コロナの影響で閑散としたホアヒン

ホアヒンのビーチ界隈は閑散としているというよりも空っぽな感じで、締めたきりになっていたり、中が何も無くなっている店もかなりあった。

良い立地の大きな商業施設が廃墟になっているのも哀しい眺め。いかにも「コロナ禍でやられた」という印象を受ける。

観光業はこんなとき一番影響を受けやすいが、それがまた大都市圏ではなく行楽地にあればなおさらのことだろう。

ここはカシミーリーの店だったらしい。インド・ネパールそして東南アジアにもよくあるあの手の店だ。

1980年代終わりに始まったカシミールの動乱時期、カシミールから手工芸製品等を商う人たちのエクソダスはインド全土、ネパール、そしてタイその他の東南アジアの国々にも広がった。

自身や親族、ひいては同門の人々や手工芸製品を生産する人たちまで、郷里の期待を背負って各地に手を広げていったのが彼ら。

比較的大きな店舗であったようで、割とうまくいっていたがゆえのことではないかと想像するが、コロナ禍でお客の行き来が絶えるとアウト、だったのだろう。

こうしたカシミーリーの中には90年代のネパールの内戦で商いがダメになり、インドの他の地域、タイなどに渡った人たちもあった。

観光業というのは、様々な時流に影響されやすく、そしてパンデミックのような災厄に対しては脆弱だ。

 

ディレーンドラ・シャストリーという「バーバー」

INDIA TVの人気プログラム「アープ・キー・アダーラト(あなたの法廷)」。そのときどきの注目されている人たち、俳優、政治家、財界人その他をスタジオに呼び、裁判の尋問と答弁の形で、様々な質問から本人の回答を引き出すというもの。

このところ話題のバゲーシュワル・ダームのディレーンドラ・シャストリーが出演することが予告されていたが、うっかり見逃した。しかしYouTubeで見ることができた。今という時代に感謝である。

Dhirendra Shastri In Aap Ki Adalat: बागेश्वर धाम सरकार ने कटघरे में किए बड़े खुलासे | Rajat Sharma (INDIA TV)

まだ26歳の「バーバー」。装いもチェック柄の衣装であったり、このところ気に入っているらしい帽子をよく被って現れるなど、世俗的で、とてもヒンドゥーの「聖者」には見えない。相手を手玉に取るセリフ回し(インド人はこういうのが好きだ)や話もうまい。まだ自分を「大人に見せよう」と苦心している様子もうかがえるが、年齢を重ねるにつれて、それらしくなっていくことだろう。

これまでは田舎で周辺地域から信者を集める新興の「バーバー」だったが、このところメディアで日々取り上げられるようになったため、全国の田舎の人たちから注目する存在になるかもしれない。彼は教えが素晴らしいとか、人格が高潔であるなどといったものではなく、まったく反対に「怪しげな奇跡を演出する」「資金の出処や流れが不明」他、インチキくさいバーバーとして耳目を集めている。

マッディヤ・プラデーシュでとても貧しいブラーフマンの家に生まれ、学校はドロップアウト。リクシャーを引いていた時期もあったとされる。そんな若者が数年間で父母や祖父母世代をも含めた信者層を集める存在となり、一気に有名になったため、彼のアーシュラムにはBJPの代議士たちも信者に顔を売るために表敬訪問するようにさえなってきた。頭のキレは良くて話も上手い彼をプロデュースした黒幕がいるのかどうかは知らないが、少なくともどこかから資金やノウハウの援助は受けてきたはず。

スタートアップ企業の将来性を見込んで投資する人たちがいるように「将来のバーバー」に対して先行投資をする人たちがいるはずなのだ。日本でもそうだが、こうした宗教関係団体というものは、会社組織と同じ。販売しているモノが「信仰」という目に見えないものであることを除けば。

この若い「バーバー」の組織は、田舎からそのまま展開して全国を商圏とするテレビショッピングの「ジャパネットたかた」みたいな感じで将来インド全国へと展開していくことになるのだろうか。若年層人口が分厚いインドでは、彼の若さもプラスに作用し得る。若い人たちにとって同世代で勢いがあり、見た目も悪くない「バーバー」が人気を集めることになっても不思議ではないように思われる。

アウランガーバード改名、チャトラパティ・サンバージーナガルに

シヴセーナー(エークナート・シンデー派)+BJP政権下のマハーラーシュトラ州で、「アウランガーバード」を「チャトラパティ・サンバージーナガル」に、「ウスマーナーバード」を「ダラーシヴ」に変更するようだ。

ムガルの皇帝アウラングゼーブが愛した街、晩年を過ごしたアウランガーバードの街の名からマラーターの英雄のひとり、サンバージーにちなんだ名前に変えようというわけである。「チャトラパティ」はサンバージーへの尊称で、改名後は街なかでおそらく「サンバージーナガル」と呼ぶのだろう。サフラン右翼による近年の改名の流れは、ムスリム支配を英国支配と同じ外来勢力による祖国の侵略と捉える思想が背景にある。

そうした認識により、ムスリムのコミュニティーは侵略者の末裔という認識、排除へのさらなる機運醸成へと向かうことは当然の帰結となるのが恐ろしい。もちろんそれが右翼勢力の狙いでもある。

New names for Aurangabad city, dist & taluka (THE TIMES OF INDIA)

ラダックの願い

社会/環境活動家、教育者として有名なラダックのソーナム・ワンチュク氏。彼がモーディー首相が国民に語るプログラム「MANN KI BAAT」にかけて、ソーナム・ワンチュク氏自身がモーディー首相に語りかける「MANN KI BAAT FROM REMOTE LADAKH」を公開したのは今から3年前のこと。

2019年10月に突然、ラダック地域を含むJ&K州がUT(Union Territory=連邦直轄地)化されるとともに、カシミール地域から分割された。ラダックにおいては長年の悲願であったカシミールとの分離は好評であったものの、その後の行方は大いに不透明なものがあった。州としての自治、その中でのラダック自治山岳開発評議会としての自治権で保護されてきたラダックのステイタスは、中央政府による直轄統治によりどのようになっていくのかはまったく示されていなかったためだ。

この部分についての不安の声は分離当初からあったのだが、こうした思いを代弁する形で分離から3カ月後に発表したのが、前述のワンチュク氏による「MANN KI BAAT FROM REMOTE LADAKH」であった。

モーディー首相への支持の表明、カシミールからの分離についての感謝の意を示すとともに、ラダック地域の人々はインド平地に出ると差別的な扱いを受けることが少なくないながら熱烈な愛国者であることなどを語るとともに、ラダックが部族地域であり保護されるべき対象地域であることを説いている。

また環境的にも繊細な地域あること、文化的にも大きな岐路にあることを挙げた上で、ラダックの保護のために新たな法律の制定を求めているわけではなく、インド国憲法付則第6の対象地域にラダックも含めてくれるようにと求めているだけなのだと訴えている。そして「インド政府は私たちに翼を与えてくれた。私たちに飛翔する自由を与えて欲しい」と詩を引用してその想いを説くワンチュク氏。

ラダックが現在置かれている状況について、「人々のインドへの愛情が失われる前に・・・」「(インドからの)分離要求が持ち上がる前に・・・」という思いは、果たしてモーディー首相に、そして中央政府にしっかりと届いているのか、それともこのまま黙殺してしまうつもりなのか、と気になっているところだ。

「インド憲法付則第6」にいても少々説明しておこう。

インド憲法における12の付則(Schedule)の中にある付則第6とは、以下のリンク先のある内容である。

Sixth Schedule(BYJU’S EXAM PREP)

この対象地域にラダックも含めてもらいたいというのが、ソーナム・ワンチュク氏を始めとするラダックのおおかたの人々の願いである。インドの他の地域と同じように人々の移住や投資が自由なものとなり、地域外から大勢の「インド人たち」が押し寄せてくるようになると、たちまち土地は彼らに買い上げられてしまい、長年ここで暮らしてきたラダック人たちがインド人の大海の中のマイノリティーになってしまう。また大規模な投資を背景に大きな産業が興ったり、資源開発など乗り出すことになってしまうと、自然環境も大きくバランスを崩し、これまで大切に育まれてきたラダックの大自然の上に成り立ってきたラダックの人々の生活も成り立たなくなってしまうであろうからだ。

What’s driving the protests against the Centre in Ladakh? (Scroll.in)

地名変更と国名変更

来年5月に総選挙を迎えるインドでは、BJPが再び地名変更の動きを見せている。UP州のLUCKNOW(ラクナウ)をLAKHANPUR(ラカンプル)またはLAKSHMANPUR(ラクシュマンプル)にという案が浮上。いずれにしても取って付けたような名称ではなく、それなりにきちんとその土地に由緒あるものであるとはいえ、長らく「LUCKNOW」として知られてきた州都、旧アワド王国の都の名前をそのような形に変更してしまうというのは、ヒンドゥー至上主義右派によるイスラーム文化やイスラーム支配の歴史のあからさまな否定でもある。

Rename Lucknow as Lakshmanpur or Lakhanpur’: BJP MP urges Amit Shah(INDIA TV)

独立以来、インド各地で地名等の変更が行われてきたが、その目的は主に以下のようなものであった。

  1. 植民地時代式の綴りを現地の発音に即したものに改める。 (CAWNPORE→KANPUR、JEYPORE→JAIPUR、JUBBULPORE→JABALPUR等)2.
  2. 英語名称を現地語名称に揃える。  (BOMBAY→MUMBAI、CALCUTTA→KOLKATA、MADRAS→CHENNAI等)

同様に、各地のストリート名などが、植民地時代の行政官等に因んだ名前からインドの偉人や独立の志士などの名前に変更されている。インドに限らず植民地支配から脱した国々の多くでこのような名称変更は実施されていることはご存知のとおり。

しかしBJPが政権を握るようになってからは、それ以前は見られなかった新たな形での名称変更が続いている。

3.ムスリムの支配や影響を色濃く残す地名を「ヒンドゥー化」する。(ALLAHABAD→PRAYAGRAJ、OSMANABAD→DARASHIV、HOSHANGABAD→NARMADAPURAM等)

この③のタイプの改名については、コミュナルな背景の意思が働いているため①及び②とは異なり、注意が必要となる。

先述のとおり、2024年5月に総選挙が実施されることに先立ち、今後もこのような地名変更の提案が続くものと予想される。州都ラクナウのような伝統ある地名が③の形で改名されてしまうようなことが本当に起きるとは信じ難いものがあるが、グジャラートのAHMEDABAD(アーメダバード)についても、KARNAWATI(カルナワティ)に変更しようという動きもある。ひょっとすると首都DELHI(デリー)についても、INDRAPRASTHA(インドラプラスタ)に改称される未来が来るのではないかと冗談半分に言われているが、数年後にそういう日がやってきたとしても、あまり驚くに値しないのかもしれない。

頻繁に地名変更を提案したり、それを実施したりしているBJP政権だが、報道を注意深く見ていると、そのような方向に本格的に動き出したことが大きく報じられる前に、国会議員なり地方議会議員なりの「個人的な意見」という形で、しばしば観測気球のようなものが上がっていることに気が付く。

以下の記事は昨年末の報道だが、BJPの議員により「インドの国名を改めよう」という意見。

BJP MP who wants to rename India: ‘PM Modi trying to restore nation’s pride … I thought my question in Parliament will expedite his work’ (The Indian EXPRESS)

「INDIA」を「BHARAT(バーラト=ヒンドゥーの地)」あるいは「BHARATVARSH(バーラトワルシュ=バーラトの大地)」に変更しよういうものだ。

これについては、例えば英語で「JAPAN」と呼ばれてきたのを「NIHON」あるいは「NIPPON」に変えようというようなもの。外からの呼称を内での呼び方に揃えようというもの違和感は薄い。(インド国外でBHARATという名称をご存知ない方も少なくないかと思うので、もしかすると耳慣れない奇妙な呼称に感じるかもしれないが・・・。)

いっぽうでインド、INDIAの別称として「HINDUSTAN(ヒンドゥスターン)」もある。企業名でも「HINDUSTAN MOTORS」「HINDUSTAN PETROLEUM」等々、「HINDUSTAN」を冠したものは多く、日常会話でも自国のことを「ヒンドゥスターン」と普通に呼ぶので、なぜ「HINDUSTAN」にしないのか?と思う方もあるかもしれないが、BJPのようなサフラン右翼(サフラン色はヒンドゥーの神聖な色)にとって、やはり「BHARAT」あるいは「BHARATVARSH」こそが、あるべき母国の名称ということになる。

なぜならば「HINDUSTAN」という名前は、元々はペルシャ(及びペルシャ語圏)の人々から見たインドに対する呼称であって、インドの人々が自国をそう呼ぶようになったのは、ペルシャ語圏から入ってきたその名称が定着したからに他ならないからということが背景にある。