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  • NANOの日本上陸地は福岡!

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    12月11日(金)から14日(月)まで、4日間に渡って開催される福岡国際モーターショーに、TATAから発売されている10万ルピーの自家用車NANOが展示される。
    日本で発売される予定はないし、そもそもインドで販売されている仕様では、日本国内で登録することはできない。
    しかしながら、大都市圏を除けば、公共の交通機関のサービスがまばらで、自家用車無しでは生活していけない地域は少なくない。デフレ時代の日本では、従来の軽自動車よりも更に安いクルマの需要は出てくるのではないだろうか。
    また新興国(・・・というコトバは好きではないが、いわゆる経済紙等で表現されるところの新たに経済面で勃興しつつある国々という意味での)における自家用車に対する潜在的なニーズを広く掘り起こすであろうTATAの世界戦略車について、当初は先進諸国の自動車メーカーの間では否定的な見方も少なくなかった。
    しかし、今ではルノーと日産がインドのバジャージと組んで、同様の価格帯での格安自家用車の開発を宣言しているなど、他社によるライバル車の投入の動きもある。
    NANO単独ではなく、追随するメーカーが出てくることにより、自家用車の新しいカテゴリーが創出されることになりそうだ。
    NANOは、TATAが世界の並み居る自動車メーカーを向こうに示して見せた『コロンブスの卵』であったといえる。
    しかしながら、インドを含めて道路事情、道路行政が良好とはいえない国々で、クルマの販売がかつてなく急伸することになると、どうなるのか?という不安は否定できない。

  • 海抜最も高いところで開かれた閣議

    12月4日に、ネパールの閣議がエヴェレストのベースキャンプ近くのカーラーパッタルで開かれた。海抜5,242mとのことで、これまでネパールはもとより世界中の国々を見渡しても、こんな高地で開かれた閣議はひとつもない。

    閣議は午前11時に開始され10分後に終了。この目的は、地球温暖化によるヒマラヤ地方への深刻やインパクトを世界に知らしめるためのもので、12月7日に始まるCOP15(気候変動枠組条約第15回締約国会議)への強いアピールである。
    Nepali cabinet meets at Everest base camp (Hindustan Times)
    閣議の『会場』となった場所は具体的にどこか?ということについては、以下の地図をご参照願いたい。記号『A』で示されているのがカーラーパッタルである。

    大きな地図で見る
    10月17日にモルディヴの海中で開かれた閣議と好対照を成しているといえる。

    ヒマラヤの高地とモルディヴの海中、場所は違うがどちらも地球温暖化に対するアピールだ。後者は将来国土の大半が失われるという国家の存亡がかかっており、前者にとっても氷河の後退その他の温暖化による影響からくる現象が示すものは、単に景観の変化ではない。ともに切実な訴えである。
    氷河湖の決壊による惨事の可能性はよく言われているが、国際的な河川、複数の大河の源であるこの地の異変は、この国の自然や生態系のありかたを大きく変える危険があるだけではなく、インド亜大陸全域におよぶ環境問題でもある。
    どちらの国にしてみても、普段閣議が行なわれている場所ではなく、わざわざ手間隙かけてこういうところで『閣議』を開くというのは、パフォーマンスではあるが、こういうパフォーマンスならばいくらでも実行して欲しいものだ。
    なかなか外に広く呼びかけようとしても声が届きにくい小国の主張、問題提起がヴィジュアルな画像や映像となって、世界中の人々の元に届く。
    まずはより多くの人々がそれを知り、問題意識を共有することが大切なはじめの一歩だ。メディアを通じて彼らの積極的な呼びかけを耳にしたり目にしたりした私たちも、地球温暖化に対して、何かできることから取り組んでみよう。

  • 史上最悪の産業事故から四半世紀

    昔からボーパールで生活している、ある一定の年齢層以上の人々にとって、12月3日という日付には特別な意味があるはずだ。
    今年もその日がやってきた。1984年の12月3日の零時過ぎに、マディヤ・プラデーシュ州ボーパール市のユニオン・カーバイド社の工場で起きた、史上最悪といわれる産業事故である。
    ONE NIGHT IN BHOPAL (BBC NEWS South Asia)
    その晩、同工場から有毒ガスが市内に流出した。イソシアン酸メチルと呼ばれる肺の組織を破壊する猛毒である。事故が起きた夜半のうちに50万人近くの人々が多かれ少なかれそのガスに晒され、2千人以上が命を落としたとされるとともに、その後これが原因となって死亡した人々の数は2万5千人に及ぶという。
    また命を落とすには至らなかったものの、深刻な健康被害を受けた人々の数は、20万人とも30万人とも言われているとともに、今なお引き摺る後遺症に悩んでいたり、精神を病んでいたりする人々もある。彼らの中でガンを発症する率が極めて高いことも指摘されているとともに、出生する赤ん坊たちの中に先天的な奇形が多く見られるという。
    1969年開業時には地元の工業化の進展と大きな雇用機会をもたらすものとして、またここで生産される有用な殺虫剤の普及は社会に貢献するものとされていたことなどもあり、歓迎されていた工場である。
    事故の原因については、今なおいろいろ議論のあるところだが、ユニオン・カーバイド社が主張していた『アメリカ本国と同じ安全基準』が実際には適用されておらず、ずさんな管理がなされていたことが背景にあるようだ。また従前より、工場内部からも事故の可能性を危惧する声が一部から上がっていたらしい。
    1989年に、事故の遺族たちとの示談が成立し、彼らに対する補償問題は解決したものとされているが、工場地の重度に汚染されている状態、そこから敷地外への有害物質の漏出が現在も続いており、今なお付近の人々に対する健康被害が継続しているとされるが、これについての責任の所在が確定していないため、何の対応策も取られていない。
    同工場は事件後閉鎖されているが、ボーパールの駅から北方面2キロ弱の地点にある。Google Earthなどで確認していただけるとよくわかるが、この工場自体が市街地内にあり、しかも人口稠密な地域にごく近いことも大きな被害を呼ぶことになった。

    大きな地図で見る
    線路西側にかつての工場施設が錆び付き、荒れ果てた姿で亡霊のように姿を現す。かつて大事故を起こした建物が、当時そのまま放置されていることが示すように、事件は今なお続いている。
    この事故は、発生直後からマスコミやノンフィクションなどでいろいろ取り上げられてきたが、比較的近年になってからも映画や小説の題材となっている。
    1999年には、この事故を題材にしたヒンディー映画『Bhopal Express』がリリースされているので、観たことがある人も少なくないだろう。
    The City of JoyFreedom at Midnightなど、インドを題材にした作品も複数手がけてきたドミニク・ラピエールがハビエル・モローとともに著した作品『Five Past Midnight in Bhopal』を世に送り出したのは2002年。
    20091203-five past.jpg
    日本で同書は『ボーパール午前零時五分』というタイトルで発売された。
    事故に関して、以下のようなビデオならびに写真のサイトもある。
    Twenty Years Without Justice : Bhopal Chemical Disaster (STRATEGIC VIDEO)
    Bhopal Gas Tragedy (Photos by Raghu Rai)
    汚染が継続していることを警告する住民側とこれを否定する行政の姿勢を伝える報道もある。
    Bhopal site ‘not leaking toxins’ (BBC NEWS South Asia)
    事故発生からすでに四半世紀が過ぎたことになるが、今なお健康被害等が続いていることについて目をつぶるべきではないし、彼らの救済や汚染状態の調査と適切な対策がないがしろにされてしまっているこの事件を風化させてしまってはならない。
    だが、事故の規模があまりに大きなものであったがゆえに『誰がその費用を負担するのか?』という問いに対して、『誰も負担できないし、負担しない』状態が続く限り、被害者たちの苦悩は続くことだろう。たまたまそこに居合わせたがゆえに事故に巻き込まれた罪無き人々に対するあまりに酷い仕打ちである。

  • 異星の生き物

    1898年発表の古典SF小説の名作、THE WAR OF THE WORLDSで、著者であるイギリス人作家H.G. ウェルズは火星人による地球侵略を描いた。秀逸な作品であるがゆえに、映画が一般化する前のアメリカでラジオドラマになったり、幾度か映画化されたりしている。
    それらの中で最近のものといえば、スピルバーグ監督による2005年のWar of the Worlds (邦題『宇宙戦争』)である。

    この作品を観たとき、子供の頃にUFOや宇宙人の話を本で読み、広い空のどこかで奇妙な動きをする物体を見つけることができないものかと目を凝らしてみたり、宇宙人と出会った夢などを見たりしたことなどを思い出した。映画の中の宇宙人たちは、子供心に描いていた平和で友好的なものではなく、地球への侵略者たちであったが。

    (さらに…)

  • WiMAXはインド向き?

    WiMAXを試用してみた。近ごろ加入者が急増しているというモバイルブロードバンドの接続サービスだ。下り最大40Mbps、上り最大10Mbpsという、モバイル通信としては群を抜いた速度が売りだ。
    特に普段、パソコンを持ち歩くことはないし、その必要もないのだが、15日間無料で貸与というキャンペーンがなされているので、チョコッと利用してみた次第である。
    その背景には、目下日本全国でWiMAXネットワークの拡大が急ピッチで進んでいるものの、サービスエリア内になっているはずの場所でも、まだまだ『圏外』となるケースが多い。ちょうど携帯電話が普及し始めたころのような具合であったと記憶している。
    今のところ、まだ不安定な状態なので、とりあえずは試用してみたうえで、納得してから契約してもらおう、ということらしい。
    外ではWiMAX、自宅ではWiFiで使えるという接続機器を自宅に持ち帰って試してみた。窓際ではそれなりに使えるのだが、室内の奥のほうに入るとすっかり途切れてしまう。自宅のドアの外に出てみると、ちゃんと快適に通信できた。速度を測ってみると、窓際では3〜4Mbps前後、家のすぐ外では6Mbpsくらいである。
    WiMAX接続機器
    他のインターネット接続サービスもそうだが、冒頭の下り最大40Mbpsとは、あくまでも理論値であり、通信環境の良いところでもせいぜい12Mbpsあるいはそれを少し上回るくらいのものらしい。
    たとえ12Mbps程度であっても、ストリーミング配信の映像などを見るにも充分な速さであり、ADSLの接続サービスの通信速度の実測値、あるいは光通信を利用していてもパソコンへWiFi接続しているといった場合の速度と同等だ。この環境を自宅や仕事場の外に持ち歩くことができるというのは、それを必要とする人にとっては魅力的だろう。
    建物の造り等にもよるかとは思うが、窓際でしか接続できない環境の場合、通信可能な位置にWiMAX機器を設置して、室内にWiFiで電波を飛ばす、というのが適当な方法だろう。
    ひとつの契約につき、一台のみインターネットに繋ぐことができるのだが、WiFiで接続する場合に限っては、複数のパソコンを同時に使うことが可能だ。モバイル用途のみではなく、自宅や仕事での使用も兼ねて導入する人は少なくないのではないかと思う。
    私自身、自宅で唯一WiMAXに繋がる自室窓際にこの機器を置いた際、通信速度がもう少し出て、接続自体が安定していたならば、『ほぼ自宅据え置き、ごくたま〜にモバイル』という用途で利用してみようかと思ったくらいだ。
    このWiMAXだが、日本では今年7月1日に正式に商用サービスが開始されたばかりで、高速なモバイル通信としてだけではなく、有線のブロードバンド回線の敷設が難しい離島や山間部での高速通信の普及に貢献することも期待されている。
    こうした僻地以外の部分で、高速通信回線というインフラの普及が遅れている地域においては、ブロードバンド通信の主役として脚光を浴びることが予想されているのだという。
    それは主に途上国ということになるが、とりわけ人口が多く、ブロードバンド需要も高いインドにおいては、ひとたびWiMAXのサービスが開始されれば、瞬く間に市場を席巻する可能性が高いのだとか。2012年には、インドのWiMAXユーザーは、世界全体の20%に及ぶとの予測もあるくらいだ。
    インドのWiMAX加入者は世界全体の20%へ (WiMAX FORUM)
    当然のことながら、WiMAX機器の大きな需要も伴うはずであることから、関連機器の生産に向けて、アメリカを始めとする外資も着々と参入しているというニュースも目にする。
    長年、定電話の普及が遅々として推移していたのに対し、携帯電話のサービスが始まってからというもの、アッという間にインド全国各地に、都市部、農村部、山間部を問わず一気に普及してしまった。契約数はすでに携帯電話が固定電話の倍以上になっている。
    背景にあるものは共通するものがある。既存の有線通信の普及の遅れを、無線通信技術の普及が挽回してしまうのである。同じようなことがインターネットの高速通信の分野でも起きようとしているらしい。
    つまり日本では通信速度の速いモバイル通信として注目されているWiMAXだが、インドの場合、今後モバイラーが急増というわけではない。インフラ整備の負担が重い有線のブロードバンドに代わるものとして、迅速な普及を可能とするものが無線高速通信なのだ。
    数年後には、インドでブロードバンドといえば無線、その無線といえばWiMAXが常識となっているのかもしれない。

  • 過去のイメージ

    最近、Google Earthで昔の衛星画像を閲覧する機能が付いていることに気がついた。
    メニューの『表示』から『過去のイメージ』をクリックすると、画面左上に画像の撮影時期を指定するツールバーが現れる。これを操作することにより、表示されている土地の過去の画像を見ることができるようになる。
    昔の画像、といったところで何十年も前のものが出てくるわけではない。せいぜい今世紀の始まりくらいか1990年代後半くらいまでしか遡ることができない。それでも、ここ10年くらいで急激に発展した街、新たに建設が始まった市街地等の進化や拡大の様子を把握することができるだろう。
    今世紀の始まりといえば、インドにおける歴史的な大地震のひとつに数えられる2001年1月26日発生のグジャラート大地震が思い出される。グジャラート州西部カッチ地方のブジを震源地とする強い地震により、死者20,000人、負傷者167,000人を出した。
    被害は同州最大の都市アーメダーバードや州東部にも及んだとはいえ、震源地かつ主たる被災地であるカッチ地方は人口密度の希薄な地域でありながらもこうした数字が記録されたことは特筆に価する。
    復興が進んでいることは耳にするものの『そういえば、ブジは今どうなっているのか』とGoogle Earthで旧市街の様子を表示してみると、以下のような画像が出てきた。
    20091123-bhuj1.jpg
    震災前は、もっと密度の濃い街区だったはずだが、かなり空白が目に付くことから、おそらく以前とはかなり違った風景になっていることがうかがえる。しかしGoogle Earthの過去画像で遡ることができるもっとも古い同地区の様子は以下のとおり。
    20091123-bhuj2.jpg
    2002年9月13日撮影ということになっているため、震災から1年9カ月後の様子だが、現在の様子よりもはるかに希薄な風景となっている。これらふたつの画像を拡大してみると次のような具合となる。上が現在、下が震災まもない時期のブジ旧市街の一角だ。
    20091123-bhuj3.jpg
    20091123-bhuj4.jpg
    おそらく地域の建物の大部分が建て替り、震災前とはまったく違った光景が広がっているであろうことは容易に想像がつく。
    市街地の建物の密度もさることながら、乾季でも満々たる水を湛えているはずのHamisar Tankだが、震災の後はどうしたわけか以下のように干上がっていることにも驚いた。
    20091123-bhuj5.jpg
    それが最近の画像では、ちゃんと水が再び戻ってきている。
    20091123-2009hamirsartank.jpg
    大震災の後に池や湖から水が引いてしまうということがあるのかどうかわからないが、上の画像は何か人為的に水を他のところに引いていたのか、それとも地震に伴う自然現象であったのか?
    ブジという街はもちろんのこと、周囲にも面白いエリアが数多い。染物で有名なアンジャール、ダウの造船で知られるマンドビー、織物や刺繍といったテキスタイル関係を生業とする村々、ハラッパー文明の遺跡のドーラーヴィーラー等々、豊かな文化と歴史に恵まれている。
    カッチ地方には部族民が多く、かつて個性的な民族衣装でカッチの中心地ブジの町にも出入りしていたが、やはり商業化の進展とともに、より経済的で耐久性のある工業製品が普及するようになり、こうした人々が身に付ける衣類にも変化が顕著に現れてきていた。
    男性は洋服、女性はどこのマーケットでも普遍的に手に入るような工場製品のサーリーやパンジャービーといった具合である。従前は特色のある衣装をまとっていた人々も見た目は街に暮らす人たちとあまり区別がつかなくなってきていた。
    彼らの伝統的な衣装を仕立てていた職人たちは、買い手が減って生計が成り立たなくなってくる。そうした職業を辞める人が出てくれば、それらの衣装も手に入りにくくなり、敢えて買い求めようとすれば、かつてよりも高い対価を支払わなくてはならなくなってくる。
    そんなサイクルが繰り返されて、次第に日常の装いから縁遠いものになってきて、やがては『博物館で保存される民族の伝統』という具合になってくるのだろう。
    これはカッチ地方に限ったことではなく、インド全土で人々の装いのありかたは工業化の進展とともに、地方色が薄れてより『グローバルなインド』的な形に収斂されてきていることは言うまでもないし、私たちの日本も含めておよそ世界中で、程度の差異はあれども似たようなことが進行している。
    話は逸れたが、本題に戻ろう。
    もうひとつ、今世紀に入ってからの大災害といえば、2004年12月26日のスマトラ沖地震とそれに起因する津波がインド洋沿岸地域を襲ったことだろう。
    震源地であるインドネシアのスマトラ島はもちろんのこと、タイ、スリランカ、インド等でも記録的な被害を蒙ることとなった。特にタミルナードゥのナーガパットナムでの被害が甚大であったが、南インド東側沿岸を中心に広く死者や行方不明者が出た。
    当日の夕方、ニュース画像でチェンナイのマリーナー・ビーチに押し寄せる津波、多数の自動車がまるで紙でできた小さなオモチャであるかのように、波間に揉まれている様子が映し出されていて仰天した。
    もっとも震源の近く、津波の規模も最大であったインドネシアのスマトラ島北部のバンダ・アチェの現在の様子は以下のとおりである。2005年1月28日に撮影されたものだそうだ。
    20091123-banda1.jpg
    続いて津波がやってくる前の画像はこちらだ。2004年6月23日、つまり津波の半年ほど前の画像である。
    20091123-banda2.jpg
    画像が小さくて、違いがよくわからないかと思われるので、これらの拡大画像も付けておく。荒廃した土地が広がっているように見えるが、元々ここには大きな運動施設があり、その周囲は住宅地であった。痛ましい限りである。
    20091123-banda3.jpg
    20091123-banda4.jpg
    Googleのサービスについては、画期的な利便性・有益性とともに、Google Earthにおいて国防施設等が丸見えになっていたり、ストリート・ヴュー画像が泥棒の下見に使われたりといった、国家ならびに個人のセキュリティに関わる事案が生じていること、書籍検索サービスにおける著作権の問題等々賛否両論ある。
    しかしながら書籍検索で、すでに手に入れることのできない貴重な資料や図書を自宅にいながらにして探し出すことも可能であることに加えて、Google Earthの『過去のイメージ』は、今後画像データが毎年蓄積されていくことにより、歴史的な資料としての価値が出てくることが期待できることと私は思う。
    これが一部の人々に独占されるのではなく、インターネットへのアクセスの手段がある限り、誰もがそれを共有できることにも大きな意義があることは言うまでもない。

  • SWINE FLU

    インドでもSwine Fluとしてニュースの話題に上ることの多い新型インフルエンザ。
    First batch of swine flu vaccines in India by Dec (Hindustan Times)
    そういえば、先月末には、グジャラート州首相のナレーンドラ・モーディーが発症したことが伝えられていた。
    Narendra Modi tests positive for swine flu (ZEE NEWS)
    そのインフルエンザが我が家にもやってきた。ここ数日間、四人家族のうち三人が相次いでバタバタと罹患し、そろそろ私かも?と思っていた矢先、熱がバーンと上がり、医師の診察によれば、家の他の者たちと同じA型で、目下流行っているのは、まず間違いなく新型インフルエンザであるとのことだ。とりあえず各自タミフルないしはリレンザの処方を受けた翌日あるいは翌々日には平熱に戻った。
    これが、今年4月の後半あたりからメディアで大々的に報じられてきた新しいウイルスか、と思うと、ちょっと感慨深いものがないでもなかった。半年ほど前ならば、感染経路を詳細に調べられたり、それまで接触した人々も調査の対象となったりといった具合に、周囲を巻き込んでの大わらわになるところであったのだろう。
    そもそも当時の・・・といってもそんなに前のことではないのだが、メディアと行政が一体となってのあの狂乱ぶりは一体何だったのかと思う。新型ウイルスが、ヒトからヒトへ効率よく感染するようになり、世界的な流行が始まっているというパンデミック宣言がなされた時点で、すでに症状等は季節性のものと変わらないということが伝わっていたにもかかわらず、しばらくの間はあまりに過剰な対応がなされていた。
    しかし今回の騒動で、肯定的に捉えることができる部分が二点ほどあるのではないかと思う。まずは、現在出現が危惧されている高病原性鳥インフルエンザが私たち人間の間で流行するようになった場合、対策として何が有効であるのかないのかを判断するシミュレーションにはなったであろうということだ。
    加えて、現在流行中の新型インフルエンザについては、症状や治療方法が季節性のものと変わらないため、少なくとも日本国内では、両者につき同じ『インフルエンザ』として扱うようになっており、行政の示す指針に区別はなくなっていることも挙げられる。
    ・・・というのは、これまで、悪くすると死に至る病気であるインフルエンザが軽視され過ぎていた。学校や幼稚園等の場合は、クラスで一定数を超える患者が発生下場合、学級閉鎖の措置が取られてきたが、社会人の場合は職場で特にそうした対応はなされていなかった。ただのカゼの一種という意識で、熱や頭痛を我慢して職場に出てくる人もあったし、たいていの人はとりあえず熱が落ち着けば仕事に戻っていた。
    実は、インフルエンザにより、日本国内だけでも年により数字は大きく異なるものの、1万数千人から3万人もの方々が亡くなっていること、基礎疾患があると、重症化しやすいということを今回の新型インフルエンザ騒ぎで初めて知った人も少なくないだろう。
    本来、インフルエンザが『怖い病気』であることが再認識され、それなりのきちんとした対応がなされるようになったことは、きわめて前向きに評価できることだと思う。暦がひと巡り、ふた巡りもすると、もはや新型ではなく『Aメキシコ型』とでも呼ばれるようになるのだろう。
    罹ったことのある人が大幅に増えて、今後数年間は流行の主体となるのがこの型のインフルエンザであろうという見通しがなされていることから、ワクチン等も潤沢に用意されるようになることだろう。それでも感染の拡大と重症化を防ぐために、『タミフル・リレンザ投与を開始して、解熱後2日間開けてから登校・出勤』という体制はしっかりと維持されるべきだ。
    現在、世間で言うところの『新型インフルエンザ』を含めた既存のインフルエンザについて、早期治療と充分な休息により、普通は大事に至らずに済むとはいえ、罹患した人々の6割が死亡すると推定されている高病原性鳥インフルエンザが、『ついにヒトの間で流行』となった場合、果たしてどうやって私たち自身を守ることができるのか?という疑問と不安を感じることは否定できない。

  • Namaste bollywood #21

    namaste bollywood #21
    Namaste Bollywood誌の創刊3周年記念号である。巻頭の特集記事は『ボリウッド日本浸透作戦』と題して、近年公開された作品の中から、日本でのヒットが狙えそうなものを取り上げている。
    ボリウッドに限らず、その映画が製作された地域の文化的背景をある程度把握していないと、作品の意図するところがうまく伝わらない可能性がある。ユニバーサルなヒットを生むハリウッド映画にしてみてもそういう部分はあると思う。
    だが、これがアメリカという良くも悪くも、これまたユニバーサルな影響力を持つ国と、南アジアの地域大国インドとでは、その文化圏外ないしは周辺地域と、まったくそれ以外の国々との間で、理解の度合いに大きな較差があるし、また興味の対象となり得る可能性自体にも相当な隔たりがあるのはいたし方ない。
    海外における日本発のカルチャーの受容の大半が漢字圏ないしは東南アジア地域に集中していることとも共通しており、文化圏を越えて普遍的に浸透することは、そう容易なことではないようだ。
    そんな中で、大きな話題を呼んだGHAJNI,やDELHI 6などのメガヒット作に加えて、『ミニシアター系』として、TAHAANやCHEENI KUMなど、これまで日本におけるインド映画のマーケット(・・・というのがあるとすれば)において、取り上げられることのあまりなかった小粒ながらも力のこもった作品にも焦点を当てている。
    また劇場公開で大きな興行収入は見込めなくても、DVD販売やレンタル等でそれなりの利益が見込めそうなTAXI NO. 9211のような秀作もピックアップされている。
    お馴染み巻末のBollywood Filmy Pedigreeで取り上げられているのはチェータン、デーヴ、ヴィジャイのアーナンド三兄弟。今のボリウッドの華やかな映画からちょっと視線を写して、ときには昔のモノクローム映画にじっと見入ってみるのもいいかもしれない。
    ともあれ、近ごろでは日本国内でインド映画が上映される機会は確かに多くなってきているようだ。Namaste Bollywood誌の今後ますますの発展とともに、日本でインド映画がこれまで増して注目を集めていくことになることを期待したい。

  • 線路は続くよ、どこまでも 3

    ソフト面では、利便性が飛躍的な向上を見せたものの、ハード面で特筆すべきは、各地のメーターゲージ路線をブロードゲージ化する作業が着々と進んだことだろう。
    これにより、鉄道ネットワークの効率化が図られた。旅客として利用する際、目的地沿線の軌道幅が異なることによる乗り換えが不要となり、主要駅を起点として直通列車が走る範囲がとても広くなっている。おそらく貨物輸送の面でも相当な有利になったに違いない。
    各地の鉄道の事業主体が単一ではなかったこと、鉄道ネットワークに対する考え方が現在と異なる部分があったことや予算の関係などもあり、植民地時代に軌道幅が異なる路線が混在し、それが長く引き継がれてきたことについては、その対応に苦慮しつつも、全路線ブロードゲージ化という方向で完成しつつあるのがインドだ。
    それに較べて、隣国バーングラーデーシュ国鉄は異なる手法で解決への道を探っているかのようである。今年1月に『お隣の国へ?』で書いたとおり、デュアルゲージという手法により、ブロードゲージの軌道の間にもう一本のレールを敷設し、ゲージ幅の狭い列車も走行できるようにしてあるのだ。異なるゲージ幅に対応する、なかなか面白いアプローチである。
    これが『デュアルゲージ』
    バーングラーデーシュ国鉄本社が置かれているのは狭軌ネットワークのターミナスであるチッタゴンであることと合わせて、今後はインドとは反対に狭軌のほうに集約していくと考えるのが自然だ。
    近年になってから、首都ダーカーにブロードゲージ路線が導入されているが、これは現在コールカーターからの国際旅客列車マイティリー・エクスプレスに加えて物資輸送の貨物列車が運行していることから、隣国インドの鉄道とのリンクを考慮してのことであり、同国内既存の狭軌路線を広軌化する意思はないのだろう。
    インドの場合と異なり、ネットワークがあくまでインドと一体であった時代に築かれたものであるがゆえ、今の同国国土を効率よくカバーしているとはとてもいえないため、インドの国鉄と違い、国民の期待値は相対的に低いものとなる。ゆえにどちらかに統一するのではなく、あるものを可能な限り使い回すという発想こそが賢明であるのかもしれない。
    いっぽう、列車の運行体制やアメニティといった部分では、それほどの進化を遂げているとは思えない。車中泊を伴い長時間走行するもの、比較的短い距離を日中走行するものなど、列車のタイプにより、1A (First class AC)、2A (AC-Two tier), FC (First Class), 3A (AC three tier), CC (AC chair car), EC (Executive class chair car), SL (Sleeper class), 2S (Seater class), G (General)と、いろいろな客車タイプがある。
    クラスが上がるにつれて、料金も格段に違ってくることから、同乗する他の客を選別する機能があるといえるのは、インドという国における社会的な要請といえるだろう。
    人々の可処分所得が上昇したこともあり、エアコンクラスの需要増に応える形で、空調付きの車両が増えることとなったが、クラスは上がっても1人あたりのスペースが広くなること、電気系統を含めた車内内装の質が向上することを除けば、基本構造自体は旧態依然のものであることから、やはり時代がかった印象は否めない。
    他の列車よりも走行の優先度を高めて停車駅を少なくすることにより、目的地までかかる時間を短くしたラージダーニー、シャターブディー、サンパルク・クランティ、加えて最近導入されたドゥロントといった特別急行があるものの、これらの列車が連結する車両構造自体が取り立てて先進的というわけではない。
    またダイヤの過密化と駅の増加により、こうした特別急行以外の急行列車は、たとえば1980年代と比べて、より時間がかかるものとなっている路線も少なくないらしい。
    相変わらず大規模な事故がしばしば起きることも問題だ。今から10年も前のことになるコンピュータの『2000年問題』が取り沙汰されていた時期、確かに鉄道のチケッティングの面では一部懸念されるものがあったようだ。
    しかし列車の運行についてはまったく問題ないという発表がインド国鉄からなされていたことを記憶している。その理由といえば、大部分がアナログ式に管理されているため、電子的な誤作動による事故はまずあり得ないという、あまりパッとしない理由であった。
    その後、運行の手法について、どの程度の進展があったのか残念ながらよく知らないのだが、今年10月にもマトゥラーでの急行列車同士の衝突事故があったように、同じ路線にふたつの列車が走行してクラッシュという惨事、あるいは植民地時代に建設された橋梁が壊れて車両が落下といった事故が散発し、そのたびに多数の犠牲者が出る。メディア等でその原因等について盛んな糾弾がなされるものの、少し経つと同じような事故が繰り返される。
    そんなことからも、列車の運行管理の部分においては、大した進展がないのではないかと疑いたくなる。これからは、鉄道輸送の根幹となる部分で、『乗客の安全』を至上命題に、骨太の進化を期待したいと思う。
    蛇足ながら、乗客の立場からするとハード面でいつかは改善して欲しい部分として、乗降の際の巨大な段差もあるだろう。19世紀の鉄道を思わせるようで『趣がある』と言えなくもないが、観光列車ではなく、人々の日常の足である。停車駅で人々のスムースな出入りを阻害する要因だ。頑健な大人ならばまったく問題なくても、お年寄りや子供たちにとってはちょっとしたハードルである。身体に障害を持つ人にとっては言わずもがな。
    19世紀・・・といえば、鉄道駅の中でも由緒ある建物の場合、電化される前には待合室等の天井にパンカー(ファン)を吊るした金具が残っていたりする。今は電動の扇風機が頭上でカタカタ回っているが、電化される前の往時は、吊るしたパンカーを人がハタハタと動かしていたのである。
    やたらと進んでいる面とまったくそうでない面が混在するインド国鉄ではあるが、そういう凸凹が多いがゆえに、ふとしたところに長く重厚な歴史の面影を垣間見ることができる。ここに独自の味わいがあるのだ。
    ひとたび車両に乗り込めば、場所によっては非常に時間がかかるとはいえ、広い亜大陸どこにでも連れて行ってくれる(もちろん鉄路が敷かれている地域に限られるが)最も便利な交通機関だ。
    インドの鉄道のことをしばしば書いているが、私自身は『鉄ちゃん』ではないし、およそ鉄道や列車というものに一切の関心を持たない。しかし、情緒あふれるインド国鉄に関しては、いつも大きな魅力を感じてやまない『イン鉄ファン』なのである。

  • 線路は続くよ、どこまでも 2

    ・・・と、文字に書くと『ああ、そうか』という程度のことでしかないかもしれないが、鉄道の予約を取ることについてかかる手間ヒマという点からすると天地の差がある。
    また南アジア域内で鉄道ネットワークを持つ他国と比べてみても、インドの『先進ぶり』は際立っている。
    まず鉄道駅窓口での予約がオンライン化される前といえば、まずはBookingカウンターの行列に並んで目的地までの乗車券を買う。続いてReservationカウンターの長い長い列に並び直して予約を取る必要があった。
    係員が、列車別と思われる分厚い帳簿に、厳かな表情で予約した乗客の氏名等を記入するのだ。座席や寝台の料金を払うと、さきほどのBookingカウンターで渡された乗車券とは別に、車両番号と座席(寝台)番号が殴り書きされた予約券が投げて寄越される。
    これとて、特に大きな駅では利用クラスや方面別になっていたため、うっかり違う列に並んでしまうと、せっかく順番が来ても『あっちのカウンターに行きなさい』と追い払われてしまい、それまで費やした時間がまったくのムダになる。
    こうしたやりかたは、インドの鉄道草創期にあたる『ヴィクトリア朝時代からの伝統』と揶揄されるもので、今では博物館モノの大時代がかった作法による発券作業を目の当たりにできる、その中でチケットを買う、予約するということが実体験できるため、最初は興味深く感じられた。
    しかしこれが度重なると、手間暇と時間を取られて面倒なので、なるべく事前の面倒のないバスで移動したいと思うようになった。それでも半日以上かかる移動、とりわけ車中泊を伴う場合は、やはり身体を横たえることのできる寝台がないと辛く、結局は鉄道の厄介にならざるを得なかった。
    当時、どこかで乗り換える必要がある場合の次に利用する列車、往復する場合の帰りの列車の予約をその場ですることができないのもすこぶる不便であった。ボーパールやバンガロールのような大きな駅であっても、列車が当該駅始発ではなく経由地である場合は、中途から乗り込む乗客への割り当てが少ないため、ずいぶん先まで満席ということが当たり前でもあった。
    結局、列車に乗り込んでから、その時点での空き状況を見て車掌が乗客たちに振り分けることになってしまうのだが、車掌がやってくるまでずいぶん長いこと待たされた。なにぶん少ない人手による手作業ということもあり、何かとスローなのは仕方がなかった。
    主要駅における鉄道予約オンラインが開始された頃、チケット売り場の壁に『ANY CLASS, ANY DESTINATION, ANY QUEUE』 との貼紙を目にしたときには、いたく感動したものだ。どの列に並んでもいい、しかも一回並ぶだけで、BookingとReservationが同時に出来てしまう!とは、今では当たり前のことではあるが、当時は大きなインパクトがあった。
    その後、全国的にシステムで接続される体制が整ってくると、列車の往復予約も乗り継ぎ駅から先の列車の予約もいっぺんに確保できるようになってくる。更には自宅でヒマなときにネット予約してプリントアウトしたものが、そのままEチケットとして使用できてしまうというところにまで来ている。この部分のみに限れば、インターネットで列車予約してから、駅の窓口に並ばなくてはならない日本のJRと比較した場合、インド国鉄に軍配が上がる・・・と思う。
    こうした進歩も『時代が進んだのだから当たり前』ということにはなるが、19世紀末か?と思うほどの状態から、わずか20年ほどで21世紀らしいところにまで追いついたことは、大いに評価できるはずだ。しかもインド国鉄といえば、従業員数にして同国最大の国営企業。国家予算とは別立ての鉄道予算を持つ国の親方三色旗企業もなかなかやるじゃないか、と大きな拍手を送りたい。
    だが、業務の近代化、自動化は、往々にして職場の人減らしにもつながる。労働組合活動の盛んなインドのこと、しかも140万人というインド最大の従業員数を誇る国営企業としての国鉄において、マネジメントと労働者の側で様々な衝突や駆け引きもあったのではないかと思う。
    もともと南アジアの周辺国、パーキスターン、バーングラーデーシュ、スリランカとは比較にならない鉄道大国であるインドだが、こうしたソフト面の進化は、これらの国の鉄道に対して先進的な模範を示しているといえるだろう。

  • 線路は続くよ、どこまでも 1

    trains at a glance
    インド国鉄の時刻表Trains at a Glanceの最新版が出た。早速、11月1日よりウェブサイトからこの版がダウンロードできるようになっている。
    例年7月に新しい版が出て、そのまま次年の6月まで有効、そして再び7月に切り替わるというサイクルであったが、今年はどうしたわけか昨年7月の版の有効期限を10月まで延びていた。
    ラージダーニー急行よりも短い時間で大都市を結ぶドゥロント・エクスプレス導入も含めて、かなり大規模なダイヤ改定があったのだろう。
    Trains at a Glanceにはインドを走るすべての旅客用列車が記載されているわけではない。地域版の時刻表あるいは滅多に鉄道駅で売られているのを目にすることはないし、そもそも今でも印刷されているのかどうか知らないが、全国すべての列車を網羅したRailway Bradshawを手に入れると、Trains at a Glanceには出ていないローカルな各駅停車の記載などもある。
    しかし、そんなひなびた頻度の少ない便を使わずとも、バスその他の交通機関があるので、普通はTrains at a Glanceがあれば旅行するのには充分だろう。
    インド国鉄のネット予約サイトIRCTCで、乗車駅と降車駅を入れば簡単にその区間を走る列車やダイヤを調べることができるが、やはり冊子にまとめられたもの、またはそれがPDF化されたものでザザッと俯瞰するほうが楽だ。
    つくづく思うのだが、鉄道駅のチケット予約システムのオンライン化が20年ほど前に始まってからというもの、またたく間に全国の主要駅、続いてその下の規模の駅、そのまた下へ・・・と広がり、インターネット利用が一般化してからは自宅からネット予約等も簡単にできる。 ずいぶん便利になったものである。

  • MagazineX Business vol.1 【特集】タタのすべて

    20091103-tatanosubete.jpg
    三栄書房から、ターターの格安乗用車NANOを特集したムック本が発売された。
    MagazineX Business vol.1 【特集】タタのすべて (三栄書房)
    まさか日本でこのクルマの特集本が出るとは予想だにしなかっただけにオドロキであるとともに、第1号として顧客に納品されたNANOの実車をもとに、その仕様についての詳細なレビューが掲載されている。
    これまで自家用車の購入層でなかった人々からの需要を掘り起こそうという、ターターの世界戦略車NANOの分析、これを生んだターターという企業体についての紹介、インドのクルマ市場ならびにそこで競い合う日系をはじめとする外資系企業の動向、インド資本の自動車メーカーの主な製造車種のラインナップといった記事が並んでいる。
    NANOを中心に、これが開発された背景やこの車種が投入される市場の特徴などがバランスよく取り上げられており、インドのクルマ市場がどういったものか概観できるようになっているなど、なかなか充実した好感の持てる造りになっている。
    ただし『インドといえばカレーだ』と言わんばかりに、クルマとは無関係の料理に関する記事があったり、旅行記仕立ての写真入りの取材者による雑感をまとめたページなどが入っていたりするのはちょっとどうかと思った。限られた誌面なので、やはりNANOないしはインドのクルマ事情に関する記事はいくらでも書けるはずなので、本題のほうにもっと集中して欲しかった。
    あと気になったのは、人名・地名などを含む固有名詞等の表記。10万を意味する数詞ラークが『ラック』となり、ヒンドゥスターン・モータースが『ヒンダスタン・モーターズ』となっている。また拝火教徒を意味するパールスィーについて、隣り合った記事で『パールシー』であったり『パーシー』であったりと揺れがある。
    日本においてインドの名称に馴染みがないがゆえ、書き手によっていろんな表記をしてしまうことになる。しかし、そうした書き方が様々なメディアで繰り返されることにより、事実上、その表記に定まってしまうことだろう。
    もっともその他の外国地名・人名等で、実際とあまりにかけ離れた日本語表記がなされている例は少なくないし、お隣の中国に関しても漢字で書かれた名称等を日本語式の読み方をするのが習慣となっているため、胡錦濤を『こきんとう』と読み、重慶を『じゅうけい』と読み慣わしている。ごく一部、上海を『しゃんはい』、広東を『かんとん』などと、現地の発音に近い読み方がなされものもあるのだが。
    結果として、中国語での地名・人名等の読み方について、それなりの予備知識がないと、中国の歴史や政治について英文で書かれたものを手に取ってみたり、あるいは人が英語で話すのを聞く際に、一体何のことについて、誰のことについて述べられているものなのかわからないということになってしまうという、なまじ『漢字圏』に属するがゆえのパラドックスが生じたりもする。
    もっとも、現地の読み方に近づけた形であるかそうでないかはさておき、外来の固有名詞や名称等の表記がある程度定まった時点で、日本語の『語彙として定着した』といえるだろう。
    その意味で、マスコミ等で取り上げられる機会がとみに多くなってきたインドについて、これまであまり日本語メディアで伝えられることのなかった沢山の人名、地名等を『日本語式に命名する』という、大きなフロンティアへの門戸が開け放たれているわけである。
    そうした中、日本語の環境にとって新しいインド発の人名・地名その他の名称が、私たちの語彙の中に根付くまで、様々な書き手がいろんな表記を続けていくことになる。
    話はずいぶん飛んでしまった。Magazine X Businessの創刊号は丸ごとNANOおよびインドのクルマ市場ということであったが、12月17日発売予定の次号では、『中国車のすべて』という特集が予定されている。中国では、インドとは対照的に、小規模なベンチャー企業が活発に格安車、電気自動車などを開発していることが話題になっている。再び意欲的な内容を期待したい。