
先週末に代々木公園で開催されたナマステ・インディア2009の会場脇で、Velo Taxiの試乗会が行なわれていた。1997年にドイツで運行が開始され、日本に上陸したのは2002年。最初に京都、続いて東京でも営業が始まった。
このVelo Taxi試乗は、代々木公園のイベント広場から原宿駅まで行き、そこから折り返して再びイベント広場に戻るというルート。
東京で営業しているVelo Taxiでは、インド政府観光局が広告スポンサーになっており、車体脇に『Incredible India』のロゴを掲げて走っている。そのつながりから、ナマステ・インディアの会場で試乗会をしてみないか?と声がかかることになったのだという。
東京ではVelo Taxiの車庫は有楽町にあるとのこと。人力による乗り物であることから、無闇に遠くまで行くことはないというが、それでも制度上は23区内ならばどこでも運行するとできるのだそうだ。
『でも決まった時間には有楽町に戻らなくてはなりませんから』とは運転手の男性の弁。利用者が増えて、都内に新しい営業拠点がいくつも出来れば、もっと利用しやすい交通機関になるのかもしれない。
電子式のメーターが付いており、初乗りは自動車のタクシーの半額程度。しかし速度では比較にならないため、同じ距離を行くとすればこちらのほうが割高になるようだ。
生身の人間がペダルを踏んで進む乗り物だけに、坂道だらけの土地ではキツいようだが、それでも電動アシストが付いていることから、肉体的な負担はかなり軽減されているとのこと。女性のドライバーも活躍しているそうだ。
丸みを帯びた車体からの眺めは開放的で、春・秋の気候の良い時期にはとても快適。もちろんそんな心地よい時期ばかりではなく、寒風吹きすさぶ凍てついた冬もあれば、ジリジリと身を焦がすような暑い夏もあり、ジトジトとうっとうしい梅雨もあるので、いつでもどこでも楽しいVelo Taxiというわけにはいかないところは、やはり『サイクルリクシャー』であるがゆえだろう。
こうした環境負荷の少ない交通機関がもっと普及するといい。彼らが営業するエリアがもっと拡大し、駅前や商業地など、そこらで客待ちしている姿を見かけるのがごく当たり前のこととなったら便利だろう。
この車両が広く普及することにより、利用料金がもっと安くなり、すぐそこまで、これまで歩いていた距離でも気軽に利用できるようになるといいなぁ・・・などと思ったりもするが、そうなると運転手の取り分が少なくなり、格差社会を象徴するような乗り物になってしまうのも良くない気がする。
環境に優しい乗り物という点では諸手を挙げて賛成したいのだが、体力勝負の仕事でお客の入りも季節や天気次第という不安定さもあることから、車両の普及と運転手の待遇が両立するものなのかちょっと気にかかるところである。
『エコな乗り物』という切り口から出てきた新型タクシーなれども、Velo Taxiのホームページに書かれているとおり、目指しているのは『バスや地下鉄を補完する環境にやさしい公共交通としての定着』であることから、バスストップや駅前で大勢で客待ちしているサイクルリクシャーの姿とダブるものがある。
運行スピードからしても、クルマと対等のものではなく、かなり近距離の移動のみに用途が限られるであろうことからも、やっぱりこれはサイクルリクシャーである。
タダで乗せてもらって、こんなことを書くのは気が引ける。だがVelo Taxiが日本で日常の交通機関として定着したならば、環境保全に対する意識の向上のみならず、むしろ私たち市民の経済事情や雇用環境の悪化という歓迎できない要因が、その普及に対してプラスに作用しそうなことに不安を覚えるのは私だけだろうか。

カテゴリー: column
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Velo Taxi試乗
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ストライキ! Air India
9月前半、400名余りのパイロットによるストライキにより、5日間で800ものフライトがキャンセルとなったのはジェットエアウェイズだったが、今度はエアインディアの操縦士たちのストは、本日9月29日で4日目に突入。
争議の原因は前者が解雇された同僚パイロットの復職を求めるものであったのに対し、後者は人件費の大幅な削減を目的とした成果主義の導入によりボーナスが最大5割ほどカットされることに対する反発によるものである。
エアインディアでストライキを実施しているのは180名のパイロット。過去4日間で150を超えるフライトがキャンセルされているという。こうした事態を受けて、本日から向こう15日間の新規予約を停止している。
そのためエアインディアのサイトにアクセスしてみると、左側に表示される『Book Online』のメニューからその期間のどのフライトを指定してみても『Not Available』と赤い文字で表示されるようになっている。
だいぶ前から民営化が揶揄されているものの、累積赤字が巨額であることから、なかなか手を挙げる資本も見つからず、先行き不透明なエアインディアだが、こういう事態になったのは、現場で働く人々の怠慢によるものではなく、国営であるがゆえのコスト意識の低さという会社の体質、ならびに放漫な経営を続けてきたマネジメント側に責任があるのだとすれば、そのツケを飛行機を操縦する我々に肩代わりさせようなどということは断固として許せん!という主張は当然のことかもしれない。
パイロットといえども会社に雇用される身であり、労働三権を持つ労働者であることから、経営側による不当な圧力をはね返すべく闘う権利を有している。
しかし、昨年あたりから航空業界は燃油の高騰に続き、世界的な不況、新型インフルエンザの流行などといった逆風の中に喘いでいるとはいえ、各地で沢山の新興航空会社の誕生が続いてきたこともあり、恒常的に人材不足。
そのため他社による引き抜きを防ぐため、あるいはヨソの会社からパイロットを自社に移籍させるための手段として、給与が高騰していた時期がある。もとより特殊な資格が必要であることから、一般的に普通の勤め人よりも相当高い給与を得ているがゆえに、市井の人々からしてみれば『あんたらもちょっとは我慢したらどうだね!』といったところではないだろうか。
途上国のキャリアとはいえ、エアインディアの機長クラスともなれば、月給は日本円にして150万円を超える水準のようで『世界標準』と比較しても遜色ないものであるようだ。
本日までのところで150のフライトが運休。予約も向こう半月は入れることができないとなれば、いったいどれくらいの乗客が迷惑を蒙ることになるのだろうか。1932年にターター・エアラインスとして創業してから77年に及ぶエアインディアの長い歴史の中でも、特筆すべき労働争議のひとつとなるだろう。
利用客あっての交通機関であり、お客や荷物を目的地まで運び届けることが航空会社の存在意義である。エアインディアの経営陣、国営キャリアを監督する立場にある政府とともに、パイロットたちも含めて、利用者の立場にも充分配慮し、責任ある行動を心がけて欲しいものである。 -
ナマステ・インディア2009

9月26日(土)ならびに翌27日(日)に代々木公園で、ナマステ・インディア2009が開催された。
広い屋外イベント会場を借り切ってのこうした催しは近年増えており、中身はどれもかなり似ている。国の名前、ステージの演目と屋台で提供される食事が違うだけという気がする。
だがこの時期、天気にさえ恵まれれば、会場の隅っこにでもレジャーシートを敷いて陣取って、青空の下のんびり過ごすのは気持ちがいい。

2年前のこのイベントでは、スワーミー・ラームデーヴが現れるというサプライズがあった。
昨年の目玉といえば、チャダだっただろうか。今年も来場してステージで熱唱していた。会場内に自身のブースを構えており、通りかかる人々の求めに応じて気楽に写真を一緒に撮らせてくれたりなどしており、なかなか評判だったようだ。
さて今年、特に目を引いたのは・・・といえば、開会式にカラン・スィンが挨拶をしていたことではないだろうか。ヘーマント・クリシャン・スィン駐日インド大使による紹介の後、カラン・スィンがスピーチを行なっていた。

現在のJ&K州が藩王国だった時代の最後の王、ハリ・スィンの跡継ぎであった人物で、地元J&K州ならびに国政の場でも要職を歴任し、インド国内のいくつかの著名大学で総長も務めていた。また著述家としても知られている。
しかしながら日本では一般の人々の間で広く知られた顔というわけではないので、特に警備関係者が取り巻くわけでもなく、大使、大使館員ならびにイベント主催者の一員らしき人物に伴われてはいたものの、会場内を普通に歩いていた。
もっとも、彼はこのイベントのためにわざわざ来日したわけではなく、その前日にインド大使館がこのほど完成させた文化施設のオープニングの来賓としての役割など、他の用事と合わせて東京に来たようである。
それでもカラン・スィンのようなちょっと特別な人物が、こうしたイベントにわざわざ足を伸ばしてくれるのは、なかなか喜ばしいことであろう。
来年はまた全然違うタイプの著名人がやってこないだろうか?ステージのプログラムの『ボリウッドダンス』の中で、いきなりラーキー・サーワントが登場したりするようなことがあったら、嬉しくてたまらないのだが。 -
ナイジェリアのイメージ
90年代初めあたりだっただろうか、インドに滞在するナイジェリア人の姿がやけに多いことに気が付いたことがある。しかも留学生ではなく、仕事等での居住者のようでもなく、『観光客』の立場で。
外国をフラフラと物見遊山に出かけるナイジェリア人がそう多いとは思えないし、彼らは大都市間のみを行き来していたり、滞在先の都市でも市内見物に出かける様子もない。特に人のことを詮索する必要はないのだが『彼らはいったい何をしているのだろう?』と思ったりした。
デリーで、所用等あってしばらく滞在していた宿の宿泊客の大半は外国人たち。そこにナイジェリア人たちが5、6人のグループで滞在していた。フレンドリーな人たちが多く、食事どきには中庭では鶏肉のシチューや主食のウガリなど、彼らの郷土料理をにぎやかに作っていたのだが、そこを通ると声がかかってはお相判にあずかっていた。
近隣の宿にもこうした人たちが何組も宿泊しており、多くは顔見知りであるようで、相互に出入りしているように見受けられた。
数日間、そこを留守にして他の町に出かけてから戻ってくると、宿の様子がすっかり変わっていた。ナイジェリア人たちが一人もいなくなっていたのだ。近隣に滞在していた者も姿を見かけなくなっていた。私の留守中に滞在していた人たちによれば、ある『事件』があったのだという。
『朝7時過ぎくらいだったかな?警察官たちが何人も雪崩れ込んできた。ナイジェリア人たちが滞在する複数の部屋にそのまま進んでいった。ドアをノックしてナイジェリア人が出てきたところに彼らが突入して全員取り押さえた。テレビクルーも後にくっついて行ってたぞ』
『部屋の中から幾つも金属パイプが出てきて、それを警察官がテレビカメラの前で切断してみせると、白い粉が大量に出てきた』
彼らは麻薬取り引きに関わる一団であったらしく、長く内偵を続けてきた警察がようやく証拠等を充分に押さえたうえで一網打尽にしたようであった。
威圧的な印象を受けるほど長身で筋肉質の立派な体格の人たちが多いものの、外見とは裏腹に陽気で友好的な人たちだな、と思っていたが、まさかそんな犯罪集団であるとは想像もしなかっただけに心底驚いた。当日、その宿に泊まっていた人たちは、多かれ少なかれ警察から質問をいくつか受けたのだという。
豊かな石油資源、1億5千万人を越える世界第8位の人口は、地域最大級の市場でもある。アフリカ大陸で突出した大国のひとつであり、この地域の中で特に高い教育水準を誇りながらも、政情不安や政府の腐敗などといった背景もあり、高い失業率に悩まされ続けている。
その結果が高い犯罪発生率ということになるのだろう。ナイジェリア発で、世界各地で知られている。『ナイジェリアの手紙』に代表される大掛かりな国際的な詐欺事件も頻発している。
石油公社幹部だの、暗殺された政治家や政府高官の家族だの、前政権時代の権力者で今は第三国に亡命中だのと名乗る差出人からメッセージが届き、膨大な裏金を自由に動かせるようにするために、当局がマークしていないあなたの銀行口座を貸して欲しい。こちらもリスクを負うのだから、あなたから保証料をいただいたうえで、一度入金させてもらい、これを私自身の安全な口座に移し変えることにしたい。これがきっちりうまくいった暁には、成功報酬をいくらお支払いする・・・などという形で、マネーロンダリングを持ちかける詐欺話が特によく知られているところだ。
英語が広く普及していること、コンピュータ関係の教育が盛んで、アフリカのIT大国という側面もあることから『作文』の面からも、また銀行口座への不正アクセスといった『技術面』からも、豊富な人材(?)が揃っているとされる。
近ごろのインドのメディアでも、ナイジェリア人たちの関わる事件等はよく取り上げられている。
Madhya Pradesh police bust online fraud racket (The Times of India)
Nigerian, 3 others held for Net fraud (The Times of India)
Nigerian held for Kerala Net fraud (Gulf Times)
Nigerian fraud: ‘money mules’ held (The Hindu)
Nigerian arrested with one kg heroin in Delhi (India Today)
こうした記事ばかり眺めてしまうと『悪い奴が大挙してやって来ているなあ!』と感じてしまうが、インドでマジメに学んでいる人、ちゃんとした仕事をしている人は大いに迷惑していることだろう。
豊富な原油埋蔵量を背景にアフリカ有数の経済規模を持つ大国、アフリカ大陸最大の人口を抱えているものの、教育の水準は域内でも高く、政治的に安定していれば、もっと順調に発展していて然るべきであり、南アジアにおけるインド同様、経済新興国の成長の核として、また人材の宝庫としても大きな存在感を示しているべき存在である。
そんなナイジェリアだが、日本においては同国の政情不安、インドにおいては犯罪にまつわるニュースばかりであるように見受けられるのは残念である。 -
ストーンハウスロッジの記憶 3
あれからずいぶん長い年月が過ぎた。ストーンハウスロッジのことなど、すっかり忘れていたのだが、今年夏にカトマンズを訪れた際にニューロード界隈に来たので、ちょっと覗いてみようと思い、あの宿へと続く路地へ足を踏み入れた。
私の記憶が変質してしまっているのか、それともこの路地が変わったのか?道の両側の隙間なく建物が並ぶ様子は以前と同じだが、ずいぶん背の高いものに置き換わっているようだ。建物の高さもせいぜい三階建てくらい(?)であったように記憶しているが、今や五階、六階は当たり前、それ以上に大きな建物もニョキニョキ生えている。
元々、市街地の密度が高くて狭かった空がさらに狭くなり、また狭いながらも様式や高さなど統一感のあった街並みが、まったくてんでバラバラの無秩序な空間となっている。
この路地に限ったことではないが、他のカトマンズの路地同様、もともと人間が徒歩で通るために出来ている細い道を無理矢理走るバイクやクルマなども増えていて危なっかしい。
その反面、様々なモノが溢れ、非常に活気のあるエリアとなっていた。人々の暮らしぶりもかなり向上していることだろう。
ストーンハウスロッジがあった場所にたどりつくと、そこにあるのはふた周りほど大きな建物。以前ここにあった木造の建物は、こんな風に二棟が直角に寄り添う形で建っていたのだが。家電製品を扱う店や雑貨屋などが入った小ぶりな商業ビルとなっている。写真左下部分には、何故だかロッジの敷地入口にあった門柱の部分のみ、昔のたたずまいのまま残っている。当時宿泊したことのある方の中には、『ああ、そうそう・・・』と思い出す人もあるのではないかと思う。

ストーンハウスロッジ跡地からさらに小路を奥に進むと、かつてはほとんど居宅であったエリアであったのが、すっかり商業地化していた。ネワール式の古い建物もコンクリート柱とレンガ壁の今どきのものに建て変わっている。
辻ごとにあった祠もまたフェンスで囲まれるなど、キレイに整備されたものが目についたりする一方、他にもあったはずの祠がずいぶん減っているようであったり、神々の姿が人々からやや遠い存在になってきたような気もする。
『ずいぶん変わったなあ』という思いともに、昔のいろんな記憶がどんどん胸の中に蘇ってくる。半ば放心状態で立ち尽くしていると、『パパ!こんなところいてもつまんないよ。どこかに行こう!』と言う息子の声で我に帰る。
時は移ろうもの。時間の経過とともに、目に見えるもの、見えないものもどんどんカタチやありかたを変えていく。街並みも然り、自分自身の立場も然りである。安旅行者だった私は、今や子供を連れて家族旅行のオトウサンとなっているのだから。
〈完〉 -
ストーンハウスロッジの記憶 2

歩くと床全体がユラユラと振動して、階段を通して上下によく音が抜ける老朽家屋、ベニヤで細分化された部屋ということもあり、足音や話し声がどの方向から来ているのかよくわからなかったりした。
ずいぶん昔の話になるが、この宿に滞在していたとき、他の宿泊客から『帰って来る幽霊』の話を耳にした。何でも、私が宿泊したときから数年前に、この宿で亡くなった日本人客があったのだという噂だった。その人が生前に滞在していた部屋にときどき帰って来るという伝説みたいなものが流布しつつあった。
『夜1時過ぎくらいに帰って来るんだ、奴が。この宿って11時が門限で、玄関のカギを閉めてしまうから、その後に入ってくるはずないんだよ。昨日も奴は帰って来てた。宿の人は、チェックアウトした人の部屋の掃除に使用人を寄越すくらいで、よりによって遅い時間に上がることはないって言ってた。思い出すだけで気味悪いよ。重たい足取りで、トン、トン、トン、トン・・・と上がってきて、この階の端っこの部屋のドアを開けて入るんだ』
彼が言うには、隣室には他の旅行者が泊まっているため『霊が帰って来る』のはその脇の部屋に違いないのだという。
『昨日も、奴が帰ってきてから、ちょっと怖かったけど、確かめるためにドアの外に出てみたんだ。するとあのドアは、外から南京錠がかかっていた・・・』
こちらもちょっと背筋が寒くなる思いがした。私が滞在する部屋ちょうど真下に、幽霊が帰って来るなんて、気分のいい話ではない。
ひとつ下のドミトリーに宿泊していた男性も彼の言葉を裏付けた。
『昨日、ちょうどそのあたりの時間だろうな。寝ていたけれども階段を上る音がしていたこと、その後ドアがバタンと閉まる音も耳にしたよ』
『昔いた場所に帰って来るってのは、アンタ、そりゃ地縛霊だよ。タチの悪いのもあるって言うから気をつけてね』などと、したり顔で無責任なことを言う者もあった。
そんな怪談じみた話がしばし続いてから『そろそろ夕食に行こう』ということになり、数人で近所の食堂に出かける。部屋に戻ってからも、ドミトリーに顔を出して、そこに滞在している人たちと、ひとしきり話していると、いつの間にか夜は更けて午後11時。
『おやすみなさい』と、彼らのスペースを辞して自室に戻ってから、ステンレスのマグに電熱コイルを放り込んで湯を沸かして茶を淹れる。いつものとおり日記を書き、今朝方買った新聞を広げてみたり、ガイドブックを眺めたりしながら過ごす。そんなことをしているうちに、いつものことながら1時を回ってしまうのだ。
『さて、歯磨きをするか』と、お茶沸かすときに汲んで来た残りの水で口をゆすいで、無作法ながら、窓の外にペッと吐き出す。歯ブラシでシャカシャカ磨いてから、洗面台があるひとつ下の階にそうっと下りる。階段脇の水道の蛇口を静かに開いて口の中をゆすいで歯磨き完了。
癖で、階段を上るときに足の裏を叩きつけるようにして上ってしまうが、途中で『あ、この時間はみんな寝てるんだ』と、なるべく音を立てずに上がることを心がけたりするのもいつものことだ。
建て付けの悪い部屋のドアをバタンと閉めて、中から金属のカンヌキをかけると、下の階でドアが開く音。誰かが数歩進んでから、『やべぇ!』など声を上げている。彼は即座に自室に駆け戻ったようで、バタンとドアが閉まる音が聞こえてきた。どうやら『帰って来る幽霊』とは、私自身のことであったらしい。
翌日、下の階の男性は『昨日も幽霊が帰ってきた』などと吹聴していた。ドミトリーの宿泊客たちは『マジかよ!』と眉を顰めて話に聞き入っている。
私は『幽霊自身が種明かし』をして、せっかく定着しつつある『怪談話』がオジャンになってしまってはつまらないので、とりあえずあまり興味のないふりをして聞き流すことにした。 -
ストーンハウスロッジの記憶 1

昔、カトマンズのニューロードにあるネパール航空事務所の反対側の路地を少し進んだところに、ストーンハウスロッジという格安の宿があった。
宿泊客はほとんど日本人ばかりで、インド亜大陸各地をめぐるとか、アジア横断してアフリカに向かうなどといった長期旅行者が多かった。インターネットもなかった頃なので、こういうところでいわゆる『情報ノート』が貴重なインフォメーションのリソースでもあった。かつて、私もこの宿に幾度か宿泊したことがある。
古いネワール式の木造の建物で、最下階の狭い入口のところに受付があり、細くて急な階段を上ってすぐの階には家主の家族が暮らしており、そこより上の複数の階に宿泊客を泊めていた。 各階ともに、もともと狭いフロアーを無理やりベニヤで仕切って、やけに幅の狭いベッドが置かれているが、これで部屋の中は一杯。確かひとつだけ四つのベッドが入った『ドミトリー』があったと記憶している。
当時からタメル地区はかなり繁栄しており、すでに旧王宮近くのジョッチェン地区に宿を取る旅行者は少なくなっていた。どちらからも離れたストーンハウスロッジになぜ日本人旅行者が集まるようになったのかは不明である。シーズンは常に満杯、雨季のオフシーズンでも部屋が空いていないということは珍しくなかったようだ。
いつ購入されたのかわからないボロボロの古いベッドの上に敷かれているシーツは、これまたいつ洗ったのか知れず、身体を横たえていると、南京虫の執拗な攻撃に悩まされるようなところなのだが、何故かとても繁盛していた。
ひどく狭くて汚いかわり、宿泊費がそれ相応以上に低料金であった。『お金はあまりないけど、とにかくあちこち訪れてみたい』という安旅行者には重宝される宿であった。ただ安いだけならば他にいくつもあっただろうと思うが、安宿が集中するゾーンからは離れているものの、ニューロード裏という便利なロケーションも良かったのかもしれない。
いつだったか、すぐ隣にレンガ積みの真新しい建物が出来上がった。ストーンハウスロッジよりも料金は高くとも、ずっと設備が良くて、新築であるがゆえにピカピカで快適な部屋が用意されていた。ストーンハウスロッジの利用客が『こっちのほうがいいや』と移動してもいいような気がしたが、そうはならなかったようだ。
こちらはまったく流行らず、数年で廃業してしまった。流行る宿というものには、理論的に説明がつかない『旅行者とうまく合う波長』のようなものがあるような気がする。人と人との相性のようなものかもしれない。別に宿の人の愛想がいいとかいうわけでもない。その場所が持つ『気』のようなもの(?)とも言えるだろうか。
古い長屋のような建物であるがゆえに、隣接する棟とぴったりくっついた建て込んだ地域であるがゆえに、家屋での人々の暮らしぶりが、特にそれを覗こうとしなくとも、ごく間近に感じられる楽しさはあった。人々の会話や赤ん坊の泣き声など、様々な生活音がジャンジャン聞こえてくるし、どこかの世帯で作っている料理の匂いも漂ってきて、下町に暮らしている気分になったりもした。
もともと人口密度の高い空間なので、人通りは多かった。何せニューロードの真裏である。それでも野菜売りが沢山出て賑やかな朝の時間帯、様々な用事で人々が行き交う昼間の時間帯を過ぎて夕方の帰宅時間を過ぎれば、ガランとしていたものである。
用事等でタメルに徒歩で出かけて、帰りが午後7時過ぎると人通りがとても少なくなり、午後8時を回るとほとんど誰もいない路地をトボトボ歩くことになった。出会うのは野犬ばかり、灯もまばらでほとんど暗闇のようなもので、懐中電灯を照らして宿まで歩いたものである。
ダサインやディワーリーの時期にも滞在したことがあるが、路地という路地では、無数の小さな素焼きの器の中に火が灯されて、幻想的な眺めが出現していた。辻ごとにある小さな寺や祠に詣でる人々が行列していて、窓から見下ろしているだけでもワクワクしたものだ。
先に書いたとおり、もともと狭いフロアーが、薄いベニヤで極小の部屋として細分化されていたものの、プライバシーはまったくないようなものであった。視覚的には遮られていても、壁の向こうから屁の音、着替える音などがそのまま聞こえるのである。相手が起きているのか寝ているのかもはっきりわかる。厚さ数ミリの非常に薄い壁を背にして寝ていると、そこを境に数センチからせいぜい30センチくらいのところに隣人が存在しているのだから。
不思議と閉塞感はあまり感じなかった。隣の人がかなり親しくなった人だったりすると、壁越しに会話が弾み、まるで同室に滞在しているかのようであった。 -
チープなパフォーマンス
しばらく前に、インドのメディアで大臣や高級官僚等による海外を出張の頻度や旅費関係の支出等についてまとめた記事をいくつか目にした記憶がある。
『小さな政府』を志向し、国や自治体の支出を削減しよう、民間でできることはなるべく民間で行なうなどといった風潮は、国や地域を問わず、世界共通の風潮となっている。
個人的には、そういう視点も必要かとは思うものの、人々の働きかたの多様化を尊重するというおためごかしのために、働く人々の立場、つまり正社員であったり、期限付きの非常勤であったり、はてまた外部からの派遣であったりなどと、雇用関係等が様々な人たちが同じ職場で働く、あるいは同じ仕事をするのに賃金か大きく違ってくるといったことが当たり前になっていることについては決して肯定的に受け止めることはできない。
また、働く人々の立場が寸断された形になっているがゆえに、『労働者』として力を合わせて経営側と渡り合うことが難しくなっていること、さらには世界的な不況という背景も加わり、一般的に今の労使関係が大幅に雇用者側に有利になってしまっていることは大きな問題だと思う。
冒頭に書いたとおり、インドでも公金の使い方について、いろいろな方面で議論がなされているようだ。政治家や高級官僚が移動する際の旅費や公用車云々についても、様々な話がある。
コングレス首脳は、そうした動きを逆手に取って、自らの『クリーンさ』をアピールしようと図っているように見える。
一昨日、コングレス総裁のソーニアー・ガーンディーは、デリーから飛行機のエコノミークラスでムンバイー入りしたと伝えられた。
Sonia Gandhi flies economy class (ZEENEWS.COM)
息子のラーフルは、昨日シャターブディー急行でデリーからルディヤナーに向かったとのことだ。
Rahul travels by Shatabdi (ZEENEWS.COM)
確かに本人分の運賃は安く上がるのかもしれないが、こんな大物たちが公用でミドルクラスの人々と同じ乗り物を利用するなどということは、警備にかかる手間ヒマに労力、周囲の混乱その他の影響等を含めた『社会的コスト』を考えると、あまり現実的ではないように思う。
今の時代、無辜の市民が非情なテロリストの仕掛けたテロの犠牲になるということは珍しいことではなくなっている。有力な政治家が、エコノミーな交通機関を利用することにより、かえって市民が多大な不利益を蒙るようでは本末転倒だ。
昨日のZEE NEWSでは、ラーフルが乗車したシャターブディー急行の車内の映像も流れていたが、車両内の乗客全員がコングレスの動員による『仕込み』なのではないかと疑いたくなった。あるいはインド国鉄が、身元が絶対に確かな人々だけをその車両に配置したのではないか?とも。
民主主義の制度の下で、各選挙区から選ばれた代議士たちには、人々の代表としての責任と義務があるわけで、それをまっとうするために様々な便宜が図られているわけで、『支配層の特権』ではなく、本来ならばちゃんと合理性のあるものであるはずなのだ。問題は、それが理念に適った用い方をされているかどうかということ。
こうした現象は、政治不信の裏返しということもできるが、『無駄撲滅』といわんばかりに、必要なはずであるからこそ講じられている便宜を放棄して、関係各署その他に無理な負担を強いての『清廉さのアピール』は、チープなパフォーマンスにしか見えない。
同じような類のことは日本でもしばしば行なわれているので、インドのことばかり非難するつもりはない。ただ思うのは、どうも政治家のアピールというものは信用できないなぁ・・・といったところだろうか。有権者としては、ひたすら『選球眼』を磨いていくしかない。 -
スワンナプーム空港近くのHotel Novotel
日本からインドその他の南アジアの国に向かう場合、バンコクで乗り換えというケースは多いだろう。バンコクはホテルが供給過多であることもあり、他国の大都会に比べてリーズナブルな宿泊料で泊まることのできる宿の質はかなり高い。
朝やたらと早い時間帯にチェックインでも、繁華街等で客待ちしているタクシーは多く、空港への足に困ることも皆無。しかも高速道路のネットワークが素晴らしく、夜明け前の早い時間帯ならば、スクムヴィット通りの繁華街からわずか15分(!)で空港までブッ飛ばす、若くて向こう見ずなスピード狂運転手も少なくない。
ジェットコースター以上のスリリングなドライブは嫌なので、まずは車内を覗き込んで、温厚そうな風貌の年配ドライバーを選んで利用してみたりもする。
ただし、前日バンコクに入る時間帯が夕方以降だったり、早起きに自信がなかったり、おまけに子連れであったりすると、宿のみのためにわざわざ市内まで出かけて、また空港にトンボ帰りするのは面倒なので空港のすぐ近くに宿泊したい。
今は国内線専用となっているドンムアン空港近くには、高いものからエコノミーなものまで、比較的選択肢があったのだが、現在の首都の玄関口、スワンナプーム国際空港付近はまだまだ開発はこれからという状況だ。
目下、空港目の前に泊まるとすれば、Hotel Novotel Bangkok Suvarnabhumi Airportしかない。宿泊料金は部屋によっていろいろあるが、ツインの部屋が一泊5000〜5500バーツ(1TB=2.7JPY)くらいだ。
空港施設の一部であるかのようなロケーションだけに、多くの宿泊客の出入りの時間帯が市内のホテルとはかなり違うようで、客室の時間貸しの料金設定もある。
市内のホテルならば、千数百バーツでもその金額以上に良い部屋がいくつも見つかるし、バンコクの旅行代理店を通せば、中・高級ホテルのリーズナブルな宿泊プランが見つかることを思えば、かなり割高ではあるが、とりあえず空港すぐ隣というロケーションが欲しかったので利用してみた。
空港から通路で直に繋がっているものと思っていたが、これはまだ完成していないとのこと。完成すればホテル玄関から空港まで300メートルの徒歩圏となるそうだ。到着ロビーを出たところに専用カウンターがあり、係員がホテルのクルマまで案内してくれる。
空港を出ると大きく迂回し、数分でホテル玄関口に到着。壁面がガラス張りのなかなか洒落たエントランスだ。レセプションもちょっとスタイリッシュすぎて、どこでチェックインできるのか少々迷ったくらいだ。

ごく最近建てられた新しいホテルだけに、どこを見渡しても実にカッコいい。真新しくてピカピカの客室内は快適。バスルームのガラス窓からベッドルームの大画面のテレビを見ながらゆっくりと湯に浸かることができる。スピーカーがここにもしつらえてあるので、もちろん番組の音声を耳にしながら。

風呂から上がってベッドに横になると、小鳥のさえずりも聞こえてくる。そういう環境音がしつらえてあるのかと思ったら、窓の外の大きな木の枝に沢山の鳥たちが止まっており、彼らの『肉声』であった。

余談ながら、今年の年末あたりにはスワンナプーム空港が、首都の高速鉄道網とリンクされるようになる。もともと今年8月に開通することが予定されていたものだが、鉄道の労働組合との交渉等の絡みで、運営会社の設立が難航していたようだ。
以下、路線図である。
Bangkok Rail Transit Network
キングフィッシャー航空、エアアジアなど、インドの都市とバンコクを結ぶ路線へに新規参入する航空会社が増えていることと合わせて、バンコクが日本・インド間の中継地としてますます利用しやすくなることは喜ばしい。
今に、空港から目と鼻の先にいくつかエコノミーなホテルがポツポツ出てくるようになることを期待したい。 -
偽物iPhone 『Hi-Phone』日本上陸
2年前にiPod touchの初代モデルが発売となった際、タッチパネルで操作する新しい感覚、WiFi環境があればインターネットに接続できる便利さと合わせて、これまでのPMPになかった斬新さに惹かれた人は多い。
好きな曲をダウンロード購入できたり、Podcastでニュース等を聴いたり、ウェブ閲覧やメールのチェックができるのはもちろんのこと、カレンダー機能が充実していてシステム手帳が不要になるし、様々なアプリを追加して様々な機能を与えることできるため、パソコンの小さな端末のようでもある。各々の必要に応じてカスタマイズできるのが最大の魅力なのだろう。
これに続いて各国の他のメーカーも似たような操作方法の機器を発売しているものの、発売元がアップルであるという知名度のみならず、変幻自在な利便性において肩を並べる製品は今のところないようだ。
そのiPod touchもiPhoneが発売になってからは、どうも影が薄くなっているようだ。前述のようにいろいろ使いまわせる道具に電話も付いて、WiFiのないところでも快適にネット接続ができる。本体価格がちょっと高くても、通信料がこれまで使っていた携帯電話よりもかなり高くついても、その利便性に充分な合理性を感じる人は少なくないことは想像に難くない。
そんなiPhoneだが、インドを始めとする多くの途上国においては、普及の度合いはあまり高くないようだ。インドのお隣り中国では、従前から海外で入手したiPhoneが国内で販売されたりなどはしていたようだが、正規に発売されることが発表されたのは今年8月のことだ。中国聯通という携帯電話事業者との契約のもとで販売されることになるのだという。
ところが中国本土で正式に発売となる以前から、中国製のiPhoneのそっくりさん製品が出回っているという話をよく耳にした。見た目が非常に良く似た多機能なスマートフォンであるとのこと。iPhone以外にも、ノキアその他の有力企コピー製品をせっせと生産している中国のCECTという会社の製品だ。
米国のamazon.comで取り扱いがあるのは知っていたが、『そんなものもあるのか』と特に気にかけていなかったが、思わぬところで実物を目にする機会があった。それは東京都内である。
JR線のある駅の近くで、表通りに面した店先に、平行輸入品らしきSIMフリーのひとつ前の世代のiPod touch 3Gが並んでいる。日本において携帯電話はキャリア固定で販売されており、iPhone利用者といえば即ちソフトバンク利用者ということになる。
『ソフトバンクユーザーでなくても使えるのかな?』『国外でもSIMカード差し替えれば使えて便利かも?』と思ったが、かなりいい値段である。8 GBのモデルは5万円台、16 GBのものは6万円台。不良品であったり、何かで故障したとしても、少なくともアップルの日本法人は応じてくれないのではなかろうか?
その横に置かれた別のiPhoneは、1万5千円台ないしは1万6千円台とやけに安い。いったいどこが違うのだろうか?と目を凝らしてみると、なんとこれが噂の『Hi-Phone』であった。

大きさといい、形状といい、まさにコピーである。製品が収まる黒色の箱までそっくりだ。タッチパネルに並ぶアイコンもiPhoneにそっくり。パっと見どころか、本物にじっくり触れてみたことがなければ、手に取ってみても『これがiPhoneです』と言われれば、『ああそうですか』と納得してしまいそうだ。
本物にはない機能も付加されている。価格が低いほうはテレビチューナー内蔵、安いほうにはこれが付いていないという。SIMカードを2枚挿入できるようになっており、ふたつの携帯番号を1台で使い分けることができるとのこと。一回り小さなミニバージョンのHi-Phoneもあるなど、なかなか『気が利いている』ようだ。
ただ、これらは日本国内で使うことは想定していないとのこと。なぜならばGSM専用機であるからだ。ゆえに日本に上陸したものの、国内でこれを使っている人の姿を見かけることはないはずである。国外に持ち出しての使用を前提として販売されていることになる。
iPod touchは6千円から7千円、iPod classicやiPod nano等は4千円という価格が付いている。『何でこんなに安いのか!?』と、こちらもよくよく見ると、iPod製品とカタチは同じだが、どこにもiPodとは書かれていない。
日本でこうしたこうしたモノが売られているとすれば、いろんな多業種の店や事務所が入った雑居ビルの一角や、秋葉原のITやオーディオ等関係の小さな店が並ぶエリアで、ゴチャゴチャと積んであるのではないかと思っていたが、多くの人々が行き来する表通りに面した1階にある小ぎれいな店先で、『これでもか!』と沢山陳列してあるとは想像もしなかった。
ただし日本語での表示は皆無で、店員はすべて外国人。客層も大半が外国人のようだ。界隈には日本語の表示無しの美容院、不動産屋、食堂なども多く、それぞれ出身国の同胞たちをお客に営業している多国籍なエリアだ。
Hi-Phoneを、ただのコピーと笑い飛ばすのは簡単だ。しかし、あらゆる分野でこうした製品が次から次へと出てくるのにはワケがあるはず。持ち前の機敏さや柔軟さに加えて旺盛な企業化精神を持つ人々の国、中国の恐るべき工業力の一端を見せ付けられる思いがする。
中国が、ここに住む人々の高い資質と上昇意欲を背景に、このまま急成長を続けていくならば、いつしか彼らにしかできない高い付加価値を持つ製品やサービスを次々に生み出すようになるのではないかという思いがする。日本のクルマ産業にしてもカメラ工業にしても、最初は当時の先進国の製品の物真似から始まったことを忘れてはならない。
Hi Phone vs iPhone vs N95 8GB video review (YouTube) -
スリランカフェスティバル 2009

9月12日(土)に東京都渋谷区の代々木公園でスリランカフェスティバル2009が開催された。
例年同様、東京やその近郊にあるスリランカ料理レストラン、食料品店、紅茶輸入会社、衣類等を扱う業者などが会場に出店している。またステージではスリランカおよび日本の各種演目が披露されていた。
本日はあいにく朝から雨で、時折降りが激しくなるなど、天気の条件が悪かったため、人出は少なく閑散としていた。
しかしながら、この催しのために毎年来日しており、このイベント最大の目玉でもあるチャンナウプリ舞踊団の華麗なダンスには、決して多いとはいえない観衆から惜しみない拍手が送られていた。
会期は明日9月13日(日)まで。天候に恵まれることを願いたい。



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ダウリー問題 こんな例も・・・
『ダウリーと闘い続けて: インドの女性と結婚持参金』『インドの女性問題とジェンダー: サティー(寡婦殉死)・ダウリー問題・女児問題』といった邦訳本が出ていることもあり、インドの結婚の際のダウリー問題については日本でも知られるようになっている。
法律では禁止されているとはいえ、結婚持参金(現金ならびに物品等)根強い慣習であるどころか、これまでそういう習慣のなかったコミュニティや階層にも広まっており、雑誌等にその実態等についての特集が掲載されることもある。
インドのメディアでもときどきダウリーにまつわるトラブルや犯罪等の事件が取り上げられるし、2003年に大きな話題となったニシャー・シャルマーさんのニュースを記憶している人も多いだろう。婚約者側からの度重なる不当な要求とハラスメント、加えて結婚式直前に更なる要求が彼女の父親に対して突きつけられたことから、堪忍袋の緒が切れて警察に通報。彼女自身、『この人と結婚したら最後、人生が台無しになる』と悟ったのだろう。
花婿となるはずであった相手は逮捕されて収監、彼の家族も捜査を受けるところとなった。メディアはセンセーショナルにこの出来事を取り上げ、デリーに暮らす普通のお嬢さんであったニシャーは一転、時の人となった。この件については様々な続報があったが、彼女の勇敢さを讃える声が多かった。その後、彼女は無事に理解ある男性と結ばれている。
Dowry demand lands groom in jail (BBC South Asia)
だがこの慣習は一方的に悪と決め付けられるものでもなく、両親からの生前分与という意味合いもあり、それなりの合理性があるようだ。これについてはインドの民法上の規定の関係等との絡みもあるので、ここでは省くことにする。
男性上位の社会で、嫁ぎ先の家に対して、花嫁の実家が与える現金や物品であるため、概ねに前者の立場のほうが強いことが多いだろう。花婿側について、家柄はもちろんのこと、本人の学歴・資格、職業、年収水準等といった条件が高くなるほど、『実入り』が多くなるのはもちろんのことだ。
新郎新婦が結婚した後は、両家は姻族としてよい関係を築いて付き合っていかなくてはならない。社会的な地位を問わず、ちゃんと良識のある人たちは、相手からあまりに無闇な金額を踏んだくろうということはないはず。当然のことながら周囲の目も気になるし、良からぬ噂を立てられたくもないだろう。
何よりも、自分の大切な子供が結婚するのだから、幸せになってくれるのを願うのは親として当然のこと。相手からよほど理不尽なことをされたり、深刻なトラブルでもないかぎり、息子の嫁をいじめたり、その実家を窮地に陥れたりということはないだろう・・・と思う。
だが、あまりに大勢の人々が暮らすこの世の中、ごく少数の人たちの間ではこうしたことがまかり通り、ダウリー絡みのハラスメント、ときにはそこから発展して起きた殺人などが後を断たないだけに、社会の怒りを呼び起こす。
だがこれまでダウリー関係の問題は、夫ならびにその家族が加害者で、妻とその実家が被害者という図式で捉えていたが、必ずしもそういうわけでもないらしい。
インディア・トゥデイの9月2日号で、シムラーで開かれたSave Indian Family Foundationの集会について取り上げられていた。これは妻によるハラスメントに悩む夫たちから成る団体で、『4万人の被害者』の声を代弁しているとのことだ。 同様の活動をしているProtect Indian Family Foundationという団体もある。
ダウリーを巡る嫌がらせや暴力などの被害に遭った女性たちの訴えの大半が正しいものであっても、中には夫とその実家の人たちを陥れるために仕組まれた嘘で固められた罠も少なからず含まれているのだという。
インド刑法には、女性を家庭内暴力等から守るための定めあるが、かなり性的にバイアスがかかっているというのが、こうした団体の主張だ。
とりわけ、条項498 Aが問題であるのことである。
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498A. Husband or relative of husband of a woman subjecting her to cruelty. Whoever, being the husband or the relative of the husband of a woman, subjects such woman to cruelty shall be punished with imprisonment for a term which may
extend to three years and shall also be liable to fine.
Explanation- For the purpose of this section, “cruelty” means-
(a) any wilful conduct which is of such a nature as is likely to drive the woman to commit suicide or to cause grave injury or danger to life, limb or health (whether mental or physical) of the woman; or
(b) harassment of the woman where such harassment is with a view to coercing her or any person related to her to meet any unlawful demand for any property or valuable security or is on account of failure by her or any person related to her to meet such demand.]
…………………………………………………….
あくまでも夫が加害者で妻が被害者という前提の法律であることから、性差別的であるという主張だ。
この法律を意図的に悪用する女性は少なくないとのことだ。つまり条項498 Aに違反しているとの虚偽の訴えにより警察に検挙させるというのである。それによって夫はもちろんのこと、夫の実家の父母兄弟姉妹までもが警察に逮捕されて留置される。
嫁入りした女性の人権は法律による保護が講じられているのに、不運にして謀略を巡らす女性を迎え入れてしまった夫側の家を守る手立てがない、ということに対する問題提起だ。
検挙された多くのケースの場合、まともな捜査もなされないままに立件、起訴されるとともに、裁きの場でも夫側が一方的に悪であるという暗黙の了解があることから、著しく不利な立場に置かれるという。これにより失職したり、自殺に追い込まれたり例も少なくなく、こうした行ないは『司法的テロリズム』であるとしている。
ダウリーにまつわる問題については、広く世間で言われているようなステレオタイプな事例以外にも、まったくその逆を行くような出来事も起きているようである。だがこうした訴えに対して反発するフェミニスト活動家も少ないないかもしれないのだが。
結婚はゴールではなく出発点に過ぎない。結婚すること自体よりも、長い結婚生活を継続していくことのほうがはるかに大変なことだ。最も密なつながりを持つ家庭という中にあっても、それはひとつ小さな社会のようなものでもある。
元々他人同士であった男女が一緒に暮らしていく中、いろいろなことが起きるものだ。そこに両者の実家の利害等も絡めば、そう易々と解決できるものではなくなってしまう場合もある。家庭という社会の中の最も小さな単位の『政治問題』とも表現できるかもしれない。
