街角

カトマンズのタメルの夕暮れどき、『そろそろ食事にしようか?』と歩いていると、このあたりに多いスーパーの店先で、10歳前後くらいの男の子たちが仲間たちと額を寄せ合っている。彼らが手にしているのは、空になった牛乳のビニールパックであり、嫌な予感がした。
よくよく見ると金属チューブから何か絞り出してそこに入れて、ふくらませた袋から息を吸い込んでいる。おそらく有機溶剤の含まれた接着剤に違いない。
その日の昼間も他の街角で、堂々と同じようなことをしている子供たちの姿があった。歩道の向こうから歩いてきた二人連れの幼い子供たちが、同じようなビニール袋を手にして交互に吸い込んでいる。ちょっと歩いていて気がつくだけでもこんな具合なので、私の知らないところではもっといろいろなことが起きているのだろう。
ネパールで、子供たちをめぐる問題は他にもいろいろあるし、ここ以外の国々でも同様だ。子供たちが置かれた家庭、環境、教育、社会等々、さまざまな形でいろいろな事例があり、そうした事柄を告発するメディアがあれば、積極的に働きかけようという団体もある。
しかしながら、そうして解決の糸口を探している間にも、いろいろな問題行動を重ねて身体を壊したり、より深刻なものに手を出していったりする子供たちは大勢いる。そうした子供たちをいいように利用する大人もあれば、子供たち自身が犯罪に手を染めることもある。
こうした子供たちもやがては大人になり、何らかの形で社会の一部を構成するようになっていく。自分で将来を切り拓き、自らの居場所を見つけなくてはならない。
この子たちに将来はあるのか?と思うと暗澹たる気持ちになるし、そういうことをしながら育った子たちが、どういう大人になるのかと想像すると、これまた空恐ろしい気がする。
都市化が進み、特に商業地で、そこで商売等で出入りしたり働いたりする人たちと地域社会との縁が薄くなり、周囲の人たちが『赤の他人化』していくと、そうした子供たちを注意したりする大人も少なくなる。
子供たちもまた、他のエリアから監視の目の甘いところに行って大胆な行動をすることもあるだろう。そうした子供たちの影には良からぬ大人たちの姿もチラついているかもしれない。
子供たちを律することができなくなってくると、相手が大人ともなると言わずもがな・・・である。どこの国でもいえることだが、地域を大切にするため、私たちがしなければならないことは、周りの人々の様子に目配り・気配りをすること、地域の様子に関心を持って積極的にかかわっていくことなのだろう。
それは都市化によって生じる、地域の人々の『他人化』と相反することであり、生易しいことではないが、決して放置しておいて済むものではないと思う。もちろんこれはどこぞの国や街に限ったことではなく、およそどこに暮らしていても私たちが気に留めていなくてはいけないことだと思う。

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