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カテゴリー: politics

  • 高名なフリーダム・ファイターの孫

    インド人ならば誰でも知っているフリーダム・ファイター(独立の志士)であり、独立前のインドで国民会議派総裁を務めたこともある。またジャミア・ミリヤ・イスラーミヤー大学創設者のひとりでもあったムクタール・エヘマド・アンサーリー。その孫であるムクタール・アンサーリー。父親は共産党所属の代議士であったし、副大統領だったハーミド・アンサーリーも身内。それでいて、このムクタールはUP州きっての大ヤクザのひとり。しかも州議会議員でもあるのだが。

    大変な名家に生まれて、なぜヤクザになるのか。ヤクザになったのに、政治家にもなるのは、やはりその血がなせる業か。ただ、祖父や親戚は国に奉仕した偉人として知られているのに対して、バラマキと脅しで議員の椅子を複数期得てきた人。誘拐、ゆすりなど以外にも、不動産、採鉱(石炭)、酒造販売その他を非合法に営むグループの棟梁で、何億ルピーも稼ぎ出す「企業家」としても知られる。こういう人ならば、ちゃんと合法的な稼ぎもできるだろうに。

    同時にムスリムの貧困層に対して、気前のよい救貧活動をしていることでも知られており、彼らにとって脅威でもあるヒンドゥー右翼政党BJPは、ムクタールの仇敵でもある。そんなわけで「人情に厚く、頼りになるオヤジ」的な立ち位置もあるのだろう。やはりヤクザとはいえ、そのあたりは高名な「フリーダム・ファイター」の孫らしいところか。

    それでも殺人、誘拐その他の容疑を多いときは46件(今は10件)も抱えていた「州議会議員」というのは尋常ではない。インド政界にはヤクザ者も多いが、この人はちょっと別格。この人の伝記みたいなのがあったら読んでみたい。まんま映画の主人公みたいなワルなのだ。

    それで、このニュース。UP州のムクタールだが、現在収監されているのはパンジヤーブ州の刑務所だが、UP州が働きかけて自州の刑務所に移送されることについて。同州の刑務所に放り込まれていたこともある彼だが、今回の収監先は敵対勢力、BJPやムクタールと血を血で洗う抗争を続けてきたライバル勢力の影響下にある場所となるようだ。彼の悪運もここまでか?という評もある。

    しかし、このムクタール、人望も能力もあり、カリスマと任侠心も持ち合わせていて、しかも人々から尊敬される一族の出身。ちゃんとまともなことをやっていれば、本当に皆から尊敬される人物になれたはずなのに、と思うのは私だけではないだろう。

    Mukhtar Ansari may lose his UP Assembly membership, Yogi Adityanath govt’s action soon (INDIA TV)

  • 異宗教カップルの危機

    インドで宗教を異にする同士での結婚は、都市部のリベラルな層ではけっこう少なくない。しかしながら、それは容易なものではなく、多くは大変な困難を伴うものであることは「Interfaith marriage」という言葉が存在することからも見て取れることだろう。日本で漢字で「異宗教間結婚」と書くと「そうか」と分かるが、もともとそんなことを気にかけることさえないので、私たちの語彙にはそういう言葉は存在しない。

    インド人の誰もが信仰熱心というわけではなく、お寺などに行くのは私たちがそうであるように年に一度あるかないか、という人たちも少なくない。ただし大きく違うのは、特定のコミュニティーが長い歴史の中で担ってきた信仰上の役割があったり、通過儀礼でそうしたものが数多くある層もあったり、カーストや氏族の紐帯と深く結合していたり、古い村落社会生活において、ほぼその地域で完結していた経済・社会活動においての役割分担、現代の社会においてもカーストの繋がりで結ばれた同業コミュニティーが現存しているところもけっこうあることだ。

    核家族化が進み、生計を単一世代で営み、公務員、会社員といった形の就業をしている層、あるいは都会でクリエイティブな仕事をしている層においては、障壁は格段に低くなり、そうした今どきのカップル、夫婦を目にする機会は決して珍しくなくなる。

    そんな背景がある中で、BJP政権下にあるUP、MP、グジャラートなどの州では、いわゆる「ラブ・ジハード」(恋愛による布教・改宗活動 ※というのものがあると主張している)なるものを禁じる法律が成立し、「本人の意志によらない改宗の強制」を罰するものとなっている。これは恣意的に運用されることが多いようで、異宗教間での恋愛そのものが身の危険を招くこととなっているようだ。

    ここで言う「異宗教」とは、ターゲットになっているのは、ムスリムであり、主にムスリム男性とヒンドゥー女性という組み合わせがその焦点にある。異宗教といえば、「スィク教」と「ヒンドゥー教」はたいへん垣根が低く、親が決めた「Arranged marriage」によって、ヒンドゥー男性とスィク女性、あるいはその逆が結婚する例は昔から現在に至るまで多い。結婚してヒンドゥー教徒になっている女性で「実家ではスィクだったのよ」という人は少なくない。これはもともとスィク教がヒンドゥー教から派生した一派であると認識されているからなのだろう。特に総本山のお膝元のパンジャーブ州やその周辺ではよくあることだ。

    そのいっぽうで、近年のインドにおけるイスラーム教徒への冷たい対応は、近年の欧州におけるイスラーム教徒への不信感とは大きく異なるものがある。欧州において戦後の復興後に多くのイスラーム教徒たちが流入したという歴史の浅さ、多くは社会の底辺を構成する者が多いという社会層から来る馴染みの浅さと近寄りがたい感覚があるようだが、インドにおいては、イスラーム教徒と共存してきた歴史が長く、社会上層部を構成していた時代も長かった。

    人文科学、建築、経済、通商、さらには生活習慣その他の様々な分野で、イスラーム世界からもたらされた知識や知見が、インド社会を豊かにしてきた。そのため日常生活の中で常に身の回りにあるいろいろなモノや概念を表す語彙すら、アラビアやペルシャ起源のものがたくさん溢れているほどだ。たとえばメーズ(机)、ファルシュ(床)、カラム(ペン)、ザミーン(地面)、ドゥニャー(世界)等々、イスラーム世界からやってきた語彙なしには、簡単な会話さえも成り立たない。とにかくインドはイスラーム教世界、そしてムスリムの人たちから多大な影響を受けてきた。そのためヒンドゥーやジェインその他の人々の間で、イスラーム教、イスラーム教徒についての知見や造詣はたいへん深いものがある。

    それなのに現状はこのような具合であるため、インドのマジョリティーとイスラーム教との相性はかなり難しいものがあると言える。もちろんそう仕向けているのはヒンドゥー至上主義のサフラン右翼であるわけだが、彼らを支持しているのはマジョリティーの大衆でもあるため、一概に扇動であるとも言い切れないのは、なんとも気味の悪いところだ。

    India’s interfaith couples on edge after new law (BBC.COM)

  • ミャンマーは今後どうなるのか?

    「内戦の危機なんて、まさか?」とも言えないように感じている。

    アラブの春の一連の動きで、シリアで民主化要求運動が高まっていったころ、誰が内戦など想像しただろうか。アサド政権による厳しい管理社会に多数の武器や弾薬がどこかに隠匿されていたわけではなく、思惑をそれぞれ持つ各国がいろんな勢力に肩入れしていった結果、あのような泥沼になってしまった。

    ミャンマーにおいて、国軍による苛烈な弾圧と市民の抵抗という二極化した形で描かれる現在。これは大変なことなのだが、さらに悪い事態もあり得るのではないかと思う。国軍が割れて、つまり現在の主流派と対立する派閥が浮上して、非ビルマ民族の軍閥組織、近年、多くは政府と手打ちをしたり、武装解除したところも多いとはいえ、これらがそれぞれ利害関係でいずれかと手を組むようなことが。

    そのような事が起きた場合、ミャンマーに大きな権益を持つ中国が主流派を援護し、軍の第二勢力を、東南アジアとの接続のハブとして自国北東部で、道路やインフラの開発を盛んに進めているインドが支援するような構図が生じたりしないだろうか。

    自国北東部から見たASEAN世界の入口であるミャンマーには、親インド政権を樹立してもらいたいわけで、中国になびかない側に肩入れするのは自然な流れである。

    もちろん国防上の理由からも、ミャンマーがさらに中国へと傾斜するのとは是が非でも避けたい。主流派を見限って独自の動きをしようという第二勢力が国軍の中に出てくるようなことがあるとすれば、彼ら自身にとっても、やはり手を組む相手、救いの手を差し伸べてくれる国は、インドをおいて他にない。

    ちょうど、かつての東パキスタン内戦、つまりバングラデシュ独立運動が最高潮に達したときが、これに少し似た構図だった。西パキスタンからすると、東西に分かれていたパキスタン国内の東部での内乱であり、東の東パキスタンにしてみれば独立闘争、そしてインドにしてみると、東パキスタンを潰し、そこに親インド政権をそこに樹立したかった。国外から見ると、東パキスタンをめぐってのインドによる代理戦争。

    インドの思惑とは裏腹に、バングラデシュはインドの傀儡国家とはならなかったものの、反パキスタン国家となり、それ以前は東西を敵対国に挟まれていたインドにとって、自国東部の安全保障上の懸念は消滅した。独立後のバングラデシュは経済、水利、不法移民等々の問題は抱えているものの、自国に脅威を与える存在ではなくなり、東パキスタン内戦に介入した甲斐は大いにあった。あの抵抗はバングラデシュにとっては大きな成功であるとともに、インドにとっても「大成功した戦争」であったということになる。

    今回のミャンマー、経済制裁や周辺国等による説得により、国軍が自制して再び民主化へと舵を切るようになれば良いのだが、国内諸勢力や周辺国をも含めた複雑な対立による炎が燃え上がるようなことになると、取り返しのつかないことになるのではないか、と危惧せずにはいられないのである。

    ミャンマー騒乱を深刻化させた4つの理由――忍びよる内戦の危機 (YAHOOニュース)

  • 「ダバル・インジャン(Double Engine)」

    インドの州選挙キャンペーンで、BJP政権ではない州で、BJPがよく使うフレーズに「ダバル・インジャン(Double Engine)」がある。ダバル、インジャンいずれもインド式の読み方だが、要は中央政権と州政権が同一政党であることのメリットを訴えるものだ。反中央、反サフランの傾向が薄い州では、これが強くアピールする。

    しかしながら近年は反中央政府の気風が強かったアッサムが前回選挙で「ダバル・インジャン」の軍門に下る例もあり、西ベンガル州の選挙は本当に先が読めない。

    ほぼ同時期にアッサム州でも選挙だが、BJPには賛否あるものの、そのまま再選されそうに思う。CAAやNCRへの批判はあっても、やはり実行力が違うし、行政効率も良くなったということだろう。おそるべし「ダバル・インジャン」。

    ただし、州政権が現地政党であれば、州の権限が日本の県とは比較にならないほど大きいインドでは、中央の意志を相当程度遮る防波堤となってくれる。タミルナードゥ州では学校教育で「ヒンディー語」すら導入されていないし、西ベンガルではヒンディー語の授業はあっても、そのスコアは進学の際に参考にすらならないようだ。

    そんな具合なので、「ダバル・インジャン」は、選挙民への強いアピールともなるし、「そんなことさせてたまるか」というブレーキにもなり得る。こうした背景があるため、最近のBJPの地方での宣伝はかなり巧妙になっている。

    選挙ウォッチングもなかなか面白いインドである。

    ‘BJP’s double-engine govt will build ‘Sonar Bangla’ in 5 years’: Amit Shah (Hindustan Times)

  • ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り⑨

    ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り⑨

    ヴィラーサト・トラストでは、村々で民俗画保存の活動を進めるとともに、インド各地や欧州を含む海外でも展覧会やワークショップを開催するなどして、ハザーリーバーグ周辺の村々の民俗画への認知を高める取り組みを実施している。

    また、アーティストたちによる作品を空港、鉄道駅などに展示するたともに、バザーリーバーグの公共施設の塀などにも描かせることにより民俗画への認知度を高める試みを実施している。

    行政もこうした活動については前向きのようで、活動のために資金その他の支援に乗り出しているとのこと。ジャールカンド州ではまだ存在しているとは言い難い観光業の振興への貢献も期待される。

    しかしながらスポンサー側にも都合や思惑があり、本当は鉱物由来の染料で描くところ、ペンキを使うように言われたり、ジャールカンドのアーディワースィー(先住民)のヒーロー、ビスラ・ムンダーを描くよう頼まれたりしたりと、当惑するようなことがいろいろあるようだ。

    しかしながらこれまでの取り組みが功を奏して、ハザーリーバーグ周辺の民俗画がGIタグ(Geographical indication Tag)取得することとなり、この地域固有の文化としてさらなる認知が高まることが期待される。

    GI tag for Jharkhand’s Sohrai Khovar painting, Telangana’s Telia Rumal (The Hindu)

    ハザーリーバーグのソハラーイー・ペインティング、コーワル・ペインティングについては、これに関する研究を長年続けてきたブル・イマーム氏による以下の文章をご参照願いたい。

    Comparative traditions in village painting and prehistoric rock art of Jharkhand (XXIV Valcamonica Symposium 2011)

    コロナ禍のため、しばらくの間はインドと諸外国との間の往来が困難な状況が続いているが、長期的にはインドの新たな魅力として広くアピールするポテンシャルに満ちているはずだ。

    絵が商業化されて、男性の描き手が続々参入してくるという、ミティラー画等と同じ轍を踏むことになるのかもしれないが、これらの伝統を維持してきたアーディワースィー(先住民)の人々の暮らしぶりや村でのライフスタイルなどといった生活文化も合わせてトータルにアピールできるようになると良いと思う。

    得てして、商業化、観光化というものは、外部からの資本とマンパワーの進出を招き、もともと現地に暮らしてきた人たちのメリットが顧みられないようなケースが少なくないのだが、そのあたりのバランスをどう保っていくのか、今後の進展に注視していきたい。

    既出だが、ドウジーナガル村すぐ外の民家。訪問当時、ホームステイ受け入れを打診中とのことであった。まさにそれが描かれている家に滞在しながら民俗画を鑑賞できる機会が出てくると面白いかもしれない。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り⑤

    ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り⑤

    ベールワーラーを後にして、ドウジーナガルの村へ。日本で言えば、神仏混淆のようなものだろうか。彼らの信仰はヒンドゥー教から入ってきたものと、部族伝来のものが入り混じっているそうだ。

    先住民族であるアガリヤー族の家屋だが、ヒンドゥーのシヴァ神のシンボルであるトリシュールこと三又の槍が見えるが、何本かの長い棒とともに中庭の細長い基壇に立てられている。右手の部屋の中は、この家のマンディル、つまり祭壇となっているのだが、ヒンドゥーの神像の姿はなく、スパンコール状の飾りが壁に貼り付けてあるだけだった。とりあえず何か祈祷をするための場所であることは明らかだったが、ヒンドゥーの祭壇というわけではないのだ。

    トリシュール(三叉のヤリ)とともに何本かの棒が立ててある。
    祈祷の場所だがヒンドゥーの祭壇とは異なる。神像もない。

    上の画像下部中央につま先がひっかかってしまいそうな崩れた突起みたいなのがある。何かここにしつらえてあったものが壊れて放置されているわけではなく、これはアガリヤー族の人たちの「祭壇」なのだそうだ。そう言われないと、大切なものであるとはまったく気がつかない。

    床面の「崩れた突起」みたいなものが「祭壇」とは信じられなかった。

    ジャールカンド州のハザーリーバーグ周辺の先住民たちと、チャッティースガル州バスタル地方の先住民とでは民族も文化も異なるのだが、後者でもこのような「ヒンドゥー教徒とはまったく違う」あるいは「ヒンドゥー教みたいに見えるけど実は違う」というものをよく目にした。だが、村を出て街に暮らすようになったりすると、元々持っていたヒンドゥー教との親和性の高さから、「対外的にはヒンドゥーとして生きる」人たちは少なくないのかもしれない。

    部族の村とハート(2) デーヴ・グリー (indo.to)

    もともとは金属加工(鍛冶屋)を生業にしていたというアガリヤー族だが、なぜか家屋の屋根が大変低いのが特徴的だ。入口しゃがんでくぐっても頭頂部をぶつけるほどだ。家の造りそのものは、クルミー族の家と変わらないのだが。

    とにかく天井が低いアガリヤー族の家屋。

    さらに面白いのは、彼らの村でもレンガ+コンクリの建物への建替えが増えているが、伝統的な家屋以外では、天井の高さは他の民族(少数民族でないインド人を含む)と同じとなり、なぜか「ものすごく天井が低い建物」にはしないのだ。

    村で見かけたEVM(電子投票機)の使い方の説明。こんな小さな村にも投票所が設置される。いろいろ行き届かないことが多いインドだが、投票する権利についてはかなり行き届いていると言える。

    ドージーナガル村の近く、畑の中に一軒だけポツンと存在する家がある。ドージーナガル村と同じくアガリヤー族の家屋だが、驚くほど手入れが行き届いていて、絵も素晴らしく充実しているだけでなく、床面の装飾にも凝っていた。

    案内してくれているヴィラーサト・トラストのご夫妻が「来月来るお客を泊めないかい?」と話を持ちかけており、バザーリーバーグの民俗画のある家で初の「民泊」のケースとなるかもしれない。彼らによると、周りは畑で他の家屋がないというロケーションも良いのだそうだ。何軒も並んでいると、「なぜ彼の家に泊めて、ウチには来ないのか?」となったり、お客の取り合いとなることが目に見えるからであるとのこと。

    それはともかくとしても、周囲が畑の緑に囲まれているのは気持ちが良い。たとえこうした伝統的な土壁の家でなくてレンガ+コンクリの建物であっても、こういう環境下にこじんまりとした簡素かつ清潔な宿があったら、ぜひ利用してみたくなることだろう。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

     

  • インドの偉大さ

    先日ミャンマーで発生したクーデター。せっかく民主化してから10年経つというのに、時計の針を一気に戻してしまうような、せっかく軌道に乗って明るい将来を描こうとしていた経済が、これからどうなるのだろうか。ミャンマーからのニュースを目にして、耳にして、ふと思うのは、年中ゴタゴタが絶えない割には、揺るぐことのないインドの安定ぶりである。隣国パキスタンやバングラデシュでは、クーデターあり、政変ありで、目まぐるしいことが多いのだが、インドは時の政権が不人気で政局が流動的になることはあっても、国の根幹が揺らぐことはない。

    いや、例外はあった。インディラーの時代に強権が独走した「非常事態権限」のころである。あのときは在野の政党や指導者たちと民衆が力を合わせてインディラーの独裁に抵抗した。決して長くはなかったが、そんな時期はあった。当時、軍の一部では不穏な動きもあったとのことで、もしかしから?という可能性はあったのかもしれない。

    また、隣国との係争地帯を抱えるカシミール、同様に中国その他からの干渉がある「動揺地域」である北東部のいくつかの州は、そうした周辺国と連動性のある分離活動のため、本来ならば国境の外に向いているべきインド軍の銃砲が、地元市民にも向けられる状態であったため、「インドの民主主義の外」にあった。いや、「あった」という過去形ではなく、地域によっても今もその状態は継続している。そんな地域では、警察組織ではない軍隊に市民を尋問したり拘束したりする権限が与えられていて、さまざまな人権問題も発生しているのだ。

    だが、そうした地域は例外的なもので、やはりインドといえば、独立以来ずっと今にいたるまで非常に民主主義的な国だ。

    90年代以降のめざましい発展が言われるインドだが、まだまだとても貧しい国だ。日本、ドイツに次いで世界第5位のGDPの経済大国とはいっても、13億を軽く超過する、日本の10倍もの人口を持つがゆえのことで、一人当たりのGDPにならすと、わずか2038ドル。9580ドルの中国はインドの4.7倍だ。もう比較にもならない貧しい国である。

    そして文字を読み書きできない人々は総人口中の23%。ひどい州になると33%にも及ぶ。今、西暦2021年なのに・・・である。そんな貧しい人の票もミドルクラスの裕福な人たちの票も等しく一票。投票所の投票マシーンには、政党のシンボルマークが描かれており、文字が読めない人でもそれを頼りに票を投じる。中央の選挙でも地方の選挙でも、ときどき不正があったのどうのという話は出るが、どんな不満があっても居座ったり、クーデターを画策するようなこともなく、敗者は退場していく。落選した議員、失職した大臣などが、政府から与えられた官舎から落選後もなかなか出ていかないというトラブルはあるようだが、公職に力ずくでしがみつこうとするような話はまずない。そのあたりは実にきっちりしている。さすがはインド。

    スーチーさんは母親のキン・チーさんがインド大使であったため10代の一時期をデリーで過ごしており、現地で学校にも通っていた。当時首相であったネルーとも家族ぐるみの親交を持ち、24 AKBAR ROADにあった屋敷がキン・チーさんの大使時代に与えられていた。青春時代にインドの首都で「デモクラシー」の薫陶を受けたスーチーさんにとって、「民主主義インド」は彼女の理想かどうかは知らないが、ひとつの重要なモデルであるとされる。

    それにしても、ネルーからこの24 AKBAR ROADの屋敷を使わせてもらっていたというのは大変なことだ。現在の国民会議派の総本部があるのが、まさにその場所なのだ。そのような重要なところに住まわせてもらっていたのが現在のスーチーさんを含めたキン・チーさん家族。インドと、そして初代首相のネルーと、実にゆかりの深い人だ。それだけに、今の時代になってもミャンマーでこのようなことが起きて、自宅軟禁となっているのは、なんとも皮肉なことである。

    同時に、常々いろいろな問題や不正に満ちていながらも、「総体としてはしっかり」しており、「根幹は良識と法で守られている」インドに対して、いつもながら畏敬の念を抱かずにはいられない。「JAI HIND !(インド万歳)」という言葉が自然と口に出る外国人は、実に多いのである。

    For Japan, Myanmar coup brings fears of threat to business, political ties (The Mainichi)

  • 新型コロナワクチン接種で観光客回帰?

    1月14日からセイシェル共和国は「新型コロナワクチン接種済」の観光客を検疫等の制限なしで受け入れることを開始した最初の国となったそうだ。

    One island welcomes all vaccinated travelers — but some may want to wait (CNBC)

    現在は同様の措置をネパールも検討中とのことで、これと同様の措置により接種済の証明書を持つ人に対してはPCR検査も隔離もまったく求めず、アライバルビザの復活も併せて検討中であるという。

    Nepal to allow unrestricted entry to vaccinated tourists (Kahmandu Post)

    とりわけこれまで観光に依存してきた国にとっては、今回のコロナ禍により経済が「生きるか死ぬか」になっているところは多い。同様の検討を勧めているところは少なくないはずだ。

    もちろんセイシェルがこのような措置を開始したといっても、観光客の送り出し国では帰国時に従前どおり「14日間の隔離」をそう易々と停止することも現状ではなさそうだ。加えて旅客機の国際間の定期便も激減している中で、セイシェルが期待しているとおりには事が運ばないように思われる。新型コロナウイルスについて、まだわかっていない部分も多く、始まったばかりの接種の効果も未知数の部分もある。

    今後、その効果と集団免疫の達成状況、そして各国間の合意等を経ることによって、「海外旅行」の機会が私たちのもとに戻ってくることになるのだろう。まだしばらく時間がかかるのだろう。

    個人的にはセイシェルには関心はないが、「早く接種してネパールを訪問したい」と思っている。しかしながら現状では、帰国時には2週間の隔離があるだけでなく、「自粛ムード」の中でたとえ航空券が手に入っても、行けるのか?という面も大きなハードルである。

    やはりまだしばらく先のことにはなりそうだが、それでも各地で接種が始まっていたり、開始が予定されているワクチンが大変有効なもので、「接種さえすれば海外渡航も行動も制限なしで当然」というムードが醸成される、ごくごく近い未来に期待したい。

  • 「ヒルステーション」としてのラーンチー④

    連合軍墓地を訪問するとき、Uberタクシーのアプリに「War」と入れたところで「War Memorial」と出たので迷わずタップしてクルマを呼んだら、まったく見当違いの場所に連れて行かれてしまったのだが、これが意外に良かった。

    到着してUberを降りてみると、連合軍墓地ではなくインド軍の駐屯地であったのだが、少し戻ったところに「War Memorial」なるものがあり、警備しているインド軍兵士が扉を開けて招き入れてくれた。なんでもシャヒード(殉死)した兵士に捧げる記念碑と小さな博物館があるのだと言う。ここは、独立後のインドの戦争で没した兵士の記念碑と博物館であった。(残念ながらこれら施設内は撮影禁止)

    博物館にはここに駐屯する師団に関する展示もあり、英領時代から現在までの指揮官の名前、ときには作戦の中での写真なども展示されていた。そう、インド軍は独立後から始まるのでなはなく、英領時代からずっと継続している組織であるため、伝統ある師団や連隊などの英領時代の将校は独立後のそれらと同じように尊重されるのだ。

    また、こんな例もある。1803年に構成された騎馬連隊、英印混血のジェイムス・スキナーが率いた通称Skinner’s Horseの流れを引く現在のインド陸軍の騎馬連帯を、まさにそのスキナーの子孫が率いるということが話題になったことがあった。スキナーの子孫が今でもインドにいて、しかも陸軍軍人というのには驚いたが、しかも先祖がかつて占めたポジションに就いたがゆえに、大変な話題となった。

    もちろん今の時代の騎馬連隊の活躍の機会は、儀礼や式典などではあるが、植民地時代にアフガン戦争、スィク戦争、1857年の大反乱の鎮圧等々、華々しく活躍した栄光の騎馬連隊の象徴は、やはり創設者の「ジェイムス・スキナー」であるがゆえに、その子孫が再び指揮を取るというのは、またとない奇跡であり、栄光の再来でもあったのだ。

    〈続く〉

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 「ヒルステーション」としてのラーンチー③

    「ヒルステーション」としてのラーンチー③

    英領期の名残を求めて次に訪問したのはゴスナー福音ルター派教会(Gossener Evangelical Lutheran Church)。「ゴスナー」という部分から想像できるとおり、ドイツから渡ってきた宣教師たちによる福音派の教会だ。植民地時代のインドでは、英国国教会だけでなく、実にいろいろな国からの教会が活動していた。

    中を見学してみるつもりだったが、ちょうど結婚式が進行中であった。しかも外で何組も待っているため、それぞれの式が順番に執り行われた後、それぞれの披露宴の会場へと向かうのだろう。敷地内は賑々しく、楽しげなムードに満ちていた。末永く幸せに!!!

    ラーンチーには、「War Cemetery」として知られる連合軍墓地もある。ここを訪問すると言ったら、地元の複数の人たちから「あのあたりはミヤーンローグ(ムスリムの兄ちゃんたち)が多いからバチケーレへナー(気をつけて)」と言われた。このあたりは確かにムスリム地区だ。ガラの悪いのが多いのかどうかは知らないが、ときどき問題が起きたりしているのかもしれない。

    兵士たちの墓碑を見て回ってみると、ずいぶん若くして亡くなった人たちが多い。18歳、19歳、25歳、21歳、23歳・・・。中には40代の者の墓碑もあるが、言うまでもなく最前線で戦うのは階級の低い若者たちなので、当然そういうこととなる。英国系の名前が多いが、英国人、豪州人、ニュージーランド人などが含まれる。墓標の多くには十字架が刻まれているが、少なからずダビデの星のものもある。ユダヤ教徒の兵士たちだ。また当時のアフリカの英領地域から出征した人たちのものもある。

     

    私たちの祖父の世代の人たちが、この墓碑の下に眠る人たちと死闘を繰り広げた。世話人によると、埋葬されているのはビルマ語戦線及び日軍によるインパール侵略の防衛にあたった兵士たちであるとのこと。日本ではインパール作戦は全く無謀な、最初から勝ち目のなかった作戦であったと言われているがそうではなかったという話が防衛する側にはある。

    守備側にとっては、インド東部全体が日本軍の手に落ちるかもしれないと、大変な危機感を持ってインド各地からはもちろん、東南アジアやアフリカなどの英領地域から兵員をかき集めて、これまた必死に防衛に努めるという、英国側にとっても「負けることの許さるない厳しい戦い」であったのだ。

    個人的には相互に傷つけ合う理由さえない若者たちが上官の命令により、国のためという建前のために大切な命を落としてしまったのだ。戦の大義はどうあれ、戦争で命を落すことは「究極の無駄」だ。個人の命の重さは国家の大義にはるかに勝る。何が起きても「国のために死ぬ」などということは決してあってはならない。

    以前、ナガランドのコヒマにある連合軍墓地を訪問したことがある。記念碑に刻まれていた言葉が胸を打たれた。兵士自身が残した言葉かどうかはわからないが、若くして亡くなった兵士たちの無念さが伝わる一文だ。

    WHEN YOU GO HOME

    TELL THEM OF US AND SAY

    FOR YOUR TOMORROW

    WE GAVE OUR TODAY

    命を投げ出すこととなった彼らへの供養があるとすれば、戦争のない未来が永劫に続くことしかあり得ない。

    連合軍墓地のすぐ近くには、英領期から続くクリスチャンの墓地もあり、広大な緑の芝生の敷地の中に白い十字架や墓標が散在していた。残念ながらここの場所に気が付いたときには夕方になっており、ゲートも閉鎖されていたため見学することはできなかった。

    こらちは英領期から続く現地在住クリスチヤンたちの墓地

    〈続く〉

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 「ヒルステーション」としてのラーンチー②

    「ヒルステーション」としてのラーンチー②

    おそらくラーンチーの英領時代の面影を色濃くの残す地域は、ラージバワン(州首相官邸=英領時代は統治責任者の舘)界隈なのだと思うのだが、それらしきものはあまり残っていないようだ。

    そんな中にオードリー・ハウスという建物があり、現在はラージバワンの敷地の一部となっており、ここの敷地内が往時をしのぶのにちょうど良さそうだ。外から見る限りでは、後世に加えられた不自然な構造物はほぼないように思われる。

    建てた当時とは社会環境が異なるのでかなり改変が見られるのが常。典型的なものとしては、「天井」の例がわかりやすいだろう。インドでは暑季に高温となる地域が多く、暑季節そのものも長いため、英国本国の同時期の建物よりも、かなり天井が高くなっているのが常だ。

    ところが今の時代になると、空調を使用することが多いが、果てしなく高い天井であってはエアコンをいくら回しても冷えないため、オリジナルの状態からは想像もつかないほど、低いところに天井をしつらえている。他にもいろいろあるが、英領時代とは仕事や生活のインフラが異なるので、建物の内外が必要に応じていろいろ改変される。

    だがラーンチーの比較的冷涼な気候が幸いしてか、このオードレー・ハウスは、建築当初ほぼそのままの姿を今に伝えているようだ。ゲートから向かって左側のウイングがアートギャラリー、右側のウイングは文化イベントの開催用に使用されている。建物自体がオリジナルの状態に近いため、オードリー・ハウスの敷地内だけは、今も「ブリティッシュ・ラージ」の雰囲気が濃厚に感じられる。

    前にも触れたが、かつてラーンチーは「ヒルステーション」として知られていた。政府や軍その他の業務に従事していた英国人たちの中で、熱病や結核はもちろんのこと、心を病む人も多かったという。慣れない土地での勤務からくる心労は多く、今でいう適応障害に苦しむ人もあれば、パワハラなどに悩まされた人たちも多かったことだろう。もとよりまだ「人権」の概念が確立していない時代である。

    そんなわけで、ヒルステーションにはサナトリウムや各種病気の治療のための施設は付き物であった。冷涼な気候が患者の負担を軽減し、治療に利するとされたのは言うまでもない。

    そんな中で、当時で言うところの「癲狂院」が沢山あったと言われるラーンチーだ。今となっては不適切な呼称だが、今でもヒンディー語では一般的にそう呼ばれている。「パーガル・カーナー」。文字通りの「癲狂院」であるが、驚くことに、新聞などメディアでもそう表記しているのを見かけたりする。

    〈続く〉

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 元大統領 プラナブ・ムカルジー逝去

    1935年に英領インドのベンガル管区に生まれた彼は、国民会議派政権で外務大臣、財務大臣、商工業大臣、国防大臣等の要職を務め、2012年から2017年まで大統領を務めた。党を越えて信頼を集めた大物。

    国民会議派の政治家(2012年に大統領就任に伴い国民会議派を離党)としては、もはや最後の「信条や政治的志向を問わず万人から別れを惜しまれる」人物かもしれない。

    広く尊敬を集めた彼であったが、最期は大往生というわけではなく、脳の血栓を取り除く手術を受けて成功したものの、容体が悪化して息を引き取った。手術前に新型コロナへの感染が確認されていたため、コロナ関連死ということになるのかもしれない。

    氏の葬儀については、コロナ感染下における通常の警戒のみならず、遺体についても新型コロナ感染者であったことから、厳重な対応を施したうえで執り行われるとのこと。

    ご冥福をお祈りします。

    Pranab Mukherjee: Former president of India dies after Covid diagnosis (BBC NEWS)