お隣さんはどこに行く??

それにしても今のパーキスターンの混迷ぶりは気にかかる。その有様を眺める世間の視線もまた気になる。世の中で広く『民主主義=善』『軍事政権=悪』と認識されている。広く民意を募り、つまり公平で自由な選挙という手段によって選ばれたもの、人々の信任を得たものが最良であるという前提がある。国民の総意を結集して樹立した政府に能力の不足や不手際があればふたたび選挙によりそれを交代させることができるという、政治勢力間の競争原理が働くがゆえに、ベターなガバナンスが可能となる・・・はずなのだろう。
しかしどうした具合か、パーキスターンではその民主主義がうまく機能しないことが多い。文民政府が迷走し、あるいは腐敗の度合いを深めると、「コラーッ!』と怒鳴り込んでくる『雷オヤジ』か、または腐敗した政府に鉄槌を下すための『懲罰機関』であるかのような観さえある。これまで市民の間にもそれをある程度許容する部分があったのだろう。政界で選挙を通じて選び出された政権と軍の威光が並立してきたその背景にあるのは、民主主義というシステムの機能不全である。
しかし軍政=強硬派による兵倉国家という図式にならないのがパーキスターンである。現在大統領職にあるムシャッラフ氏は、有能な統治者であり軍籍にありながらも、政治的には穏健でリベラルな思想を持つ人物として認識されてきた。隣国インドにとっても、『テロと闘う盟友』のアメリカにとっても、パーキスターンの指導者として少なくとも今までところは『余人を持ってかえがたい』存在である。
ムシャッラフは、兼務している陸軍参謀長を11月末までに辞任して軍籍から離れ、次期は文民として大統領職に就きたいとの意向を明らかにした。また11月15日に下院が任期満了により解散し、翌16日に選挙管理内閣が発足。上院議長モハンマド・ミヤーン・スームローが暫定首相に任命されている。1月9日までに予定される総選挙は非常事態下で行われる可能性が高い。つまり集会や結社の自由などが保障されない状態での選挙となることから、公平性や透明性が期待できないとの批判を招くことだろう。
総選挙を前にして、現在同国の政治を率いるムシャッラフ、彼と組んで与党として政権を運営してきたPML、首相返り咲きを狙って帰国したブットーと彼女が率いるPPPという、三者三様の思惑が渦巻く中、先行きは不透明なままである。しかしながら米国にとっては、ムシャッラフ+PML、ムシャッラフ+ブットー率いるPPP、はてまた非常事態宣言に続いて二度にわたる自宅軟禁を受けてムシャッラフに対して激しい批判の声を上げ始めたブットーとPPPがこのままムシャッラフとの距離を広げていっての独走も、場合によってはありえるのかもしれないが、いずれが浮上しても、親米という路線は不変であろう。ムシャラフ氏の専横の度が過ぎて、米国は表面では圧力をかけつつも、本音はちょっと違うのだろう。、最終的に勝ち馬に乗ればいいのだから、目下冷静に様子見である。現在のところパーキスターンとの関係がまずまず良好な隣国インドは大きな変化を望むはずはなく、前者の組み合わせでの現状維持を期待するといったところだろう。
しかしながら万が一、この三つの勢力に批判と抵抗を続ける原理主義勢力が急伸し、強硬な反米政権が樹立されることになったどうなるのだろうか。今のところ既存の宗教系政党でそこまでの力を持つものはないので心配はないが、数年後はどんな構図になっているかわからない。原理主義過激派が暗躍する素地を作ってきたのはパーキスターンの歴代の政治による部分が大きいとはいえ、昨今こうした勢力が急速に台頭しているのも民意の表われのひとつでもある。
だがもっと現実味のある危険なシナリオもありえるかもしれない。軍の中に現在のムシャッラフのスタンスに反感を抱く勢力もあり、新たなクーデターの懸念が出ていることがそれだ。こうした懸念があってこそ、先日『ムシャッラフが自宅軟禁』というデマが流れたのではないだろうか。再度のクーデターにより、いくつもの欠陥があれどもとりあえずは前進してきた民主化のプロセスが水泡に帰してしまうだけではない。世俗的かつ穏健派であったムシャッフラに異議を唱えるのはどういう人物であるかということを思えば、かなり危険なものを感じてしまう。
それだけではない。まだ64歳で健康面での不安が伝えられることもないムシャッラフ氏だが、これまで幾度となく暗殺の危機を切り抜けてきた。果たして身近なところに敵対勢力への内通者がいるのかどうかわからないが、流動的な状況のもとで今後も同様の事件が起きても不思議はない。盤石な支持基盤を持つ大政党を背後に持たない彼が、ある日突然この世からいなくなるようなことがあったら、いったいどうなるのだろうか。混沌下で権力の継承がなされぬままに、突然ポッカリと大きな真空状態が生まれてしまうことが一番恐ろしい。
6月10日の総選挙後、北部オランダ語圏と南部フランス語圏の地域間対立をもとに新たな政権を樹立できない空白状態が150日を越えるという稀有な迷走ぶりを見せているベルギーのような国もあるが、パーキスターン政治の混迷は大規模な流血の事態を招きかねず、経済や市民生活に与えるインパクトも甚大である。パーキスターンは事実上の核保有国であることから、有事の際にパーキスターンによる核使用を懸念しなくてはならない隣国インドはもちろん、他国等への核拡散の不安もあることから、遠く離れた国々にあっても無関心ではいられない。
圧政の継続か民主主義の復権かが問われるところだが、本来尊重されるべき『民意』の中にも実にいろいろな部分がある。単に自らの保身というわけではなく無用な流血や混乱を避けるとともに、自国の将来を見据えて平和裏に軟着陸させようと、ベターな『落としどころ』を懸命に探っているのが現在のムシャッラフ氏なのではないかと推測するが、今後かたときも目が離せないパーキスターン情勢である。
〈完〉

お隣さんはどこに行く??

9月10日のナワーズ・シャリーフ前首相の帰国直後の逮捕と国外追放、10月18日のベーナズィール・ブットー前首相の帰国当日夜のカーラーチーでの凱旋パレードの際に起きた、パーキスターン史上最大級と言われる被害を出した自爆テロ事件、大統領選立候補資格の有無をめぐる最高裁との対立、テロの拡大等を理由にした非常事態宣言発令、司法の痛烈な批判と最高裁長官の首すげ替え、閣僚宅への過激派による自爆攻撃、ブットー前首相の自宅軟禁とその解除を繰り返すなど、混迷が続くパーキスターン情勢。
亜大陸の反対側にあるバングラーデーシュも、今年1月に総選挙が実施されるはずであったが、対立する政党間での軋轢が激化した結果、大統領による非常事態宣言発令、選挙管理内閣による統治へ。選挙は現在のところ来年10月以降になりそうな見込み。こちらもまた先行き不透明だ。
もっともインドもかつて為政者が強権を発動した時期がなかったわけでもないし、北東部やカシミールでの分離活動やそうした地域で主に軍による人権抑圧、オリッサ、ビハール、アーンドラ・プラデーシュその他広い地域で活動する極左集団、カーストやコミュニティをベースにした対立等々さまざまな問題を抱えている。また90年代から経済的に目覚しい発展を遂げることになったとはいえ、それ以前は長く停滞にあえいでいた。
それでも総体として今のインドの好調さと安定ぶりは際立っている。旧英領『インド』としての歴史を共有する兄弟国でありながら、なぜこうも違うのだろうか?という思いを抱かないでもない。もっとも分離前の広大な地域をまとめあげたのは、亜大陸に住む人々自身ではなく、イギリスの統治によるものであったことから、元々同じ国であったとすること自体に幻想が含まれているのかもしれない。
もっとも今のインドにしても、現在の優位が未来永劫に続くという保証があるわけではない。20世紀には『来たる××年代の大国』『次世紀のアメリカ』と目された国が失速していく例はいくつもあった。インドとて、10年、20年後どうなっているかについては誰も正確な予言をすることはできないだろう。そもそも経済とは自国内のみで完結するものではないし、特に今の時代にあっては国際情勢その他、自分たちではどうにもコントロールできない事象に影響されることも多い。
〈続く〉

サイクロン接近!

ベンガル地方に時速200kmという強い風速の大型サイクロンが接近中。すでにインドの隣国バングラーデーシュの主要港であるチッタゴンやコックス・バーザールは操業を停止しているのだとか。嵐は本日11月15日夕方から翌16日にかけて、ベンガル地方を縦断する見込みだ。
早期警戒システムの導入とコンクリート製のサイクロンシェルターを多数建設したおかげで、バングラーデーシュにおけるサイクロンの被害は相当少なくなってきているとはいうものの、デルタ地帯からなる低地が国土の大半を占めるため、風雨による直接のインパクトに加えて、高潮による影響も懸念される。
このサイクロン、バングラーデーシュはもとより、インド東部沿岸部やミャンマー西部海岸地域にもかなりの爪痕を残すのではないかといわれている。今からほぼ24時間の事態の推移が気になるところだ。下記のロイターによる記事にあるように、今回のサイクロンは『Terrain lower than 3 metres (10 feet) above sea level may be flooded requiring massive evacuation of residential areas as far inland as 10 km (6 miles).』『Complete destruction of mobile homes 』という事態を含めた甚大な被害が心配される規模であるらしい。
洋の東西を問わず、自然災害に際して貧しい人ほどその影響を受けやすく、また被災からの回復にも時間がかかるものだ。明日、明後日以降に私たちが目にするニュースが心痛むものでないことを願うばかりである。
Super cyclonic storm Sidr (Reuters)
Storm lashes Bangladesh coast, thousands evacuated (Reuters)

東西ベンガルの都 鉄道ルート開通近し

コールカーター・ダッカ間を結ぶ列車の運行が近々再開されるようだ。バングラーデーシュ独立前、東パーキスターン時代の1965年から42年もの長きにわたり、両国間の鉄道リンクは断ち切られたままであったが、ここにきてようやくあるべき姿に戻るといったところだろうか。この背景には様々な要因がある。まず両国の間に横たわる様々な問題がありながらも、これら二国間の関係が比較的安定しているという前提があってのことだが、経済のボーダーレス化、グローバリズムの流れの一環ともいえるのだろう。国土面積は日本の4割程度とはいえ、実に1億4千万超の人口を抱える世界第8位番目の人口大国であるバングラーデーシュは、隣国インドにとっても無視することのできない大きな市場であり、産業基盤の脆弱なバングラーデーシュにとってみても、すぐ隣に広がる工業大国インドは決して欠くことのできない存在だ。
ベンガル北部大きく迂回した細い回廊部分によりかろうじて物理的に『本土』とつながるインド北東諸州にとっても、人々の移動や物流面で平坦なガンジスデルタ地域に広がるバングラーデーシュ国内を『ショートカット』して通すことができれば非常に都合が良い。『インド国内』の運輸という点からも、バングラーデーシュとの良好な関係から期待できるものは大きいだろう。コールカーター・ダッカ間のバス開通に続き、ダッカからアガルタラー行きのバスが運行されるようになったのと同じように、やがてはダッカからインド北東部へと向かう列車が走るようになるのだろうか。旅客輸送のみならず、現在両国間の貨物の往来はどうなっているのか機会があれば調べてみたい。
地勢的に東北諸州を含むインド東部とバングラーデーシュは分かち難いひとつの大きな地域であることから、本来相互依存を一層深めるべき関係にある。今後、『そこに国境があるということ』についての不便さや不条理さを意識すること、国土が分離したことに対する高い代償を意識する機会がとみに増えてくるのではないだろうか。またバングラーデーシュが低地にあるため治水面でインドの協力がどうしても必要なこと、今後懸念される海面上昇のためもともと狭い国土中の貴重な面積が消失することが懸念されていることなどを考え合わせれば、隣国とのベターな関係を築くことをより強く必要としているのはバングラーデーシュのほうだろう。経済の広域化と協力関係が進展するこの時代にあって、これら両国が今後どういうスタンスで相対することになるのか、かなり気になるところだ。
First India-Bangladesh train link (BBC South Asia)

右ハンドルでKeep Right !

インドの隣国ミャンマーの道路について特に印象に残ったことがある。路上を走る車両のほとんどが右ハンドルながら右側通行であることだ。
この環境下で左ハンドルという『正しい仕様』のクルマといえば、日本のマツダが現地で合弁生産しているジープ、ポンコツの中国製トラック、さらに稀なものとしてメルセデスやBMWなど西欧の自家用車など非常に限定的なものである。それに対して大多数のクルマは商用車から自家用車、小型車から大型車まで、目にするクルマのほとんどが日本やタイといった左側通行の国から運ばれてきた日本メーカーの中古車ばかりだ。聞くところによると、ミャンマーでこれらの車両の輸入に関わる人たちにはインド系、とりわけムスリムの人々の存在が大きいらしい。日本から自国やロシアなどに中古車を輸出するパーキスターン人の業者は多いが、これらの取引でいろいろつながりがあるのかもしれない。
ともあれ、左側通行の日本を走るクルマがほぼすべて左ハンドルになったようなもので、なんとも危なっかしい。自家用車はもちろんのこと、特にバスやトラックのような大型車両が前を走る同サイズのクルマを追い越そうとする際、本来あるべき左ハンドルの車両よりもずっと大きく反対車線にハミ出ることになるのが恐ろしい。
中央車線寄りに運転席があれば、少し白線を越える程度で先方の状況がわかるが、運転席がその反対にあれば巨大な車幅のほぼ全体を左にスライドさせないと見渡すことができないのだ。この原因による事故はかなり多いはずだ。
対向車線を走るバスがいきなり『ニュ〜ッ』とこちら側に飛び出してくるのを目にするのも怖いが、そこにしか空きがなくてバス前方左側に座らされるのもかなりスリリングだ。
こういう環境に育つと『右側通行である。ゆえに右ハンドルなのだ』という間違った思い込みをしてしまうのではないかと思う。ほとんどのクルマの供給元が左側通行である日本(およびタイ、シンガポールといった近隣国)を走っていた右ハンドルの中古車である以上、右側通行に固執するのには無理がある。
バスの場合は乗降口の問題もある。ヤンゴンの市バスはさすがにドアを車両右側に付け替えてある(ゆえにドアの折り返しが反対になってしまう)が、同様のタイプで都市間を結ぶ数時間程度の中距離バスにも使用されているものは日本で走っていたままに左側のドアから客を乗り降りさせている。大型シートのハイデッカータイプの長距離専用バスについても同じだ。国道で他のクルマがビュンビュン走る側に降車することになるため、見ていてハラハラする場面が少なくない。
ところで旧英領であったこの国は元々右側通行であったそうだ。1970年のある日、突然右側通行に変更になったのだという。切り替え後には相当事故が起きたことだろう。もっともその時代はクルマ今よりずっと少なかったはずではあるが。今となってはまた左にシフトするのは無理だろう。
それがゆえに、右ハンドルの日本車ではなく左ハンドルの韓国や中国の車両の需要が大きいのではないかと思うのだが、前者がほぼ皆無で後者もごく限られた数しか入ってきていないのはどうしたことだろうか。
実情をわきまえずに左側通行から右側通行に変更するという、今から40年近く前に起きた過ちのツケを今なお人々危険な思いをし、時にはそのツケを『命』でもって支払っていることであろうことは容易に想像がつく。民意の届かない国ではあるが、早急に何とかしなくてはイカンのではないだろうか。