犬は苦手

昔から犬はあまり好きでない。飼い主にじゃれ付いている姿を見かけると『あぁ、可愛いな』とは思うし、また盲導犬のように一生懸命尽くしている姿を目にすると『えらいもんだなぁ』と感心したりするのだが。
猫と犬の遠い祖先は共通なのだとか。それにしても素っ気無い猫に較べて、良くも悪くも犬は他者に干渉する。街を歩いていて、牛やヤギがわざわざ構ってくることはないが、犬の場合は、しばしば『うるさいっ、放っておいてくれ!』と怒鳴りたくなることもある。
こちらは向こうに対して何の興味もないにもかかわらず、彼らは自分たちのエリアに入ってくるよそ者に対してけっこう敏感。昼間ならともかく、夜道をトボトボ歩いているとき、こちらの進行方向から複数の犬たちがワンワン吠えて近づいてくると、ちょっとした緊迫感。特に細い路地などでは、ちょっと勘弁してもらいたい。
インドの話ではないので恐縮ながら、こんな猛犬の映像があった。
犬がパトカーを「襲撃」バンパーを噛み切る (A.P.)
場所はアメリカ。パトカーのバンパーに噛み付いてバリバリと大きく壊してしまう野犬の姿。石つぶてを投げたくらいでは怯まないことだろう。
こんな『蛮犬』に遭遇したくはない。

グローバル化は善なのか?

だいぶ前に『グジャラート州 酒類解禁への道』と題して、グジャラート州でアルコール解禁の動きがあることについて触れてみたが、その3年後も相変わらず禁酒州であるという事情は変わらない。
そんなわけで、他州ではバーザールに普通にある酒屋は見当たらず、私たち外国人はパーミットを得て特定のホテルで購入することはできるようにはなっている。しかしグジャラートに居住しているのならばともかく、休暇で訪れているときくらいは、大切な肝臓に休暇を取ってもらうのもいいかもしれない。
だがアルコール類は適度に供給されている軍関係者からの横流しはともかくとして、この禁酒州が絶海の孤島にあるわけではなく、普通に酒類が販売されている隣接州と地続きであることからも、闇酒事情は相変わらずらしい。
新聞を広げていると、州内各地で取り締まりの憂き目に遭い、逮捕されたうえに大事な品物を没収された人たちの関係の記事が毎日出ている。こうした記事になるのは、個人が自己消費のために持ち込むといった程度ではないので、相当大掛かりな『密輸組織』が背景にあることが覗える。
実際、クリスマスや新年といったパーティー等を開く口実の多い時期には、自宅やホテルなどで半ばおおっぴらに飲む人々が少なくないこと、そうした酒類の流通が闇に潜ってしまうことから、行政から見れば事実上『免税』に等しい状態(政税収をもたらさないという意味で)で、結果的にマフィアの収益になっていること、また外資の誘致はもちろん外国からの観光客へのアピールにも障害になる(?)という意見がある。
これに対して、保守系の新聞では、飲酒という行為は様々な犯罪の引き金になる、健康にも悪い、ガーンディーの生誕地としての誇りとともに、禁酒という我々の財産を次代に引き継ぐべきだという論調があるようだが、精神論に偏りすぎており、説得力に欠けるようだ。
ところで、外資の誘致に際しての障害としては、つい先日こんな事例があった。
Chinese engineer held for smuggling liquor in Kutch (newkerala.com)
上記で引用したのは、地元グジャラート紙系のウェブサイトではなく、ケーララ州のメディアによるものである。記事中にあるように、現地で働く中国人労働者のためのものということだ。中国人による密輸という事例よりも、むしろ同州で中国人たちによって発電所建設が進められているということ自体が、私にとっては意外な事実であった。
確かに近年のインドでは、日用雑貨や玩具類など、中国製品が大量に出回っているし、中国大陸から企業や個人などがビジネス機会を求めてやってくる例は少なくないのだが、インドでこうした大掛かりな工事等を受注した中国企業が他にもあるのか、機会があれば調べてみたいと思う。
別の中国人の酒密輸事件がグジャラートの禁酒解除につながるとは思わないし、飲酒の是非について云々するつもりはないが、いわゆるグローバル化とやらが進む中、人々のライフスタイルは当然のごとく変化していくとともに、周辺地域や外国とのバランス等についても、これまで以上に考慮される必要が出てくる。そのため地域が独自のカラーを維持していくことについては、内部的にも対外的にもそう簡単ではなくなってきていることは確かなようだ。
グローバル化の進展とともに、地域や国境を越えた相互依存が深まるにつれて、内と外の境がだんだんボケていくことから、『ウチらのことはウチで決める』ということがなかなか難しくなってきていることは、世界共通の現象だ。そうした動きの中で、地域の伝統にしても文化にしても、他と競合したり吸収されたりといった流れが出てくる。
そのひとつの例が言語だ。現在、世界では6,000あまりの言語が存在しているものの、世界人口の約半分は、わずか10ほどの大言語を使用していのだとか。いっぽう、この6,000あまりの異なる言語の中の四割前後が、どのくらいの話者人口を持っているかといえば、悲しいことに千人以下であるという。
あまりに話者人口の規模が小さなものであると、それを通じて教育を受けたり、生活を営んだりすることさえままない。すると言語を次世代が受け継ぐことも困難で、結果として周囲のより有力な言語に乗り換えてしまうことになったり、あるいは近隣にあるより話者人口が大きく、かつ有力な言語の方言という位置づけになっていったりといったプロセスが控えている。
そんなわけで、現在世界で話されている言語のうちの半数ほどは、私たちの世代あるいは次の世代あたりで、およそ半数ほどが姿を消すとさえ言われているのだが、言語に限らずグローバル化の進展を背景に、失われようとしている私たちの貴重な財産は他にもいろいろあるように思う。
世界がひとつになること、みんなが一緒になることは、諸手を挙げて『良いことだ』と言えるのか、常々疑問に思うところなのである。

ムンバイー タクシー業界仰天

拾ったタクシーの運転手がたまたまお喋りな人で『あなたどこの人?』と尋ねてくる。『Tokyoだ』と答えると、『トゥルキー(トルコ)の人かい。てっきり日本人かと思ったよ』などと言っているが、またどこかで会う人ではないので、こちらは特に否定しない。

『あなたの田舎はどこだい?』と振ってみると、『ラクナウーの近く』との返事。『ラクナウーからどちらの方向かい?』『ゴーラクプルのほうに120キロくらいかなぁ』『じゃあファイザーバードのあたりだな』『おぉ、まさにそこさ!よく知ってるねぇ』なんていう話になった。

かれこれムンバイーで運転手家業を始めて16年になること、数ヶ月前に数年ぶりに帰郷してみて楽しかったこと、ごくたまにしか会うことのできない子供たちが、父親不在でもしっかりと成長して、特に長男が学校で親の期待以上に頑張って良い成績を上げていることなど、いろいろ話してくれた。

こうした人に限らず、ムンバイーのタクシーを運転しているのは、たいていU.P.かビハールの出身者たちだ。郷里に家族を置いて、懸命に稼いでは送金している人が多い。家は遠く離れているし、そう実入りのいい仕事ともいえないが、家族はそれをアテにして暮らしているため、一緒に生活したくてもそうしょっちゅう帰ることもできない。

このほど地元マハーラーシュトラ政府は、そんなタクシー運転手たちが仰天する発表を行なった。
Maharashtra Govt. makes Marathi mandatory to get taxi permits (NEWSTRACK india)
その内容とは『マハーラーシュトラに15年以上居住』『マラーティーの会話と読み書き』が必須条件になるとのこと。

ヒンディーと近縁の関係にあるマラーティーを覚えることはヒンディー語圏の人たちには決して難しいことではない。ヒンディーと歴史的な兄弟関係にあるウルドゥー語を話すアジマール・カサーブ、2008年11月26日にこの街で起きた大規模なテロ事件犯人で唯一生け捕りとなり、現在ムンバイーの留置所に収監されている彼でさえも、周囲の人たちとの会話を通じ、すでに相当程度のマラーティーの語学力を身に付けていることは広く知られているとおりだ。

ムンバイーのタクシー・ユニオンも『運転手たちはヒンディーに加えて、多くの者はマラーティーだって理解するし、英語の知識のある者だって少なくない。何を今さらそんなことを言い出すのか』と、即座にこれを非難する声明を出している。

もっとも『マラーティー語学力を義務付ける』という動きはこれが初めてではなく、1995年の州議会選挙で、それまで国民会議派の確固たる地盤であったマハーラーシュトラ州に、マラーター民族主義政党のシヴ・セーナーが、BJPと手を組んで過半数を獲得することによって風穴を開けたときにも同様の主張がなされていたことがあった。

そもそも義務としての『マラーティー語学力』それ以前の1989年から営業許可の条件のひとつにはなっていたようである。それが今回、これを厳格化するとともに、最低15年以上の州内での居住歴を加えて、州外からの運転手の数を制限し、地元の雇用を増やそうという動きである。タクシー運転手家業の大半が州外出身者で占められているのは、そもそも地元州民でその仕事をやりたがる人が少ないことの裏返しでもあるのだが。

先述の90年代から伸張したシヴ・セーナーは、幹部のナーラーヤン・ラーネーが脱党して国民会議派に移籍、党創設者であるバール・タークレーの甥であるラージ・タークレーがこれまた脱退して新たな政党MNS(マハーラーシュトラ・ナウニルマーン・セーナー)という、本家シヴ・セーナーとはやや路線の違う地域民族主義政党を立ち上げた。

そのため総体としての地域至上主義は、やや影が薄くなった感は否めないものの、このふたつの政党は、やはり今でも一定の存在感を示しているがゆえに、やはり今でもコングレスは安定感を欠く、というのが現状である。

そうしたシヴ・セーナー/MNSの土俵に自ら乗り込み、ライバルの支持層を切り崩し、自らのより強固な基盤を築こうというのが、今回のタクシー運転手の語学力や在住歴に関しての動きということになるようだが、当然の如く、運転手たちの多くの出身地である北部州の政治家等からもこれを非難する声が上がっている。

州首相アショーク・チャウハーンにとっては、そうした反応はすでに織り込み済みのようで、既存の営業許可に影響はなく、新規の給付についてのものであると発言するとともに、将来的にはタクシー車両へのAC、GPS、無線機器、電子メーターと領収書印刷装置等の搭載を義務付けることを示唆するなど、議論をすりかえるための隠し玉はいくつか用意しているようだ。

これまでことあるごとに地域主義政党のターゲットとなってきた北部州出身タクシー運転手たちだが、それと対極にある国民会議派は彼らの力強い味方であるはずであったため、今回の動きについては、まさに『裏切られた』と感じていることだろう。

たまたま街中で目立つ存在であるがゆえにスケープゴートになってしまうのだが、タクシー運転手に限らず、ムンバイーをはじめとするマハーラーシュトラ州内に居住する他州出身者は多い。現在同州与党の座にあるコングレスにとって、これまで地域主義政党が手にしてきた、いわゆる『マラーティー・カード』を自ら引いてしまうことは、かなり危険な賭けであることは間違いない。

この『タクシー問題』が、今後どういう展開を見せていくことになるのか、かなり興味深いものがある。

※『ダーラーヴィー?』は、後日掲載します。

MERU TAXI

ムンバイーで、MERU TAXIを利用してみた。
これまでのインドのタクシーとはずいぶん違ったモダンなサービスを提供する会社との評判で、3年ほど前に創業。現在、本社のあるムンバイー以外では、ハイデラーバード、デリー、バンガロールで操業している。
たまに市内で走行しているものの、今なお黒と黄のツートーンのタクシーが大勢を占める大海中の一滴にしか過ぎないマイノリティなので、必要なときに巡り会う機会はそうそうない。ちょうど空港に向かう用事があったので予約してみることにした。
電話が繋がると『よう、何だ?』とぶっきらぼうなオジサンの声が聞こえてくるのではなく、女性の声による丁寧な自動音声ガイダンスが流れ、これまた礼儀正しい担当オペレーターに繋がるのにびっくりする。
コールセンターの案内嬢に、私の氏名、予約したい時間、出発場所、電話番号等を伝えれば完了だ。出発30分前に携帯電話にSMSでクルマのナンバー、運転手氏名と本人の携帯電話番号が届くということだ。
予約時間の30分前きっかりに、私の携帯電話にメッセージが届くとともに、ほぼ同時に運転手からも確認の電話が入った。
到着したタクシーは、マヒンドラー社のローガンという車種。タイのバンコクで走っているタクシー想像していただきたい。日本でいえばカローラくらいのサイズだ。エアコンも効いており、クルマの内外ともに、けっこうキレイにしている。運転席横には、液晶モニターがあり、さきほど私が伝えた名前、出発地と時刻等が表示されていた。
運転手は他の多くのムンバイーのタクシー運転手同様、北インドから来ている男性であった。パリッとした白い制服のシャツを着用している。ヒンディー語しか解さないが、言葉遣いや態度もとても丁寧。もちろん運転も同様にジェントルであった。
料金システムは、ムンバイーの場合は、最初の1キロが20ルピーで、以降1キロごとに14ルピーである。インドでは、タクシーもオートも地域によって料金システムが異なる。このMERU TAXIが現在操業している他の三都市(ハイデラーバード、デリー、バンガロール)での料金形態については、同社ウェブサイトに示されているのでご参照願いたい。
MERU TAXIの車両の動向は、GPSでモニターされていることから、遠回りされたりすることはないということになっているそうだ。特に女性が夜間利用する場合などにも良いのではないかと思う。
タクシーが目的地である空港に着いた。料金を支払うと、運転席にある装置からプリントアウトされた領収書が手渡される。
降りてしばらくすると、携帯電話に新しいSMSが着信。何かと思って開いてみると、MERU TAXI発のもので、利用してみた感想を記号で返信してくれというものであった。最大の評価で送信しておいた。
タクシーを利用するのは、ある程度余裕のある人たちであるとしても、その中でもこれまでのタクシーのありかたにはいろいろ不満のあった人も多いはずだ。鉄道がそうであるように、長距離バスもそうであるように、タクシーにもちょっとラグジュアリーなクラスのものが欲しいと。こうした従来のものと差別化した手法によるサービスは、特に可処分所得の高い人たちの数が多い都市では相当な需要が見込めるであろう。
この会社では、コールセンターの受付嬢のみならず、肝心のドライバーたち自身にも、ちゃんとした社内教育を施しているようだ。ハンドルを握る彼ら自身にとっても、乗客を目的地まで快適かつ安全に運ぶプロの運転手としてのスキルを得てキャリアを積む良い機会でもあることだろう。
もちろん彼らは会社のシステムと車両に搭載されている独自の機器により、常に所属する会社から監視されているという意識もあるだろうが、これは利用者にとって都合の良いことでもある。運転手側にしてみても、こうしたシステムにより、従来よりも高い信頼を得ることができ、顧客が増えることにより彼ら自身の増収にも繋がることだろう。
これまでのスタンダードとは異なる、いわば『規格外』のサービスが他の大都市にもどんどん広まっていくことを期待したい。
この会社は、そのサービスの点以外で、タクシー業者のありかたとしても、これまでのものと大きく異なる部分がある。通常、タクシーといえば、オートリクシャーと同じく、ドライバーたちは、ユニオンに加盟するオーナーたちが所有する車両を運転しているわけである。
個々のオーナーたちを事業主とする零細会社と言うべきか、あるいはオーナーたちからクルマを借りて運転しているドライバー自身を、ちょうど日本の宅配便運転手たちのような個人事業主と表現すべきなのかはともかく、一般的に大資本を投じて運営する日本の『日の丸タクシー』のような業態のものではなかった。
組織立った形態であるがゆえに、お客に対してはサービスの向上と均質化、社内ではノウハウの共有と労務管理の徹底が図りやすいという利点がある。また『どこの誰のクルマであるか』がはっきりしていることから、利用者側の安心感も大きいはず。
そんなわけで、都市部では今後、タクシー業界の再編とでもいうべき、新たなうねりの予感がする。MERU TAXIの走行地域の広がりを見て、同様のサービスを提供しようと参入する新会社が今後続くのではないかと思うのである。
一昨日、Premier Padminiのある風景にて、現在ムンバイーを走るタクシーの圧倒的主流を占めるパドミニーが、今後次第に姿を消していくことについて触れたが、それと反比例する形でこうした新手のサービスが台頭してくるであろうことは言うまでもない。
今後何年もかかって新旧のタクシーの移り変わっていくわけだが、それは単に車種が新しいものに入れ替わることに留まるものではなく、タクシー業界のありかた自体が大きく変わるのではないかと予想している。

Premier Padminiのある風景

ムンバイーのタクシーといえば、黒と黄色に塗り分けられたプリミアー自動車生産したプリミアー・パドミニーである。イタリアのフィアット社のFiat 1100をインドで現地生産したモデルだ。本国では1962年から1966年まで生産されていた。
昔々に設計されたクルマらしく、クロームメッキの大きなフロントグリルが雄々しくてマッチョな面構えだ。前後ともにツンと鋭角的に切り立ったフォルム、後部サイドフェンダーの張り出には、今の時代のクルマにはない強烈な個性が感じられる。イタリアのデザインらしいアクセントの効いた、都会の景色がよく似合うクルマだ。
黄色い天井以外は深みのあるブラックでまとめられた精悍な車影は、ゴシック、ヴィクトリアン、アールデコ、果てまたインド・サラセンといった様々な様式の重厚な建築物が林立するムンバイーの街角によく似合う。
クラシカルな建物の都会風景にマッチするクルマである
インドにおいてこのクルマの生産は1964年に開始されている。今から半世紀近く前に設計されたクルマではあるが、愛好家が丹念に磨き上げて週末に郊外に遠出してツーリングを楽しむといった具合に丁重に扱われるのではなく、現役のヘヴィー・デューティーな営業車としてバリバリ活躍しているのがカッコいい。
もっともムンバイーのタクシー界を支配してきたパドミニーは、やがて道路から姿を消す運命にある。というのは、すでにこのクルマの生産は、2000年を持って終了しているためだ。フィアット1100D=プリミアー・パドミニーという単一車種で、イタリアでの発売時から数えて38年間もの長き渡り生産されてきた世にも稀な長寿モデルであった。
ムンバイーに限ったことではないが、電子化される前のいかつい金属製のアナログ式料金メーターもまた見事にクラシックである。こうしたメーターが導入されたのがいつの時代であったのかはよく知らないのだが、おそらくその当時の金額をゆったりと刻んでいく。
メーターに示される数字をもとに、現在適用されている料金を導き出す換算表を運転手たちは持っている。そこに示されているとおり、このタイプのメーターが使われ始めたころ、ルピーの価値は今の14倍前後あったということなのだろう。
タクシー料金換算表
今のところはムンバイーの道路を走るタクシーの大勢を占めているのは黄・黒に塗られたパドミニーで、まだまだ意気盛んな印象を受けるものの、スズキのヴァンのタクシー、青色のAC付きのものなど、複数のタイプが走るようになっている。
年月の経過とともに、このパドミニーの占める割合は漸減していき、10年、15年もすれば、『こんなクルマ、あったよねぇ!』と古い写真で、昔の街角の中にあったタクシーの姿として未来の人々が思い出すようになるのだろうか。
2001年以降、生産されていないクルマであるがゆえ、目下ムンバイー市内でごく当たり前にどこにでも見られる『パドミニーのある風景』だが、現在走行している車両たちの寿命が尽きるまでの眺めなのである。