遅く到着したので、宿すぐそばのコンビニで夕飯を買って部屋で食べてからすぐ寝ることにした。明日の朝は早い。

タイでよく感心するのだが、3種類のソケットが利用できる電源タップ。おそらくこういうのが用いられている国では、同じ電圧で異なる国からの並行輸入の家電が普及しているという背景があるのだろう。何気によく眺めてみると、このタップはPANASONIC製であった。

窓には昔からよくある南国特有の日除けが付いている。かなり遮光効果はあるものの、これのおかげで外観が冴えなくなる。


遅く到着したので、宿すぐそばのコンビニで夕飯を買って部屋で食べてからすぐ寝ることにした。明日の朝は早い。

タイでよく感心するのだが、3種類のソケットが利用できる電源タップ。おそらくこういうのが用いられている国では、同じ電圧で異なる国からの並行輸入の家電が普及しているという背景があるのだろう。何気によく眺めてみると、このタップはPANASONIC製であった。

窓には昔からよくある南国特有の日除けが付いている。かなり遮光効果はあるものの、これのおかげで外観が冴えなくなる。


タイといえばコンビニ犬。番犬として構えているのではなく、人々が出入りする自動ドアから流れる冷気が気持ち良いので居つく。店の中にさえ入ってこなければ追い払わないタイの人たちは優しい。犬自身もそれを理解しているので、その「結界」を越えないし、お客に吠えたりなどもしない。
コンビニ犬はたいてい図体がでかい奴が多い。これは「一等地」なので、ケンカすれば強い犬が場所を占めるからだと思われる。
こいつもかなり大柄だった。


翌日朝はドンムアン発でチェックインが早いので、スワンナプーム空港からの無料シャトルバスで移動。到着ロビー3番ドアの出たところでドンムアン発のチケットを見せると乗車できる。
午後8時半に出発して、午後9時15分にドンムアン空港出発ロビー到着。空港に面した道路の反対側へ。宿はワット・ドンムアンの正面にある。
狭くて簡素だが宿の人たちの感じは良い


シェムレアプにはインド型のトゥクトゥクもあればバイクを現地で改造したものもある。前者にはちょうどインドと同じカラーリングにしてあるものもあり、懐かしくなる。

前回来たときは、小さくてオンボロで1階も2階も木だけで出来ている普通の民家ばかり建ちが並んでいた。道路は未舗装で雨が降るとぐちゃぐちゃ。そんな集落だったシェムリアップがちゃんと大きな街になっていることに大変驚く。「以前」といってもそれはとても昔のことであり、まだUNTACが総選挙実施管理と平和維持活動をしていた時期なので、大きく変わって当然ではある。
そうした個人の家屋では、よくゲストハウスをやっていた。ちょうど現在世界各地で流行りの民泊である。もともとそのように建てられたものではなく、外国人が来るようになったため収入の手段として泊めるようになったものだった。

たいてい看板などなかったので通りとハウスナンバーで呼ばれていた。そういうのが発展してホテルとなったものもあるかもしれないし、反対に参入してくるホテルに押されて廃業したりしたものも多いのだろう。


暑い中を歩いていると、汚い酒場みたいなところで、デーシー・シャラーブではなく、ビールを出しているという店があった。渇きについつい引き込まれそうになるが、ここで飲んだらもう1日が終わってしまいそうなので我慢する。

さらに進んでいくと、どう見ても本当のインド華人が経営していそうな中華屋があったので入ってみる。出てきた年配男性に尋ねてみると、数年前までは華人が切り盛りしていたが外国移住のためインド人に売却したのだという。その男性を含むスタッフたちは華人時代から働いており、今年でなんと43年目なのだとか。



移住先はインド華人定番のカナダとのこと。彼らの大半がカナダ行きであり、そのマジョリティーはケベック州、その中でもモントリオールとその周辺が多い。先行した移住者たちのツテや縁があるからのようだ。
カーンプルのこの中華レストラン「中華」でチャプスィを注文。ひとりでは持て余す分量ながらも優しい繊細な味付けと野菜にコシがのこしてあるのは、さすがインド華人直伝。長崎皿うどんさながらの味わいだ。





フライトまでの2泊はバンコクのナーナーに滞在した。ちょっと良いホテルに投宿。朝食バフェが付いているのだが、有数の繁華街にあるため、食べているのは男性客ばかりで、女性客はほとんどいない。その数少ない女性客は男性客の連れのようだが、どう見ても夫婦にも恋人同士にも見えないというケースがほとんど。隣のテーブルのふたりも、互いに言葉すらロクに通じないのであった。
そんな界隈にはインド人観光客の増加を反映してか、インド人専用の夜遊びスポットがある。「専用」というのは、店の前の客引きがインド人客にしか呼び込みをしないからだ。
このあたりでは大音響でアラビアのポップスも流れているため、おそらくアラビア人用のスポットもあるらしい。このあたりは商圏を同胞に定めているようで、ランダムに声をかけてくるわけではないようだ。
通りには、いわゆるストリートガールがずらりと並んでいて、その数と年齢層の幅広さと多国籍ぶりには驚く。おそらくタイ人に見える中にはラオス、カンボジア等々周辺諸国からも来ているのだろうし、アフリカのどこかから来たと思われる街娼の姿もある。
そんな中のひとり、黒い被り物をしたアラブ人女性は観光客ではないようで、同じところに立ってアラブ圏から来たと見える男性たちに声をかけては話し込んでいる。こちらも街娼らしい。
インド人ナイトスポットのあたりでは、けっこう高価そうなシャルワール・カミーズを着用した女性がインド人男性二人連れと何やら話し込んでいる。
インド雑学研究者としては、こうしたインド女性たちがどこからやってくるのか、どういうきっかけで渡泰したのか、なにかリクルートのルートがあるのか、どのような形態で活動しているのか、何年くらい続けているのか、どのくらいの人数規模があるのかなどと、社会学的な観点からの関心が頭を持ち上げる。
商談中のふたりの横で、スマホをいじりながら彼の次に話をしてみようと終わるのを待つ。女性はインドでは耳にしないアクセント。タイ生まれのインド系の人たちの訛りなので、インド系タイ人ではないかと思われた。
そうこうしているうちに、話がまとまってしまったようで彼女は男性二人とそこを後にしてしまい、ちょっとガッカリ。
道路反対側に東南アジア系ではない女性たちが数人いたので移動してみると、やはりそこにもインド人と思われる人がいた。やはりインド人に特化して活動しているらしく、欧米人や私のような日本人が近づいても顔すら向けることはなかったが、こちらから「Kya haal chaal hai ? (調子どうよ?)」と声をかけてみる。
一瞬かすかな戸惑いのような表情は見えたものの、こちらが彼女に関心を持っていることはわかったようだ。
ラージャスターン州から来たという30代前半と思われる女性。ここでは2年になるとのこと。見た感じは観光客としてバンコク訪問のインド人客に見えなくもない。先ほどの女性のようなタイ訛りはないので、本当にインドから来たのだろう。ヒンディー語は何かと役に立つ言葉である。
どこかの店の客引きをしているわけではなく、彼女自身がフリーランスで活動しているとのこと。昼間は他のどこかで仕事をしているわけではなく専業だと言う。(VISAはどうなるのか?)基本、夕方から毎日ここに立っているそうだ。
そんな話をしばらく聞いた後、「これからどうですか?1,000バーツだけど、部屋代は別途300バーツ払ってね。ここの路地のすぐ裏だけど遊びませんか?」とかなんとか。
この流れだと、インド人客であれば「料金融通利きますか?600バーツでどうでしょう?近くに泊まっているので、私の部屋でも大丈夫ですよ、ノープロブレム。さあ、行きましょう!チャロー!」と口走る人が大半ではないかと思う。
界隈では、数はけっして多くはないものの、インド人と思われる姿はたしかにチラホラと見られるため、インド雑学的見地から興味関心はそそられる。
しかし、こればかりはそうした当人たちのお客さんにならない限りは、本格的な調査は容易ではなさそうだし、深い話を聞きだそうとすれば、常連さんになる必要があるような気がする。
英連邦(Commonwealth of Nations)」なんて形式的なものに過ぎないし、その中で敵対関係にある国々もある。
それでも4年に一度、この「名目的な共同体」の中で「英連邦大会(Commonwealth Games)」が開催されているし、英連邦の国々同士で相手国に設置する在外公館も「大使館(embassy)」ではなく、「高等弁務官事務所(High Commission)」と呼ばれる。
名目上、同じ連邦内にある自治体としての「☓☓国」「☓☓共和国」であるからだ。なんか不思議な感じ。
中には英国と豪州のように、カナダも同様だが、名目上の国家元首として英国国王を戴く国々もあれば、英国/豪州間のように、あたかもEU加盟国同士の国々の如く、国民の相互への移動に対して査証の必要はないどころか就労も自由といった関係にある例を除けば、他はそんなことはまったくないのに。
たとえばインドやバングラデシュから英国に渡航しようとすれば厳しい査証審査があるし、英連邦市民てまあるからといって容易に就労できるなどといった措置もない。
昔、デリーで初めてパキスタンの査証を取得した際、出向いた先がパキスタンの「大使館」ではなく「高等弁務官事務所」を名乗っていることに、軽い目眩を感じた。「同じ『英連邦』内の国同士なのに、なぜ戦争までしたり、敵対関係にありいがみあっているのか?」と。
そんな名目上の「Commonwealth」なる連合体なのに、それでいて定期的な行事やイベントもあるなど、旧宗主国英国を中心とするしっかりした繋がりと緩いながらも確たる所属意識もある。
そのとき改めて「英国はすごい」と思った次第。
High Commission for Islamic Republic of Pakistan, New Delhi

ペルシャ料理のプラオからインドで派生したビリヤーニーが美味しいデリーで、そのペルシャのプラオから派生したウズベキスタンのプラオ、つまり「いとこ」に当たるものを食べる。
やはりマトンは美味しい。脂身の芳醇な香りが好きだ。この店の肉はちょい痩せているけど。肉質や香りは牛肉のそれとベクトルが似ていると思う。
これを臭いという人もいるが、あくまで慣れと馴染みの問題だろう。私たちは牛肉には慣れているものの、あれだってそうとう強い匂いがするものだから。匂いと感じると美味しく食べられるのだが、臭いと感じるとそうではなくなってしまう。

俗に「モンゴルの東征で広まった」とされるこんなアイテムがあったり、それはさておきタンドゥールで焼いた各種パン類があったり、もちろんいろんなケバーブ類もあったり(その他おそらくスープやシチューの類も)と、アフガニスタンからアルメニア、ジョージアにかけての食文化には共通するものがとても多いようだ。
「〇〇料理」「☓☓料理」といった具合に、現在の国境線で食文化が完結するわけではなく、「〇〇族料理」「☓☓族料理」という形で国境をまたいで居住する民族料理の範疇で成り立つものでもないことに改めて気が付かされる。
食文化は大陸規模で共有されるもっと大きなものであり、一度他所から入ったものが土地の影響を受けてローカライズされた形で発展したり、それが故地に再輸出されて、新たな味わいが人気を博したりする、そんなダイナミックさがある。
アフガニスタン、イランあたりを軸に、かたや中央アジアやカフカス、かたやインドを中心とする南アジア方面へと広がったペルシャ系の食文化。
こんな「ペルシャ系食文化」を家系図的に系統立てて網羅した俯瞰した図鑑的なものがあったら、広大な地域での食べ歩きに役立ちそうだし、インドやパキスタンなどでそれらに含まれるモノを食べる際に、背景にある豊かな歴史や地域を超えた繋がりが感じられて楽しいのではないかと思う。
そのペルシャ系料理が起源ではないけど、このジョージアのモモ的な料理についても、どの地域でどんな形で伝播発展していったのか、地域ごとにどんなバリエーションがあるのか、図解してあったら面白そうだ。
唐突ではあるが、広大な食の繋がりと食文化の連鎖と交流に気が付かせてくれるインドという国は、実にありがたい国だなぁと改めて思う。そこには様々なペルシャ起源のアイテムがあり、独自の発展を遂げているがゆえ、本場イランであったり、その影響を強く受けた中央アジアやカフカスの食と対称すると、たいへん興味深いものがある。

この本がとても面白い。イスラム世界とヨーロッパ世界の関係性。前者が伝えた高い文化と技術があったからこそ、後のヨーロッパが大きく発展することができた。そしてユダヤ人たちに対するヨーロッパの不寛容さとイスラム世界の寛容さ。今のアラブ世界とイスラエルの対立とはまったく異なる密接な関係性があった。
また、各署に散りばめられているトリビア的なものもこれまた興味深い。
スペイン語には今なおアラビア語起源の言葉が4,000語ほどあり、その中にはアラビア語の定冠詞「al-」を残したものも多いとのこと。また、サッカーや闘牛の応援などで耳にする「オーレ!(Ole !)」は、アラビア語の「Wallah(Wah Allah)ワッラー!(神に誓って!)」が訛ったものであるとのこと。
スペインの人たちは普段から意識することなく、唯一絶対の存在の名を口にしているわけだ。「啓典の民」である3宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教における神の概念は同一であるため、なんと呼ぼうと意味する対象は変らないわけだが。

書名:イスラムがヨーロッパ世界を想像した
著者:宮田律
出版社:光文社新書
ISBN-10 : 4334046088
ISBN-13 : 978-4334046088
DICE+にお試し加入。「ガザの美容室」と「ラッカは静かに虐殺されていく」を観たかったため。無料期間の2週間のみ利用する予定。入会金はなく、月額費用だけなので、今後も興味を引かれる作品があれば、ひと月だけ入るかもしれない。
「ガザの美容室」は、パレスチナ人との結婚によりガザに移住し、アラビア語に堪能なロシア人女性が経営する店とそこに集う女性顧客たちの間でストーリーが展開していく。始めから終わりまで、店内(及び店の前の道路)のみで完結する話なのだが、店内で繰り広げられる女性たちの確執と外で始まる戦闘がシンクロしていき、緊張感とスピード感に溢れる力作。
キリスト教徒の店主、店内の10人の顧客たちのひとり、敬虔な女性を除けば、誰もヒジャーブを着用せずタンクトップやブラウスなどラフな洋装の女性のみの空間。ただ画面の姿のみ眺めていると、スペインやポルトガルなど、南欧のひとコマのようにも見える。パレスチナを含むレバント地方はかつてローマ帝国の領域。後にアラブ世界に飲み込まれたとはいえ、DNA的には南ヨーロッパとあまり変わらないため、造作の似た人たちがいるのは当然のこと。人種よりも文化や言語が世界を区分するのである。
「ラッカは静かに虐殺されていく」は、ISISの「イスラーム国」首都となってしまった故郷ラッカで抑圧される同胞を救おうと国外で反ISIS活動を進めるジャーナリストたちのグループを題材にした作品。重たいテーマだが、事実をベースにしているだけに大変見応えのある作品であった。
両方ともアラビア語による作品だが、mumkin(可能)、umr(年齢)、qabzaa(占有)、maut(死)、mushkil(困難)、bilkul(まったくもって)、galat(過ち)、kharaab(悪い)、jawaab(返事)、tasveer(写真)、hamla(攻撃)、aazaadee(自由)、khauf(恐怖)、qatl(殺人)、yaani(つまるところ)等々、ごく日常的な馴染み深い語彙がたくさん出てくる。ヒンディー語にはアラビア語から入った語が多いからだ。
これがアラビア語ではなく、アフガニスタンを舞台裏にしたダリー語(ペルシャ語)映画だったりすると、ペルシャ語起源のヒンディー語彙もまた膨大なのので、耳で音を追いながら字幕を見ていると、インドにおける西方からの影響はいかに巨大かつ圧倒的なものであったかをヒシヒシと感じる。
もちろん言葉だけではなく、ヒーナー(日本語ではよく「ヘンナ」と表記される)、パルダー(男女隔離)、履物を手にして相手を叩く(最大級の侮辱表現)等々の日常的な習慣などにもごく当たり前に西方から入ったものが生きており、それは食事や建築手法などでも同様。
またアラビア語ではなく、ペルシャ式の表現として、インドのニュースで凶悪犯に対する「Saza-e- Maut(死刑)」判決の報道、道を歩けばダーバーやレストランの名前で「Sher-e-Punjb」をよく目にする。
パキスタンからの越境テロが起きると、その背後に「Jaish-e-Mohammad」や「Lashkar-e-Toiba」といった原理主義武装組織の名前が挙がる。ペルシャ語式に接尾辞「e」を所有決定子として前後の語を繋ぐことは日常ないのだが、「e」で繋いだひとまとまりの語が外来語として用いられているのだろう。
中東方面の映画やドキュメンタリーなどを見ると、様々なものを西から東へと運んだ「偏西風」のようなものを強く感じる。
・・・といってもクリケットの話。
インドで自国開催のクリケットのワールドカップ。ちょうどナウラートリーのタイミングでパキスタンと対戦。インドのファンたちにとってもは勝つ以外考えられないカードのはず。
明日の大一番を前に、全国から人々が集まる旅客需要急増に対応するためにムンバイ・アーメダバード間などでは特別列車まで出るそうだ。アーメダバード市内の宿泊施設はすでに満杯、料金は何倍にも跳ね上がっているとのこと。
そんなわけで何とか宿泊しようと、市内の病院では地域外の人たちによる健診(泊りがけでの健診というプランがあるそうだ)の申し込みが殺到し、関係者は困惑しているらしい。つまり需要急増により料金が急騰したり空室そのものがなくなったりしている宿代りに病院の健診を利用しようというチャッカリ者たちが大勢いるということ。
試合開催地となるのは、その名も「ナレーンドラ・モーディー・スタジアム」。歴史上の人物名を競技場や空港名に冠することはよくあるが、存命でしかも現役首相のモーディーは、すでにそういう突出した存在ということ。なにしろ「独立後もっとも人気の高い首相」ということだから。良いか悪いかはともかく、右翼勢力が主流はとなる日が来るとは、1980年代あたりまでのインドでは想像すらできなかった。
パキスタンを迎え撃つには万全といった具合で、ライバルに競り勝つ前提で盛り上がっているのだろうけど、よもやここで負ける、しかも惨敗するようなことがあったら、ひどく暴れる者たち、ドサクサでともに暴れたり略奪に参加したりする者たちがたくさん出そうで怖い。
そんな懸念はあっても、ウクライナ、パレスチナのガザ地区と悲惨な戦争が起きている中、国と国とのぶつかり合いはスポーツだけにしてもらいたいところだ。
Cricket fans throng hospitals for overnight stay amid Indo-Pak hysteria (REUTERS)