疎通できる場合もあることがわかった。それにヒンディーをけっこう上手にしゃべる人もときどきいることも。
ラージシャーヒーの駅に着いたとき、ここを発つ際の列車の予約について窓口で問い合わせをしたとき、職員の男性はほとんど英語ができなかったが、ヒンディーはかなり流暢に話す人であった。なんでもインドで何年か生活していたことがあるとのこと。この国に滞在中、そういう人たちに幾人か出会った。
自分たちの母語と比較的近い関係の言葉であるという点以外にも、たとえそれが自国内で用いられるものではないとはいえ、これを外国語としておぼえてみようといった場合、なかなか良い環境にあることは間違いない。
それはインドと隣接しているという立地条件に加えて、隣国から来た人と話をする機会に恵まれなくても、ケーブルテレビに加入していればベンガル語の番組以外にもインドのさまざまなチャンネル、ドゥールダルシャンから数々の民間放送まで、ニュース番組にエンターテインメント、映画その他、日々いくらでもリアルタイムに触れることができるのだ。
そのためこの国では学校で学ぶことはなくとも、最も身近な『外国語』ということはできるかと思う。

40分少々でプティアーの町に着いた。そこからサイクルリクシャーで街道南側の小道を進むと、池を中心に四角く広がる古くて美しい町並みがある。かつてこの地域を治めていたヒンドゥー領主の豪壮な館やいくつもの大きな寺院があり、往時の繁栄をしのばせる。


しかしながら今では一部きれいに修復されている寺を除いてはかなり残念な状態にあるとはいえ、かなり凝った造りのものが多いのは、かつてのこの地域の文化程度の高さを示すのだろうか。

今でもこのあたりに住む人々の大半がヒンドゥーなのかといえば決してそんなことはないらしい。分離の際にヒンドゥーの富裕層やインテリたちが土地を離れてしまったことがこの地の衰退を招いたのだろうか。


分離は単に国が分かれただけではなく、多くの人々の移動を伴うものであったため、それにより社会の中でのコミュニティ間の力関係にも大きく作用するとともに、経済的にも文化的にも大きなインパクトがあったのではないかと想像できる。この土地について何かよく知っているわけではないので何とも言えないのだが、プティアーの成り立ちや変遷について調べてみると、単なる田舎町の民俗誌的なものよりもはるかにダイナミックでスケールの大きな物語が背景にありそうな気がする。
かなり有名な観光地でもあるため、ラージシャーヒーから遊びに来ている人たちの姿もあったが、ダッカから大きな自家用車で訪れている家族連れもいた。シヴァ寺院の扉を開けてもらい、巨大なシヴァリンガムを見物していたので私もそこに加わる。この家族はムスリムで、一家の主はザキール・フセインという、クラシック音楽の巨頭のような名前の人であった。
ラージシャーヒーの街に戻って夕食を済ませる。インドに比べてミドルクラスを構成する層が薄いことを反映してか、『ちょっと奮発して美味しいものを!』と思っても、こぎれいなレストランはなかなか見当たらず、結局簡素なダーバーで簡単に済ませることになるが、味は意外に悪くない。
そうした安食堂でもよくよく見ると、付近に住む家族連れらしき人々が多く食事をしているところがあり、そういう場所ではたいてい旨いものにありつくことができる。社会全体が次第に豊かになっていくにつれて、そうした食堂もまた格を上げて小洒落た店やちょっと高級な店へと成長していき、よりリッチな顧客層を獲得していくのかもしれない。
店を出ると、すぐ脇にラージシャーヒー・ミスティー・バーリーというベンガル菓子の専門店があった。市内各地に支店を持つ人気のチェーンらしい。店内に入っていくつか注文してみる。店内左側には席がしつらえてあり、そこでパクついていると同じように菓子を味わっている二組の若い夫婦連れが話しかけてきた。
『彼らは私の叔父夫婦です』というのだが、見た目はどちらの夫婦が若いのか判然としない。家族が多いと長兄の息子と末弟の年齢があまり変わらないというともよくあるし、場合によっては逆転することもしばしばあるのだろう。
インドもそうだが、ここもまたずいぶんおしゃべりでフレンドリーな人たちが多く、ベンガル語ができたらさぞ楽しかろうと思う。 -
お隣の国へ 3
朝6時前に宿を出る。大きな街の中心部に宿はあるだけあり、昼間は5階の部屋にいても外の音がうるさいくらいなのに、この時間帯の路上は文字通りまったくの無人だ。ヒタヒタと自分の足音が大通りに響く感じ。強盗でも出そうな雰囲気・・・といっては大げさかもしれないが、あまりに静か過ぎて少々不安。
ちょうど一台のサイクルリクシャーが通りかかったのでつかまえてラージシャーヒー駅まで行く。駅舎は植民地時代に建てられたもの。現在のクルナーはこの国有数の都市であるとはいえ、分離前のインドでは今ほどの重要度もなかったため、こじんまりした駅である。機関車や客車はインド製ということもあるが、当然車内の雰囲気も同じだ。インドの片田舎のローカル線といった趣である。ただひとつ違うのは、窓に鉄格子がないことである。
現在のバーングラーデーシュ国鉄のネットワークを見てもわかるとおり、本来コールカーターを基点としていた広軌の路線がこの国の西部を走り、旧アッサム・ベンガル鉄道会社によるチッタゴンを終着駅とする狭軌がカバーする東部とに大別できる。
独立後に建設された路線も多少あるにせよ、根幹となる部分は分離前のインドにおいて、周辺地域から一地方の東ベンガルと伸びていたインドの広大な鉄道網の支線の一部にすぎない。直通旅客列車はコールカーターとダーカーを週2回結ぶマイトリー急行のみとはいえ、路線の構成からして今でも『インド国鉄の一部』であるかのようだ。
国内にゲージ幅の違う路線が混在する点については、インドではずいぶん前から大幅に解消されているが、この国ではまだまだ解決までは時間がかかるようだ。ただし広軌の部分においては、デュアル・ゲージと呼ばれるものが導入されている。つまり広軌幅のゲージの間にもう一本のレールが敷設してあり、狭軌の車両も走ることができるようになっているのだ。
インドでは狭軌が次第に姿を消し、広軌化されるようになってきているが、この国ではそれとは反対の形を目指しているのかもしれない。首都ダーカーに近年になってから広軌路線が乗り入れるようになったとはいえ、バーングラーデーシュ国鉄本社が置かれているのは狭軌ネットワークのターミナスであるチッタゴンであることがそれを象徴しているかのようだ。

すでに列車はホームに入っている。新聞売りはいたが、私の知らないベンガル語のものしかないので、まだ誰もいない車内で手持ち無沙汰である。窓の外の人々の行き来を眺めていると6時半になった。どこかで鐘が鳴っているのは出発の合図だろうか。汽笛が響き、列車はゆっくりと走り出す。一等車内ではベンガル語による車内放送がある。伝統的な音楽に乗せて録音されたアナウンスが流れてきた。

一等車はインドのそれと同じく個室になっている。向かいの席には新婚カップルが座っており、奥さんの実家に出かけるところなのだという。窓の外はどこまでも水田風景が続いている。刈り取りが終わった田んぼもあれば、苗代もところどころにあり、田植えの風景も目にすることができる。2m前後の高さに盛り土した上を走っている。水分の間のあぜ道もしばしば高くしてある。

どこまで行っても石を見かけない。石が取れるような岩山や岩場もない。丘もまだ見ていない。たぶんチッタゴンあたりまで行かないと見ることができないのではないだろうか。石といえば、この国の北部に唯一の石切り場があるのだとか。あとはインドから輸入しているのだろう。
列車は午後一時過ぎにラージシャーヒー駅に着いた。古ぼけた駅舎を想像していたのだが、大きく立派なモダンな造りの新築の駅舎。ここが終着となっているプラットフォームもあれば、まだ北へと続く路線のためのものもある。 -
お隣の国へ 2
朝一番にリクシャーで鉄道駅に向かい、明日のラージシャーヒー行き急行列車を予約する。ちゃんとコンピュータで発券されていた。

宿に戻ってみると、路地挟んで向かいにあるシヴァ寺院ではバジャンの音が聞こえてきており、まだインドにいるような気分である。宿泊先の界隈はヒンドゥーが多いようで、神具を売る店がいくつも並んでいるとともに、その他の商店もそれとわかる名前が付いているものが多く目に付く。

ループシャー・ガートへと向かい、河を越えた対岸にあるバススタンドからバーゲールハート行きのバスに乗る。15世紀にカーン・ジャハーンにより建設された壮麗な遺跡群があり、中でもシャイト・ゴンバド・マスジッドは世界遺産登録されており、この国最大の見どころのひとつに数えられる。

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お隣の国へ 1
バーングラーデーシュに行ってみることにした。コールカーターの宿泊先のフリースクール・ストリートと交差するマルキス・ストリート沿いにいくつかの『国際バス』のオフィスがある。バスが出発するのもまさにそこであるので都合が良い。
前日にそうした事務所のいくつかを覗いてみて、出発時間を調べておいた。一部の例外を除いて朝方の便が多い。とりわけ日の出前の時間帯に集中しているようだ。始発のコールカーターからダッカまで12時間くらいかかるので、そのくらいに出ると都合が良いのだろう。
中にはチッタゴンやスィルヘートまで行くチケットを売っているところもあるようだが、おそらくダーカーで乗り換えることになるのだろう。決して広大ではないこの隣国を横断してトリプラー州のアガルタラーまで行くルートもあるようだ。
ちょっと疲れ気味で、朝あまり早く起きるのは辛かったので、楽な時間のものはないかと探すと、8時ごろ出るバスがあったのでそれを予約した。私の本日の目的地はバスの終着地の首都ダーカーではなくクルナーなので、国境で下車することになる。
利用するバス会社はシャーモーリー・パリバハン。事務所内に両替所もあり、レートはまずまずのようであったので、バーングラー・ターカーを入手。ちなみにターカーといえば、インドの西ベンガル州でも自国通貨のルピーのことを日常的に『ターカー』と呼ぶことは多いようだ。
インド出国後にわかったが、コールカーターのこのエリアでの隣国通貨ターカー購入の際のレートは、国境あるいはバーングラーデーシュ国内でのレート同様・・・というよりも、かえって若干有利なようである。
東の隣国からやってくる人が多いがゆえに、この界隈でバーングラー・ターカーの取引も行なわれているが、インド側の人々が通常必要とするような通貨ではないので、実勢よりも少々安く取引されていても不思議ではない。隣国ではインドと違い、私設両替商が少なく、銀行で両替するとかなり長いこと待たされるため、ここで必要と思われる金額をまとめて換えておくのがいいかと思う。 -
香港飯店
華人の影が非常に薄いインドにあって、その人口が集中しているのはご存知のとおりコールカーター。
その中でも彼らの姿が多く見られるエリアといえば、市の東部にある主に皮なめし産業と比較的規模の大きな中華料理店が多いことで知られるテーングラー地区、今はその名残をとどめるに過ぎないが往時はチャイナタウンとして栄えたラール・バーザール界隈、チッタランジャン・アヴェニューなどが挙げられるが、ニューマーケット界隈から消防署を経てパーク・ストリートへと走るフリー・スクール・ストリートもそうした華人たちがかなり多い場所のひとつである。
彼らが経営する男女入口が別々となっている理髪店兼美容室、堅牢そうな履物を多数そろえた靴屋の店先に中華系とおぼしき店主らしい人物の姿が見える。ここ数年来、私がコールカーターに来るたびによく通っている中華料理屋『香港飯店』もその界隈にある。英文では『Hong Kong Chinese Restaurant』と書かれたその店は、コールカーターで生まれ育った鐘さんという客家人兄弟が経営している。
地元ベンガル料理を含めて、インド各地のおいしい料理が味わえる、大都会コールカーターに来てまで中華料理?という気がしないでもないのだが、中華だってこの街の立派な名物料理のひとつといえる。豚肉がまず見当たらない、野菜をやたらと細く刻んである、やたらとグレービーであるなどといった具合に、インド化された部分はあるとはいえ、他の地域で食すインド中華に比べて格段に美味であることが多いと私は感じる。やはり餅屋は餅屋、中華料理は華人あってこそのご馳走だ。
立派な中華レストランが立ち並ぶテーングラーを含めて、市内各所で目に付いた華人経営らしきところで食事してみたが、鐘さんのこじんまりした食堂は高級店と比べても決して引けをとらない味をエコノミーな値段で実現している。特に魚料理がお勧めである。客席のすぐ脇の厨房から聞こえてくる調理の音も臨場感があっていい。
鐘さん兄弟の弟さんのほうとよく話をするだが、これまでこの方にはコールカーターの華人コミュニティや彼らゆかりの場所などについて、多くの貴重な情報や示唆をいただいていきた。
鐘さんの一日は、まず朝6時すぎにマーケットに行き、野菜・肉・魚等の食材を購入。8時すぎには店のドアが開き、フロアーを掃き清めている。同時に厨房では仕込みの作業等が始まっている。9時くらいになれば、もうほとんどスタンバイ状態だ。そして夜は10時すぎの閉店時間までずっと店を切り盛りしている。基本的に年中無休で、休みといえば旧暦の新年の際にほんの数日店を閉めるくらいだとか。
営業中、彼は出納台のところに詰めているとともに、込み合う時間帯や雇っている料理人が休みの日には自ら厨房にも立つ。『買い物、掃除、接客、調理、会計その他諸々、なんでもするよ』『10の仕事を10人で分け合うのが×××人だとすれば、私ら中国人はその全部を一人でこなすのさ。日本人と同じだろ?』という現在50歳の彼は、若い頃に親戚のツテで中国で学んだこともあるのだとか。
最近、コールカーターに投資や仕事関係で大陸からやってくる中国人もけっこうあるそうだ。そうした人たちがしばしば彼の食堂に立ち寄るとのことで、私もそうした人物の姿を見かけた。彼らとってインドで数少ない中国語が通じる店であることもさることながら、ここの料理の味自体もなかなか好評のようだ。
場所は、さきほどのフリー・スクール・ストリートをパークストリートとの交差点方面へと下り、消防署を左手に見て少し進んだところで道路右側にある。
バックパッカーたちをはじめとする各国からの旅行者たち向けの宿が集中するサダル・ストリートからすぐそばなので、このあたりに来ることがあれば、『おいしい中華料理』のために立ち寄ってみてはいかがだろう。 -
スンダルバンへ 5

朝5時半、スンダルバン・タイガー・キャンプのスタッフたちが敷地内を巡回して鳴らすハンドベルによる合図で目覚める。まだ頭の中が半分眠っている感じだ。テラスに出るとすでにチャーイとビスケットが用意されている。6時半にボートは出発。昨日よりも細いクリークを行くとのことである。トラはともかくして、水辺の小さな生き物の様子なども観察できるのかと期待したが、船は昨日のものと同じ。それなりの大きさがあるため細いクリークを往来することはできない。

ツアーに参加する前は、どこか島に上陸して散策することもできるのではなかろうかと思っていたが、それはできないことになっており、基本的に船に乗ったままで景色を眺めるだけである。

いや正確には幾度から上陸している。しかしそれができるのは金網で囲んで安全が確保された、遠くまで見渡せるウォッチタワーのある部分のみである。そうしたところでは足元はレンガを砕いた砂利で舗装され、公園のように整備されているエリアだ。
マングローブが生い茂る水際に足を踏み入れてズブズブと泥の中に沈む感覚を楽しんでみたり、それらの植物の根元に隠れているカニを探してみたり、広大なガンジスデルタでは一体どんな魚がいるのかと釣り糸を垂れてみたりということができるわけではない。もちろんトラの危険という点がひとつ、そして足元がどこまでも茂みでよく見えないこの地域には、さまざまな毒ヘビが棲んでおり危険であるということ、水の中にも海ヘビが数多く棲息しているということもあるのだろう。もちろんそれらに加えて国立公園としての規則その他いろいろあるのだろう。

しかしながらどこか一部、マングローブの森林の中を歩き回り、そこでの生き物たちのありかたを五感で知覚できるような場所がひとつくらい用意されていてもいいように思うのだ。せっかくスンダルバンに来ていながらも、あたかもそれを窓ガラス越しに眺めているような(もちろん船にそんなものは付いていないが)気分にさせられるのである。 -
スンダルバンへ 4

まだ外が暗いうちから敷地内各所からチリチリチリと音がする。ここでは起床時間、食事、クルーズへの出発等々の毎に、ハンドベルを手にしたスタッフたちが通路を歩き回って参加客たちに時間を知らせることになっている。
朝6時に紅茶とビスケットが出た。そして7時にボートでクリークへと向かう。クリークといっても想像していたほど細いところを行くのではなかった。昨日ここに来るときに幾つかのごく細いクリークを目にしていたので、てっきりそういうところを進むのかと思っていたが、私が乗っている船がそういうところを無理に遡行しようとすると、いとも簡単に座礁してしまうだろう。
船の中で朝食が出た。紅茶あるいはコーヒー、そしてサンドイッチとパコーラーである。朝方かなり冷え込んでおり、手のひらの中の温もりが心地よい。

しばらく進むと『タイガーポイント』という大きな看板が見えてきた。トラが多く生息している地域らしい。私たちは岸辺に残されたトラの足跡を見つけることができた。ガイドによれば、夜明け前にここから対岸に泳いで渡るために降りてきたものだという。6時間ごとに満潮と干潮と入れ替わるが、今はまだ干潮なので、その足跡が残っている。まだ私たちが寝ているときにトラがまさにここを歩いたのだ。

ガイドによれば、スンダルバンのトラは5キロも泳ぐことができるのだそうだ。もともとそんなに泳ぐ動物ではないが、スンダルバンという湿地帯に住むため、環境に適応したものだとか。 -
スンダルバンへ 3

このツアー最初の船による見物を終えて宿に戻る。宿泊先であるスンダルバン・タイガー・キャンプで、私が予約しているのは一番下のクラスの部屋だ。申し込んだのが直前であったためそこしか空きがなかったということもあるが、上のクラスはけっこうな値段になっているものもある。
一番安いクラスは『テント』と聞いていたので、軍の野営用のテントみたいなのがあるかと思ったら、それとはかなり違うものであった。必要に応じて移動したりできるようなものではなく、ちゃんとした「部屋」である。テントよりも上のクラスである『小屋』と違うところといえば、部屋の壁の素材が木ではなくて布であることと、部屋に収容できる人数くらいではなかろうか。テントも小屋もどちらも4人部屋となっている。そのためそれ以下の人数で申し込んだ場合、他の人とシェアすることになる。さらに上のクラスには、『コテージ』『ACコテージ』『エグゼキュティヴ・コテージ』とある。どれも2人宿泊を基本としている。

スンダルバンの観光シーズンは暑い時期ではないし、どのタイプの部屋に宿泊してもその他のサービス、つまり食事や夕方敷地内で催されるプログラムは共通だし、ボートによる観光も宿泊する部屋のタイプにかかわらず共通だ。
午後6時からは、スナックとショーの時間となる。私たちのテントの横にある広場で、チャーイ、コーヒーとともにパコーラーが提供される。薪をくべての焚き火の周りにツアー参加者たちが集まってくる。夕方になるとさすがにちょっと肌寒くなってくるので、こうした温もりがうれしい。

やがて本日のショーが開始される。この地域に伝わる村の踊りの披露とのこと。洗練されたものではない素朴なもので、特にどうということはなかったが、これを眺めながら隣合わせた人々と話をするのはけっこう楽しい。
プログラム終わったのは8時過ぎ。テントに戻ってしばらくすると、さきほど踊りがなされていたところから打楽器と歌が聞こえてくる。何か続きでもなされているのかと思い、アメリカ人新婚カップルと出向いてみると、ツアーに15人で参加しているベンガル人家族が踊っていた。この中にいる男性の一人が、プロ顔負けのノドで歌い、プラスチックの椅子を打楽器代わりにして指で打ち鳴らしている。一族の年嵩の男性たちは酒を飲みながら手を打ち鳴らし、女性や子供たちは楽しそうに踊っている。かなりくだけた家族みたいだ。
その様子を外から眺めていると、『こっちにいらっしゃい』と酒を勧められ、彼らと一緒に踊ることとなった。昔のアミターブバッチャンの映画『ドン』(近年シャールク・カーン主演でリメイクされた)の挿入歌が次から次へと出てくる。
先述のノド自慢男性がパーン・バナーラスワーラーを歌いだすと、盛り上がりは頂点に達する。若い男性が集まって騒いでいるなら迷惑なだけなのだが、15人の家族のうち男性は中年層がおよそ三分の一、嬉しそうに踊っているのは主に彼らの妻や子供たちなので、とてもほほえましかった。家族でいつもこうして愉しんでいるのかどうかは知らないが。笑いと歌声に満ちた楽しいひとときであった。

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スンダルバンへ 2

バスは午前11時にショーナーカーリーという町の波止場に着いた。ここから船に乗り換え、3時間半ほどかけてダヤープルという場所にあるこのツアーの宿泊施設へと向かう。船が出てからしばらくは、人々が居住している地域を通るので、水上の交通量は多く、河岸には土を大量に積んで築いた高い堤防が続いている。モンスーン期の高潮がどれほどのものか、また上流からの増水がどんなものか想像がつくようだ。その背後には家屋の屋根を垣間見ることができる。

しばらくこうした風景を眺めながら船は南下する。しばらくすると船の右岸側がトラ保護区である。ここでは人々が生活することは原則的に許可されておらず、開墾や開発といった行為もご法度である。ゆえに河岸の堤防などはなく、ただマングローブの森林が濃密に広がる岸辺が延々と続くようになる。反対側の岸辺には人々が暮らしているようで、ところどころ集落が見られ、堤防も築かれている。
スンダルバンの地図については、こちらをご参照いただきたい。観光客がツアーなどで見物するのはこの中で濃いグリーンで塗られている地域に限られるようだ。さらに南部のほうには、スンダルバンの大自然のコア・ゾーンとしての広大なエリアがあるのだが、そちらは観光目的での入域も禁止されており、動植物のパラダイスとなっている。

水面からの照り返しをうけて目をシパシパさせているうちに、いつしか眠りに落ちてしまう。周囲がザワザワしているので目が覚めると、船はこの行程中の宿泊先であり、ツアー主催者でもあるスンダルバン・タイガー・キャンプがあるダヤープルの波止場に舳先を付けようとしているところだった。
スンダルバン・タイガー・キャンプにチェックインしたのは午後2時半。ここですぐに昼食である。ビュッフェ式ですべてインド料理。敷地内のレストランで、皆それぞれ思い思いの場所に腰かけて食事。

そして午後三時半からは同じ船でサジネカーリーというところの博物館とクロコダイルポンドを見物。ウォッチタワーもあり、ここから鹿を見たという人もいたが、私は何も見ることができなかった。ウォッチタワーから放射状に長く森林が取り払ってある部分がある。動物がちょうどそこを通過する際には、それを観光客が見ることができるという具合だ。ワニは水に潜っていて、見ることはできなかった。

帰りは波止場が物凄い混雑になっていた。スンダルバンのこのエリア、つまりツアー客だけが許可を得て入域できる地域には、州政府観光公社(WTDC)のものをはじめとして、今回私が利用しているスンダルバン・タイガー・キャンプのような民間宿泊施設がいくつかある。それらのすべてがこうしたツアーを組んでおり、どこも似たようなスケジュールを組んでいるためこういうことになるらしい。しかしながら自前の足で移動して見物できるところではないので、こればかりはいたしかたない。客層があまり良くない感じの船も見かけたので、ツアー料金がかなり安いところもあるのだと思う。
ツアーガイドは、スンダルバン・タイガー・キャンプの職員ではなく、森林局に所属しているとのこと。彼らはガイドで生計を立てているというから、そういう専門職なのかもしれないし、臨時職員という立場あるいはフリーランスで、森林局に登録しているという形態なのかもしれないが、そこのところはよくわからない。 -
スンダルバンへ 1

スンダルバン国立公園を見物するツアーに参加してみた。コールカーター市内のプリヤー・シネマ前から朝8時集合である。スンダルバンは世界最大のマングローブのジャングルだが、インド側に三分の一、バングラーデーシュ側に全体の三分の二という形に分け合っており、どちらも世界遺産に登録されている。また野生のトラがもっとも多数残されているエリアであるとも言われる。2004年のセンサスによれば、スンダルバンのトラ保護区に棲息しているトラは245匹であったのだとか。
極端な低地に広がる地味豊かな土地である。スンダルバンという地名の由来であるとされるスンダリーという木以外にも、各種さまざまなマングローブの木で覆われているこの湿地では、シカ、ワイルドボアー、サルなどといった哺乳類に加えて、ワニ、大型のトカゲ類、各種ヘビ、海ガメ等の爬虫類、大型の鳥類から小さくて可愛いキングフィッシャーまで色々な鳥類、そして魚や甲殻類の宝庫でもあるとされる。
この地域の農業や漁業による産物以外に盛んな産業として、野生の蜂の巣から採取したハチミツが挙げられる。ときにメディア等により写真入りで伝えられるとおり、リスクを覚悟で後頭部に人の顔の形のお面を被った(通常、トラは背後から襲うとされる)人々が森の奥に分け入って採集するのだ。
他の景勝地や遺跡などと違い、地元での足がないとどうにもならないので、ツアーに参加することにした。参加費用には、コールカーターから宿泊先までのバスとボート、滞在中の観光行程中のボートによる移動手段、食事と部屋代、宿泊先で夕方に催される舞踊や演劇といったショーの類の料金等が含まれている。
私が利用したツアーは、国立公園内に立地する宿泊施設の主催によるもので、一泊二日のものと二泊三日のものとがある。前者ではあまりに短すぎるので、後者に参加することにした。料金は、ツアーの期間がどちらかによって違うのはもちろんのこと、利用する部屋のタイプによってもかなり大きな開きがある。
スンダルバンツアーに参加しても、ベンガル・タイガーを実際に目にする機会はあまりないという。また平地に暮らす人たちが普段目にしない雪山や清流を目にするような旅行ではない。観光地としてはどちらかといえばかなり地味なものだと思う。
出発場所には、主催者であるスンダルバン・タイガー・キャンプという宿泊施設の専用バスに加えて、おそらくチャーターした大型バスも停まっていた。果たして今日のツアーに何人参加するのかと尋ねてみると、しかも総勢54人という大人数であることがわかった。スンダルバンを訪れる観光客の大半は11月から2月にかけてやってくるという。今はちょうどピークの時期である。
参加者の大半が西洋人をはじめとする外国人ではないかと予想していたのだが、意外にもツアーバスの中で出会った人々のほとんどがインド人であった。しかも地元西ベンガル在住ないしは他地域に暮らしていても出身がベンガルである人々が大半。加えてデリーやUPから来た人たちが少々といった具合だ。また海外在住のインド人たちの姿もけっこうあった。アメリカで夫婦ともに大学で教鞭を取っているという中年カップル、アメリカ人と結婚して同国に暮らすインド人女性等々。
インドに暮らしている人たちにしても、海外から一時帰国している人たちにしても、たいていが家族連れで参加しており、単身での参加者はいない。いずれにしても、知性も経済力も高そうな人たちが多い。バスの中での会話のほとんどは英語であったが、カルカッタ在住だが、ちょっと庶民的な雰囲気でやたらと人なつっこい大家族(総勢15名!)だけは、あまり英語ができないようで、主にベンガル語で周囲とにぎやかに会話していた。
いずれにしても、バスの座席に座る人たちは、周囲の座席の人々とよく会話しているし、トイレその他のためにバスがしばらく停車すると、車外に出て他の乗客たちといろいろ声を交わしている。今日から三日間ともに過ごす相手が何者なのか、アンテナを大きく張り出させて互いに探り合っている感じだ。
他の外国人の参加者は、カルカッタでの友人の結婚式に参列するついでに来てみたというアメリカ人の三人連れ、そして同じくアメリカから来た新婚カップルの計5人であった。どちらもニューヨーク在住だそうだ。
