MBKとその界隈

話はインドからタイに飛ぶ。バンコクのMBKが残念なことになっていた。入居していた店もレストランも減り、既存店の位置を固めて営業しているようだ。ところどころ虫食い状態よりは・・・ということか。広い廊下の真ん中で列を成して商っていた人たちのスペースは消滅して、ガラーンとした空き地のようになっている。

ラーマ1世道路から入ったあたりには既存店を集中させているため、寂れ具合には気が付かないかもしれないが、奥に進んでいくと別世界になっている。フロアの端のほうには閉鎖されたままであったり、ボードで封をしてしまったテナントスペースが連なっていたりする。コロナで大きな衝撃を受けたレストランもたくさん撤退していた。

MBKの反対側、比較的古い商業施設、老舗の時計屋とか、たまに王女様が王宮警察の護衛付きで訪れる鞄屋さんとかもあったように思うけど更地になっていた。街の毛色というものは特に都心の商業地区ともなると、ゆっくりじわじわ変わっていくものではなく、一気に更地になって一気に何か大きなものが建って、周囲のムードやトレンドをいっぺんに変えてしまうものだ。面積からしてそこまでのインパクトがあるかはさておき、多くの主要ショッピング施設等が集まるサヤーム地区なので、何ができるのか楽しみでもある。

MBK反対側の商業地が更地に・・・

ドルックエアのパロ行きはバグドグラ経由

バンコク(スワンナプーム空港)からダージリン、シッキム方面に行くつもりならば、カルカッタに立ち寄らずショートカットできることになる。これは助かるので覚えておくことにしよう。バグドグラ便はインディゴ、スパイスジェットも利用できるが、ドルックエアであればカルカッタでの乗り継ぎなしで直行できるメリットがある。

旅情

ホアヒンでの滞在時、夕食帰りにコンビニで懐かしい「旅情」を見かけたので買ってみた。

「メコン」でも「ホントーン」でも良かったのだが、昔々バックパッカー時代に露店で旅仲間と食べながら楽しんだ「思い出」という味。インド帰りに当時無職だった私がバンコクからの帰国前に「さぁ、帰ってから何するかなぁ?」と漠然とした不安感といかばくかの期待感を胸にしていた、人より少し長かった青春時代の「記憶」。仕事に就いてから当時の彼女と旅行で訪れてバンコクのチャイナタウンで鍋をつつきながら、そしてコサメットで魚料理を食べながら傾けた水割りのどこかほろ苦い「追憶」の味。

昔の流行歌もそうだが、ある特定の時期と紐付いた酒はすっかり記憶の片隅からすら消えていたはずの事柄をどこか彼方から勝手にたぐり寄せてくるらしい。

昔、初めてタイを訪れたときに買ったカラバオの「Made in Thailand」というアルバム(カセットテープで購入した)で、主題となっているこの曲もカッコ良かったが、その他の収録曲も素敵な感じで、「タイの喜納昌吉かよ!」と驚いた。言葉はまったくわからないのに、であった。

訪れた年よりも何年も前から評判で、ネットのない時代、じわじわと国外でも知られるようになり、音楽雑誌でそういうバンドとアルバムがあると知り、バンコクで購入した次第。そういうのんびりした時代だったのだなあ。今なら即時ネットで拡散されていたのだろう。

インドの慧眼と叡智

インドで洋式便器の便座がしばしば壊れている理由。タイでもその行為を禁じる表示があるからには、そういうことをする人があり、破損する便座があるのだろう。

なぜこういう無理な座り方をするのかといえば、便座が汚れたままであったり、あるいは人の尻が触れたところに直接腰を下ろすのを潔しとしない人がいたりするため。前者については清掃環境上の理由であるが、後者についてはトイレ文化の違いからくるもの。トイレ空間で「文明の衝突」が発生したことによる悲劇と言える。

インド世界には、しばしば「ジュガール」と表現される柔軟思考法がある。日本でもう何年も前に「ジュガード」という少々誤った呼び名で紹介されたこともあったので記憶されている方もあるかもしれない。

そのジュガールとは、「間に合わせ」「やっつけ」と言われることもあるが、何かと物が足りない、本来あるべきものが手に入らないといった第三世界によくある状況下で、「それでも可能な範囲で必要な効果を出す」ポジティブシンキングによるダイナミックかつ生産的な試みだ。

これはバイクを改造してテンポーにしたりとか、農村で食い詰めてやむなく都会に出てきてスラムに廃材やビニールシートなどを使って居住空間を作ったりしたりといった「やっつけ」もあるが、バングラデシュのグラミーンバンクに代表されるようなマイクロクレジットのような素晴らしいをも創出している。

さて、このジュガールだが、実は先述のトイレ空間における文明の衝突という惨事に対しても画期的かつ合理的な解決方法をずいぶん昔に提案している。それが以下の「印欧折衷型便器」の発明だ。

印欧折衷型便器

これは洋式トイレとしても、はてまたインド式トイレとしても利用できるようにデザインされており、本来の洋式トイレを無理してインド式に利用するという「禁じ手」の際に問題となる両足の置き場をギザギザの刻まれた幅広のステップで対応し、背丈を下げることにより高さからくる不安定さをも解決している。たいへん人に優しい「人間本位」の発想だ。

このタイプの便器は、インド世界ではかなり高い普及を達成している。いわゆるミドルクラス以上の場所ではほとんど見られないが、それ以下の場所では相応の広がりを見せ、利用者の意図せぬ便座の破損というある種の文化紛争の防止に高い効果を示すとともに、折衷式の利用をきっかけに、本格的な洋式の利用にも慣れるための一助となってきた。

日本においては、洋式トイレはすっかり定着したかのように見えるが、今なお熱心な和式信奉者は年配者を中心に15%程度存在していると分析されるし、広範囲な世代にわたる「朝は和式でしっかりと気張りたい」という潜在的和式支持層も含めると、総人口の3割近くに及ぶであろうという指摘すらある。

そんなことから日本においても、インド発の折衷便器の潜在的需要は相当見込めるという状況がある。インドのジュガール思考法と多様多層な文化背景から生まれる発明には、文化や伝統の違いから生じる軋轢や摩擦をうまく回避し、一挙両得な解決へと導く深淵な知恵と発想に満ちている。

トイレひとつ取ってみても、私たちが真摯に学ぶべき慧眼と叡智の片鱗が容易に汲み取ることができるのが、インドという国の偉大さであり、間違ってもインドに足を向けて寝るわけにはいかない。

もはや今となっては印欧折衷式便器の発明者が誰であったのかすら記憶されないほど普及しているが、本来であればノーベル賞が授与されて然るべき、偉大な発明であった。「紛争回避」という意味から、もちろん「平和賞」が相応だ。

戦争、紛争、テロ等は必ずしも武器を取っての軍事衝突に限らず、どこにおいても発生し得るのだ。たとえトイレという密室空間においても然り。文明の衝突による甚大な被害を未然に防いできたのが印欧折衷便器であった。