
このツアー最初の船による見物を終えて宿に戻る。宿泊先であるスンダルバン・タイガー・キャンプで、私が予約しているのは一番下のクラスの部屋だ。申し込んだのが直前であったためそこしか空きがなかったということもあるが、上のクラスはけっこうな値段になっているものもある。
一番安いクラスは『テント』と聞いていたので、軍の野営用のテントみたいなのがあるかと思ったら、それとはかなり違うものであった。必要に応じて移動したりできるようなものではなく、ちゃんとした「部屋」である。テントよりも上のクラスである『小屋』と違うところといえば、部屋の壁の素材が木ではなくて布であることと、部屋に収容できる人数くらいではなかろうか。テントも小屋もどちらも4人部屋となっている。そのためそれ以下の人数で申し込んだ場合、他の人とシェアすることになる。さらに上のクラスには、『コテージ』『ACコテージ』『エグゼキュティヴ・コテージ』とある。どれも2人宿泊を基本としている。

スンダルバンの観光シーズンは暑い時期ではないし、どのタイプの部屋に宿泊してもその他のサービス、つまり食事や夕方敷地内で催されるプログラムは共通だし、ボートによる観光も宿泊する部屋のタイプにかかわらず共通だ。
午後6時からは、スナックとショーの時間となる。私たちのテントの横にある広場で、チャーイ、コーヒーとともにパコーラーが提供される。薪をくべての焚き火の周りにツアー参加者たちが集まってくる。夕方になるとさすがにちょっと肌寒くなってくるので、こうした温もりがうれしい。

やがて本日のショーが開始される。この地域に伝わる村の踊りの披露とのこと。洗練されたものではない素朴なもので、特にどうということはなかったが、これを眺めながら隣合わせた人々と話をするのはけっこう楽しい。
プログラム終わったのは8時過ぎ。テントに戻ってしばらくすると、さきほど踊りがなされていたところから打楽器と歌が聞こえてくる。何か続きでもなされているのかと思い、アメリカ人新婚カップルと出向いてみると、ツアーに15人で参加しているベンガル人家族が踊っていた。この中にいる男性の一人が、プロ顔負けのノドで歌い、プラスチックの椅子を打楽器代わりにして指で打ち鳴らしている。一族の年嵩の男性たちは酒を飲みながら手を打ち鳴らし、女性や子供たちは楽しそうに踊っている。かなりくだけた家族みたいだ。
その様子を外から眺めていると、『こっちにいらっしゃい』と酒を勧められ、彼らと一緒に踊ることとなった。昔のアミターブバッチャンの映画『ドン』(近年シャールク・カーン主演でリメイクされた)の挿入歌が次から次へと出てくる。
先述のノド自慢男性がパーン・バナーラスワーラーを歌いだすと、盛り上がりは頂点に達する。若い男性が集まって騒いでいるなら迷惑なだけなのだが、15人の家族のうち男性は中年層がおよそ三分の一、嬉しそうに踊っているのは主に彼らの妻や子供たちなので、とてもほほえましかった。家族でいつもこうして愉しんでいるのかどうかは知らないが。笑いと歌声に満ちた楽しいひとときであった。

カテゴリー: travel
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スンダルバンへ 3
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スンダルバンへ 2

バスは午前11時にショーナーカーリーという町の波止場に着いた。ここから船に乗り換え、3時間半ほどかけてダヤープルという場所にあるこのツアーの宿泊施設へと向かう。船が出てからしばらくは、人々が居住している地域を通るので、水上の交通量は多く、河岸には土を大量に積んで築いた高い堤防が続いている。モンスーン期の高潮がどれほどのものか、また上流からの増水がどんなものか想像がつくようだ。その背後には家屋の屋根を垣間見ることができる。

しばらくこうした風景を眺めながら船は南下する。しばらくすると船の右岸側がトラ保護区である。ここでは人々が生活することは原則的に許可されておらず、開墾や開発といった行為もご法度である。ゆえに河岸の堤防などはなく、ただマングローブの森林が濃密に広がる岸辺が延々と続くようになる。反対側の岸辺には人々が暮らしているようで、ところどころ集落が見られ、堤防も築かれている。
スンダルバンの地図については、こちらをご参照いただきたい。観光客がツアーなどで見物するのはこの中で濃いグリーンで塗られている地域に限られるようだ。さらに南部のほうには、スンダルバンの大自然のコア・ゾーンとしての広大なエリアがあるのだが、そちらは観光目的での入域も禁止されており、動植物のパラダイスとなっている。

水面からの照り返しをうけて目をシパシパさせているうちに、いつしか眠りに落ちてしまう。周囲がザワザワしているので目が覚めると、船はこの行程中の宿泊先であり、ツアー主催者でもあるスンダルバン・タイガー・キャンプがあるダヤープルの波止場に舳先を付けようとしているところだった。
スンダルバン・タイガー・キャンプにチェックインしたのは午後2時半。ここですぐに昼食である。ビュッフェ式ですべてインド料理。敷地内のレストランで、皆それぞれ思い思いの場所に腰かけて食事。

そして午後三時半からは同じ船でサジネカーリーというところの博物館とクロコダイルポンドを見物。ウォッチタワーもあり、ここから鹿を見たという人もいたが、私は何も見ることができなかった。ウォッチタワーから放射状に長く森林が取り払ってある部分がある。動物がちょうどそこを通過する際には、それを観光客が見ることができるという具合だ。ワニは水に潜っていて、見ることはできなかった。

帰りは波止場が物凄い混雑になっていた。スンダルバンのこのエリア、つまりツアー客だけが許可を得て入域できる地域には、州政府観光公社(WTDC)のものをはじめとして、今回私が利用しているスンダルバン・タイガー・キャンプのような民間宿泊施設がいくつかある。それらのすべてがこうしたツアーを組んでおり、どこも似たようなスケジュールを組んでいるためこういうことになるらしい。しかしながら自前の足で移動して見物できるところではないので、こればかりはいたしかたない。客層があまり良くない感じの船も見かけたので、ツアー料金がかなり安いところもあるのだと思う。
ツアーガイドは、スンダルバン・タイガー・キャンプの職員ではなく、森林局に所属しているとのこと。彼らはガイドで生計を立てているというから、そういう専門職なのかもしれないし、臨時職員という立場あるいはフリーランスで、森林局に登録しているという形態なのかもしれないが、そこのところはよくわからない。 -
スンダルバンへ 1

スンダルバン国立公園を見物するツアーに参加してみた。コールカーター市内のプリヤー・シネマ前から朝8時集合である。スンダルバンは世界最大のマングローブのジャングルだが、インド側に三分の一、バングラーデーシュ側に全体の三分の二という形に分け合っており、どちらも世界遺産に登録されている。また野生のトラがもっとも多数残されているエリアであるとも言われる。2004年のセンサスによれば、スンダルバンのトラ保護区に棲息しているトラは245匹であったのだとか。
極端な低地に広がる地味豊かな土地である。スンダルバンという地名の由来であるとされるスンダリーという木以外にも、各種さまざまなマングローブの木で覆われているこの湿地では、シカ、ワイルドボアー、サルなどといった哺乳類に加えて、ワニ、大型のトカゲ類、各種ヘビ、海ガメ等の爬虫類、大型の鳥類から小さくて可愛いキングフィッシャーまで色々な鳥類、そして魚や甲殻類の宝庫でもあるとされる。
この地域の農業や漁業による産物以外に盛んな産業として、野生の蜂の巣から採取したハチミツが挙げられる。ときにメディア等により写真入りで伝えられるとおり、リスクを覚悟で後頭部に人の顔の形のお面を被った(通常、トラは背後から襲うとされる)人々が森の奥に分け入って採集するのだ。
他の景勝地や遺跡などと違い、地元での足がないとどうにもならないので、ツアーに参加することにした。参加費用には、コールカーターから宿泊先までのバスとボート、滞在中の観光行程中のボートによる移動手段、食事と部屋代、宿泊先で夕方に催される舞踊や演劇といったショーの類の料金等が含まれている。
私が利用したツアーは、国立公園内に立地する宿泊施設の主催によるもので、一泊二日のものと二泊三日のものとがある。前者ではあまりに短すぎるので、後者に参加することにした。料金は、ツアーの期間がどちらかによって違うのはもちろんのこと、利用する部屋のタイプによってもかなり大きな開きがある。
スンダルバンツアーに参加しても、ベンガル・タイガーを実際に目にする機会はあまりないという。また平地に暮らす人たちが普段目にしない雪山や清流を目にするような旅行ではない。観光地としてはどちらかといえばかなり地味なものだと思う。
出発場所には、主催者であるスンダルバン・タイガー・キャンプという宿泊施設の専用バスに加えて、おそらくチャーターした大型バスも停まっていた。果たして今日のツアーに何人参加するのかと尋ねてみると、しかも総勢54人という大人数であることがわかった。スンダルバンを訪れる観光客の大半は11月から2月にかけてやってくるという。今はちょうどピークの時期である。
参加者の大半が西洋人をはじめとする外国人ではないかと予想していたのだが、意外にもツアーバスの中で出会った人々のほとんどがインド人であった。しかも地元西ベンガル在住ないしは他地域に暮らしていても出身がベンガルである人々が大半。加えてデリーやUPから来た人たちが少々といった具合だ。また海外在住のインド人たちの姿もけっこうあった。アメリカで夫婦ともに大学で教鞭を取っているという中年カップル、アメリカ人と結婚して同国に暮らすインド人女性等々。
インドに暮らしている人たちにしても、海外から一時帰国している人たちにしても、たいていが家族連れで参加しており、単身での参加者はいない。いずれにしても、知性も経済力も高そうな人たちが多い。バスの中での会話のほとんどは英語であったが、カルカッタ在住だが、ちょっと庶民的な雰囲気でやたらと人なつっこい大家族(総勢15名!)だけは、あまり英語ができないようで、主にベンガル語で周囲とにぎやかに会話していた。
いずれにしても、バスの座席に座る人たちは、周囲の座席の人々とよく会話しているし、トイレその他のためにバスがしばらく停車すると、車外に出て他の乗客たちといろいろ声を交わしている。今日から三日間ともに過ごす相手が何者なのか、アンテナを大きく張り出させて互いに探り合っている感じだ。
他の外国人の参加者は、カルカッタでの友人の結婚式に参列するついでに来てみたというアメリカ人の三人連れ、そして同じくアメリカから来た新婚カップルの計5人であった。どちらもニューヨーク在住だそうだ。 -
ハウラーの鉄道博物館
コールカーターのハウラー駅の隣にある鉄道博物館のゲートに着いたのは1時15分前。午前中は開いておらず、開館時間は奇妙なことに午後1時から。ゲート外でしばらく待つことになる。インド国鉄の東部のネットワークを管轄するイースタン・レイルウェイの手による博物館である
2006年4月にオープンしたばかりだけあって鉄道博物館は美しく整備されていた。よって展示物もキレイで気持ちが良い。じっくり見物しても1時間とかからないこじんまりした規模だが、鉄道の運行や駅での作業等にかかわる展示、ハウラー駅のミニチュアの中にはインド東部の鉄道網の起点である同駅ならびにスィヤールダー駅の歴史、英領時代の貴重な機関車や車両などの展示がある。


こうした鉄道関係の展示施設は各地にいくつかあるようだが、やはりデリーのブータン大使館横にあるNational Rail Museumは格段に規模が大きく、展示物の質・量ともにこことは比較にならない。今回取り上げてみたハウラー駅隣のものは前述のイースタン・レイルウェイによるインド東部地域の鉄道に関する紹介のみのこじんまりとした鉄道博物館だ。
しかしながら、マネキンを使い列車の運行や施設保守に関わるさまざまな作業員たちにもスポットを当て、彼らの仕事ぶりを紹介するなど、列車を走らせるために働く人々の役目を理解してもらうことにも力点を置いていることが特徴だろうか。既存の他のこうした施設よりも後発である分、展示物の企画そのものやお客への見せ方について熟慮されているようで好感が持てる。


展示物の中で特に興味深かったのは、鉄道初期の牛で引く『列車』(もっとも日本の鉄道初期には、人力により客車を引っ張るローカル線も一部あったようだが・・・)の画像、そして旧東パーキスターンの蒸気機関車であった。躯体両脇にはイーストパーキスターンレイルウェイと英語とウルドゥー語で書いてあるが、表記がベンガル語でないところがミソである。独立戦争の最中にちょうどインドに来てそのままになっていた車両がそのままインドで保管されることになったものだという。



中がレストラン(・・・というよりキャンティーンか?)に改造してある客車がある。また敷地内はきれいな芝生になっており、ベンチがあちこちに置かれていてのんびりできる。駅に早く着いてしまい、乗車するまで時間があったり、乗り継ぎでしばらく時間を潰す必要があるときなど、ハウラー駅正面出入口を出てすぐ右側にあるので、ちょっと足を伸ばしてみてはどうだろうか?
以下、参考までに他サイトによるこの博物館の写真入りの簡単な紹介である。
Eastern Railways
knowindia.net -
黄金のベンガルに白亜のタージ
野次馬根性が大いにかきたてられるニュースだ。ぜひ訪れてみたいと思う私である。偽モノ、贋作、B級品が大好きな私には耳寄りのニュースなのである。
BBC NEWS South Asiaにて、バングラーデーシュでこのほどほぼ完成したタージ・マハルの原寸大とされるレプリカのことが取り上げられていた。
Bangladesh to open own Taj Mahal (BBC NEWS South Asia)
17世紀に建設されたムガル建築の至宝、タージ・マハルがダッカ近郊にオープン!するのだとか。イタリアから輸入した大理石と花崗岩、ベルギーから取り寄せたダイヤモンドも使用し、5年間の歳月と費用5800万ドルをかけたというそのレプリカは、バングラーデーシュ首都ダッカからクルマで1時間ほどのところにあるショナルガオンにて、ほどなく完成の時を迎えようとしている。
ここは旧領主の豪壮な館など見どころの多い観光地だが、さらにもうひとつの『名所』が加わることになり、まもなく国内外の旅行案内などにも掲載されるようになるのだろう。工事の施主は同国の映画製作者であるというから、作品の撮影にも頻繁に利用されるようになるのだろうか。
レプリカの廟の全景の写真は、以下の記事に掲載されているのでご覧いただきたい。
A New Taj Mahal in Bangladesh (rongila.com)
自国の観光シンボルマーク的な建築物のそっくりさんが出現したことついて、在ダッカのインド高等弁務官事務所(大使館に相当)はご機嫌斜めのようだ。『コピーライトの関係で問題ないか調査する』とのこと。
A replica of the landmark Taj Mahal (YAHOO! NEWS)
India fumes at duplicate Bangladeshi Taj Mahal (Hindustan Times)
『コピーライト』を理由にクレームをつけることが可能なのかどうかはさておき、歴史や文化など共有するものが多い南アジアの御三家。その真ん中に位置し、偉大なる遺産の相当な部分を継承した貫禄ある長兄として、大目にみて欲しいものだ。いかに似せてみたところでレプリカはレプリカに過ぎない。歴史的な価値という点からは比較のしようもないのだから。
一野次馬としては、全体のプラン、庭園、建物の外装・内装等々、どれほどリアルに再現してあるものなのか、その出来具合には大いに興味を引かれるところだ。最近インド各地で新築ながらも『ヘリテージ風』の建物のホテルなどがある。これらがなかなか立派に造ってあることを鑑みれば、本物同様の細微な象嵌細工は期待せずとも、遠目にはまずまずのレプリカは可能なのではなのかもしれないが、いかんせん実物大というところに期待して良いものなのか、果たしてそうではないのか?
だが仕上がり具合以上に気にかかるのは、5800万ドルもの大金をかけてこうしたものを造ったアサヌッラー・モーニー氏の目的や動機とその資金の出所である。記事にあるがごとく単に『実物を見る機会のない人たちのため』にこれほどまでのものを用意するものだろうか、気前よくポンとお金を出すスポンサーがいるものなのか。じきにレプリカ建築の背景に関する詳報がどこかから出てくるのを待つことにする。
なお先述のBBCは同記事中で、ここを訪れた人、近々訪問する人に対して写真またはビデオの投稿を呼びかけている。現在バングラーデーシュにお住まいの方、これから同国に出かける予定のある方は、首都ダッカからちょっと足を伸ばしてみてはいかがだろう? -
アルナーチャル・プラデーシュが近くなる?
インドの通称セブン・シスターズこと北東七州。アッサム、メガーラヤ、トリプラー、ナガランド、マニプル、ミゾラム、アルナーチャル・プラデーシュのうち、最初に挙げた3州については、一部治安に問題がある地域も含まれるとはいえ、問題なく訪問できるが、他の4州については入域するために事前に所定の手続きを踏んだうえで内務省による制限地域入域許可(RAP)を取得する必要があるうえ、州毎に条件等はいろいろあるとはいえ、概ね『4人以上のグループ』という条件があったりもするので、私にはなかなか訪れる機会がなかった。
中央政府・州政府レベルで、かたや北東州の観光の魅力をアピールする姿勢を見せつつも、他方では入域にかかる制限は続いてきた4つの州について、中には規則を緩和するところも出てきているようだ。ミゾラム・ツーリズムのサイトを覗いてみると、それ以外の人数でも申請できそうな具合に書かれている。州によっては、4人分の料金を旅行代理店に支払えば訪問可能という話も耳にしたことがある。
最近アルナーチャル・ツーリズムを見てみたところ、現在では『2人以上』というところまできているようだ。この件について、同州内のいくつかの旅行代理店に問い合わせしてみた。単身訪れるつもりであっても、同時期に訪れる他の旅行者たちの分とまとめて申請するので問題ないとのこと。許可取得の費用は50ドルとか。
ただしもともとそういうルールになっているのか、それとも代理店たちにとってオイシイ部分は許可取得代行ではなく、それを取得したお客に利用させるグループツアーであるがゆえなのかわからない。私がコンタクトしたいくつかの代理店はどれも『ツアーに参加するか、私どもが斡旋するガイドを雇うか、どちらかが必須です』と言う。
入域に制限がある理由は、アルナーチャルの場合は他州と少々違うようだ。州内にこれといった政情不安を抱えているわけではないのだが、隣接する中国との係争地帯であることが大きいようだ。中国は、アルナーチャル・プラデーシュ州大半の地域ついて『自国領である』と主張している。この州はまた中国南部に大きく食い込んでいることから、軍事面での要衝であることはいうまでもない。同州はブータン、ミャンマーとも国境を接している。
『本土』から眺めると、そうした地理条件に加えてこれを取り囲む自国の州がどれも内政的に安定しているとは言いがたいこともあり、なかなか無条件での旅行客受け入れには動きにくいのかもしれない。それでも5年、10年といった長いスパンで眺めれば、この地域への入域に関する制限は確実に緩和の方向に進んでいる。
だが東北7州の中でも特に民族構成がバラエティに富んでいるのがこのアルナーチャルであるそうだ。26の民族、65の部族が暮らすというこの州は、まさにインドの多様性を写し出す鏡のひとつともいえるかもしれない。西には3000メートル超の高地が控えるチベット世界、東の丘陵地にはミャンマー、タイから中国雲南省にかけて分布するカチン系民族を含む東南アジア世界、その中央部のブラフマプトラ河流域にはアッサムへと連なるインド世界が展開している。ちょうどチベット、東南アジア、南アジアの境目に位置しているわけで、実に興味深い土地であることは間違いない。
個人的には北東7州最大の目玉に違いないと思うのがこのアルナーチャル・プラデーシュ。主たる見どころといえばやはりチベット文化、チベット仏教寺院ということになることだろう。その中でもハイライトといえばタワンの僧院だが、まさにその『公式ウェブサイト』なるものがある。
僧院の簡単な紹介、近隣地域に散在する分院に関する情報、フォトギャラリー等々あっていいのだが、『ツアー・オペレーター』のアイコンをクリックしてパカッと開くのはデリーのエージェント。何か提携関係にでもあるのだろうか。
外国人の北東地域への入域については、90年代以降は時間の経過とともに地域差はあれども着実に緩和へと向かっているようだ。この動きを逆流させるような出来事が起きることなく、このまま今後も続いていくことを願いたい。すぐにそこを訪れる予定はないのだが、これまで実際の距離以上に『遠いところ』だったアルナーチャル・プラデーシュが少しずつ近くなってくるのは嬉しい限りである。 -
ウランバートル 昼下がりのお寺で 2

ガンダン寺院の本堂で、高さ25メートルの巨大な観音像に参拝する。これは1930年代終わりに当時の極左当局により破壊されたものを1996年に復元したものだという。この寺院内の他のお堂も拝見したが、堂内の造作や色合い、僧侶たちの衣もさることながら、中に立ち込める匂いまでもがチベットのそれによく似ている。境内には仏具店も併設されている。ちょっと覗いてみると、タンカやタルチョといったチベット圏でおなじみのアイテムが多数陳列されていた。
本堂を出入りする参拝客の老若男女の様子を眺めていると、やはり宗教施設ということもあってか、街中ではさほど見かけない伝統衣装デールを身に着けている人の割合が高いようだ。またここは晴の舞台でもあるらしい。やたらとめかし込んだ洋装の新婚カップルがここを詣でている。大きな業務用のビデオカメラ、スチルカメラ等を担いだ撮影チームに取り囲まれた彼らが本堂での参拝を終えて出てきたところをつかまえて、こちらも一枚撮らせてもらう。

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ウランバートル 昼下がりのお寺で 1
寺院の無数のマニ車を参拝客たちがカタカタと回していく。私もそれに倣ってお堂を時計方向に巡りながらそうしてみると、凍てついた空気の中でこれまたひんやりした手触りの中にも人々の想いのいくばくかの温もりが残っているような気がする。石灰で白く化粧が施されたチョルテンが昼下がりの陽射しを浴びてまばゆく照り返している。境内に腰を下ろして眺めていると、チベットやラダックを思い浮かべてしまうが、ここはそのどちらでもない。インドに散在するチベット人居住区でもない。

最近、モンゴルのウランバートルを訪れたのだが、観光で来たわけではないので連日忙しく、プライベートな時間は一切なかった。だが帰国する日、飛行場に向かう前に少し時間が取れたので、ガンダン・テグチンレン寺院等を見物することができた。

この寺は、もともと1835年に建立されたものである。スターリンに強く感化された時期に起きた多数の寺院の破壊や僧侶の拘束・処刑といった行為による被害を免れたものの、一時期は閉鎖されていた時期があり、再開後も大衆を相手とする布教等の宗教活動や信者たちによる礼拝行為などが禁じられていた。
こうした背景もあってのことだろう。おそらく共産化以前のウランバートル市内には各所に大小無数のお寺や祠があったのではないかと思うのだが、今でも残るいくつかの由緒あるものを除けば、仏教施設はほとんど見当たらないため、宗教的な要素を感じさせるものがほとんど見当たらない。
加えて食べ物や住居のありかたなど、旧共産圏の影響が色濃く、『ロシア・東欧化』されているため、私たちと同じ東アジア人であっても、かなり欧州の近い街という印象を受ける。どちらかというと素っ気ないたたずまいの中にも独自の趣と威圧感があるソヴィエト風の政府機関等の多数の建築群は見事だ。
かつて英領インドの首都であった権威主義的な英領時代の建物と同じく、たとえその近隣にもっと背の高い近代的なビルができたとしても、色褪せることのない存在感と重厚さを持ち合わせているようだ。

社会主義時代に建設された碁盤の目のような整然とした街並みは美しく、現在モンゴル語の表記に使われているのがキリル文字ことも合わせて、ともすれば極東アジアにいることを忘れてしまいそうになったりもするのだが、そうした風景に仏教的なものを感じることはない。


ガンダン寺は規模が大きく歴史的にも重要な寺院であるため良い状態に補修されているようだ。しかしウランバートル市内に現存する数少ない寺院建築の傑作と思われる優美なチョイジンラマ寺院については、残念なことに時間がなくて外観しか眺めていないのだが、かなり荒廃した印象を受ける。またここは主にモンゴル仏教に関する現在博物館となっており、寺院としての機能は失われている。

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極小にして秀逸な辞書

使うことはほとんどないけれども、手元にひとつあったらいい。可能な限り小さくて、それでいて充分実用に耐えるものがいい。英和と和英合冊の辞書で何か良いものはないものか?としばしば思っていた。通常、小型辞書といえば、三省堂のコンサイス英和・和英辞典、旺文社のハンディ英和・和英辞典といった、掌くらいの丈の細長いものが頭に浮かぶだろう。それでも厚みや質量からして『文庫本以上、単行本未満』の存在感があるので、特にそれを必須アイテムと考えなければ、旅行や出張といった際にわざわざ荷物に加える気はしないだろう。
もっと小さくて内容が優れたのがあればいいのだが、往々にして極小辞書は内容に乏しいもの。たとえばYOHAN ENGLISH – JAPANESE, JAPANESE – ENGLISH DICTIONARYという、例えはヘンだが体積にしてリコーのデジタルカメラGR DIGITALほどしかないものがある。サイズは魅力的なのだがコンテンツに乏しく、実用に耐えるとは思えない。
やはり先述のコンサイスくらいが限界なのかな?と長年思っていたのだが、このほど優れもののミニ辞書を見つけた。コンサイスと同じく三省堂から出ている。ジェム英和・和英辞典だ。私はその存在すらまったく知らなかったのだが、古くから出ている辞書だそうなので『あぁ、持っているよ』という方も多いのではないかと思う。同社のウェブサイトにはこう紹介されている。
日本で一番小さな本格的実用英和・和英辞典の全面改訂版。
天・地・小口の三方を本金塗り、表紙には最高級の皮革を使用した豪華装丁。
日常生活から海外旅行まで使える内容豊富な珠玉の辞書。贈り物にも最適。
今改訂では、現代生活を反映する活用度の高い語彙を網羅。
英和3万3千項目、和英3万1千項目収録。
サイズはYOHANのものよりもやや小さいくらいなのでさらにびっくり。非常に薄い紙を使用しているものの、スペースの都合上収録語数はそれほど多くはない。しかしながらボキャブラリーが精選されているため、実用度ではひとまわりもふたまわりも大きな版形の辞書に匹敵しそうな印象を受ける。英和部分の紙面が尽きたところから和英のコンテンツが始まるのではなく、どちらもオモテ表紙から始まるようになっている。英和の表紙を見ている状態で、これを表裏・天地さかさまにひっくり返せば和英の表紙となっているのだ。使い勝手も良さそうだ。
初版が出たのは大正14年とか。西暦にして1925年。カーンプルでインド共産党が結成された年である。ちょうど10年前にガーンディーが南アフリカから帰国して、非暴力・非服従運動を展開していた時代である。同年に日本に逃れていたラース・ビハーリー・ボースが日本に帰化したのがこの2年前の1923年。現在販売されているのは1999年に改訂された第7版。
もしこの辞書を見かけることがあれば、ぜひ手にとってご覧いただきたい。表紙に本革をあしらった高級感ある装丁はもちろんのこと、その極小な版形に納められたコンテンツの秀逸さはまさにGEM(宝石)の名にふさわしい。初版以来、現在にいたるまで83年という長きにわたり世に出回ってきたロングセラー。その歴史は伊達ではない。
書名:ジェム英和・和英辞典
出版元:三省堂
ISBN-10: 4385102392
ISBN-13: 978-4385102399 -
中国語で発信 Incredible !ndia
インド政府観光省の観光案内ホームページに中文サイトが加わった。これは今年4月にインドの観光省が北京に自国の観光案内所を開設したことにともなうものだ。
インディアトゥデイ誌によれば、昨年インドから中国を訪れた人は46万2千人余り、それに対して中国からインドを訪れた人は6万2千人と、大きく下回っている。インド政府としては、自国同様に充分な可処分所得を有する膨大な中産階級人口を持つ中国を自国観光産業にとって『手付かずの大市場』と位置づけており、今後積極的にアピールをしていくことになるようだ。
観光省のウェブサイトは従前から英語・ヒンディー語・フランス語・日本語で情報提供がなされていたところに、中国語も新たな『重点言語』としてこの中に加わることになる。
当然のことながら、観光省の出先機関のひとつである日本の東京にあるインド政府観光局において英語のものに加えて日本語で書かれたウェブサイトが用意され、紙媒体に印刷されたパンフレット類も配布されているように、在北京の観光局でも中文の印刷物を製作していくようだ。有能な現地スタッフがかかわり、内容もしっかりとしたものが出来てくるのだろう。
しかし冒頭に取り上げたインド本国でアップロードされた観光省本体のウェブサイトについては、かなり荒っぽいものであることは否定できない。日本語のサイトを例にとればこんなくだりがある。
『インドは「トラリザーブプロジェクト」の責任の一端を担っています。「トラ(虎)」と言うのはインドの国立動物が強さと速度のシンボルです。インドは24のトラリザーブを自慢します。この世で最も速い哺乳動物、トラ(虎)は偶然インドの喜びおよび誇りです。「ロイヤルベンガルトラ」はトラの最も威厳のある種の一つです。世界の野生のトラの総人口の60パーセントはインドに住んでいます。インドの最も名高いトラザーブプ中で、「マドヤ・パラデシュの中のバンデャヴァガラ」があります。それは、よく「インドの野生生物遺産中の王冠」として言います。バンデャヴァガラの観光客はロイヤベンガルトラル、チータル、ヒョウ、ガウア、サンバーおよび多くにより動物相の種を見つけることができます。高度に成功した「トラリザーブプロジェクト」は人口の連続的な成長および拡張により小さな方法で人が自然の生息地の損失および破壊を単に取消すことができることをもう一度示しました』
いかにも翻訳ソフトかウェブ上の翻訳サービスか何かを利用した機械翻訳であることが明らかだ。すると中文サイトについてもかなり怪しいのではないかと疑いたくなる。家族経営のゲストハウスや地場の旅行代理店ではなく、あくまでも政府の公式サイトなのだから、しかるべき翻訳の質を確保したうえで情報を発信してくれないと寂しい。
ともあれインドが自国の観光振興について、中国という新たな大市場の開拓に本格的に力を注ぎ始めたことについては今後とも注目していきたい。 -
India Tourism in Beijing
インド政府観光局の北京事務所が開設されたのだそうだ。インド国外にて第14番目の拠点で、アジア地域では東京、シンガポール、ドバイに加えて四つ目のオフィスとなる。
まだオープンしたばかりということもあってか、在北京のインド大使館を通じて、現地職員の求人活動がなされている。中国の首都において、インドの観光発展のために働くというのは、なんだか意外性があって面白いかもしれない。
それはさておき、これは近年の大きなふたつのトレンドを象徴しているといえる。中国においても、いわゆる中間層が拡大し、彼らの経済力も高まったことによる海外旅行ブームの進展、そしてこのところ好転している印中関係のさらなる深化である。このふたつがあいまって、中国人観光客たちにとって、インドはひとつの人気国となり、インドの観光市場にとっても、将来を見据えた得意客となりつつある。数年前までは、隣接する両国間には直行する定期フライトさえなかったのがまるでウソのようだ。
そんなわけで、インドの空港では台湾ではなく大陸からやってきたお客の姿は多く、観光・商用ともに相当数の人々が行き来している様子がうかがえる。また観光地にあっても、『中国語を話しているが、お行儀の良い台湾人たちとはちょっと違う』と書いては失礼かもしれないが、従来よく見かけた彼らとかけ離れた雰囲気を持つ人々を見かけることがしばしばある。ちょっと声をかけてみると、やっぱり上海の人であったり、北京の人であったりする。
21世紀は、インドの時代、中国の時代とはよく言われるが、インド国内における『中国の時代』が始まるとは言わないまでも、とかく商業活動に長けて開拓新旺盛な漢民族たちの空白地帯ともいえたインドにおいて、彼らが急速に存在感を増そうという時代がすぐそこまで迫っているような気がするのは私だけではないだろう。インドまで物見遊山でやってくる中国人があれば、この国にさまざまな商機を見出す中国人たちも決して少なくないはずだ。 -
時代はアウトソーシング インドのビザ申請・交付業務
昨年11月に『査証申請・引渡し業務の民営化』で取り上げたとおり、日本におけるインドの査証申請の取り扱いが変わった。それまでは大使館で申請の受付をしていたが、外交や公用といった一部の例外を除き、外部委託先の民間業者が申請受付と交付を扱うようになっている。
もちろんこれは日本だけのことではなく、インド大使館はアメリカ、フランス、韓国、中国、タイなどでも、すでに査証申請受付・交付業務の業者委託を実施しており、今後もイギリス他でも同様の措置がなされる。日々それなりにまとまった件数の査証申請がある国では、アウトソーシング化を進めることになるようだ。
2年ほど前のものになるが以下のような記事がある。
India to outsource visa processing (rediff NEWS)
要は、今日のように大勢の人々が様々な目的で訪れるようになると、インドの在外公館が扱いきれないということだ。査証の必要あるなしは基本的に相互主義に基づくものである。しかし観光業が盛んな多くの国々がそうであるように、特に問題が生じていない国からの訪問者については、一定期間の滞在について査証を免除する独自の措置を講じるなり、ある条件のもとに到着時にヴィザを発給するといった便宜を図ってくれるとありがたいのだが、そういう簡略な方向に向かわず査証発給周辺の業務がひとつの『産業化』するのはインドらしいところかもしれない。
さて現在、東京でのインドヴィザ申請は、インドヴィザセンターで行なうことになる。申請時間と必要なものはこちらをご参照いただきたい。
以前に比べて便利になった点はいくつかある。午前中のみならず午後も申請ができるようになったこと(午前中に申請した場合は同日夕方受け取り、午後の申請の場合は翌日夕方受け取り)と土曜日午前中に申請だけは可能(受取は翌営業日夕方)となったことに加えて、申請・受け取りともに郵送で行なうことが可能になった点だ。通常の手数料1950円に1000円プラス、さらに返信用封筒に510円の切手を貼付することが求められるため合計3460円となる。申請から発行まで2週間ほどかかるようだ。
開設当初、センターに電話するとインド大使館に転送されるようになっていたのは改善された。ただし職員の方々に直接問い合わせができるのは月曜日から金曜日までの午後3時から午後5時まで。他の時間帯は自動音声による対応となる。 ウェブサイトには『オンライン申請』を始めることが予告されているが、こちらについては実現までまだかなり時間がかかりそうだとのことで、現時点ではあまり期待しないほうが良いかもしれない。
ともあれ久しぶりに日本でインドのヴィザを申請しようかという方、大使館のほうに出向いて時間をムダにされることがありませんようご注意を!
